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  • 「会いたい」1話延長が確定…17日に最終回

    「会いたい」1話延長が確定…17日に最終回

    MBCドラマ「会いたい」(脚本:ムン・ヒジョン、演出:イ・ジェドン)が延長されることが確定した。MBCは8日午後、「『会いたい』の1話延長が決まり、全21話で幕を閉じる」と明かした。当初、全20話で企画されていた「会いたい」は、1話延長が確定したことにより、17日に最終回を迎える。制作陣は、「『会いたい』を1話延長したことで、視聴者に最後まで完成度の高いドラマを見せたい」と話した。これにより、韓国で「会いたい」の後番組として放送予定のMBC新ドラマ「7級公務員」(脚本:チョン・ソンイル、演出:キム・サンヒョプ)は、23日に放送がスタートすることになる。

    マイデイリー
  • 「馬医」オム・ヒョンギョンが初登場“4ヶ月間ひたすら待っていた”

    「馬医」オム・ヒョンギョンが初登場“4ヶ月間ひたすら待っていた”

    女優オム・ヒョンギョンが、MBCドラマ「馬医」に本格的に登場する。「馬医」で舎岩道人(チュ・ジンモ)の弟子ソ・カヨン役で初登場するオム・ヒョンギョンは、「この瞬間を4ヶ月間ひたすら待っていた」と話した。ソ・ガヨンは、住む所もなくあちこちをさまよいながら旅をする舎岩道人の弟子で、劇中でぽんぽん弾ける魅力を見せる。師匠である舎岩道人にもタメ口を使い、反抗的な態度を見せる、今までの時代劇では見ることがなかった猟奇的で中性的な人物だ。4日に京畿道(キョンギド)龍仁(ヨンイン)で初めての撮影を終えたオム・ヒョンギョンは、「撮影が行われない間、どんな姿で初登場するのかとても期待していた」とし、「台本をもらって初めて撮影した後、気さくで中世的な魅力のソ・ガヨンが私のもともとの性格と似ていて、親近感を感じた」と話した。さらに、「グァンヒョン(チョ・スンウ)が王宮を離れ、新しい展開を見せる『馬医』にプラスのどんでん返しをもたらす人物になれるよう、努力したい」と話した。オム・ヒョンギョンが初登場する「馬医」第29話は、8日午後9時55分に韓国で放送される。

    マイデイリー
  • 「清潭洞アリス」ムン・グニョン、台本に熱中している姿をキャッチ…愛嬌で応える

    「清潭洞アリス」ムン・グニョン、台本に熱中している姿をキャッチ…愛嬌で応える

    女優ムン・グニョンの、愛嬌溢れる撮影現場の姿が公開された。ムン・グニョンの所属事務所NAMOO ACTORSは8日、公式Facebookを通じてムン・グニョンの可愛らしい愛嬌が盛り込まれた、SBSドラマ「清潭洞(チョンダムドン)アリス」の撮影現場の写真を公開した。ムン・グニョンは当日、現場で写真撮影していることを知らずに台本の練習をしていたが、カメラを発見するやいなや、びっくりした表情を見せた。ムン・グニョンは、カメラをただ無視せずにイタズラっぽい愛嬌を見せ、周囲の人々を笑顔にした。撮影関係者によると、「涙を流す演技が多いと感情の消費が激しく、普通は俳優たちが敏感になる場合が多い。しかし、ムン・グニョンは演技をする時は驚くべき集中力でキャラクターに入り込み、それ以外の時はいつも笑いながらスタッフを配慮し、プロらしい姿を見せている」と、ムン・グニョンを絶賛した。ムン・グニョンが出演中のドラマ「清潭洞アリス」は、主演俳優たちの熱演で第9話を境に視聴率が大幅に急上昇した。

    マイデイリー
  • 「会いたい」ユ・スンホ“毎日見たい悪い男”

    「会いたい」ユ・スンホ“毎日見たい悪い男”

