彼らが生きる世界
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チェ・ダニエル、他の青春スターとは異なる成長ストーリー
「彼らが生きる世界」から「ゆれながら咲く花」まで28歳の役者の生き方素敵な役者に出会うのは、いつも嬉しいことである。KBS 2TV「ゆれながら咲く花」のカン・セチャン先生役を演じるチェ・ダニエルもそうだ。28歳。まだ若い年齢にもかかわらず、着実にキャリアを積んでいくこの役者からは、プロらしさとさらなる成長に向けての努力が同時に感じられる。俳優チェ・ダニエルは、これからどんな道を歩むのだろうか。チェ・ダニエル、ノ・ヒギョンとキム・ビョンウクに出会うチェ・ダニエルは、あるテレビCMで世間に顔が知られることになった。彼は、このCMで特有のとぼけた表情とお茶目な演技で視聴者の目に留まり、それまでの下積み時代を終えて、名前が徐々に知られるようになる。18歳で芸能界入りした彼は、デビューから約4年ぶりに初めて注目されることになったのである。そして彼はその勢いに乗って、ノ・ヒギョン脚本家のドラマ「彼らが生きる世界」(2008)のヤン・スギョン役を演じるというチャンスをつかんだ。「彼らが生きる世界」で彼が演じたヤン・スギョンは、実は演じやすいキャラクターではない。単純でストレートで、自分の気持ちに素直なこのキャラクターは、多少憎たらしいところもあるが、決して憎めない可愛いキャラクターだった。このような多面的で複雑なキャラクターはデビューしたばかりの新人俳優にとって、そう簡単なものではなかったはずだ。おそらく「彼らが生きる世界」の制作陣も、ヤン・スギョン役にチェ・ダニエルをキャスティングしたのはある意味冒険だったのだろう。しかし、そのような懸念は杞憂に過ぎなかった。チェ・ダニエルの演技が予想以上に優れていたのである。ニヤニヤした余裕のある表情に、新人とは思えない余裕、見る人まで楽しくするような遊び心は、まるでチェ・ダニエルがヤン・スギョンに思えるほど自然だった。CMスターのレッテルが一気に剥がれ落ちるほど、見事な演技を披露したのである。特にチェ・ダニエルは「彼らが生きる世界」で、40年も先輩である女優ユン・ヨジョンと共演するシーンがとりわけ多かったが、自信に満ちた演技で注目された。後輩の演技に対し、率直な意見を話すことで有名なユン・ヨジョンが、「新鮮だった。ヤン・ドングンさんの演技を初めて見た時みたいだ」と絶賛にも近い言葉を残したほど、「彼らが生きる世界」のチェ・ダニエルは新人とは思えない演技力を見せつけた。このように、彼は「彼らが生きる世界」を通じて役者としての可能性を発揮した。1~2回の脇役を除いて、初めてといっても過言ではない作品で目を見張るほどの成果を挙げたのである。特に同作は、ベテラン俳優でも演技するのが難しいといわれる脚本家ノ・ヒギョンの作品であることも注目に値する。当時ノ・ヒギョンは、チェ・ダニエルの演技に対して「満足している」と気に入った様子を見せた。それから1年後、チェ・ダニエルは運命的な作品に出会うことになる。シットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)の巨匠キム・ビョンウク監督の「明日に向かってハイキック」のイ・ジフン役にキャスティングされたのである。同作を通じて彼は「彼らが生きる世界」での軽くてユニークなイメージから変身を図ることが出来た。ファン・ジョンウムとシン・セギョンの間で絶妙な三角関係を作り上げた彼は、「明日に向かってハイキック」の実質的な主人公だった。真面目ながらも面白くて、シニカルながらも優しいという二つの性格を持ったキャラクターを、ほぼ完璧に演じると同時に、ドラマの全体的な雰囲気を作りあげるために重要な役割を果たした。