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  • 【PEOPLE】ムン・グニョンを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】ムン・グニョンを構成する5つのキーワード

    ムン・グニョンデビュー17年目を迎える女優。元祖国民の妹であり、2000年代初頭におじさんファンたちの愛を一身に受けた少女がいつの間にか30代を目前に控えている。キム・レウォン映画「マイ・リトル・ブライド」でムン・グニョンと共演した俳優。キム・レウォンはヒロインのキャスティングが難航していた時に直接ムン・グニョンに電話をかけ、ヒロイン役を提案した。その結果は大成功。2004年に公開した「マイ・リトル・ブライド」は約315万人の観客を動員し、その年の2位という興行成績を収めた。ムン・グニョンは大鐘賞映画祭で新人女優賞を受賞した。また、ムン・グニョンは「マイ・リトル・ブライド」を通じて国民の妹というあだ名を得た最初の芸能人になった。しかし、国民の妹のイメージは長い間、ムン・グニョンの足かせとなった。ムン・グニョンは国民の妹という枠の中に閉じこもらないように必死に演技に没頭した。キム・ジュヒョクムン・グニョンと共に所属事務所NAMOO ACTORSの創立メンバーだ。2006年映画「愛なんていらない」の相手役でもあった。6月に放送されたKBS 2TV「ハッピーサンデー-1泊2日」(以下、「1泊2日 」)の「女友達」特集でキム・ジュヒョクは「女友達」としてムン・グニョンを招待した。キム・ジュヒョクはムン・グニョンの成長を近くで見てきた。「愛なんていらない」のクランクアップの日、ムン・グニョンはスタッフ全員に手紙を書き、感謝の気持ちを伝えた。大したことではないとやり過ごすこともできるような小さなことまで記憶して、感謝の気持ちを伝えたのだ。ムン・グニョンの優しい人柄を知っていたキム・ジュヒョクは「1泊2日」で、彼女を「この世でこんなに正しい若者がいたのかと思うほど、健全で良く育った子だ」と紹介した。シン・ユンボク朝鮮後期の画家であり、2008年SBS「風の絵師」でムン・グニョンが務めた役。ムン・グニョンが男装した役で話題を集めた。21歳のムン・グニョンは「風の絵師」でシン・ユンボクの役を通じて、歴代最年少で演技大賞を受賞した。「感謝の言葉より、申し訳ない気持ちと不安な気持ちが大きいです。今後も演技を続けていきたいのですが、この賞が大きなプレッシャーになりそうで心配です。とても幸せな瞬間だけど、今日の夜までこの賞のことを記憶して、明日からは新たな気持ちで演技に臨みます」というムン・グニョンの受賞の感想は多くのファンに深い印象を残した。ムン・グニョンはその後、受賞の感想をそのまま実践し続けた。常に優しいイメージで記憶された彼女はドラマ「シンデレラのお姉さん」でイメージ変身を試み、「清潭洞<チョンダムドン>アリス」に出演し、週末ドラマにまでも活動領域を広げた。また、2010年演劇「クローサー」でストリップダンサーのアリス役を演じ、演劇舞台で観客と会った。パクファゴムムン・グニョンの Instagram(写真共有SNS)でハッシュタグと共に常に登場している単語コム(クマ)ションキはムン・グニョンのファンたちを呼ぶ愛称だ。語源を遡るとその先にはコミュニティポータルサイトDCinsideで「風の絵師ギャラリー」という意味のパクファゴムがある。パクファゴムとは「風の絵師ギャラリー」の省略語バファゲルとバファゲルのマスコットのクマとを組み合わせた「風の絵師ギャラリー」を擬人化した名前だ。ムン・グニョンはギャラリーに書き込みを残し、ファンたちをパクファゴムさんたちと呼んだ。時間が経つにつれ、ファンたちを呼ぶ愛称はパクファゴムさんからコムセンクィ、そこからさらにコムションキに変わった。「風の絵師」以後、8年近くの時間が経ったが、ムン・グニョンとパクファゴムたちは依然として格別な間柄を維持しながら疎通している。チョン・ウヒ同じ所属事務所で同じ年齢の友達。一緒に出演した作品はないが、以前からお互いの悩みを話し合い、仲良くなった。チョン・ウヒは昔のインタビューで「ムン・グニョンから度々アドバイスを受ける。長くはないが、胸に響くアドバイスが多い」とし、ムン・グニョンに向けた感謝の気持ちを表したことがある。ムン・グニョンも2014年、所属事務所NAMOO ACTORSが公開した映画「ハン・ゴンジュ」のVIP試写会のビハインド映像でチョン・ウヒに対し、「私が一番好きで、一番応援したい友達」と表現し、格別な愛情を見せた。ムン・グニョンはチョン・ウヒの初主演映画「ハン・ゴンジュ」の試写会に参加するために、グラビア撮影のスケジュールを事前に調整するなど、格別に気を使った。ムン・グニョンは最近のインタビューで観客から限りない可能性を持つ女優として認められたチョン・ウヒが羨ましいと打ち明けた。ムン・グニョンにとってチョン・ウヒは親友でもあり、いい刺激になる存在でもあるようだ。恵慶宮洪氏(ヘギョングンホンシ) 思悼世子(サドセジャ:王の跡継ぎ)の妻であり、正祖(チョンジョ)の母。映画「王の運命-歴史を変えた八日間-」でムン・グニョンが恵慶宮洪氏に関心を持つようになったきっかけは、2001年、KBS 2TV「明成皇后」に出演した時だ。当時、ムン・グニョンが幼い明成皇后の役を演じた時、台詞に恵慶宮洪氏のことが出てきた時があった。短い台詞だったが、その時からムン・グニョンはいつか恵慶宮洪氏の役を演じてみたいと夢を抱いた。14年後、ムン・グニョンの願いは映画「王の運命-歴史を変えた八日間-」で叶えられた。ムン・グニョンは映画で多くの分量ではなかったが、愛されない夫と愛される息子がいる王室の女性である恵慶宮洪氏のジレンマを見事に表現した。ハン・ソユンムン・グニョンがMBC「火の女神ジョンイ」以後、2年ぶりに選んだミステリースリラードラマであるSBS水木ドラマ「アチアラの秘密」で演じている役の名前。サスペンスジャンルのドラマが好きなムン・グニョンにとって「村」は彼女にぴったの作品だ。ジャンル物が好きで、バラエティ番組の中でも総合編成チャンネルJTBC「クライムシーン」とtvN「ザ・ジーニアス」を欠かさず見ている愛聴者だという。だからなのか、ジャンル物ドラマに対する理解度が非常に高い。ムン・グニョンは「村」の記者懇談会で「事件が中心となっているドラマなので感情シーンが少なく、キャラクターが明確ではないかもしれない。できる限り自然な姿で家族を探し回るハン・ソユン役に感情移入できるように努めたい」と話した。ファンたちはムン・グニョンと共に毎回「村」の隠された秘密を一つずつ追跡しながらドラマを楽しく見ている。BTOB ソンジェドラマ「村」でパク・ウジェ巡査役でムン・グニョンと共演している。ムン・グニョンは「村」を通じてソンジェと出会う前まで、ソンジェという名前を聞いたことはあったが、BTOBというグループについてはよく知らなかったという。ソンジェとドラマで共演することになったことで周りのお姉さんたちが大騒ぎする姿を見て、彼の人気を推測したという。だが、今はBTOBの「家に帰る道」を発売前にムン・グニョンに聞かせるほど、2人は親しくなった。「村」の制作陣によると、ムン・グニョンとソンジェはお互いの演技呼吸について100点満点中100点と評価したという。ムン・グニョンは「演技が上手くて、明るいキャラクターがよく似合う。本当にウジェのようだ」とソンジェの演技を賞賛し、ソンジェは「先輩は相手を気楽にしてくれる力を持っている。先輩の深い配慮に感心した。そのおかげで、より熱心にキャラクターを演じたいという意欲が湧いた」と明かし、注目を浴びた。

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  • 【PEOPLE】Brown Eyed Girlsを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】Brown Eyed Girlsを構成する5つのキーワード

