ミミシスターズ&ザ・バーバレッツ、ドリームチーム“ミミレッツ”を結成「女性ミュージシャンの交流の場にしたい」
「姉さん、私たちミミレッツしてみませんか?」
ミミシスターズ(大きいミミ、小さいミミ)とザ・バーバレッツ(The Barberettes:アン・シネ、キム・ウネ、パク・ソヒ)の出会いは、キム・ウネが冗談のように言った話から始まった。これまで大小のステージで会った2チームは、普段から「面白い公演をやってみよう」という考えを持っていたという。そこで決定的な役割を果たしたのが、1950年代から活躍した韓国初のガールズグループ“キム・シスターズ”だった。キム・シスターズのメンバーキム・ミンジャ(本名:イ・ミンジャ)の訪韓のニュースを聞いた5人は、チームを組んでみようと意見を集めた。
ミミシスターズとザ・バーバレッツと弘大(ホンデ)のカフェで会った。この組み合わせについて小さいミミは「キム・ミンジャさんが結成させてくれたと思う。おかげでユニットを作ることになった」と述べた。普段から“シスターズ”というタイトルで活動してきた女性ミュージシャンに興味を持っていたミミシスターズと、2010年代版キム・シスターズになることが目標のザ・バーバレッツが集まってドリームチームが作られた。そして今月16日午後7時、ソウル弘大ホルモン鍋店で「ミミシスターズ&ザ・バーバレッツ オマージュコンサート-嬉しい、ミンジャ姉さんがお見えになった」を開催する。
“元祖ガールズグループ”キム・シスターズは、1950年代に米8軍と劇場舞台で活動した。「木浦の涙」を歌ったイ・ナニョンとキム・ヘソンの二人の娘キム・スクジャ、キム・エジャとイ・ナニョンの兄である作曲家イ・ビョンリョンの娘キム・ミンジャで構成された3人組のグループだ。1939年にイ・ナニョンが所属するガールズグループ“チョゴリ・シスターズ”が結成されたが、アルバムを発売して活動したのはキム・シスターズが初めてだ。キム・シスターズはその後アメリカでもデビューして、「キムチ・カクテギ」でビルボードチャートにもランクインした。後輩ミュージシャンの公演のニュースを聞いたキム・ミンジャは、この日オマージュコンサートに出席することにした。
今回の公演には2チームだけではなく、バンドのチャン・ギハと顔たちのメンバー長谷川洋平、チョン・ウォニョンも参加する。彼らは今回の公演を弘大前で活動する女性ミュージシャンと奏者たちが交流できる場にしたいと考えている。すでに多くの女性ミュージシャンを招待している状態だ。シンガーソングライターソヌ・ジョンアは出席の意思を示している。「(キム・シスターズに対する)資料があまりにもなくて、探求熱を刺激した」と打ち明けたミミシスターズとザ・バーバレッツは、インタビューを通してキム・ミンジャを「ミンジャ姉さん」と呼んだ。顔も見たことのない大先輩だが、心理的な距離は誰よりも近かった。
ザ・バーバレッツはチームを結成してキム・シスターズを知った。彼女らの曲をカバーしたザ・バーバレッツは「海外公演に行った時にキム・シスターズの話をたくさん聞いた。韓国という国がどこにあるかも分からない1950年代に、音楽をする若い女性たちがアメリカで活動するには、人種差別などを乗り越えなければならなかったはずだ。YouTubeにある映像などを見て、偏見を破って活動する姿を見て感動した」と伝えた。互いの活動を見て、慰めを得た2つのグループはそうやって「伝説の先輩を受け継ぎたいシスターズたち」になった。
ミミシスターズとザ・バーバレッツのカラーははっきりと異なる。ミミシスターズが韓国の正統派ロックを目指しているとしたら、ザ・バーバレッツは1950~1960年代のサウンドを体現する。
彼女たちに共通点があるとしたら「ルーツを探すこと」だ。アイドルガールズグループが愛されているが、女性ミュージシャンがメッセージを伝えることを魅力的に感じない現実で、彼女たちは「20~30代の女性が願う良い友だち、姉の役割を果たすミュージシャンになりたい」と述べた。そのためには楽しく、着実に活動を続けていく予定だ。それが2010年代を生きる彼女たちが解決していくべき宿題だ。
ミミシスターズ(大きいミミ、小さいミミ)とザ・バーバレッツ(The Barberettes:アン・シネ、キム・ウネ、パク・ソヒ)の出会いは、キム・ウネが冗談のように言った話から始まった。これまで大小のステージで会った2チームは、普段から「面白い公演をやってみよう」という考えを持っていたという。そこで決定的な役割を果たしたのが、1950年代から活躍した韓国初のガールズグループ“キム・シスターズ”だった。キム・シスターズのメンバーキム・ミンジャ(本名:イ・ミンジャ)の訪韓のニュースを聞いた5人は、チームを組んでみようと意見を集めた。
