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【アルバムレビュー】Frenzy“騒音で芸術をするバンド”
長い演奏時間に会えるふとした狂乱の瞬間何回目か覚えてはいないが、KBS 2TV「TOPバンド2」のトリプルトーナメントの時のことだ。数十秒足らずの時間の間ひたすら叫び続け、あっという間に落ちたバンドがいた。Frenzyのことだ。兄弟であるユ・ジョンモク(ギター)とユ・ソンモク(ドラム)、そしてユン・ジョンシク(ベース)、リュ・ホゴンからなるこのバンドは、主にポストロックを演奏する。彼らの1stアルバム「Nein Songs」は大衆的ではないが、リスナーの間では、口コミでかなり有名だ。実は私も一回聴いて「あまり」と思い、聴いていなかった。しかしある日、偶然Frenzyの曲を頭から最後までじっくり聴く機会があった。そして「自分が余計な考えをしたな」と思った。彼らの音楽はステージでもイヤフォンでも「狂奔、狂乱」と言う意味のバンド名Frenzyそのものだ。Frenzyの音楽が何よりも魅力的なのは、音楽に「起承転結」の流れがあるという点だ。代表曲の一つ「Icarus」は、曲の後半にいきなりスピーカーが爆発しそうなほど音が増幅する。起承転結のうち「結」が聴き手の耳を引きつけるのである。彼らの音楽で基本的なリズムパートはドラムが担当する。しかし真似できないほど、とても変則的というのも特徴だ。Frenzy特有の裂ける音が頂点に達する瞬間、最大限に弾ける音もまた聴き手を集中させる。騒音で芸術をするバンドがいるとすれば、それはFrenzyだろう。彼らが5分長くて6分ほど続く長い曲を主に演奏するだけに、彼らの魅力はまだ人々には知られていない。しかし音楽を通じて空を飛んでいるような感じや緊張と狂乱を感じたい人なら、一度は聴いてみることをお勧めする。もし、長い曲が我慢できないのなら、集中して聴くよりふとした瞬間を感じてみて欲しい。その興奮と狂乱の絶頂を。「OhmyStar」ではスターはもちろん、バラエティ、ドラマなど、様々な市民記者のレビューや主張を幅広く掲載しています。もちろん、いかなる反論も歓迎します。いつでもノックして下さい。「OhmyStar」は市民記者の皆さんの参加をお待ちしています。―編集者コメント

【アルバムレビュー】4Minute キム・ヒョナ“セクシーコンセプト”を取り除けば音楽が聴こえる
セクシーさの裏に隠された、エレクトロニック・ヒップホップサウンドとティーン・ポップのバランス4Minute キム・ヒョナが、またもセクシーコンセプトで人々の前に帰ってきた。新曲「Ice Cream」は、予告映像の公開時から泡風呂シーンで話題になった。セクシー過ぎて地上波放送局から振り付けの修正を求められた「Bubble Pop!」、BEAST チャン・ヒョンスンとのキス連想パフォーマンスで話題になった「Trouble Maker」に継ぐセクシーコンセプトである。扇情性論難にPSY(サイ)のミュージックビデオ出演と、序盤の話題作りには成功したが、キム・ヒョナのニューミニアルバムに対する評価がない。キム・ヒョナの「MELTING」は、一体どんなアルバムなのだろうか。今回のタイトル曲は、シンサドンホレンイではなかった!とりあえず「MELTING」は、CUBEエンターテインメントアイドル独特のエレクトロニックダンスサウンドとは大きく違う。4Minuteとキム・ヒョナのアルバムタイトル曲は、ほとんどプロデューサーのシンサドンホレンイ(S.TIGER)が手掛けてきたが、今回は勇敢な兄弟が前面に出た。アルバムの全体的なカラーは、ヒップホップとティーン・ポップの適切なバランスに要約され、セクシーディーバ(歌姫)としてのキム・ヒョナの可能性と限界が同時に垣間見えるアルバムだ。タイトル曲「Ice Cream」は、これまで勇敢な兄弟がガールズグループ向けに作っていたダンス曲でなく、洗練されたエレクトロニック・ヒップホップ曲だ。「Ice Cream」は、繰り返されるフック(同じフレーズを何度も繰り返す曲調)を持つダンス曲だが、鈍いドラムビートが強く印象に残るヒップホップサウンドがベースになっている。ヒップホップという自分好みの音楽テイストを反映しているが、メロディーラインを軽くすることで、人々にアピールできるティーン・ポップスタイルとなった。このような試みに対するファンの意見は分かれている。趣向によってかなり新鮮な曲と感じることもできるし、過去のキム・ヒョナスタイルのカラーを懐かしがる余地もあるからだ。商業的には、リリースして約1週間の間、音源チャート10位圏内に入ったので、大ヒットとまでは行かなくても、中ヒットはしたと見るのが適当である。もう一つの収録曲「青りんご」は、ティーン・ポップスタイルの曲で、さわやかなボーカルがかなり印象的な曲だ。純粋な彼氏の前では純粋な女性になりたいという気持ちを盛り込んだ曲で、10代のファンから愛されると思われる。後半部分の真逆な歌詞がとても面白い。21歳のわんぱくな自分の姿をそのまま盛り込んだ収録曲「Very Hot」も興味深い。「友だちとカカオトーク(スマートフォンアプリ)をして清潭(チョンダム)交差点に遊びに行く」元気ハツラツな自分の姿を飾らずに歌った曲で、新しいキム・ヒョナスタイルを作りだす実験的なヒップホップスタイルの曲だ。作詞はキム・ヒョナが手掛け、作曲はシンサドンホレンイが担当した。キム・ヒョナ自身の手で作曲とまではまだいかないが、作詞とプロデュースの一部に関与し自意識を加味したところに意味がある。惜しい点もある。アイドルスターとして、ラップも歌も一定水準でやってはいるが、そのどちらか一つだけで楽曲を牽引するにはまだ力不足のようにみえる。本格的なヒップホップ曲「転ばないで」「Very Hot」は単調に聞こえ、バラード曲「私のボーイフレンド」は平凡とも思われかねない。海外からの関心が高く、すでに所属事務所では海外活動の可能性も広げている状態であるだけに、この爽やかで元気のいいキム・ヒョナのサクセスストーリーを期待してみるのもいいだろう。

【アルバムレビュー】Windy City、楽しいレゲエのメロディーで聴く人を魅了する
Windy Cityの新しいミニアルバム「Full Greeting」Windy Cityの音楽は自称チョングッチャン(韓国の納豆汁)レゲエだ。主に愛と平和を歌ってきたこのバンドは、2005年に結成され、今まで2枚のフルアルバム(1st「LOVE RECORD」、2nd「Country man's Vibration」)とミニアルバムなどを発表した。彼らはレゲエを基盤に、1980年代前後の韓国のグループサウンドから、アフリカ系アメリカ人たちが生み出したファンキーな音楽、そして前向きで楽しい中南米の音楽まで、様々なカラーの音楽を披露してきた。彼らの音楽は、内容の面で大きく恋の歌と社会的メッセージを含んだ歌に分けられる。後者の場合、故キム・ソンイル氏死亡事件(「No No No 」)、ジョージ・W・ブッシュのテロとの戦争(「我々の時代」)、平澤(ピョンテク)大秋里(デチュリ)米軍基地問題(「メディテーション・オン・アース」)、時代の弾圧と自由(「Freedom Blues」)などに対する、Windy Cityの考えを歌っている。このようなことも合わせて考えると、Windy Cityが最近リリースしたミニアルバム「Full Greeting」の曲は、馴染み深いものと新しいものが混ざっていると言える。「Full Greeting」にはどのような曲が盛り込まれたのか歌詞は依然として愛を歌っているが、今の韓国社会で厳しい暮らしをしている人々を慰める内容が中心で、サウンドは「興」と「恨」など、韓国ならではの色彩がたくさん盛り込まれていることが印象的だ。しかし、前のアルバムで見せたサウンドとの接点も簡単に探すことができる。ボーカルのキム・バンジャンのいわゆるソウルフル(Soulfull)な声と、魅力的なバイブレーションは変わっていない。「Full Greeting」には全部で6曲が収録された。1番目のトラック「Full Greeting」は、歌を通じて、同じ時代を生きている人々を、精を尽くしてもてなす心を表現した曲だ。「長い歳月を」「めぐりめぐって、どのような縁で僕達は出会ったのか」「めまぐるしい現世界のあちこちで傷つき傷つけ」「そのようにして生きてきたけれど」などの歌詞からは、仏教の世界観が垣間見れる。そのような点からみると「お会いできて嬉しい皆さん」「ここにいる皆さんの前で、歌ってもてなします」という部分は、仏教の「菩薩行」にあたるだろう。スローテンポのサウンドは、終始だるい印象を与えながらも、緊張感を失わない。ベースとギター、パーカッション、ハーモニカなどが織成すメロディーは単純だが心地よく、さり気ない中毒性がある。そしてサビのメロディーやボーカルのキム・バンジャンのバイブレーションを誇張する歌い方と合いの手などからは、韓国の民謡のようなノリが感じられる。黄海道(ファンへド)の伝統の祭りからインスピレーションを得たというこの曲は、村の祭りなどのあらゆる行事を始める前、お客さんや観客を集めるときに打ってつけだろう。4番目のトラックには、この曲のもう一つのバージョンが収録された。ギターのオ・ジヌが貞陵(チョンルン)の道を思い浮かべながら演奏したとして、名前は貞陵バージョンだ。この曲は、ボーカルの代わりにギターがメロディーをリードするが、静かなベースの音の向こうから聞こえるギター演奏はおぼろげで、かすかな郷愁を感じさせる。2番目のトラック「お祭りレゲエ」は、賑やかなお祭りの場で公演する風楽(宮廷などで奏でられる伝統的音楽)団に関する曲だ。「今夜ここにビビン風楽団がやって来た」「楽しいレゲエを伝えにやって来た」との歌詞から分かるように、この曲の歌詞はWindy Cityの自己反映の面が強い。また「毎日のようにやって来る風楽団ではない」「心配は後にして、この瞬間を生きて、楽しく」「子どもも大人も皆楽しく踊りながら」など、リピートや方言、感嘆詞などを上手く使った歌詞が面白い。