驚くことに「明日に向かってハイキック」のチェ・ダニエルからは、「彼らが生きる世界」の影を見つけることができなかった。ノ・ヒギョンがチェ・ダニエルの可能性に初めて気づいた人物であるとすれば、キム・ビョンウクはチェ・ダニエルの可能性をさらに一段階進化させた人物だった。キム・ビョンウクは特有の孤独的かつ繊細な演出で、それまでのチェ・ダニエルが持っていたイメージを吹き飛ばす一方で、彼の感受性や真面目さを引き立て、役者として一歩前進できる土台を作ってくれた。ノ・ヒギョンとキム・ビョンウク、二人の巨匠に出会ったことは、役者としてそう簡単に手に入れることのできない大きな財産になった。チェ・ダニエル、チャン・ナラに出会う「明日に向かってハイキック」で一躍スターになってから、チェ・ダニエルは映画「シラノ恋愛操作団」「牛乳時代」などに出演する一方で、複数の作品に特別出演しながら活動の領域を拡大した。その結果、彼はデビュー以来初めて2011年、KBS 2TV月火ドラマ「童顔美女」を通じて、ミニシリーズ(毎週連続で2日間に2話ずつ放送されるドラマ)の主人公に抜擢され、女優チャン・ナラともこの作品で初めて共演することになった。もちろん、最初は期待された作品ではなかった。当時KBS月火ドラマは長期間にわたる視聴率の不振に悩まされていて、裏番組の「チャクペ~相棒~」「私に嘘をついてみて」が既に視聴率を取っていた。しかしチャン・ナラ&チェ・ダニエルコンビは、しっかりとしたストーリーや説得力のあるキャラクターで徐々に視聴者の目を釘付け、20%に近い高視聴率を記録してKBS月火ドラマの救世主となった。チェ・ダニエルとしては、初主演作で手に汗を握る大逆転劇をやってみせたのである。面白いのは、一躍KBSのヒットコンビとして浮上したチャン・ナラ&チェ・ダニエルコンビが1年ぶりにお茶の間に戻り、再度KBS月火ドラマの面子を立てていることである。「ゆれながら咲く花」のことだ。前作の「ウララ・カップル」の視聴率低迷や、競争作「馬医」の大々的な宣伝という悪条件にもかかわらず、少しずつ視聴率を上げてきたこの作品は、いつの間にか10%台後半という素晴らしい視聴率でチャン・ナラ&チェ・ダニエルの不敗伝説を再び証明してみせた。一つ特記すべき点は、チャン・ナラと共演した二つの作品で、チェ・ダニエルが主演として存在感を発揮していくことである。「ゆれながら咲く花」で、彼はユニークな言葉遣いや仕草、喜劇と悲劇の境界を自由に行き来するカン・セチャン役の魅力を存分にアピールしている。どんなキャラクターであれ、スポンジのように吸収し、それを自分のものに再解釈して表現する境地にまで至ったのである。10年間磨いてきた演技力が徐々に光を放っている。チェ・ダニエルは、あるマスコミとのインタビューで、「演技に対して決められた型を破りたかった」と話した。そのためには、もっと演技に対して真面目になって、鋭くなるしかないと言う彼は、生まれつきの役者である。少なくとも他の青春スターのように外見を武器に人々を惑わしたり、数多くの広告に出演して自分の名前を売ったりしない。チェ・ダニエルを見ることができるのは、いつもカメラが回って、数多くのセリフが交わされる場所。監督のキューサインとスタッフの汗が流れる場所にしかなかった。才能や努力、情熱がうまく合わさって、日増しに成長しているチェ・ダニエル。彼のこれからの夢は果たして何だろうか。たぶん、それはこれからずっと役者として生きていくこと、そして素晴らしい役者として覚えられることだけではないだろうか。今も汗と涙の流れる激しい現場の中で、依然として人生を演じる役者として自らの道を黙々と歩んでいく彼に対して、激励の拍手を送りたい。
「ドラマの帝王」は「彼らが生きる世界」を超えられるか?
