「探偵ホン・ギルドン」チョ・ソンヒ監督、ホン・ギルドン&イ・ジェフンについて語る
※この記事には映画「探偵ホン・ギルドン」のストーリーに関する内容が含まれています。
チョ・ソンヒ:あまりにも同じシーンを幾度も撮って、編集して、数百回見すぎたので、完成ものを見た時は、むしろ何も考えられなかった。その感情が続くかとも思ったが、公開前の焦りは止められなかった。ハハ。
―まず「探偵ホン・ギルドン」という映画を作ることになったきっかけから聞きたい。
チョ・ソンヒ:キャラクター映画を作りたかった。個性的なキャラクターが映画の全面に出てくる作品を作りたいという願いがあった。また、無から創造するより、私たちが持つキャラクターを活かしたかった。そうして選んだのがホン・ギルドンだった。
―なぜホン・ギルドンだったのか。
チョ・ソンヒ:ホン・ギルドンに対して興味を感じた。たとえ一部に非難されても正しくない方法であったとしても、定義を具現化して新しい世の中を作り出そうとする義賊の感じが魅力的だった。ホン・ギルドンといえば思い浮かぶ話があるだろう。「父親を『お父さん』と呼ぶこともできず」みたいな。ホン・ギルドンはこのような以前の世代との葛藤、母親を慕うイメージなどがかみ合って、新しい世の中を開く鍵のような人物だと考えた。また、ホン・ギルドンが持つ特有のニュアンスがある。最もありふれている名前でありながら、会うことはできないキャラクターだ。このような一連のイメージが面白いと感じられたのでホン・ギルドンを選んだのだ。
―それではなぜホン・ギルドンはイ・ジェフンだったのか。
チョ・ソンヒ:イ・ジェフンはシナリオを手掛けながら私が想像していたホン・ギルドンのイメージと物凄く似ていていた。ホン・ギルドンはまず容貌において、男性的で強いイメージよりは若干大人っぽくない世間知らずのようなイメージであった。時には鋭そうに見えたり、時には間抜けに見えたり、乱暴に見えたりもするホン・ギルドンのイメージをイ・ジェフンがすべて備えていた。演技力はいくらでも褒められる良い俳優だし。幸いだったことは、イ・ジェフンが探偵ホン・ギルドンが備えていた属性を完璧に認知していたということだ。俳優として素敵な役を願っていただろうに、ホン・ギルドンを選び愛情を注いでくれたイ・ジェフンにありがたい。映画を作りながらずっと思っていた。イ・ジェフンがホン・ギルドンであって良かったと。
―本人が描いたホン・ギルドンとイ・ジェフンが演じたホン・ギルドンは一致したのか、違ったのか。
チョ・ソンヒ:ホン・ギルドンというキャラクターは、ある角度から見れば共に作っていったので、私が描いたホン・ギルドンとイ・ジェフンが演じたホン・ギルドンが異なるとは言えない。撮影の時も私が知っていたホン・ギルドンの明確なビジョン、やろうとしていた部分をイ・ジェフンに一方的に頼むこともなかった。理解させるというよりは、むしろ頼ったと言える。イ・ジェフンもまたとても悩んだだろうし、私と話を交わしながらキャラクターを作っていった。
チョ・ソンヒ:撮影時は映画自体がキャラクターで出発して、観客にどのように理解されるべきか、愛されるべきかに対する悩みが頭の中から離れなかった。ポストプロダクションはまた他の悩みの始まりだった。どのように締めくくるか、キャラクターをどうやってもっともっと見せていくかに対する悩みが絶えなかった。例えば、市場で買い物をしてきたが、これをどう料理するかという悩みだったのだ。悩みに対する結果はいまだに出てきてない(笑)
―「悪い奴がもっと悪い奴を捕まえる」という映画のキャッチコピーのように、ホン・ギルドンはこれまで私たちが考えてきたホン・ギルドンとは違った。ホン・ギルドンを歪曲させた理由は何か。
チョ・ソンヒ:すでに立派な正義の使徒はとてもたくさんいる。風変わりな人物を観客に紹介したい野望があった。その脈絡で歪曲することになった。それで映画の中ホン・ギルドンに、喧嘩ができないとか、信念がなくて人に対して幻滅ばかりを抱き、残忍なことも拒まないという設定にした。ホン・ギルドンの最も大きな特徴は、やられたら2倍でやり返すという点だ。それこそ映画の中のホン・ギルドンは私たちの代わりに悪党をやっつけながら手を汚す人だった。また、ホン・ギルドン自体が新しい人物の誕生と出発の召命を悟り、新たに生まれ変わる人物なので、大人げなく子供たちとも口喧嘩する、未だ大人になり切れていない人間として描かれた。
―固定観念が明確な人物を歪曲することに対して恐れはなかったか。