「Full Greeting」のサウンドが遅く、軽いとしたら「お祭りレゲエ」のサウンドはスピードとビートがある。曲の全般にかけて「パン パバン パンパンパン パ」「パンパンパン パンパ パンパンパン パバン」というビートとメロディーが繰り返されるが、ギターとベース、キーボードなどが奏でる音が魅力的だ。しかし、なんといってもこの曲の見せ場は再生時間3分31秒の時点から1分あまり流れる間奏にある。前半を担っているオーストラリアの伝統楽器ディジュリドゥと打楽器中心の前衛的サウンドは、鈴の音と調和して原始的で呪術のような雰囲気を演出し、悲しいハーモニカ演奏とドラムの強い音が目立つ後半は、しっとりとした神秘的なメロディーが魅力的だ。5番目のトラックは「お祭りレゲエ」のダブ(dub、1970年代のレゲエに起源するジャマイカ音楽の一種)バージョンだ。Windy Cityはこれに先立ちリリースした2枚のフルアルバムでも「Greeting」と「All Time Rockers」の2曲を最後のトラックに盛り込んだことがあるが、「お祭りレゲエ」のダブバージョンもまた、これらと同じく金属音を強化し、エコー効果を多く入れた。違いがあるとすれば、原曲との雰囲気だろう。まるで風になびく桜の花びらのように、浮遊するかのようなサウンドが特徴の「お祭りレゲエ」のダブは、聴いているとまるで現世界と異世界が重なる境界に立っているような気がする。ダブに慣れていない人は、この曲をオリジナル曲と聞き比べながら、ダブというジャンルと親しむことができるだろう。3番目のトラック「宇宙モンキー」は李博士(イ・パクサ)のヒット曲「モンキーマジック」(2000年)をカバーした曲だ。「モンキーマジック」は最近で言うアストラルな歌詞と、李博士流のビートボックスとも言える楽しい合いの手で旋風的な人気を巻き起こしたことがある。李博士がフィーチャリングしたWindy Cityの「宇宙モンキー」は、李博士とキム・バンジャンの漫才で始まるが、「芸術を知ればお金が遠くなり、お金を知れば芸術が遠くなる。そうしてこそミュージシャンだ」という李博士のナレーションの後に続く上品でない合いの手が絶妙なバランスで楽しさを与える。「オルス、ジョタ、アッサ」「ワントゥ オルシグ」「ジョアジョアジョア ミチョミチョ アッサロビ」「クンチャラジャチャ クンチャチャ チャガチャガチャンチャ」など、李博士ならではの合いの手と調和するWindy Cityのバンドサウンドは、神妙でコミカルだ。雰囲気を盛り上げるギターの演奏と電子音が印象的な曲である。6番目のトラックは「宇宙モンキー」からボーカルを抜いたバージョンだ。同じサウンドのはずだが、違う曲のように思えるのは、李博士特有のノリが欠けているためだろう。「心配や悩みは後にして、一緒に楽しく遊ぼう」Windy Cityの今回のミニアルバムに収録された曲を、次のように整理してみるのはどうだろうか。ビビン風楽団の音楽で、人々を集め、お祭りを開き楽しく遊んでから、彼らをつれて宇宙への旅に出る話だ。実は筆者は「Full Greeting」を聞きながら、グリム兄弟が書いた「ハーメルンの笛吹きの男」を思い浮かべた。気だるい午後、流浪楽団が、ハーメルンの笛吹きの男にでもなったかのように、馴染み深く、どこか誘惑するかのようなメロディーで、人々をリードしリラックスさせる風景を。もちろん、ミニアルバムで表しているWindy Cityの夢は、最終的に笛吹きの男が向かった世界にあるとは思えない。「宇宙モンキー」の宇宙旅行は、逃避ではなく、単純な余興ということだ。その代わり、Windy Cityは、今この瞬間にもお互いに「傷つき傷つけ」「心配と悩み」の中で生きている同時代の人たちに次のように言いたかったと思う。それでも「我々は一緒に」「楽しく遊ぼう」と。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡なリスナーとして暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作家を夢見ています。/編集者コメント

【アルバムレビュー】Brown Eyed Soul ナオルの初フルアルバム…切り離したナオルが入っている?
ナオル初のソロアルバム「Principle Of My Soul」いつの間にか肌寒くなった。帰宅道が寂しくなる秋だ。誰かにかまってもらいたい。誰かをかまいたい気もする。そんなとき、とりあえずこの歌をを聞いてみよう。R&BソウルグループBrown Eyed Soulのメインボーカルであるナオルが、初のソロアルバム「Principle Of My Soul」を公開した。Brown Eyed Soulの他のメンバーのジョンヨプとソンフン、ヨンジュンに続き、ナオルもBrown Eyed Soulとはまた違う魅力をアピールしている。ロマンスが必要な私達、癒しが必要な私達への言葉だ。一曲一曲聞いてみよう。1曲目は演奏曲。「Soul Fever」というタイトルだが、Brown Eyed Soulの2010年単独コンサートの名前とも似ている。特に前置きがなくスタートしてしまうのが、寡黙なナオルのイメージとも似ている。少し楽しく、少し重たく、軽快に鍵盤楽器が導いていくのかと思うと、「パバンバラバーン」と管楽器が走る。その中で出てくる短い英語の歌詞は、曲のソウルフルな感じをうまく支えている。2曲目「記憶のリズム」、3曲目「You&Me」、4曲目「My Girl」はまるでひとつにつながっているように、時間も意識せずに聞いた。このアルバムで甘いロマンスの部分を担当している曲とでも言えるだろうか。「記憶のリズム」の前奏を聞いた感想は「建築学概論」で若いソヨンが授業に遅れないようにとキャンパスを走っていたシーンに似ているということだ。映画のシーンを思い浮かべならが聞いていると、自然に笑顔になってしまう。「You&Me」まで思い出たっぷりのメロディーが続き、「My Girl」では爽やかな感じの電子音が回想を終え、現実を呼び出している。そして今愛する人に会っているような気持ちいい歌が聞こえたかと思うと、終わり際に「ああ、まだまだ思い出に浸ってる」という印象を与える電子音が耳元をかすめる。5曲目「Missing You」は、エリック・クラプトンとベビーフェイスの「Change the world」(ジョン・トラヴォルタ主演のファンタジー恋愛映画「フェノミナン」でも使われた曲)のようにアコースティックギターの旋律とソウルフルなボーカルのバランスが、快適に聞こえる歌でもある。個人的にはこのアルバムでナオルのボーカルが一番快適に聞こえた歌でもある。そして演奏曲の6曲目「Love Dawn」に続き、このアルバムの白眉(はくび)である7曲目「風の記憶」が胸を濡らし打つ。韓国的なソウル音楽の真骨頂を披露する、落ち着いていながらもコクのある伴奏と伝統的な感じのメロディー、歌詞が調和をなし、ナオル独特の切なすぎる歌声が聞き手を惑わす「風の記憶」。「耳を傾けてみる」という歌詞のように、別れを経験した韓国人なら誰もが「耳を傾けてみる」曲だ。後半に笛の音が聞こえるが、アイリッシュ・ホイッスルだった。韓国の伝統楽器でもないのに、なぜか伝統的なメロディーをうまく表現してくれる楽器だった。8曲目「別れの始まり」は、9曲目「今でも僕は」とともにこのアルバムで悲しいロマンスの部分を担当している気がした。このアルバムが一本の映画なら、7曲目「風の記憶」でどんでん返しが起こり、「別れの始まり」と「今でも僕は」で映画の変わった雰囲気を反映し、大詰めとなるかもしれない。「今でも僕は」はBrown Eyed Soulの曲がそうであるように、悲しいながらもその悲しさの性質がクールで、聞きづらくない。ハッピー・エンディングのような感じの曲だ。10曲目「Stone Of Zion」のタイトルにZionという単語が使われていたので、「作詞家がガンダムマニアかな」と突飛なことを思ってみた。日本のマンガ「ガンダム」で、敵軍の名前がジオン(Zion)軍だ。昔自身の他のアルバムで「主ヤハウェは広大なり」などゴスペル風の曲を歌っていたナオルだったので、Zionが聖経に出てくるシオン(Zion)のことだということにすぐ気づいた。静かに始まり、だんだん規模が大きくなり最後にはゴスペルの合唱曲のようになる、爆発的な感動を与える曲だ。一方、このアルバムの2曲目の白眉は、隠された曲だ。10曲目が終わってからしばらくの静寂の後にスタートするが、なぜかアフリカ大陸で使われていそうな、多少馴染みのない言語の歌が流れる。「Stone Of Zion」のようにゴスペル風の曲で、負担なく拍手しながら楽しめる、美しいメロディーとリズムを持っている。CDケースからCDを出すと、シングルLPを連想させるオーディオテープの絵が目に入る。アルバムの内をめくってみると、ナオルの幼いころの写真もあり、信仰深い彼を守ってくれる聖経文言などが英語で書かれていたりする。全体的にこのアルバムから受けた印象は彼らしいということだった。楽しくスイートなメロディーと伴奏が流れ、魂を揺さぶりそうな彼の歌声が加わる。期待から外れたり期待に応えたり、馴染み深いところもあるが、それが単純に悲しいだけのものでなく、聞いていると嬉しくなる。Brown Eyed Soulの音楽からナオルだけ切り離してこのアルバムに入れたような気もするし、1人で歌うBrown Eyed Soulの歌にも聞こえるが、もう少し静かな感じだ、と言えば想像してもらえるだろうか。このアルバムでもう一つ面白いことが、歌詞カードに隠されている。各曲のタイトルの右にAM10時、PM7時といった時間がデジタル時計のように書かれている。各曲の時間が全部違うが、これが各曲が作られた時間なのか、各曲を聞いたらよさそうな時間なのかわからないが(どうも前者のような気がする)、どちらでも面白い発想だと思った。

【アルバムレビュー】“おいしい音楽”のDelispice、今回のアルバムの味は?