「商業性 vs 人間愛」という共通の題材に「コミカル vs 恋愛」で異なるカラーSBSの新月火ドラマ「ドラマの帝王」が話題だ。作品性や真心などものともせず、もっぱら本人の欲を満たすために働くアンソニー・キム(キム・ミョンミン)と、純粋な心を持ったサブ脚本家(チョン・リョウォン)が主軸となる。脚本を担当したチャン・ハンジュン監督は「ドラマを作る人々が欲望のために生きているのか、お金のために生きているのか分からない。この人たちのストーリーをドラマにしようと思った」という。予告編でイ・ゴウンは「あなたみたいなやつがドラマ業界で権力を握るのを、本当に見ていられない」と鬱憤を晴らす。これは、人間愛や真心は全くなく、もっぱら視聴率と商業性にだけこだわるドラマ業界の現実に対する脚本家の不満を示したものとも見える。また、イ・ゴウンがサブ脚本家であるだけに、自身の名前を掲げた作品を作るためには、長い苦難の歳月を送らなければならない、数多くのサブ脚本家の声を代弁しているようにも見える。先月最終回を迎えた月火ドラマ「シンイ-信義-」は、名物にうまいものなしならぬ名物に恋愛のみありと言って良いほど、企画の段階からキム・ジョンハクプロデューサーとソン・ジナ脚本家が言及してきた国の運命を左右する医師は最後まで見当たらなかった。また、100億の制作費は全部どこにいったのやら、俳優とスタッフに報酬をきちんと支払えない事態まで起きた。このような状況で「シンイ-信義-」のバトンを引き継ぐ「ドラマの帝王」は、「シンイ-信義-」の多少物足りなかった部分を相殺する逆転を見せてくれるのだろうか?作品性と真心で武装した「彼らが生きる世界」を超えられるか?2008年10月末から12月まで、似たような時期にKBS 2TVでドラマを通じた本当の疎通を掲げたドラマが放送された。ピョ・ミンスプロデューサーとノ・ヒギョン脚本家の「彼らが生きる世界」がそれだった。「彼らが生きる世界」は、同時間帯に放送されたSBS月火ドラマ「天国の階段」の人気に押され、視聴率においては苦戦したが、今でも「彼らが生きる世界」廃人がいるほど、視聴者に感動と余韻を与えている。「彼らが生きる世界」と「ドラマの帝王」は、もちろんその表現のコードから明らかな違いがある。「彼らが生きる世界」は、ドラマ制作環境の中での恋愛を掲げているが、「ドラマの帝王」は、最初からコミカルを掲げている。しかし、商業性との真心の対決で、真心に軍配を上げた「彼らが生きる世界」は、作品性だけは確実に認められた。「ドラマの帝王」はどんな歩みを見せるだろうか。コミカルさの中で共感と余韻、そして確実な作品性まで認められればこの上なしだが、一般の人々に多少馴染みのないドラマ制作環境をドラマの主な舞台にし、関係者だけが共感する内容になるのではないかという懸念も残る。「彼らが生きる世界」と舞台は同じだが、多少異なるコードで人々に近づく「ドラマの帝王」。SBS月火ドラマをドラマの帝王にすることができるか、今後を期待したい。
【CLOSE UP】ヒョンビン ― この男を愛さない者はすべて有罪
二人の男女がいる。彼らは友達であり、一時期恋人の関係だったが、結局告白と喧嘩、そしてすれ違いを経て別れた。そして5年後、彼らはお互いの願い、小さな努力、そして大きな偶然とが重なって再会する。不自然だが嫌ではない感覚。適度な距離、元気だったかという言葉。愛が冷めた後、再び出会った日常の瞬間。彼らはお互いが何を話し、何を望むのか。その時からだったのかもしれない。ヒョンビンが彼の表情に日常の重さを込め始めたのは。MBC「ノンストップ4」で、大学時代に幸せな恋人関係を築くはずだったヒョンビンとハン・イェスルは、5年後に同窓会で再び出会う。泣いていた時期は過ぎて久しく、別れた後も日常は続き、彼らはお互いの変わってしまった現在に直面する。二人は一体何を話すのであろうか。「ノンストップ4」では、そこで何の結論も下さないまま、話を終える。