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  • 【ドラマレビュー】「ゆれながら咲く花」ラストシーン、オ・ジョンホは来なかったが“終礼は終わっていなかった”

    【ドラマレビュー】「ゆれながら咲く花」ラストシーン、オ・ジョンホは来なかったが“終礼は終わっていなかった”

    KBS 2TV 「ゆれながら咲く花」スンリ高校2年2組が伝えたメッセージめまぐるしかった高校2年が終わった。担任の先生が2人でもカバーしきれないほど、トラブルが絶えなかったスンリ高校2年2組がいつの間にか最後の終礼を迎えた。28日に韓国で放送されたKBS 2TVの「ゆれながら咲く花」最終回は冬休みが始まるシーンで幕を閉じた。空っぽの教室でチョン・インジェ(チャン・ナラ)とカン・セチャン(チェ・ダニエル)、二人の先生は「学校をやめる」と言って姿を消したオ・ジョンホ(クァク・ジョンウク)を待つ。この日の終礼が終わるまでに出席すると3年生になれるのに、結局教室に入ってくるオ・ジョンホを見ることはできなかった。しかし重要なのはまだ終礼が終わってないこと、そして彼を待つ先生たちがいることである。当初「ゆれながら咲く花」の方向性はスンリ高校最大の問題児だったオ・ジョンホの更生でもなく、校内暴力の加害者でもある彼を処罰することでもなかった。他のドラマでよく見かけるような勧善懲悪の結末やハッピーエンドですべての問題を適当に片付けられない理由は、このドラマが学校を題材にしているためである。多くの人が経験してきて、経験しているこの小さな社会は世代を超えても解決しにくい難しい悩みを抱えている。ドラマ一作品で学校や世の中を変えることはできない。だから「ゆれながら咲く花」はその代わりに「揺れずに咲く花がどこにあろうか」という詩で生徒たちの成長痛を理解し認める。生徒たちが自ら手を離すことがあっても、絶対その手を離さないというチョン・インジェとカン・セチャンの思いは、少なくともオ・ジョンホが学校に戻るだろうと期待させる。「ゆれながら咲く花」になかったアイドル主人公幻想生徒たちのストーリーがゴールデンタイムのお茶の間で話題になるとは誰も期待していなかった。「ゆれながら咲く花」が放送される前に、既に学園ドラマ「花ざかりの君たちへ」が夏休みシーズンで放送されたのにもかかわらず、まったく人気を集めず5%前後の視聴率の低迷に悩まされていた。しかし「ゆれながら咲く花」の生徒らは時代劇の巨匠イ・ビョンフン監督の「馬医」という強い裏番組を相手に15%前後の視聴率を獲得したのである。このような人気の秘訣は「ゆれながら咲く花」が青少年ドラマの領域にとどまってなかったことにある。まず10代の視聴者にアピールするためのアイドルのキャスティングや、ありきたりな恋愛要素さえなかったことがかえって同作を目立たせた。ドラマにアイドルをキャスティングすることが頻繁になっている中、10代が主人公の作品であれば、なおさらアイドルだらけになりがちだったが、制作陣は最初から演技力にこだわった。また一人だけを追うストーリーではないため、主人公もなかった。コ・ナムスン(イ・ジョンソク)とパク・フンス(キム・ウビン)の友情の話もあれば、成績に苦しみ、友達のことで悩む生徒一人一人のストーリーに耳を傾けた。様々な生徒たちの悩みを慰めていたお陰で、議論がより広がることになった。さらにクァク・ジョンウク、イ・イギョン、イ・ジフン、チェ・チャンヨプ、ナム・ギョンミン、チョン・スジンなど新人役者たちは、お茶の間に顔を知らせることができた。ストーリーの焦点が生徒たちだけではなく先生たちにも当てられた。最初は学校を生徒たちは隠して、大人たちは知らないところと定義してスタートしたが、お互いの立場になって悩んでその距離を縮めようと努力した点は、これまでの「学校」シリーズと異なるアプローチだった。さらにやっと自分の居場所を見つけたナムスンとフンスが揺れる他の生徒たちの手を握ってくれたのは感動的な変化だった。チョン・インジェのような先生が、コ・ナムスンのような不良生徒がどこにいるか、と文句を言う人もいるだろう。しかし先生の負担や学校の限界を認めたことから「ゆれながら咲く花」は、十分幻想を取り除いた現実的なドラマだった。「少しでももっと関心を持てば、もっと良くなるはず」という信念はロマンとは違う。ただ束縛するのではなく、「学校に来れなくても食事は抜かないでほしい」という先生の心配が2013年に学校が伝える教えである。「ゆれながら咲く花」は学校内の様々な問題について議論できる場を設けたドラマであるだけに、29日には役者と視聴者間で話し合う特集放送「学校へ行こう」が組まれた。ドラマの領域を超え現実で学校の悩みを一緒に解決していきたいという、趣旨に最も相応しいエンディングである。

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  • 【ドラマレビュー】「野王」それでも貧困は免罪符にならない 