    水に入ったニワトリ(水炊き)を食べたくないとだだをこねていた男の子が、11年後に鳥肌が立つ演技を見せる本物の俳優に成長した。2002年の映画「おばあちゃんの家」で7歳のやんちゃ坊主として70歳年上のお婆さんと一緒に暮らしたユ・スンホが、最近高い人気を集めているMBC水木ドラマ「会いたい」で、9歳年上のユン・ウネとすれ違いの愛を繰り広げている。劇中個人資産運営家のカン・ヒョンジュンとして出演している彼は、美少年の顔だちで復讐のためには殺人もいとわないサイコパスを演じ好評を得ている。1993年生まれで現在20歳のユ・スンホは、2000年のドラマ「カシコギ」でデビューした。2002年に映画「おばあちゃんの家」でやんちゃな7歳の少年として色々ないたずらをするが、実は愛嬌のあるいたずら小僧の一面を見せて、元祖国民の弟として親しまれた。その後は癒し系俳優たちの子供時代や多様な配役を演じてすくすくと育った。2004年の「不滅の李舜臣」ではキム・ミョンミンの子供時代を、2005年「悲しき恋歌」ではクォン・サンウの子供時代を、2007年「太王四神記」ではペ・ヨンジュンの子供時代を立派に演じきった。子役を終えて、早い時期に成人俳優としての演技をスタートさせた。2010年、18歳の頃「欲望の炎」では出生の秘密を持った財閥3世キム・ミンジェ役で出演し、劇中ソウと結婚し熟した演技を披露した。その後にも2010年「ドラゴン桜」、2011年「ペク・ドンス」、2012年「アラン使道伝」などに出演して休むことなく俳優としての経験を積んできた。スクリーンでの歩みも尋常ではなかった。2004年「非日常的な彼女」、2006年「マウミ」、2008年「ソウルが見えるか?」、2009年「4時間目推理領域」「釜山」などに出演した。2011年にキム・ハヌルと共演したスリラー映画「ブラインド」では、さらに熟した演技力で好評を得た。すっきりとした額、鋭くて深い目つきを持ったユ・スンホは、登場した初期からソ・ジソブに似た顔立ちでずっとリトルソ・ジソブと呼ばれてきた。しかしソ・ジソブとは確かに異なるすっきりとしたラインとスリムな体つきは、美少年の雰囲気が漂う。実際に存在しにくい完璧なルックスの人を指す新造語CG男と呼ばれるほどのずば抜けた風貌は、「会いたい」でのギャップのあるキャラクターをより極大化している。正体があらわになる前は母性本能を刺激する儚げな被害者だったが、実は長い間緻密に復讐を準備し、復讐のために連続殺人も正当化する二重人格者だ。ただお金のせいで命が危うくなり、母親と生き別れになった不遇な過去において、唯一慰めになったイ・スヨン(ユン・ウネ)に捨てられると、彼女に殺人の濡れ衣を着せる極端な選択までする。長い間大切にしてきた恋人だが、結局自分のもとから去ると残酷に踏み潰してしまうほど無慈悲なのだ。劇中カン・ヒョンジュンは幼い頃に猛犬にかまれ、杖をついて片足を引きずりながら歩く。しかし不自由になった体よりもっと不自由になったのは、歪んでしまった人格だ。このような複雑なキャラクターを天使のような顔のユ・スンホが演じるため、さらに役が輝き共感を呼ぶのだ。さらに深い目つきで涙を浮かべ、笑うのか泣くのか分からない表情で急に魔性の表情を浮かべるため、視聴者はさらにドラマにハマるのである。演技は現場で学ぶという考えで、大学特例入学のラブコールを断ったユ・スンホは、同年代と同じ時期に軍服務をしたいという理由で、この作品を最後に芸能兵士ではない一般兵士として志願入隊する予定だ。本格的に成熟した洋々たる俳優をしばらく見られないということは残念だが、さらに大人になった姿で帰って来て、再び視聴者の心を掴んでほしい。リトルソ・ジソブのタイトルを外しても、とても立派な成人になったユ・スンホ。望ましい顔立ちと望ましい演技力でしっかりと大人になったユ・スンホが見たく、また誇らしい。

    マイデイリー
  • 「ドラマの帝王」危機の帝王に現実はない

    「ドラマの帝王」危機の帝王に現実はない

    ※この記事にはドラマ「ドラマの帝王」の結末に関する内容が含まれています。ストーリーSBS「ドラマの帝王」の最終回は、初回とまったく同じだった。「京城の朝」の最終回の撮影にソン・ミナ(オ・ジウン)が遅れることになって、治療のためにアメリカへ行くはずのアンソニー・キム(キム・ミョンミン)が飛行機に乗ることを諦め、撮影現場に向かい第1話の時と同じテープを放送局に届けようとしたが交通事故に遭ってしまう。しかし、アンソニー・キムは命を落とすことはなく、「京城の朝」は高視聴率を記録して最終回を迎えた。そのおかげで「ドラマの帝王」は何の問題もなく、一年後、みんながハッピーエンドを迎え終わることができた。レビュー「本当に時間が経つのは早い。もう最終回とは」。「ドラマの帝王」の中であらゆる危機を乗り越えながら「京城の朝」を撮影した彼らはそう思っただろう。しかし、テレビの外で「ドラマの帝王」を見守っていた視聴者たちにとっては、とても長い時間ではなかっただろうか。ストーリーとキャラクター同士の関係を深めるより、緊迫した事故を作り、それを解決する方式でドラマが進みながら、「ドラマの帝王」はまるで終わらないドラマのように思えた。「京城の朝」は終わっても、アンソニー・キムの終わらないドラマ制作奮闘記は失明という極端な設定でやっと終わらせることができた。だが、事件事故の主役だった「京城の朝」の最終回を素直に放送したくなかったのか、第1話と同じく生放送の撮影を遅延することで、録画テープを届けられない状況を作り、話を原点に戻した。ドラマの制作現場で繰り広げられた出来事は現実的かもしれないが、それを解決する過程は偶然とずる賢い手段に頼っていたように、死に直面しても、イ・ゴウン(チョン・リョウォン)がアンソニー・キムの手を握ることで、止まっていた心臓がまた動き出した奇跡で繋いだシーンは、ドラマでの現実的な面について語ろうとしたが、かえってそれを混乱させている。アンソニー・キムは1%の希望より、ドラマを完走することを選び、ドラマの帝王になったが、「ドラマの帝王」の完走を待っていた視聴者たちは、急迫しただけの最終回を見ながら、長い競走が終わったにもかかわらず、ゴールテープを切ることはできなかった。仲間たちとおしゃべりするポイント―OSTに隠された伏線:目がくらんで、あなたしか見えません―憎めない魔性の男キム・ボンダルさんがいつイ・ゴウン脚本家に惚れたのか、最後まで明かされなかったのですか?気になるのは私だけ?イ・ゴウン脚本家も気になるはずです。―あらゆる噂話を乗り越えた作品性と視聴率、両方を捉えることができ、それに関連したすべての人物が幸せになった伝説のドラマ「京城の朝」が見たい。

