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PLAVE、高尺スカイドーム公演も大盛況!全6都市11公演を完走「より良い音楽と成長で恩返しする」
バーチャルアイドルPLAVEが、初のアジアツアーの終止符を打った。PLAVEは今月21日と22日、ソウル・高尺(コチョク)スカイドームで「2025 PLAVE Asia Tour DASH:Quantum Leap Encore」公演を成功裏に終えた。今回の公演は、先行前売りチケットオープンで約53万の最高トラフィック(通信量)を記録し、用意された2回分の座席を全て完売させた。特にPLAVEは、8月にオリンピック公園KSPO DOMEで3回の公演をした後、今回はさらに規模の大きい高尺スカイドームにバーチャルアイドルとして初めて立ち、意味のある記録を打ち立てた。ソウルを皮切りに、台北、香港、ジャカルタ、バンコク、東京までの6都市の旅を終え、約3ヶ月ぶりに再びソウルに戻ってきたPLAVEの公演は、華麗なフィナーレを告げるかのように、さらに熱い熱気を誇った。「重力」をキーワードにした今回の公演のコンセプトを貫く「Zero Gravity」のVCRが再生され、PLAVEはファンからの爆発的な歓声の中で「Watch Me Woo!」を歌いながら登場した。PLAVEは「デビュー100日ライブで『高尺ドームで公演ができるかな?』と言っていました。でも今、その高尺ドームに来ています」と、胸いっぱいの感想を伝えた。2回目の公演では、オンライン生中継を通じて全世界のファンのためのウィットに富んだ多国語の挨拶も続いた。続いて「Virtual Idol」と「RIZZ」のステージが繰り広げられ、ハツラツとした魅力を披露した。ハミンのピアノ演奏とともにした「Island」と「12:32(A to T)」は、甘美なボーカルで観客の感性をしっとりと潤した。新たに演出されたステージで繰り広げられた、柔らかなピアノの旋律の「The 6th Summer」と「From」のステージは深い感動をさらに増した。続いて、ファンに向けた心からのメッセージを込めたファンソング「Dear. PLLI」では、真っ白な雪原の上に登場し、冬ならではのロマンチックな雰囲気を演出した。PLAVEならではの独創的なステージ演出とパフォーマンスも目を引いた。舞踏会で仮面をつけておとぎ話のような雰囲気を醸し出した「WAY 4 LUV」、カリゴダンサーたちと共にした「Dash」の雄大なパフォーマンスは、VCRとレーザー効果を最大限に活用し、PLAVEの世界観をさらに圧倒的に表現した。1階から4階まで続いた観客のウェーブは壮観を成し、現場の熱気を倍増させた。続いて、夢幻的な空間でドライブをするメンバーたちの姿が際立つ「Chroma Drift」、東方神起の原曲を再解釈した「呪文-MIROTIC-」のカバーステージは、強烈なカリスマ性と成熟した魅力で爆発的な歓声を導いた。公演後半では、練習生時代の弘大(ホンデ)バスキングを思い出させる「高尺ドームバスキング」コーナーで雰囲気を変えた。メンバー達は多様なジャンルの曲を短いライブで披露した。特にイェジュンとウノは、自作曲「好きだというその一言」と「But Your Idol」を披露し、大きな反響を得た。PLAVEは「I Just Love Ya」「Pump up the volume!」「かくれんぼ」、デビュー曲の「Wait for you」のステージを披露し、公演が終盤に差し掛かったことを知らせた。特に、本公演の最後の曲「Pixel World」では、メンバーたちの頭上にプレゼントボックスが開き、ファンを「最後のパズル」と称し、温かさを加えた。公演終了後も「From」のシング・アロングイベントと観客のアンコール要請が続いた。PLAVEは10日に発売された新曲「BBUU!」を歌いながら再びステージに上がった。続いて、「ムメミム(MMMM)」の着ぐるみ姿のダンサーがサプライズ登場すると、PLAVEは一緒に「Why?」