Kstyle
Kstyle 12th

NAVERコラム

記事一覧

  • 【コラム】SMエンターテインメントは“一強”を夢見るのか ― カン・ミョンソク

    【コラム】SMエンターテインメントは“一強”を夢見るのか ― カン・ミョンソク

    H.O.T.‐S.E.S.‐神話(SHINHWA)は、アイドル産業の始まりだった。BoAに続いてデビューした東方神起‐少女時代‐SUPER JUNIORは、韓流産業の完成だった。ボーイズグループ2組にガールズグループ1組。まるで法則のように、SMエンターテインメント(以下SM)のアイドルグループは、3グループが一つの世代になった。そして、SHINee‐f(x)‐EXOが2013年に収めた成果は、SMの第3世代の始まりのように見える。2013年8月21日現在、f(x)の「初めての親知らず(Rum Pum Pum Pum)」と、EXOの「Growl」は音楽配信サイトMelOnのデイリーチャートで、それぞれ5位と6位を記録している。「初めての親知らず」は7月29日に、「Growl」は8月5日にリリースされた。大衆性の尺度である音楽配信チャートで、両グループの曲が着実に人気を集めている。上半期にリリースされたSHINeeの「Dream Girl」もまた、音楽配信チャートでトップとなった。3グループがファンの規模の指標であるアルバム販売チャートで1位を記録したことはもちろんだ。3グループとも大衆とファンを同時につかむことに成功した。極と極が一つになり、大衆性を作る少女時代の「Gee」やSUPER JUNIORの「SORRY, SORRY」は大衆的にも大きな成果を収めた。ただ「Gee」と「SORRY, SORRY」は当時流行っていた、いわゆるフックソングの特徴を持っていた。その結果、少女時代はいわゆるおじさんファンまで生み出し、SUPER JUNIORはバラエティでの精力的な活動と、ドラマでの活動を並行し、ファン以外の大衆にまでアピールした。一方「Dream Girl」「初めての親知らず」「Growl」は、現在一般的な大衆の好みとは多少距離がある。「初めての親知らず」は終始朦朧とした雰囲気の中で、耳慣れないサウンドを登場させ、「Growl」は過去に流行ったジャンルであるニュージャックスウィングを取り入れた。f(x)が「初めての親知らず」の発表前に予告コンセプトとして披露した「アートフィルム」と、ワンテイクで撮影した「Growl」のMVは、最近のSMの方向性を物語っている。「アートフィルム」は写真家の写真展に使われても良さそうな、見慣れない印象のイメージでいっぱいだ。終始EXOの振り付けばかりを映す「Growl」のMVのワンテイク技法もまた、大衆には見慣れないものだ。しかし、EXOは制服姿で踊り、カメラはメンバーのキャラクター一つ一つを捉え、既存のアイドルファンを熱狂させた。「アートフィルム」のBGMは、ガールズグループの爽やかさを伝えるf(x)のマニト(秘密の友達)で、f(x)はデビュー以来、10代の少女というアイデンティティを掘り下げながら、セクシーさで男性にアピールする多くのガールズグループとは違う道を歩んだ。少女時代が音楽にあまり興味のなかった人まで引き込んだとすれば、f(x)はアイドルと海外ジャンルの音楽を同時に聞く層にアピールする。SHINeeとf(x)が記者や評論家たちを招き、アルバム発表前にコンセプトと音楽の意味を説明する「ミュージックスポイラー」を開いた理由だ。SMは第3世代を既存の大衆の真ん中に送る代わりに、その周りにあった極端な趣向を組合せ、もう一つの大衆性を発見した。SMが作ったゲームのルール先日、東方神起は日産スタジアムでのコンサートで85万人の観客動員を記録した。少女時代は最も人気のあるガールズグループであり、SUPER JUNIORは韓国内外で着実に活動している。しかしSMは、また違う3組のアイドルグループを、全く違う方式で軌道に乗せた。アイドルという共通点の中で見せられる、少し違った趣向を同時に成功させたのである。SMがINFINITEが所属するWoollimエンターテインメントを買収したことが、ただ人気アイドルグループを一つ追加することにとどまらない理由だ。INFINITEはSMではないもう少し違う趣向のアイドルファンが選択できる人気グループの一つだ。SMは彼らの好みまで自身の市場にし、アイドル市場のシェアを極みまで引き上げた。6組の人気アイドルグループを1年に全て活動させると同時に、人気アイドルグループをもう1組連れてきた。また「Growl」のMVは、SMに所属するパフォーマンスディレクターが1年間準備して完成させた結果であり、「Sherlock」は全世界から100曲以上を集め、最も良いと判断した2曲を組み合せて完成した。そしてEXOがセンセーションに近い反応を巻き起こしている2013年、SMはエンターテインメント市場のルールを変えようとしているように見える。個人のクリエイティビティではない、更に大きな資本と精巧なシステムが多様なコンテンツを生み出し始めた。事務所が長所を活用して良い結果を出すことは、当然すべきことだ。仕事が出来る事務所に下すべき評価は賞賛であり、非難ではない。ただし、以前から既に業界のルールはSMの影響下にあった。ほとんどの芸能事務所は少なくともボーイズグループ1組とガールズグループ1組を運営した。ボーイズグループはSMのように新曲のコンセプトを変え、群舞を通じてファンを量産することが業界標準であるかのように固まった。SMが仕事が出来るほど、または、所属アイドルグループが更に多彩な趣向を見せるほど、SMの外から選択できる趣向は減っていく。他の事務所を圧倒する資本とシステムで良い結果を出すことは、SMにとっては新たな黄金時代の始まりであり、3度目の黄金時代の始まりであろう。しかし、それはSM以外の事務所が他の何かを提示できる機会が閉ざされつつあるという意味かも知れない。本当に一強だけが残るのか。H.O.T.が初めて登場した時、SMの他にもたくさんの事務所が市場を分けていた。東方神起以降は、SMとYGエンターテインメント(以下YG)、JYPエンターテインメントを指す三強という表現が使われた。3社が参加するSBS「日曜日が好き」のオーディション番組「K-POPスター」は、三強が生み出したものだ。しかし昨年はSMとYGのニ強という表現が多々使われた。YGはアイドル産業の中で、ミュージシャンの個性を溶け込ませ、全世界のポップトレンドを取り入れる方式で、SMとは違うマーケットを持っていった。その結果、昨年はBIGBANGが再び成功し、イ・ハイは成功裏にデビューし、PSYのように誰もが予想できなかった巨大な成功もあった。しかし、SMは今年SHINee‐f(x)‐EXOを通じて自分たちの市場に新たな趣向を加え、INFINITEまで迎え入れた。SMはYGの市場と正面からぶつかる代わりに、他の市場のほとんどを持って行くことでYGの2012年に対する答えを出した。この答えの意味は明白だ。SMは一強になるための準備を終えた。YGをはじめ、他の市場を持つ事務所はここにどう答えるだろうか。YGが新しいボーイズグループのデビューを発表した今、2013年の残りの4ヶ月は、エンターテインメント業界において重要な分岐点になりそうだ。文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」編集長)「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】EXOにハマる5つの入り口 ― カン・ミョンソク