    Brown Eyed Girls「Brown Eyed Girlsがニューアルバム『Basic』でK-POPの先導者として自分たちの役割をさらに進化させた」-米ビルボードより Brown Eyed Girlsはガールズグループの新たな道を開いてきた。実力派ガールズグループとしてデビューしたBrown Eyed Girlsは「Abracadabra」でブームを巻き起こし、今回の「新世界」に至るまでパフォーマンスと歌唱力の二兎を手に入れて信じて聞けるガールズグループになった。ビルボードはこのようなBrown Eyed GirlsについてK-POPの先導者と表現した。だが、Brown Eyed Girlsは先導者を超え、他のガールズグループは乗り越えられない新しい領域の君主かもしれない。チョ・ヨンチョル現APOPエンターテインメント所属のプロデューサー。チョ・ヨンチョルプロデューサーはBrown Eyed Girlsの元所属事務所であるNEGAネットワークの副社長出身で、Brown Eyed Girlsの誕生から一緒だった。Brown Eyed Girlsと「Abracadabra」「Sixth Sense」などを一緒に作業してBrown Eyed Girlsの現在を作り出した。LOENエンターテインメントを経てAPOPエンターテインメントに定着した彼は、Brown Eyed Girlsのニューアルバム「Basic」で4年ぶりにBrown Eyed Girlsの総括プロデューサーを担当した。チョ・ヨンチョルプロデューサーは「Basic」で人間の本質を盛り込もうとしたBrown Eyed Girlsの青写真を完成し、Brown Eyed Girlsのアイデンティティを再び確立させることに寄与した。チョ・ヨンチョルプロデューサーとBrown Eyed Girlsの相乗効果がなかったら、「Basic」の本当のベーシックは存在しなかっただろう。ジェアは「Basic」のミュージックトークで「プロデューサーが黒板を取り出してアルバムについて説明してくれた。最初は私たちとどんな関係があるだろうと疑問に思ったが、説得された」とチョ・ヨンチョルプロデューサーを言及した。キム・イナ作詞家。彼女が参加した作品を列挙しなくても、もう名前だけで頷くようにするスター作詞家。チョ・ヨンチョルプロデューサーの妻でもある。「L.O.V.E」「Abracadabra」「How Come」などBrown Eyed Girlsのほぼすべてのヒット曲にキム・イナ作詞家の名前がある。Brown Eyed Girlsの「Basic」にもキム・イナ作詞家の力が盛り込まれた。「Basic」はサウンドがいくら素敵でも、人間の本質を簡単に表現するメッセージがなかったら魅力は半減したのだろう。例えば、WORMHOLEをWARMHOLEと表現したように、「Basic」のアルバムの所々には難しい用語を面白く表現した痕跡が見える。アルバム自体がサウンドが先か、音楽が先かという判断よりも、大きな枠組みを決めてパズルを完成させたような感じがする。ガインは「Basic」のミュージックトークで「キム・イナ作詞家が全体的な構成を担当してくれた」と彼女の手柄を伝えた。「L.O.V.E」2008年にリリースされたBrown Eyed Girlsのミニアルバム「With L.O.V.E」のタイトル曲。Brown Eyed Girlsの現在を作った出発点だ。2006年にデビューしたBrown Eyed Girlsはパフォーマンスの代わりに歌唱力を誇るボーカルグループだった。だが、予想より低調な成績にBrown Eyed Girlsは「L.O.V.E」からダンスを融合させた曲を試み、人気を集め始めた。「L.O.V.E」は作業当時、マスタリングを一週間だけ残して完成された。本来は後続曲になる予定だったが、Brown Eyed Girlsの音色と幻想的な組み合わせを成して、制作費の損失を勘案してまで従来のタイトル曲を諦めさせた曲だ。従来のBrown Eyed Girlsの実力に洗練されたサウンドが加わって新しいジャンルが生まれ始めた。歌唱力だけでなく、電子ビートの上に中毒性のあるパフォーマンスを加味したBrown Eyed Girlsだけの新しいアイデンティティが作られた。Brown Eyed Girlsは「L.O.V.E」で地上波の音楽番組で初めて1位を獲得し、KBS 2TV「ミュージックバンク」の上半期決算のオンライン音源順位でも1位を記録するなど、本格的な全盛期を迎えた。「Abracadabra」2009年にリリースされたBrown Eyed Girlsの3rdフルアルバム「Sound G.」のタイトル曲。Brown Eyed Girlsの象徴で、メガヒット曲の典型。「L.O.V.E」で全盛期のスタートに火をつけたBrown Eyed Girlsは、「Abracadabra」でトップに上った。「Abracadabra」のすべての要素が話題を集めるほど、ものすごく大きな波及力を誇った。骨盤を左右に動かす小生意気ダンス、ガインのセクシーダンス、リフレイン(繰り返し)に爆発するすっきりした歌唱力まで、「Abracadabra」はBrown Eyed Girlsが持ったすべての長所が盛り込まれた曲になった。小生意気ダンスの場合、PSY(サイ)が「GENTLEMAN」のキリングパート(歌で人の心を掴む部分)のポイント振り付けに借用するほど、ポイント振り付けの伝説になった。パフォーマンスだけでなく、音楽性も認められた。「Sound G.」アルバムは「第7回韓国大衆音楽授賞式」で最優秀ダンス賞やエレクトロニック歌賞とアルバム賞を受賞した。イ・ミンスAPOPエンターテインメント所属の作曲家。LOENエンターテインメントに所属した当時、IU(アイユー)の「Good Day」「You&I」「ブンホンシン(赤い靴)」などを相次いでヒットさせて名前を知らせた。NEGAネットワークに所属した時はBrown Eyed Girlsのデビューから呼吸を合わせ、特別な呼吸を誇った。「L.O.V.E」「Abracadabra」「Sixth Sense」「新世界」などBrown Eyed Girlsのほぼすべてのヒット曲がのイ・ミンス作曲家の手で作られた。チョ・ヨンチョルプロデューサー、イ・ミンス作曲家、キム・イナ作詞家といった3人構成の力はBrown Eyed GirlsとIUを通じて何度も証明された。イ・ミンス作曲家は「新世界」でも自分の力量を誇示する。IU、Brown Eyed Girlsだけでなく、SunnyHillの「Midnight Circus」「白馬は来ているのか」など彼の作品は独特の話し方と大衆性を兼ね備えた魅力を持った。イ・ミンス作曲家は2009年、10asiaとのインタビューで「Brown Eyed Girlsの成長は僕の成長でもある」と話した。それから6年が過ぎた。お互いがお互いにとって成長の原動力になった。イ・ミンス作曲家の音楽世界はBrown Eyed Girlsが新しい領域を開拓できた秘訣だ。APOPエンターテインメントBrown Eyed Girlsの現在の所属事務所。MYSTICエンターテインメントの傘下にある音楽レーベルで、チョ・ヨンチョルプロデューサーが首長である。Brown Eyed Girlsは今回のカムバックの前、6月に解散説に巻き込まれたことがある。当時、ガインだけがAPOPエンターテインメントに所属して残りの3人のメンバーはNEGAネットワークに所属した状態だったため、事実上、ガインはソロ活動に集中するのではないかという説が提起された。しかし、すぐにジェアが「事実無根だ」と明らかにして解散説は静まった。その後、10月に3人のメンバーもAPOPエンターテインメントと専属契約を締結し、完全体Brown Eyed Girlsが完成された。Brown Eyed GirlsはNEGAネットワークに所属した時、一緒に作業したチョ・ヨンチョルプロデューサーのもとに再び戻ったわけだ。APOPエンターテインメントはBrown Eyed Girlsが新しい領域を開拓できるように助力者になり、Brown Eyed Girlsの解散説を「新世界」のカムバックに変えた。新世界2015年にリリースされたBrown Eyed Girlsの6thフルアルバム「Basic」のタイトル曲。しばらくの間、離れていたチョ・ヨンチョルプロデューサー、イ・ミンス作曲家、キム・イナ作詞家の3人構成と再び手を組んだBrown Eyed Girlsが確実に新世界を開いた。6thフルアルバム「Basic」はアルバム名をシュレーディンガー方程式の形式で表現し、収録曲のタイトルも物理学で見そうな用語でいっぱいだ。その頂点にはタイトル曲「新世界」がある。ミュージックビデオは公開されるやいなや解釈書が作られるほど、話題を集めた。パフォーマンス、歌唱力など「Abracadabra」の再臨を見るような圧倒的なクオリティを誇る。Brown Eyed Girlsだけが披露できる要素だ。ナルシャは「Basic」のミュージックトークで「ガールズグループの中でどのチームがこんなことができるだろう?」と「新世界」に対するプライドを示した。Brown Eyed Girls以外、「新世界」を開けるガールズグループはいないだろう。

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  • 【PEOPLE】イ・ジョンジェを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】イ・ジョンジェを構成する5つのキーワード

    イ・ジョンジェ「誰でも生きている間に何度かのスランプを経験する。その時、自分はどうなるのだろうと苦しんで、人生が終わったような気持ちになる。でも、歳月を重ねるにつれて『あれ? 終わったと思った人生が何も変わっていない』と悟るようになる。年輪が積み重なるという言葉はそのことだと思う。それが、人生だ」(2012年「Movist」のインタビューより)以前のイ・ジョンジェは様々なキャラクターを試みても、いつも若い男のように見えた。つまり、キャラクターを何度も着替えても変わらない固定された演技のトーンがあった。変化の時期を逃してそのまま年を重ね、少し食傷気味だったのも事実だ。そんなイ・ジョンジェが最近違って見えるのは、キャラクターのおかげというよりも彼自身が自分のイメージを適材適所に配置して調整する方法を身につけたからと見た方が正しいだろう。自分が持つ高級感のあるイメージを無条件に拒否したり、強調したりするよりは、核心を見抜いて楽しみ、ようやく大衆の信頼を勝ち得た。「上手に管理した40代の男が一番かっこよく見える」と話すイ・ジョンジェはそうやって40代を通過している。ハ・ヨンスイ・ジョンジェを芸能界に導いた人物。浪人時代、イ・ジョンジェは、夜は新沙洞(シンサドン)のデザイン教室に通い、昼は狎鴎亭(アックジョン)のカフェでアルバイトをした。お客さんにとっては神が与えてくれたイ・ジョンジェのビジュアルが、彼の運ぶかき氷よりも魅力的だっただろう。芸能界のエージェント兼デザイナーのハ・ヨンスは、そんなイ・ジョンジェを見逃さなかった。アルバイトで一ヶ月に38万ウォン(約4万460円)を稼いでいたイ・ジョンジェは、ハ・ヨンスの紹介で一日に20万ウォン(約2万1295円)もらえるモデルの仕事に飛び込んだ。チャンスはすぐに訪れた。イ・ジョンジェはある雑誌のグラビアモデルがキャンセルした撮影で、急遽代わりのモデルとして起用された。相手はトップモデルのパク・ヨンソンだった。パク・ヨンソンと一緒に撮った写真は、瞬く間に業界に広がった。その後、イ・ジョンジェはチョコレートの広告を通じてX世代を代表する顔になり、ドラマ「恐竜先生」でお茶の間にデビューした。このすべての出来事が1年以内に起きた。ペ・チャンホ映画「若い男」(1999)の監督。ペ・チャンホ監督は「恐竜先生」に出演しただけで映画界では無名だった彼を「若い男」の主演として大胆に起用した。成功と欲望のために突っ走る三枚目の男性モデルの物語を描いたこの作品において、イ・ジョンジェとイ・ハンはまるで同一人物のようだった。「若い男」を通じてイ・ジョンジェは第33回大鐘賞映画祭、第16回青龍映画賞、第15回韓国映画評論家協会賞、第31回韓国百想芸術大賞の新人男優賞を総なめにした。コ・ヒョンジョンドラマ「砂時計(モレシゲ)」で共演した女優。帰宅時計と呼ばれた「砂時計」(1995)でボディガードのペク・ジェヒ役を演じたイ・ジョンジェは寡黙だった。ひたすら愛する女性(コ・ヒョンジョン)を一歩後ろから静かに守り、彼女が愛する人まで黙々と見守って、最後は彼女のために命をかけて亡くなった。イ・ジョンジェは言葉よりも身体の言語が心に訴える強い力を持つことを見せ、韓国女性の眠っている恋愛細胞を起こした。「砂時計」が終わった時、イ・ジョンジェはマスコミ、広告主、大衆が最も注目する俳優になっていた。イ・ジョンジェが演じたペク・ジェヒは韓国のドラマや映画の中のボディガードのモデルになっていた。チョン・ウソンイ・ジョンジェのソウルメイト?イ・ジョンジェとチョン・ウソンは映画「太陽はない」(1998)で初めて息を合わせた。「太陽はない」は映画「情事」を通じて再び跳躍したイ・ジョンジェと「ビート」で青春のアイコンになったチョン・ウソンの出会いという事実だけでも熱い話題を集めた作品だ。ボクシングが人生のすべてである三枚目なボクサーのドチョル(チョン・ウソン)と興信所でかっこよく生きてみようと必死な詐欺師のホンギ(イ・ジョンジェ)の友情は、映画の外でも続いた。興信所の社長がホンギを解雇すると、「僕も止めます!」と席を蹴って立つドチョルの姿には、現実のイ・ジョンジェとチョン・ウソンの姿が投影されている。映画の撮影が終わった後も2人は連絡を取り合いながら友情を築き、今は名実共に映画界の親友と呼ばれている。チャン・ドンゴンイ・ジョンジェ、チョン・ウソンとともに90年代を代表する青春スター。かつてトップスターの人気を味わったイ・ジョンジェは「太陽はない」の後、芸術映画にも注目した。演技の幅を広げるためだった。「イ・ジェスの乱」(1998)と「純愛譜」(2000)はそんな選択の作品だった。特に彼は作品を選択する時にジャンルを問わなかったが、それは「砂時計」のペク・ジェヒから抜け出すために長い間孤軍奮闘した彼が、俳優を束縛するイメージがどれほど危険なのかを知っていたからだ。挑戦とも呼べる意外な選択が続いたのはこのためだ。だが、スター性と作品の運は常に伴うわけではない。2000年代の半ばに入ってイ・ジョンジェに低迷期がやってくる。イ・ジョンジェにとってチャン・ドンゴンと共演した超大作映画「タイフーン/TYPHOON」(2005)がヒットに失敗したことは特に辛かった。その後、約5年間の停滞期。イ・ジョンジェが自らスランプと呼ぶ暗黒期が訪れる。チョン・ドヨン「ハウスメイド」で共演した自他共に認める韓国最高の女優。「1724妓房乱動事件」(2008)とドラマ「トリプル」(2009)などが相次いでヒットせず、「イ・ジョンジェはもう人気がない」と言われた。だが、チャンスはいつも意外なところからやってくる。2010年、イ・ジョンジェは周囲の心配にもかかわらず、イム・サンス監督の「ハウスメイド」を選んだ。助演に近い比重である上に、彼が演じるフンという人物は決して好感を持てるようなキャラクターではなかった。ややもすると、これまで持っていた高級なイメージまで壊れるかもしれなかった。だが、イ・ジョンジェは欲情と虚勢、残酷さと気品を併せ持つフンを濃密に演じ、強い印象を残した。「ハウスメイド」はイ・ジョンジェにとって重要なターニングポイントになった。首陽大君(スヤンテグン)「観相師」でイ・ジョンジェが演じたキャラクター。「ハウスメイド」を通じてイメージの幅を広げ、「10人の泥棒たち」(2012)で演技を楽しみ、「新しき世界」(2013)で俳優としての重みを加えたイ・ジョンジェは、「観相師」(2013)で俳優としての濃密さとカリスマ性が強くなったという評価を受けた。実際に「観相師」のスローモーションで歩いてくる彼の初登場シーンはCDに焼いて保存しておきたいほどかっこいい。ここで注目すべきなのは、「ハウスメイド」「10人の泥棒たち」「観相師」でイ・ジョンジェが駆使した戦略だ。彼はデビュー時からずっと主演を務めてきた。だが、この映画でイ・ジョンジェは一歩後ろに下がっている。もう彼は役の比重よりもキャラクターを探り、部分よりも全体を見る。そうやって1990年代を風靡したスターは本当の俳優になった。イム・セリョン大象(デサン)グループの常務、そしてイ・ジョンジェの恋人。2015年1月1日、明け方から韓国は彼らのおかげで賑わっていた。人気トップスターと財閥の令嬢の出会いという映画のような出来事が現実で起こり、大衆の関心と好奇心は高まった。イム・セリョン常務が着る服、車種、住んでいる家の相場まで一挙手一投足がポータルサイトの芸能記事に掲載された。2人の縁は2005年から始まった。イム・セリョン常務がSAMSUNGグループのイ・ジェヨン副会長と2009年に離婚した後、仲良くなったという。イ・ジョンジェはその年の9月、大象グループの「チョンジョンウォン」のCMモデルに抜擢された。その後、2人には数回の熱愛説が浮上したものの、そのたびに「ただの友達」とはっきりと線を引いていた。だが、熱愛を正式に認め、2015年の公式カップル第1号になった。チェ・ドンフン「10人の泥棒たち」「暗殺」を一緒に撮った監督。実はチェ・ドンフン監督とイ・ジョンジェはもっと早く出会うことができた。チェ・ドンフン監督のデビュー作「犯罪の再構成」(2004)の時に機会があったのだ。だが、レストランと洋服ブランドの事業で忙しかったイ・ジョンジェは当時、出演オファーがきた大半の作品を断っており、「犯罪の再構成」はそのうちの一つだった。その後、チェ・ドンフン監督はいくつかのインタビューで「イ・ジョンジェと一緒に撮りたい」と意思表明し、ついに「10人の泥棒たち」で実現された。「10人の泥棒たち」での出会いは2人にとって素敵な思い出として残っている。チェ・ドンフン監督は観客動員数1000万人を記録したこの映画で名実ともに韓国最高の娯楽映画監督であることを証明し、イ・ジョンジェは貪欲、愛、裏切りが交じり合ったポパイのキャラクターを通じて観客の心を盗み、低迷期から抜け出した。イ・ジョンジェがシナリオも見ずに「暗殺」への出演を決めたのは、「10人の泥棒たち」で確認したチェ・ドンフン監督に対する信頼があったからだ。「暗殺」で2つの顔を持つ男ヨム・ソクジンに扮したイ・ジョンジェは、20代の青年から60代の年寄りまで約40年間のキャラクターの変化を見事に演じて好評を得ている。イ・ジョンジェの次回作は韓中合作映画「逆転の日」だ。彼の舞台はますます広がっている。