    【ドラマレビュー】「野王」それでも貧困は免罪符にならない 

    SBSドラマ「野王」正直さよりも金を選ぶ社会に投げかけるメッセージ女の裏切りは恐ろしかった。成功のために夫を捨て、金のために娘を見捨てた。愛の前に非情になり、母性の前に冷静を選んだ。彼女はひたすら欲望だけを追い求めた。まるで怪物の誕生を見るようだった。韓国で28日に放送されたSBS月火ドラマ「野王」の第5話でチュ・ダヘ(スエ)は、ハリュ(クォン・サンウ)に別れを告げた。ドフン(東方神起 ユンホ)と共にアメリカから帰ってきた彼女は、家族の代わりにペクハクグループを選択した。彼女は帰ってきてくれと言うハリュに「一度も幸せだったことはない。もう離してくれ」と毒舌も吐いた。彼女にとって夫と娘は、戻りたくない過去であるだけだった。もちろん彼女にも理由はあった。彼女は子供の頃、貧しさに負けた親が練炭自殺をするところを目撃した。貧困のせいで父を亡くし、貧困のせいで義父に性的虐待を受けた。貧困は母さえも奪った。貧しくて勉強さえできなかった彼女の人生はいつもそのままで、彼女がいくら足掻いてもいつも絶望するだけだった。そのためなのだろうか。自分の娘には貧困を知らずに生きてほしいという彼女の独り言は、ある程度は説得力を持つ。なぜなら、私たちは今、金がものを言う世界に生きているためだ。正直さよりも金を追求する社会で彼女を非難することができるのだろうか?23日に韓国誠実機構が発表した「誠実調査」によると、「金持ちになることと正直に生きることのうち、どちらが重要なのか」という質問に15~30歳の40.1%が金持ちを選んだ。正直な人生より金を選んだのだ。また「嘘をついたり不祥事を起こす人とそうしない人のうち、人生で誰がもっと成功すると思うのか」という質問には、15~30歳の51.9%、31歳以上の40.7%が嘘をついて不祥事を起こす人を選んだ。「叔父の友人の紹介で良い会社(学校)に入れるならどうすると思うか」という質問にも、15~30歳の半分を越える54.0%が「応じる」と答えた。31歳以上は48.9%が肯定的に答えた。これだけではない。韓国誠実機構が調査した別の調査によると、韓国の高校生10人のうち4人以上(44%)が「10億ウォン(約840万円)が手に入るならば過ちを犯して1年ほど刑務所に入ってもいい」と思うという結果が出た。中学生は28%、小学生も12%も良心よりも金を選んだ。この調査結果によると、少なくとも10人に4人が「野王」のチュ・ダヘと同じ選択をする可能性があるという意味だ。正直に生きることよりも金を選び、10億ウォンを稼げるなら罪を犯して刑務所に約1年ほど入ることはできると思う社会で、果たして誰がチュ・ダヘに石を投げることができるのだろうか? あまりにも欲望に忠実なチュ・ダヘは、ある意味では純粋だと見ることもできる。少なくとも彼女は「貧乏な生活が嫌だから」と自身がハリュを捨てた理由を率直に話したのだから。それでもチュ・ダヘの選択が間違った理由だが、いくら彼女の選択を理解するとしても、やはりチュ・ダヘの選択は間違っている。正直と良心より金を選択する人が40%を超え90%になったとしても、彼女の選択が間違っていることに変わりはない。彼女の選択で苦しむ人が出てきたためだ。もし彼女がハリュの支援なしに自分で今の地位を獲得し、ひどい貧困から負った傷を克服するため欲望に忠実になったなら、少なくとも彼女を悪女と非難する人はいなかっただろう。なぜなら正当な方法で成功することは難しいということを、我々はあまりにもよく知っているためだ。貧困を乗り越えて成功に近づく彼女の姿で、逆にカタルシス(解放感)さえ感じたかもしれない。ところが彼女の裏切りにより、害を被った人がいる。彼女のため自身の全てを捧げた夫のハリュと母が自分を捨てたかもしれないと思い、寒さに震えながら母を待っていた娘のウンビョルに彼女は癒すことができない傷を残したのだ。時によって正直さより金良心よりも金と選択することもできるが、その過程でまた被害者が出るのであれば話は違う。このドラマでハリュの存在が重要な理由だ。二極化が進むほど、貧困を経験する人は増える。絶対的な貧困は減っても、相対的貧困はさらに増えた。しかし、誰もがチュ・ダヘと同じ選択をするわけにはいかない。成功のため誰かを傷つけ、正当な方法より違法な方法を動員することは、より早い道を選択することに他ならない。結局自身だけのためになる選択をするわけだ。そして彼女は言う。「私の娘は貧困を知らないでほしい」と。自己合理化の典型的な例だ。ダヘに劣らずハリュも貧しかった。しかし、彼は一生懸命に仕事をしたおかげで少しながらダヘを助けることができた。金がもっと必要になってホストクラブで働いたが、それは自分の欲望のためではなくダヘのためだった。誰かに被害を与えるためではなく、助けるための選択だったのだ。従って、ハリュが存在する限りダヘの選択は間違っていると言うしかない。ダヘがハリュを殺すしかない運命なのだ。ハリュが消えなければ彼女の選択は正当性を持たない。第1話に出たハリュの台詞のように、ダヘはハリュを殺すだろう。もちろん、ハリュの代わりに死ぬのは、その日登場したハリュの双子の兄になる可能性が高い。結局ハリュは生き続ける。ハリュが生きていたため、彼女の選択は間違っていた。これは、貧困が決して彼女にとって悪行の免罪符にはなれない理由だ。

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  • 「清潭洞アリス」パク・シフ&ソ・イヒョンの再発見、そしてムン・グニョンの成長痛