おいしいバンドのほろ苦い挑戦、Delispiceのニューアルバム「聯」私が常にイヤフォンを首にかけて歩く理由について、気にする人が時々いる。それもそのはずだが、音楽を聴き始めた中学2年生の時から私の首には常にイヤフォンがかかっていた。売店に行く時も、ご飯を食べる時も、トイレに行く時も、体育時間にも決まってそうだった。正直、家でもオーディオの代わりにノートパソコンやスマートフォンで音楽を聴く場合が多かった。他の人が聴くとうるさいからである。ここまでになると、倒錯症状を疑うほどの過度な執着とも思われるが、結果的に人に被害を与えまいとする純潔な趣向なので、直さないで暮らしている。この記事を書く今もイヤフォンをしている。耳の中にはヴァン・ヘイレンのニューアルバムが流れている。友だちが私を描いた落書きを見ると、私の姿は2つの特徴で集約された。小さい顔にやっとかけられたメガネ、そして首にかかっているイヤフォン。今はイヤフォンをかけていることは特にユニークな特徴とはされないが、私が高校に通っていた10年前までは、いつもイヤフォンをつけている人がそんなに多くはなかった。このように格好良いか悪いかは別として、10年間貫いてきた私だけのアイデンティティは、全国民のスマートフォン時代とともにイヤフォンが大量に普及し、独自性を失ってしまった。とにかく、私がイヤフォンを常に首にかけて歩く理由は簡単だ。いつも音楽を聞くためだ。いつも同じ音楽を聞いても飽きないほど音楽が好きだ。特に、その雰囲気に合う音楽を探して聴くことが好きだ。思い出はいつどこからでもなく、予告なしに訪れてくるものだからである。普段通っている街の風景、空の色、風の匂いによってその雰囲気に合うようにすぐプレイリストを変える。その瞬間を音楽で飾りたいためだ。いつもその時を思い出す時に音楽が思い出されるように。特に、寒い冬や手を浸せば霜焼けしそうな澄んだ秋の空、1人でイヤフォンをつけて、寒風に当たりながら歩くことが好きだ。その時に感じられる仄白い空、凍えるような風が与える寂しさ、幻想的な音楽が交われば、何だか1人この世に放り投げられた気分がする。過去の恋人たちが私に与えた傷と、「これからどうやって食べていければいいんだろう」という記憶もボーナスでよみがえる。このような思いがする時に必ず聴くのがKentの「The King Is Dead」とソ・テジの「Zero」だ。日が傾く風景を見ながら、そう、哀れだと言われても仕方がない。Delispiceのニューアルバムを聴く「これは私の話じゃない?」先週発売されたDelispice(デリスパイス)のニューアルバムのタイトル曲「聯」を聴きながら、彼らも私と同じ趣味を持っているのではないかと思った。「日が暮れる午後/鼻先が寒かった風/そう、あなたはいなかった」「オーマイゴッド!」「これは完全に私の話だ」彼らも私のように寒い冬に街に出て哀れな時間を過ごしていたのだろうか。悪い話だがそうあってほしかった。曲は冬の寂しさが繰り返されるピアノ演奏とバックワードマスキング(曲を逆再生する事で歌詞を変化させ別曲にする手法)でスケッチするように描く。「空にゆうゆうと飛び立つだろう/果たせない約束も要らない所/白い雪に埋もれている山頂を越えて」と歌うキム・ミンギュの歌声は、依然として気楽でもうろうとしている。彼らの音楽がいつもそうであるように、曲の展開は無駄がなくシンプルでギターのトーンは味がある。前作で試みたエレクトロニカとの結合は今回のアルバムでは見られない。収録曲「レインメーカー」と「工事中止命令」にシンセサウンドが部分的に入っているだけだ。いつもおいしい音楽をする彼らだが、彼らが表現する味は、前作とはかなり異なる。大ヒットした1stアルバムが辛い香りがするおいしい味付けだったとすれば、新作は退社後に飲むビール1本のほろ苦さと似ていると言うべきだろうか。正直、私はチキンマサラの味のような1stアルバムよりは、退社後の缶ビールとエビフライを思い出すような新作がよく感じられる。年を取るほど、コシのあるラーメンから伸びてしまったラーメンに自然と趣向が変わるように、口も趣味も時間が立つに連れて変わっていくものらしい。

【アルバムレビュー】KARA“まだ私のこと、半分も見せてあげていないわ”
KARAのミニアルバム「PANDORA」頂点に立つガールズグループであることを確認KARAは一時期「生計型ガールズグループ」と呼ばれた。韓国と日本を行き来し、活発な活動を展開している今は、そのときに比べると「大物」になった。だからだろうか。舞台で派手なパフォーマンスを披露するKARAのメンバーの眼差しやモーションからは、ある程度の余裕と自信が感じられる。もちろん、当時も今も変わらないものもある。バラエティ番組でKARAは未だ身近で気さくな姿を見せる。KARAが最近リリースしたミニアルバム「PANDORA」は、このようなKARAの位置付けを確認できるアルバムだ。今回のアルバムには全部で4曲の新曲が収録されているが、収録曲を貫くはっきりとしたコンセプトはない。しかし豊富かつ多彩なサウンドで、聴く人の耳を楽しませ、KARAのメンバーの魅力を最大化できる曲で構成された。「Way」は誰かの陰謀で身を拘束された恋人を助けに出た女性の話を歌った曲だ。「青いリンゴ」「ベールに包まれたクリスタル」「壁に閉じ込められた涙」など、普通ではない歌詞の使用、茨の森と深い沼のような障害物を乗り越え、恋人を探しに行く主人公の道のりから分かるように、この曲はまるで1本の童話を読んでいるような気にさせる。よく知られた童話に例えると、アンデルセンが書いた「雪の女王」と似たような物語だといえよう。だからか、多彩な楽器で構成されたサウンドが、全般的に漫画の主題歌のような印象を与える。ドラムのビート迫力があり、ストリングのサウンドはドラマチックだ。特に前奏と間奏、そして末尾に用いられたミステリアスな雰囲気を作るエレクトロニックサウンドが印象的な曲だ。「PANDORA」はギリシャ神話に出るパンドラの物語をモチーフにした曲だ。違いがあるとすれば、男を待っている女性が、神話に出てくる彼女よりも挑発的との点だ。「隠してきた真実を、全部見せてあげる」「私の心を掴んでみて」「全てを見せてあげる」「私を持って行って」などの歌詞は、開放的で自信に溢れる女性の姿を、「close to you and close to you」「close to me and close to me」などの歌詞は、いわゆるソウルメイトを探すために積極的に乗り出した彼女の積極性を見せてくれる。刺激的で挑戦的なサウンドは、このような歌詞とハーモニーをなす。キーボード、ギター、ベース、ストリングなどが用いられ、所々存在感を現すギターの演奏と、まるで踊る心臓のようにも感じられるキーボードの音が印象的だ。「up and up ah ah」との歌詞が繰り返されるサビは、中毒性が強く、ここでのKARAのメンバーの魅力的なボイスには、人を魅了する力がある。最初から最後まで聴く人のアドレナリンの分泌を刺激しそうな曲だ。「Idiot」は恋人としての確信を与えてくれない彼氏への不満を表した曲だ。「ある時は恋人のようで、ある瞬間友達に変わる」彼は、彼女にいわゆる一環した信号を送らない男だ。「好きだったり、そうじゃなかったり、ジェットコースターに乗る」との歌詞は、彼を見つめる女性の心を正確に表現している。歌詞にでる「idiot」は「このバカ!」に解釈できるが、悪意のない、愚痴に感じられる。軽快さとコミカルさを強調したサウンドは、どうにも出来ないいわゆる困った状況に陥った女性の気持ちを愉快に伝える。エレクトロニックサウンドが奏でる軽快なリズムとノリが、可愛く愛らしい感じを強調したKARAのボーカルと最もよく似合う曲だ。「恋しい日に(Miss U)」は、昔親しかったが、今は疎遠になた人を懐かしむ心を表現した曲だ。歌詞を見てみると「たまに憂鬱で寂しいとき」「なぜか複雑で心が塞がったような気分のとき」彼のことを思い出すと語られている。おそらくその人は、女性がそのような状態になるたびに力になってくれていた存在だったと思うが、友達かも知れないし、恋人だったかも知れない。「あなたは更に遠ざかって行くでしょう」「自分しか知らない私は、またこのように堂々巡り」などの歌詞には、未練と愚痴、自責などの感情が共存しているが、その人は思い出だけで、依然として彼女を元気にさせる存在だこのような女性の気持ちが、ドラムのビートやキーボード、ブラスなどが合わさった軽快なサウンドで表現された。特にトランペット、サクソフォーン、トロンボーンなどが織成すスウィング感が魅力的だ。歌いやすい馴染み深いメロディと、軽快な曲の雰囲気を勘案すると、いわゆるカラオケステージで好まれる歌になりそうな気もする。「PANDORA」には二つの柱がある。「Way」と「PANDORA」がファンタジーを歌っている一方で、「Idiot」と「恋しい日に(Miss U)」は日常を歌っている。また前者がKARAの強く挑発的なイメージを見せる一方、後者はKARAの愛らしく可愛いイメージを強調している。このような組み合わせとバランスはサウンドでそのまま現れている。たとえば「Idiot」と「恋しい日に(Miss U)」が、舞台の上でKARAの爽やかな魅力を最大化できる、愉快ではつらつとした曲だとすれば、「Way」と「PANDORA」は、「ミスター」「LUPIN」などの一連のヒットソングを手がけた作曲チーム「Sweetune」が参加した、強烈なサウンドが自慢のKARA流ダンス曲といえよう。これに関し、評壇ではKARAよりSweetuneに対する評価が行われているそうだ。音楽ウェブマガジン「ボダ」の編集長キム・ハクソンは、これらの曲を「KARAの専属(?)作曲家Sweetuneの色が強い歌」だと評価し、音楽ウェブマガジン「ウェーブ」の編集長チェ・ミヌは「PANDORA」に対し「Sweetuneが全体を調律したアルバム」だと表現した。いずれも一理のある意見だ。しかしこのような流れには、Sweetuneが作曲した曲が、誰でもなくKARAにより歌われたとき、発生する相乗効果への考慮が足りないと思われる。例えば、大衆は新しい曲に接するとき、曲自体が持つ魅力だけでなく、その曲を歌った歌手が誰なのか、その歌手がどのような魅力とストーリーを持つ人なのかを勘案し、包括的に判断する傾向がある。もし「PANDORA」に収録された曲をSISTARやSecretが歌ったらどうだっただろうか。おそらく「PANDORA」はまったく違うイメージのアルバムになっていたであろう。つまりこれは、聴く人によって感じる好感は異なると思うが、「PANDORA」に収録された曲自体を評価するに置いて、KARAは欠かせられない要素ということだ。偶然にも「PANDORA」には「真っ直ぐに見て」「まだ私のこと、半分も見せてあげていないわ」との歌詞がある。このような状況を念頭に置いたわけではないだろうが、その代わり、まだまだ先は長いので見守って欲しいとのKARAの願いだと解釈することは出来るだろう。「PANDORA」がKARAが今、頂点に立っているガールズグループだということを確認させてくれるアルバムだということは確かだ。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡なリスナーとして暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作を夢見ています。[編集者コメント]

