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【コラム】「その冬、風が吹く」人間のための弁明 ― カン・ミョンソク

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※この記事にはドラマ「その冬、風が吹く」の結末に関する内容が含まれています。
SBS「その冬、風が吹く」は、オ・ヨン(ソン・ヘギョ)とチョ・ムチョル(キム・テウ)が両端にいる世界だ。オ・ヨンは人にお金を与えられる財閥の相続人で、チョ・ムチョルは借金した人を取り立てるヤミ金業者だ。オ・ス(チョ・インソン)は、両端にいる人達の生きる方式を極端に示している。78億ウォン(約6億6千万円)の借金を返さないと、彼はチョ・ムチョルに殺される。78億ウォンを返すには、オ・ヨンの死んだ兄のふりをしなければならない。オ・ヨンの母のような役割をするワン秘書(ペ・ジョンオク)と友達ソン・ミラ(イム・セミ)、婚約者のイ・ミョンホ(キム・ヨンフン)も同じだ。彼らはオ・ヨンの目を晦ませ、真実を隠し、過去を捨てた。そして、チョ・ムチョルと同じ人生から抜け出し、オ・ヨンの偽の家族として残る。

資本があるところに家族もいる。または、資本がなければ家族もいない。オ・スは貧しい人生が嫌で自分の子を身ごもったムン・ヒジュ(キョン・スジン)を捨て、ワン秘書はオ・ヨンの父と不倫してから親とは会わない。チョ・ムチョルの姉チョ博士(チョン・ギョンスン)も医師として成功しようと家族を捨てた。自らを詐欺師呼ばわりするオ・スは、ノ・ヒギョン脚本家の前作のSBS「華麗な時代」の偽の大学生オ・ミンジュ(パク・ソニョン)、KBS「グッバイ・ソロ」では過去を消して生きるユ・ジアン(キム・ナムギル)と同類だ。しかし、ノ・ヒギョン脚本家は前作のようにオ・スの貧しさを具体的に描写することはない。その代わり、現在の欲望を見つめる。どうにかしてお金を稼いだ。しかし、78億ウォンはどうにかして手に入るような額ではない。資本はオ・ヨンのように財閥家に生まれてきたものだけが持てるものだ。オ・ヨンの家族になりさえすれば、資本によって、チョ・ムチョルから殺されず安全な人生を手に入れることができる。ノ・ヒギョン脚本家が描く2013年の風景だ。

「愛があるかどうか知りたかったが、本当に愛はあるんだな」

「その冬、風が吹く」は、日本ドラマのリメイクでスタートするが、結局は人間の罪と贖罪というノ・ヒギョン脚本家独自の物語に展開する。変わったのは、贖罪の方式だ。チョ・ムチョルはオ・スに提案する。誰でも証拠なく殺せる薬がある。おまえはオ・ヨンを殺すか、自ら死ぬか。富への欲望も、罪も手に負えないほど大きくなった時代。ノ・ヒギョン脚本家は贖罪を人間の範囲内で解決できない問題として描写する。それはむしろ、宗教的な救いの問題だ。顔には刃物による傷があり、いつも黒い服をまとうチョ・ムチョルの外見は、明白な宗教的象徴だ。罪人を誘惑する悪魔。反対にオ・ヨンは傷一つない顔を持ち、ドラマの後半では白いウェディングドレスを着る。善と悪、生と死、救いと刑罰。チョ・ムチョルはオ・スに罪責感を掻き立たせ、オ・ヨンはオ・スの罪を許す。彼らはオ・スが贖罪するだろうと殉教を選んだ。オ・ヨンは全てを許したうえで自殺を選択し、肺がん末期だったチョ・ムチョルは刃物で刺される。二人がオ・スの周りにいる人たちの中で唯一、友人と家族に罪を犯していないのは偶然ではない。罪のない二人が罪のある者たちを許し、彼らの代わりに殉教するのだ。

