「明日へ」プ・ジヨン監督“描いたのは、洗練された資本の暴力”
プ・ジヨン監督「私たちの共感力を考えながら作った」
映画「明日へ」で忘れてはならない主体がいる。労働者、特に法律や制度の保護から相対的に疎外されている非正規労働者である。興味深いのは、この作品が韓国で実際に起きた労働者の痛みを題材にしながらも商業映画としての形式を取っているところである。しかも、“女性労働者”である。プ・ジヨン監督がこれまで韓国映画であまり取り扱われたことのない女性集団のストーリーに挑戦したのは色々な意味で我々には幸運ではないだろうか。ソウル国際女性映画祭、東京国際女性映画祭等に女性を題材にした作品を出品し、一貫した歩みを見せてきた彼女である。制作会社ミョンフィルムが「明日へ」のメガホンを取る監督を探していた時、これまで商業映画を演出した経験のなかったプ・ジヨン監督に出会えたのも、女性労働者の問題をうまく表現できる人物であることを見抜いたためである。
大手スーパーマーケットという場所で生まれた女性たちの連帯、それが「明日へ」の力
表面的にはスーパーマーケットの非正規労働者の闘争であるため、2007年ELANDのHomever事態を連想しやすいが、プ・ジヨン監督の言うとおり、映画はより幅広い労働問題を描こうとした。脚色と取材を並行した1年間、プ・ジヨン監督は6人の非正規労働者に対するインタビューを始め、ドキュメンタリー、ニュースや様々なルポ記事を研究した。その過程で彼女自身も覚醒させられた。「私も社会問題に対する関心度は、一般市民並みでした。取材そのものが私には勉強の過程でした。最低賃金問題、そしてなぜ以前のようにストライキが力を発揮できなくなったか疑問に思いました。ストライキは即ち法律で保証された労働者の権利ですが、今は権利ではないようになってしまっています。暴力を加える主体たちは次第に洗練化されています。利害関係にない人同士で戦わせていますから。労働者同士、正社員と契約社員が対立する現実を残念に思いました。
そして、『明日へ』が男性たちの闘争ストーリーだったら、敢えて私がすることはなかったと思います。この題材は、実は誰がやってもできるものじゃないですか。この映画を通じて女性のリーダーシップを発見できるといいますが、リーダーシップというものまで必要なのでしょうか。一緒に働いて暮らしていくためには、お互いの絆と仲間意識が重要であって、リーダーになることがそこまで重要なのかは疑問です」
プ・ジヨン監督は「撮影現場でリーダーになったこともなく、俳優とスタッフたちと協力したかった」とし、自身の心構えを伝えた。自らも集団で前に立つ人を見る時、首を傾げてしまうという。人間に対する彼女だけの信条が感じられた。
写真=ミョンフィルム
労働は守りながら権利は教えてくれない社会、誰が責任を負うべきか
そのためか、「明日へ」は弱者と強者を描写しながら、単純な対立構図に陥らなかった。会社から突然解雇通知を受けた労働者たちがどのように連帯していき、その過程でどんな困難があって、危機を乗り越えていったかに注目した。「一緒に連帯した人同士の対立がもっと悲しくないでしょうか?それが結局はシステムが引き起こすものですから」とプ・ジヨン監督は説明した。ここで、別の観点から映画を見られるようにするキャラクターがいる。EXO ディオが担当するテヨンとキム・ガンウが演じるドンジュンという人物である。テヨンはスーパーマーケットの労働者として生計を立てていく母ソニ(ヨム・ジョンア)に反抗して、コンビニのバイトをしながら感じた弱者の経験によって母を理解できるようになる。ドンジュンは、大手スーパーマーケットの正社員で明るい将来が保証されていたが、連帯する非正規労働者から目を背けることができず、彼らと行動を共にする。
「より深く描きたかった人物が多いですが、その中でドンジュンについてあまり表現できなくて残念です。非正規労働者をリードして労組委員長になりましたが、混乱した状況に直面するじゃないですか。その後、彼はどんな生き方をしたか、私も気になります。その部分はおそらくウェブ漫画『錐』でヒントを得られるかも知れませんね(笑)
テヨンを通じて母子関係を描きましたが、結局青少年も成長して労働者になりますから知っておかなければなりません。でも、韓国の子どもたちは労働者の権利、法律に明示された権利を誰から教わっていますか?学校で教えてあげるべきですが、果たして韓国社会ではそれをきちんと教えてあげているか疑問です」
共感力不在の社会「聞いてあげる成熟さが必要」
時に、我々は形式的な客観主義に陥る時がある。いわゆる甲と乙と称される強者と弱者の対立の中で、乙が問題を提起した分だけ甲の立場も考えなければならないといったものである。この考え方に対してプ・ジヨン監督は「乙は即ち力がなく弱い人々ではないか、彼らを駄々をこねる人呼ばわりするのは非常に気に障る」と一喝した。市民として、また経済活動をする女性として彼女が感じたことが「明日へ」に相当部分反映されていた。「誰かには甲である人が、また誰かには乙になる場合があります。甲と乙は常に変わるという意味です。女性として私を始め多くの人々がこの社会の中で諦めることは諦めて生きています。『明日へ』でもそのように諦めることを当然だと考えて生きていた人々が登場します。実存する女性に対して深く考えなければなりません。個人の犠牲や仕事を分けて考えるべきで、社会的な議論も必要です。個人の暮らしも維持しながら、一緒に幸せにならなければいけません。
「明日へ」で興味深いところは、非正規のレジ係が生計のために戦いを始めますが、結局は自分自身を発見してチャンスを得るということです。キム・ヨンエ先生が演じた清掃員スンレが『掃除して20年ぶりに初めて声を出す!』と叫ぶじゃないですか。皮肉なことです。不当な解雇に対抗しながら生涯で初めて自分の声を出すということがです」
共感と交流をありきたりの設定だと考えてはいけない。映画人であると同時に母でもあるプ・ジヨン監督も「子供を育てながら自分の共感力指数を考える。子供が保護者の共感なしでは生きていけない存在であるように、社会の弱者の話を聞かせてあげて共感するだけで、大きな変化が生じると確信している」と述べた。
「社会で誰かは不幸なのに、私たちだけ幸せなのはあまりよろしくありません。問題はその乖離が段々大きくなっていることです。非正規問題、密陽(ミリャン)送電塔問題、4大河川問題が起きていても、自分の人生で精一杯で余裕がないと聞き流してしまいます。耳を傾けて聞くことからが大事だと思います」
「明日へ」の公開直前までプ・ジヨン監督が心配していたことがある。映画の配給状況だった。大手企業の資本ではなく、市民たちの心を集めて投資を行い、中小制作者が制作した作品である。劇場チェーン店を持つ大手企業が自社が投資した映画を上映する現実で、「明日へ」はかなり善戦している。監督が心配していた配給という“最後の山”を越えて「明日へ」は観客に会っていた。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- イ・ジョンミン、イ・ソンピル
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