    10Asia
  • 「会いたい」JYJ ユチョン、涙が乾くことのない日々を送る

    「会いたい」JYJ ユチョン、涙が乾くことのない日々を送る

    JYJのユチョンが、涙が乾くことのない日々を送っている。ユチョンは現在、MBC水木ドラマ「会いたい」で、悲しみの絶頂に至る熱演を見せている。第17話まで放送された同ドラマは、14年前のハン・ジョンウ(ユチョン)とイ・スヨン(ユン・ウネ)拉致事件の全貌と、これまでたくさんの人を殺してきた殺人犯がカン・ヒョンジュン(ユ・スンホ)だという事実が明らかになり、視聴者の涙腺を刺激している。特に、男性主人公であるユチョンは、毎回涙を流す切実な演技で好評を得ている。ドラマの関係者は「ユチョンは劇中でのキャラクターのため、毎日涙を流している」と明かした。ユチョンも「最近では相手役の誰に会っても涙が出る。特に、ソン・ソクスク先生がジョンウに初めて『今日は何となくとても会いたかった』と言うシーンを撮る時は、本当にむかっと来た」と涙を流す演技への感想を語った。また、彼は「一番悲しいシーンの一つだった。残りあと3話にたくさんの期待をお願いしたい」と呼びかけた。

    OSEN
  • チュ・ジンモ&オム・ヒョンギョン「馬医」に本格的に合流

    チュ・ジンモ&オム・ヒョンギョン「馬医」に本格的に合流

    俳優チュ・ジンモとオム・ヒョンギョンが、MBC月火ドラマ「馬医」にどんでん返しをもたらす重要人物として本格的に合流することが分かった。7日、「馬医」の制作会社であるキム・ジョンハクプロダクション側は、本格的にドラマに登場するチュ・ジンモとオム・ヒョンギョンの姿が写っているスチール写真を公開した。韓国で8日放送される「馬医」の第29話から登場する予定のチュ・ジンモとオム・ヒョンギョンは、それぞれ伝説的な舎岩(サアム)針法の創始者である舎岩道人役と妙齢の弟子ソ・カヨン役を演じる。劇の序盤、死にかけている幼いペク・クァンヒョン(チョ・スンウ)の命を救い、後で針の名人になることを予見するなど、短い登場にも関わらず、強い存在感を見せた舎岩道人は、実際歴史上に存在したが、明確な史料は残っていない伝説の中の人物だ。また、舎岩道人の弟子であるソ・カヨンは、師匠ともに全国あちこちを駆け回る人物で、師匠にタメ口をきいたり、けんつくを食わせたりするなど、突拍子もない朝鮮時代の4次元(人並み外れて風変わり)少女である。幼い時別れたペク・クァンヒョンとカン・ジニョン(イ・ヨウォン)の再会、ペク・クァンヒョンとイ・ミョンファン(ソン・チャンミン)の対立など、回を重ねるにつれ興味が増していくストーリーに加え、「馬医」での2人の新しい人物の登場は、劇に新鮮さを与えると期待される。4日、京畿道(キョンギド)龍仁(ヨンイン)で初撮影に臨んだオム・ヒョンギョンは、「『馬医』に出演するために4ヶ月待ち続けた。これまで、ソ・カヨンというキャラクターについてたくさん研究し、自分なりにいろいろ勉強しながら熱心に準備した。実は、ソ・カヨンというキャラクターが時代劇でよく見られるキャラクターではなくて大変な部分もあったが、初めての撮影を終えてイ・ビョンフン監督から称賛をもらった。本格的なストーリー展開が進む『馬医』のどんでん返しのあるストーリーを引っ張っていく切り札として最善を尽くす」としっかりした感想を語った。ペク・クァンヒョンの出生をめぐる秘密が明らかになり、緊張感が増している「馬医」は、韓国で毎週月火午後9時55分から放送されている。

    マイデイリー
  • 「野王」クォン・サンウ、特別検査チームの検事に変身…大統領官邸の家宅捜索

    「野王」クォン・サンウ、特別検査チームの検事に変身…大統領官邸の家宅捜索

    俳優クォン・サンウが冷徹な検事に変身した。8日午前SBS新月火ドラマ「野王」(脚本:イ・ヒミョン、演出:チョ・ヨングァン、パク・シヌ)の制作会社は劇中で、特別検査チームの検事に変身したハリュ(クォン・サンウ)の様子が盛り込まれた写真を公開した。写真でハリュは青瓦台(韓国の大統領官邸)の家宅捜索の指示を受け、悲壮な表情で、青瓦台に進撃していく様子だ。ハリュは緊急出動の車両に乗り、捜査官らに「行きましょう、世宗路(セジョンノ)1番地」と目的地を知らせる。ファーストレディであるダヘ(スエ)と絡み合った大型疑惑事件を暴こうとするのだ。韓国ドラマの中で、青瓦台に対する家宅捜索、それも秘密の空間であるファーストレディの官邸私室を対象にしたケースは初のことだ。ハリュは捜査官らと一緒に青瓦台に押しかけ、裁判所が発行した捜索令状を提示する。そしてファーストレディの私室に入り、一時命をかけて愛した恋人であるダヘと運命の再会をする。クォン・サンウはこのシーンを撮るために、新年初日からソウル光化門(クヮンファムン)十字路と上岩洞(サンアムドン)DMC先端産業センタービルなどでリアリティーのある死闘を繰り広げた。零下15度の酷寒でコートを着ず、一日中青瓦台進撃事件を撮影した。クォン・サンウは2010年出演したドラマ「レディプレジデント~大物」で左衝右突する熱血検事として、コ・ヒョンジョン大統領を作るために努力したが、「野王」ではファーストレディスエを引き下げる真逆の役割をする。彼は「このドラマは最初から注目を集める強烈なシーンが多くて期待が大きい。純真な純愛の主人公が復讐するために変わっていく様子を見守ってほしい」と伝えた。クォン・サンウが検事に扮したドラマ「野王」は、韓国で14日夜9時50分に初放送される。