    【コラム】EXOにハマる5つの入り口 ― カン・ミョンソク

    「分かれば見える。見えれば愛するようになる」という言葉がある。だが、EXOになると、この言葉は修正しなければならないのではないか。「MAMA」でデビューし、「Wolf」でダンスの新世界を切り開き、「Growl」に至るまで物凄いスピードで人々の関心を引き付けている彼らは事前情報がなくてもステージを見た瞬間、見る人の目を釘付けにさせる。今、彼らにハマるしかない理由は一体何なのかキーワードでまとめてみた。1.EXO PLANETデビューしたばかりのアイドルグループが特定のキャラクターとストーリーを一緒に与えられる機会はなかなかない。未知の世界から来た新しいスターというコンセプトでデビューしたEXOは、それを自主的に作ることで比較的早いうちに安定したファンを確保した。12人のメンバーがそれぞれテレポートと念動力、力、雷、治癒などの超能力を持っているという設定に、最初は馴染みがなく不自然な感じもしたが、結局は人々にEXOというグループのカラーと話をしっかり刻み込ませることに成功した。デビュー曲「MAMA」のMVもメンバーそれぞれの能力を見せるCG、EXOの誕生物語に関するナレーションなど、ファンタジーの要素を細かく具現し、コンセプトをより明確にした。もし超能力を披露するメンバーの姿が気になるなら、MBC every1「週刊アイドル」EXO編を参考にしてほしい。一発芸がなくても笑いを誘うポイントを作り出す特別な秘訣が見られる。2.Wolf「Wolf」は一口で言うと、距離を置くしかない少女に恋心を抱くようになったオオカミの戸惑いを表現した楽曲である。この歌でEXOは爪で地面を掻いたり空に向かって泣き叫び、穴から飛び出すなどのダンスを通じてオオカミに変身した。さらにMVにはCGを利用し、オオカミがメンバーへと変わるシーンも入れた。しかし、「Growl」はオオカミの野性と荒い感じを持ってきただけで、人間の男が主人公となっている。愛する女性を他の男性に奪われたくない男の怒りをオオカミの鳴き声に喩えた。それと共にメンバーのルハンが正体不明の少年に扮し、少女を救うという内容の「Wolf」ドラマバージョンのMVは「Wolf」コンセプトの接点になると同時に映画「トワイライト」や「私のオオカミ少年」のようなファンタジーをそのまま再現した。超能力者とオオカミ、そして少年というコンセプトを全て結びつけ、新しい物語を作り始めた。3.少年EXOは衣装を通じて10代の男子のアイデンティティを確実にアピールする。「Wolf」活動当時、オオカミの気持ちを歌いながらもメンバーのステージ衣装だけは数字が入ったカジュアルなTシャツやバンダナ、ビーニーなどで軽いヒップホップスタイルを維持した。さらに「Growl」のメイン衣装は制服である。スナップバックと緩んだネクタイ、蝶ネクタイ、袖なしベストなど様々な変化を与えた制服はメンバーらのキャラクターを際立たせ、男子生徒というキャラクターをより確実に表現した。そしてこれは「黒い影、僕の中から目覚め/君を見る両目に火花が散る/彼女のそばからみんな離れ/少しずつ荒くなっていく」などの歌詞と共に映画「オオカミの誘惑」のような学園ものを見ているような幻想も与える。学校で使えそうなノートのデザインをもとに作られた1stフルアルバムとメンバーのストリートファッションが盛り込まれているリパッケージアルバムのアートワークもこのようなコンセプトの延長線上にある。実際EXOには10代のメンバーが一人もいないが、それは重要ではない。よく作られたファンタジーはいつも現実を飛び越える4.パフォーマンスEXOは「Wolf」を通じて一般的に想像してきたダンスの幅を遥かに超えた。メンバーらが縦隊に並び、揺れる生命の木を形象化したり、オオカミが飛び出す洞窟を作ったのだ。ステージをまるで森のように演出する彼らのダンスのおかげで「Wolf」は楽曲自体の起承転結がはっきりしていないにもかかわらず、一本のミュージカルを見ているような感じを与えることができた。一方、EXOは「Growl」で特に複雑なダンスを披露しない。メンバーたちは積んだり重なったりの代わりに緩やかにリズムに乗ってバウンスを与え、他のアイドルグループと同様にキレのある群舞を披露する。特別なことはなさそうに見えるパフォーマンスの真価が発揮されるのは、カメラワークが彼らの隊形やパーツの変化、動きに沿って完璧に動くときだ。「Growl」MVでカメラはそれぞれのパートで担当したメンバーを一番際立たせるアングルに位置し、彼らの手の動きによって角度を変化させる。つまり、ステージの躍動感と立体感を維持しつつ、メンバー一人一人を際立たせる方法を見つけ出したのだ。5.キャラクター12人というメンバー数は誰かにとっては妨げになるが、他の誰かにとっては選択肢が無数に多い開拓の領域になる。そして新人アイドルグループに一番重要な課題は見る人に好奇心を持たせるようにすることだ。EXOはバラエティ番組に頻繁に出演しなくてもクオリティの高いステージだけでグループのアイデンティティを確実にアピールし、いつも中心で強烈なパフォーマンスを担当するカイ、高音パートを担当する優しい印象のチェンとベクヒョン、可愛いイメージだがステージでは決してカリスマ性を失わないディオとシウミンなど、それぞれ違うメンバーの魅力を披露した。そのため現在のEXOの人気は、ただイケメンの少年12人が一緒にいるからではなく、緻密な企画と几帳面なキャラクター作りの成果であるわけだ。ステージの上にしっかりとしたファンタジーがあるだけに、彼らの実際の姿が気になり、それに熱狂する人は増えるしかない。

    KstyleNews
  • 【コラム】「黄金の帝国」怪物の時代に ― カン・ミョンソク

    【コラム】「黄金の帝国」怪物の時代に ― カン・ミョンソク

    SBS「黄金の帝国」は二つの軸を中心に動く。縦軸には身分の上昇を夢見るチャン・テジュ(コ・ス)がいて、横軸にはソンジングループの後継者を巡って対立する会長の家族たちがある。2つの軸はチャン・テジュがソンジングループの副会長であるチェ・ソユン(イ・ヨウォン)と政略結婚を選択することで一つになる。チャン・テジュはソンジングループを支配する機会を得て、チェ・ソユンは経営権を防御する。そして新しい家族が誕生する。チャン・テジュは家族と一緒にミルミョン(小麦粉の麺を使った冷麺)屋でもしようと不動産投機に手を出す。チェ・ソユンは父親でありソンジングループ会長のチェ・ドンソン(パク・グンヒョン)から会社と家族を上手く導いてほしいと頼まれ、経営に参加した。だが、皮肉にも彼らが至ったところは、家族の崩壊だった。チャン・テジュは自身の罪によって家族と別れることになり、チェ・ソユンの家族も後継者を巡って分裂する。その代わりに欲望だけの新しい家族が誕生する。チャン・テジュとチェ・ソユンが結婚し、チェ・ドンソンの甥チェ・ミンジェ(ソン・ヒョンジュ)は心から愛する妻を捨て、銀行の頭取の娘と政略結婚をする。家族を守ろうとした彼らが家族を捨てたチェ・ミンジェは父親のチェ・ドンジン(チョン・ハンニョン)に、「好きだし理解はするが、父さんのように生きたくない」と話す。彼は父親の言葉に逆らい、ソンジングループの経営権争いに加わる。同じ言葉を言ったチャン・テジュも正直に生きてきた父親とは正反対の道を歩む。父親の意を受け継ぐのはチェ・ソユンだけだ。しかし、その父親の意とはグループのためなら家族を捨てることだった。彼は弟を追い出し、末っ子の甥を死に至らせた。「黄金の帝国」は、3人の父親のうち一番非情で罪の多い父親の遺訓が、最終的に全員の生き方となる時代を見せてくれる。3人の父親と3人の子。だが、欲望は一つ「素手だからほこりも土も血もついた」チェ・ソユンの参謀パク・ジンテ(チェ・ヨンミン)がチェ・ドンソンの行動の言い訳として言った言葉である。また、チャン・テジュは二人の元大統領に関する記事を見て「成功したクーデターは罰せられない」という言葉で自身の罪を正当化する。貧乏だった時代、成功のために仕方なく罪を犯したと言った。社会は成功した者に責任を問わなかった。チェ・ドンソンの時代にはチェ・ドンソンだけが家族を、周りの人を追い出した。しかし、チェ・ドンソンの子供世代は、皆がチェ・ドンソンのように生きる。チェ・ソユンの兄嫁のチョン・ウンジョン(コ・ウンミ)は、夫チェ・ウォンジェ(オム・ヒョソプ)の数多くの不倫関係で離婚を決心した。しかし、ソンジングループの百貨店を手に入れる機会が訪れると夫にチェ・ソユンを裏切ることを要求し、結婚生活を維持する。「黄金の帝国」は、これがIMF(1997年に起こった韓国の経済危機)の時代だったという。家族が家族を裏切り、一般人の息子チャン・テジュは財閥の娘チェ・ソユンと欲望だけで結ばれた。チャン・テジュは頻繁にミサイルボタン・シンドロームについて話す。ただ座ってミサイルのボタンを押す人は犠牲者を直接見ることがないため、罪悪感を感じることもできないということだ。彼はチェ・ソユンとチェ・ミンジェのような人を非難するためにこの話をしたが、自身もいつの間にか同じような人間になっていた。それでも土とほこりを被った親の世代は、家族間の情を守ろうとした。しかし、チャン・テジュとチェ・ソユンはチェ・ドンソンの生き方が完全に内面化され、怪物が誕生した。欲望のためなら血も涙もない怪物。ドラマにできることは何か家族を養うため仕事を始めた。しかし、欲望は果てしなく大きくなり、時代はチャン・テジュの言葉通り「勝者が全てを奪う(The winner takes it all)」となる。その過程で家族と一緒にご飯を食べる些細な日常を失ってしまい、家族と喧嘩し、愛する恋人と妻まで捨てた。いくら上がっても欲望は満たされず、頂点に立った人間は誰とも心を分かち合えない。主要キャラクターの中で罪を犯していない人はおらず、彼らは誰も信じない。主人公がいくら成功しても幸せにはなれずに、成功は逆に主人公の首を絞めていく。そこから逃れようとして全てが終わったと思った瞬間、身悶えしながらまた次のステップへと移っていく。「黄金の帝国」は成功神話を扱った従来のドラマを覆し、富を得る代わりに人間性を失っていく話で対立とサスペンスを作っていく。「黄金の帝国」で引用したロシアの文豪ドストエフスキーの作品のように、時代と人間の本質に近づこうとする試み、あるいは具体的なレポートを通じて描き出した人間に対する寓話。難しくて複雑だ。しかし、キャラクターの限りない欲望が引っ張っていくドラマは強烈で、一話が終わる度に人間の本質を考えさせる。このドラマは過去の文学が示したことを代わりに見せてくれている。文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」編集長)「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】f(x)、少女の動きはどのように成長してきたのか? ― カン・ミョンソク