    「清潭洞アリス」パク・シフ&ソ・イヒョンの再発見、そしてムン・グニョンの成長痛

    ソウル江南(カンナム)区清潭洞(チョンダムドン)。澄んだ池があり、近くの漢江(ハンガン)の水がきれいでチョンスッコル(清水谷)と呼ばれたことから由来された地域だ。表向きは華やかで明るいばかりのこの地域だが、今や清い池は跡形もなく消え、その代わり濁った欲望がうごめき、間違った富の自慢だけが目立つところとなってしまった。そして27日に終了したSBSドラマ「清潭洞(チョンダムドン)アリス」は、この地域で彼らだけのリーグを形成し、結婚さえも契約書によって行われる治外法権的な地域で自治法を作って暮らしていく人々と、そこに入りたくて躍起になっている見栄っ張りの女性を主人公にし、ひとつのシンデレラ変奏曲を作り上げた。清潭洞を、アリスが夢の中で探検した「ふしぎの国のアリス」に例えたこのドラマで、視聴者たちはありきたりのシンデレラストーリーやおてんばキャラのがむしゃらな成長記ではなく、それなりに新鮮な愛やビジネスの合奏曲と受け取ることができた。そして、出演した俳優たちはある人は恩恵を受け、ある人はもともと持っていたほどにもなれなかった。より正確な言い方をすると、パク・シフ(35)は今まで見せたことのない新しい魅力をアピールして人気に加速をつけ、ソ・イヒョン(29)は再発見という賛辞を受けてデビュー11年ぶりに大器晩成の全盛期を迎えたが、トップスタームン・グニョン(26)は若干の論争となり、成果をあげることができなかった。パク・シフがイケメン俳優であることは事実だ。しかし、正直なところ、チャン・ドンゴンやソ・ジソブとは異なるタイプのイケメン俳優だ。だからといってクォン・サンウのように筋肉質の男性美が際立つわけでもない。どこか2%足りなかったのは認めざるを得ない真実だ。しかし、パク・シフは「清潭洞アリス」を通じて自身のハンディキャップを魅力に変えた。彼が演じたチャ・スンジョ(ジャン・ティエリ・シャー)は、清潭洞ラグジュアリーブティックであつらえた衣装だった。これまでのドラマの男性主人公の中で、ここまで独特で多重人格な役柄があったのかと思うほど、複雑で微妙な心理を持つ人物がチャ・スンジョだ。子供の時の父親と母親の離婚、そして慰謝料のために自身を利用した母親のせいで傷ついて、威圧的な父親に嫌気がさし、何もかもを捨ててまで愛したソ・ユンジュ(ソ・イヒョン)に裏切られたチャ・スンジョは、現実を現実として認めず、夢の中でだけ生きていける人物だ。そのため、彼は現実が大変な時は、すべてを捨てて逃げなければ現実に耐えられない。そんな彼に愛の存在を気づかせてくれた人は、残念ながらお金のために自身に近づいた貧乏なハン・セギョン(ムン・グニョン)だ。彼女との愛を夢見るチャ・スンジョを演じるパク・シフは、作品を通してかわいい表情で首を振りながら若干正気でないような行動で、女性の視聴者の心をときめかせた。財閥の息子で、大企業の会長、そしてイケメンだが、このように足りない内面がかえって女性たちを気楽にさせ、親近感を与えたのだ。こんなチャ・スンジョのキャラクターとパク・シフの魅力を完成させたのは、彼が着て登場した清潭洞ファッションだった。パク・シフはフランス留学に行ってきた大企業の会長として、完璧に近いファッションで男性美の究極を見せた。パク・シフが最大限の魅力を引き出すことができたのは、チャン・ドンゴンのような彫刻のような顔も、ヒョンビンのような孤独な男の雰囲気も、チャ・スンウォンのようなタフさもないが、彷徨い悩みそしてトラウマの中で自身をコントロールできない、母性本能をくすぐる冷たい都会の男の葛藤を絶妙に描く中で、ファッションを適切にマッチさせたためだ。このドラマで最大の恩恵を受けたのは何と言ってもソ・ユンジュ役のソ・イヒョンだ。2002年に芸能界にデビューして以来、B級にとどまってきた彼女は今回のドラマをきっかけにやっと注目される女優となった。清潭洞の嫁(玉の輿に乗った女性)という役柄に合うように華やかだが退廃的ではなく、シンプルだが野暮ったくなく、難度の高い洗練されたファッションとメイクで番組を見る人の目を楽しませた彼女は完売女子(ドラマなどで着用したアイテムがすべて売り切れになる女性)という今回のドラマによって得たニックネームらしく、ファッションリーダーとして第2のキム・ナムジュを予告した。それだけでもソ・イヒョンの成功を簡単に明言できる。ある意味で彼女の成功の背景にはムン・グニョンがいたのかもしれない。わざわざ貧乏な家の娘を演じるために野暮ったい姿をしたムン・グニョンに比べて彼女が相対的に目立ったのだ。いくらそうだとしても、ソ・イヒョン自体の強みがなかったならこのような意外な成功は保証されなかっただろう。女優として最高の年齢になったソ・イヒョンとしては、助演だが主演を乗り越える存在感と自身の表現力で出演者のうちもっとも多くのものを得た。ムン・グニョンが努めたハン・セギョンは一見ドラマの女性主人公としては完璧なキャラクターだった。常に苦労しながら生きてきて、銀行ローンで購入した自宅さえきちんと守れない無能な父親を持った就活生として留学にも行けず大学を卒業して3年ぶりに、しかもソ・ユンジュの助けによって契約社員としてかろうじて就職できた現実は切ないものだ。しかし、誰よりも根性のあるおてんば娘な彼女は時計うさぎを捕まえてシンデレラになろうと奮闘し、結局は紆余曲折の末に目的を達成する。愛もビジネスも両方とも成功させるハッピーエンドの主人公だ。しかし、ムン・グニョンはこのような条件の中でも子役出身の限界を克服できなかった。視聴者や関係者が共通して指摘した女子高生のイメージから完璧に脱することができなかった。彼女がパク・シフとキスシーンをしても何となく不自然に感じる理由は、視聴者はまだムン・グニョンの現在の顔にオーバーラップされる「秋の童話」のソン・ヘギョの幼少時代の役と、映画「マイ・リトル・ブライド」のかわいい女子高生ムン・グニョンを忘れられないためだ。演技は非の打ちどころがない。ムン・グニョンにしかできない役だと思われるほど、彼女はハン・セギョンになりきり、成功と愛、良心の間で葛藤するハン・セギョンの心理状態をうまく表現し、自身の傷よりはチャ・スンジョの傷を慰め、癒してあげる成熟な姿を驚くほどうまく演じきった。しかし、画面いっぱいの彼女の顔と、チャ・スンジョがそこまで求めた純情な主人公としてどこか歳月の隔たりが感じられるのは、決定的な非現実感だった。結局、ムン・グニョンはまだ子役と成人役の中間で成長痛を患っているのではないだろうか。だとすれば、ドラマのタイトルが示すアリスは誰だろうか。ムン・グニョン、つまりハン・セギョンと1次元的に答える視聴者はいないだろう。結論は、ハン・セギョン、チャ・スンジョ、ソ・ユンジュ、そしてタミー・ホン(キム・ジソク)誰もがふしぎの国のアリスだ。ハン・セギョンはタミー・ホンに小説「ふしぎの国のアリス」の結末を聞き、タミー・ホンは小説を持ってきて彼女に教える。アリスはただ夢から覚めることで終わりだと思っていたが、アリスを起こしたアリスの姉が続けて夢を見ることになる、しかしその夢の半分は現実で、半分は夢であると。それを聞いて、ハン・セギョンはその姉が目を覚ますと現実に戻ってくることを知りながらも半分は(夢を)信じて生きる大人だとその意味を解釈する。だとすれば、アリスの姉がハン・セギョンで、アリスはむしろチャ・スンジョではないだろうか。さらに、ビジネスのためなら愛なんて厄介な古い鞄のように考え突っ走った結果、清潭洞の嫁になるが、そのように不安に駆られてその場を守ろうとした自身の愚かさ、そして現実と理想の隔たりがあることに遅れて気づき、果敢にも先に離婚を宣言し独立したソ・ユンジュもアリスではないだろうか。また、不利な札だと知っていながらGNファッションの中心的な人物シン・インファ(キム・ユリ)を裏切り、ハン・セギョン、ソ・ユンジュと連合勢力を形成するという無理をしたタミー・ホンもふしぎの国のアリスだ。

