Kstyle
Kstyle 14th

【アルバムレビュー】YangYang、2ndフルアルバム「愛の歌」

oh!my star

YangYang 2ndフルアルバム「愛の歌」レビュー

夏も終盤に差し掛かっている。今年の夏は、一日の最高気温が35度を超える日々が続き、きれいだった河川では毒素とアオコ現象が観測されるなど、生態的に尋常ではない問題が起きた夏として記憶されている。

果たして、このような現象が一時的なものなのか、それとも毎年経験することになる前兆なのかは分からないが、いずれにせよ人間に対する自然の重大な警告という現象であることは間違いなさそうだ。大自然があらゆる生命の母だということに同意する人なら、このような警告に耳を傾けるべき時がきたかのように思える。

いわゆる“自然主義”的な曲を歌ってきたシンガーソングライターYangYangが、先日2ndフルアルバム「愛の歌」を発表した。1stフルアルバム「くだらない話」以来、2年8ヶ月ぶりのアルバムである。

アルバムには計11曲が収録されている。自然に対する愛、気を付けていないとすぐに消え、忘れられる大切なことに対する執着、道の上で考える人生に対する考慮などが、YangYangらしい傍観的で思考的な歌詞と心地よいサウンドで表現された。

静観と思考的な歌詞、心地よいサウンド、それがYangYangらしさ

「一緒に生きよう」は自然と生命体の大切さを歌った曲だ。語り手は彼らの名前を呼んで一緒に生きようと話す。これは「一緒に生きようというのは悪かったという私からの謝罪」「息をしながらも有り難さに気づかなかった」などの歌詞からも分かるように、これまで人間のエゴが作ったむやみな開発への反省が読み取れる。

このようなメッセージは「みんな、忘れないで。私たちを育ててくれた幼い頃のその丘と花と木と風」という歌詞に直接表現されている。親しみやすいメロディーと優しい歌詞をもったこの曲が、訳もなく消えてしまった魂を慰める歌であると読むことができる理由だ。

「祝杯」は、長い悲しみの日々を送った後に気づいた悟りと治癒に関する曲だ。「幾多の夜を過ごして、やっと朝を迎える」という歌詞のように、語り手はごく単純な事実で人生の隠された意味を伝えている。つまり、すべてのことには始まりと終わりがあり、人生を生きて感じることになる悲しみや涙も例外ではないという話だ。

曲の途中で出てくるヘグム(韓国の伝統楽器)の演奏が印象的だが、二面的な音は悲しみを愉快さに変える道化師の身振りにも似ている。ギターとベースが作り出すビートは懐かしく、ハーモニカの音色も気持ちが良い。全体的に、焚き火をして、好きな人と一緒に楽しむ小さい音楽会のような雰囲気が感じられる曲だ。

「お母さん、美しい」は、“お母さん”に捧げる曲だ。語り手は「まるで川の水のような深い愛、心に溢れる」「温かい冬、布団のように私を包んでくれる」などの歌詞で“お母さん”への愛を表現している。多少、陳腐な表現だが、それにもかかわらず響きがあるのは、“お母さん”という存在そのものが持つ力のためだろう。

傍観的な歌詞と合うように、音は遅くて重い。一時は少女だった“お母さん”の姿と、“私”のために“彼女の人生”を譲った今の“お母さん”の姿を交差させて感じたであろう語り手の込み上げてくる気持ちが反映されたためだろう。特に、感情を抑えようとしていることが伝わってくる歌声と、低い音で心の琴線に触れるチェロの音色が感動を与える。この世界のすべての娘たちが彼女らの母親の前でこの歌を歌って欲しいものだ。

「旅人」は、旅行に対する思いを歌った曲だ。語り手は歩き、また歩いて、青い海と静かな川と、私に笑ってくれた人々と言葉のない夜明けに出会う。しかし、すべての出会いは、結局「地図にはない」もう一つの自身の心にたどり着く道に通じる。そして、その道の末に得たのは「生きることは、巡りに巡って、結局元の場所に戻ってくることだ」という悟りだ。