    【コラム】f(x)、少女の動きはどのように成長してきたのか? ― カン・ミョンソク

    セクシー、または清楚なイメージという言葉ではたやすく説明できないf(x)に、最も重要なのはステージが伝える感情だ。彼女らは、ステージを通じてどのカテゴリーにも属さないf(x)ならではのアイデンティティを堅実に作り上げている。特にストーリーを持たない歌詞、そして曲のリズムと流れをできるだけ生かしたり歌詞を形状化した振り付けは、f(x)のキャラクターとイメージを作っている。デビュー曲「LA chA TA」から、最近リリースした「初めての親知らず(Rum Pum Pum Pum)」まで、彼女らの歌と振り付けを分析した。これまでf(x)が成長してきた方式と進むべき方向に対する、小さなヒントになりますように。LA chA TA:アジアポップダンスグループのパフォーマンスf(x)のデビュー曲「LA chA TA」は、聞いた瞬間頭の中にクラブやショーがちょうど始まった劇場の風景を思い浮かばせる。発音しやすい音節だけを選んで作った感嘆詞「LA chA TA」のように、曲の雰囲気も終始軽快で、「よし、いいよ、そう、私に従って、もう一度行こう」と話し聞き手を盛り上げる。特に「LA LA このように、chA~ chA chAでAH~」というフレーズでは、脚で軽くステップを踏み、片手を左右にスライドさせながら腰を振る簡単なダンスで「明るく人生を楽しもう」という歌のテーマを鮮明に表現した。一方、アジアポップダンスグループを標榜しデビューしただけに、f(x)は「LA chA TA」で強烈なパフォーマンスを強調したりもした。デビュー前に公開された予告映像でビクトリアは2連続タンブリングを、「LA chA TA」の導入部でメンバー全員が片足を高く上げる高難度の動作を披露したのだ。まさに、それまでになかったユニークなガールズグループの誕生だった。Chu~♡:ガールズグループが開いた異世界セクシーさや清らかさを売り物にしているチームでないことは、最初から分かっていた。しかし得体の知れない少女というf(x)のキャラクターが具体的に形をなし始めたのは、「Chu~♡」で活動した時だった。少女は知りたいものも多すぎるし、子供の頃読んだ童話のように一度の口づけで全く違う世界が切り開かれるかも知れないと思っている。「Do it do it Chu~♡ (It's) true true true true it's You~」と繰り返される歌詞は、曲に一定のリズム感を与えていると同時に、好奇心でドキドキする女の子の心を表現している。ここでf(x)は、手のひらを大きく広げ両端に開いて1本の指で前を指す仕草をリズミカルに繰り返した。歌詞の内容を直接的に表現した振り付けではないが、リズムの駆け引きで軽快な雰囲気を倍増させたのだ。そしてビクトリアは、ステージで毎度変わらず驚くべきタンブリングの実力を見せつけた。NU ABO:f(x)の最初のピークNU ABOはf(x)のユニークなアイデンティティがピークに達した曲と言える。単純に10代の少女たちという曖昧なカテゴリーではなく、自分だけの愛し方と世界を持っており、何にも定義しがたい新しい世代を、新しい血液型に例えたのだ。「私 どうしよう お姉さん↗」「独創的なあだ名付け 例えばクンディスンディ」「Mysteric mysteric」など見慣れない歌詞が多く登場した理由も、そこにある。そしてf(x)は「ナナナナ ナナナ ナナナナ」が繰り返されるフレーズで、拍子一つ一つに合わせて鏡を見ながら化粧を凝らすような、いわばチークダンスを披露した。その一方でビクトリアは足開きのダンスをまた一人で披露し、メンバー全員がトップスを少しめくってお腹を見せたりもした。結局f(x)は、「NU ABO」で彼女たちだけができることとは何かをもう一度明確に見せてくれたのだ。ピノキオ(Danger):お医者さんの登場前の3曲が、まだ大人になっておらずある面では愛らしい少女を描いていたならば、「ピノキオ」は愛についてよく知らず、自己中心的になるしかない少女を描いている。少女にとって好きな相手とは、一緒に感情を分かち合い疎通する相手ではなく、「頭から爪先までスキャン」し「刃より冷たくその皮を剥き」「気に入るように君を組み立て直したい」ものなのだ。f(x)と言えば思い浮かぶお医者さんが初めて登場したのもこの時だ。加えて「ピノキオ」は、組み立て、皮、刃、ジンジンウォンウォンなどの単語に、ペストリー、マカロン、はちみつなどの単語を一緒に使い、冷たく機械的な感じと甘い感じを対比させた。振り付けもこのようなイメージの対比をそのまま反映し、「組み立てる」のような単語では文字一つ一つに合わせて顔の近くで手を握っては開く可愛いダンスを、「切れ切れ タッタタ 砕いてみて タッタタ」では1本の指を立てて何かを指すようなダンスを、節制された仕草で披露した。Hot Summer:暑すぎたら黒い長袖を着る夏「Hot Summer」は、それまでf(x)が歌ってきたテーマからはみ出した、サマースペシャルエディションのような曲だった。もちろん、簡単に理解できないf(x)ならではの歌詞は変わらなかった。「教室で オフィスの机で 掃除していない部屋で 早く出て来て早く」と聞き手の行為を促し、「汗を流している外国人には道を教えよう」「暑すぎたら黒い長袖を着よう」など、多少ユニークな夏の注意事項を想起させたのだ。しかし、歌詞を直感的に伝える振り付けだけは、曲から伝わる清涼感をそのまま生かしている。繰り返されるフレーズの「Hot Summer Ah Hot Hot Summer Hot Summer Ah Hot Hot 暑すぎる」で、片手では扇子を仰ぐような仕草をし、片足は床にポンポンはねさせるこのダンスは、暑すぎダンス私の靴どう?ダンス手扇子ダンスなどど様々な愛称で呼ばれ、愛された。Electric Shock:気を失いそうに、ハラハラピリピリf(x)にとって常に重要なのは、ストーリーではなく瞬間の感情だった。そして「Electric Shock」はそこからさらに進み、感情を一種の感覚に置き換えた曲だ。恋に落ちた感情は「電流が体の中を流れている 気を失いそうに、ハラハラピリピリ」したり、または「息が苦しく熱が上が」り、「何も言えず耳元はディンドンディンドン 目は眩しい 頭の中はくるくる」するイメージで説明されている。この曲でお医者さんがもう一度登場する理由は、このように恋による症状を歌っているからだったわけだ。振り付けの方も、感電したようなイメージを表現するために「ナナナナナナナ」というフレーズに合わせて骨盤を振りながら起き上がる動作をポイントとしている。また、SHINeeの「Sherlock」のように、隊列の多彩な変化によりステージに立体感を与えるダンスが際立った。初めての親知らず(Rum Pum Pum Pum):愛に目覚めた少女たち「初めての親知らず」もまた、「Electric Shock」と同じく愛の症状についての歌だ。遅ればせながら本当の愛を経験する気持ちを、初めての親知らずが生える時の「頭が割れそうに痛くなってくる」痛みに例えているのだ。「Rum Pum Pum Pum」というフック(同じフレーズを繰り返すこと)と、太鼓を叩く少年のように両手を上下に振るダンスは、このような痛みの感覚を聴覚的に、そして視覚的に伝えるための工夫だ。反面、愛の秘密に気づいてしまった少女の成長は、手首と骨盤を利用した細かいダンスで表現される。手で蝶の形を作ったり、リズムに合わせて骨盤を揺らす動きは、誰かの視線を意識しているからではなく、恋によりもう少し成熟した自分を表現するためのものだ。このようにしてf(x)は、自分たちならではのカラーを保ちつつも、少しずつ、しかし確実に育っている。文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」編集長)「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】INFINITE エル&B1A4 バロ&f(x) エンバ、1992年生まれの“顔” ― チャン・ウチョル

    【コラム】INFINITE エル&B1A4 バロ&f(x) エンバ、1992年生まれの“顔” ― チャン・ウチョル

    1992年ならよく知っているが、1992年生まれとなるとさあ、どうしても馴染みが薄くて難しい。1992年の夏なら、ソテジワアイドゥルの「I Know」が韓国中を騒がせた夏だったが、1992年生まれの人々はその時何も知らなかったわけだ。年齢をある種の違い(あるいは差別)の物差しにするのは、なかなか改善されない悪い手法だとは思うが、1992年生まれという言葉に胸がどきっとするのはしょうがないことである。今韓国のエンターテインメントの真ん中にいる数人が1992年生まれということに多く刺激され、この手紙を書き始めたわけなのだが。必ずしも1992年生まれでなければならないというわけではない。あくまでも事の始まりは、INFINITE エルとB1A4のバロ、f(x)のエンバの顔だった。頭をよぎる数多くの場面の中で、彼らの顔に唯一感嘆符が浮かんだ理由は何だろうか。一般的な言葉では「成長したんだ。しかもものすごく成長したんだ」と言えるだろう。世の中には必ず意味と価値など考えなくていいものがある。ただ目の前に見えることをそのまま言っても十分であるから。見てすぐに魅力を感じることは、どれほどこの時代にふさわしいということなのだろうか。だから、これは美しい顔に捧げる賛辞、喜んで賛美するという告白であるだろうか?(何だか鳥肌が立つが、あえて申し上げる)最初にエル。「2013 20's Choice」でこのシーンを見てドキッとした。「キャプチャーしなければ」と思ってしまった。ほう、これはこれは。幸い、隣にいた32歳の女性も「まさに天上の被造物。さすが神様はいる」と言っていた。INFINITE、カムバックしたではないか。MVと初ステージ、全部見た。カル群舞という言葉もあるようにINFINITEは直線のイメージが強い。その中でエルはバランスを図っている。そしてそのバランスは非常に微妙だ。言ってみれば、抑えられた直線の世界が実はとても柔らかな属性から出てきているという暗示のようだ。直線はまさに極限まで引いた弓に変わることもあるだろう。矢を跳ね返す曲線としての弾力を同時に持っているわけだ。(サウンドの面ではソンジョンの鋭い歌声がそのバランスをとっている)新曲「DESTINY」で一番印象深い部分は、前奏を含む導入部の数小節だろう。これまでの何かを突破しようとしているのだな、前進しながらも品格を守っている。ちょうどそのシーンの中心にエルの顔がある。半分ほど手で隠した顔を少しずつ見せ、歌が始まるのだ。タイトルのように、この楽曲によって今夏、INFINITEはどんな運命になるのだろうか。新曲の戦場のような最近、はっきりと断定することは難しいが、エルの顔で刻印させたそのような柔らかい切除は、INFINITEの疾走が最大スピードで突っ走っているという確信につながる。次にB1A4のバロ。アイドルグループメンバーの名前や顔を知っているかどうかで新世代と旧世代に分けたりもするが。自分から告白すると、B1A4やいくつかのグループを混ぜて置かれた場合、自分は明らかに旧世代に分類されるだろう。それでも一人ぐらいは当てられそうなのでよかっただろうか?もう言ってしまったのでもう一つ言うと、「これはどういうことだ」のステージを最近になってまとめて見た。どこからか突然登場してきた歌がどれほどの人気だったのかを後から確認したことになるが、1度見ただけでさすが彗星のような1位だなと思った。何を見たかというと、また違う何かが始まっているのを見たのだ。アイドルは皆同じアイドルであるだけだと言い切るには、それぞれあまりにも違う光を放っている。B1A4が「これはどういうことだ」と叫びながらステージで見せるエネルギーは、あまりにも独創的で何人かの先輩アイドルを瞬く間にそれこそ先輩にしてしまったのではないだろうか?そのステージでバロはリーダーであり、扇動家だ。よりふさわしい言葉はそのまま最高だろう。ただ少年らしいドタバタ感、そして少しだけ見える野望のようなもの。その目指すところがラップであれ、ステージであれ、スターであれ、あえて関係ないように見える。もうすぐ見せてくれるコンサートタイトルのようにアメイジングな何かに向けた行進とは、ひたすら力強く走ることであるから。それからエンバ。数日前、スタイリストやファッションデザイナー、写真家の友達と集まったとき、最近誰に一番注目しているのかについて話したことがある。イメージに非常に敏感な人々なのでお互いに相手の答えを気にしながら話を交わした。ところがで、エンバの名前が出ると皆、最初に言った自分の意見を撤回し、誰もが「私もエンバ」と変えてしまったのだ。友達だから趣味も似ているのだろうか?それは違うだろう。その明白な根拠は、新しいアルバム発表を控えて公開された映像にある。f(x)はいつも大衆とヒップスター(Hipster)を同時に刺激する名前だったが、今回の映像はピークに達した感じを与える。そして最後のシーンで少しだけエンバの視線が盛り込まれている。ガールズグループという言葉が与えるエネルギーが以前とは少し変わった。音楽やスタイルがより露骨で狙っている雰囲気があるが、よりによって方向がより大人向けになったと言えるのだろうか?セクシーさは当然競争しなければならない要素となってしまったようだ。そのような強い流れの中でf(x)は少し違うところで遊ぶ少女たちを表現している。海辺やダンスクラブでないところで会おうと約束する女の子たち。そしてその中には一人でネクタイを締めているエンバがいる。今韓国のガールズグループのメンバーの中で独歩的な位置にある少女は、まさにエンバではないだろうか?1992年生まれの三人の顔を見ながら改めて年齢について考えた。そうして22歳(数え年)だった時代を思い出したりした。よかったのか不幸だったのかよく覚えてないが。21と22、23あんなにも違う一日一日が集まっていたはずだが、今はただ曖昧な風景になってしまったのかもしれない。そんな時代を毎日、分と秒を分けて生きている人々に心を込めて喝采を送る。「知らない、でも私は走っている」まさに青春の特権だ。それ自体で輝くことができるから。そして名前だけでも若く輝く季節、夏本番が始まっている。文:コラムニスト チャン・ウチョル「NAVERコラム - チャン・ウチョル編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのチャン・ウチョル氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】EXOからmiss A スジまで、コラムニスト&評論家たちが語る“別次元への期待”