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  • 【PEOPLE】イ・ジュンギを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】イ・ジュンギを構成する5つのキーワード

    イ・ジュンギ韓服(韓国の伝統衣装)が最も似合う男。イ・ジュンギを見るたびに、彼の肩越しに朝鮮時代の風景が見える。映画「王の男」からMBC「夜を歩く士」まで、彼が多くの時代劇に出演しているからではない。それよりも、彼が自分の役を完璧に演じきったという証拠である。観客動員数1000万人を突破した映画「王の男」を通じてコンギル・シンドロームを巻き起こした時は、彼が今後も活躍を見せ続ける俳優になれるかどうか半信半疑だった。だがその後、イ・ジュンギはMBC「犬とオオカミの時間」で優れた演技を見せ、視聴者を確信させた。「犬とオオカミの時間」で強大なマニア層を獲得し、今も名作ドラマリストから外されることなく、取り上げられている。彼は自分の演技力で、ビジュアルが美しい俳優という偏見を破った。デビュー初期、イ・ジュンギは女性より美しいビジュアルで注目された。彼のビジュアルは「王の男」のコンギルに出会って魅力を増した。きれいなアゴのラインと鋭い目つきはややもすれば冷たい印象を与えるが、ビジュアルと違って彼は情に厚い人間だった。「他の俳優たちはインタビューオファーが来るとまず怖がり、多くの記者たちと同じような話を繰り返すのが大変だと言うらしいが、僕にはそれがまったく理解できない。むしろこのように多くの人々と会って話を交わす時間は寂しくないので好きだ」(2013年、「10asia」とのインタビューより)人とたくさん会って、寂しさに敏感な性格だからだろうか。彼の周りにはいつも良い人が絶えない。「王の男」イ・ジュンギという名前を知らせた作品。韓国人の5人のうち3人は見たという映画「王の男」は観客動員数1000万人を突破した。イ・ジュンギは「王の男」を通じてカム・ウソン、チョン・ジニョンという綺羅星のような俳優と肩を並べた。イ・ジュンギはコンギル役を手に入れるため、数十回のオーディションを受けなければならなかった。彼のこのような苦労に対する報償でもあるかのように、名前も知られていなかった新人は「王の男」を通じて一気にシンドロームまで巻き起こした。また、その年の映画祭の賞はすべて総なめにした。一躍スターとなったイ・ジュンギは結局スター病にかかってしまった。2013年、イ・ジュンギはSBS「ヒーリングキャンプ」に出演して自分のスター病について告白した。記者たちに無礼に接して、マネージャーがいないと一歩も外に出られなかったという。人気はイ・ジュンギを蝕んでしまった。結局、イ・ジュンギは親友から一発殴られることでスター病を克服し、再び演技に集中し始めた。イ・ジュンギは「王の男」を通じてそうやって天国と地獄を行き来しながら俳優として成長した。イ・ムンシクSBS「イルジメ【一枝梅】」でイ・ジュンギと親子役で共演した俳優。イ・ムンシクとイ・ジュンギは素晴らしいコンビネーションで親子の姿を描き、視聴者から大きく愛された。愉快なアドリブから切ない親子愛まで披露したイ・ムンシクとイ・ジュンギ。実は2人はこの作品より前に、映画「フライ・ダディ」で共演したことがあった。当時、イ・ムンシクは「演技において切磋琢磨したい」と言うほど、新人俳優イ・ジュンギに対する称賛を惜しまなかった。「イルジメ【一枝梅】」でイ・ジュンギはアドリブを繰り広げるイ・ムンシクの呼吸に合わせていった。そうやってイ・ムンシクはイ・ジュンギにとって最高の演技の師匠になった。老練な演技派俳優イ・ムンシクの呼吸についていくだけでも必死だったであろうイ・ジュンギは、そんな中でも自分の役を完璧に表現した。ユ・オソンKBS 2TV「朝鮮ガンマン」で対立構図のキャラクターで共演した俳優。ユ・オソンとイ・ジュンギはそれぞれ朝鮮最高の狙撃手チェ・ウォンシンと復讐を夢見るパク・ユンガン役を演じ、緊張感あふれる対立を見せてくれた。ドラマの撮影で2人は短い時間の中でも親しい仲に発展した。イ・ジュンギがSNSで公開したユ・オソンとの会話からも分かるように、2人は年の差を越えた気のおけない仲である。イ・ジュンギはユ・オソンをアジェ(おじさんの方言)と呼びながら友情を誇った。ドラマが終わった後、イ・ジュンギは一人でユ・オソンが出演する演劇を見に行くなど、変わらぬ親交を見せている。2人の演技派俳優の出会いは見る者の心も和ませた。「朝鮮ガンマン」での2人の好演は視聴者の脳裏に深く刻まれた。再び同じ作品で2人の姿を一緒に見られる日を期待したい。キム・ジョンドイ・ジュンギの所属事務所であるNAMOO ACTORSの代表。キム・ジョンド代表は昨年、KBS 2TV「1泊2日」にキム・ジュヒョクの友人として登場して注目を浴びた。キム・ジュヒョクはキム・ジョンド代表について10年以上を共にしている所属事務所の代表で、親のような兄さんと紹介した。キム・ジュヒョクの紹介からも分かるように、キム・ジョンド代表は所属事務所の俳優と家族のような関係を維持する。所属俳優であるイ・ジュンギも彼を兄さんと呼んで従う。個人SNSだけ見ても、イ・ジュンギとキム・ジョンド代表は単純な甲乙関係(上下関係)ではなく、深い友情を誇る特別な関係だ。イ・ジュンギは現所属事務所NAMOO ACTORSに移籍してからまだ1年ほどしか経っていない。だが、2人は昔からの知り合いだった。イ・ジュンギはキム・ジョンド代表に対する信頼だけでNAMOO ACTORSへの移籍を決めたと明らかにした。その後、イ・ジュンギは自分を理解してくれる代表に出会い、また新たな作品に出演しながら精力的な活動を繰り広げている。シン・ミナ除隊後の復帰作として選んだMBC「アラン使道伝」のヒロイン。当時、「アラン使道伝」はイ・ジュンギの復帰作として放送前から話題を集めていた。さらに前作SBS「僕の彼女は九尾狐<クミホ>」で人間ではなく、妖怪の役を演じて人気を集めたシン・ミナが、もう一度人外の役で登場し、さらに関心が寄せられた。「アラン使道伝」はKBS 2TV「優しい男」、SBS「花ざかりの君たちへ」など錚々たる作品の間で同時間帯視聴率2位を記録するなど、なかなかの成績を収めた。イ・ジュンギとしては成功的な復帰作となったわけだ。「アラン使道伝」によってイ・ジュンギは前作に続き、時代劇専門俳優というニックネームを得た。これはイ・ジュンギが自分の役割以上のことをやり遂げたという証拠だった。イ・ジュンギは劇中、母親役で登場する女優カン・ムンヨンと切ない親子愛を演じ、好評を博した。前作「イルジメ【一枝梅】」で見せてた父との親子愛に続き、母との親子愛まで渉猟して演技の幅を広げた。ナム・サンミイ・ジュンギの人生作に挙げられる「犬とオオカミの時間」で共演した女優。当時、イ・ジュンギと好演を繰り広げたナム・サンミは、その年の演技大賞で優秀賞を受賞し、演技力を認められた。その後、イ・ジュンギとKBS 2TV「朝鮮ガンマン」で6年ぶりに再会し、もう一度共演した。「朝鮮ガンマン」でイ・ジュンギとナム・サンミはベストカップル賞を受賞し、特別なケミ(相手との相性)を披露した。ドラマの中の愛が現実に繋がるのではないのかという心配もあったが、ナム・サンミは一般人との熱愛を公開し、翌年にゴールインした。ベストカップル賞を受賞しながらイ・ジュンギは「ナム・サンミが間もなく他の男と結婚する。僕に足りない部分があまりにも多いからだ」と冗談を言った。2作品で共演したナム・サンミとイ・ジュンギは共に成長しながら同性の友人に負けないほどの深い友情を築いた。ハ・イル(ロバート・ハリー)意外な人脈。ほとんどの人がイ・ジュンギとハ・イルが仲良しだという事実に首を傾げる。イ・ジュンギは中学校2年生の時からハ・イルのファンだった。ハ・イルの話によると、イ・ジュンギは弁護士とテレビ出演の2つの仕事をいずれも消化するハ・イルを偶像として考えていたという。イ・ジュンギはハ・イルに心を込めた手紙を送りながら気持ちを育ててきた。その後、イ・ジュンギは無計画にソウルに上京し、ハ・イルの元を訪れた。そうやって知り合った2人は、3ヶ月間一緒に暮らしながら深い友情を築いた。イ・ジュンギが俳優の夢を育てていた時、ハ・イルは隣で応援を惜しまなかった。2人はもう13年の友情を誇る。ハ・イルがテレビで「不細工だったあいつがこんなに上手くいくとは知らなかった」と冗談を言うほど、2人は深い友情を誇示する。イ・ユビ先日最終回を迎えた「夜を歩く士」の相手役。2人は朝鮮時代のヴァンパイアと男装女性のロマンスを描いた。12歳の年の差があるにもかかわらず、原作と高いシンクロ率を誇るルックスで最高のケミを見せている。「夜を歩く士」を通じて初めて主演を務めたイ・ユビは、先輩であり相手俳優であるイ・ジュンギに対して強い信頼を示した。制作発表会の時、イ・ユビは「未熟な部分が多いけれど、素晴らしい俳優の皆さんに助けてもらいながら撮影している」と話した。これを証明するかのように、時代劇初心者イ・ユビはベテランイ・ジュンギに出会って好演を繰り広げた。イ・ジュンギがイ・ユビの頼もしい先輩になったように、イ・ユビもいつか後輩を引っ張る良い女優になることを信じている。

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  • 【PEOPLE】4Minute キム・ヒョナを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】4Minute キム・ヒョナを構成する5つのキーワード