ギターとチェロが醸しだす温かい音色は単純だが、安らぎを与えてくれる。目を閉じて聴いていると、牧歌的な雰囲気の細道を歩いているような気分にさせてくれる。歩き旅が脚光を浴びている時代であるだけに、日差しがよく、風が涼しい済州島(チェジュド)や智異山(チリサン)の小道を歩きながら聴きたい曲だ。

「正解は愛」は、冷たく孤独な心を、愛して生きようと述べている曲だ。「冷たく寂しい心」とは「互いを見られずに弱く悲しい人」たち、つまり「何も分かち合うことができず、愚かで不器用な私たち」を意味する。語り手はこの瞬間に必要なものが愛で、歌は“詩”だと話すが、これは結局YangYangが目指している歌といっても良いだろう。

ドラムとキーボードが使われたバンドサウンドは、爽やかで軽快な感じの曲だが、ここにチェロの演奏が温かさを吹き込む。しかし、何より「愛は切ない眼差しですべてを見ること」という歌詞が強いインパクトを残す。

「こう流れていきますね」は“私たち”が見逃しているものはないか、じっくりと確認しながら聞く曲だ。語り手は「毎日こう暮らしていると」大切なものを失い、忘れてしまうと歌う。歌詞では直接触れてはいないが、ここで「こう暮らしていると」とは、たぶん必要以上に忙しく、必要以上に働く今の韓国人の平均的な人生を指すのだろう。

YangYangは「忘れていたあなたの歌を聴かせてください。失ってしまったあなたの記憶を話してみて」と言いながら、聞き手に流れていく人生の中で大切な記憶をもう一度探して見るように薦めている。当然な選択だろうが、ピアノがリードし、ギターが支える曲の展開は、穏やかで遅い。「こう流れていきますね。忘れてまた流れる」という口ずさみで歌を終えるYangYangの歌声が長い溜息のように感じられる曲だ。

「紅葉」は紅葉の由来に関する寓話を歌った曲だ。語り手は汚れを知らない子供の目から見た紅葉の物語を聞かせてくれる。友だちがいなくて悲しかった木を、雨が抱いてあげると、木が嬉しいあまり頬が赤くなり、紅葉になったという無邪気な想像力が愛らしい。

音楽面では、メロディーとウクレレの音色が耳を捉える。水玉のように跳ねるウクレレの音は、純粋な子供の心のように可愛いらしい雰囲気を作り、懐かしいメロディーはすでに大人になった人たちへ子供時代のもの懐かしさを与えるだろう。

曲前半の女の子が歌う部分は、この曲をキム・チャンワンの「おちびちゃん」イェミンの「アエイオウ」などの曲のような、いわゆる“大人のための童謡”と思わせる。

「今日のテーマは」は“人”という言葉に関する考えを歌った曲だ。語り手は「人は、言い換えれば孤独」と話している。だから、互いに「止めることも手放すことも出来ない私たちは星のように遠く」離れて存在し、またその理由で私たちは互いを「求める」ことになるのだという。

アコースティックギターが作る単純なビートとチョン・ユジョンのコーラスは、昔の民衆歌謡(韓国における民主化運動や労働運動及び農民運動、学生運動などの闘いの中から、作られた歌)時代の口語歌謡のような印象を与え、YangYangの歌声とエレクトリックギターが作る渋くねっとりとした雰囲気はまるでブルースのようだ。一方「今日のテーマは人です」という歌詞から始まりまた終わっているが、YangYangは題材のみを変えて「今日のテーマはXXです」というふうに連作を作ってみても良さそうだ。

「愛の歌」は、愛に関する格言を盛り込んだ曲だ。語り手は「言葉より一つの笑顔」「言葉より一つの身振り」「答えがないけど、自ずと頷ける気持ち」「道が分からなくても、流れて出会う心の海」という歌詞でそれなりに愛を“定義”している。

これは、語り手の個人的な経験から得たものと見られるが、総合してみると、彼女が願っている愛は“以心伝心”に近いものだ。ギターとフルートが使用された音は平和で愛に酔ったように、脱力感のあるYangYangの歌声は心地よさを醸し出している。