なぜそこまでしなければならないかと言われれば、答えは愛だ。「愛があるかどうか知りたかったが、本当に愛はあるんだな」というチョ・ムチョルの台詞は、まるで人間を試していた神の声のように聞こえる。ただ、オ・スが金の代わりに愛を選んだからではない。チョ・ムチョルはオ・スが「自分を諦める」ために他人を愛することができると言った。チン・ソラ(ソ・ヒョリム)のようにオ・スにこだわる人さえ、愛のために自分を諦めることはできなかった。自分の世界を、または欲望を諦めて初めて本当の愛が始まる。「その冬、風が吹く」がこだわった極端なクローズアップは、その点で肯定的だ。オ・ヨンとチョ・ムチョルの顔のように、極端なクローズアップは「その冬、風が吹く」のキャラクターを視覚的に理解させると同時に、キャラクター以外の全ての背景を消している。「その冬、風が吹く」には二人が会話している時も、相手の肩や背中が映るカットさえほとんどない。専らそれぞれの顔だけが映る。そして、その画面いっぱいのクローズアップの合間に、「その冬、風が吹く」のキム・ギュテ監督は時折フルショットを差し込んだ。オ・スとオ・ヨンが山で一緒に風景を見ながら風の音を聞く瞬間、カメラは極端に後ずさりし、全体の風景を撮る。それぞれの世界に閉じ込められていた人たちが、互いに近づき外部の世界を認識する。その世界の音が与える喜びは、自分一人のために生きていた人生では埋めることができない。

窓を開けなければ、風の音は聞こえない

クローズアップを活用した映像の効果は、登場人物が閉ざされた世界を進む方法に続く。オ・ヨンはそれ以上傷つかないように心の扉を閉じ、自分の記憶を温室の中の秘密部屋に閉じ込めておく。オ・スはそのようなオ・ヨンに近づき愛と傷を同時に与えた。束の間ではあるが、若干視力が戻ったオ・ヨンは、オ・スの首の傷を見る。そのように愛は、他人の傷を見ることから始まり、その過程で傷つくこともある。しかし、オ・ヨンはオ・スに「あなたが私を騙したこと、無罪よ。あなたは生きるための方法だったし、私は幸せでもあったから」と話す。絶えず傷つけ傷つくとしても、人間はその過程で愛することができる。そして、愛して初めて幸せになることができる。オ・スはオ・ヨンを騙し、オ・ヨンはオ・スを拒んだにも関わらず近づいたことを許してもらえる理由となる。温室の中の花は外の風に当たることができず、また窓を開けなければ風鈴は鳴らない。


極端なクローズアップ、極端なフルショット

そしてオ・ヨンが自殺を選んだ「その冬、風が吹く」の物語は次第に悲劇へと変わるが、メッセージは救いと希望を強化する。オ・スはオ・ヨンから金の代わりに愛を与えられ、オ・ヨンを騙すために調べた情報はオ・ヨンを理解するきっかけとなる。金への欲望から彼女に近づいたが、彼女を知る過程で理解と愛に変わる。ノ・ヒギョン脚本家は金、愛、暴力、死のような恋愛ドラマの慣習的な枠の中で愛の力を取り返し、キム・ギュテ監督は俳優の美しさをアピールするクローズアップに作品のメッセージを盛り込んだ。時代の欲望を見つけ、その欲望を愛で救い、人間のどろどろした人生まで肯定する。「その冬、風が吹く」でノ・ヒギョン脚本家が示すのは、新しいメッセージではなく、メッセージを盛り込む方法の変化だ。次第につまらなくなりかけていたジャンルが、ノ・ヒギョン脚本家に出会い人間を省察できるジャンルへと一歩前進した。そして、ノ・ヒギョン脚本家はより大衆的な恋愛ドラマの中で自分の物語を語り、2013年のドラマ市場に適応した。

人間に必要なのは慰めだろうか

ただ気になるのは、「その冬、風が吹く」以降のノ・ヒギョン脚本家の選択だ。現実の被害者を宗教的な殉教者にまで作り上げ、ノ・ヒギョン脚本家はオ・スを始めとする「その冬、風が吹く」の人たちを救援した。この救いは、贖罪の過程より慰めという結果により集中する。オ・スはオ・ヨンと愛しあう過程で、自分の罪が仕方ない状況で犯されたと、それでも愛される資格はあると慰められる。ドラマ「グッバイ・ソロ」でユ・ジアンが憐憫の対象であり、他人から完全に許されなかったとしたら、「その冬、風が吹く」のオ・スは憐憫と理解と救援の対象だ。ノ・ヒギョン脚本家が世の中をより広く抱え込むようになったのかも知れない。世間の多くは、懺悔より慰めをさらに感動的に受け入れるだろう。しかし、本当に許しと慰めだけで私たちは救いに至ることができるだろうか。もちろん、ノ・ヒギョン脚本家はこのような質問についての答えも用意しているようだ。オ・ヨンは自分の大変だった過去を語り、「必要だったのは、慰め」と話す。それはそうだ。救われない人生や苦しむ人に最も優先して必要なのは、慰めだ。その次もまた慰めなら、それはおかしいだろうが。

文:コラムニスト カン・ミョンソク

「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。
元記事配信日時 : 
記者 : 
カン・ミョンソク

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