【アルバムレビュー】SKULL&HAHA、ミニアルバム「Ya Man!!」
SKULL&HAHAのミニアルバム「Ya Man!!」人生がギャンブルなら俺に賭けろ!慎重なSKULLと世間知らずなハハ。二人が意気投合し、ミニアルバムを発表したと聞いたとき、その結果は果たしてどうなるか気になった。ハハは、以前「Rosa」というレゲエミュージックを発表したことがある。だが、「無限に挑戦」を始めとするバラエティ番組で固まった彼のイメージを考えれば、音楽へのこだわりと、妥協を嫌う自意識の塊のように見えるSKULLとは合わないように見えた。だが、アルバムのジャケット写真を見ても分かるように、この二人はなかなか似合っている。荒野を背景に上着を脱いだ二人の男の姿は、特に暑い今年の夏を表しているように見える。これは、アルバムのジャケットの雰囲気に限られた話ではない。「Ya Man!!」異質な二人が作り出した音楽彼らがリリースしたミニアルバム「Ya Man!!」に収録された曲を聴いてみると、異質な二人が作り出した音楽もなかなか自然だ。それだけ二人が互いに歩み寄る努力をした結果だろう。「Ya Man!!」には、計6曲が収録されている。イントロ曲を除けば、全ての曲が愛というテーマでまとめられている。夏にふさわしい楽しく爽やかなサウンドの曲と、去ってしまった愛を歌う感傷的な曲がそれぞれ収録されている。最初の曲「Ya Man!!」は、37秒の短いイントロ曲だ。最初から最後まで様々な打楽器の音がリズミカルに続き、原始的でありながらも熱情的な雰囲気が、まるでアメリカドラマ「ターザン」で見たアフリカのジャングルに住む部族たちの音楽を連想させる。この曲の最後に出てくる「SKULL&HAHA、Ya Man」というフレーズは、次の曲につながる効果的な予告になっている。「ワイキキブラザーズ」は、一緒に歌を歌うことになったSKULLとハハの出発を告げる曲だ。曲のタイトルはSKULLとハハの二人を指しており、「彼女を歌って」「愛を歌って」「Everything's gonna be alright. Ah,wow」などの歌詞の内容は、彼らが共に追求しようとする音楽の方向性と見なすことができる。この曲は、メインとサブの歌詞から成る構成が目を引く。一見すると二つの異なる話をしているように見えるが、最終的には音楽の話でまとまる。特に、ヒョンドニとデジュニを羨ましがり、「今回のアルバムはヒットしなければならない」と焦るハハと、これに「Ya man」という言葉で言い返すSKULLの対話が笑いを誘う。アルバムのタイトルでもあるYa manは、肯定的な意味のものを総称するジャマイカの表現だ。合っているような合っていないようなSKULLとハハのラップスタイルを比較しながら聞くことも面白く、親しみやすいメロディと楽しいリズムが際立つリフレイン(繰り返し)が魅力的な曲だ。鳥肌の立つ歌詞、楽しい曲の雰囲気「釜山(プサン)バカンス」は、避暑地の釜山で青春を謳歌する男女を歌った曲だ。SKULLは、曲の導入部から「今夜は運命的な出会いが始まるようだ」と話を始めるが、歌詞に登場する主人公の行動を見ると、実はその出会いは運命というより血気と意志が生んだ結果に近い。主人公は初めて会った女性に、「昨日の悩みは全部忘れて」「余計なことも考えないで」「お金も心配しないで」と歌い、友達をみんな呼んで釜山の名所を歩き回りながら一晩中遊ぼうと誘うが、これは彼が今、いわゆるバカンス中であるため可能なことだったのかもしれない。多少鳥肌の立つ歌詞だが、全体的な曲の雰囲気は楽しい。特にクンチャジャック・クンチャクとウィットに富んだレゲエのリズムは、青春真っ只中の男女のやりとりを連想させる。また、海雲台(ヘウンデ)、広安里(クァンアルリ)、南浦洞(ナムポドン)など、釜山のあらゆる名所を連呼するリフレインのサウンドが爽やかだ。そして、2分33秒頃から17秒以上続くダブ(Dub:ジャマイカ音楽の一種)のサウンドがスパイスになっている。「引っ越しする日」は、別れた彼女への思いを表現した曲だ。歌詞を見ると、二人はすでに別れたが、彼女はたびたび家に寄って母親のようにいろいろと口を出す。曲の主人公はそれが嫌ではなかった。だがある日彼女は「これからは来られない。結婚する」と言う。寂しくなった彼はやっと別れを実感するが、わざと平然を装う。「引っ越ししてもいいだろう」という歌詞には、このような主人公の気持ちが含まれている。だからか、全体的なサウンドは寂しい感じを与える。特に、軽快なリズムの後に流れるメロディの切ない情緒は、主人公の本音と建て前をそのまま代弁するようだ。一人で泣き、また一人は寂しくて仕方ないが、それでも引き止めたり、引き止めてほしいと言ったりしない二人の気持ちが強烈な印象を残す曲だ。二人の若い男の人生を垣間見るような歌詞「Big Up」は、SKULLとハハがそれぞれ語る、いわゆる自己紹介のような曲だ。例えば「別れがあってもテレビでは笑わせた奴」「点滴なしでは生きていけない弱虫」「家族のためなら魂まで売る奴」「世界のどこに落としてもソンフ兄のように勝ち抜く」といった歌詞が続く。前の二つの歌詞は、二村洞(イチョンドン)出身のハハのもので、後の二つは城北(ソンブク) 区東仙洞(トンソンドン)出身のSKULLのものだが、「Big Up」というタイトルのように自分に対する肯定と励ましを込めた強いラップが目を引く。The Legendary Poet、RilLord、JIMI xoのフィーチャリングがこの雰囲気をさらに盛り上げる。リフレインは、シンプルなメロディが繰り返されるが「人生がギャンブルなら俺に賭けろ、ララララララ」という爽快な歌詞が強い印象を残す。「HENNESSY 19」は、今は他の男と付き合っている昔のガールフレンドに対する切ない気持ちを表現した曲だ。曲の主人公は酔っ払っていて、そのため感傷に浸っている状態だ。「俺もかなり遠くへきたようだ」「もう一度戻るのはつらいだろう」「つかみたくても、俺の手はあまりにも汚くて」のような歌詞を見ると、主人公の感情の波がどれほど高まっているかがわかる。前奏から曲全体を通して流れるピアノやストリングスのサウンドは、ロマンチックな雰囲気を醸し出し、コーラスは切なく響く。SKULLとハハのラップには、寂しさと非情さの間を揺れ動く悪い男の風情があり、「I'll be there for you,gyal」で始まるサビの澄んだサウンドはバラードの雰囲気が漂う。「Ya Man!!」に収録された曲の歌詞のほとんどは自伝的だ。「俺たち本当にうまくやらなければならない」と言いながらアルバムの大ヒットを願う姿(「ワイキキブラザーズ」)では、芸能人という職業特有の不確実な未来と漠然とした不安が窺え、「江南(カンナム)に住んでいても」(「引越しの日」)、「高価なワインを楽しんでも」(「HENNESSY 19」)、「お金の心配もせずに女友達も男友達もみんな呼んで」(「釜山バカンス」)と歌う姿からは、彼らの社会的地位や消費傾向を見ることができる。特に「夜明けごとに会いたいという女は多くても」「俺の最後の日に俺のために誰が泣いてくれるだろう」という歌詞(「HENNESSY 19」)は、屈折した人が多いだけに誘惑や言いがかりの多い組織で、本当の友達に出会うのが難しく、人に対する信頼自体が薄れてしまうという彼らの職業的な悲哀を読みとることもできる。しかし、考えてみれば彼らが書いた歌詞がどこまでが事実でどこからがフィクションなのかはわからない。それでも、彼らの曲をすべて聞くと、いわゆるエンターテインメントを生業としている二人の若い男の人生を垣間見たような気がする。だからなのだろうか。彼らの感情に沿って一緒に笑ったり泣いたりしてみると、ハハとSKULLが少し違って見える。「Ya Man!!」は、さまざまな面で興味深いアルバムだ。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃にはピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡なリスナーとして暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作家を夢見ています。―編集者コメント

【アルバムレビュー】YangYang、2ndフルアルバム「愛の歌」