チョ・ソンヒ:反対に、私はホン・ギルドンは思ったより余白が多い人物だと感じた。ホン・ギルドンは既に映画や漫画でたくさん扱われてきたが、それぞれの作品で全て異なる姿で描かれた。例えばバットマンやスパイダーマンなどのヒーローは明確なイメージがある。だが、ホン・ギルドンは不明な部分がさらに多かった。そのためかその部分に対する負担はあまりなかった。
―「探偵ホン・ギルドン」のモチーフは別にあるのか。
チョ・ソンヒ:特定の作品をモチーフとして考えたことはない。だが、映画全体に異国的な面があちこちで見られる。コートや中折帽、悪党の影、平原、アルプス山のような不思議な形の山とか。反面、ドンイ(ノ・ジョンウィ)とマルスン(キム・ハナ)の貧しい家や服、農村生活などこういうものは韓国的な感じが多い。異国的なものと韓国的なものが衝突するのだ。このような衝突から来る面白味がまたある。合わないものが交わればとても興味深い。
―歪曲が通じたのか“韓国型ヒーロー”の誕生とも言われている。このような賛辞に対してどう思うか。
チョ・ソンヒ:心配したよりは多くの方々に好意を持っていただけたようで本当に良かったと思う。ハハ。個人的には他の意見があったりする。観客の立場で見た時、ホン・ギルドンはヒーローや英雄という言葉は似合わわないと思う。狭い意味で、すてきな服を着て派手なアクションなどの英雄の姿とは距離がある。言ってみればホン・ギルドンは広い意味の英雄だろう。シナリオ作法に対して記述した本によると、映画「タクシードライバー」(1976)のタクシー運転手トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)はアンチヒーローだそうだ。ホン・ギルドンもトラヴィスのような性格を持っている。個性のあるキャラクターだ。一回くらいは観る価値がある不思議な人物で、見てくだされば有り難い。
何かを作る人は常に“違うもの”を求める。慣れたものより新しいもの。監督チョ・ソンヒがそうだ。映画「兄弟の家」「獣の終わり」で見せた彼の“違うもの”を映した映画は、他とは違う衝撃を与えた。他の人が洗練されたCGを披露する時、彼は昔の田舎の様子を映し、他の人がリアリズムに基づいて現実を映す時、彼はこの世にないファンタジーを映した。ソン・ジュンギが主演した映画「私のオオカミ少年」がそうで、先日韓国で公開された「探偵ホン・ギルドン:消えた村」がそうだ。しかし「探偵ホン・ギルドン」は多少違う。洗練されたCGもあり、ホン・ギルドンという馴染みの人物もいる。しかし、やはりチョ・ソンヒ監督だけの“違うもの”を映している。チョ・ソンヒ監督は“新しいもの”を求めることを超えて、慣れたもので“違うもの”を描き始めた。
―映画の完成版を初めて見た気持ちはどうだったか。チョ・ソンヒ:あまりにも同じシーンを幾度も撮って、編集して、数百回見すぎたので、完成ものを見た時は、むしろ何も考えられなかった。その感情が続くかとも思ったが、公開前の焦りは止められなかった。ハハ。
―まず「探偵ホン・ギルドン」という映画を作ることになったきっかけから聞きたい。
チョ・ソンヒ:キャラクター映画を作りたかった。個性的なキャラクターが映画の全面に出てくる作品を作りたいという願いがあった。また、無から創造するより、私たちが持つキャラクターを活かしたかった。そうして選んだのがホン・ギルドンだった。
―なぜホン・ギルドンだったのか。
チョ・ソンヒ:ホン・ギルドンに対して興味を感じた。たとえ一部に非難されても正しくない方法であったとしても、定義を具現化して新しい世の中を作り出そうとする義賊の感じが魅力的だった。ホン・ギルドンといえば思い浮かぶ話があるだろう。「父親を『お父さん』と呼ぶこともできず」みたいな。ホン・ギルドンはこのような以前の世代との葛藤、母親を慕うイメージなどがかみ合って、新しい世の中を開く鍵のような人物だと考えた。また、ホン・ギルドンが持つ特有のニュアンスがある。最もありふれている名前でありながら、会うことはできないキャラクターだ。このような一連のイメージが面白いと感じられたのでホン・ギルドンを選んだのだ。
―それではなぜホン・ギルドンはイ・ジェフンだったのか。
チョ・ソンヒ:イ・ジェフンはシナリオを手掛けながら私が想像していたホン・ギルドンのイメージと物凄く似ていていた。ホン・ギルドンはまず容貌において、男性的で強いイメージよりは若干大人っぽくない世間知らずのようなイメージであった。時には鋭そうに見えたり、時には間抜けに見えたり、乱暴に見えたりもするホン・ギルドンのイメージをイ・ジェフンがすべて備えていた。演技力はいくらでも褒められる良い俳優だし。幸いだったことは、イ・ジェフンが探偵ホン・ギルドンが備えていた属性を完璧に認知していたということだ。俳優として素敵な役を願っていただろうに、ホン・ギルドンを選び愛情を注いでくれたイ・ジェフンにありがたい。映画を作りながらずっと思っていた。イ・ジェフンがホン・ギルドンであって良かったと。