を歌いながら観客と愉快にコミュニケーションした。記念写真を撮影して思い出を残したPLAVEは、ツアーの旅を共にしたスタッフとファンに心からの感謝を伝えた。のどかな田舎の家を背景に「Bongsoong-a」を歌ったメンバーたちは、サンタの衣装に着替え、雰囲気を一層盛り上げ、「Merry PLLIstmas」のステージでファンに少し早く訪れたクリスマスプレゼントを贈った。キャロルのように温かく明るいステージは、高尺ドームを埋め尽くした観客に特別な思い出をプレゼントした。PLAVEは「PLLI(PLAVEのファン)の愛と応援のおかげで、想像さえできなかった高尺ドームのステージにまで立つことができ、この瞬間が本当に奇跡のように感じられます。僕たちを信じて共に歩んでくれたPLLIがいたからこそ、バーチャルアイドルに対する偏見を乗り越え、今のPLAVEになることができました。これからも終わらない僕たちの旅で、より良い音楽と成長で恩返しします。共に歴史を作っていきたいです」と最後の感想を述べた。最後に「Our Movie」を歌いながら観客を見送ったPLAVEは、公演の締めくくりを飾った。公演が終わった後には「CURTAIN CALL」が再生され、メンバーたちのビデオレターと直筆手紙が流れ、現場を温かい余韻で満たした。

国民的俳優イ・スンジェさん、演技だけでなく政治家活動も…最後まで“現役”を貫いた伝説の生涯
韓国俳優史の生き証人であるイ・スンジェさんは、ジャンルを問わない天性の俳優だった。演劇から正統派時代劇、シットコム(シチュエーションコメディー:一話完結で連続放映されるコメディードラマ)、映画、バラエティまで幅広く活躍した彼は、息を引き取る寸前まで舞台を離れず、後輩俳優たちに深い感動を残した。1934年、咸鏡北道(ハムギョンブクド)会寧(フェニョン)で生まれ、4歳からソウルで育った彼は、ソウル大学の哲学科在学中の1956年、シン・ヨンギュン、イ・ナクフン、ファン・ウンジンらとともに演劇部を再建し、本格的に演技の道へ進んだ。同年に演劇「地平線の彼方」でデビューし、翌年には韓国初のTVドラマ「青い地平線」に出演して顔を知られるようになった。その後、TBCの専属俳優として活動し、100本以上のドラマに出演。1980年代まで多様な作品で助演中心の演技を披露した。57歳だった1991年、MBCドラマ「愛とは何だろう」で印刷所社長イ・ビョンホ役を務め、デバリの父として大きな印象を残し、人生の転機を迎えた。この作品の人気を受けて、1992年に「第14回国会議員選挙」にも出馬・当選し、政治家としても活動した。政治活動中も演技を止めることはなかった。ドラマ「野望」「別れ」「銭湯の人々」などに出演し続け、1996年に政界を引退した後は再び俳優としての歩みに集中した。1999年MBC「ホ・ジュン」をきっかけにイメージを一新し、「商道」「張禧嬪」「不滅の李舜臣」「イ・サン」などの時代劇や「マイ・スウィート・ファミリー~フンブの家運が開けたね~」まで幅広くこなし、名実ともに韓国ドラマの中心的存在となった。2006年にはMBCシットコム「思いっきりハイキック!」で再び人生の転機を迎えた。これまでの厳格なイメージを脱ぎ、気難しいがどこか抜けている漢方医院院長役でエロ動画スンジェというニックネームとともに若い世代から新たな支持を受けた。この作品で「MBC放送芸能大賞」の大賞を受賞し、続編「屋根突き抜けてハイキック!」でも愉快な演技で幅広い人気と世代を超えた交流のアイコンとなった。その後も「ベートーベン・ウィルス」「あなたを愛してます」などで温かな老年の姿を描き、観客に深い感動を与えた。2013年にはtvNバラエティ「花よりおじいさん」にシン・グ、パク・グンヒョン、ペク・イルソプらと出演し、活動範囲をバラエティまで広げ、国民の祖父という別称を得て、新たな絶頂期を迎えた。それでも、イ・スンジェさんの真の舞台はやはり演劇だった。