それは、青春が過ぎ去った後にも日常は続くという青春シットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)の予想できない結末であり、ヒョンビンの始まりでもあった。表情に生きることで、陰が表れた俳優「ノンストップ4」を始めとし、ヒョンビンはハッピーエンドも、サッドエンドもない俳優になった。彼にとっての終わりは、終結ではなく違った人生のスタートだ。MBC「アイルランド」のガングク役では、ジュンア(イ・ナヨン)と離婚した後、新しい人生をスタートさせ、MBC「私の名前はキム・サムスン」のジノン役では、サムスン(キム・ソナ)との関係をはっきりさせずに恋愛中のままにしている。KBC「雪の女王」でも、彼は恋人が死んだ後でも黙々と自身の仕事をこなし、生きていく。ヒョンビンのドラマには、別れた恋人との悲しい別れや、恋人と向かい合って甘い言葉をささやく場面もあるが、ヒョンビンは喜劇や悲劇の代わりに、日常を生きる一人の男性の暗い表情を見せたりもする。「ノンストップ4」のように、シットコムの明るい雰囲気の中、愛と友情の間で葛藤し、それを堪えながら普段と同じようにアルバイトをする優等生を演じたかと思えば、「私の名前はキム・サムスン」では、過ぎ去った愛に一人で涙し、新しい恋人の前では幼い子供のような姿を見せるレストランの社長を演じている。ドラマの中のヒョンビンの日常は、何かに耐えながらも黙々と生きていく役どころだ。治療はできるものの、完治は不可能で、3ヶ月ごとに手術を受けなければならない病気を持っているような人間の人生だ。ヒロインを余命わずかと設定した「雪の女王」でも、ヒョンビンに視線が集中したのは、悲劇の愛に心を痛める時ではなく、死んだ友達のために8年間もさまよい生きたテウンの重さが、画面上にあらわれた瞬間だ。何を言っても落ち着いた表情、少し陰のある姿を見せるヒョンビン。KBS「彼らが生きる世界」で、ジオが複雑な家庭の事情と病気に落ち込み、ジュニョンに別れを告げようとした時、少し曲がった彼の背中に何かが重くのしかかっているように感じたのはこのためだろう。日常のたくさんのものから演技に必要な動作を取り込み、ジオを私の隣にいるような人のように演じたかったヒョンビンは、日常を超え日常が含む生命の陰をドラマに移した。それは、KBS「ごめん、愛してる」でソ・ジソブが見せた極端な悲劇とはかけ離れたもので、ポン・テギュが見せた青春の日常とも違う、日常を生きる人々に対しての演技だ。日常を超える、また違った世界を夢見るヒョンビンはドラマの中で命の重さに耐える人々の話を描く。ヒョンビンをテクニックというの面から評価すれば、とても優れた俳優とは言えない。しかし、ただ演技がうまい俳優ではなく、日常と生命に対する深い考えが必要な時、そしてそれを若い俳優が演技しなければならない時、脚本家のイン・ジョンオクとノ・ヒギョンはヒョンビンを選んだ。恋愛の日常に対するストーリー「私の名前はキム・サムスン」では、ヒョンビンの緩い語り口調と彼の陰のある表情がなければ、彼が言う恋愛に対しての考え方が人々に伝わることはなかっただろう。「彼らが生きる世界」では、彼の広い背中ほど、耐えられる日常の重さがさらに増えたことを表現しているものはない。彼は父親も母親も、愛する恋人もすべて支えていくドラマ監督を、ただの日常に溶け込ませる。彼は母親に駄々をこねる可愛い息子であり、恋人でもあり、制作現場を指揮するドラマ監督でもある。しかし、彼の様々な日常が一つずつ積み重なり、彼はすべてのストレスを抱えて生きていかなければならないジオになる。ジオがジュニョンと別れようとする時の緊張感は、そのときヒョンビンが爆発的に感情を表に出したからではなく、彼の窮屈な日常が一つずつ積み重なった結果が生み出したものだ。「彼らが生きる世界」は、ヒョンビンが平坦に見える日常で、どれだけ鋭敏に感情の波を掴むのかを見せている。彼はまだ若く、スターであると同時に、生き方に対して解釈が必要な演技を楽しいと言えるほどの俳優なのだ。