韓国プロ野球の発展にも貢献…張本勲さんの死去うけ韓国メディアも報道
写真=OSEN DB日本メディアの報道によると、張本勳さんは9日午後5時ごろ、東京都内の病院で息を引き取った。
1940年に広島市で生まれた故人は、幼少期に負った右手のやけどによるハンディを乗り越え、左手で日本野球界を代表する大打者へと上り詰めた。
両親の故郷が韓国・慶尚南道(キョンサンナムド)陜川(ハプチョン)郡である張本勳さんは、在日コリアン2世として生まれた。
大阪・浪華商業高校で本格的に野球選手として頭角を現し、1959年に日本プロ野球の東映フライヤーズに入団。同年に新人王に輝くと、1961年には自身初となる首位打者のタイトルを獲得した。
その後、読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズなどでプレーし、通算7度の首位打者に輝いた。1962年にはパ・リーグの最優秀選手(MVP)にも選出された。1980年5月28日には、日本プロ野球史上初となる通算3,000安打を達成。前人未到の金字塔を打ち立てた。
23年間の現役生活で2,752試合に出場し、通算3,085安打、504本塁打、1,676打点、打率.319を記録した。現役引退後は、主に新聞やテレビで野球解説者として活動した。
故人は、韓国プロ野球の発展にも大きく貢献した人物だ。1982年の韓国プロ野球発足に際しては、総裁特別補佐役を務め、在日コリアンの選手たちを韓国の複数の球団に紹介するなど、プロ野球の発展に貢献した。
8月15日に亡くなった元MBC青龍の初代監督、ペク・インチョンさんとは、東映フライヤーズで共に選手生活を送った縁がある。

- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- ホン・ユンピョ