    マイデイリー
  • KARA ジヨン「IRIS 2」出演を辞退…韓国での女優デビューは次の機会に

    KARA ジヨン「IRIS 2」出演を辞退…韓国での女優デビューは次の機会に

    ガールズグループKARAの最年少メンバージヨンが、KBS 2TV新ドラマ「IRIS 2」に出演しないことが決定した。8日、KARAの所属事務所であるDSPメディア側は、「ジヨンが『IRIS 2』への出演に関して話し合ってきたが、出演条件のうち一部に意見の違いが存在したため、最近出演を辞退することが決まった」と明かした。さらに、「韓国での演技初挑戦作品であるだけに、作品と彼女自身のどちらにも利益があるような最善の選択について、慎重に悩んだ結果だ。『IRIS 2』には出演しないが、ドラマや映画などの出演オファーがたくさんきているため、慎重に検討した後に決定し、演技に挑戦する予定」と話した。ジヨンは当初、「IRIS 2」でNSS警護チーム要員ソン・チェラン役で出演する予定だった。しかし、出演辞退を決め、韓国での演技初挑戦は次の機会となった。「IRIS 2」は、キム・ヒョンジュン(イ・ビョンホン)が死んでから3年の月日が流れた後の話を描く。韓国でドラマ「チョンウチ」の後番組として、2月13日に放送がスタートする。

