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Kstyle 14th

インディーズバンド電気ウナギ「曲に対する評価は大衆に任せるべき」

10Asia
本名の代わりに、芸名で活動するミュージシャンは多い。彼らが芸名を使う理由は、“ダサい”名前を隠すためという目的もあるが、それよりは独特な名前でファンたちの関心を集めようといった理由の方が大きい。去年から勢いに乗っているユニークな名前のルーキーバンドがいる。その名は、“電気ウナギ(ジョンギペムチャンオ)”。溢れる外国語ではなく、韓国語で強いインパクトを与える彼らのバンド名は何だかピリッとした感じがする。バンド名に“電気”という単語が入っているため、彼らをまろやかで感性溢れるモダンロックではなく、強烈なエレクトロニックサウンドを披露するバンドだと誤解する人もいる。彼らのバンド名はバンドを結成した初めの頃、楽器を修理しに寄った楽園商街(ナグォンサンガ)の近くにある、うなぎの蒲焼のお店を見てインスピレーションを受けたリードボーカルのインギョンが提案して決めたという。

独特なバンド名だけではなく、音楽への期待感を刺激し、無限の想像力を与えるグロテスクなアルバムジャケットのアートは、なんと素敵なのだろう! 冷たい水の中に浸かり、しゃがみこんだまま、空を走る赤いケーブルカーを見つめる寂しそうな若者の後ろ姿は、将来に対する不安を抱えているにもかかわらず、希望を持って決して諦めない今の時代の若者たちの自画像なのかもしれない。電気ウナギの1stアルバムは、インディーズ音楽の胎動期である1996年に発表されたオンニネイバルグァン(姉さんちの床屋)の1stアルバムが与えてくれたのと同じような新鮮な感動を蘇らせる。彼らの生き生きとした若々しく、明るい馴染みのあるサウンドは、一部で「青春バンドだ」と言われるほど愉快であり、軽い音楽だと誤解されることもある。しかし、視線を引く意味深なアルバムジャケットが物語っているように、彼らの音楽には今の時代の若者たちの率直な日常と苦悩が盛り込まれた純情さが存在していることを見逃してはいけない。

電気ウナギは、去年多くの人々の注目を集めた最高のルーキーバンドのひとつだ。彼らの個性的な歌詞と優れたメロディーは、「The Black Skirts(The Black Skirts)以来の、最高の新人」という評価を導いた。彼らはまず、韓国コンテンツ振興院が行った新人ミュージシャン育成支援プロジェクト「K-ROOKIES」の年末決戦で優勝し、EBS「今月のハロールーキー」、KT&G「バンド・インキュベーティング5期」、NAVER「今週の発見」、Daum Music「今月のアルバム」などに次から次へと選ばれた。受賞は逃したものの、2013年第10回韓国大衆音楽賞で最優秀モダンロックの歌部門で候補になり、話題の3人組バンドBusker Buskerと「今年の新人賞」をめぐって激しい競争を繰り広げたりもした。

2009年に大学の音楽サークル出身者たちが中心となって結成された電気ウナギは、キム・イェスル(ギター)とファン・インギョン(ボーカル/ギター)に、キム・ナヨン(ベース)とキム・ミンヒョク(ドラム)が加わり構成された4人組の男女モダンロックバンドだ。2011年、初のEPアルバム「充電」を発表した後、メンバー交代という試練を経験した。

彼らが目指すサウンドは、シンプルで単純なバンド本来のヴィンテージさや活気あるサウンドで評判のアメリカのガレージバンド、ザ・ストロークス(The Strokes)から影響を受けている。リードギターを2本使うバンドのシステムはそのためである。そして、彼らの音楽への姿勢は、楽しいメロディーとウイット溢れる歌詞で有名なアメリカのパンクロックバンド、ウィーザー(Weezer)を手本にしている。

先週土曜日、弘大(ホンデ)前にあるクラブSOUND HOLIC CITYでは、「K-ROOKIES」で選ばれた6組の最後の合同コンサートが開かれた。コンサートを控えて電気ウナギのメンバーたちに会い、それぞれの成長期での音楽の話やバンドの結成についてなど、多事多難な裏話を詳しく聞いた。