    【コラム】EXOからmiss A スジまで、コラムニスト&評論家たちが語る“別次元への期待”

    ONE STAGE:EXO、別次元のアイドルへの期待12人もいるメンバーの規模は、EXOのアイデンティティを明らかにする最も大きな部分である。彼らが「Wolf」のステージで、オオカミの動作はもちろん、背景となる木や洞窟まで形象化することができたのは、大人数という前提条件があったからこそ可能だった。しかし、EXOの新曲「Growl」では、チームのスケールをもう広く展開しない。シンプルに聞こえるほど繰り返されるビートと力を抜いたボーカルで構成された「Growl」は、Growl(うなり声)という攻撃的なイメージを特に強調せず、余裕のあるラップと派手な技をあえてアピールしない高音部は、一糸乱れずに自然と曲の流れに沿っていく。ステージでも彼らは派手な隊形や迫力溢れる群舞を披露する代わりに、小さな動作と短いステップで位置を変えながら、区間ごとに強調されるメンバーに注目させる。さらには、客席を排除して構成された振り付けの動きはこれまでのステージと簡単に融和できず、お陰で先週の音楽番組ではそれぞれがまったく違った視線の「Growl」を放送する事態となった。しかし、既存のアイドルが構築した方式から外れた部分は、EXOにとって不利に働くどころか、新たな興味と緊張を誘発する力となる。音符一つ一つに反応するかのようにテンポを細かく刻んで構成された振り付けは、地味な歌に弾力を与え、メンバーが大きな円を描きながら作り出す動作は、落ち着いた歌のお陰で程よい呼吸を与える。12人の声は力を合わせて音量を高めるよりも、きめの細かい層を作り、荒くなることなくしっかりとしたサビを表現してみせる。最終的に、手のひらを広げて大きさを誇示する代わりに、ぎゅっと握ったこぶしの中にパズルのように組み込まれたアイデアは、ユニットを一つにまとめ、12人でグループを構成しなければならならない必要性を説明するだけでなく、EXOが提示する新しい方向に対する好奇心さえ呼び起こす。緻密かつ丁寧で、執拗ながらも奇抜である。つい別次元のアイドルを期待してしまうのも無理はない。/文:ユン・ヒソン(大衆文化評論家)ONE IDOL:miss A スジ!!!!!!!!!!!!!!大好物はラーメン。ソウルに来てからかなりの時間が経ったが、依然として訛りのアクセントが残っている。膝が痒くなると、人目を気にせずに掻く。20歳になる前に音楽、ドラマ、映画、バラエティの新人賞を総なめにした。しかし、SBS「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか」(以下「ヒーリングキャンプ」)はこのものすごい少女miss Aのスジが、故郷でダンス一つだけを見て暮らしていた頃と何も変わっていないことを見せてくれる。チョン・ウソンが自分のファンだということを不思議そうに友達に自慢し、歌とダンスにどっぷりハマっていたあの頃のように、今も誰かの前で歌とダンスを披露することを楽しむ。マスコミから国民の初恋と呼ばれるが、今でも好きなラーメンを食べることと顔がむくむことの間で悩む少女。しかし、自分の人気がいつまでも今のように続くわけはないという不安を抱いていて、うつ病に似た何かも感じたスター。MCのイ・ギョンギュがスジに「助けてあげたくても、助けることができない」と言ったのは、今人々がスジが好きな理由を集約して見せてくれる。スジはトップスターになった今もデビュー前のように平凡でありながら、どこまでも愛らしい少女の内面を持っていることを期待させる。フレンドリーで、愛らしく、同時に痛ましい。「ヒーリングキャンプ」は、1時間強の時間で視聴者が考えてきたスジの魅力を具体的に見せると同時に、スジの心まで理解できるような経験を与えてくれる。ラーメンの話で始まったトークは、訛りの話に、そして再び現在の人気に対する感想に移り、依然として平凡な女の子のようなスジの姿を自然に見せた。また、第2部のように場所を移して開始したトークでは、デビュー過程や家族に関する話から、徐々に今の状況を前向きに捉えようとするスジの内面へと入っていく。特に、イ・ギョンギュは序盤にスジのためにラーメンを作り、膝を掻くスジの姿を捉えて笑いを誘い、人気が落ちるかも知れない不安で辛くないのかという質問で「(人気が)ひたすら良いわけではない」という回答を引き出した。どのようなトークを引き出すべきかが分かるMCと、話の流れを作れる制作スタッフ。100回を超えた「ヒーリングキャンプ」は、今やゲストの面白い面から人生の意味まで自然に引き出す技を見せる。もう一人のMCハン・ヘジンが今離れることになったことが残念に思える理由だ。このトーク番組が新しいMCが加わっても今の完成度を維持できるのだろうか。/文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」編集長) ONE CUT:「君を守る恋~Who Are You~」ドラマが見せることのできる想像力エリート刑事ヤン・シオン(ソ・イヒョン)は6年前の事故で恋人を亡くし、当時の記憶もまた失う。tvN「君を守る恋~Who Are You~」の中心舞台となる警察庁遺失物センターは、だからこそ、ヤン・シオンの今の状態に対する比喩のように見える。全国で見つかった遺失物が最終的に集まる場所で、それぞれ秘密の事情を抱えたまま主人を待つ遺失物は、ヤン・シオンが取り戻すべき記憶と同じ意味だ。遺失物センター勤務を志望した理由を尋ねるチャ・ゴヌ(2PM テギョン)に、ヤン・シオンが次のように答えるのも、そのためだ。「ただ惹かれただけよ。何かが私を待っているようで」ドラマ全体を通して失った記憶と愛を取り戻すヤン・シオンの物語は、隠された事実を暴き、主人を訪ねていく遺失物の細部のエピソードを包んで、ドラマを回復と癒しへと導いていく。ユニークなのは、その遺失物たちの事情が魂という形でやって来るということだ。事故に遭ってからヤン・シオンには魂が見え始める。彼らは単純な魂の意味を超え、目には見えないが、既に私たちの傍にいた別の世界が存在を現したことを意味する。第一話の取り調べ室のシーンは、それを物語っている。取調室で事故当時の状況について追求されていたヤン・シオンは、いきなりその場から立ち上がり、暗いガラスの壁に向かって何の記憶も思い出せないもどかしい気持ちを吐き出し始める。すると、それまで中からは見えなかった取り調べ室の外の世界が姿を現す。ヤン・シオンが自分の目の前に現れた魂に言葉をかけ始めると、隠れていた新しい世界が見え出したように、その異なる世界との共感を通じてヤン・シオンは恐ろしそうに見える魂の痛みと、温かい顔をした人間の暗い内面を見ることになる。これは狭かった既存の世界の拡張であり、さらにはこのドラマが見せることのできる想像力という名の無限の世界でもある。/文:キム・ソニョン(テレビコラムニスト)