YangYang 2ndフルアルバム「愛の歌」レビュー夏も終盤に差し掛かっている。今年の夏は、一日の最高気温が35度を超える日々が続き、きれいだった河川では毒素とアオコ現象が観測されるなど、生態的に尋常ではない問題が起きた夏として記憶されている。果たして、このような現象が一時的なものなのか、それとも毎年経験することになる前兆なのかは分からないが、いずれにせよ人間に対する自然の重大な警告という現象であることは間違いなさそうだ。大自然があらゆる生命の母だということに同意する人なら、このような警告に耳を傾けるべき時がきたかのように思える。いわゆる自然主義的な曲を歌ってきたシンガーソングライターYangYangが、先日2ndフルアルバム「愛の歌」を発表した。1stフルアルバム「くだらない話」以来、2年8ヶ月ぶりのアルバムである。アルバムには計11曲が収録されている。自然に対する愛、気を付けていないとすぐに消え、忘れられる大切なことに対する執着、道の上で考える人生に対する考慮などが、YangYangらしい傍観的で思考的な歌詞と心地よいサウンドで表現された。静観と思考的な歌詞、心地よいサウンド、それがYangYangらしさ「一緒に生きよう」は自然と生命体の大切さを歌った曲だ。語り手は彼らの名前を呼んで一緒に生きようと話す。これは「一緒に生きようというのは悪かったという私からの謝罪」「息をしながらも有り難さに気づかなかった」などの歌詞からも分かるように、これまで人間のエゴが作ったむやみな開発への反省が読み取れる。このようなメッセージは「みんな、忘れないで。私たちを育ててくれた幼い頃のその丘と花と木と風」という歌詞に直接表現されている。親しみやすいメロディーと優しい歌詞をもったこの曲が、訳もなく消えてしまった魂を慰める歌であると読むことができる理由だ。「祝杯」は、長い悲しみの日々を送った後に気づいた悟りと治癒に関する曲だ。「幾多の夜を過ごして、やっと朝を迎える」という歌詞のように、語り手はごく単純な事実で人生の隠された意味を伝えている。つまり、すべてのことには始まりと終わりがあり、人生を生きて感じることになる悲しみや涙も例外ではないという話だ。曲の途中で出てくるヘグム(韓国の伝統楽器)の演奏が印象的だが、二面的な音は悲しみを愉快さに変える道化師の身振りにも似ている。ギターとベースが作り出すビートは懐かしく、ハーモニカの音色も気持ちが良い。全体的に、焚き火をして、好きな人と一緒に楽しむ小さい音楽会のような雰囲気が感じられる曲だ。「お母さん、美しい」は、お母さんに捧げる曲だ。語り手は「まるで川の水のような深い愛、心に溢れる」「温かい冬、布団のように私を包んでくれる」などの歌詞でお母さんへの愛を表現している。多少、陳腐な表現だが、それにもかかわらず響きがあるのは、お母さんという存在そのものが持つ力のためだろう。傍観的な歌詞と合うように、音は遅くて重い。一時は少女だったお母さんの姿と、私のために彼女の人生を譲った今のお母さんの姿を交差させて感じたであろう語り手の込み上げてくる気持ちが反映されたためだろう。特に、感情を抑えようとしていることが伝わってくる歌声と、低い音で心の琴線に触れるチェロの音色が感動を与える。この世界のすべての娘たちが彼女らの母親の前でこの歌を歌って欲しいものだ。「旅人」は、旅行に対する思いを歌った曲だ。語り手は歩き、また歩いて、青い海と静かな川と、私に笑ってくれた人々と言葉のない夜明けに出会う。しかし、すべての出会いは、結局「地図にはない」もう一つの自身の心にたどり着く道に通じる。そして、その道の末に得たのは「生きることは、巡りに巡って、結局元の場所に戻ってくることだ」という悟りだ。ギターとチェロが醸しだす温かい音色は単純だが、安らぎを与えてくれる。目を閉じて聴いていると、牧歌的な雰囲気の細道を歩いているような気分にさせてくれる。歩き旅が脚光を浴びている時代であるだけに、日差しがよく、風が涼しい済州島(チェジュド)や智異山(チリサン)の小道を歩きながら聴きたい曲だ。「正解は愛」は、冷たく孤独な心を、愛して生きようと述べている曲だ。「冷たく寂しい心」とは「互いを見られずに弱く悲しい人」たち、つまり「何も分かち合うことができず、愚かで不器用な私たち」を意味する。語り手はこの瞬間に必要なものが愛で、歌は詩だと話すが、これは結局YangYangが目指している歌といっても良いだろう。ドラムとキーボードが使われたバンドサウンドは、爽やかで軽快な感じの曲だが、ここにチェロの演奏が温かさを吹き込む。しかし、何より「愛は切ない眼差しですべてを見ること」という歌詞が強いインパクトを残す。「こう流れていきますね」は私たちが見逃しているものはないか、じっくりと確認しながら聞く曲だ。語り手は「毎日こう暮らしていると」大切なものを失い、忘れてしまうと歌う。歌詞では直接触れてはいないが、ここで「こう暮らしていると」とは、たぶん必要以上に忙しく、必要以上に働く今の韓国人の平均的な人生を指すのだろう。YangYangは「忘れていたあなたの歌を聴かせてください。失ってしまったあなたの記憶を話してみて」と言いながら、聞き手に流れていく人生の中で大切な記憶をもう一度探して見るように薦めている。当然な選択だろうが、ピアノがリードし、ギターが支える曲の展開は、穏やかで遅い。「こう流れていきますね。忘れてまた流れる」という口ずさみで歌を終えるYangYangの歌声が長い溜息のように感じられる曲だ。「紅葉」は紅葉の由来に関する寓話を歌った曲だ。語り手は汚れを知らない子供の目から見た紅葉の物語を聞かせてくれる。友だちがいなくて悲しかった木を、雨が抱いてあげると、木が嬉しいあまり頬が赤くなり、紅葉になったという無邪気な想像力が愛らしい。音楽面では、メロディーとウクレレの音色が耳を捉える。水玉のように跳ねるウクレレの音は、純粋な子供の心のように可愛いらしい雰囲気を作り、懐かしいメロディーはすでに大人になった人たちへ子供時代のもの懐かしさを与えるだろう。曲前半の女の子が歌う部分は、この曲をキム・チャンワンの「おちびちゃん」イェミンの「アエイオウ」などの曲のような、いわゆる大人のための童謡と思わせる。「今日のテーマは」は人という言葉に関する考えを歌った曲だ。語り手は「人は、言い換えれば孤独」と話している。だから、互いに「止めることも手放すことも出来ない私たちは星のように遠く」離れて存在し、またその理由で私たちは互いを「求める」ことになるのだという。アコースティックギターが作る単純なビートとチョン・ユジョンのコーラスは、昔の民衆歌謡(韓国における民主化運動や労働運動及び農民運動、学生運動などの闘いの中から、作られた歌)時代の口語歌謡のような印象を与え、YangYangの歌声とエレクトリックギターが作る渋くねっとりとした雰囲気はまるでブルースのようだ。一方「今日のテーマは人です」という歌詞から始まりまた終わっているが、YangYangは題材のみを変えて「今日のテーマはXXです」というふうに連作を作ってみても良さそうだ。「愛の歌」は、愛に関する格言を盛り込んだ曲だ。語り手は「言葉より一つの笑顔」「言葉より一つの身振り」「答えがないけど、自ずと頷ける気持ち」「道が分からなくても、流れて出会う心の海」という歌詞でそれなりに愛を定義している。これは、語り手の個人的な経験から得たものと見られるが、総合してみると、彼女が願っている愛は以心伝心に近いものだ。ギターとフルートが使用された音は平和で愛に酔ったように、脱力感のあるYangYangの歌声は心地よさを醸し出している。「道」は、道の上で考えた人生への思いを歌った曲だ。語り手は「風が吹くまま、思いが流れるまま」「人生の道の上を歩いている」と歌っている。しかし、このような歌詞とは違い、彼女はもっぱら本能と直感に依存して生きているとは思えない。「私が歩いてきた道が美しく見えるまで、私は戻ってこない」という歌詞に表れるこの曲のテーマが、本能や直感よりは、理性と使命の領域にあるものと見られるためだ。従って、風が吹くまま、思いが流れるまま歩く人生とは語り手の希望なのかもしれない。ギターとキーボードを使った音は単調で、YangYangの歌声は独り言に近い。「忘れないで、君を応援している」は、寂しく悲しいと訴えている同世代の人々のための曲だ。語り手はこう言う。雨の日にもさえずり続ける鳥たち、ちょうど吹いてくる風などの全宇宙が私たちをかばって慰めてくれている証拠だと伝えている。そのためだろうか?誰もが胸にあざの一つぐらいは抱えているだろうと、そして胸に穴一つくらいは空いているだろうと話す語り手の態度はクールに感じられる。軽快なロック音はこのような歌詞とよく似合うが、今回のアルバムに収録された曲の中で一番エネルギーが溢れる曲だ。今回のアルバムは、1stアルバムと比較した時、歌声と楽器の構成など、音楽にはあまり変化がない。ただ、「祝杯」「お母さん、美しい」「紅葉」「今日のテーマは」などのように個性的なメロディーの曲が増えた。歌詞も、自然、子供、道、旅行、愛、人生などを歌っている点で、1stアルバムで見せてくれた関心事と大きくは変わらないが、積み重ねてきた経験のためだろうか、人生に関する考え方においては変化が読み取れる。例えば、視聴者に向かって、試練があっても「胸を張って立ち上がろう」とか「もう一度」「元気にやり直そう」など、一緒に頑張ろうとしていた雰囲気(1stアルバム「威風堂々」)が2ndアルバムでは「忘れないで、君を応援している」のように一歩下がって伝える慰めに変わっている。また、「私はどこから来たのだろう。私はどこへ行くのだろう」「私が望んでいるのはなんだろう」「道の上で」など、1stアルバムでは疑問符で終わっていた質問に対する答えを2ndアルバムで見つけることができるが、それは巡り巡って元の場所に戻ってくることを意味する、主にそれは離れてみて分かった「旅人」などの歌詞だ。YangYangのスローライフを体験できる曲、社会への冷笑も1stアルバムから2ndアルバムへ通過する間、YangYangは成熟し、その分力が抜けたように見える。部分的には社会への冷笑も感じられる。その間、彼女には何があったのだろうか。正確には分からないが、漠然と想像することはできる。最初の曲「一緒に生きよう」を聴いていると、自然に漢江(ハンガン)と慶尚道の洛東江(ナクトンガン)、全羅道の錦江(クムガン)と栄山江(ヨンサンガン)の4つの川と18の支流の流域を整備する政治政策の一つである4大河川整備事業など、大型土木工事のためになくなった無数の自然と生命を思い出すことになり、2番目の曲「祝杯」では「言葉では慰められないから沈黙」し「沈黙にも物語がある」ことを知るようになったという歌詞は大統領選挙を前にした今の韓国社会で好機を得たようにも見える。YangYangの曲を聴いていると、心が癒され、慰められているような気分になる。語彙や表現力は少し平凡だが、彼女が直接書いて歌った曲を聴いていると、彼女のスローライフを間接的にでも体験できるためだ。また、彼女が大切にし、守ろうとすることが、人間のそれとあまり変わらないことに気付く。YangYangの強みは、このように普遍的な人間の感性と思考を、飾らず心を込めて伝えることにある。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡な一般リスナーであることに満足して暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作家を夢見ています。―編集者