「道」は、道の上で考えた人生への思いを歌った曲だ。語り手は「風が吹くまま、思いが流れるまま」「人生の道の上を歩いている」と歌っている。しかし、このような歌詞とは違い、彼女はもっぱら本能と直感に依存して生きているとは思えない。

「私が歩いてきた道が美しく見えるまで、私は戻ってこない」という歌詞に表れるこの曲のテーマが、本能や直感よりは、理性と使命の領域にあるものと見られるためだ。従って、風が吹くまま、思いが流れるまま歩く人生とは語り手の希望なのかもしれない。ギターとキーボードを使った音は単調で、YangYangの歌声は独り言に近い。

「忘れないで、君を応援している」は、寂しく悲しいと訴えている同世代の人々のための曲だ。語り手はこう言う。雨の日にもさえずり続ける鳥たち、ちょうど吹いてくる風などの“全宇宙”が私たちをかばって慰めてくれている証拠だと伝えている。

そのためだろうか?誰もが胸にあざの一つぐらいは抱えているだろうと、そして胸に穴一つくらいは空いているだろうと話す語り手の態度は“クール”に感じられる。軽快なロック音はこのような歌詞とよく似合うが、今回のアルバムに収録された曲の中で一番エネルギーが溢れる曲だ。

今回のアルバムは、1stアルバムと比較した時、歌声と楽器の構成など、音楽にはあまり変化がない。ただ、「祝杯」「お母さん、美しい」「紅葉」「今日のテーマは」などのように個性的なメロディーの曲が増えた。

歌詞も、自然、子供、道、旅行、愛、人生などを歌っている点で、1stアルバムで見せてくれた関心事と大きくは変わらないが、積み重ねてきた経験のためだろうか、人生に関する考え方においては変化が読み取れる。

例えば、視聴者に向かって、試練があっても「胸を張って立ち上がろう」とか「もう一度」「元気にやり直そう」など、一緒に頑張ろうとしていた雰囲気(1stアルバム「威風堂々」)が2ndアルバムでは「忘れないで、君を応援している」のように一歩下がって伝える慰めに変わっている。

また、「私はどこから来たのだろう。私はどこへ行くのだろう」「私が望んでいるのはなんだろう」「道の上で」など、1stアルバムでは“疑問符”で終わっていた質問に対する答えを2ndアルバムで見つけることができるが、それは巡り巡って元の場所に戻ってくることを意味する、主にそれは離れてみて分かった「旅人」などの歌詞だ。

YangYangのスローライフを体験できる曲、社会への冷笑も

1stアルバムから2ndアルバムへ通過する間、YangYangは成熟し、その分力が抜けたように見える。部分的には社会への冷笑も感じられる。その間、彼女には何があったのだろうか。

正確には分からないが、漠然と想像することはできる。最初の曲「一緒に生きよう」を聴いていると、自然に漢江(ハンガン)と慶尚道の洛東江(ナクトンガン)、全羅道の錦江(クムガン)と栄山江(ヨンサンガン)の4つの川と18の支流の流域を整備する政治政策の一つである4大河川整備事業など、大型土木工事のためになくなった無数の自然と生命を思い出すことになり、2番目の曲「祝杯」では「言葉では慰められないから沈黙」し「沈黙にも物語がある」ことを知るようになったという歌詞は大統領選挙を前にした今の韓国社会で好機を得たようにも見える。

YangYangの曲を聴いていると、心が癒され、慰められているような気分になる。語彙や表現力は少し平凡だが、彼女が直接書いて歌った曲を聴いていると、彼女の“スローライフ”を間接的にでも体験できるためだ。また、彼女が大切にし、守ろうとすることが、人間のそれとあまり変わらないことに気付く。

YangYangの強みは、このように普遍的な人間の感性と思考を、飾らず心を込めて伝えることにある。

このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡な一般リスナーであることに満足して暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作家を夢見ています。―編集者

元記事配信日時 : 
記者 : 
ソ・ソクウォン

関連トピックス

ranking

\ 無料で購読 /
LINE
K-POPニュースを毎日LINEでチェック
友だち追加
Kstyle 特集・タイアップ一覧