    KstyleNews
  • 【コラム】INFINITE「また戻ってきて」から「DESTINY」まで、執着男の歴史 ― カン・ミョンソク

    【コラム】INFINITE「また戻ってきて」から「DESTINY」まで、執着男の歴史 ― カン・ミョンソク

    振り返ってみると、INFINITEが歌ってきた歌の主なテーマは「執着」だった。別れた恋人に何度も戻ってきてと言い(「また戻ってきて」)、自身を愛してくれないあの人を絶対捕まえると誓い(「BTD」)、別れたあの人がどこにいても追いかけると決心した(「追撃者(The Chaser)」)INFINITEが7月16日にリリースした「DESTINY」もまた、運命を言い訳に自身を捨てた相手を引き止めようとする執着の歌だ。そこで、デビューから今日に至るまで、彼らが見せた執着の歴史を整理してみた。「また戻ってきて」:幸せに終わる恋なんてないINFINITEはデビュー曲「また戻ってきて」から別れた恋人を切実に探した。彼女と別れてから振り返ってみると、夜も眠れないほど頭にきて、心の中は後悔と会いたい気持ちでいっぱいだ。愛する人を手放した自身に怒りを感じる。サビの「戻ってきて 戻ってきて/また戻ってきて」は、だらだらとした説明を省き、今言いたい言葉だけを繰り返すことで、男の切ない気持ちを強調する。そんな中、次第に「幸せに終わる恋なんてない」「時間が解決してくれる」と自身を慰めようとするが無駄だ。結局は「僕には君ひとりしかいない」と告白しながら少しだけ話そうと「一度だけチャンスが欲しい」と哀願する。良く言えばひとりの人だけを愛する純情、悪く言えば別れてからも未練を捨てられない執着の始まりだ。一方、INFINITEはメンバー全員が息ぴったりの群舞でチームのアイデンティティーをはっきりと刻み込んだ。「She's Back」:彼女が僕に来る来る来るとの催眠「She's Back」もまた失恋した男子が主人公だった。しかし「また戻ってきて」のように必死に哀願したりはしなかった。そのかわり、自身の場所でただ頑張って暮らしていれば、彼女は戻ってくると自身に呪文をかける。「彼女が僕に来る来る来る」とのサビは現実ではなく、ただ男が自身に催眠をかける姿だ。相手の本心は知らず、とにかく帰ってくると信じている点で「She's Back」も執着の歌だといえる。皮肉なことにメロディは軽く軽快になったが、だからこそむしろ、切なさは極大化される。戻ってきてと言うことすらできず、その場で毎日黙々と待ちながら「君に恥ずかしくないように」生きると誓う、仕事しかできない男なのだ。しかし、このような歌詞とは違い、MVは海辺を自由に駆け回るINFINITEの姿を盛り込み、初々しい少年のイメージを描いた。「BTD」:僕の気持ちだけは執着じゃないと繰り返すだけ舞台の上でニコニコと笑っていた少年たちの姿はなく、INFINITEは再び別れの前で悲壮な男となって戻って来た。それでも変わらず続くのは執着だ。さらに今度は付き合ったこともない人だ。1人でその人の周りを付きまとい、一緒にいたい気持ちを伝えたが、相手は簡単に受け入れてくれない。そのように傷ついた心は怒りに変わり「散々だ」との言葉を吐き捨て、もどかしい気持ちを表現する。「もう、何もかも放っておいて」との言葉にも簡単に諦められないが、だからと言って勇気を出して彼女を引き止められるわけでもない。「僕の気持ちだけは執着じゃない」と繰り返すだけだ。しかし彼女の影を追い、彼女だけを見て「君がいくら僕を捨て、離れても僕は君を絶対逃さない」と強く誓う歌詞を見ると、その執着はなくなっていないことが分かる。INFINITEがうつ伏せの状態で一気に立ち上がるさそりダンスで少しずつ有名になり始めたのもこの時だ。「僕のものになって」:INFINITEの直球勝負いわば直球勝負だった。好きだとが、愛しているとシャイに告白するのではなく、ストレートに僕のものになってと叫んだ。何も言えず、その人の周りを付きまとうだけだった以前の姿を消してしまったのである。もちろん、今回も執着を振り払うことはできなかった。他の人を愛していたあの人の姿を昔から見守ってきており、「月のように君の周りを回っていた」と告白する。そして勇敢にもその全ての話を打ち明ける。今はその人を守る勇気ができたこと。同じ執着でも、過ぎ去った恋の跡を忘れられるように責任を取るとの男の告白には、誰でも心を奪われるしかないだろう。そのためかINFINITEはこの歌で初めて音楽番組で1位となった。デビューから1年3ヶ月でやっとファンを僕のものにしたのである。デビュー初期に社長が約束した通り、宿所もまた「ドアを開けると直ぐ道路で、屋根からは水が漏れ、壁紙にはカビが生えている」所からラグジュアリーなところに引っ越すこともできた。「Paradise」:彼女の夜食に慣れてしまうやっとハッピーエンディングを迎えるのかと思いきや、また彼女が離れてしまった。男は彼女に君がいないと生きていけないと言う。男にとってこの世界と人生の意味は、ただ愛するその人がいてこそ完成されるものだからだ。信じがたい現実のなかで、男は彼女が自身のことを愛してはいるが仕方なく離れたんだと、無理やり自分自身を説得させる。そしてどこかに隠れていつも彼女を見守り、彼女もまた自身を見守っていると信じる。もちろん実際はそうでないことを知りながらも、今のこの状況を避けたいのである。結局彼にできることは、彼女と愛し合った時間の思い出を振り返ることだけだ。「毎晩君で満たされていた僕/そう、なれた体を今は涙で満たすtime」とのラップの歌詞について末っ子のソンジョンは「彼女が毎晩夜食を作ってくれることに慣れてしまい、彼女が自身を離れてからは夜食を食べられず涙が出る状況」と可愛い解釈を披露したこともある。「追撃者(The Chaser)」:執着もまた恋だろう「気の毒に思わないで/酷く僕を捨てて離れてもいい/君が望むのであれば、そうgoodbye」冒頭部分だけをみると別れの前でとてもクールな男のように見える。しかしタイトルからして既に「追撃者」だ。執着しないわけがない。彼女にいくらでも離れていいと言うのは、本当に大丈夫だからではなく、どこにいても探し出せるからだ。別れるからと言って自身の気持ちまで抑えられるわけではなく、ついには自身の恋が彼女の心変わりに勝てると確信している。「執着もまた恋だろう」と呟いてみたりもする。しかし別れた後、男の心の中でも少なからずの悩みがあったようだ。別れに傷ついたり、彼女を諦めようともしたが、結局は彼女への恋のせいで「僕の恋人のいる所まで行く」と誓うことになったのだ。アルバムのショーケース当時INFINITEはヘリコプターに乗って全国を回ることで「どこにでも探しに行く」との「追撃者」のメッセージを強くアピールした。「Man In Love」:片思いも恋恋に落ちた男と聞いて、今度こそ本当に幸せになれると思った。しかし良く聞いてみると、これもまた両思いではなく、一方的な片思いであることが分かる。興味のなかった恋の歌を口ずさみ、世の中のロマンスドラマは全部自身の話のようで、したこともないおしゃれをして外見に気をつける。コーヒーの苦い味にも目覚め始める。恋に落ちてどんどん大人になっていくのだ。さらには自身の隣にいる彼女を想像しながら自身だけの映画を撮る。まだ叶ったことは何もなく、お互いの気持ちも確認できなかったが、片思いをしているその感覚だけでも十分幸せでいられるのである。もちろん、彼なりには引き続き信号を送っているが、彼女はなかなか気付いてくれず、時間だけが過ぎて心は焦ってしまう。つまり「Man In Love」もまた片思いの相手に消極的に執着する歌と言えよう。「DESTINY」:INFINITEの変わらぬ純情1人だけの想像は甘いとはいえ、結局どんな恋であれ、ハッピーエンディングを迎えることはそう簡単ではない。さらに「DESTINY」は愛する人を一度捨てた経験のある男の話だ。二度とそうしないと誤っても彼女は後ろ姿を見せ離れようとする。男は「僕が頑張る/離さないから」と哀願したり、君が僕の運命だから僕から逃れられないという言い訳で強がりを見せたりもする。しかし、結局プライドなんかは捨て、跪いてまたチャンスをくれとお願いする。デビューから約3年目。INFINITEは今や莫大な制作コストをかけてMVを撮影し、ワールドツアーを開催できる位置にまで立った。最初とは比べ物にならないほど成長したが、依然として彼らは執着し、しつこい男の恋を歌う。もしかするとINFINITEがファンの心を変わらず掴める理由も、そのような純情のためかも知れない。文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」編集長)「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】女性たちに愛される男、イ・ジョンソク&イ・ソジン ― チャン・ウチョル