    OSEN
  • 「お金の化身」ファン・ジョンウム「“ファン・ジョンウム式魔性の女”をご期待ください」

    「お金の化身」ファン・ジョンウム「“ファン・ジョンウム式魔性の女”をご期待ください」

    ファン・ジョンウムが、魔性の女を演じるプレッシャーを伝えた。29日午後、ソウル市陽川(ヤンチョン)区木洞(モクトン)のSBSで、SBSの新しい週末ドラマ「お金の化身」(脚本:チャン・ヨンチョル、チョン・ギョンスン、演出:ユ・インシク)の制作発表会が行われた。劇中、銀行に勤めるポク・ジェイン役を引き受けたファン・ジョンウムは、「役柄が魔性の女だと紹介されているが、まだ年が若いからファン・ジョンウム式の魔性の女になるだろうと思う」と伝えた。引き続き彼女は、「キム・スミ先輩ぐらいの年齢になると、魔性の女という修飾語が付かないだろうかと思うけど、その時になってもできるかどうか分からない。本当に馴染みがない。一生懸命取り組みたい」と付け加えた。「お金の化身」は、お金のために大切な物を失った一人の男を中心にロビーとリベート、コネクションと賄賂が絡む韓国の現状を鋭いユーモアと風刺で描くドラマだ。2月2日に放送がスタートする。

    マイデイリー
  • 【PHOTO】カン・ジファン&ファン・ジョンウム、ドラマ「お金の化身」制作発表会に登場

    【PHOTO】カン・ジファン&ファン・ジョンウム、ドラマ「お金の化身」制作発表会に登場

    俳優のカン・ジファン、ファン・ジョンウム、パク・サンミン、オ・ユナ、チェ・ヨジンなどが出演するSBS新週末ドラマ「お金の化身」(脚本:チャン・ヨンチョル、チョン・ギョンスン、演出:ユ・インシク)の制作発表会が29日午後ソウル木洞(モクトン)のSBSで開かれた。カン・ジファン、ファン・ジョンウムがフォトタイムでポーズを取っている。「お金の化身」は、お金のために大切な物を失った一人の男を中心にロビーとリベート、コネクションと賄賂が絡む韓国の現状を鋭いユーモアと風刺で描くドラマだ。同ドラマは、「清潭洞アリス」の後続として来月2日初回放送される。

    OSEN
  • 【PHOTO】ドラマ「お金の化身」制作発表会…お金を撒きながらフォトタイム

    【PHOTO】ドラマ「お金の化身」制作発表会…お金を撒きながらフォトタイム

    俳優のカン・ジファン、ファン・ジョンウム、パク・サンミン、オ・ユナ、チェ・ヨジンなどが出演するSBS新週末ドラマ「お金の化身」(脚本:チャン・ヨンチョル、チョン・ギョンスン、演出:ユ・インシク)の制作発表会が29日午後ソウル木洞(モクトン)のSBSで開かれた。カン・ジファン、ファン・ジョンウム、パク・サンミン、オ・ユナ、チェ・ヨジンが小道具のお金を撒きながらポーズを取っている。「お金の化身」は、お金のために大切な物を失った一人の男を中心にロビーとリベート、コネクションと賄賂が絡む韓国の現状を鋭いユーモアと風刺で描くドラマだ。同ドラマは、「清潭洞アリス」の後続として来月2日初回放送される。

    OSEN
  • チョン・ユミ側「『ワンダフル・ラブ~愛の改造計画~』出演、確定ではない…検討中」

    チョン・ユミ側「『ワンダフル・ラブ~愛の改造計画~』出演、確定ではない…検討中」

    女優のチョン・ユミが、SBS ドラマ「ワンダフル・ラブ~愛の改造計画~」(仮題)への出演を検討中だという立場を明かした。チョン・ユミの所属事務所の関係者は29日午前OSENとの電話取材で「『ワンダフル・ラブ~愛の改造計画~』への出演を検討中だ」と話した。この関係者は「『ワンダフル・ラブ~愛の改造計画~』への出演を確定している段階ではない。このように話が出てくるのもまだ早い」と伝えた。「ワンダフル・ラブ~愛の改造計画~」は、成功した中年のヤミ金業者の女性が認知症になり、3人の子供と一緒に困難を乗り越えるストーリーを描くドラマで、現在韓国で放送中のSBS週末ドラマ「わが愛しの蝶々夫人」の後番組として放送予定。

    OSEN
  • 「ゆれながら咲く花」チャン・ナラ先生とチェ・ダニエル先生にとって2年2組とは?

    「ゆれながら咲く花」チャン・ナラ先生とチェ・ダニエル先生にとって2年2組とは?