    マイデイリー
  • Vol.2 ― ユン・シユン「視聴率50%ドラマの主人公?まだまだリスクの多い俳優」

    Vol.2 ― ユン・シユン「視聴率50%ドラマの主人公?まだまだリスクの多い俳優」

    ―そのような面で、この作品を通じて多くの人々と出会ったユン・シユンという俳優はどう成長したのでしょうか。ユン・シユン:僕を最も成長させた画期的な変化があるとすれば、自分の弱さを認めるようになったことですね。以前は自分の弱さを怖がっていました。主人子を引き受けたのだから、僕の責任が重いとか、失敗は許されないとか、先輩たちの足手まといになってはいけないと思っていました。でもそれは間違った考え方でした。自分の弱さを認め、大変だと思えば共に分かち合うのが正しいとわかったんです。最終話が放送されてから涙を見せてしまったのもそうした変化の表れです。制作発表会の時は自分の言葉が一人でこだましているような気がしていました。全てのメディアから大手テレビ局2社から大作が出るのを知っているか>どうやって勝負するつもりか、そればかり質問されました。その時僕は、「キム・タックは絶対に負けない、魅力のある人物ですから必ず見届けて下さい」と答えましたが、それが空しくこだましているような感じだったんです。ところが、最終話が放送されて、その時のことが脳裏に浮かんで来たんです。僕はこの作品にこれ程多くの出演者がいるなんて知りませんでした。制作発表会の時は自分ひとりで自信もなさそうに「見守って下さい」と話していましたが、こんなに多くの人が僕を支えてくれて引っ張ってくれたからこそ、こうした記録も達成出来たんです。だからあの時質問した人々に見てもらいたいんです。「僕一人だと思ったでしょうけど、こうやって終わって見ると皆の存在が見えますよね」って。「製パン王キム・タック」が成功したのは事実ですが、誰も僕のことを視聴率50%ドラマの主人公になれるとは考えなかっただろうと思います。僕はまだまだリスクの高い俳優です。でもそれだけ弱いからこそ僕を支えてくれてキャラクターが生きるのだと思います。他人と共に歩めるエンジンにはなれるのではないかと思います。だからこそ、この弱さが好きなんです。「素敵な演技に執着するのは失礼だと思う」―周囲の人に助けられたとはいえ、実際にチョン・グァンリョルやチョン・インファのような先輩俳優と劇的な対立や葛藤を繰り広げる演技を新人の俳優がするのには無理があるのではないかと思っていました。ユン・シユン:僕はすごくポジティブで、あまり深く考え込まないんです。初めての台本読み合わせの日に監督さんと脚本家さんがびっくりしたのが、僕が二人のチョンさんの間に座って台本を読んだことだそうです。深く考えていないだけでしたが、こいつ怖いもの知らずだなって思ったそうですから。でも僕は先輩たちから受けるプレッシャーよりは、ただ単に学びたい一心でした。―二人の先輩方の反応は?ユン・シユン:チョン・グァンリョルさんは単に、本当に熱心だなって思ったそうです。その日の台本読みで僕の声が枯れてしまって、そしたらグァンリョルさんから「熱意は分かるけど、今君に必要なのは力を抜くこと」って言われました。チョン・インファさんもそうです。インファさんのソ・インスクという役とキム・タックは、とても対立するキャラクターですが、演技しているときは「このどうしょうもないクズ!」と言っても、カットの合図さえ入れば「上手い、上手い」と褒めてくださるんです。だから緊張もなくて、すごくよくして下さいました。―こうした経験が次の作品にはどう影響するでしょうか。ユン・シユン:先ほど話したように、弱点を好きになることです。自分自身を素直に認めて、これからもっともっとチームプレイを頑張る自信があります。自分ひとりではダメだということが分かっていますから。―スター性が高くなってもその心意気を持ち続けそうですね。ユン・シユン:当然です。本当に賢い人は自分が無知であることを知っている人だっていいますから。もちろん僕だって強い人になりたいです。だからこそ、もっと自分の弱さを謙虚に受け入れて活用する人になりたいんです。僕はそれほど面倒見のいい性格でもないし、人を引き付ける魅力のあるような人間でもありません。ただ嘘はつかないし、本心から助けてほしいと言うだけ。皆は僕の本心を見て助けてくれるのに、生意気になってはいけませんよね。僕がすごいから来てくれるのではなく、僕の本心を認めたから好きになって来てくれているのに、心変わりしてしまったらだめですよ。―でも、時にはスター性のある主人公の魅力で引っ張っていく作品もあります。ユン・シユン:作品はハーモニーだと思います。正直まだよく分かっていないんですが、先輩俳優の方々を見て答えているんです。全ては調和が重要だと思います。ある時は自分を下げる必要もあります。もちろん僕が目立って「おっ、いいじゃん?」式に視聴率が上がる場合もあるでしょう。でも、ドラマが終わってからも主人公しか残らない、映画を見てからこれってユン・シユンを見せるための映画だね、となると最悪です。それは芸能人であって俳優ではありません。僕はユン・シユンというキャラクターを演じているわけではないんですから。僕がスタイルのいいモムチャン(鍛え上げられた美しい体を意味する造語)になれば、キム・タックがもっと洗練されることもありだとは思います。