高齢にもかかわらず舞台に立つ負担を顧みず、特に87歳だった2021年の演劇「リア王」では素足で200分間舞台に立ち、膨大なセリフを完璧にこなして観客を驚かせた。昨年は演劇「ゴドーを待ちながらを待ちながら」の舞台にも立ったが、健康悪化のため一部公演を中止し、人々から心配の声が上がった。当時は「元気な姿でまた舞台に立って応えたい」と意志を見せたが、医師の判断で作品を降板することとなった。イ・スンジェさんの演技への情熱は最後まで途切れなかった。彼は2024年KBSドラマ「犬の声」で犬の声が聞こえるという設定の本人役を演じ、再び深い印象を残して、同年「KBS演技大賞」で大賞を受賞。歴代最高齢受賞者として記録された。当時、イ・スンジェさんは「いつかチャンスが来ると準備していたが、このような貴重な賞をいただき感謝している」と感想を述べた。2025年には「韓国PD大賞」の俳優部門にも名を連ねたが、健康問題で授賞式には出席できなかった。70歳でシットコム、90歳で演劇など、舞台に立ち続けた俳優イ・スンジェさん。彼の俳優人生は最後まで歩みを止めず、韓国の大衆文化史の一翼として長く記憶されるだろう。・国民的俳優イ・スンジェさん、本日死去91歳で永眠・イ・スンジェさん、涙ながらに思いを語った最後の受賞スピーチに注目集まる「視聴者の皆さんに助けてもらった」・少女時代 テヨン、思い出の写真と共にイ・スンジェさんを追悼

李在明大統領、俳優イ・スンジェさんを哀悼「私たちに深い感動を与えてくれた」
李在明(イ・ジェミョン)大統領が、ベテラン俳優で元国会議員であるイ・スンジェさんの死去に深い哀悼の意を表した。李在明大統領は本日(25日)、自身のSNSアカウントを通じて「国民的俳優イ・スンジェ先生の死去に深い哀悼の意を表します」と掲載した。続けて「『演技は生きている人間の物語を紡ぎ出す人生の伴侶』というお言葉の通り、先生にとって演技は私たちの生きる物語を世の中に伝え、人間の本質を伝える通路だったと思います」と付け加えた。また「先生の演技に対する哲学と俳優としての姿勢、そして真の大人としての人柄は、多くの後輩たちの模範となり、ひいては私たちすべてに深い感動を与えてくれました」とし、「すべての世代を網羅し、愛された芸術家で、国民的俳優であった先生をいつまでも記憶します」と追悼した。最後に李在明大統領は「先生の表情と声が今でも鮮明に思い浮かびます」とし「先生、どうか安らかにお休みください」と伝えた。遺族によると、イ・スンジェさんは本日(25日)享年91歳で永眠した。イ・スンジェさんは、健康問題で活動を休止するまで、演劇「ゴドーを待ちながらを待ちながら」やKBS 2TVドラマ「犬の声」などに出演した。「2024 KBS演技大賞」では最高齢の大賞受賞者となった。彼は生涯を演技に捧げたが、第14代総選挙で、当時の与党である民主自由党の候補としてソウル中浪(チュンナン)甲選挙区に出馬して当選し、国会議員として民自党副報道官や韓日議員連盟幹事なども歴任した。・国民的俳優イ・スンジェさん、本日死去91歳で永眠・イ・スンジェ「2024 KBS演技大賞」で大賞を受賞90歳で成し遂げた快挙に俳優たちも涙

ZE:A テホン、恋愛放棄を宣言!今度はタクシー運転手に挑戦「今日の目標は約3万円」
ZE:Aのテホンがタクシー運転手としての近況を公開した。テホンは最近、自身のYouTubeチャンネル「ネクストテホン」にて、「ZE:Aのテホン、初めての酔っ払い対応で精神的ダメージなぜいきなりため口を? 平和だった夜間運行5時間で赤いランプをつけて走った衝撃の理由」と題した映像を公開した。映像の中で彼は、「Coupangのアルバイトから中華料理店、工事現場、配達アルバイトまで、やったことのない仕事はほとんどないZE:Aのラッパテホン。彼の眩しい次の挑戦が始まる」と語り、新たな挑戦を紹介した。午後6時28分、タクシーの運行を開始した彼は、最初の乗客に対して照明やエアコンなどを確認し、優しく丁寧に対応。プロフェッショナルな姿を見せた。スウェーデン人と中国人乗客を乗せた彼は「気力を吸い取られた。乗客のテンションがすごい」と打ち明けた。