    恋愛ストーリーがなくても温かいドラマだ。KBS 2TVドラマ「ゆれながら咲く花」で、スンリ高校2年2組の共同担任を務めているチョン・インジェ(チャン・ナラ)とカン・セチャン(チェ・ダニエル)の関係は愛より友情、友情より同志愛に近いが、立場も価値観もあまりにも違う二人がだんだんとお互いを理解し、認めていく過程は、大人も揺れながら成長することを見せてくれ、ひそやかな微笑を呼び起こす。寒い冬、撮影が佳境を迎え、休む隙のない強行軍を続けている「ゆれながら咲く花」の撮影現場で、スンリ高等学校のチョン・インジェ先生とカン・セチャン先生、いやドラマよりはるかに仲が良いパートナであるチャン・ナラとチェ・ダニエルに会った。―以前、チャン・ナラは学生や組織の中で一番年下の役を演じることが多かったが、いつの間にか学生に対し大人として向き合わなければならない教師の役を務めることになった。最初に提案を受けた時はどうだったのか。チャン・ナラ:教師役は、以前から演じてみたかった職業の一つだ。外見から漂うイメージのためか、教師、医者、弁護士のような専門職の役はあまりオファーされてこなかったので。チェ・ダニエル:僕は、もう専門職はやりたくないな(笑)チャン・ナラ:私はすべて演じてみたかったけど、教師の役を演じることができて本当に良かった。チェ・ダニエル「チョン・インジェはカン・セチャンの昔の姿」―チョン・インジェというキャラクターは、職業以外にもラブコメディで見せてくれた愛らしい姿とは全く違った印象を受ける。不安定な雇用である任期制教員という現実的な状況と、教師としての理想を追求する性格を両方とも見せる人物だが、最初チョン・インジョに対してどう理解して受け入れたのか。チャン・ナラ:現実的に描こうというのが監督と脚本家の意見で、私もその面を一番大事だと思っていた。だけどチョン・インジェが持っている理想や挫折を表現する方法について、深く悩まなければならなかった。本当に演じてみたかった役だったのにもかかわらず、最初台本を渡された時、漠然と思ったのは、チョン・インジェが感じる挫折をはじめ、感情の強度を全く掴めないということだった。私が実際の教師ではないから、うまく掴みきれず、予測もできなかったので、一歩間違えたら誰も共感できない挫折になるかもしれないと思った。それで、とりあえず口調から一つずつリアルに表現しようとした。―口調や仕草だけでなく、地味な衣装に髪型、化粧など、外見的にも教師という職業に合わせたようだ。チャン・ナラ:まず、飾らないようにした。人物自体に関してもそうだし、外見を飾ることも最大限控えた。最初はそういうことで始めたが、その後はシーンを繋げやすいようにとヘアスタイルを変えなくなった(笑) これが本当に現実的な問題だ。私がヘアスタイルを変えると、他の出演者たちが待たされたり、急いで進行しなければならなくなる。だから、テレビに映る姿は、私が教室にいても、職員室にいても、違和感なくみんなの中に自然に溶け込めるよう努めた。―キャラクターを準備する過程で、現場で働いている教師に会って、直接話を交わしたと聞いた。どんな点を参考できたのか。チャン・ナラ:私は学校の外側にいて、外から学校を見つめる人間であるため、視線を学校の中から見れるようにするため先生たちに会った。だけど、正直に言うと、私も最初は学校についてあらゆる部分をとても懐疑的に考えていた。ジョン・インジェとは違って。悪い学生たちは、悪い。子供であれ、大人であれ関係なく、悪いものは悪いと思っていた。それに、現場で大変なことをたくさん経験した先生たちもそのように考えていると思ったけど、そうではなかったので驚いた。子供たちに対する希望を捨てず、「このような心がないと、この仕事はできません」と話していた、その言葉が本当に感動的だった。―カン・セチャンの場合、一打講師(一科目で最高の売上を上げる人気講師)から学校の教師になった独特な設定の人物だ。どうキャラクターを具体的に表現したのか。チェ・ダニエル:僕は少し急ぎで「ゆれながら咲く花」に投入され、チャン・ナラさんのように実際に仕事をしている方にも会えなかったので、人気講師たちのインターネット講義やEBS(韓国教育放送公社)の言語番組の講義をよく見て観察した。チョン・インジェが現実的な設定ならば、カン・セチャンは現実の中でのファンタジーを見せてくれる人物で、プロフェショナルな講師として教壇に立つ時の利益を追求する姿と、プライベートの場での姿はまた違うと思ったので、その差を見せたかった。だけど、いざ演技をしてみたら、ビジネス的な側面を見せるシーンがそんなに多くなかったので、普段の口調から、この人物自体が染み出るように演じようと思った。―学生たちに「休め」という台詞の口調のように、本音と冗談、思いやりと無関心を行き来するような態度がカン・セチャンの性格を表している。チェ・ダニエル:もし僕が上流層の間で、ある程度権力を握っている位置にいたならば、社会的な仮面、社会用の人格があると思った。そうするうちに、カン・セチャンの本心が表に表れて、仮面が取れる瞬間、壁がなくなる瞬間を区別したかった。実は、カン・セチャンも昔はチョン・インジェのように理想を追求したかったができなくて、世の中に妥協した俗物、お金だけを大事にする人物なので、その虚飾を最大限に表現しようとした。だからその仮面が割れた時、劇的な効果をもたせると思った。―カン・セチャンの心理的な変化で一番説得力を感じたり、共感した瞬間はあるか?チェ・ダニエル:実は、台本では大きく変わった感じがしない。特別なきっかけがあるというより、いつの間にか徐々に変わっていく感じだが、表現する立場からは行動が変わった時、見る側が「あの人、急にどうしたの?」と違和感を抱かないように演じなければならないので、彼に合わせて徐々に感情を表現した。あえてきっかけを言うなら、チョン・インジェが学生問題に悩んで疲れ果てた時、「どうして、そんなにバカなの。君はろうそくではない、自分のことを大事にしろ」という台詞を言いながら、慰めていたら、自分も知らないうちに同化されたようだ。なぜならば、それは昔のカン・セチャンがそうだったからだ。だから、チョン・インジェが間違っているとは言えずに、今のままだと傷つくのは君だということを教えて、慰めながら、心の中では「僕はそれができなかったけど、君は学校に残らなければならない」と思っているようだった。チャン・ナラ「学生たちよりもさらに激しい思春期を通り過ぎたようだ」―チョン・インジェは、学生たちに希望を捨てない分、挫折して絶望する瞬間が多い人物だが、自分でもチョン・インジェを可哀想に思った瞬間はあるのか。チャン・ナラ:演技をする間ずっと可哀想で、もどかしかった。この作品の舞台自体が学校の中、教室、職員室であり、とても狭く、互いが全て別の問題のようでも、根本的には同じ原因から繰り返される挫折がとても多かった。それを表現しようとしたら、私も挫折感を感じて、学生たちよりさらに激しい思春期を経験したようだった。