でもそれはキム・タックではないでしょう? 周囲の人と調和するのがキム・タックなんですから。今度の作品であれほど綺羅星のような先輩方が出演していたにも関わらず、誰一人自分を押し出した方はいらっしゃいませんでした。イ・ハヌィさんだって実際にはすごく素敵な方なのに、作品ではただ面白くしていただけです。そうしたことを学びたいですね。僕よりもっと努力しているのに、まだ電車賃がなくて歩いて大学路にある劇場まで行って演技している方がどんなに多い事か。素敵な演技に執着するなんて、そんな方々に対して失礼だと思います。「面白くないことは全部僕がしているみたい」―本当に誠実ですね。ユン・シユン:作品はまだ二つ目ですけど、これまでに本当に多くのメンター(未経験者に助言を与えてくれる経験者や先輩)に会いました。俳優としての生き方を教えてくれた方がたくさんいたんです。有頂天になるようなことを教えたりするような人はいませんでした。―それだけ普通の暮らしを愛していないと出来ないことだと思います。ユン・シユン:本当に普通に暮らしています。本当に面白味のない人間なんですよ。周りの人と会って話すのが好きで、今も人々にすごく愛されて幸せというより、これで周りの人も幸せで楽しく遊べるということがいいんです。だって、広い乗り心地のいい車に乗って移動しながらスケジュールの話をしたり自分の事について話したり、最高でしょう? 自己啓発本などを読むと大きな夢を持てと言いますが、僕は本当に器が小さい人間みたいなんです。一生懸命に仕事をして、一時間でもいいから友達とビールを一杯飲むのが好きなんです。だからそれを守るために努力したいんです。―そうしたことからも分かるように、とてもファンを大切にしているようですね。ファンのネットコミュニティに直接書き込みをしていますし。ユン・シユン:最近忙しくてそちらに書き込みが出来ないのがとても申し訳なくて。「製パン王キム・タック」が終わって何か書くべきなのにそれが出来なくて。リレーインタビューをすべて終えてから書き込みが出来ると思います。―平凡な生き方だと言っていますが、誰もが文章を書くことを好きになるわけではありません。ユン・シユン:世の中で面白くないと言われていることは、すべて僕がしているみたいですね、本当に。スポーツだってするより見る方が楽しいし。―野球好きだと聞きましたが。ユン・シユン:熱狂的なファンです。野球好きは誰でも僕の仲間で、僕の友達です。そのくらい好きです。年中一番憂鬱になるのが野球シーズンの終わる日で、コリアンシリーズの決勝戦のある日です。これから何して暮らせばいいんだろうって本当に虚ろになるんです。本気でそうなるんですよ。だからシリーズの始まる4月には、目の前がぱっと晴れるような気持ちになります。―野球の何がそれほど好きなんですか?ユン・シユン:野球は守りのゲームだから好きです。野球では守りの割合がすごく大きいんです。9:1くらいかな。攻撃には生まれつきの何かが必要っていうけど、守備は本当に訓練から生まれるんです。だからいい守備の出来る人が本当に好きで、愛着もあるんです。―ユン・シユンさん自身も努力家ですか?ユン・シユン:努力家になりたいです。まだそうだと言い切れませんが、努力家になるつもりです。「韓国内外でいい影響を与える人になりたい」―ジュンヒョクやキム・タックのように自分と似たキャラクターではなく、英雄や悪役などを演技するためには多くの努力が必要ではないでしょうか。ユン・シユン:努力も必要ですが、結局重要なのは役を愛する気持ちだと思います。他の人を説得できるキャラクターを作るためには、キャラクターと仲良くなる必要があります。天才的な役者ならそれを完璧に想像できると思いますが、僕はそうではありません。だから、恋愛するようにそのキャラクターを好きになり、早く演じたいと思えば、似ていくように思います。関心がそこに集中しますから。キャラクターの特徴ばかり考えながら、その気持ちなどを考えると、その人になっていくんです。―では質問を変えましょう。どのようなキャラクターでも愛することが出来ますか?ユン・シユン:それは期間の問題でしょう。愛するのに長い時間がかかるキャラクターがあると思います。男女でもすぐ恋に落ちる場合だってあるし、1年2年と時間をかけて愛するようになる場合もあるでしょう?―この職業は決められた時間にそれをしないといけませんからね。ユン・シユン:短い時間を効率的に使うのが大先輩たちの技術だと思うのですが、まだ僕にはそれがありませんね。もっと長い目で見ないと。―バランスを保ちながら平凡さを愛し、いい役者になりたいというのは分かりました。それでも成し遂げたいことはないですか? スターになりたい以外にも。ユン・シユン:あります。大きすぎて非難されるかも知れませんけど、これは本心です。希望のキーワードのような人になりたいです。有名なボランティア団体の広報代表とか、韓国内外的にいい意味で影響力を持つ人になりたいです。そうしたエネルギーを持って演技をし、その演技によって人々の信頼を得ることの出来る、そうした人物ですね。広告主受けする人よりは、彼が一言言えば人々に大きな希望を与えると同時に何か良いことに参加出来そうな人物。本当に大きな夢ですし、必ずそうなりたいです。