    4Minute キム・ヒョナ覇王色は尾田栄一郎による少年漫画「ONE PIECE」に登場する言葉だ。だが、いつからかキム・ヒョナの名前の前に付く修飾語になった。漫画の中では、すべての人を威圧して圧倒する力を示す。恐らくキム・ヒョナのセクシーさがすべての男性を制圧するという意味で誰かが付けたのが、この修飾語の始まりだと思う。キム・ヒョナはガールズグループWonder Girlsとしてデビューした後、4Minuteで再起を知らせ、現在はキム・ヒョナという名前だけでも強い力を持つ女性歌手として跳躍した。それに、否定的な意味である退廃という単語にも美をつけて、自分だけのスタイルに昇華させた。だが、ステージの下でキム・ヒョナは覇王色退廃美とはほど遠い。「華やかな場所はあまり好きじゃないし、外出もあまりしません。ステージの上の姿を見ると、まったく信じられないですよね?(笑)」(2015年8月24日掲載、「10asia」とのインタビューより)ステージの上と下の姿が180度違うキム・ヒョナがニューアルバムを出した。堂々と楽しく遊んでみてという「イケてるから(Roll Deep)」がそのタイトル曲だ。これで、彼女は自分だけのカラーと立場を確実に固めた。JYP歌手パク・ジニョンのイニシャルで、そんな彼が代表を務めるエンターテインメント会社の名前だ。キム・ヒョナはJYPエンターテインメント(JYP)でスタートした。パク・ジニョンは約6年間、慎重に準備してWonder Girlsというガールズグループをデビューさせた。その中心にいたのがキム・ヒョナだ。2007年にデビューしたキム・ヒョナは、パク・ジニョンの指揮の下で歌手としての第一歩を踏み出した。当時、彼女は16歳だった。Wonder Girlsキム・ヒョナのスタート点。2007年、まだ幼かったキム・ヒョナは野心に満ちて歌手生活を始めたが、健康上の理由で脱退という大きな決心をしなければならなかった。キム・ヒョナは後日、当時を思い浮かべながら「『Tell Me』で人気を得て、人々の関心が私に注がれた。まだ幼かった私は、その関心に負担を感じて、うつ病に悩まされた」と告白した。高い人気を集めてスポットライトを受けた誰よりも嬉しいはずの時間に対してキム・ヒョナは「悪いことを考えるほど大変だった時間」と表現し、「体重が38kgまで減った」と振り返った。そうやってキム・ヒョナはWonder Girlsから離れた。だが、依然としてWonder Girlsのメンバーたちと深い友情を交わし続けている。最近、イェウン、ユビン、ソンミ、ヘリムの4人組バンドで戻ってきたWonder Girlsのミュージックビデオを見たキム・ヒョナは、すぐにイェウンに電話をかけて「胸にじーんときた」と打ち明けた。バンドとして出てくるために熱心に準備する姿を近くで見守っていた彼女は、誰よりもWonder Girlsのカムバックを待っていた。ホン・スンソンCUBEエンターテインメントの会長。パク・ジニョンとJYPを導いた張本人でもある。JYP所属アーティストの父と呼ばれた彼は2008年、CUBEエンターテインメントを設立した。そして、多くの歌手を世に送り出した。キム・ヒョナの新たな挑戦もホン・スンソン会長の下で行われた。4Minuteキム・ヒョナが現在所属するガールズグループ。2009年にデビューした。キム・ヒョナはWonder Girlsの脱退以来、2年ぶりに新グループ4Minuteという名前で再び人々の前に立った。世間の関心を恐れた16歳の少女は、いつの間にか多くの人の視線を楽しめるようになった。4Minuteはリーダーのナム・ジヒョンを筆頭にホ・ガユン、チョン・ジユン、クォン・ソヒョンとキム・ヒョナがチームを組んで、「Hot Issue」で華やかにデビューした。その後、「HUH」「Muzik」「Volume Up」「今日何する?(Whatcha Doin' Today)」、そして最近の「Crazy」に至るまで様々な音楽的な試みを行ってきた。特に、最新曲「Crazy」ではカリスマ性と華やかな群舞で強烈な印象を残した。BEAST チャン・ヒョンスン男性アイドルグループBEASTのメンバー。キム・ヒョナとTrouble Makerというユニットで活動した。2011年に「Trouble Maker」という曲でステージに上がった2人は、大きな反響を巻き起こした。「これ以上セクシーなステージはない」というモットーを持ったかのように、2人は夢幻的で悩殺的なステージで見る人々の視線を引きつけた。キム・ヒョナとチャン・ヒョンスンはステージパフォーマンスとしてキスを試み、話題の中心にも立った。PSY(サイ)韓国を代表する歌手。そして「江南(カンナム)スタイル」で世界中の人から愛された、もはや国際歌手。B級情緒で観客を魅了する彼の人生のターニングポイントになった「江南スタイル」のミュージックビデオには、キム・ヒョナが登場する。2012年7月に公開された「江南スタイル」は、典型的なPSYの歌で、B級情緒を盛り込んだ曲だ。ミュージックビデオにもPSYの個性を十分アピールし、現在まで約24億回の再生回数を超えて独歩的な人気を謳歌している。ミュージックビデオに姿を現わしたという理由だけで、キム・ヒョナも海外で知名度を一気に引き上げた。「赤いです(Red)」キム・ヒョナの3rdソロアルバム「A Talk」のタイトル曲。セクシーで強烈なイメージを持ったレッド(Red)カラーを題材にしたこの曲は、セクシーな女性歌手キム・ヒョナのイメージを固めるきっかけになった。キム・ヒョナは当時、「赤いです」について自分のオーダーメード型曲と紹介し、その自信をステージの上で存分に見せてくれた。赤い口紅を塗ったキム・ヒョナは、ポイント振り付けであるモンキーダンスで多くの男性の心を虜にした。BTOB イルフン男性グループBTOBのメンバー。キム・ヒョナのニューアルバムのタイトル曲にフィーチャリング参加した。キム・ヒョナとは親しい先輩、後輩の関係だ。ラップの歌詞を自ら書いてくれたイルフンにキム・ヒョナが「一緒にやってみる?」と提案して、2人のコラボレーションが実現した。キム・ヒョナはイルフンへの感謝の気持ちを自身のSNSを通じて表現した。「イケてるから」8月21日に発表されたキム・ヒョナの新曲。4thミニアルバム「A+」のタイトル曲であり、タイトルからして強烈だ。キム・ヒョナは「作曲家たちが『ヒョナはどうしてそうなの?』『イケてるから~』という内容の会話をしたのがきっかけで作られた曲」と紹介した。

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  • 【PEOPLE】SISTARを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】SISTARを構成する5つのキーワード

    SISTAR「夏はSISTARのもの、夏と言えばSISTARという言葉に釘を差したい」(SISTAR「SHAKE IT」ショーケースで) SISTARの夏の不敗公式が完成した。SISTARは新曲「SHAKE IT」で10つの音楽配信チャートを総なめにした。デビュー曲「Push Push」から「SHAKE IT」まで10曲連続のヒットである。アルバムをリリースするたびに毎回1位を記録しているSISTARだが、彼女たちは夏により強力な力を発揮した。「Loving U」「Give It To Me」「TOUCH MY BODY」「I Swear」などが大衆的に愛され、国民的なガールズグループの可能性も示した。これからは「夏だからアイス○○」という有名なCMソングを「夏だからSISTARの歌」と変えて歌いたい。勇敢な兄弟SISTARのデビュー曲「Push Push」から「Shady Girl」「How Dare You」「So Cool」「私一人」「Ma Boy」「いた人がいなくなると」まで共に作業したプロデューサー。SISTARのデビュー初期のグループのカラーと人気の足がかりを作ってくれたヒットメーカーの一人だ。勇敢な兄弟はSISTARの「私一人」のショーケースステージにも登場し、心強い応援に乗り出した。当時、勇敢な兄弟はSISTARについて「SISTARは初めて見た時から実力が優れていて可能性が無限大なメンバーたちだった」と称賛を惜しまなかった。勇敢な兄弟特有の繰り返されるフックと軽快なビートがSISTARと調和を成し、SISTARを大衆的なグループに作りあげた。イダンヨプチャギ(二段横蹴り)勇敢な兄弟の後にSISTARが出会った2人目のヒットメーカーだ。「Loving U」(2012)、「Give It To Me」(2013)、「I Swear」(2014)、そして「SHAKE IT」(2015)まで、SISTARはイダンヨプチャギに出会って毎年夏にヒット曲の歴史を刻んだ。勇敢な兄弟がSISTARの最初のカラーを作ったプロデューサーだとしたら、イダンヨプチャギはSISTARを夏の代表ガールズグループに完成させた。もちろん、SISTARは勇敢な兄弟やイダンヨプチャギの曲だけ選んで作業するのではなく、毎回様々な作曲家と作業を試みている。昨年、「TOUCH MY BODY」はブラック・アイド・ピルスン(必勝)の曲だった。それはより良い歌、SISTARにより似合う歌をリリースするための努力の一環である。そんな点で「Loving U」から「SHAKE IT」まで順番に聞いてみると、SISTAR特有の健康なカラーを維持しながら徐々にグレードアップされるSISTARの力量を感じることができる。イダンヨプチャギとSISTARの出会いは徐々に進化している。「How Dare You」SISTARの初の音楽番組1位の曲で、初めて音楽配信チャートを総なめにした曲。SISTARは2010年12月17日、KBS 2TV「ミュージックバンク」でシングル「How Dare You」で初の1位を獲得した。同年6月にデビューしたSISTARは6ヶ月で1位を記録し、スターの誕生を予感させた。SISTARは音楽番組1位のほかにも「第25回ゴールデンディスクアワード」「第20回ソウル歌謡大賞」など様々な授賞式で新人賞を総なめにし、スーパールーキーであることを証明した。「How Dare You」の前のSISTARは自信に満ちた感じの「Push Push」とキュートな魅力の「Shady Girl」で相反する魅力をアピールする活動を繰り広げた。その結果、SISTARは自分たちの本当の魅力は元気で健康な姿であることを見つけ、「How Dare You」で戻ってきた。自分たちの魅力を看破したSISTARは「How Dare You」以来、音楽配信チャートと音楽番組1位を一度も逃したことがない。K.willSISTARの所属事務所であるSTARSHIPエンターテインメントの先輩歌手で、元祖・音源強者。2007年にデビューしたK.willは、「胸がときめく」「こんなことしないで(Please don't)」「Love Blossom」「今日から1日」など新曲を発表するたびに音楽配信チャート1位を獲得する実力派ボーカリストだ。巧みな話術と優れた歌唱力を持つK.willは、SISTARを様々な方法で応援した。SISTARのマスコミショーケースでMCを務め、気楽な雰囲気を作ったり、バラエティ番組でSISTARを言及して格別な愛情を見せた。SISTARとK.willはSTARSHIP PLANETのアルバムで呼吸を合わせ、お互いの歌を再解釈して歌う支援も惜しまなかった。最近、ヒョリンとソユは4月にK.willの「Growing」を再解釈し、K.willはジュヨンと共にSISTARの「SHAKE IT」をR&Bでカバーした。実力があって知名度も高い所属歌手を活用した所属事務所の賢いウィンウィン(win-win)戦略である。SISTARとK.willは存在だけでお互いに心強いだろう。ジョンギゴSTARSHIPエンターテインメントの独立レーベルであるSTARSHIP-Xの所属歌手。STARSHIPエンターテインメントはSTARSHIP-Xを通じてジョンギゴ、Mad Clown、ジュヨンなどを次々と抜擢し、音楽の底辺を拡大させた。Mad Clownとソユの「Stupid in Love」、ジョンギゴとソユの「Some」、ジョンギゴとBeenzinoの「Want U」、ソユとUrban Zakapa パク・ヨンイン、クォン・スンイルの「隙」など、STARSHIP-Xプロジェクトを通じて様々なコラボレーションを試み、音楽界のコラボブームを主導した。そのうち、ジョンギゴはソユと共に「Some」でメガヒットを記録し、2014年の国民のSome男(付き合う前の状態の男)になった。ジョンギゴは特有のソフトな音色とすらりとした身長が和やかな雰囲気を醸し出している。ソユは「Some」以前にもコラボ成功率100%で実力を知らせたが、「Some」で自身の存在感をはっきりと知らせ、さらに一段階グレードアップするきっかけになった。また、ジョンギゴはSTARSHIPエンターテインメント所属アーティストの各ショーケースにMCとして乗り出し、心強い支援軍になっている。SISTAR19ヒョリンとボラで構成されたSISTARのユニット。2010年、デビューに成功したSISTARは、翌年5月にユニットグループSISTAR19を出撃した。メインボーカルとして早くから実力を認められたヒョリンと、ビジュアルとラッパーで顔を知らせたボラがSISTARのツートップになって相乗効果を発揮した。SISTAR19のデビュー曲である「Ma Boy」はウェーブダンスを流行らせ、SISTARのセクシー美を最大化させた。SISTARがデニムのショートパンツとタンクトップだけを着て撮影した振り付け映像が音楽番組のステージより有名であるほどだ。一般的にユニット活動はファン層がきちんと形成されたり、ユニークなコンセプトという自信がないと試みることが難しい。だが、SISTARはSISTAR19で再度自分たちの可能性を証明し、SISTAR19は2013年に発表した2ndアルバムのタイトル曲「いた人がいなくなると」で音楽番組のトロフィーを11個も手にした。SISTARというグループの他にも、ヒョリンとボラの個人的な魅力までアピールできた。「SISTAR's SHOWTIME」MBC every1で2015年1月と2月に放送されたSISTARの初の公式リアリティ番組。メンバー全員が初めて一緒に出演したリアリティ番組だ。SISTARはこの番組でヒョリンとダソムの家を初公開し、ソユとボラは実際に通っているPTセンターで運動する姿を公開した。SISTARのメンバー4人が一緒に食事したり、遊びながら交わす会話も笑いのポイントである。虚飾がなく、気さくな魅力を誇るSISTARに魅了される番組になった。SISTARが「SHOWTIME」シーズン4の主人公に抜擢された理由は、10代から50代まで魅了する大衆的な魅力だ。デビュー6年目になったSISTARは「SISTAR's SHOWTIME」で大衆的な知名度を得られた秘訣とともに、チームワークやメンバーそれぞれの魅力まで披露することができた。