リーダーのキム・イェスルは江原道(カンウォンド)洪川(ホンチョン)で生まれ、春川(チュンチョン)で育った。彼の父キム・ギュヒョンは、若い頃、東洋画と西洋画を行き来した画家であった。子どもの頃、彼の家では風変わりな父親の後輩たちが集まってお酒を飲み、盛り上がれば歌まで歌うことがよくあったという。そして、彼はそのような光景に慣れていた。「小学生の頃、テレビで初めてソテジワアイドゥル(ソ・テジと子供たち)を見ました。そして、中学生になって、インディーズバンドCrying Nutのカセットテープを聞きながら、ロック音楽に興味を持ち始めました。それで、2000年から叔母と叔父に基本コードを習って、独学でギターを覚えました」ソウルに上京し大学に入学した彼は、音楽サークル“トロス”のギターがうまい新入生として有名になった。そうして新入生の歓迎会で先輩の勧めにより、大学内のキャンパスバンド“1905”のメンバーに電撃的に抜擢されたのだ。

全羅南道(チョルラナムド)光州(クァンジュ)で生まれ、音楽とはまったく関係のない環境で育ったリードボーカルのファン・インギョンは、幼い頃、音楽自体が好きではなかった。中学生になってクラシックギター部でギターを弾いたが、かっこいいとは思えるが面白いとは思わなかった。ある日、ギター部の先輩が伴奏の楽譜を持ってきて「ギターのコードを押して演奏したら歌が歌える」と言った。そこで、先輩がコピーしてくれた楽譜を持って帰り、公衆電話のカードを切ってピックを作り、シン・ソンウがリーダーだった3人組のバンド、ジニー(Geenie)の「何だ、これは」を弾いてみると、とても面白かったという。高校生の時はアコースティック・ギター部で活動した。「アコースティック・ギター部の部長として活動しましたが、常にバンド部が羨ましかったです。当時は、バンドというものは、特別な才能を持ったり訓練を受けたりした人々だけができる、違う次元のものだろうと難しく考えていました」

当時、学校が終わると、近所のゲームセンターの小さなコインカラオケのブースを自分の専用スタジオにし、1曲当たり200ウォンを入れ歌の練習をしたという。「施設は劣悪だったので、曲ごとにすでに点数がつけられていたんです。だから、歌の点数はいつも同じでした。mp3を持っていって自分が歌ったものを録音したこともありますが、歌謡やポップ、ハードロックまで色んなジャンルの曲を歌いました」彼は浪人していた時にインディーズバンド、オンニネイバルグァンはもちろん、レディオヘッド、ニルヴァーナのような外国のポップミュージックやバンド音楽を本格的に始めた。大学に入りコインカラオケで磨いた実力で、大学内のバンド“1905”のオーディションに挑戦した。「26分の1という激しい競争でボーカルに選ばれて、2年生まで活動しました。色んな曲をコピーして活動していた時、ギターを弾いていたメンバーが脱退したんです。その時、違うサークルでギターがうまくて有名だったキム・イェスルがパラシュートで降りて来たかのようにバンドに入ってきて初めて会いました(笑)」

これに対し、キム・イェスルは「最初、ファン・インギョンと僕はまったく仲良くなくて、むしろかなり距離がありました。そして、2007年にファン・インギョンが入隊し、僕はコピー曲を演奏し続けながら弘大に出ていました。当時、できたばかりのクラブでエモコアやハードコア、パックロックを組み入れた5人組のバンド、マリエ ドリラのメンバーとして活動を始めました。その時は髪の毛を腰のところまで長く伸ばして、1曲を演奏する間にジャンプを5回もするほど、過激でした(笑)」という。しかし、メンバーたちの様々な内部事情により、1年半の間に5、6回だけコンサートを行った後、バンドが解散した。自作曲を作りたいと思った彼は、サークルのメンバーだったキム・ナヨンと新しいバンドを結成することになる。

インディーズ音楽の本場である弘大前のソウル麻浦区(マポ)区延嬉洞(ヨニドン)で生まれた唯一の女性メンバーであるベースのキム・ナヨンは、7歳でピアノを始めた。「小学校2、3年生の時、ポップソングと歌曲が好きだった父が楽譜を買ってくると、私がそれを弾いて父が歌うことがよくありました。当時、私はザ・ビートルズのバンド音楽もピアノの伴奏曲だと思っていました。高校生になって初めて原曲がギター音楽ということを知りました。しばらくの間、楽器を演奏するチャンスがなかったんですけど、大学に入ってある先輩が酔っ払った私を音楽サークル“トラス”に連れて行きました。それで、もう一度、することになりました。ピアノを弾けるという理由で最初はキーボードを担当しましたが、ギターが面白くてギターを弾くなど、色々しているうち、結局、ベースを弾くことになりました」