そして、この人生の話の後で、ヒョンビンのさらに違った生き方が待っていた。「彼らが生きる世界」に至るまで、徹底して日常の経験を基に演技した彼は、映画「私は幸せです」で想像力が必要だった精神病患者を演じた。また、「彼らが生きる世界」の後で、映画「友へ チング」のカン・ギョンテ監督が再び演出したドラマ「チング ~愛と友情の絆~」が待っていた。これは彼が日常の中から、様々な演技を目指し始めたという意味でもある。青春の陰を見せた俳優は、いつのまにか作品に責任を持つほどしっかりとした考えを持ち、活躍している。「彼らが生きる世界」は終わった。しかしジオもジュニョンも、そしてヒョンビンも、ずっと自身の日常を生きている。ヒョンビンはその日常の中で自身のまた違った世界を発見できるのだろうか。
ヒョンビン「彼らが住む世界」楽しみながら撮影できた
ヒョンビンは俳優としてデビューして5年目になる。しかし、彼が今までTVで見せてきた姿から、ただの5年目の俳優でないことは確かだ。彼はイン・ジョンオク脚本のMBC「アイルランド」、ノ・ヒギョン脚本のKBS「彼らが生きる世界」などに出演し、MBC「私の名前はキム・サムスン」は視聴率50%を超えたヒット作となった。彼は20代半ばという年齢でありながら、大衆性と作品性、質と量すべての面で、幅広い世代に人気のフィルモグラフィー(監督・俳優など、ある人間が携わった映画作品のリスト)を持つ数少ない俳優だ。しかし、本当に注目すべきなのは今までのヒョンビンではなく、今後のヒョンビンかもしれない。彼は映画「私は幸せです」で精神病者を演じ、KBS「彼らが生きる世界」以降、MBC「チング~愛と友情の絆~」では初めてノワール(特に人間心理の暗黒面を深く掘り下げた作品)の主人公を演じた。様々な作品や役柄を選択可能にしたのは何なのだろうか。俳優としてのヒョンビンの生き方についてインタビューした。―今日でKBS「彼らが生きる世界」の撮影が終わりました。どんな気分ですか。ヒョンビン:先ほど最後に残ったワンシーンを撮影してきました。まだ終わったという実感がわきません。なぜか明日の朝も撮影に行かなければならないような気分です。「『チング~愛と友情の絆~』は出演せずに後悔するよりも、今挑戦して悪口を言われた方がいい」―「彼らが生きる世界」に出演し、何を得ましたか。ヒョンビン:この作品に出演したこと自体、色々なことを得ることができました。すぐに何を得たと言うことはできませんが、次回作、またはその次に出演する作品に影響を与えると思っています。―「彼らが生きる世界」の前後に、多くの作品に出演しました。「彼らが生きる世界」の前は、映画「私は幸せです」を撮影し、今はMBC「チング~愛と友情の絆~」を準備していますね。急に活動が増えたように思えますが。ヒョンビン:元々KBS「雪の女王」の時のように、撮影を終えた後何ヶ月か休むのが自分のパターンです。今回は空白期間がほとんど無く、相次いで出演しているため、僕自身も何だか慣れないですね。「私は幸せです」は台本がとても面白く、ぜひ出演したいと決めた作品です。でも「私は幸せです」が終わった時、また「彼らの生きる世界」の台本を貰い、これも面白いと思ったので「やります」と言いました。でも「彼らの生きる世界」を撮影する時、今度は「チング~愛と友情の絆~」のオファーをもらった(笑) そこでも「僕がやります!」と言いました。―三作品は全く異なるスタイルですが、どのような部分に惹かれましたか。ヒョンビン:「雪の女王」が終わってから色々な台本を見て、その中で「私は幸せです」が一番暗い内容だったんですが、なぜか台本は笑いながら読みました。すごく気になった作品だったけど、台本では30代半ばの設定だった。でも演じてみたくて、ユン・ジョンチャン監督に言ってみたら、設定を変えて下さったおかげで出演することができました。それぐらい出演したかった映画です。うまくやれると思って選択したのではなく、自分が演じてみたくて選択しました。