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  • 【PEOPLE】キム・スヒョンを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】キム・スヒョンを構成する5つのキーワード

    キム・スヒョン時には素敵な宇宙人に、時には北朝鮮工作員に扮して八色鳥(八つの色を持っている鳥、多彩な魅力の例え)のような魅力をアピールする俳優キム・スヒョン。2007年、MBCシットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「キムチ・チーズ・スマイル」でデビューした彼は、パーマをかけた愉快ないたずらっ子だった。残念ながらデビュー作は成績が低迷して視聴者に強い印象を残せなかったキム・スヒョンは、そこそこな人気を集める俳優として残ると思った。それから2年後、彼は変わった姿で帰ってきた。SBS「クリスマスに雪は降るの?」で彼はコ・スの子役として出演し、一層深まった眼差しと視聴者を没頭させる感情演技を披露した。キム・スヒョンは大人であるにも関わらず、無理なく子役を演じた。その後、キム・スヒョンはついにKBS 2TV「ドリームハイ」で主演を務めた。明るい面と暗い面を行き来する演技力を披露し、視聴者にしっかりと強い印象を残した。その後、映画やドラマを連続で成功させ、SBS「星から来たあなた」ではハンサムな宇宙人ト・ミンジュンに扮してグローバルスターとして位置づけられた。IUKBS 2TV「プロデューサー」で共演中の女優。IU(アイユー)とキム・スヒョンはそれぞれトップスターのシンディと新米プロデューサーのペク・スンチャンに扮し、甘い呼吸を披露している。2人の共演は4年前に遡り、「ドリームハイ」から始まった。大ヒットした「ドリームハイ」のおかげで、「プロデューサー」は放送前から2人の再会で話題を集めた。当時、2人は歌手志望生のキム・ピルスク(IU)とソン・サムドン(キム・スヒョン)を演じた。そして、IUは2PMのウヨンと、キム・スヒョンはmiss Aのスジとそれぞれ恋愛模様を描いた。その時、演じられなかったロマンスが「プロデューサー」で展開された。当時、注目される新人だった2人は「Good Day」という歌を通じて国民の妹に、「星から来たあなた」を通じてアジアのスターになって再会した。「ドリームハイ」視聴者にキム・スヒョンという存在を印象付けたドラマ。「ドリームハイ」は芸能芸術高校を舞台に、スターになるために努力するスター志望生の姿を描いた。「ドリームハイ」は国民の初恋のスジとIU、キム・スヒョンなど多くのスターを輩出した。キム・スヒョンは「ドリームハイ」を通じて初の主演を務め、特別な演技力を披露して視聴者に強い印象を与えた。歌手志望生のソン・サムドン役を演じたキム・スヒョンは演技力だけでなく、優れた歌の実力も披露した。キム・スヒョンはキャスティングされた時から一緒に出演した歌手パク・ジニョンのJYPエンターテインメントで練習生のトレーニングを受け、歌手志望生のソン・サムドン役に完璧な変身を図った。明るい姿のソン・サムドンとは違って、ドラマの後半からは事故で聴覚を失って暗い姿に変身し、正反対の魅力までアピールした。キム・スヒョンは「ドリームハイ」を通じて八色鳥のような魅力を暗示した。チョン・ジヒョンアジアを騒がせた「星から来たあなた」の主役たち。チョン・ジヒョンとキム・スヒョンは「星から来たあなた」を通じていわゆるチョン・ソンイシンドロームト・ミンジュンシンドロームまで巻き起こした。ドラマに先立ち、2人は2012年に映画「10人の泥棒たち」で呼吸を合わせた。当時、年上女子×年下男子のロマンスを披露して話題のキスシーンまで残した2人は1年後、ドラマで再会した。チョン・ジヒョンは傍若無人なトップスターのチョン・ソンイ役に扮して熱演を繰り広げた。チョン・ジヒョンは普段見れなかった白痴美まで披露し、チョン・ソンイに完璧な変身を図った。チョン・ジヒョンは「星から来たあなた」を通じてその年の「SBS演技大賞」で大賞を獲得した。そして、相手俳優のキム・スヒョンに「(キム・スヒョン)あなたのおかげで、本当にありがとう」と感謝の挨拶を伝えた。ト・ミンジュン他の星から来たハンサムな宇宙人。チョン・ソンイシンドロームに匹敵するト・ミンジュンシンドロームを巻き起こした。404年前に地球に落ちて今まで寂しく生きてきたト・ミンジュン。キム・スヒョンはドラマの序盤、人間の感情を理解できない宇宙人に変身し、節制された感情演技を見せてくれた。そして、キム・スヒョンはチョン・ソンイに出会い、愛を学びながら徐々に変わっていくト・ミンジュンの姿を演じた。キム・スヒョンは宇宙人という荒唐無稽な設定にも関わらず、優れた演技力でト・ミンジュンを女性たちの理想のタイプに作り上げた。「星から来たあなた」はファンタジーロマンスジャンルに一線を画し、韓国を越えてアジアでも熱い人気を博した。キム・スヒョンは「星から来たあなた」のト・ミンジュン役を通じてアジアのスターに浮上した。チェ・グォンキム・スヒョンのデビュー作品で共演した愉快なコンビ。キム・スヒョンのデビュー作である2007年のMBCシットコム「キムチ・チーズ・スマイル」で初めて会った2人は、2015年のKBS 2TV「プロデューサー」を通じて再会した。視聴者にはまだ聞きなれていない名前だが、チェ・グォンはデビュー10年目の俳優だ。チェ・グォンは多くの作品に出演し、個性あふれる助役を担当した。「キムチ・チーズ・スマイル」でもキム・スヒョンと一緒にコミカルな演技を見せ、愉快なコンビとして活躍した。デビュー作で共演したチェ・グォンに対するキム・スヒョンの愛情は格別だった。キム・スヒョンは過去の某マスコミとのインタビューで「チェ・グォンは僕が知っている人の中で最も熱心に頑張る人」と話し、「今までもチェ・グォンの情熱は僕にとって刺激になっている」と紹介した。特別な友情を誇示してきた2人であるため、「プロデューサー」を通じた再会も注目を集めた。ヨ・ジング中低音の声のトーンが似た兄弟のような2人。ヨ・ジングとキム・スヒョンの友情はSBS「ジャイアント」から始まった。2人とも主人公の子役として出演し、兄弟の切ない別れを描いた。そして、2012年のMBC「太陽を抱く月」ではキム・スヒョンの子役としてヨ・ジングが出演した。2人は劇中の王であるイ・フォン役としてそれぞれ違う魅力をアピールした。当時、ヨ・ジングは子役と思えないほど切ない感情演技を見事に披露し、ドラマの人気をリードした。キム・スヒョンはヨ・ジングに続き、切ない涙の演技と王の威厳が際立つカリスマ性の演技でバトンタッチに成功した。その後、2人はそれぞれの位置でお互いに応援を送りながら変わらない友情を誇示している。シン・セギョンキム・スヒョンと親しい大学の同期。中央(チュンアン)大学の演劇映画学科の同期である2人は有名な親友だ。キム・スヒョンが4浪したので年の差はあるが、2人は大学の同期だ。「女と男は友達になれない」という俗説をあざ笑うかのように、率直な友情を見せている。シン・セギョンはかつてある番組で「演技の練習に集中するため、変な表情や声で満ちた演劇映画学科の授業ではお互いのことを異性として感じにくい」とキム・スヒョンが異性として見えない理由について説明した。その後、2人の初々しい大学時代の写真が公開され、注目を集めた。大学の同期だった2人は現在、立派な役者として猛烈な活躍を繰り広げている。

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  • 【PEOPLE】BIGBANGを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】BIGBANGを構成する5つのキーワード