【アルバムレビュー】LENA PARKが“希望”を歌う
LENA PARK、8枚目のフルアルバム「Parallax」レビューアーティストLENA PARK(パク・ジョンヒョン)は、2011年MBC週末バラエティ番組「私は歌手だ」で音楽人生の節目を迎えた。以前から既に彼女は優れたボーカリストだったが、今のように老若男女に知られ好かれる、いわば知名度の高い歌手ではなかった。しかしLENA PARKは「私は歌手だ」で自分の真価を見せ、今も多くの人が当時彼女が披露した最高のステージを覚えており、また語っている。「私は歌手だ」以降コンサートとテレビ出演などで忙しかった彼女が、最近8枚目のフルアルバム「Parallax」を発表した。今回のアルバムには全11曲の新曲が収録されたが、ジャンル的にはスタンダードポップ、R&B、フォーク、エレクトロニカ、ロックなど多彩なカラーのサウンドが味わえる。LENA PARKは音楽的に多様な分野の曲を卓越に歌いこなす当代のボーカリストの名に相応しく、彼女ならではの豊かな感性と表現力を最大化させた歌を聞かせてくれる。「そうすれば良いの」は、人生に疲れた人たちに希望を伝える曲だ。「幸せになっていくのもいい」「待ち望んだ夢を生きるの」「「笑いは笑いで、愛は愛で受け入れればいい」など、口に出すほど胸を打つ歌詞と美しいメロディー、温かい感性がぐっと押し寄せてくるLENA PARKの歌声が大きな感動を与える。トロンボーン、ホルン、オーボエ、クラリネット、フルートなどが使われたクラシカルなサウンドは、1990年代を制したホイットニー・ヒューストンやセリーヌ・ディオンが歌った、過去のスタンダードポップスの名曲を連想させる。「実感」は、にわかに訪れた覚醒に関する曲だ。「実際に私の中に私自身はいない。あなたを探しに行きたい」「実際に私の手は何も掴んでいない。あなたを掴みたかったのに」などの歌詞が、その覚醒のスタートでありゴールでもある。LENA PARKの感覚的なR&Bの唱法からは、悲しさと情熱が一緒に感じられるが、そのため「悲しくても大丈夫」「いつかは会える」という歌詞からは、俗にいう「私はまだ死んでいない」という決起が感じられる。ワールドミュージックとダブステップ、R&Bとストリングスサウンドなどが混在した、ダイナミックな編曲が輝く曲だ。「都市伝説」は、失恋したある女性の切ない姿を盛り込んだ曲。一時は王子様のように、天使のように見えた彼は、いつからか化け物のように、悪魔のように急変してしまった。語り手が恋人との楽しかった頃を称して、童話や伝説と命名した以上、二人の関係はもう既に取り返しのつかない段階に至っているように見える。「それほど古い話でもないようなのに」「私でなければあなたは誰にでも関心を寄せる」などの歌詞からは、寂しさと虚しさが漂ってくるが、軽快でクールなロックサウンドと明るく健康なLENA PARKの歌声は、彼女の物語を悲劇でなく回復のストーリーにしてくれる。「ごめんね」は、愛した男に別れを告げた女の歌だ。別れの原因は、一時自分の目をくらましたその男の嘘。しかし語り手は、自分が彼に捧げた愛まで否定することはしない。「愛はただ旅行みたいだった」「私が誰なのかを思い出せればいいの。それでいいの」など、語り手の淡々とした自己省察と回復への意志が盛り込まれた歌詞が印象に残る。「ごめんね、もうあなたを許せない」で始まるフレーズは、美しいメロディーとLENA PARKの心に響く唱法、ピアノとドラム、ストリングス、コーラスなどが相まって壮大なサウンドを作り、強烈な魅力をアピールしている。メキシコの人気グループ「Camila」が2009年発表した「Mientes」をリメイクした曲だ。「Raindrops」は、にわか雨を見ながら満喫した解放感を表現した、エレクトロニック・ダンス曲。蒸し暑い夏の街で、にわか雨に打たれながら友達と笑い騒いだ思い出があるなら、あるいはそのような青春の姿を借用したCMや青春映画のワンシーンを思い出すことができるなら、この曲の雰囲気を理解できると思う。バンド「Mongoose」のmon9が作り出した綺麗なエレクトロニックサウンドに、力を抜いてぴょんぴょん弾ける雨粒の感じを表現したようなLENA PARKの歌声からは、暑さのせいで息が詰まりそうだったある夏の日、にわか雨の直後に都心で感じられるすがすがしい感じがする。「そう急がないで」は恋人たちの別れの曲だ。しかし、語り手である女は心の中で「私はさようならなんて言えない」と思っている。彼女の考えでは「別れは二人でするもの」と思っているからだ。「私は目で写真を撮ります」「私の手が覚えている、温かいその顔」「間違えたことのない、あなたの選択を信じることにします」など、別れを前にした彼女の、彼への深い愛と信頼が感じられる歌詞が素晴らしい。ストリングスとブラス、ギター、ベースなどが創り出すサウンドは、クールで豊かな雰囲気を出しているが、特に事細かにLENA PARKのボーカルに直接反応するかのように続くブラスサウンドは、聞き手の心まで暖かく癒してくれる。「損害」は、思い出まで忘れると別れを告げた彼への、彼女の反応を歌った曲。歌詞の内容を見れば3曲目の「都市伝説」に近い面がある。しかし「都市伝説」の彼女がクールだったなら、「損害」の彼女は「反撃型」だ。語り手の意地と怒りは、とてつもなく荒唐無稽な裏切りによるもので、打撃感を与えるギターとキーボードの演奏はそのような彼女の心理に似ている。LENA PARKのR&B唱法は、鋭く挑発的な雰囲気がするが、前奏と一緒に流れる彼女の声からはファムファタール(魔性の女)のような色気まで感じられる。「Any Other Man」は、歌手LENA PARKの内面が垣間見られる、彼女の自作曲。LENA PARKは歌手として成功したキャリアと、変化への渇望、有名人として経験するアイデンティティへの悩みなどを歌詞に盛り込んだ。英語の歌詞で歌うLENA PARKのボーカルは、韓国語になっている他の曲を歌う時とはまた異なる雰囲気だが、彼女は軽快なリズムと優美なメロディーの間を自由に遊泳する。「You Don't know Me」は、いわば金星の彼女と火星の彼の相互の不可解性について歌った曲だ。歌詞を見れば、彼女は彼の本音を聞きたがり、彼は彼女の隠れた心情を見たがる。恋愛心理で統計的に女が押しに弱く、男はビジュアルに弱い事実を反映しているように見える。eAeonが作曲しフィーチャリングまでしているが、難解な夢の中を彷徨うような、落ち着かないエレクトロニックサウンドは、eAeonならではのカラーが浮き彫りになっている。LENA PARKの魅惑的な歌声とeAeonの心地よい歌声が創り出すアンサンブルが魅力的な曲だ。「風の音の中にキミが」は、別れた恋人への懐かしさを歌った曲だ。歌詞は「364日よく耐えてきたけど、たった一日でもあなたが思い浮かべば」風の音と温かい日差しからも彼を見て感じることができる。そうなればすべての時間が止まり、すべての心が崩れ落ちる、という内容を盛り込んでいる。LENA PARKのボーカルとピアノ演奏からは、悲嘆と哀愁の感情が感じられ、風の音を表現したようなエレクトロニックサウンドからは異界の印象を受ける。技巧を排除し声の「明度」と「彩度」を抑えた、観照的なLENA PARKのボーカルが異彩を放つ曲だ。「Song For Me」は、すべてに失敗し、寂しくて疲れた語り手が自分で気持ちを持ち直す内容の曲だ。歌詞は1人称になっているが、曲の序盤では語り手の独白に共感する聴者なら、この曲を聞いて語り手のようにもう一度頑張れるかも知れない。「小さな奇跡は自分が始めなければならない」と言うように、建設的で希望に満ちた歌詞、意志と主張が感じられるLENA PARKのボーカル、語り手の決心を祝うような壮大なオーケストラサウンドが相まって、まるでミュージカルのクライマックスのような印象を受ける曲の後半が強烈に響く。このアルバムのタイトルは「Parallax」だ。天文学でよく使われる単語で、日本語では「視差」を示す。ある説明によると、LENA PARKはこのタイトルに「バラエティ番組に写った自分の姿と、8枚目のフルアルバムを出したアーティストとしての自分を同時に見つめる人々の視覚の違いに対する悩みを盛り込んだ」と言う。この説明によると、このような悩みは直接的にLENA PARKの自作曲「Any Other Man」に示されている。しかし、あえてそのような説明がなくても、今回のアルバムに収録された曲はほとんどが内容的に「Parallax」というタイトルに相応しい。結局この曲は、愛と別れという間隙が、どれほど大きな変化を創り出すか(「都市伝説」「ごめんね」「そう急がないで」「損害」「風の音の中にキミが」)、ある覚醒前後の認識がどう変わるのか(「実感」)、恋愛に取り組む男女の精神世界がどう違うのか(「You Don't know Me」)、心構えによって人生がどれほど変わり(「そうすれば良いの」「Song For Me」)、また世の中がどれほど美しく見えるか(「Raindrops」)などを歌っているためだ。それにも関わらず、この曲たちが歌っている視差を断絶的な意味で解釈するのは、面白くもないし危険なことだ。違いを把握することは、結局理解する余地があるという意味にもなり、人のことというのは大半が無常なもので、間違いを繰り返したりもするからだ。おそらく、LENA PARKが「Any Other Man」で自分を指して「I'm just like any other man」と歌った理由はそこにあるだろう。結局このアルバムが集中しているのは視差でない、その違いを作った心というものなのだ。要するに、自ら幸せになるには、「小さな奇跡は自分が始めなければならない」(「Song For Me」)のような心構えが必要なのだ。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡な一般リスナーであることに満足して暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作家を夢見ています。―編集者