ミミシスターズとザ・バーバレッツと弘大(ホンデ)のカフェで会った。この組み合わせについて小さいミミは「キム・ミンジャさんが結成させてくれたと思う。おかげでユニットを作ることになった」と述べた。普段から“シスターズ”というタイトルで活動してきた女性ミュージシャンに興味を持っていたミミシスターズと、2010年代版キム・シスターズになることが目標のザ・バーバレッツが集まってドリームチームが作られた。そして今月16日午後7時、ソウル弘大ホルモン鍋店で「ミミシスターズ&ザ・バーバレッツ オマージュコンサート-嬉しい、ミンジャ姉さんがお見えになった」を開催する。
大先輩だけどミンジャ姉さんと呼んでいる…オマージュコンサートまで開催
ハンガリー・ブダペストに住んでいるキム・ミンジャは、キム・シスターズのストーリーを描いた映画「喫茶店の青い夢」が第11回堤川(チェチョン)国際音楽映画祭のオープニング作品に選ばれ、韓国を訪れることになった。大きいミミは「先輩たちの音楽と活動からたくさんの影響を受けた後輩シスターズとして、何か準備しなければと思った。2013年に音楽劇『シスターズを探して』の公演当時、歴代シスターズを辿りながら、メドレーを作った。今回の共同ステージを披露するために、このメドレーを練習している」と明らかにした。“元祖ガールズグループ”キム・シスターズは、1950年代に米8軍と劇場舞台で活動した。「木浦の涙」を歌ったイ・ナニョンとキム・ヘソンの二人の娘キム・スクジャ、キム・エジャとイ・ナニョンの兄である作曲家イ・ビョンリョンの娘キム・ミンジャで構成された3人組のグループだ。1939年にイ・ナニョンが所属するガールズグループ“チョゴリ・シスターズ”が結成されたが、アルバムを発売して活動したのはキム・シスターズが初めてだ。キム・シスターズはその後アメリカでもデビューして、「キムチ・カクテギ」でビルボードチャートにもランクインした。後輩ミュージシャンの公演のニュースを聞いたキム・ミンジャは、この日オマージュコンサートに出席することにした。
今回の公演には2チームだけではなく、バンドのチャン・ギハと顔たちのメンバー長谷川洋平、チョン・ウォニョンも参加する。彼らは今回の公演を弘大前で活動する女性ミュージシャンと奏者たちが交流できる場にしたいと考えている。すでに多くの女性ミュージシャンを招待している状態だ。シンガーソングライターソヌ・ジョンアは出席の意思を示している。「(キム・シスターズに対する)資料があまりにもなくて、探求熱を刺激した」と打ち明けたミミシスターズとザ・バーバレッツは、インタビューを通してキム・ミンジャを「ミンジャ姉さん」と呼んだ。顔も見たことのない大先輩だが、心理的な距離は誰よりも近かった。
ミミシスターズ&ザ・バーバレッツにとってキム・シスターズは”ルーツを探すこと”
それでは彼女たちにとってキム・ミンジャ、そしてキム・シスターズはどんな意味を持つだろうか?ミミシスターズは「(チャン・ギハと顔たちを離れて)1stアルバムを出して、大変な時期に『シスターズを探して』を準備した。もう一度音楽ができるだろうかと悩んでいた頃、キム・シスターズのエピソードを聞いて精神的に大きな影響を受けた。「どうやって暮らすことが、幸せに暮らすことなんだろうと考えるようになった」と告白した。60年近く経ったが、キム・シスターズのストーリーを通じて、音楽をする女性として生きていくことに対する意味を振り返ることになったという。ザ・バーバレッツはチームを結成してキム・シスターズを知った。彼女らの曲をカバーしたザ・バーバレッツは「海外公演に行った時にキム・シスターズの話をたくさん聞いた。韓国という国がどこにあるかも分からない1950年代に、音楽をする若い女性たちがアメリカで活動するには、人種差別などを乗り越えなければならなかったはずだ。YouTubeにある映像などを見て、偏見を破って活動する姿を見て感動した」と伝えた。互いの活動を見て、慰めを得た2つのグループはそうやって「伝説の先輩を受け継ぎたいシスターズたち」になった。
ミミシスターズとザ・バーバレッツのカラーははっきりと異なる。ミミシスターズが韓国の正統派ロックを目指しているとしたら、ザ・バーバレッツは1950~1960年代のサウンドを体現する。
彼女たちに共通点があるとしたら「ルーツを探すこと」だ。アイドルガールズグループが愛されているが、女性ミュージシャンがメッセージを伝えることを魅力的に感じない現実で、彼女たちは「20~30代の女性が願う良い友だち、姉の役割を果たすミュージシャンになりたい」と述べた。そのためには楽しく、着実に活動を続けていく予定だ。それが2010年代を生きる彼女たちが解決していくべき宿題だ。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- イ・ジョンミン、イ・オンヒョク
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