    BIGBANG「マイケル・ジャクソンはあるアルバムを通じて『自然を愛してみよう』というメッセージを盛り込んだ。偉大なアーティストたちは素晴らしいメッセージを盛り込むことができる。僕たちも年輪を重ねて成熟した時にそのようなメッセージを伝えることはできるかもしれないが、韓国や今後音楽を始める人たち、世代に影響を与え、より良い文化に発展させることができることが一番やりがいを感じると思う。常にクオリティに神経を使い、どうすればより進化できるのか悩んでいる」(G-RAGON、10asiaとのインタビューで)BIGBANGが3年ぶりに完全体でカムバックした。BIGBANGは1日にリリースされた「M」をはじめ、毎月「M」「A」「D」「E」というプロジェクトシングルをリリースし、9月1日には発表曲をすべて集めたフルアルバム「MADE」を公開する予定だ。公開と同時に新曲「LOSER」と「BAE BAE」は韓国の10の音楽配信チャートで1、2位を総なめにし、iTunesの10ヶ国のチャートでも1位を記録した。特にポップの本場であるアメリカでは37位まで記録するなど、グローバルなBIGBANGのパワーを証明した。公開されて15日が経った今でも(5月15日時点)BIGBANGの「LOSER」は1位を維持しながら強勢を見せている。9月まで地道に新曲を発表し、BIGBANGは歌謡界に新たなブームを巻き起こすと見られている。ヤン・ヒョンソクBIGBANGの所属事務所YG ENTERTAINMENTの首長。まさに彼がBIGBANGの父だ。ソテジワアイドゥル(ソ・テジと子供たち)出身で、Jinuseanをはじめ、フィソン、GUMMY、SE7EN、BIGMAMA、BIGBANG、2NE1、WINNER、イ・ハイ、楽童ミュージシャン、iKONなどをデビューさせた歌謡界で最高の眼目を持っている。それだけではなく、PSY(サイ)をワールドスターに育て、EPIK HIGHの再起にも一助した。ヤン・ヒョンソクが歌謡界のミダスの手に跳躍するにはBIGBANGの役割が大きかった。13歳のG-DRAGONとSOLを発掘し、BIGBANGのすべてを共にしてきた。ヤン・ヒョンソクは最近10asiaとの取材で「BIGBANGとこれからも長く付き合っていきたい」とBIGBANGへの無限の愛情を示した。TEDDYYG ENTERTAINMENTを代表するプロデューサー。ヒップホップグループ1TYM出身だ。1TYMの2ndアルバムから作曲をはじめ、SE7ENの「情熱」「ラララ」、オム・ジョンファの「D.I.S.C.O」、2NE1の「FIRE」「I DON'T CARE」「GO AWAY」「LONELY」「I AM THE BEST」など、YG歌手たちのヒット曲を作った。TEDDYは特にBIGBANGとの縁が深い。BIGBANGの「FANTASTIC BABY」「LOLLIPOP」をはじめ、SOLの「Look At Only Me」「Wedding Dress」、GD&TOPの「HIGH HIGH」「OH YEAH」、そして今回の新曲「LOSER」「BAE BAE」までほとんどの曲を共に手がけた。G-DRAGONも「TEDDY兄さんと一番気が合う。一番信頼できて、僕たちの強みを一番上手く生かしてくれる」とTEDDYとの相性を話してくれた。これほど素晴らしいヒット曲の所有者であるだけにTEDDYの著作権料は一年で9億ウォン(約9900万円)であることが知らされた。TEDDYは現在女優ハン・イェスルと愛を育んでいる。2NE1BIGBANGと同じ所属事務所のガールズグループ。CL、BOM、DARA、MINZYで構成され、2009年度にデビューした。デビュー当時女性版BIGBANGという修飾語があった。パワフルな振り付けと堂々とした魅力で韓国と日本はもちろん世界的に人気を博している。女性版BIGBANGと言われただけに2NE1はBIGBANGとのコラボで「LOLLIPOP」を歌い成功的なデビューを果たした。デビューを控えてBOMは「We Belong Together」をフィーチャリングし、独特な音色を知らせた。トップクラスのガールズグループに成長した2NE1は昨年、「COME BACK HOME」をリリースした後、現在は個別活動を行っている。特に、CLはPSYのアメリカデビューを成功させた制作者スクーター・ブラウンのSB PROJECTSと契約を締結し、本格的なアメリカデビューを準備している。「LIES」2007年に発売されたBIGBANGの1stミニアルバム「Always」のタイトル曲。今のBIGBANGを作ってくれた曲と言っても過言ではない。この曲はもともとG-DRAGONのソロ曲として直接作詞、作曲した曲だが、ヤン・ヒョンソク代表の積極的な推薦でBIGBANGのタイトル曲となったと伝われている。BIGBANGはこの曲を通じて2007年「MKMF」で今年の歌賞、男性グループ賞、編曲賞を受賞し、「ゴールデンディスクアワード」で本賞を受賞した。BIGBANGは「LIES」ではじまり、弾みをつけ、その後に発表するすべての曲がヒット曲となり、坦々たる大路が開いた。ユ・ジェソク国民的MCという修飾語を持つ放送人。1991年にデビューし、礼儀正しいイメージで多く愛されている。現在、ユ・ジェソクはMBC「無限に挑戦」、KBS 2TVバラエティ番組「ハッピートゥゲザー3」、SBS「ランニングマン」、「同床異夢、大丈夫大丈夫!」の進行を務めている。ユ・ジェソクとBIGBANGの縁も深い。BIGBANGはデビュー以降、初めてメンバー全員がKBSのバラエティ番組に出演することを決めた。その番組がまさにユ・ジェソクがMCを務めている「ハッピートゥゲザー3」だ。BIGBANGのメンバーたちはめったにバラエティ番組に出演しておらず、KBSのバラエティに完全体のBIGBANGが出演するため、より深い意味を持っている。これに先立ち、ユ・ジェソクは「ファミリーがやってきた」でD-LITEと共演し、「無限に挑戦」にはG-DRAGONが2度も歌謡祭に参加し、バラエティ番組で呼吸を合わせた。VIPBIGBANGのファンクラブ。最近、公式ファンクラブ5期を募集した。完全体のBIGBANGの3年ぶりのカムバックが一番嬉しいのはVIPだろう。完全体のBIGBANGは韓国活動が多くないため、VIPは寂しい気持ちを表してはいたが、常にBIGBANGの後ろで黙々と彼らを応援しながら待った。VIPのそのような気持ちと応援をBIGBANGもよく知っているはずだ。BIGBANGはSBS「人気歌謡」で1位を獲得した瞬間、VIPに何度も感謝の気持ちを強調した。G-DRAGONは涙を浮かべる姿まで見せた。特にT.O.Pは映画撮影の間、コミニケーションがなかなか取れなかったファンのためにInstagram(写真共有SNS)のアカウントを開設し、多くの写真をアップすることで、ファンへの愛情を示した。長い間、VIPが待ってくれただけにBIGBANGは5月から8月に渡り、毎月新曲をリリースし、9月にはフルアルバムをリリースする予定だ。

    10Asia
  • 【PEOPLE】神話(SHINHWA)を構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】神話(SHINHWA)を構成する5つのキーワード

    神話(SHINHWA)韓国最長寿アイドルの代わりに歴史を書くアイドルという修飾語はどうだろう?先月26日、12thフルアルバム「WE」をリリースした神話は、タイトル曲「標的(Sniper)」で歴史を変えた。神話が一歩一歩歩んできた道が最初である状況で神話は「標的(Sniper)」で音楽番組で10冠を獲得し、神話自体の最高記録まで更新した。歴史を書いていると同時に最高という記録まで達成した、まさに神話のような存在の神話だ。イ・スマン神話の創始者。神話をデビューさせたSMエンターテインメントの代表であり、神話をはじめ、H.O.T.、東方神起、S.E.S.、少女時代、SHINee、EXOなど、韓国内外で人気を博しているトップクラスのアイドルグループを誕生させたミダスの手でもある。イ・スマンに対する話が書かれている「イ・スマンの評伝」によると、神話は1stアルバム「ヘギョルサ(解決者)」が失敗した以後、IMFでアルバム市場が直撃された状況で鶏肋のような存在だと表現した。2ndアルバム「T.O.P(Twinkling Of Paradise)」を準備していた神話のことを、「6人の若者たちがこのような状況に気にもせず、一度の敗北に落ち込むわけにはいけないと、歯を食いしばりダンスと歌の練習に励んだ」と書いてある。神話は2ndアルバム「T.O.P(Twinkling Of Paradise)」で初の音楽番組1位を獲得し、本格的に神話を書き始めた。「Brand New」神話の7thアルバムのタイトル曲。神話は「Brand New」で「第15回ソウル歌謡大賞」と「SBS歌謡大祭典」で大賞を受賞し、デビュー7年目で初の大賞を受賞した。これは神話がSMエンターテインメントを離れて新しい所属事務所でリリースした初アルバムで成し遂げた快挙だった。神話は2003年にSMエンターテインメントを離れ、Goodエンターテインメントと新たに契約し、グループの重要なターニングポイントを迎えた。「Brand New」で大賞の栄光を手に入れ、最長寿アイドルとして生まれ変わるための基礎を築いた。「Brand New」はメンバーたちの個別パフォーマンスと勇壮なメロディが印象的で、神話が格別に愛着を持っている曲だ。神話は今回のタイトル曲「標的(Sniper)」が2015年版「Brand New」と言っている。作曲家であるパク・グンテは10asiaとのインタビューで「『Brand New』では男性的な面とセクシーなイメージをどう共存させるのかを悩んだ。曲のテーマが決まった後、メロディを作るのに10分もかからなかった」と曲のビハインドストーリーを明かした。「Brand New」は神話の男性美とセクシーさが盛り込まれている曲だ。「Wild Eyes」4thフルアルバム「Hey Come on」の後続曲であり、椅子パフォーマンスの神話を書いた曲。椅子を活用した男性的なパフォーマンスが印象的で、数多くの後輩歌手がカバーした曲でもある。神話もこの曲に格別な愛着を持っている。「標的(Sniper)」とともに音楽番組のカムバックステージで披露する「Alright」のパフォーマンスについて、2015年版「Wild Eyes」だと表現した。さらに、神話のミヌは22日に開催された17周年記念コンサートで「椅子パフォーマンスは神話だけができるよう商標登録しなければならないのかな?」とパフォーマンスに対するプライドを表した。「I Pray 4 U」神話の5thフルアルバム「Perfect Man」の後続曲。これまでの神話のイメージを拡張させた曲だ。神話はアルバムをリリースするたびに男性美溢れるパフォーマンスを披露した。「I Pray 4 U」を通じて優しくて甘いイメージを前面に出し、神話のまた違う魅力をアピールした。特にこの曲はミュージックビデオとボーカルでミヌの魅力が一番発揮された曲でもある。有名作詞家であるキム・イナはウェブマガジン「アイドロジー」を通じて、「神話が歌った情緒性を強調したバラード曲だったのでさらに新鮮だった。ミヌというボーカルがこんなに甘い歌声を持っていたのを初めて知った曲だ」と推薦してくれた。ミュージックビデオで枕に顔を当てて優しく微笑んでいるミヌの姿を見たら、元祖シムクンナム(胸をキュンとさせる男性)であることを確認することができる。神話放送JTBCで放送された神話のリアルバラエティ番組。神話が4年間の空白を破り、10thフルアルバムで戻ってきた時、神話の単独バラエティ「神話放送」がスタートし、神話だけの魅力を積極的に知らせた。放送初期はSFチャンネル、スポーツチャンネル、時代劇チャンネルなど、「神話放送」というタイトルに合わせて色んなジャンルがバラエティに生まれ変わった。その後、「隠密な課外教室」を通じて悪役演技、飲み会、料理の実力をテーマにしてゲストの家に訪問して料理もした。放送終了直前まで「小さな神話」というテーマで優しいバラエティを披露した。神話は「神話放送」で特有の愉快な魅力でタレント性を披露し、4年という空白期間を埋めた。神話は最近のインタビューで「『神話放送』でデビューしたアイドルだと思う人もいた」と笑いながら番組の力を伝えた。チェ・ヨンジュンダンスグループ神話の心強い振付師。現在、ソウル芸術専門学校の実用舞踊学科の教授として在職しているチェ・ヨンジュンは神話をはじめAilee、防弾少年団、CROSS GENEなど、数多くのアイドル歌手と協業して振り付けを作り、トレーニングをしてきた振付師だ。神話の11thフルアルバムのタイトル曲「This Love」と収録曲「Scar Face」「Mannequin」の振り付けを作る時にも参加した。ミヌのソロ10周年記念アルバム「TAXI」と「Kiss it away」も一緒に作った。「標的(Sniper)」のパフォーマンスもミヌとチェ・ヨンジュンの合作品だ。ミヌはインタビューで「ヨンジュンはヴォーギング(Vogueing)ダンスの動作を作った才能溢れる振付師だ。二人で何も決まってない状況で『標的(Sniper)』に合わせて即興で踊った。2~3回踊った後、彼が『ありがとう、なんとなく分かりそうだ』と言った」とチェ・ヨンジュンについて紹介した。神話創造神話が神話を創造できるように作った仲間たち、ファンクラブだ。神話は常にあらゆるところで神話創造について話している。最近開催された17周年記念コンサートは神話創造に対する神話の愛を感じることができた場所だった。神話のミヌはコンサートで「最長寿アイドルの神話だ。皆様は最長寿ファンクラブだ。その名は神話創造。生まれ変わっても皆様に会いたいし、神話のメンバーたちにも会いたい。神話として生まれてきたことに本当に感謝している。皆様と共にできて本当に嬉しい。皆様は僕たちの大きな力であり、大きな原動力だ。感謝している」と伝えた。神話がいたから神話創造がいて、神話創造がいたから今の神話がいるのだ。共に歴史を作る運命の伴侶だ。

    10Asia
  • 【PEOPLE】シン・ヘチョルを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】シン・ヘチョルを構成する5つのキーワード