―チョン・インジェがほうきで学生たちを殴ろうとしたが、ほうきではなく、自分の手の平で学生を叩きながら叱るシーンが印象的だった。チャン・ナラ:本当はそのシーンと、その次のシーンでカン・セチャンに「子供たちは悪くない。私もあなたもそう教えてきたし、親もそう教えてきた。それに、学校側も仕方がないと言って、そのまま子供たちを放置している。子供たちは何も悪くない」と言うシーンを撮影するまでは、チョン・インジェがどんな感情なのか分からなかったけど、子供たちとカン・セチャンと向かい合って演技をしていたら、自然に感情があふれ出た。チェ・ダニエル:チャン・ナラさんがそのシーンをそのように演じるとは思わなかった。本来の台本ではそのように感情に満ちた設定というよりドライで、そのシーンで泣く設定もなかった。ただほうきで殴るだったのに(笑)チャン・ナラ:実は、ほうきをうまく掴めなかった(笑)―チョン・インジェが子供たちに詩を読むシーンがあったけど、詩は相手と台詞を交わす時と表現方法も違うし、一歩間違えたら、オーバーに見えるかもしれない設定だったにもかかわらず、ドラマに自然に溶け込んでいる。台本をどう受け入れたのかによって、雰囲気が変わったと思う。チェ・ダニエル:チャン・ナラの特技ですよ、特技!そのシーンは自信持っていましたよ(笑)チャン・ナラ:少し恥ずかしいようなシーンは、むしろ得意な方だ(笑) 少し恥ずかしい演技は、自分で恥ずかしがらずに演じてこそ、見る人も恥ずかしく思わない。とにかく演技をする時は、できる限り感情を表さないようにした。私一人で詩を朗読するのではなく、子供たちに何かを伝えなければならなかった。でも誇張して伝えたら、かえって逆効果になると思ったので、ただ淡々と朗読した。あ、自慢話になちゃった(笑)チェ・ダニエル:でも、本当に上手くできていた。―カン・セチャンが学生たちやチョン・インジェに話した言葉の中で、普段の自分の考えと似ている台詞はあるのか。チェ・ダニエル:勉強については、僕もあまり勉強してこなかったからよく分からないが、僕と似ている考えは、「自分自身が一番大切だ」ということだ。どんなことにおいても、本当に重要な理由がないまま、あまりにも多くのことを犠牲にすること、そしてそれによって自分がもし傷つく可能性があるならば、その行動と効率に対して、もう一度考える必要がある。人生で一番大切なものは自分自身だから。―いろんな悩みを持つ2年2組の学生たちの中で一番気になる生徒は誰なのか。チェ・ダニエル:実際の学生だったら、みんな気になるけど、たぶんカン・セチャンの立場だと、一番たくさん対立したオ・ジョンホ(クァク・ジョンウク)だと思う。問題を起こす学生は手がかかる分、それだけ情も深くなる。あの子はどうして、あんな風になったのかな、どうして人を嫌って、ひねくれたのかな。だから叱っても、申し訳ないという気持ちで、ご飯をおごったりしながら情が深くなると思う。チャン・ナラ:私もオ・ジョンホだ。初回からオ・ジョンホとぶつかったけど、演技しながらチョン・インジェとして、腹が立った。「オ・ジョンホがどんな子なのか、分かりません」という台詞を言った後にも、この子を理解したり、根本的に彼に対して知っていく姿勢が足りなくて、私はなんてダメなんだろうと思った。それにずっと見守ってきたオ・ジョンホはくるみのように硬く見えて、あちこちぶつかってくるけど、中身はとても軟らかいところがある学生だと思う。チャン・ナラ「人々と近くなった気がする」―カン・セチャンをはじめとしてKBS「童顔美人」、MBC「明日に向かってハイキック」、KBS 「彼らが生きる世界」などで演じてきたキャラクターたちは実在しない人物であるにもかかわらず、日常的な面と現実的な面を明確に見せてくれた。いろんなキャラクターを経験しながら特に現実性が強化されることについてどう思っているのか。チェ・ダニエル:僕は演技を特に習ったことがないので、現実での経験をネタとしてたくさん見つけようとしている。時代劇ドラマの場合、ある人があれこれと話したら、「何事じゃ!」とドンという効果音を入れて終わる。ところが現実には、「あの人がそう言ったの?」と言うと「本当に、一体どうしたんだろう」といったように、お互いが常に目を合わせながら会話をするのわけではなく、ドラマではどうしてあんな風に表現するのかなと疑問に思ったことがある。だから、より現実的に表現しようとしたけど、その反面、劇的な要素が足りない時もあって、そのような部分については、また勉強しなければならないと思う。―チャン・ナラはドラマ「ゆれながら咲く花」を通じて、これまでの明るく愛らしいイメージだけでなく、より多様な顔を持った女優ということを証明した。このドラマによって学んだり、得たことがあるのか。チャン・ナラ:まずチェ・ダニエル:生きていると、こんなこともあるんだな?チャン・ナラ:視聴者の方々に一歩近づいた感じがして、期待したよりもたくさんの方がドラマを見てくれるので嬉しい。こんなにたくさんの出演者と演技をするのは初めてなので、ドラマの序盤では魂が抜けるような時もあったけど、私にとって「ゆれながら咲く花」はいろんな意味でスパルタ訓練みたいなものだった。―「ゆれながら咲く花」を見て気になったが、実際、学生時代にはそれぞれどんな子供だったのか。チャン・ナラ:ただ静かに寝ている子かな(笑) 問題も起こさないし、勉強もしないで、ただ静かに寝る学生だった。チェ・ダニエル:僕も問題は起こさなかった(笑) 問題を起こす状態でもなかったし、友達も多かった。喧嘩が強い友達、勉強が得意な友達、サッカーが上手い友達、就職準備クラス、入試準備クラス、みんなが友達だった。たくさんの友達のおかげで学生時代は楽だった。だけど、その時を説明する場合、いい表現だと、他人に振り回されなかったし、悪い表現だと、島のように孤立した感じだった。頑固だったから(笑)―では、2組の学生と同年代の頃、一番大きな人生の悩みは何だったのかチャン・ナラ:いつデビューできるかな。チェダニエル:うわ、本当に? かっこいい!チャン・ナラ:本当よ、中学校を卒業してからずっと練習生の生活をしていたので、それ以外の夢はなかった。チェ・ダニエル:僕は何も考えていない時期だったので、悩みがあったのかさえも覚えていない。あ、考えてみたら、一つあった。当時、家計が苦しい時だったので、制服が一着しかなくて、それが汚れるのが本当に嫌だった。汚れたら、夜に僕が手洗いして、朝着なければならないから。特に夏の制服は白と水色だったので、誰かに汚される度に喧嘩をした。ご飯を食べながら、制服に醤油が飛んで大変なことが起きたこともあった(笑) 僕の制服にはノータッチのような感じだった。性格が細かいからではなく、洗濯が面倒くさいから、その時は汚い制服を着たり、昨日と同じ靴下を履いて学校に行くのが本当に恥ずかしかった。チャン・ナラ:そうだね、その時は本当にそうだったよ!(笑)