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  • Vol.1 ― ユン・シユン「子供と大人の真ん中、バランスを失わないように」

    Vol.1 ― ユン・シユン「子供と大人の真ん中、バランスを失わないように」

    録音された内容を素早く整理し、締め切りに間に合わせるインタビューがある一方で、静かにインタビューへの返答を吟味し、繰り返し考えてしまうインタビューがある。ユン・シユンとの1時間あまりのインタビューを整理するのにとりわけ時間がかかったのは、それが後者だったからであろう。だからと言って空気が重いわけではなかった。デビュー作であるMBC「明日に向かってハイキック」で期待のルーキーとして浮上し、初の主演作品であるKBS「製パン王キム・タック」で視聴率50%の大記録を打ち立てたが、この25歳の若者は、いかなる驕りも虚勢もなく一貫して愉快に自分の考えを話していた。「自分の弱さが好き」と語り、それを守るだろうと念を押して。以下は軽快なリズムの中で、しかし決して軽くはない、言葉に重みのあったユン・シユンとのインタビュー記録である。この記録を読むあなたのマウスがゆっくりスクロールされることを願う。「ジュンヒョクもキム・タックも、好きで始めたことだ」―「製パン王キム・タック」が終わってからリレーインタビューを受けていると聞いています。こうした経験は初めてでしょう。ユン・シユン:そうです。今日はこれでもう4度目ですが、まだそれくらい残っています。―30話のドラマを終えて、すぐインタビュー漬けになるのは大変ですね。ユン・シユン:いいえ。これもひとつの手順だと思います。俳優のユン・シユンとして「ありがとうございました」と言える席ですから。キム・タックとして言えなかった話もできますし、大変貴重な場だと思います。―記者とインタビューを続けるのはどうですか?ユン・シユン:幸いにも、皆さん好意的で可愛がってくださいます。ときどき記者に気をつけろという話をしてくれる方もいらっしゃいますが(笑) 本心を話せばそのまますべて書いてくださいます。今まで記事の内容などで傷つけられたことはありません。別の見方をすれば、新人のころから好意的に見てくださっているので、ある種の責任感を感じたりもします。―本人の言葉どおり実質的なデビュー作である「明日に向かってハイキック」から大きな人気を得ています。でもドラマのタイトル・ロールを引き受けるということは、周囲の反応は抜きにしても、負担にはなりませんでしたか?ユン・シユン:負担です。負担ですが、これはもっぱら演技についてです。俳優として克服する必要のある負担でしたから、意味のあるものだと思いました。それを克服しないと成長できません。―「明日に向かってハイキック」のときは、自らジュンヒョクのようだと言ってましたが、今はまるでキム・タックのように話してますね。ユン・シユン:そうですか? 皆さんにそう言われてます。それはたぶん自分の役に対する愛情から来るものだと思います。恋愛しているカップルが似ていくように。僕自身、発声や発音、演技力、感情、動きといったすべてのものが、まだまだ足りていないことをわかっています。それでも役への愛情はあるんです。ジュンヒョクもキム・タックも。好きで始めたんです。だから似ていくんでしょうね。「バランスを保って、期待される人になりたい」―ほとんどの人は自分の好きなことをしていても怖気づいてしまいます。自分はどうだと思いますか? 上手く克服していると思いますか?ユン・シユン:僕は大胆に助けを求めてしまいます。ひとりでは絶対にできないということを知っているから。ひとりで溜め込むなんて絶対にしません。キム・タックもそうですが、僕らは似たところがあるんです。キム・タックを演じながら、負担になったり怖かったことも、他の人と一緒に克服できたのであって、ひとりで解決する精神力なんて持ち合わせていません。僕は大胆に勇気を出して、あなたがいないとできません、というタイプなんです。―普段は誰が力になってくれますか?ユン・シユン:一番親しい友人はマネージャーさんやスタイリストさんです。台本を読んだりご飯を食べながらする話が、どれだけ力になるかわかりません。彼らが僕を守ってくれるように僕も彼らを守る責任がありますから、それに対する責任感もあります。僕が彼らを頼りにするように、僕も彼らの頼りになる人になりたいと思っています。―スターになるのもそのひとつの方法ではないですか?(笑)ユン・シユン:そうですね、バランスを保っている人になれば誰かの支えになれると思います。支えになれるような根を張っているからこそ、誰かの頼りになれるのだと思います。派手なことを言える人が頼りになるのではなく、いつもそこに立っている人、そこへ帰りたくなる人が頼りになるんだと思うんです。25歳というのは、まだまだという感じもしますし、もう大人のような感じもしますが、バランスを失わないように努力しています。それができれば、僕の家族や親しい友達、これから僕が愛するであろう人まで、彼らにとって頼りがいのある人になれるでしょうね。―それには結局、自分の信念、もしくは基準が必要になると思うのですが、それは何でしょうか。ユン・シユン:前向きに考えることのパワーを常に信じています。そうした力が他人を変えることもできると信じていますし、いい物を見ていい事を考えていれば、自然といい事が起こるだろうと信じています。―キム・タックがそうでしたか?ユン・シユン:そういうタイプでしたね、いつも。ユギョンが揺れていてもいつもパン屋でパンを焼いていて、最後にすべてを成し遂げても、またパルポンパン屋へ戻って行きますよね。誰かとケンカしたり対立したりせず、前向きな姿勢ひとつで自分の夢を成し遂げています。だからと言って自分に厳しいわけでもないし、スパルタで自分をレベルアップさせる人なんです。試合をしたり理事会で人々の心を動かすときに勝ちたいと思うのではなく、過程そのものに意味があるんだって心構えで撮影しました。キム・タックはそんな人なんです。「キム・タックは英雄ではなく普通のことが好きな人」―ある人は頑張るほどになぜか隣の人を不安にさせたりしますが、キム・タックはそうした感じがありません。ユン・シユン:ただ自分がそれをするのが幸せなんです。最後の結果が出るときに緊張しているような演技をしたことがありません。ただそれをしたのであって、結果が出たらわぁ、終わったなんです。過程が好きだから幸せな気持ちだけが残るんですよ。試合が終わって笑うのだって、今勝ったから笑うのではなく、自分に親切にしてくれた子からもらった麦飯(麦と白米を混ぜて炊いたご飯)でパンを作れたのが嬉しくて、ピョンピョン飛び跳ねるんです。キム・タックは英雄ではなく、単に普通のことが好きな人なんです。―だから少し不思議なキャラクターでもあります。自分でも「人殺し以外は全部やってきた」というくらいに厳しい環境を乗り越えているのに、そうした純粋な面がありますよね。ユン・シユン:キム・タックと僕の共通点があるとしたら、器が大きいとかいい人とかではないという点です。キム・タックは熱血漢で単純な人で、そうした単純な中から前向きさを引き出したいと思ったんです。悲しいとそれを収めておくことのできない人物なんです。優しいからではなく、辛いから。過去に人殺し以外はすべてしてきたと言っていますが、それを心に溜め込んでいるような人物ではありません。もちろん母親や父親に対する懐かしさをすべて忘れたとは言い切れないでしょう。それでも今は小麦粉をこねてパン作りをすることに専念するんです。宇宙のような大きい痛みを溜め込んでおいてそれを耐えるのは辛いから。―しかし、そうして現在に専念することでキム・タックは成長しています。暴力も自分から使わないと決心するし、ジングも許すし。ユン・シユン:自分から成長したというより、すべてのことが成長の手助けをしてくれます。実際にキム・タックが誰かを許している訳ではありません。ただそれが順当なことだと認めたんです。そうだね、それもありだね、オーケー。そうやって相手を認めていくことによって自分が成長するんです。パルポン先生がパンについて教えてくれて、ジング兄さんは頼りになる兄さんになってキム・タックを支えてくれる確かなよりどころになってくれて、と。