    シン・ヘチョル「振り返ってみると私には音楽がそのようなものだった。今になってそう思う。死ぬ瞬間に『僕は音楽にすべてを捧げた』と言えるだろう。今は」(2014年7月7日、10asiaとのインタビューで)まだ実感が湧かない。誰も予想しなかった死だった。虚しかった。その虚しさよりも大きな怒りが込み上げた。彼は命を落としてまで私たちに大きな響きを残し、今でもなお残している。彼のように歌い、彼のように話す人は今までにいなかった。彼と同じ時代を生きたことは祝福であり、彼のラジオを聞きながらくすくす笑っていたことは思い出となった。彼が残した音楽と逸話、そして色んなお話はこれからもずっと私たちのそばに残って、人生の座標になるだろう。シン・ヘチョルの不意の事故でこの世を去って49日が過ぎた。キム・テウォンヘヴィメタルキッズだったシン・ヘチョルは、ギタリストを夢見ていた。1986年、シナウィ、プファル(復活)、白頭山(ペクドゥサン)、H2Oなどがヘヴィメタルの第1世代バンドとしてパゴダ劇場を中心に人気を得ていた当時、シン・ヘチョルはキム・テウォンのギターを運びならがらチューニングし、時間があるたびにギターを学んだ。ソン・ムヒョン、オ・テホ、シン・ユンチョルなど、同年代のギタリストたちがヘヴィメタルの立地を固めた時、シン・ヘチョルは遅れをとっていた。結局、シン・ヘチョルはヘヴィメタルバンドたちがアマチュアの歌謡祭と思っていた大学歌謡祭に出て、大賞を受賞する姿をプファルのキム・テウォンがビリヤード場でテレビで見ていた。キム・テウォンはシン・ヘチョルの受賞を快く祝ってくれたという。シン・ヘチョルは死ぬ前にキム・テウォンとの共同作業を考えていた。シン・ヘチョルとキム・テウォンが共に作るアルバムは、果たしてどんなアルバムになったのだろうか?N.EX.Tシン・ヘチョルは音楽的にも大衆的に韓国で最も成功したロックスターであり、彼のバンドN.EX.Tは今のアイドルグループ以上に人気を博していた。ロックバンドとして前代未聞の人気を得たN.EX.Tは90年代当時、他のグループには考えられない資金をアルバムとコンサートにつぎ込んだ。ロックバンドたちの理想は高いが音楽的に具現はできず、また音楽的に完成度は高いが、ファンが多くなかった時のシン・ヘチョルはN.EX.Tを通じてこのすべての苦難を乗り越え、新たな世界を見せたのだ。12月27日にソウル城北(ソンプク)区安岩洞(アンアムドン)にある高麗(コリョ)大学の和汀(ファジョン)体育館にて開催されるN.EX.Tのコンサートには元メンバーであるギタリストのチョン・ギソンとN.EX.Tの全盛期をリードしたドラマーイ・スヨン、そしてべーシストのJADE(本名:パク・ジョンデ)、キーボードのキム・グホなど、N.EX.Tの1~7期のメンバーたちが共にし、故人の意思を受け継ぎ魂を称えた。 LOUDNESS 日本のロック界を代表する伝説的なヘヴィメタルバンドで米国ビルボードのアルバムチャートにランクインするなど、世界各国に熱狂的ファンを抱えている。シン・ヘチョルもLOUDNESSのファンとして大きな愛情を示した。2005年、LOUDNESSの来韓公演の際、シン・ヘチョルがゲストとして出演し、彼らの縁が始まった。2010年には共に韓国放送に出演し、当時LOUDNESSの出国の際、シン・ヘチョルが自ら運転して空港に行き、彼らを見送った。シン・ヘチョルとLOUDNESSのメンバーたちは兄弟のように深い信頼関係を築き、訃報に衝撃を受けたLOUDNESSのギターリスト高崎晃氏は涙を流したという。高崎氏は自身の名前で葬儀に花輪を送り「シン・ヘチョル氏のロックスピリットは忘れられません。永久不滅です」と哀悼のメッセージを届けた。ソ・テジ 90年代の音楽界の進歩とメッセージをシン・ヘチョルと共にしたミュージシャン。また、二人は親戚関係でもある。90年代の若者たちはシン・ヘチョルとソ・テジの音楽と歌詞で討論を行い、学校の文集に深刻な文章を書いたりした。その時はそうだった。「彼は音楽人として私に大きな山のような存在でした。純粋な魂と真実で私たちを悟らせた本物のミュージシャンでした。何も言わなくても、静かにそばに寄り添って肩を叩いてくれた心温かい兄さんでした。多くの方々がシン・ヘチョルという大きな名前を、そして私たちの青春時代にたくさんの思い出と美しい音楽を残してくれた彼の素晴らしい名前をこれからもずっと忘れないと思います」というソ・テジの追悼文は、シン・ヘチョルを愛したすべての人に当てはまる話だった。ユ・ヒヨルユ・ヒヨルが大衆に知られ始めたのは、シン・ヘチョルが深夜に進行していた番組であるMBC FM4U「FM音楽都市」にレギュラーとして出演してからだ。当時、ユ・ヒヨルは才気溢れる話術と音楽の知識で愛聴者たちを魅了し、シン・ヘチョルの後任として1997年10月から2001年3月まで「FM音楽都市」のMCを務めた。当時、スター級の芸能人たちがラジオDJを務めることが慣行だったことから見た時、ユ・ヒヨルがDJを務めることは少し破格的なことだったが、彼はシン・ヘチョルが推薦したおかげだった。当時2人は「Here I Stand For You」で「ヒヨル、僕、君のおかげで立てたよ」という冗談を言っていたという。tvN「SNL KOREA」でシン・ヘチョルが妻に愛嬌を振り撒いたら、ユ・ヒヨルはシン・ヘチョルにビンタをした。これは、台本になかったアドリブだった。放送前にシン・ヘチョルはユ・ヒヨルに「僕、イメージが壊れてもいいから楽しくやろう」と先に話してくれた。ユ・ヒヨルはシン・ヘチョル兄さんのカムバックを後押しするために大胆にビンタをしたのだ。ユン・サン1996年にシン・ヘチョルとユン・サンが一緒にNodanceという名前で発表したアルバム「ゴールデンヒット」は2人の天才がタッグを組んだ記念碑的なアルバムだった。90年代半ばに2人はアイドル歌手と同じくらいの人気を博していた。このアルバムは「ゴールデンヒット」というタイトルのように大衆性を持つアルバムではなかった。2人の熾烈な音楽的実験が詰め込まれたアルバムは「祈り」「疾走」など、当時としては破格的な電子音楽を残した。シン・ヘチョルは生前のインタビューで「ユン・サンは天才だけど、自分だけの世界が強すぎる天才だ」と話していた。Nodanceで活動していた時もこれまでのスタイルと違う音楽をやってみたかったが、結局ユン・サンは自分のスタイルを捨てることができなかったという。このアルバムで最も大衆に知られた歌は、ガールズグループS.E.S.がリメイクしたユン・サンの曲「駆けっこ」だった。ユン・サンはその後、SMエンターテインメントの多数のヒット曲を作った作曲家でもある。キム・ドンリュルシン・ヘチョルはキム・ドンリュルとソ・ドンウクのデュオ展覧会のアルバムのプロデュースを務めた。シン・ヘチョルとキム・ドンリュルは「大学歌謡祭」の先輩後輩の関係だ。シン・ヘチョルは展覧会の1stアルバムをプロデュースし、キム・ドンリュルにアルバムをプロデュースするテクニックを教えてあげたという。1stアルバムに収録された曲「旅行」でシン・ヘチョルとソ・ドンウク、キム・ドンリュルの会話が出てくる。「生ブラスサウンドが必要だ」(ソ・ドンウク)、「生ブラスはお金がかかる」(キム・ドンリュル)、「お金のことは心配しないで、やりたいことをやりなさい」(シン・ヘチョル)と交わす会話も出てくる。キム・ドンリュルが2ndアルバムのデモテープを持ってきた時、シン・ヘチョルは音楽ではなく装飾に集中した結果だと、厳しく評価したようだ。「基本に戻りなさい」と言われ容赦なく追い返されたキム・ソンリュルはもう一度作業を行い、展覧会の2ndアルバムは90年代を代表する名アルバムとして評価されるようになった。ユン・ウォンヒシン・ヘチョルの妻。以前、ゴールドマンサックスに勤務し、ミスコリア大会に出場した経歴もある。シン・ヘチョルは恋愛中にユン・ウォンヒさんががん闘病中であることを知り、彼女の世話をするために2002年9月29日、秘密裏に結婚式を挙げた。また、シン・ヘチョルは妻のための音楽も作った。2007年に発表したジャズビッグバンドアルバム「The Song For The One」は、妻に捧げるアルバムだった。6thソロフルアルバム「Part.1-Reboot Myself」のタイトル曲「The Song For The One」は、シン・ヘチョルが妻ユン・ウォンヒさんに出会った頃から約15年に渡って少しずつ完成させた曲だという。シン・ヘチョルはこの曲を通じて、今、ユン・ウォンヒさんを愛する自身の気持ちがどれほど熾烈なものなのかを説明しようとしたという。そのような理由で「Promise Devotion Destiny」でのナレーションは、この単語を死ぬ時まで守るという悲壮さが「Here I Stand For You」より「The Song For The One」で3倍以上強く感じられる。私たち彼の最期を見守った私たちが残った。その中には、心で残念な気持ちを伝えたファンがいて、葬儀場の前でロウソクに火を付けて音楽を聞きながら故人の最後の道を見送ったファンもいる。葬式の最終日である10月30日夜、ソウル風納洞(プンナプドン)にある峨山(アサン)病院の葬儀場の前の片隅では故人を送る小さな追悼行事が行われた。ロウソクで明るく照らしていた追悼行事の現場には、シン・ヘチョルが生前に行った活動の様子が盛り込まれた写真やN.EX.T、Nodanceなどのポスターが飾られた。「Here I Stand For You」などシン・ヘチョルの曲が流れる中、ファンは涙を流して故人を哀悼した。私たちはいつまでも彼の音楽を聞いて、彼を思い出すだろう。そして、私たちは故人を死に追いやったS病院の蛮行を決して忘れない。

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  • 【PEOPLE】少女時代 テティソを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】少女時代 テティソを構成する5つのキーワード