彼は初日のタクシー運転を振り返り、「2回目の運転になりますが、初日に運転してみて感じたのは、ご飯を食べる時間がもったいないということです。今日の目標額は30万ウォン(約3万円)」と語った。さらに「今日は午後6時から翌午前6時まで、約12時間乗る予定です。食事の時間を減らしてでも、一人でも多くのお客様をお迎えしたい」と意気込みを見せ、のり巻きやエナジーバーを準備するなど情熱を示した。運行開始から3時間での収益は、約6万3千ウォン(約6300円)だった。テホンは運行中、自分に気づいた乗客に出会い、喜びを見せた。「今日初めてこうして声をかけてもらいました。今日の運転は6時20分から始めたのですが」とし、「こちらから声をかけると失礼になるじゃないですか」と笑った。自分に気づいた乗客とは年齢を尋ねながら、嬉しそうに会話を交わす場面もあった。アイドルとして活動していた頃を振り返り、彼は「アイドルという仕事も大変でした。でも、結局みんな同じだと思います。今まで色々と挑戦してきましたが、大変なのは誰にとっても同じ」と本音を明かした。そして、ZE:Aのメンバーたちについては「グァンヒは今忙しいです。ヒョンシクもそうですし。成功した人々が多いですが、その次が僕だと思います。たくさん応援してください」と応援のメッセージを頼んだ。また「チャンネル登録者数が10万人を超えたら108回の礼拝をしに行く」という公約を掲げたが、すぐに「大変だ」と笑いながら「あきらめます」と冗談を交えて笑いを誘った。乗客から「こんなにイケメンなのに、なぜ結婚しないのか」と尋ねられると、彼は「今は恋愛する時間がないとずっと思っている」と「恋愛放棄」を宣言した。さらに「アイドルだから?」という問いには、「アイドルもう僕はおじさんです。かなり年を取ってしまいました」と答えた。「若いファンの方々から『おじさん』と言われるし、ファンの皆さんも年を重ねて、赤ちゃん連れで来てくれる方もいます」と語り、年月の流れを実感する姿を見せた。・ZE:A テホン、現在は中華料理店の社長にインスタで近況を報告・【PHOTO】ZE:A ジュンヨン、ソロアルバム「ZE:AFTER」発売記念ショーケースを開催テホンの姿も

「テプン商事」2PM ジュノ、束の間の平和から一転…絶体絶命の事件が発生【ネタバレあり】
※この記事にはドラマのストーリーに関する内容が含まれています。2PMのジュノとキム・ミンハがついにテプン商事乙支路(ウルチロ)オフィスへのカムバックに成功した。しかし、安堵も束の間、今度はイ・サンジンに予期せぬ事件が起きて予測不可能な緊張感を爆発させた。韓国で昨日(23日)放送されたtvN土日ドラマ「テプン商事」第14話の視聴率は全国、首都圏世帯平均9.5%、最高10.3%を記録し、地上波を含む全てのチャンネルで同時間帯1位の座を守った。20~40代のターゲット視聴率も全国世帯平均2.7%、最高3%で地上波を含む全チャンネル同時間帯1位を記録した。(ケーブル、IPTV、衛星を統合した有料プラットフォーム基準/ニールセン・コリア提供)。この日の放送はまず、9年前の借用書の真実に遡った。倒産の危機を迎え、必死にお金を集めていたピョ商船の社長ピョ・バクホ(キム・サンホ)は、テプン商事の社長カン・ジニョン(ソン・ドンイル)から4,000万ウォン(約424万1,826円)を借りる代価として会社の持分30%を譲渡する借用書を書いた。これはのちの危機を迎えたテプン商事を生かすカン・テプン(ジュノ)の最後の切り札となった。ピョ・ヒョンジュン(ム・ジンソン)の放火で納品が難しくなると、テプンはピョ商船が大量購入した手術用手袋300万個と借用書を取り替えようと提案した。約束した日付まで借用書を渡せない場合、社長の座を譲り渡すという条件を加え、取引が成立した。テプンは無事に調達庁納品を終えた。倒産の危機からやっと逃れたが、テプン商事には新たな嵐がやってきた。チャ・ソンテク(キム・ジェファ)のこれまでの不正行為が社員たちを衝撃に陥れた。