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  • 「IRIS 2」セクシーな殺し屋のイム・スヒャン、両手を縛られ“過酷な拷問”

    「IRIS 2」セクシーな殺し屋のイム・スヒャン、両手を縛られ“過酷な拷問”

    KBS 2TVの新水木ドラマ「IRIS 2」のイム・スヒャンが過酷な拷問にあう姿が公開された。29日公開された写真では、IRIS所属のセクシーな殺し屋へと破格のイメージチェンジに成功したイム・スヒャンが、両手を天井に縛られたまま北朝鮮の人民軍に囲まれ拷問されており、耳目を集中させている。イム・スヒャンはびしょ濡れの髪の毛と血の跡が残った顔にも関わらず、恐れはおろか陰惨なほど冷たい顔をしており、彼女が描くキム・ヨンファというキャラクターへの好奇心を誘っている。また、シックでクールな魅力の裏に隠れた残酷さを表し、強烈なアクションを披露することを予告したイム・スヒャンが、どのようないきさつでこのような厳しい状況に置かれることになるのか、見る人の関心を集めている。零下の天気の中行われたこの日の撮影で、イム・スヒャンはノースリーブ姿で継続して水浸しになり、見守るスタッフの心を切なくさせたという。ドラマ「IRIS 2」のある関係者は「厳しい撮影だったにも関わらず、全くそんな気配なく感情線を維持しようと没入する姿に制作陣の感心が続いた。視聴者もこの作品を通じてイム・スヒャンを再発見することになると期待する」と伝えた。「IRIS 2」は、ハンガリー、カンボジアなどを背景にした異国的なビジュアルと、あちこちで繰り広げられる息が詰まる追撃アクションでブラウン管を圧倒する韓国型スパイロマンスアクションドラマだ。寒さも溶かすほどの演技闘志を発揮しているイム・スヒャンによりさらに期待を集めている「IRIS 2」は、韓国で2月13日夜10時「チョンウチ」の後続として初放送される。

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  • 「ゆれながら咲く花」“愛が花咲く”教室

    「ゆれながら咲く花」“愛が花咲く”教室

    「みんな、説明するからよく聞いて。理解できたでしょう?」「みんな、静かに。音がすべて埋もれてしまうじゃないの」何かを話すたびに、みんな、みんな、静かに、静かにという言葉が聞こえてくる。果たしてここは撮影現場なんだろうか、それとも教室なんだろうか。ひたすらおしゃべりし続ける子供たちを一度にまとめるあの人は、監督なのだろうか、それとも鬼教師なのだろうか。1月17日、KBS「ゆれながら咲く花」第14話の撮影が行われている京畿道(キョンギド)安城(アンソン)にある撮影現場には、朝早くからイ・ミンホン監督の雷と2年2組の生徒たちのおしゃべりが入り混じっていた。体育の時間、生徒たちが一斉に教室から出る短いシーンでさえ何度も撮影を繰り返すと、間違いなくイ・ミンホン監督の「こりゃ、このシーン1つを撮るのに、252年間もかかるんじゃないか」という怒鳴り声が聞こえてくる。それでも、生徒たちはまったく落ち込むことなく、大きな声で「すみません」と言いながらそれぞれ自分の席に戻る。しかし、こんなイ・ミンホン監督も演技を指導する時だけは、すべてのことに正解はないと教えるチョン・インジェ(チャン・ナラ)先生のように几帳面で優しい。サッカーという単語にパク・フンス(キム・ウビン)とコ・ナムスン(イ・ジョンソク)が足を止めるシーンを撮影する時は、「サッカーというトラウマ、その感じが分かる?」もしくは、「君が(過去にパク・フンスの足を)踏んだ感じで見せてくれ」と全体的な雰囲気をおぼろげに提示するだけで、具体的な演技は俳優たちに任せる。みんな、よく長い間見ると可愛い子たちだが、中でも取り分け輝いている俳優たちがいる。撮影に入る前、教室の後ろにある鏡の前で髪を整えてから教室を抜け出すクァク・ジョンウク(オ・ジョンホ役)は意外に可愛く、自分の撮影シーンが終わると亀の甲羅のようなリュックサックを背負ったまま、階段にしゃがんでモバイルゲームに夢中になっているチェ・チャンヨプ(キム・ミンギ役)は、パク・フンスの大きなポケットにすぐにでも入りそうだ。メガネを外し左手に握ったボールペンで線を引きながら台本を暗記しているキム・チャンファン(ハン・ヨンウ役)は、みんながおしゃべりをしているにも関わらず黙々と自分の道を進んでおり、お菓子を手に持って隣にいるイ・ジフン(イ・ジフン役)の口に入れてあげたり、スタッフに愛嬌を込めた声で「体壊さないように元気でね」と言うイ・ジョンソク(コ・ナムスン役)は嫉妬するほど優しい。ご飯を食べなくてもお腹がいっぱいな生徒たちにはもちろん、この日、体調がよくなかったチャン・ナラ(チョン・インジェ役)の手を揉みながら「手が冷たいじゃん。胃もたれしたかもしれないね。高麗人参とかいいものを食べなよ」と愛情をこめて同僚に気を遣うチェ・ダニエル(カン・セチャン役)のような教師までいる。しかし、寂しくも、スンリ高校のこの2年2組とはお別れになる。だから、写真の中の生徒たちの目つきや教師の手つきまで細かくよく見てみよう。

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  • 「大王の夢」撮影に復帰したチェ・スジョン“肉体的苦痛より精神的につらかった”

    「大王の夢」撮影に復帰したチェ・スジョン“肉体的苦痛より精神的につらかった”