2009年の夏、音楽サークルで出会ったキム・イェスルとキム・ナヨンは、他の女性ボーカルと一緒に3人組の男女バンドCOOL CATを結成した。自作曲を作って弘大のクラブLydianとFFで1年半ほど活動したが、女性ボーカルが外国に交換留学生として行くことになり、バンドが解散した。そしてメンバーの補充が必要になったのである。一方、その時、ファン・インギョンが除隊をして光州にいたので、キム・イェスルはボーカル兼ギターをしたいという彼に「ソウルに来てオーディションを受けなさい」と言って、彼に指定曲と自由曲を与えた。だが、キム・ナヨンもベースとともにリードボーカルをやりたいと言い出し、突如ファン・インギョンとライバルの構図が形成された。審査をしたキム・イェスルは「歌は2人ともうまかったんですが、自作曲があるのかと聞いた時、ナヨンは準備したものがありませんでした。それで、ファン・インギョンをボーカルとして選びました」と話した。当時はバンドにリーダーもおらず、バンド文化にも慣れていなかったので、対立が生じてもどうやって解決すればいいのか分からなかった。今はコンサート前に頭を整えてあげるほど親友になったが(もちろん、キム・ナヨンはメンバー全員のヘアスタイルを担当する)、当時傷ついたキム・ナヨンはキム・イェスルと6ヶ月の間、連絡をせずに遠ざかった。そのため、KAIST(韓国科学技術院)に通っていた女性ドラマーのカン・ヒョンジョンと音楽サークルにいたイム・ジヒョクを迎え入れて作ったバンドが電気ウナギだ。臨時で構成されたメンバーで2010年にデビューEPアルバムをリリースした。しかし、専門的な音楽活動に興味がなかった新しく入った2人は、バンドからすぐに脱退し、最初のメンバーだったベースのキム・ナヨンが2枚目のEPアルバムから再度、参加することになった。

全羅南道(チョルラナムド)光州で生まれ、生後6ヶ月でソウルに上京したドラムのキム・ミンヒョクの家庭は、街中にあるカラオケにさえも行かないほど、音楽と遥かに遠い雰囲気だった。小学5年生の時、ソ・テジの音楽に魅了され、父親にねだって携帯用のカセットプレーヤー、マイマイ(カセットプレーヤーのブランド)を買ってもらった。中学生の時、ポップソング部に入ってザ・ビートルズやカーペンターズなどのポップソングを聞き、密輸されたビジュアルロックバンドのX JAPANやGLAYなど日本の音楽もたくさん聞いた。高校卒業を控え、自分でも演奏をしたいと思い楽器教室に行った。だが、楽器を買うお金がなくて「スティックさえあればできる」と聞いたドラムを選択し習った。大学でバンドサークルの“ソウルズ”に入った彼は、メタリカやメガデスなどハードな音楽を演奏した。

彼は除隊した後、2005年に光州で4人組のインディーズバンド、レモニ マカロニ(サルラン)を結成し、2~3年ほど活動した。レモニ マカロニ(サルラン)は光州唯一のモダンロックバンドだった。当時、光州の市内にクラブはコクスとNEVER MINDの2ヶ所しかなかったという。そこにNELL、Delispice、オンニネイバルグァンが来て行った合同コンサートを見て、音楽をちゃんとやってみようと思った彼は無条件に上京した。それが2008年のことである。上京生活は、京畿道(キョンギド)一山(イルサン)注葉洞(チュヨプドン)でドラムレッスンをしたり楽器を売ったりしながら、しばらくの間、弘大を行き来していた。そして、2011年、知り合いのルームメートだったキム・ナヨンを通じて電気ウナギがドラマーを募集しているという話を聞き、オーディションを受けてバンドの5番目のドラマーとして2枚目のEPアルバムに合流した。

日常で感じる劣等感と素朴な嬉しさのような感情を盛り込んだ彼らの率直な歌詞を聞いて、電気ウナギのメンバーたちを「負け犬」と表現した記事が非常に多い。しかし、果たして本当にそうだろうか? 彼らの多くは名門大学を卒業しているが、学歴による輝きや先入観より“音楽”で評価されたいと思っている、考えが深くてスマートな若者たちだ。電気ウナギの音楽はトレンディーなサウンドとは距離がある。一瞬で魅了される音楽でもない。華やかなギターソロも、ずば抜けた歌唱力も探しにくいためだ。しかし、そんな彼らの音楽は電子音やストリングセッションなど人為的なサウンドを排除し、素朴なバンドサウンドそのもので魅力をアピールする。2011年、1枚目のEPアルバム「充電」と2012年3月、2枚目のEPアルバム「最新流行」を発表した。この2枚のEPアルバムはバンドの存在やアイデンティティを知らせたが、音楽的な構成は多少散漫だった。そのため、彼らが初めて登場した時、現在のような成果を予想した人々はあまりいないだろう。しかし、中毒性が強い彼らのウェルメイド(完成度の高い)な音楽は口コミで徐々に広く知られ始めた。