【アルバムレビュー】ヒョンドニとデジュニ、ユーモア溢れる歌が余韻を残す
ヒョンドニとデジュニのミニアルバム「Gangster Rap Vol.1」レビュー最近ミニアルバム「Gangster Rap Vol.1」を発表した「ヒョンドニとデジュニ」は、お笑いタレントのチョン・ヒョンドンとヒップホップミュージシャンDefconn(デフコン)が結成したプロジェクトグループだ。今回のミニアルバムに対し音楽評論家のハン・ドンユンは、「今年上半期にリリースされたアルバムの中で一番面白いと言っても過言ではない」と評価した。彼の言葉通り、今回のミニアルバムには、聞けば愉快になる計5曲が収録されている。最初のトラック「Intro」は曲名通り、最初の入りの曲だ。Defconnとチョン・ヒョンドンは、「僕たちの歌を聞く準備はできたのか/もしまだ準備ができていないなら、準備しろ」という歌詞で冗談を言う。彼らは、「yo」を繰り返しながら、「yo」で始まったり、終わったりする言葉を無意味につなげながらダジャレを言うが、これは本格的な始まりの前の軽いウォーミングアップで、自分たちの歌を気楽に聞いてくれと間接的に言っているのだ。キーボードが作り出すビートとDefconnのおどけたような掛け声も楽しみを与える。「苦しい時に聴いたらもっと苦しくなる歌」は、失恋した男女に贈る楽曲だ。歌い手は、この曲を「苦しい時に聴いたらもっと苦しくなる歌」だと言い、聞き手に向かって「聞くな」と繰り返しているが、なぜか警告されたことほどやりたくなるのが人間の心理だ。「ギャラリーチョン(ギャグのキャラクター)」時代の台詞のトーンをそのまま持ってきたようなチョン・ヒョンドンの気持ち悪いラップと、はっきりしない声で絶えずまくし立てるDefconnのラップが注意を引くが、彼らの風刺と嘲弄は、数百年前に宮廷で活躍したピエロのような印象を与える。そのため、さんざんまくし立てているにも関わらず、聞く人に不快感を与えることはない。「Yes or No」は、韓国のお笑い番組「ギャグコンサート」の人気コーナーであった「ナムボウォン(男性人権保障委員会)」を連想させる楽曲だ。話し手は、これまで女性と付き合いながら感じたすべての不合理と矛盾を挙げながら、彼女たちに「Yes or No」と聞いている。「君がおごるときは海苔巻き、俺がおごるときはステーキ」「君の携帯電話帳の彼氏は俺の番号ではない」などの歌詞は、男たちが共感できる状況を面白く表現している。また、それぞれの話ごとに「Yes or No」と繰り返して聞くDefconnの大胆なラップは笑いを誘う。単純だが、インパクトのあるビートやコミカルな歌詞が印象的な曲だ。「ハンシムポチャ(情けない屋台)」は、恋人と別れた男が寂しい気持ちを歌う曲だ。ハンシムポチャは、男が彼女とよく行った場所。別れてから1ヶ月も経ったのにまだ気持ちの整理ができていない彼は、寂しい気持ちでいつものようにハンシムポチャに足を運ぶ。いたずらっぽくないチョン・ヒョンドンのラップは、男性的かつ真剣で逆に新鮮な感じを与えるが、これは速いスピードのDefconnのラップとよく調和している。フィーチャリングを担当したBoniは、都会的で吸引力のある声で「ハンシムポチャ」を訪ねる男の寂しさをよく伝えてくれる。今の韓国社会の若者たちをリアルに描く「オリンピック大路」は、江南(カンナム)で遊びたい江北(カンブク)出身男の気持ちを表現した曲だ。男は、ホットな江南でよく遊ぶが、家がカチ山(カチサン)にあるため、いろいろと難点が多い。オリンピック大路を通じて江南に行く道はいつも混んでいるし、時々気に入る女性に会っても住んでいる所が違って諦める場合が多い。だから、「やりたいがやれないことが多い」「それで今日も激しく生きている」などの歌詞からは、出世と江南進出に対する欲望が読みとれる。Defconnとチョン・ヒョンドンのラップは、偽悪とウィットを行き来し、単純に繰り返されるリズムとメロディーは中毒性がある。MCナルリュ(ユ・ジェソク)が歌うリフレインは、曲の単調なところを補完する役割をする。オリンピック大路で運転中、道が混雑したときにはこの歌を聴くことにしよう。ストレスの一部を飛ばしてくれるかもしれない。「Gangster Rap Vol.1」は、笑いながら軽く聞ける曲だけ収録されているように見える。全般的にユーモアのある歌詞と威張るようなラップは自然な笑いを与え、犬の吠える効果音と「俺たちは噛みません」という歌詞や、「OECD/俺らのCD/ワン・プラス・ワン」などのダジャレは、爆笑を誘う。しかし、これがすべてではない。歌詞を繰り返して聞くほど、彼らの曲が今の韓国社会の若者の姿をリアルに描いていることが分かる。例えば、江南への憧れ、高級ブランド品への欲求、クラブ文化、美容整形ブームなどが挙げられるが、その中で一番面白いのは、迷惑メールを示す「キム・ミヨンチーム長だから聞くな」(「苦しい時に聴いたらもっと苦しくなる歌」)という歌詞だろう。このような現実的な歌詞のおかげで「Gangster Rap Vol.1」の滑稽とユーモアは、そのまま消えることなく、余韻を残している。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡なリスナーとして暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作を夢見ています。

【アルバムレビュー】B.A.P-アイドルグループが“革命”を歌う時代
アルバムレビュー:B.A.P 2ndアルバム「POWER」B.A.Pはヒップホップ・アイドルを掲げている男性新人グループである。バン・ヨングク、ZELO、ヒムチャン、ジョンアプ、デヒョン、ヨンジェの6人で構成される。グループの名前はBest、Absolute、Perfectの頭文字をとったもので、「最高の、絶対的な、完璧な価値を目指す」という意味だという。彼らが先日発表した2ndアルバム「POWER」は、アルバムの構成において今年1月発表した1stアルバム「WARRIOR」と似ている。いわゆる3+1戦略で、社会批判的なメッセージや音楽的な抱負を強烈なサウンドに載せた3曲に、甘いバラード曲をボーナスとして加えた形になっている。もちろん変化もある。前作に比べて豊富なロックサウンドの活用が目立つ。社会批判から甘い曲まで、異なるカラーの4曲最初の曲「Fight Fot Freedom」は、B.A.Pの音楽的なアイデンティティを伺うことができる曲である。歌詞を見れば、彼らが目指す価値の中で自由というものがどれだけ重要視されているかが分かる。「いつまで閉じこもっているつもりなのか/いつまで他の人と同じ生き方をするつもりなのか」「人がYesといえば僕たちはNo」「同じタイプは相手にしないよ」等の歌詞は陳腐な面とも捉えられるが、状況を覆してやるという宣言が盛り込まれたサビの部分は、エネルギーがあふれている。短い曲だが、重厚なロックサウンドとキレの良いZELOのラップがインパクトを残す。「POWER」は、露骨に世の中の弱いものたちに向けて革命を促す曲である。何に対する革命なのか? それは正義のない、お金の前にひざまずく世界、力あるものの影で弱いものが死んでゆく世界を指す。歌詞ではこのような世界に屈することなく立ち向かっていこうと伝えているが、このような判断の根底には「We got the power./I got the power」という確信がある。力は単に金、権力、名誉だけにあるものではないと歌っているのである。パワフルなロックサウンド、悲壮感を漂わせながらも冷笑的なバン・ヨングクの重厚なラップ、挑戦的で戦闘的なZELOの切れの良いラップが魅力的である。「What The Hell」は現実を支配している不公平で間違っているシステムに対する憤りを表現した曲である。やけになって「見えない手」に向かって「そのまま返してやる」「死んでも返してやる」と叫ぶようになった理由は、もっぱらそれだけが生き残る道だという痛切な自覚があるためである。「No way」「May day」を叫んでいた壊れやすい心が「What the hell you do」のような決起に変わる瞬間を捉えたリフレイン(繰り返す部分)、全般的に悲しみや激しさが共存するサウンドが印象に残る。最後の曲「全て嘘(Lie Lie)」は、別れ際になってようやく愛に気づいた男の後悔と悲願を描くバラード曲である。「忘れられる」「何もかも終わり」だと話す彼女の言葉が「全て嘘」だと信じているが、涙を流す彼の選択を見れば、その信頼はあくまでも「希望」であることが分かる。典型的な歌詞、センチメンタルな歌声やラップ、甘いフックソング(同じ単語を繰り返して印象付ける曲)が形式のように混ぜ合わせられている。歌詞、サウンド、情緒など、あらゆる面でこのアルバムの他の曲とは違っているという点で、いわゆるボーナストラック的な曲である。歌詞に表れる社会観「世界は正義のないところ」今回のアルバムで注目される部分は「POWER」と「What The Hell」の2曲に表現されている社会観である。この曲の中で世界は正義のないところとして描かれている。なぜなら、そこはいわゆる奪う者と奪われる者のロール(役割)が変わらない、力が支配する場所(「Power」)であり、また「金」が「善悪を分けて」「見えない手があなたを勝手に動かす」場所(「What The Hell」)であるためである。問題は、このような真実が「多くの沈黙」や「無関心」によって放置されていること。自然と2曲のメッセージは戦意を呼び起こし、偽りのモノに向かって「嘘だ」と叫ぶことで、真実の声が広がるように立ち向かおうと訴えることになる。興味深いのは、これらの曲で戦線を形成しているこちらとあちらの疎通や和解の可能性を徹底的に排除している点である。もっとも、革命たるものが改善の余地のない絶望的な現実の認識から生まれるものであり、2曲ともに革命を歌っている点でこのような選択は当たり前なのかもしれない。そういった点でこの2曲は、勝者がすべてを手にして恥知らずな社会になり、つまりはそれが当然視される風潮、そしてその中で民主主義が窒息していく韓国社会の一面を反映している。今や、アイドルグループが革命を歌ってもおかしくない時代になってきている。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡な一般リスナーであることに満足して暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作を夢見ています。 ―編集者