「彼らが生きる世界」は、作品も良く、共演者の方々も抜群で、内容的にも多くの方に興味を持ってもらえると思い、出演しない理由がありませんでした。「チング~愛と友情の絆~」は、僕がノワールのような作品にまだ一度も出演したことがなかったので決めました。作品を選択する時は、いつもそう思うようにしています。僕がしたいこと、その次は人々が望むこと、その次は僕がやりたいことそうやっていこうと。そうしていく中で自分の違った面を探していきたいと思っています。―演技への意欲がさらに大きくなったということですか。ヒョンビン:作品についての欲が出てきました。「チング~愛と友情の絆~」という映画を8年前に見た時「自分もあんなことをやってみたい」と漠然と思いましたが、そのチャンスが今僕の目の前にやって来ました。それを逃す理由はないって。心配する人が多いのは知っています。「チング~愛と友情の絆~」はとても良い作品で、演じた先輩もとても上手でした。それでもやってみたいと思ったし、今、僕がこれに出演したら悪口を言われるかもしれないけど、後に後悔するよりは今悪口を言われた方がいいと思ったんです。「ジオはピョ・ミンス監督にお会いして、そのままコピーした部分もある」―「私は幸せです」は精神病者を患う人物で「彼らが生きる世界」はドラマ監督の日常を描いた作品です。相反する二つの作品に続けて出演しましたが、難しくありませんでしたか。ヒョンビン:「私は幸せです」は、撮影がとても大変でした。精神病を患う人を演じるので、肉体的に辛かったし、病院でずっと撮影するので気が滅入ったり。何よりも僕が経験したことのないことを演じなければならなかったから、想像力が必要だったんです。精神病についての映画や本を読み、精神病棟に行って患者さんに会ったりしましたが、そうした情報のみでの演技はとても大変でした。だから、演じる時はキャラクターのために色々試行錯誤し、手の動きや目指しを作って演技しました。反対に「彼らが生きる世界」は撮影を楽しみながらできた作品です。―楽しみながらとは?ヒョンビン:簡単に撮影したという意味ではないです。ドラマ自体はとても難しかったけど、その分面白かったです。経験を色々と生かすことができるキャラクターだったし。例えば、お笑い番組で見たジェスチャーを生かすこともできたし、表現したいことを今までの経験から自由に演技することができました。―しかし「彼らが生きる世界」のジオは、あなたよりも10歳も年上の役でしたが、難しくはありませんでしたか。ヒョンビン:ドラマでは年齢が出ないから(笑) だから考え方次第だと思う(笑) 僕がドラマ監督を経験したことはありませんが、ピョ・ミンス監督にお会いして、それをコピーした部分もあります。しかしジオという人物に近付く時は、演技をすることよりも、最大限自分の周りにいる人の姿に重ねようと思った。30代半ばを理解しなければならないとは思いませんでしたね。僕はジオをただ一人の韓国人男性だと思いました。一番現実的な男性、自分の目の前にいるような人。ジオの職業や年齢よりも、ジオを実際存在する人に近いように見せるのが大切なんだと思っていました。だから、キャラクターをリアルに見せようとしたわけです。ジオがTV局内の局長や部長に会う時と、ユニョン先輩と作家に会う時、ジュニョンやスギョンに会う時、いくつかの状況でジオの姿を撮影しました。だから、ジオが両親に会うという設定ならば、自分が両親に実際に甘える感じを見せたりもしました。ある人から、多くの面を見せ過ぎているのではないのかと指摘されたりもしましたが、僕は断面的な人などはいないと思います。―そのような様々な姿から、ジオの一貫した特徴は何だと思っていますか。ヒョンビン:強さは違うものの、誰でも傷は持っている。ジオもそうです。家庭内に問題があったり。演技をしながら、そのような痛みを考えながら、台本を理解していったのだと思います。―あるインタビューで、明るい方よりは悲しい方がより好きだと答えたことを覚えている。ヒョンビン:そういうところがある。悲観的だったり憂鬱だったりする性格ではないが、そういう演技の方が楽しい。