ピョ・ヒョンジュンに品物の入庫日付と倉庫情報を流し、オ・ミソン(キム・ミンハ)の命まで危ない目に遭わせた放火事件が起き、さらに26年間一緒に積み上げた信頼が崩れたことに、言葉では表せない失望が押し寄せてきた。罪悪感で一人涙を飲み込んでいたソンテクは結局、ピョ・バクホからもらったお金を返すために家まで売り払い、青汁会社からも追い出された。息子まで脅かされる極限の状況に追い立たされ、間違った選択をするしかなかった彼女の状況は苦い後味を残した。テプンには最も緊急な問題もあった。社長の座を守るためには借用書を探さなければならなかった。真夜中にこっそり乙支路の空っぽのテプン商事のオフィスに潜入して探すも、どこにもなかった。結局、巡回していた警備に摘発され、警察署まで連行される困った状況に置かれた。借用書のことで疲弊していくテプンに、ミソンは少し息抜きしようと、バカンスを提案した。これまで会社を守るために休まず走ってきた二人は海辺で他の人と同じく休暇を楽しみ、最もロマンチックな時間を過ごした。その間、ピョ・ヒョンジュンの狂気はさらに強くなった。放火まで犯してテプンを挫折させようとしたが、手術用の手袋が彼の手に渡ったことが、歪んだプライドを根こそぎ揺るがしたのだ。真夜中に父親のオフィスに殴り込んだ彼は劣等感と憤怒を一気に爆発させ、「一度でいいから認めてもらいたかった」と絶叫した。しかし、ピョ・バクホは息子を叱って「敗北者」と追い込んだ。結局、理性を失ったピョ・ヒョンジュンは父親の頭を殴り、まだ息をしている彼をコンテナに閉じ込めるという倫理に背く行いをした。そうしてピョ・バクホと約束した代金満期日がやってきた。借用書は結局探せなかったが、保証覚書そのものが借用書の存在を認めたと判断したテプンは、直接会って話をつけようとした。しかし、なぜかピョ・バクホに連絡が取れず、ピョ商船の社長室はピョ・ヒョンジュンが占領していた。テプンは仕方なく、自分が約束した日にピョ商船に来たという証拠だけ残して帰った。一方、テプン商事は久しぶりに活気を取り戻した。手術用の手袋の納品が無事に処理されて資金繰りに余裕ができ、その勢いで乙支路の元のオフィスへの復帰を決定した。慣れ親しんだ場所に戻ったテプンとミソン、そしてコ・マジン(イ・チャンフン)、ク・ミョングァン(キム・ソンイル)、ペ・ソンジュン(イ・サンジン)はテープカットも行い、記念写真も撮影して新たな出発をみんなでお祝いした。社長室は空けたまま、みんなと同じ空間で働くというテプンの決定は、テプン商事だけの家族のような会社の雰囲気をより確かなものとした。しかし、平和は長続きしなかった。電話に出るために外に出たソンジュンが涙を流しながらオフィスに帰ってきた。テプンの手を握って「お父さんが死ぬかもしれません。お父さんを助けてください」と絶望したソンジュンの顔には恐怖と絶望が入り混ざっていた。一体彼に何が起きたのか、残りわずか2話の「テプン商事」の最後の物語に関心が集まる。

日本のシンガーソングライターなとり、初の韓国公演を盛況裏に終了!ファンに感謝「涙が出そうになった」
日本のシンガーソングライターのなとりが、初の韓国公演を成功裏に終えた。なとりは21日と22日の2日間、ソウル広津(クァンジン)区YES24ライブホールで「natori Asia Tour 2025 in Seoul」を開催し、韓国ファンと会った。今回の公演は、なとりがデビューしてから初めて韓国ファンに会うステージで、チケット販売開始と共に高い関心を集めた。公演はびっしり詰まったランニングタイムと多彩なセットリストで構成され、公演の間はファンから熱い歓呼が続いた。この日、彼は「猿芝居」と「金木犀」で公演を始め、ファンのために準備した特別なアレンジとムードが加わり、前半から熱い呼応を引き出した。続いて、なとり特有の色がしっかり感じられる曲が流れ、より豊かな雰囲気を醸し出した。特に、ハイライトの「Overdose」では爆発的な合唱があり、現場の熱気がピークに達した。また、「SPEED」「エウレカ」など強烈な構成で完璧なフィナーレを飾った。