    【コラム】女性たちに愛される男、イ・ジョンソク&イ・ソジン ― チャン・ウチョル

    いわゆる旬の男と言うべきなのか?NAVER検索ワードランキングを直接耳にする昼食時間。社員食堂で今日も3回以上2人の男性の名前を聞いたような気がする。面白い事実は、2人の男性の名前を言う女性らの声がかなり違っていたことだ。イ・ジョンソクと言うときはウキウキした感じで、イ・ソジンと言うときは一段と落ち着いている感じ?更に面白いのは、その話を聞いている男性たちの分からないと言っているような表情だ。イ・ジョンソクさんは、1989年生まれ。僕の甥と一つ違いだ。僕から言わせてみれば、僕の目には完璧な青年である前にただの赤ん坊のような感じもする。(「君の声が聞こえる」でチャン・ヘソン(イ・ボヨン)も最初はそうだったのだろうか?)しかし、今はあらゆる女性が赤ん坊に向け悲鳴に近い歓声を上げているのを見ると、あまりにも気になる。それで聞いてみた。「イ・ジョンソクのどこがいい?」答える内容はそれぞれ少し違うが、1つだけ同じだった。それは、返事をする前に口角を上げてそっと笑っていること。本音がバレたかのように。その時ふと思い出した言葉が初恋だった。初恋だなんて、これはあまりにも理解しやすい。男性にもそのようなロマンはある。長いストレートヘアに綺麗な目で笑う二階建ての家の少女。ところで、そんなものはあくまでもイメージとして存在するものだが、イ・ジョンソクはその姿を現実に現した。色白の顔に長い脚と腕、ドタバタするパワフルなエネルギー、明るい笑顔と一見憂鬱に見える表情、しかもその全てを圧縮する年下という設定まで。「君と呼ぼうと何と言われようと男として感じられるようにぎゅっと抱きしめてあげる」は、その分野の全てを集大成した歌詞と言えるだろう。だから「分からない」という表情をしている男性たちは、前に座って浮かれた声でイ・ジョンソクのことを話す女性たちに「イ・ジョンソクのどこが好き?」と質問しなくていい。意味のないことだから。思う存分ファンタジーを楽しむ人に現実を突きつけることは、ファンタジーを壊す邪魔者であるだけだ。イ・ソジンさんは1971年生まれで、88年に大学に入学した僕の3番目の姉より一つ下だ。最近の女性がイ・ソジンを語る雰囲気が以前とは変わったということを感じているだろうか?公開恋愛から色々な噂まで、イ・ソジンという名前にはちょっと刺激的な部分もあったが、「花よりおじいさん」に出演してから確実に整理がついたとでも言うのだろうか。隣の同僚の女性はこのように言った。「以前はちょっと女を泣かせるような男だったとすれば、最近は可愛いところが先に見えるんです」40歳を越えた男性に可愛いという言葉が似合うのは、その話をする方が女性であるためだと思う。可愛さというのは、年齢を超えて女性たちが男性の魅力を語る際に決して欠かせない部分であるためだ。そう言えば、イ・ソジンさんの顔は丸くて赤ちゃんみたいなところもある。隣の同僚の女性の話をもっと聞いてみよう。「大人たちに色々してあげるのを見ると、マナーがいいじゃないですか。でも優しいだけの男に見えないところがなんとなく魅力的です」イ・ジョンソクさんと比べれば今のイ・ソジンさんは、初恋のファンタジーを楽しんだ女性たちが現実で見つけた男性のイメージのようだ。ファンタジーには要らない条件を見ても結構良さそうに見えるから尚更だろう。また面白いのは、マッチョタイプでなければあまり素敵だと思わない男性からも支持を受け始めているということだ。ガールズグループと行くと思っていた旅行でおじいさんたちの世話をすることになったという設定は、さすが男たちの同情心を刺激した。女性たちが好きな男性と男性たちがかっこいいと思う男性は結構違うが、もしかしたらイ・ソジンさんはその2つのタイプに合致する非常に珍しいイメージを構築しているのかもしれない。「君の声が聞こえる」は残すところあと2話となった。「花よりおじいさん」は台湾に2回目の旅行に行ったという話を聞いた。昼食時間、社内食堂で2人の男性の名前を話す女性たちの声はますます大きくなるだろうか?同じ男として、多少分からないような気持ちとある種の嫉妬は忘れることにしよう。その代わり、ずっと女性の声に耳を傾けてみようかと思う。そっちの方がよっぽど良さそうだから。文:コラムニスト チャン・ウチョル「NAVERコラム - チャン・ウチョル編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのチャン・ウチョル氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】チョー・ヨンピル、神話、イ・ヒョリが見せてくれた“音楽+背景=物語” ― カン・ミョンソク

    【コラム】チョー・ヨンピル、神話、イ・ヒョリが見せてくれた“音楽+背景=物語” ― カン・ミョンソク

    チョー・ヨンピル、神話(SHINHWA)、イ・ヒョリは今年上半期、音楽業界でとても興味深い結果を残した。チョー・ヨンピルは10年ぶりに新しいアルバムを発表し、神話はデビュー15年目のアイドルグループとなった。イ・ヒョリは、前回のアルバム活動中に巻き込まれた予期せぬ事件によって活動を中断して以来、3年ぶりに新しいアルバムをリリースした。チョー・ヨンピルはセンセーションを巻き起こす話題となり、神話はあらゆる音楽番組のランキングで1位を獲得し、イ・ヒョリも3年ぶりの新曲「Miss Korea」がリリースと同時に音楽配信チャート1位にランクインするほどの話題を集めた。彼らの音楽に対する好き嫌いはそれぞれあるだろう。ただ、60歳を超えたミュージシャンによる軽快なモダンロックは人々にとって新鮮な衝撃だった。韓国で最もセクシーな女性歌手の1人が、外見至上主義を批判する歌を歌ったことも同様だ。神話はダイナミックな群舞の代わりに、極めて静的で官能的な振り付けを披露した。単なるコンセプト変更とも言えるが、チョー・ヨンピルが「バウンス(Bounce)」を歌うまでには10年という時間があった。「バウンス」の発表に先立ち、記者会見、ショーケース、MV公開などの広報を繰り広げ、自身の変化を行動でも示して見せた。イ・ヒョリの前回のアルバムと新しいアルバムの間には、ベジタリアン、ボランティア活動、遺棄犬保護等の話題があった。神話のステージは、事実上15年のキャリアが生み出した貫禄そのものがコンセプトだった。彼らはバラエティ番組にも出演し、グループとしての彼らのストーリーを題材にした。KBS 2TV「ハッピートゥゲザー3」では、神話とファンの15年間がテーマだった。彼らは人々が知っている自分たちのイメージを変化させることを選択し、その選択は人々の興味を引きつける背景を作った。音楽+背景=物語音楽は、歌手の過去の歳月が持つ背景から出てきて、生み出されたストーリーは音楽を受け入れる方法を決定する。リアリティ番組出身者の活躍は、偶然ではない。ロイ・キムとキム・イェリム、イ・ハイはいずれもデビューに成功し、パク・ミョンスはMBC「無限に挑戦」で発表した「江北(カンブク)おしゃれ」で音楽チャート1位を記録した。「江北おしゃれ」に対する好き嫌いは分かれるだろう。ただ、「江北おしゃれ」が「無限に挑戦」を通じて作られる過程が公開されていなかったら、発表当時の人気を集めることは難しかったはずだ。チョー・ヨンピル、神話、イ・ヒョリは、歳月が生み出した行動と選択を通じて真正性を確保し、彼らならではのストーリーを作った。リアリティ番組は、そのストーリーが作られる速度をできるだけ抑え、歌に対し詳細な背景を与える。多くの人がロイ・キムとキム・イェリムの成長の歴史とキャラクター、「江北おしゃれ」の誕生秘話を知っている。その背景とストーリーが音楽と重なり合うことで、彼らの歌は他の曲に比べて大きな競争力を持つ。最近、アイドルグループがデビューと同時に人気を集めるのが難しくなったのは偶然ではない。アイドルグループは、リアリティ番組出身者のような自分たちのストーリーを容易に作り出すことはできない。最近のアイドルグループは、少なくとも数枚のアルバムを発表してから確実な成長を示して見せる。EXOは、デビューから1年が経ってリリースした新しいアルバムが販売枚数30万枚を突破するほどファンが増えた。ただ、EXOはデビュー当時、メンバーにファンタジー漫画のような設定を与えた。デビュー前に100日間、様々な予告を作りながらPRした。リアリティ番組に出演させないという路線の中で、消費者に好まれる背景とストーリーを作ったことになる。防弾少年団のような新人アイドルグループは、デビュー前にブログで彼らの制作記を掲載し、デビュー直前には予告映像とMV公開という手順を踏んで行く。そして、カン・スンユンのようなオーディション番組出身の歌手は、再び自身が所属する事務所のメンバーと共にサバイバルオーディションに挑戦する予定だ。自分のチームが勝たなければ彼はグループとしてデビューできない。彼の実質デビュー作であったMnet「SUPER STAR K」は、巨大なメディアグループが制作した。近く出演するリアリティ番組は、現在の所属事務所であるYGエンターテインメントが主導する予定だ。SBS「ニュー!日曜日は楽しい-K-POPスター」は、地上波放送局と大手事務所が手を組んだものだ。長い経歴を持つ歌手だけができたことをメディアが行い、またそのノウハウを大手事務所が受け入れる。歌手がそれぞれ持っていたノウハウは、そのようにしてどんどん産業化・標準化の過程を踏む。今年の上半期は、その変化の様子が人々の目にも明らかに見えた時期だった。白鳥の歌そこで、チョー・ヨンピル、神話、イ・ヒョリの印象的なカムバックは、彼らとしては大した活躍だったが、音楽業界全体においては、一種の白鳥の歌(死の間際、白鳥が最後に歌うとされる最も美しい歌)のようにも見える。歌手たちは、デビューからリアリティ番組へ、または企画事務所が企画した背景を与えられ、活動する。Mnet「MUSTバンドの時代」「Show Me The Money」には、ロックとヒップホップの実力派ミュージシャンたちが出演し、競争する。昨年は、KBS 2TV「TOPバンド2」に数多くのプロのバンドが参加した。アンダーグランドでデビューし、地道な音楽発表と公演だけで人々から人気を集めることは、今やそれ自体が話題になるほど珍しいことになってしまった。今年はダンスミュージックだけでなく、バラード、フォーク、ロックでもチャートのトップを獲得できることを見せてくれた。しかし、それに先立ち、ストーリーと背景を作らない限り、チャートに近づくことすら難しい。そして、ストーリーはもはやメディアと資本が生み出すものとなった。それ自体が悪いことではない。時代が変わり、人々はどんどん音楽を探して聞く代わりに、聞く理由を提示してくれる音楽を大手メディアを通じて聞く。その現象が悪いわけではない。ただ、それは音楽自体の競争力の低下を招くだけだ。そして、私たちが神話と呼んでいた音楽のある瞬間は、昔話になりつつある。もし、今もそのような瞬間を見たいのであれば、むしろウェブ漫画家の成功ストーリーから探した方が早いかもしれない。文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」編集長)「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】ハン・ゴウン&キム・オクビン、僕が一番好きな二人の女優 ― チャン・ウチョル