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  • 「ゆれながら咲く花」この世の中を作った大人たちに問う

    「ゆれながら咲く花」この世の中を作った大人たちに問う

    鋭い破裂音とともに空から椅子が落ちてきた。入学説明会に参加するため学校を訪れた保護者と教師たちの目の前で、生徒たちが最も幸せでいられるように作った学校という校長(パク・へミ)の言葉が、割れたガラスとともに空中に散らばった。その瞬間、この無機質な建物の中で、それぞれ別の方向に噴出していたり、抑えられていたり、もしくは隠れていた人々の欲望が、その姿を現した。KBS「学校」のシリーズであるが、「学校5」ではなく「ゆれながら咲く花」という名前を選んだことから、このドラマの方向性がはっきり見える。「ゆれながら咲く花」は問う。「今、この学校とはどんな場所なのか?」と。そして、質問を正確に見てみよう。「学校とはどんな場所でなければならないのか?」ではない。「ゆれながら咲く花」は当為や定義に関する問題ではなく、今の学校がどんな場所なのかを聞いているのである。学校という 収容所で衝突する欲望スンリ高校(勝利高校:VICTORY HIGHSCHOOL)という露骨な名前が書かれてある学校の校門を通るその瞬間から、事件が絶えない学校での一日が始まる。パンシャトル(代わりにパンを買ってくる使いを意味するネット上の新造語)から喧嘩まで日常化されている暴力、先生を気にすることなく生徒たちがうつぶせになって寝ている授業、学校でのことなら何でも関わろうとする保護者はもちろん、先生を師匠として接しない生徒たちの顔色を伺わなければならない教権など、「ゆれながら咲く花」が描く問題は、今の学校が生徒、教師、そして、保護者といった当事者それぞれにとってどんな意味なのかを問う。まず、四角い教室の中にいる様々な生徒たちを見てみよう。勉強ができる生徒とその子を嫉妬する生徒、当たり前のように遅刻し平然と授業をサボる生徒、学校には毎日欠かさず来るが勉強する代わりに昨夜取れなかった睡眠を取る生徒、授業時間にはまるで死んでいるように見えるが休み時間には生き生きとする生徒などがいる。何より、勉強は嫌いだが大学には行きたいと思う大多数の生徒がいるのだ。隣の席に並んで座ることなく、一人ずつ座っているこの子たちは、同じクラスの友だちに淡い恋心を抱く前に、目に見えたり見えなかったりする序列の中で自分たちの位置を確認し、嫉妬と劣等感を先に学ぶ。この子たちにとって学校とは、大学という生徒たちにとって共通の恐怖に支配されたまま、それぞれの方法で耐えなければならない収容所だ。教師たちも彼らとあまり変わらない。「まだ子どもたちの手を離す時ではない」と自分自身に言い聞かせながら、生徒たちの手を自分の手で叩くチョン・インジェ(チャン・ナラ)は、些細な出来事一つで地位が揺れてしまう臨時教師だ。現実を静観したり冷笑したり、現実に安住したり対抗したいと思う教師たちにとって、学校は無力感と戦わなければならない組織だ。そして、保護者たちにとって学校は、自分の子どもが大学に進学するにおいて少なくとも邪魔にはなっていけない組織であり、子どもを通して投影された自分のアイデンティティーを確認する場所だ。このように、誰かにとっては監獄であり、誰かにとっては仕事である学校は、どの組織や空間よりも様々な面を持った人々が一緒に集まっており、一つに融合できない欲望が衝突する場所だ。そしてソウル市内の高校178校のうち、149位である江北(カンブク)の高校という明確な地域性と序列を明かしたうえでスタートした「ゆれながら咲く花」のもっとも大きな美徳は、この欲望の激しい衝突を深く覗き込んで、思慮深く描き出すという点だ。授業中、一つのチームになったわずか5~6人の子どもたちの間でも、お互いに望むことがはっきりと違う。まして、一つのクラスに集まったおよそ30人の子どもたちも、授業の方向を一つに決めることができない。成績が悪くて迷う子どもたちと成長の過程で迷っている子どもたちのうち、どちらのほうが大切ではないと断言できるのか。家庭でちゃんと育てられなかったオ・ジョンホ(クァク・ジョンウク)が教室の中で見せる未熟で荒い人情の闘争も、子どもたちが眠らない授業をしたいと思うチョン・インジェの理想も、将来を左右する自分の子どもの成績が学校の目的でならなければならないと信じるミンギの母(キム・ナウン)の望みも、その人々にとってはそれぞれ正当な欲望である。「ゆれながら咲く花」は質問を投げかけるドラマだ。このドラマは、学校内の当事者たちが提示する問題のうち、どれが正しくてどれが間違っていると判断することはせず、愚かな楽観主義や性急な代案で包むのでもなく、まず各主体たちの欲望を覗き込んでいる。それはじっくりと見てこそ気づくことができ、長く見てこそ理解できるような質問を投げていることになる。知的障害を持つ生徒ハン・ヨンウ(キム・チャンファン)と問題児オ・ジョンホの衝突をヨンウを転学させるための理由にしようとする学校に向かって、「学校とオ・ジョンホ、何が違いますか?」と聞く。模範答案の通りに書いた論述の答案でも高い点数をあげることができないという教師に向かって、「それでは、模範答案はどうして存在するんですか?」と聞く。子どもたちのある時期を守るということしかし、時には質問を投げるだけでは足りない。「ゆれながら咲く花」が珍しくちゃんとした質問を投げた理由は、成長痛と思い込んでしまうには、大人になっていく過程であまりにも苦しむこのかわいそうな子どもたちを、これ以上放っておくことができなかったためではないのか。だから、重要なのは「学校はどんな場所なのか」に対する異なる見方と答えだ。「ゆれながら咲く花」はそれが時代だと答える。「クラスの子たちが全員、3年生になるようにすることです。子どもたちの成績を上げることも、子どもたちの人生の責任を取ることもできないけど、私が担任を務めた子どもたちを全員、そのまま次の担任の先生に引き渡すこと、それが私が担任として望むことです」。成績も人生も責任を取ることができないというチョン・インジェのこの言葉は、一瞬、無力に見えるが、もしかしたら「ゆれながら咲く花」が見つめる、そして、今の教師と学校が生徒たちにできるベスト以上のことなのかもしれない。高校2年生、18歳。生徒たちのこの時期を、大学と社会に受け入れてもらうため喜んで生贄に捧げる無名の時間ではなく、ありのまま生きて笑って彷徨って悟るべき人生の大切な時期として認めることから問題解決への糸口を探してみよう。教師と保護者、社会の大人たちが学校を通じてやるべきことは、チョン・インジェのように子どもたちのその時期を守り、次の時期へ導くことである。「生まれた時から20歳だったらいいな」と言う生徒に、今の君の18歳は耐えたり諦めながら暮らす時間ではないと、学校は大学や社会に出るために通過するだけの空間ではないと言ってあげることだ。床に転がった椅子は、無力な公教育と教権であり、教師になったばかりの先生が抱いた情熱であり、平凡な保護者が望んだ期待である。そして、夢見る時期を奪われた子どもたちそのものだ。耐えてもいい時期なんてない。それに、今だけを耐えればよりいい明日が来るとも言えない世の中じゃないのか。時代が変わったことも、現実が大変なことも事実だ。そのため、より念入りに見て、より長く見なければならない。それが今を耐えた後、社会に出てから会う世の中をより悪くなることはあっても、よくなることは一つもない場所にした大人たちが喜んで負うべき責任である。

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