もちろん、そんな演技だけをしようとしているわけではなくて、とにかく台本に100%忠実にしようとしている。 ―悲しみを考えるのは、キャラクターのリアリティに気を遣っているからではないか。「雪の女王」の時、テウンが友達の死で8年間母に会わなかったという設定に対して、脚本家たちにずっと理由を聞き続けていたという話を聞いた。ヒョンビン:そう、そういう部分はすごく気にするタイプ。台本を見ると、セリフやト書きを読みながら「なぜ」という質問を投げかける。それに対する理由があってこそ、行動する。納得いかないと、回答が来るまで質問し続ける。演劇を学んだからだと思うが、人は話や行動をする時、確かな理由があるべきだと思う。それで、キャラクターのリアリティーについて気になってしまうようだ。「ジオとジュニョンみたいに別れてまたやり直しても、結局変わらないと思う」―ジオが緑内障にかかることはどう思うか。すごくドラマティックな設定だが。ヒョンビン:16話まで撮ってから考えてみたが、僕、または僕が愛する人が、すごく痛いというのはとても深刻なことだ。脚本家のノ・ヒギョン氏は、それでも「この人を愛するか」という質問を投げかけているんだと思う。「彼らが生きる世界」には結末がない。だからこそもっと現実的だと思う。この人たちがどうなるか、その後の状況は視聴者に任せるから。緑内障もそんな意味だと思う。人々がその次の人生について考えるようにすること。そこで、ジオがこう言う。緑内障は不治の病ではないが、完治は不可能で3ヵ月に1回手術を受けなければならないと。脚本家のノ・ヒギョン氏は、人生はそういう風に続くということを伝えたかったようだ。―「彼らが生きる世界」で、ジオはドラマの中心を引っ張って行かなければならない。特に「彼らが生きる世界」の後半は、ジオがジュニョンに別れを告げながらドラマの流れが変わる。こういう状況に対して負担になったり、特に念頭に入れたりしたものはないか。ヒョンビン:特にそういうものはなかったが、撮影する時、4話にあるシンガポールのシーンと、14、15話にあるビンタン島のシーンを先に撮影した。だから、14、15話を撮るために、1話から15話までの内容を理解してから撮影に入った。それで、前半ではジュニョンとジオのラブストーリーを見て、視聴者たちに恋愛したい気分になってほしいと思った。後半で別れを告げるときには、前半をもっと幸せに作った方がより胸を痛くさせることができるという計算があった。そして、ジオのキャラクターが現実的であるように、ジュニョンとの恋についてもリアリティーを感じてほしいと思った。ドラマを観る人が「私もああだったのに」と感じてほしいという欲もあったが、実際にそうなったようだ。ある人は、ジオの決別宣言について悪口を言ったが(笑)、そんな悪口を聞くのもすごく気持ちよかった。―その時のジオの立場についてはどう考えているのか。ヒョンビン:男性たちは理解してくれた。女性たちはできないようだったが、僕もジオを理解できる(笑) 自分も以前は、自分が本当に愛する人なら別れてあげられると思っていた。自分の条件が良くなくて、それを満たすことができないなら、自ら別れてあげられると。それに僕はいい別れというものはないと思う。きれいな別れ、いい別れというものはない。別れる時は二人のうち一人は必ず悪者になる。だからこそ、もっとさっぱりした別れになると思う。―以前、「一度別れた恋人たちはやり直しても別れるようになる」と言ったことを覚えている。ジオとジュニョンもそうなるのか?ヒョンビン:それは僕の周りの人々を見ると、大多数がそうだったからそう言ったのだが、必ずそうなるとは思わない。ただ、人は別れて時間が経った後、もうその人のことはよく分かっているから、こういうところには気をつけて、こういうところは頑張ろうと思う場合が多い。だが、僕は結局変わらないと思う。同じ問題が繰り返されて、その前の限界にまたぶつかるようになる。そして別れの言葉が一度出ると、すごく別れやすくなる。