―本人が描いたホン・ギルドンとイ・ジェフンが演じたホン・ギルドンは一致したのか、違ったのか。
チョ・ソンヒ:ホン・ギルドンというキャラクターは、ある角度から見れば共に作っていったので、私が描いたホン・ギルドンとイ・ジェフンが演じたホン・ギルドンが異なるとは言えない。撮影の時も私が知っていたホン・ギルドンの明確なビジョン、やろうとしていた部分をイ・ジェフンに一方的に頼むこともなかった。理解させるというよりは、むしろ頼ったと言える。イ・ジェフンもまたとても悩んだだろうし、私と話を交わしながらキャラクターを作っていった。
写真=CJエンターテインメント
―ナレーション、CGなどポストプロダクション(撮影後の作業の総称)が長くかかったと聞いた。ポストプロダクションはどうかするとホン・ギルドンという人物を再び見つめる作業になったのでは。チョ・ソンヒ:撮影時は映画自体がキャラクターで出発して、観客にどのように理解されるべきか、愛されるべきかに対する悩みが頭の中から離れなかった。ポストプロダクションはまた他の悩みの始まりだった。どのように締めくくるか、キャラクターをどうやってもっともっと見せていくかに対する悩みが絶えなかった。例えば、市場で買い物をしてきたが、これをどう料理するかという悩みだったのだ。悩みに対する結果はいまだに出てきてない(笑)
―「悪い奴がもっと悪い奴を捕まえる」という映画のキャッチコピーのように、ホン・ギルドンはこれまで私たちが考えてきたホン・ギルドンとは違った。ホン・ギルドンを歪曲させた理由は何か。
チョ・ソンヒ:すでに立派な正義の使徒はとてもたくさんいる。風変わりな人物を観客に紹介したい野望があった。その脈絡で歪曲することになった。それで映画の中ホン・ギルドンに、喧嘩ができないとか、信念がなくて人に対して幻滅ばかりを抱き、残忍なことも拒まないという設定にした。ホン・ギルドンの最も大きな特徴は、やられたら2倍でやり返すという点だ。それこそ映画の中のホン・ギルドンは私たちの代わりに悪党をやっつけながら手を汚す人だった。また、ホン・ギルドン自体が新しい人物の誕生と出発の召命を悟り、新たに生まれ変わる人物なので、大人げなく子供たちとも口喧嘩する、未だ大人になり切れていない人間として描かれた。
―固定観念が明確な人物を歪曲することに対して恐れはなかったか。
チョ・ソンヒ:反対に、私はホン・ギルドンは思ったより余白が多い人物だと感じた。ホン・ギルドンは既に映画や漫画でたくさん扱われてきたが、それぞれの作品で全て異なる姿で描かれた。例えばバットマンやスパイダーマンなどのヒーローは明確なイメージがある。だが、ホン・ギルドンは不明な部分がさらに多かった。そのためかその部分に対する負担はあまりなかった。
―「探偵ホン・ギルドン」のモチーフは別にあるのか。
チョ・ソンヒ:特定の作品をモチーフとして考えたことはない。だが、映画全体に異国的な面があちこちで見られる。コートや中折帽、悪党の影、平原、アルプス山のような不思議な形の山とか。反面、ドンイ(ノ・ジョンウィ)とマルスン(キム・ハナ)の貧しい家や服、農村生活などこういうものは韓国的な感じが多い。異国的なものと韓国的なものが衝突するのだ。このような衝突から来る面白味がまたある。合わないものが交わればとても興味深い。
―歪曲が通じたのか“韓国型ヒーロー”の誕生とも言われている。このような賛辞に対してどう思うか。
チョ・ソンヒ:心配したよりは多くの方々に好意を持っていただけたようで本当に良かったと思う。ハハ。個人的には他の意見があったりする。観客の立場で見た時、ホン・ギルドンはヒーローや英雄という言葉は似合わわないと思う。狭い意味で、すてきな服を着て派手なアクションなどの英雄の姿とは距離がある。言ってみればホン・ギルドンは広い意味の英雄だろう。シナリオ作法に対して記述した本によると、映画「タクシードライバー」(1976)のタクシー運転手トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)はアンチヒーローだそうだ。ホン・ギルドンもトラヴィスのような性格を持っている。個性のあるキャラクターだ。一回くらいは観る価値がある不思議な人物で、見てくだされば有り難い。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- ハン・ヘリ、写真 : ソ・イェジン、翻訳 : 前田康代
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