    テティソ「2年という空白期間があったが、私たちが積み重ねた経験をもとに成熟した音楽を披露したいと思います。すべての心を込めて歌で表現しました。毎年、ユニークで明確なコンセプトを持って活動しましたが、今回は私たちの音楽を聞かせたかったです。テティソの様々な姿を気楽に見せることが目標です」(カムバックショーケースで)K-POPの最高のガールズグループといえば、断然少女時代が真っ先に頭に浮かぶだろう。トップである少女時代がユニットを作るという話が出た時は皆が首をかしげた。「どうして少女時代があえてユニットの活動をするの?」という見方が支配的だったためだ。だが、テティソの登場と同時に、その考えは杞憂に過ぎなかったことが証明された。テヨン、ティファニー、ソヒョンで構成されたテティソは、2012年「Twinkle」を通じて初めてユニットとしての姿を公開し、少女時代とはまた違うパワフルな歌唱力と曲のタイトルのようにキラキラ輝く魅力をアピールした。「Twinkle」は大衆性と話題性でも成功を収め、ガールズグループのユニットの先頭走者に浮上した。そして2年後、テティソは「Holler」でカムバックした。テティソは「Holler」を通じてテティソらしいというのがどんなものなのかをはっきり見せることができた。テティソは単なる少女時代のユニットではなく、独自的なカラーを作り出した。イ・スマンテティソ、そして少女時代を作った芸能企画者だ。イ・スマンは1972年に歌手としてデビューし、「幸福」「波」などのヒット曲を披露した。中高年層にイ・スマンはイ・ムンセ、ユ・ヨルとともにマサムトリオとして認知度を高めた。その後、イ・スマンはSMエンターテインメントを設立し、制作者に変身した。イ・スマンはヒョン・ジニョンをはじめ、H.O.T.、S.E.S.、神話(SHINHWA)、Fly To The Sky、BoA、東方神起、少女時代、SUPER JUNIOR、f(x)、EXOなど韓流の中心にいる多くのスターを輩出した。イ・スマンは体系的なアーティストトレーニングシステムを韓国で初めて導入した。また、当時では型破りな9人組のガールズグループ少女時代をデビューさせた。イ・スマンの眼目は的中し、少女時代はガールズグループのルネサンスを率いる先頭走者になった。少女時代テティソの起源で、母体である。少女時代は2007年、「また巡り逢えた世界」で歌謡界にデビューした。少女時代は独特な名前から、日本のモーニング娘。を真似したのではないかという疑いの視線を向けられたものの、清純かつ愛おしい魅力で人気を集めた。特に少女時代は2009年にリリースした「Gee」で空前のヒットを記録した。「Gee」を筆頭に、少女時代を美脚グループとして認識させた「GENIE」をはじめ、「HOOT」「Oh!」「Run Devil Run」「THE BOYS」など発売された全曲がヒットした。少女時代は韓国だけでなく、日本でも100万枚以上のアルバム販売を記録した。少女時代は大人数のメンバーであるにも関わらず、大衆がメンバー全員を知っている高い認知度を持つ国民的なグループだ。デビュー7周年を迎えた現在、メンバーたちは少女時代の完全体としてはもちろん、テティソのユニットをはじめ、演技、ミュージカル、MCなどの分野で活発な活動を繰り広げている。Wonder Girls少女時代、そしてテティソの永遠のライバルとして取り上げられるガールズグループだ。Wonder Girlsは少女時代と同じ年に「Irony」でデビューした。最初、Wonder Girlsは「Tell Me」の全国民的なヒットや「So Hot」「Nobody」につながる連続ヒットで少女時代を圧倒する姿を見せた。しかし、Wonder Girlsがアメリカへの進出を試みる間、少女時代も国民的なガールズグループに仲間入りした。現在、Wonder Girlsのリーダーソネは結婚して娘を出産して子育て中であり、ソヒはJYPエンターテインメントと契約が満了し、BHエンターテインメントに移籍してしばらく活動を中断している。デビュー7年が経った今も少女時代とWonder Girlsはライバルに挙げられるが、実際の両チームのメンバーたちは一緒に遊んだり、結婚式に出席するなど格別な友情を見せている。シム・ジェウォン少女時代、テティソが所属するSMエンターテインメントの振り付けディレクターだ。シム・ジェウォンは1998年、Eagle Fiveのメンバーとしてデビューし、2002年にはSMエンターテインメントのボーイズグループBlackBeatとしても活動した。その後、シム・ジェウォンはSMエンターテインメント所属のアーティストの振り付けを担当し、活動範囲を広げてきた。昨年、放送されたMBC「無限に挑戦」の「2013 自由路(チャユロ)歌謡祭」の当時、BoAは「この人に会ったら、デビューを確定付けたことになる」とシム・ジェウォンを紹介した。シム・ジェウォンはダンスを恐れるLeessangのキルに「10年以上やってきたが、一度も失敗したがことない。心配しなくて大丈夫」と自信を示した。シム・ジェウォンと少女時代、テティソは特に縁が深い。テティソの「Twinkle」のポイント振り付けである両手を顔に当てる、いわゆるイカ宇宙人のダンスは、シム・ジェウォンのアイデアと知られている。シム・ジェウォンは今回「Holler」でも振付師ジリアン・マイヤーズ(Jillian Meyers)と一緒に振り付けを担当し、完成度を高めた。シム・ジェウォンの振り付けがあったからこそ、テティソのステージと華やかなパフォーマンスが際立つことができた。SUPER JUNIOR少女時代とともに、SMエンターテインメントに所属する13人組のグループだ。テティソが属した少女時代がデビュー当初、最も多く聞いたタイトルは女版SUPER JUNIORだった。メンバーの人数が多いボーイズグループの代表走者がSUPER JUNIORだったとすれば、ガールズグループにおいては少女時代だったからだ。SUPER JUNIORは2005年にデビューし、「Sorry, Sorry」「U」「MAMACITA」などのヒット曲を披露した。SUPER JUNIORは韓国だけでなく、中国、台湾などアジアで最高の人気を博している。SUPER JUNIORと少女時代は似た点が多いグループである。両チームとも韓流を代表するグループであるのはもちろん、メンバーの人数は多いがメンバーそれぞれが個性を生かして精力的な活動を繰り広げている。SUPER JUNIORのメンバーたちも歌手はもちろん、映画、演技、バラエティ番組、ミュージカルなど様々な分野で自分たちの力量を披露している。似ているこの2つのグループは一緒に活動することも多かった。カンインとテヨンは一緒にラジオのDJを務め、キュヒョンとサニーは同じミュージカルに出演、ドンヘとソヒョンは「アジアソングフェスティバル」のテーマ曲を一緒に歌うなど、ぴったり合うケミストリー(共演者同士の相性)を見せてくれた。カン・ドンウォンテティソの代表的な理想のタイプの俳優。万人の理想のタイプであるカン・ドンウォンだが、テヨンはデビューした時からカン・ドンウォンを独歩的な理想のタイプに取り上げ、ファン心を示した。テヨンは最近、ラジオに出演し「デビュー前からファンだった。カン・ドンウォンが出演する映画が公開されると、映画館に見に行った」とときめく気持ちを表現した。特に2010年、テヨンが進行していたMBC FM4U「親しい友達」の最後の放送でカン・ドンウォンが声の出演を果たし、「テヨンさん、お疲れ様です。良い番組を作ってくださったと聞きました。本当にお疲れ様です。最後の放送だから寂しくても最後までちゃんと頑張ってください」というサプライズメッセージを残した。これにテヨンは喜び、途方に暮れる姿を見せた。そして、夢は叶うという言葉のように、テヨンはカン・ドンウォンと共演するチャンスを手に入れた。カン・ドンウォン主演の映画「世界で一番いとしい君へ」にテティソが特別出演するようになったためだ。その後、テヨンはカン・ドンウォンと一緒に撮った記念写真を自身のInstagram(写真共有SNS)に掲載し、ファンとしての出会いに成功した姿を証明した。これとともに、ソヒョンもカン・ドンウォンのファンに合流した。テヨンは「ソヒョンが最近『カン・ドンウォンが大好きだ。理想のタイプだ』などの話をした」と耳打ちした。「少女、学校へ行く」デビュー当時、少女時代が出演したリアリティ番組だ。「少女、学校へ行く」は2007年7月から9月まで約2ヶ月間、計9回が放送された。少女時代の初々しい姿を最も近くで見れた番組だった。少女時代のメンバーたちはこの番組を通じて、合宿所に入所する姿から番組のタイトル通りに学校に通いながら「また巡り逢えた世界」のステージを披露する姿などを見せてくれた。今は世界を舞台にして活動する少女時代だが、彼女たちのデビュー直後、幼くて堂々とした姿が盛り込まれている。特にテヨンが東湖(ドンホ)大橋で「私はできる!」と叫ぶ姿が印象的だ。7年前の少女時代と今の少女時代を比べてみる面白さとともに、現在の少女時代を作り上げた情熱あふれる少女たちの初心が全て盛り込まれている。

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  • 【PEOPLE】チョ・インソンを構成する5つのキーワード

    【PEOPLE】チョ・インソンを構成する5つのキーワード

    チョ・インソン「僕は自分の中にあるものを表現する演技をする方なので、自分を捨てて演技はできない。そのため、作品が終わるとすべてを引き出した内面を満たすために時間がかなり必要だ。涙を流す演技をする時が一番負担を感じる。泣くシーンが常に話題になり、パロディーされるので」(10asiaとのインタビューで)演技をする時は自身のすべてを引き出し、涙の演技には負担を感じる俳優だが、今回も7秒エンディングとして記憶される涙の演技で話題を集めた。着実に変化を見せ、積み重ねた彼のフィルモグラフィーは、チョ・インソンをカッコいいルックスだけではなく、信頼できる演技力を持つ人物として地位を位置づけている。彼と作業するスタッフたちは彼について、常に早く現場に到着し、自身の未熟な部分を質問して満たそうとする、依然として新人のような姿勢を忘れない俳優であると評価している。千戸洞(チョノドン)チョ・インソンが、中学・高校時代を過ごした町。スターになってからも幼い頃の友人たちと親密な関係を維持しているチョ・インソンは、時間がある時は常に地元の友人たちと時間を過ごしているそうだ。そのため、ソウル江東区(カンドング)一帯の住民たちは、友人たちと歩いているチョ・インソンの姿を見たという目撃談が続いている。10asiaとのインタビューでも彼は「地元の友人たちと過ごす時間は、僕にとって安らぎの時間だ」とし、「幼い頃から一緒に作り上げた思い出を分かち合った友人たちとおしゃべりしていると、いつの間にか頭の中に抱えていた悩み事が吹き飛んでいく気分だ」と話したことがある。ノ・ヒギョンドラマの脚本家。昨年、SBS「その冬、風が吹く」と今年SBS水木ドラマ「大丈夫、愛だ」など、チョ・インソンが出演した2つの作品を執筆したノ・ヒギョン脚本家はチョ・インソンに対し、「アマチュアに必要なものは自信であり、プロに必要なものは疑問を持つことだが、チョ・インソンは徹底的なプロだ」とし「彼は常に自分に疑問を持ち、監督と脚本家、現場のスタッフに自分の短所を指摘することを要求し、指摘された時は一度も拒まずそれを積極的に受け入れる。私はそのようなチョ・インソンを同僚として、人間として尊重している」と評価した。チョ・インソンもノ・ヒギョン脚本家に無限の信頼を持っている。「その冬、風は吹く」でノ・ヒギョン脚本家と初めて作業をしたチョ・インソンは、作品が終わった後、残念な気持ちで泣きながらノ・ヒギョン脚本家に電話をして「何シーンかをもっと使ってほしい」とお願いしたことがあるとエピソードを聞かせてくれた。「大丈夫だ、愛だ」でもチョ・インソンはノ・ヒギョン脚本家への無限の信頼を見せ、ドラマに出演し、自身の選択が正しかったことを再度証明した。コ・ヒョンジョンミスコリア出身の女優であり、チョ・インソンと同じ所属事務所の先輩。数年前、コ・ヒョンジョンはラジオ番組で、チョ・インソンにたまに「結婚しよう」と冗談半分で言っていると、格別な関係をアピールした。チョ・インソンとは10年ぶりに復帰したドラマ「春の日」で共演した。この作品はチョ・インソンとコ・ヒョンジョンを両方ともスターダムにのし上げた作品だ。キム・ミニデビュー15年目を迎えた女優であり、チョ・インソンの恋人。2人は以前、10年間同じ所属事務所(SidusHQ)に所属していた同僚であり、友達のような関係から昨年初め、恋人関係に発展した。2人はモデル出身俳優という共通点がある。チョ・インソンは1998年、ファッションブランドのモデルとしてデビューし、キム・ミニも同時期に雑誌モデルとして活躍し、顔を知らせた。2人は自然に連絡を取り合ってきたが、お互いに好感を持つようになり、友達から恋人に発展したと公開した。まだこの2人は同じ作品で共演したことはない。コン・ヒョジン「大丈夫、愛だ」でチョ・インソンと初めて呼吸を合わせた女優。チョ・インソンについて彼女は「女優たちが皆、一度は一緒に共演してみたい女優であり、皆が人間性が良く、義理派であり、男らしい女優と評価している」と話してくれた。チョ・インソンは「大丈夫、愛だ」の制作発表会で、ドラマ撮影中に交通事故で左腕を骨折し、膝を負傷したコン・ヒョジンを支えてステージに上がる優しさを見せた。ドラマの関係者は2人の俳優がお互いを配慮し、撮影現場でもドラマの序盤から2人が現場の雰囲気を引っ張っていたと伝えた。ユ・ハ映画監督。2005年、ユ・ハ監督の演出作「卑劣な街」は、青春スターだったチョ・インソンが太い線のある俳優として地位を固めることができた作品だ。「大丈夫、愛だ」でチョ・インソンと共に演じたEXOのメンバーディオ(本名:ド・ギョンス)は「卑劣な街」を見てチョ・インソンの熱狂的なファンになり、髪型も真似したことがあると打ち明けた。ユ・ハ監督は日刊スポーツとのインタビューで「チョ・インソンのカッコいいルックスと善悪が共存する眼差しが気に入り、会ってすぐにキャスティングした」とし、「チョ・インソンをキャスティングしたことは、当時僕にとってギャンブルと同じことだったが、結果的にはジャックポットだった。絶えず自分に疑問を持ち、検証をする熾烈さが今のチョ・インソンを作り上げた」と伝えた。その後、チョ・インソンは軍に入隊する直前の作品である「霜花店(サンファジョム)-運命、その愛」でもユ・ハ監督と再び作業をし、ユ・ハ監督のペルソナと呼ばれた。「学校3」CMモデルとして名を知らせたチョ・インソンにとって、役者というタイトルを付けてくれたデビュードラマ。数多くのスターを輩出した「学校」シリーズでチョ・インソンが出演した「学校3」には、イ・インヘ、パク・クァンヒョン、イ・ドンウクが共に出演した。チョ・インソンはカッコいいルックスで学校でも人気がある一方、恵まれない家庭環境を持つ反抗的な学生役を演じた。この作品で成功的にデビューしたチョ・インソンはその後、「ノンストップ」で青春スターとしての地位を固めることができた。

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