公演を終えたなとりは「本当に楽しいライブだった。会場の熱気がすごく、すべての瞬間がハイライトだったと思う」とし、「特に『絶対零度』では観客の皆さんの合唱がインイヤを貫いて聞こえてくるほど大きく響いて、歌いながら涙が出そうになった」と感想を伝えた。続いて「僕がステージでコメントをしたり、歌うときも韓国の観客の皆さんがすべての力を込めて反応してくださった。熱いエネルギーの中でも温かさを感じた」とし、「全体的な雰囲気は日本と似ていながらも、『おー! おー!』のような掛け声と歓声は日本ではあまり経験できなかった文化で本当に楽しかった」と、韓国公演で感じた特別な感想を述べた。最後に「これからも武道館公演や様々なOST(挿入歌)とコラボレーション活動などを通じて、より大きく成長していきたい」とし、「今回の韓国公演は本当に楽しく、必ずまたここで公演したい。すぐに帰ってくる」と挨拶した。初めての韓国公演を成功裏に終えたなとりは、引き続き精力的に活動を続けていく予定だ。・RIIZE ショウタロウ、なとりの「Overdose」をカバー!絶賛コメントが殺到

KARA出身ハラさん、本日(11/24)6度目の命日…実兄がファンへの感謝とともに追悼
KARA出身のハラさんがこの世を去ってから6年が経った。ハラさんの兄であるク・ホインさんはSNSを通じて、妹を懐かしむ気持ちを伝えた。ク・ホインさんは昨日(23日)、自身のSNSに複数枚の写真を掲載した。写真の中には、ハラさんの霊廟の前を埋め尽くした花束、手紙、メッセージカードが置かれていた。彼は「記憶してくれる人がいれば永遠に生きるそうです。すでに6年という時間が過ぎましたが、訪ねてきてくださって心から感謝します」という短い文章を残した。ファンたちが毎年忘れずに訪れて伝える気持ちが、残された家族にとって大きな慰めになっていることを表したのだ。ハラさんは2019年11月24日、ソウル清潭(チョンダム)洞の自宅で息を引き取った状態で発見された。享年28歳。当時、警察は犯罪の嫌疑点はないという結論を下し、家の中からは短いメモが発見されたことが知られた。2008年にKARAに合流したハラさんは、「Pretty Girl」「ミスター」「ジャンピン」「ルパン」など数多くのヒット曲を生み出し、グループの全盛期を牽引した。日本でも爆発的な人気を誇り、韓流ガールズグループの代表的存在として活躍した。人形のようなビジュアルと明るいエネルギーで韓国国内外のファンの愛を一身に受けた。KARAは2022年にデビュー15周年を迎えてカムバックし、ハラさんを再び思い起こさせた。「ハラは依然として私たちと共にいる」というメンバーたちのメッセージは、多くのファンを感動させた。また、昨年には故人の声が収録された未発売曲「HELLO」が公開され、さらに大きな感動を与えた。・ハン・ソヒ、KARA出身ハラさんの七回忌を控え未公開写真を投稿「もう私の方が年上」・KARA出身ハラさん、本日(11/24)5度目の命日メンバーが思い出写真と共に追悼

イ・シヨン、新生児の娘をオーナメントに?批判うけ投稿を削除
女優のイ・シヨンが、新生児の娘を装飾品に例えて再び物議を醸している。先立ってイ・シヨンは21日、自身のSNSに「今年のクリスマスオーナメント、私はどうですか? 少し早いけどメリークリスマス」という文章と共に映像を掲載した。映像で彼女は、生後17日になる娘にサンタの服を着せ、クリスマスの小物と一緒に箱に入れた。写真作家たちは、赤ちゃんの上から撮影するのに忙しい様子だった。イ・シヨンはその際、「とても小さくて大切。心配を百万個持って撮影場に行ったけれど、本当にやって良かった。毎日毎日取り出して見なきゃ」とコメントした。イ・シヨンが言及した「オーナメント」は、人ではなく物の外見を美しく飾る「装飾品」を指す際に使用される言葉だ。一部では「新生児をオーナメントのように演出するのは適切なのか?」という批判が提起され、結局彼女は該当の投稿を削除した。イ・シヨンは2017年、一般人男性と結婚したが、8年後の今年3月に破局を迎えた。その後、7月に「現在妊娠中」と明かし、結婚生活中に試験管施術で第2子を準備した事実を公表した。・同意なしに体外受精で妊娠イ・シヨン、出産現場に元夫が同行?男性らしき手に注目集まる・元夫の同意なしに体外受精で妊娠イ・シヨン、第2子出産を報告