    【コラム】ハン・ゴウン&キム・オクビン、僕が一番好きな二人の女優 ― チャン・ウチョル

    二人の名前を書き並べては、嬉しくて笑ってしまった。何より僕が一番好きな女優の名前だからだ。そして偶然にも新しくスタートするMBC月火ドラマ「火の女神ジョンイ」とKBS水木ドラマ「剣と花」にそれぞれ出演するという嬉しいニュースも聞いたところだ。いつかキム・オクビンさんがピンク系のショートヘアスタイルだったとき、インタビューしたことがある。何らかの話の末に「ハン・ゴウンさん、好きですか」と突然尋ねたら、キム・オクビンさんは目を大きくして「ハン・ゴウンさんの声が特に好きだ」と答えた。好みというものはハン・ゴウンの声だけで通じるものなのだろうか、その日キム・オクビンさんはきゃははとずっと笑い、非常に楽しいインタビューをした覚えがある。ハン・ゴウンさんもインタビューで会ったことがある。後輩エディターのインタビューについて行くという分別のない先輩になった理由は、その日ハン・ゴウンさんがミジャ(「愛と野望」ハン・ゴウンが演じた役名)からちょうど抜け出そうとした日だったからだ。インタビューが終わってから言った最後の挨拶の言葉を覚えている。「今日私から何を聞きたいと思われたのか知りませんが、今日は本当に何か話しにくいですね」その言葉を聞きながらインタビューを再開しなければならないと思った。よりによってそんな日だった。なぜこの二人の役者を女優として好きなのか、その理由を話すべきだと思う。少々荒い話になるだろうか?ハン・ゴウンとキム・オクビン。この二人の名前を思い浮かべると野生の機運が感じられる。手懐けられていない、主流の中心にいながらも典型的なものから妙にずれている、そのまま自らで勝ち抜くという意味とイメージを野生と表現したい。よく「強い」という言葉を使うが、それはあまりにも目の粗いふるいのようで殆どのものは抜けてしまいそうだ。尋ねれば優しく答えてくれるだろうと思いながらも、決して決まった答えは出ないだろうと思われる。実は避雷針のように正確であるだろうという確信をどうやったら「強い」という言葉だけで表現できるのだろうか。そこにもう一つ加えれば、高慢で堂々とした性格と言えるだろう。辞書を見るとそれほど良い意味ではないが、ハン・ゴウンとキム・オクビンにはそういう傾向が非常に強くある。そして、それはただ女優だけから感じたい姿でもある。ところで、男性俳優という言葉は不自然であまり使わないのに女優という言葉が使いたくなる理由は何だろうか?もちろん、女優という言葉についての考えや情緒、イメージは人によって多少違うだろうが、それが「ファムファタール(魔性の女)」であれ「清純可憐」であれ俳優という言葉では表現しきれず女優と呼ぶには、深みのある者だけが持っている熱気と尖ったものがあるからではないだろうか?例えば、女優は外見と年に敏感であるが、決して振り回されたりしない。そのためか、老化に関する質問に率直かつ素直に答えない俳優は女優と呼ぶことを迷ってしまう。まだ女優と呼べる資格がないからだ。女優という言葉と共に改めて「愛と野望」のミジャ、それから「渇き」のテジュが思い浮かぶ。それと同時に肌で感じられるのは、彼女たちの心臓がどれだけ動揺したのかということだ。気持ち悪いほど生きていたし、生きている分だけ気持ち悪さを見せてくれた。あれほど泣いていたミジャは結局ラストシーンまで泣き続けた。テジュは初めて味わう食べ物のように舌をベロベロさせて世界を味わった。一つの作品が残した残像が非常に強いということは、女優にどんな影響を与えるのだろうか。もちろん肯定的な部分と否定的な部分が沢山あるだろうが、少なくとも女優にはそのような真っ赤なキャラクターこそ原動力になるのではないかと思う。限界や束縛ではなく、女優というアイデンティティであり、存在感そのものであるだろうから。さて、来週から新しいドラマが始まると、また色々な話が出てくるだろう。ところでドラマというものは、面白くないと言えば面白くないし、面白いと言えば面白いのではないだろうか?今までがそうだったように。僕が二人の女優それぞれに伝えたいことは、女優が女優というアイデンティティをどのように運んでいくのかという致命的なワンシーンを目撃したいということだ。キム・オクビンさんの夜行性動物のような目つきであれ、ハン・ゴウンさんの濡れたクモの巣のような声であれ、演技としてそのようなことを期待してもいいのだろうか。ただ待つだけでいいのか?それならそうしよう。まずは、テレビの前で二人の女優を待ちながらワクワクしようか。文:コラムニスト チャン・ウチョル「NAVERコラム - チャン・ウチョル編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのチャン・ウチョル氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】上半期バラエティ決算「ソル戦」「本物の男」「放送の敵」 ― カン・ミョンソク

    【コラム】上半期バラエティ決算「ソル戦」「本物の男」「放送の敵」 ― カン・ミョンソク

    あるバラエティプロデューサーがこのようなことを言った。「最近リアルというのは空気のようなものです。どんな番組でも当然あるべきものです」リアルバラエティ番組は毎回実際の状況であることを強調し、トーク番組では毎回ゲストが誰にも言ったことがないという真実を語る。これ以上リアルはMBC「無限に挑戦」のような番組だけの武器でもなく、リアルを強調するだけで番組が長続きすることもできない。だからといって、リアリティ番組を超える新しいフォーマットが登場しているわけでもない。2013年上半期にリアルの定義を再解釈し、新しい形で披露した番組が目立ったのは偶然ではないだろう。リアルまたはそれ以上に行く道を失ったように見えるバラエティ番組のフォーマットにそれなりの答えを出した3つの番組を選んでみた。JTBC「ソル戦」ケーブルチャンネルのトーク番組を通じてお姉さんの毒舌を吐いていたスター講師キム・ミギョンは、論文盗作の論争とともに番組出演を中断した。ブックトーク番組を掲げていたKBS「ホドン&チャンミンのMoonlightプリンス」はすでにいつ放送されたかも記憶が定かでない状況だ。有名人を招待して話を聞く「トークショー!Do Dream」は廃止となった。有名人のトークコンサートブーム以来、放送局が試みた公演型トーク番組または知識を問うトーク番組は上半期中に低迷した。ただトークコンサートや知識という単語の代わりにソル(説:話の俗語)を売りにした「ソル戦」だけが人々の間で話題になった。このトーク番組は1話に大統領の挨拶スタイルから南北問題、バラエティ番組の分析に至る情報をこまめに伝えながらも知識を誇示しない。トークには、分析の上にMCキム・グラ特有の唐突だがそれらしいアドリブが加えられ、休みなく続く攻防戦を連想させるおしゃべりは、論理よりは雰囲気の脈絡が重要な飲み会のおしゃべりを連想させる。「ソル戦」は人々が望む知識を人々に一番親しみやすい形で伝え、低迷気味のトーク番組に新しい回答を示した。人々が受け入れられる形式なら、彼らは政治や大衆文化批評も受け入れられる。そうまでしてでも政治や大衆文化批評をしたがった。ただ「ソル戦」が他のトーク番組にも適用可能かどうかは未知数だ。「ソル戦」に登場する情報や分析は相当部分カン・ヨンソクから出てくるもので、彼は元国会議員であり、今は無くすものがない立場だ。カン・ヨンソクの能力を発揮できない大衆文化批評コーナーが政治を取り扱うコーナーに比べて話題にならないのは、このコーナーでカン・ヨンソクの役割をする人がいないためでもある。業界の情報を知っているが、業界のルールからある程度自由な人物がまた現れるだろうか。また、業界に深く関わっていた人間であるためカン・ヨンソクの分析は是非を考える前に、政略的な側面を分析する。カン・ヨンソクとイ・チョルヒが彼らの政治的な立場によって政治案件を分析し対立するのは興味深いが、同時に分析と論点の目指すところが何かに対する疑問を持たせる。その分「ソル戦」は真似し難いと同時に真似してはいけない一種のハラハラするものがある。ただ「ソル戦」はないよりはあるほうが興味深いトーク番組であることは明らかだ。MBC「僕らの日曜の夜-リアル入隊プロジェクト本物の男」軍隊を題材にしたバラエティは以前にもあった。芸能人を軍隊に行かせただけで番組が成り立つわけではない。「僕らの日曜の夜-リアル入隊プロジェクト本物の男」(以下「本物の男」)の意義は、芸能人が軍隊に行ったその次にある。制作陣は第1回でタレントのサム・ハミントンと歌手ソン・ジニョンに穴兵士のキャラクターを与え、その次は部隊の現役軍人と芸能人との関係を設定し、新しい出演者を通じて出演者同士の関係を新しく作っていった。その間、出演者が深刻な状況を迎えてもお茶目なユーモアを失わない字幕は日増しにセンスが増している。「本物の男」は人々が設定の大胆さに注目している間、番組の中でキャラクターを作り、そのキャラクターが自然に活かされるもう一つの世界を作った。視聴者はわずか2ヶ月で芸能人と現役の軍人が一緒に遊撃訓練を受けることを自然に受け入れている。リアルバラエティ番組時代以降、リアルはバラエティ番組の必須要素になっている。トーク番組でも、さらには公開収録コメディでもリアルな状況を求める。「ジャングルの法則」のヤラセ疑惑はこのような流れが生んだ副作用の一つであり、「本物の男」をはじめ「僕らの日曜の夜-パパ、どこ行くの?」、MBC「私は一人で暮らす」、KBS「リアル体験プロジェクト-人間の条件」は設定を最小化しながらリアルさそのものを売りにした。しかし「本物の男」は、重要なのはリアリティそのものではなく導いていく方法であり、制作陣は以前より多くのものを考慮しなければならないことを見せてくれる。誇張しすぎた脚本は控え、本当に存在する背景や、仮想のキャラクターではなく実際の人間を通じて新しい結果を導き出さなければならない。リアリティ番組以降、新しいフォーマットが見えない今、「本物の男」は最近のバラエティが勝負をかけるべきポイントがどこなのかを見せてくれる。重要なのは劇的なディテールである。Mnet「放送の敵」やっと第3回が放送されたばかりの作品の完成度を評価するのは難しい。しかし、Mnet「音楽の神」を演出したパク・ジュンスプロデューサーが再び手掛けた「放送の敵」は、最近のバラエティの新しいトレンドを集めて、それを新しい概念で提案する。「放送の敵」は明らかに台本のあるコメディで、出演者は演技をする。しかし、出演者のキャラクター設定は彼らの実際の生活から取り入れたもので、ストーリーの題材は彼らの現実から始まる。イ・ジョクとリュ・スンワン監督がビリヤードをしながら映画「ベルリンファイル」の興行について話し、イ・ジョクが成功の条件について聞くと「ハ・ジョンウを起用しなさい」というリュ・スンワン監督の答えが返ってくる。演出はリアリティ番組のようにし、作る方法はシットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)に近く、情緒的な背景は有名人を実名で風刺するtvN「SNL KOREA」に似ている。ここに出演者たちは自らの境遇を嘲弄する自虐ネタまで加える。「UVシンドロームビギンズ」と「音楽の神」を経て「放送の敵」に至るまで、パク・ジュンスプロデューサーは韓国バラエティのどこかにある、面白おかしい天然キャラクターを作り出した。そのため「音楽の神」が失敗し続ける音楽産業の町外れを扱い、「放送の敵」が音楽業界から人気と尊敬を一身に受けているアーティストの世界を取り扱うのは興味深いと同時に意味がある。右も左も分からない歌手志望生を利用し、中年に差し掛かった知的なシンガーソングライターは20歳ほどの若い女性に言い寄る。しかし本当ではないため誰も傷つくことなく、出演者の行動はその世界に対する風刺となる。そして彼らのイタズラや悪意はかえって惨めに見えるほどケチ臭く気が小さい。有名人を嘲弄し、彼らの世界を風刺しながらも出演者自ら楽しめる。政治的に公正ではないが、それでも諦められない笑いというのはこんなものではないだろうか。文:コラムニスト カン・ミョンソク「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews
  • 【コラム】「シークレット・ミッション」偉大な興行と隠密な不安 ― カン・ミョンソク