【アルバムレビュー】Busker Busker - 憂愁の色の青春の声
アルバムレビュー:1stフルアルバム「Busker Busker」 - 彼らが歩む音楽の鮮明なマイルストーン最近Busker Buskerが発表した、1枚目のフルアルバム「Busker Busker」に対する反応が熱い。この様な反応はおそらく、このアルバムが20代半ば、もしくは既にその年頃を経験した人ならば、誰もが共感できるストーリーと情緒を鋭く捉えているからであろう。チャン・ボムジュン(ボーカル、ギター)、キム・ヒョンテ(ベース)、ブラッドリー(ドラム)の3人で構成されたBusker Buskerは、オーディション番組「SUPER STAR K3」出身のバンドで、基本的には暖かく、ボーカルが醸しだす憂愁の色をした独特な情緒が、強力な輝きを見せるグループだ。今回彼らが発表した曲は全部で11曲。収録された曲はそれぞれ「初恋」「桜」「夜の海」「路地」「寂しさ」など、青春という人生のひと時を表現するにふさわしい題材やストーリーを含んでいることが分かる。特に新しいわけではないが、「そうだ!」「そうだったんだ!」と共感しながら共鳴できる部分が多い。その結果は、意図的かどうかはともかく、現在たくさんの人に熱く反応をもたらしている。Busker Buskerは、彼らの本格的な音楽の道において、印象深いスタートを切ったことになる。アルバム1曲目の「春風」は、躍動の春の香り漂う演奏曲だ。本格的な話に入る前に、雰囲気を整える一曲だと言えるだろう。ジブリアニメに見られる音楽的コードが垣間見えるこの曲は、その後続く曲の効果的な予告編だといえよう。1980年前後に流行った、大学歌謡祭出身のグループサウンド音楽の情緒を漂わせながら始まる「初恋」は、タイトル通り、初恋に落ちた男の心を表現した曲だ。やるせない気持ちを落ち着かせようとするも、思うようにいかない初恋の感情が歌詞から伝わる。切実に望むほど心配も多い男の内気さと不安が、曲の主な情緒を支配する。ベースとギターのアンサンブルは良いが、後半頻繁に登場するボーカルの裏声は、聞く人によっては曲の安定を妨げる要素として働く。「麗水の夜の海」夜の海の前で武装解除した経験があるなら「麗水(ヨス)の夜の海」は麗水の夜の海の前に立った心を歌った曲だ。この曲を聴いていると、波が見せる夜の海特有の平穏な風景が目の前に広がるが、その平穏さが逆に主人公の寂しさをくすぐり、「思い人」の不在をしみじみと感じさせる主な要因でもある。バンドのサウンドに弦楽器が加わるスローテンポの曲はロマンチックで、さざ波に身を任せて左右に揺れるだけの船が連想される。繰り返されるメロディーは単純だが、聴く人を感傷にひたらせる。夜の海の前で心の武装解除を経験した人なら、この歌を聴いて、その時の記憶を思い出し、お酒が飲みたくなるかも知れない。「桜エンディング」は、桜の花びらが舞っていた夜、愛する恋人と歩きながらデートをしたい男の気持ちを表現した曲だ。タイトルが「桜エンディング」なだけに、歌詞もこれ以上美しいものはないデートの感情を表現した曲に見えるかも知れないが、ボーカルの悲しげな歌い方は、「サッドエンディング」になりそうな不安感を与える。全般的に「初恋」と対をなしているような感があるが、ハーモニカの演奏は耳に馴染み、サビに使われたボーカルの鼻音は魅力的だ。「理想のタイプ」は、ある男の「変わった」女性タイプを歌った曲だ。彼女に対する賞賛ばかりの歌詞だが、いざ彼女本人がこの歌詞を聞いたとき、どんな表情をするのかが気になるのは何故だろう。それはきっと、多くの人が「世間一般の基準」だと信じるようになった、いわゆる規格化された「美人の条件」に慣れてしまったせいかも知れない。「君の足の小指が僕をドキドキさせる」や「9番目の脊髄が僕を狂わせる」などの歌詞は、コミカルかつそれとなく官能的な面がある。雰囲気を盛り上げる管楽サウンドが印象的だが、一部は映画「マスク」で使われた、賑やかで浮かれたお祭りの雰囲気を連想させる。出口を探せずにいる青春の「現実」を歌った「寂しさ増幅装置」「寂しさ増幅装置」は思うようには行かない人生を自嘲する歌だ。何もかもが難しく、何もかもが崩れ落ちていくと語りながら、その原因を自分から探している。そして黙々とその寂しさを増幅させ、ただその時間を耐えると心に決めるが、その純粋な姿がある面ではじれったく見えても、共感できないわけではない。それはたぶん、彼の選択から、今の韓国社会で、出口を探せずにいる殆どの若者の現実を垣間見ることができるからだろう。ギターとボーカル、口笛だけで構成されたサウンドは単純だが、曲の感性をうまく伝えている。情緒的なメロディーのギター演奏が聴く人の心をやさしく暖めてくれる曲だ。路地でよく聞こえる「生活の騒音」で構成された7番目のトラック「路地」を通ると、続く曲は「路地の入口で」だ。この歌は路地で元恋人と偶然再会した男の心を歌っている。歌詞が描いている瞬間は、物理的にはごく僅かの時間のはずだ。しかし、男にとっては色んな感情が一気に絡み合うに十分な時間でもある。彼は、かつて自分が彼女に対し抱いていた誤解が、どれだけ些細なことだったのか、その反面、彼女と共にしていた時間がどれだけ大切だったのかに気づき、顔が強張る。しかし、もう一方ではこの気まずい刹那の感情を、歌を歌うことで避けていけるほど「うまくなった」自分に出会ったりもする。誰もが一度は経験したことのある瞬間を、軽快に表現したバンドサウンドが楽しさを与えるが、特に、キーボードがドキドキする男の心理を面白く表現しているようだ。愉快ではない状況だが、爽やかなサウンドの「電話をかける」「電話をかける」は夜道を歩きながら、別れた恋人に電話をかける男の事情を描いた歌だ。歌詞に直接出てこないが、男はおそらく酒に酔っているだろう。幸か不幸か分からないが、彼女は電話に出ず、信号音の変わりに流れる曲のメロディーは男の心を焦がす。決して愉快ではない状況だが、爽やかなサウンドは男の「女々しい」行動を夜中の「笑劇」で包みこむ。「タダンタダンタンタン」と繰り返される短いメロディーの弦楽サウンドと「バンパバンパ」というギターのビートが印象的な曲だ。「花房が」は、好きな女性が果たして自分を特別な存在として見ているのか気になった男の心を描いた歌だ。想像をすれば、前曲「電話をかける」の前の話ともとれるだろう。「そう、そう、咲いたのか」という歌詞から、男の名残惜しさを感じられる。惜しみなく与える愛が難しいのは、いつも「元」を考えるからだ。この歌を聴くと映画「家族の誕生」で、うまく断れない彼女に「しまりがない」と愚痴っていたボン・テギュの演技を思い出す。男を心を代弁しているかのようなハーモニカ演奏、ギターとベースが織り成すビート感が良い曲だ。「香水」は初恋の感覚を歌った。ときめきや希望より哀愁が感じられるこの曲で、語り手の初恋は既に過去のことだ。歌詞で彼は、その時の愛の瞬間を「君の香り」で思い返している。初恋は単語の「初」という字から分かるように、殆ど失敗しがちだが、その「初」が持つ意味のため、たくさんの人の記憶に深く刻まれる。情緒的なベース、後半のハミングパートが初恋に対するノスタルジアをくすぐる曲だ。確実な情緒の伝達に比べ、深みの足りない歌詞が課題Busker Buskerは、今回のアルバムに青春という普遍的な感性を効果的に表現した。特に、チャン・ボムジュンのボーカルが伝える憂愁の色をした声は、辛い時期を経験しているその年頃の若者を慰めているように思える。おそらく「自分だけが大変なわけじゃない」という間接的なメッセージを聴く人が積極的に受入れた結果だろう。一方、今回のアルバムは、新人バンドのBusker Buskerに少なくない課題を残した。情緒が確実に伝わる曲に比べ、比較的深みの足りない歌詞、一部の曲で露になるボーカルの感情表現の乏しさ、部分的にはインパクトがあるが、全般的なハーモニーや洗練さの足りないメロディーなどは、これから時間を持って補完しなければならない要素だ。しかしこのような弱点を一気に解消したのが「麗水の夜の海」と「寂しさ増幅装置」の二つだという点に注目する必要がある。この二つの曲はBusker Buskerは何が得意なのかを見せてくれた曲だという点で、これから彼らが歩んで行くであろう道の標石になる可能性が高い。Busker Buskerはまだ完成したバンドではない。長所も短所も比較的はっきりと分かる。それにも関わらず、今回のアルバムでBusker Buskerは、彼らならではの魅力を熟知し、それを表現することに長けていることを証明した。彼らが今後、どのように進化していくか気になるのは当然だろう。このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡なリスナーとして暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作を夢見ています。