2012年10月、ようやく1枚目のフルアルバムが発表された。2枚目のEPアルバムに収録されて存在感を高めた「糸切り歯」がこのフルアルバムのタイトル曲である。もとから制作した2枚のEPアルバムに比べ、このフルアルバムはサウンドの質感や構成がより滑らかになった。それは、所属レーベルであるSOUNDHOLICの代表バンド紫雨林(ジャウリム)のギターリスト、キム・ソンギュンがプロデュースを、ベーシストのキム・ジンマンがミキシングを担当し、初々しい彼らの音楽に経験という重さを加えたためである。フルアルバムは洗練されたエレクトロニックサウンドや華やかな編曲を意図的に排除し、簡潔なバンドサウンドに集約した。アルバム全体を貫く重くてストレートなサウンドは、ウィットに溢れる歌詞とよくかみ合っている。アルバムのタイトルは「最高の恋愛」だ。

韓国大衆音楽で“男女相悦之詞”(セクシーなラブソング)が人々の関心から外れたことはない。最近、ヒットしている大衆音楽の歌詞を見ると、“私”が中心となっている情けない日常を描く曲がトレンドとなっている。この流れからも外れていない彼らの音楽は、同世代には愉快な感性で近づき、30代にとっては疾風怒濤の時期を思い浮かべさせる軽い雑談のように思える。「最高の恋愛」は果たしてどんな恋愛だろうか? 切なくて純粋な愛を「最高の恋愛」だと定めた彼らのアルバムは、インスタント式の愛が溢れている今の軽い時代的な情緒を覆す一種の転覆だ。また、簡単に叶えることができないため、生きていく原動力を提供する希望のパラドックスになることもある。

彼らは自分たちの創作曲に関する説明や紹介をあまり口にしない。曲に対する評価は大衆に任せるべきと思っているためだ。大きな成果を生み出した1枚目のアルバムが世の中に出てから、6ヶ月が過ぎた。活発なコンサート活動を行っている中、2枚目のアルバム作業も並行している。果たして、2枚目はどのような感じになるだろうか? 1枚目の音楽はクラブでコンサート活動を行いながら、できあがるまま、頭から出てくるまま、といった自然な印象が強かったが、次のアルバムはこれまで学んできたものもあり、要領も得たため、1枚目のアルバムよりはより成熟なサウンドになりそうだ。彼らはキム・イェスルとファン・インギョンが曲のソースを作ってくると、演奏しながら話し合う過程を通じて曲を完成させている。その時、意見を調整する過程で対立が生まれることもあるが、ぶつかることで新しいものが出ることもあるという。1枚目のアルバムは大学卒業の頃、将来への不安が心の中に広がった状態で作った曲がほとんどだ。2枚目のアルバムは1枚目のアルバムの後にすべてが変化したため、考えや感情がきっと違うであろう。苦境にある若い世代の日常を、本音を盛り込んで共感を形成した彼らの音楽がこれからどのように変化し、進歩していくだろうか。今後が期待される。


電気ウナギ

【1期】
キム・イェスル(ギター)1987年6月18日生まれ、江原道・洪川出身
ファン・インギョン(ボーカル/ギター)1985年5月14日生まれ、全南・光州出身
カン・ヒョンジョン(ドラム)
イム・ジヒョク(ベース)
【2期】
キム・イェスル、ファン・インギョン
キム・ナヨン(ベース)1987年9月11日生まれ、ソウル出身
キム・ミンヒョク(ドラム)1982年2月25日生まれ、全南・光州出身

DISCOGRAPHY
2011年5月「充電」(EP)
2012年3月「最新流行」(EP)
2012年10月「最高の恋愛」(1st フルアルバム)

経歴および受賞
2011年 SSAMZiE SOUnD FeSTiVAL―隠れた高段者(月光高段者)に選定
2012年4月 1st フルアルバム NAVER MUSIC「今週の発見」、Daum Music「今月のアルバム」に選定
2012年6月 Daum Music 今月のインディーズ有望株に選定
2012年 韓国コンテンツ振興院の新人ミュージシャン育成・支援プロジェクト「K-ROOKIES」の年末決戦で優勝
2013年 第10回韓国大衆音楽賞「今年の新人賞」、ノミネート

元記事配信日時 : 
記者 : 
チェ・ギュソン大衆文化評論家、編集 : ホン・ジユ、翻訳 : ナ・ウンジョン

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