    【コラム】「シークレット・ミッション」偉大な興行と隠密な不安 ― カン・ミョンソク

    ※この記事には映画とウェブ漫画「シークレット・ミッション」に関する内容が含まれています。若いイケメン男子たちが集まる。一緒にいるときはこの上なく無垢だが、外では大人たちと戦う。彼らの名前はかつてH.O.T.やF4、チャルグム4人組(ドラマの中のイケメン4人組を称する言葉)と言われていた。そして、今彼らの名前は5446部隊、または映画「シークレット・ミッション」となった。この映画は「ベルリンファイル」のように南北分断を背景にし、今年で25歳のキム・スヒョンと20歳になったイ・ヒョヌが南北両方から追われるスパイを演じる。彼らは戦うときは骨が折れたり、刀で背中を刺されたりするが、身分を偽装したまま一緒に暮らすときはカタクチイワシの手入れを一緒にしながら冗談を交わす。ストーリーは深刻に、行動はアイドルのように韓国に派遣されたスパイのリ・ヘジン(イ・ヒョヌ)が、自身の傷を見せてやると言いながらシャツの上から水をかけ傷をさらけ出すことは、この映画のアイデンティティを象徴している。ストーリーは深刻だが、キャラクターはまるで男性アイドルのようだ。10代の代表者として学校の問題を歌った「戦士の後裔」の頃のH.O.T.も「Candy」では可愛い男になった。しかし、そんなH.O.T.の姿とは違い、「シークレット・ミッション」は若くてハンサムな男たちを南北分断の現実に追い込む。それはKBS「花より男子~Boys Over Flowers」に登場するF4の中の財閥2世、ク・ジュンピョ(イ・ミンホ)が会社の将来のため政略結婚をするかに悩み、MBC「太陽を抱く月」のイ・フォン(キム・スヒョン)が、夜は失われた初恋に涙を流しながらも昼には腐敗した家臣たちと対抗しなければならなかった状況と似ている。音楽からドラマへ、そして映画へと移っていくほど観客の年齢層は広がり、彼らは自身の好みに合う題材を望むようになる。アイドルグループから発祥したヒット作を作るためのコツが20余年の歳月を経て、大衆文化産業のすべての領域、すべての年代に拡大されると同時に表現方法も変わっていった。キム・スヒョンは「シークレット・ミッション」が目指すある地点を正確に見せている。「太陽を抱く月」で既にファンタジーと現実の間で絶妙なバランスがとれた演技を見せた彼は、非現実的な状況の中で現実的な重さを見せなければならない演技を正確にこなす。映画は原作以上に劇の背景となる貧民街をリアルに描写し、ソン・ヒョンジュとジュヒョンなどベテラン俳優を助演にキャスティングすることで真剣な雰囲気を演出した。一方、コメディでは人がパンチを受け空へ飛んでいくといった漫画のような演出も見せる。キム・スヒョンは「シークレット・ミッション」で町のおバカを装ったスパイのウォン・リュファンを演じながら二つの世界を一つに統合する。ハンサムで漫画の主人公らしい印象は与えず、現実的だがファンタジーを夢見るようにする。30代以上の俳優に似合いそうなキャラクターを少年のような20代の俳優が演じる。10代はもちろん、20代前半からアイドルに慣れていた30~40代の観客も熱狂することができる。市場の文法は変わり、新しい世代のスターが誕生する。そして、彼は先輩と違う演技をする。映画は物凄い人気を得ており、若い俳優はトップスターになった。「シークレット・ミッション」は、部分的に悪くない結果を出した。ウェブ漫画時代の栄光と悲劇だが、「シークレット・ミッション」はキム・スヒョンやイ・ヒョヌの世代には悲劇であるかもしれない。「シークレット・ミッション」は同名の原作であるウェブ漫画をまるでコピー&ペーストでもしたかのようにそのまま取り入れている。ほとんどのエピソードはもちろん、台詞まで同じシーンが数え切れないほど多い。ウォン・リュファンがおバカの振りをし、道で大便をするシーンのようにカットの展開まで似ている部分もある。原作をそのまま生かすことも脚色になる。しかし、「シークレット・ミッション」はウェブ漫画のほぼすべてを取り入れているにもかかわらず、最も重要な北朝鮮から派遣された特殊工作部隊オソン組の設定はコピーしていない。映画はオソン組の代わりに特殊工作5446部隊という名前を前面に出し、オソン組の組長である5人の話は縮小、または省略した。特殊工作5446部隊の後を追った国家情報院の要員、ソ・スヒョク(キム・ソンギュン)は何の関係もないウォン・リュファンを抗命してまで助けようとする。これは原作のエピソードをそのまま持ってきたものの、彼がオソン組の組長出身だった設定を省略した結果である。その違いの意味は、ウォン・リュファンとリ・ヘジンの関係からはっきりと見られる。原作と映画の両方でウォン・リュファンに対するリ・ヘジンの感情は尊敬と愛の間を行き来する。ウォン・リュファンが自分にビーニーを被らせてくれたとき恥ずかしがるリ・ヘジンの姿は、ウェブ漫画にもそのまま描写されている。しかし、原作は二人を含めたそれぞれの組の事情を描き、リ・ヘジンの感情を深く繊細に描写している。ウォン・リュファンに対するリ・ヘジンの感情は、仲間を殺してでも生き残らなければならなかった少年が人間的な関係を結ぶことを渇望することから始まった。原作はファンタジーに近いストーリーを展開しながらも、思春期を奪われた少年のアイデンティティに対する悩みと真のコミュニケーション、そして大人の世界とぶつかる少年の残酷な話を描く。しかし、映画はその深い苦痛から始まった少年の愛を一次元的に描写するだけだ。ウェブ漫画が読者を考慮した要素を取り入れながらもその行動の理由を深く描いていることに対し、映画はこれを観客のためのサービスカットにしてしまう。また、映画の後半部に別の組の組長であり、ウォン・リュファンの助力者であるリ・ヘラン(パク・ギウン)の話が急に解決されてしまったことも彼のストーリーをほとんど扱わなかったからである。「シークレット・ミッション」は少年の若さは好きだが、いざ少年と話し合う気はない大人のように見える。「花より男子~Boys Over Flowers」から「シークレット・ミッション」に繋がるある傾向はジャンルとジャンル、世代と世代の間で起こり得ることへの予言のように見える。10~20代の悩みをファンタジーのように描いた原作がその世代から支持され、人気を得た。映画はそのウェブ漫画の人気を基に話題を集め、ウェブ漫画のほぼすべてを取り入れることで興行に成功した。だが、実際にはその世代の話と感受性を反映させなかった。無限の可能性を持った20代の俳優がもっと深く真剣に同世代の感情を話す機会も奪われた。少年と少女を主演にする数多くの作品が作られるが、10代や20代の世界を描いた青春物は徐々に減ってきている。偉大な業績のため陰密に犠牲にしなければならない工作員。偉大な興行のため陰密に消えていく青春の物語。10代の欲望から出発したある産業のモデルは、その情緒が消えたまま興行の要素と制作システムだけが残った。そのようにして産業は老いていく。そして、青春たちは行き場をなくす。信じていた大人たちに捨てられたあの少年スパイのように。文:コラムニスト カン・ミョンソク「NAVERコラム - カン・ミョンソク編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのカン・ミョンソク氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

    KstyleNews