「暴君のシェフ」が大ヒット!俳優イ・チェミン、新年の願いを語る「良い人たちがそばにいてくれること」
俳優イ・チェミンが新年の願いを語った。11月17日、ファッション雑誌「:Harper's BAZAAR KOREA」は、ドラマ「暴君のシェフ」のイ・ホン役で大きな愛を受けた俳優イ・チェミンの魅力的な姿が収められた12月号カバーを公開した。イ・チェミンは今回、フランスのラグジュアリーブランド、ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)と共にカバー・グラビア撮影を行った。公開されたイメージの中でイ・チェミンは、ルイ・ヴィトンの「ル ダミエ ド ルイヴィトン(Le Damier de Louis Vuitton)」ファインジュエリー及びウォッチコレクションと共に、柔らかくロマンティックな姿からカリスマ溢れるアティチュードで視線を奪った。特にホリデーシーズンに合わせて多彩な楽器と共に、彼の眩しい青春の側面が浮き彫りになったコンセプトとスタイルが調和し、さらに目を引く。続けて、インタビューでイ・チェミンは「普段よく着飾るスタイルではない。それでも最近はファッションにかなり関心が高まってはいるが、だからといって綺麗な服を着て写真を残すことに慣れている人ではないので、グラビアを撮る日にはどうしても緊張感をとても多く感じる。それでも幸いなのは、現場に早く適応する方だということだ。最初の1、2カットを過ぎればすぐに体がほぐれる。今日もそうだった」と、カバー撮影についての所感を伝えた。自ら過分な愛を受けたと表現したドラマ「暴君のシェフ」が終わった後については、「最初は変化に適応がうまくできなかった。毎週放送が終わると即座に反応が来るのにとても混沌のカオスだった。今は放送が終わって、自分のペースで再び一段階ずつ積み上げていく時間が訪れたので、より良い姿を見せたいという思いだけだ。一ヶ所に留まっていないようにしようと思いながら」と語った。新年に願うことは「ちょうど今も十分良いので、そばに良い人たちがプレゼントのように残っていてくれること。新年のほぼ唯一の願いであり、2年後、3年後にも続けて願うことになると思う。交友関係が広い方ではないが、周りに良い人たちしかいない。これは自分自身の自負心でもある。今年も本当に良い人たちにたくさん出会った。振り返ってみると、これほど有難く幸せなこともなかった」と伝えた。

“国民の妹”キム・ユジョン、3度の転校&友達からのイジりも…子役時代の苦労を初告白
女優のキム・ユジョンが国民の妹としての当時のプレッシャーを告白した。キム・ユジョンは最近、YouTubeチャンネル「妖精ジェヒョン」にゲスト出演した。「4歳の時から私たちみんなで一緒に育てたユジョンの放送、そしてその裏側の話」という動画タイトル通り、幼い頃の経験と当時の感情を打ち明けた。動画の中でチョン・ジェヒョンは「ユジョンが大変だった時期は14~15歳頃だったと思う」とし「5歳の時に広告でデビューしたよね。当時は広告出演自体が人気の証拠で、君が出てくるとみんな『世の中にこのような顔の子がいるの?』と大騒ぎだった」と回想した。キム・ユジョンは笑いながら「広告はたくさん撮った」と答えた。女優に転向したきっかけを尋ねられると、彼女は「子供番組や映画で脇役をしながら、徐々に演技の方へ移っていった」と説明。続いて、記憶に残る作品を尋ねられると、彼女は「私が正確に記憶しているのは小学校高学年の時からだ。それ以前はよく思い出せない。衝撃的なシーンか、とても良かったか、そのような形でしか記憶にない。私が幼い頃、ホラー映画を撮ったことがある。