どんな理由でも、別れ話が出るとその時からは「私たち、別れよう。もう会うのは止めよう」という話がすぐ出てくるみたいだ。「『アイルランド』のカン・グクは、40歳くらいになったらまたやり直したい」―しかし、「彼らが生きる世界」では別れてまたやり直して、別れた状態でも会い続ける。どう思ったか。ヒョンビン:すごく不思議なグループだ(笑) 僕にはそんなことができない。でも、この作品をやって「アリかも」と思うようになった。周りにそんな人々もいるし。この人とこの人が付き合って別れたのに、いつの間にかあの人と付き合っていて、さらに彼らはみんな友達でそういう人たちが確かに僕の近くにいるから、「あ、できるんだ」とは思った。―役者として色々な演技をして、何かを学ぶこと自体を楽しんでいるようだ。ヒョンビン:そう。楽しいし、冒険。結果が分からないし、そして答えがないから。それ自体が面白い。―作品選びもそういう理由からなのか。20代半ばにノ・ヒギョン氏とイン・ジョンオク氏の脚本作品を経てきたというのは、本当に貴重なキャリアだ(笑) 役者として得たいものは何か。ヒョンビン:ほしがって手に入るものではないと思うが、この作品もやってみたいし、あの作品もやってみたいという欲はある。単純に言うとキャラクターかもしれない。MBC「私の名前はキム・サムスン」の時、サムシクのキャラクターをやってから、それと似た雰囲気のドラマはまたやりたくはなかった。状況やスタイルが似たような作品よりは、少し違うもの、その代わりに大きくは変わらないものをやりたい。ただ、年をとって以前やっていたキャラクターをやり直すと、それはそれなりの面白さがまたあると思う。表現の仕方やニュアンスがすべて変わるだろうから。MBC「アイルランド」のボディガード役は、40歳くらいになってからまたやり直したい。「年をとっても恋愛やアクションもできる俳優になりたい」―そういう部分で、「チング」のドンス役はまた冒険になりそうだが。ドンスというキャラクターをどう見ているのか。ヒョンビン:まだ台本を見ていないため何ともいえない。とりあえず、チャン・ドンゴン先輩のドンスとは違うドンスを表現したい。もちろん、重なる部分もあるだろうが、違う姿を見せなければならない。それが一番大きな課題だ。だが、これは自分が選んだものだから、やり遂げなければならない部分だ。―映画「友へ チング」のクァク・キョンテク監督がインタビューで、根性があると言った(笑) ヒョンビンと一緒に野球をしていた人たちから、野球をしたとき下手だったのに、ずっと練習し続けたら、いつの間にか上手になってたという話を聞いたと言っていた。ヒョンビン:野球は上手ではない。だが、試合に出場できなくても、先輩たちと一緒に汗を流して、みんなで集まって遊ぶのがすごく良かった。それで、試合に出ない時は、ずっとボールで遊んでいたから出た話だと思う。僕は一つのことにハマると、最後までやらなければ気が済まない性格でもあるし。何かが頭の中に入っていると、他のことができない。もう「チング」という作品が決まったから、今はすべてが「チング」に合わせられていると思う。―演技を続けながら、違うキャラクターを一つずつ得ていくようだ。集中して一つのキャラクターを自分のものにして、また他のキャラクターを得るために挑戦して。ヒョンビン:それが一番いい。僕は作品が終わった時、自分の名前よりキャラクターの名前で呼ばれるのがすごくいいと思う。そして、僕が年をとった時も、人々には僕の名前より数々のキャラクターの名前で覚えていてほしい。―年をとって様々なキャラクターをこなした後は、どんな俳優になりたいのか。ヒョンビン:ただお金のために普通の演技をやりたくはない。アン・ソンギ先輩のような俳優になりたい。今、アン・ソンギ先輩は、あの年齢でも爺さんや父親役だけをしているわけではない。あのくらいの年齢で恋愛モノやアクションもできる俳優、あるキャラクターになった時、年配の俳優が必要なときに人々が名前を取りあげて論じてくれるような存在になりたい。