    落馬事故から1ヶ月で復帰「精神的につらかった」落馬事故で手術を受けた俳優のチェ・スジョンが「大王の夢」の撮影に復帰し「肉体的苦痛より精神的につらかった」とこれまでの心境を語った。KBS 1TV大河ドラマ「大王の夢」の懇談会が開かれた28日午後12時、京畿道(キョンギド)水原(スウォン)のある飲食店にキム・チュンチュ役のチェ・スジョンと女優のホン・ウニと俳優のキム・ユソク、イ・ジョンス、演出を担当したシン・チャンソク監督、イ・カンヒョンドラマ局長が出席した。8日に退院したチェ・スジョンは、右腕にギブスをして登場した。4月第一週に鎖骨と手に入ったピンを抜く手術が残っている。「ただ申し訳ないとしか言いようがない」と語り始めたチェ・スジョンは「病室と家でスタッフが送ってくれる手紙を見てただ涙だけ流した」とし「実は、今も肩甲骨の壊れた部分の手術を受けられなかったので横になったり壁に寄り添ったりすれば痛い」と説明した。引き続きチェ・スジョンは「だが、良い作品を作るためにははやく撮影しなければならないと思って復帰を決心した」とし「今日から『大王の夢』第2期が始まるが、新しい俳優たちと検証済みの俳優たちの姿勢を期待しても良い」と付け加えた。体当たりで臨む理由、俳優としての基本であるため実は、チェ・スジョンの落馬は意外な事件だった。時代劇のパク・チソンと呼ばれるほどたくさんの大河ドラマに出演してきた彼は、馬を扱う腕も自他共にベテランだと認められていたためだ。チェ・スジョンは「よくある状況が僕にも起きただけ」とし「馬から落ちたことは初めてだが、これくらいのケガでありがたいと思っている」と心境を伝えた。引き続きチェ・スジョンは「これをきっかけにスタッフがどれだけ一丸となっているのかが分かった」とし「長編ドラマであるだけに緊張を緩める傾向がないわけではなかったが、自身を点検し互いに配慮するきっかけになった」と語った。シン・チャンソク監督によると、手術室に入る前まで台本を手に持っていたというチェ・スジョンは復帰への意志が強かった。入院当時を思い出したチェ・スジョンは「生まれて初めて入院し、初めて薬も飲んでみたと言っても過言ではない。肉体的にきついのは鎮痛剤を打たれ、声を上げたりしながら耐えられたが、精神的苦痛はものすごかった。精神科の教授に相談するほどつらかった」と語った。だが、チェ・スジョンは「私たちが知っていることとは違うキム・チュンチュの新しい面を見せると約束したことは守るべきだと思って復帰した」とし、体当たりで臨む理由を聞く質問に対しては「俳優としては基本だ。僕にできることなら僕がやりたいという気持ちがいつもある」と強調した。一方、チェ・スジョンは昨年10月、落馬事故で右肩の靭帯が損傷し、同年12月に再び落馬し右側の鎖骨と肩、そして左手などを大きくケガし、約7時間に及ぶ大手術を受けた。この事故で「大王の夢」は、5日と6日に放送されなかった。これにチェ・スジョンは、放送中止にならないよう「声でも出演する」との意志を示し、28日から正式に撮影に復帰することを決めた。まだギブスをしているチェ・スジョンは「前のように刃物を使ったり、馬に乗ることはできないが、(台本修正なしに)同じようにする」とし「ギブスをはずして腕を固定した状態で撮影し、またギブスしなければならない。服を脱いだり着たりすることが一番不便だ」と吐露した。「腕をケガしてすべての点滴を脚に刺さなければならなかった。ハ・ヒラさんが洗って着替えることまで全部やってくれた」と妻の内助の功に感謝した。チェ・スジョンは、今週土曜日の2月2日から正式に出演する。KBS 1TV「大王の夢」は毎週土曜日と日曜日の午後9時40分に韓国で放送され、計80話のうち32話まで放送された。

    oh!my star
  • MBCドラマ、視聴率高めるために若い世代は放棄する?

    MBCドラマ、視聴率高めるために若い世代は放棄する?

    MBCがドラマ王国の名声を保つために中高年層を狙ったドラマを次々と出している。相対的に若い視聴者が好むはつらつとしたドラマがない点が残念だ。MBCは昨年、韓国の地上波3社で視聴率最下位になったことを挽回するために努力している。今のところスタートはいい。月火ドラマ「馬医」、水木ドラマ「7級公務員」、週末ドラマ「百年の遺産」が同時間帯1位となっており、毎日ドラマ「オ・ジャリョンが行く」と朝ドラマ「愛していたみたい」も安定的な視聴率を維持している。これらのドラマは、チュウォン、チェ・ガンヒ主演のスパイ恋愛ドラマ「7級公務員」を除き、いずれも中高年層を狙ったドラマだ。これにまだ放送が始まっていないドラマも興行が保証されている時代劇や通俗劇が多数配置されている。MBCは3月から9時枠に時代劇「ホジュン~伝説の心医~」を編成し、KBS 1TV「9時ニュース」と競争する。「ホジュン~伝説の心医~」は、1999年に視聴率60%を突破した「ホジュン~宮廷医官への道」をリメイクした作品で「東医宝鑑」の著者ホ・ジュンの物語を取り扱う。原作者で「ジャイアント」「光と影」で高い視聴率を見せたチェ・ワンギュ脚本家が執筆を務める。MBCは、このドラマを月曜日から金曜日まで週5回編成し、6ヶ月放送するという計画だ。「7級公務員」の後番組「男が愛する時」も安定的な視聴率を記録する痴情恋愛ドラマを掲げている。現在、ソン・スンホン、シン・セギョンなど、若いスターたちの出演が有力な状況だ。昨年継続的に高い視聴率を見せたKBS 2TV「赤道の男」のキム・イニョン脚本家がペンを取り、重量感のあるストーリーを描く予定だ。「馬医」の後続作である「九家の書」もドラマのロングセラーである時代劇だ。半人半獣で生まれたチェ・ガンチが人間になるために繰り広げるドタバタ武侠アクションドラマだ。もちろん、フュージョン時代劇である上、主人公もイ・スンギ、miss A スジなど好感度の高いスターを立てており、作品そのものに古い印象がない。それでも「馬医」に続き相次いで時代劇を編成し、視聴率を獲得したいというMBCの意図が伺える。このように今年MBCドラマの上半期のラインアップを見ると、若い視聴者を魅了する実験的な作品がないということが特徴だ。これはMBCが昨年視聴率1位の奪還を宣言したのと無関係ではないというのが業界の評価だ。知られている通り、放送視聴率は中高年層の支持有無によって左右されているためだ。そのため、MBCが今のように視聴率に全力を尽くせば、相対的に若い視聴者たちをないがしろにするという指摘から自由になれないとみられる。

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