本当に怖かった瞬間は記憶にぼんやり残っていて『これは本当にあったことなのか』と思うほど、うっすらと覚えている」と語った。これにチョン・ジェヒョンは「私たちは広告を見て最初に親しみを感じた。すべての人が君に親しみを感じている。老若男女みんなが好きだろう。それがどれだけ大きな長所か」とし「様々な作品に出演していたし、そのような人がどうやって生きてきたのかがとても気になる」と学生時代について尋ねた。キム・ユジョンは「私は学校関連のことをほとんど話したことがない」と慎重に口を開いた。そして「(小学校に)登校するとマスクをつけることはできないから、みんな分かっていた」とし「私は転校を何度もして、3つの学校に通った。その度に学校内で騒ぎになった。最初は友達が『芸能人だ』と騒ぐけれど、仲良くなるとその友達も普通の友達と同じように感じてくれるようで、すぐ打ち解けた」と回想した。しかし、彼女は有名税によるプレッシャーも打ち明けた。キム・ユジョンは「友達が違う見方をしているのを感じた。12歳の時『九尾狐伝~愛と哀しみの母~』に出演した。その時に男の子たちから作品の役についてからかわれて『牙を見せて』と言われ、とても疲れた」と当時の状況を伝えた。チョン・ジェヒョンは「ユジョンが『国民の妹』として成長する姿を私たちは見てきた。でもその裏側の姿は見られなかった。すべての人が親しみを込めて、とても可愛いと感じていたけれど、それにより思春期が来た時、本当にストレスが溜まっただろう」と共感した。キム・ユジョンは「今は『そうだった』と分かるけれど、当時はよく分からなかった」とし「学校と現場を行き来していたし、どこかに出ても誰かの反応が今のように分からず、SNSなどそういうツールも活発な時期ではなかった。『太陽を抱く月』の時から始まり、大人になるまでずっと混乱していた」と打ち明けた。・キム・ユジョン、キム・ドフンとの熱愛説に自ら言及「記事が出てすぐに電話ずっと笑っていた」・キム・ユジョン、awesome ENTと2度目の再契約!新ドラマにも期待

シム・ヒョンタクの息子ハルくん、初のヘアカット後の可愛さに反響(動画あり)
俳優シム・ヒョンタクと日本人の妻・サヤの間に生まれた息子ハルくんが、アイドル級のビジュアルを披露した。11月12日に放送されたKBS 2TV バラエティ番組「スーパーマンが帰ってきた」の「存在自体がプレゼント」編では、シム・ヒョンタクの息子ハルくんの初めての美容室デビューが描かれた。この日、シム・ヒョンタクはハルくんの初めてのヘアカットを自ら行った。彼は慎重に髪を切りながら「とても大切だ」と感激した気持ちを表現した。ヘアカット後、ハルくんは一層はっきりとしたイケメン姿に変身し、「顔天才」という反応を得た。シム・ヒョンタクはヘアデザイナーに「髪を切っても可愛いなら、元々可愛いってことですよね?」と言いながら「髪の毛かと思ったら顔の毛だった」と話し、満足そうな笑みを浮かべた。・シム・ヒョンタクの息子ハルくん、爆毛赤ちゃんからBTSスタイルに!?初めての散髪に挑戦・シム・ヒョンタクの息子ハルくん、生後10ヶ月で広告モデルに!可愛すぎるグラビアが話題

NMIXX ソリュン&ジウ、香水ブランドのグラビアで清楚な美貌をアピール
NMIXXのソリュンとジウが美貌を誇った。最近、ファッション誌「Harper's BAZAAR Korea」は、ソリュンとジウが参加した香水のグラビアを公開した。今回のグラビアは、フレグランスブランド「FORMENT」の新製品「コットンベイビー」とベストセラー「コットンメモリー」を中心に、柔らかな空間の中で温かく感覚的なムードを描き出した。ソリュンは明るく透明感あふれる眼差しと清楚なビジュアルで、「コットンベイビー」の柔らかく温もりのある香りを表現。ジウは愛らしい魅力で、「コットンメモリー」が持つ甘くも温かい香りを感覚的に表現した。彼女たちが「FORMENT」と共に作り上げた今回のグラビアは、「Harper's BAZAAR Korea」11月号と公式ウェブサイト、公式Instagramを通じて確認できる。




