私の少女
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「第9回アジア・フィルム・アワード」今年も中国映画が賞を総なめ…ペ・ドゥナが韓国のプライドを守った(総合)
韓国映画が多数候補に上がり、期待を集めた「アジア・フィルム・アワード(Asian Film Awards)」が今年も中国映画の祭で終わった。25日の午後8時(現地時間)、マカオのベネチアンホテルで「第9回アジア・フィルム・アワード」が開催された。「アジア・フィルム・アワード」は香港国際映画祭の一環として開催され、アジア各国の映画を対象にする授賞式だ。特に今年の「アジア・フィルム・アワード」には全部門に韓国映画が進出し、視線を引きつけた。観客数1400万人を突破したユン・ジェギュン監督の「国際市場で逢いましょう」とホン・サンス監督の「自由が丘で」が作品賞候補に上がった。「国際市場で逢いましょう」と「自由が丘で」は「薄氷の殺人」(中国、監督:ティアオ・イーナン)、「ブラインド・マッサージ」(中国、監督:ロウ・イエ)、「Haider」(インド、監督:ヴィシャール・バールドワージ)、「そこのみにて光輝く」(日本、監督:呉美保)と競争した。「自由が丘で」は作品賞だけでなく監督賞、主演男優賞(加瀬亮)など主要3部門に名前を上げた。主演男優賞部門には1700万人動員のヒット神話の主人公「バトル・オーシャン/海上決戦」のチェ・ミンシクも一緒にノミネートされた。他に主演女優賞はペ・ドゥナ(「私の少女」)、新人賞にEXOのディオ(「明日へ」)がノミネートされ、チョ・ジヌン(「最後まで行く」)とハン・イェリ(「海にかかる霧」)がそれぞれ助演男優賞、助演女優賞候補に名前を上げた。それだけでなく脚本、撮影、編集、美術、作曲、衣装、視覚効果部門に「最後まで行く」「群盗:民乱の時代」「王の涙 –イ・サンの決断-」「パイレーツ」など韓国映画が候補に上がった。衣装デザイン部門にはツイ・ハーク監督の映画「智取威虎山」で韓国のクォン・ユジン監督が候補に上がり、視線を引きつける。しかし、昨年に続き韓国映画のほとんどが受賞につながらず、名残惜しさを残した。主演男優賞候補になったチェ・ミンシク、助演男優・女優賞候補に上がったチョ・ジヌン、ハン・イェリと新人賞候補になったEXOのディオの受賞は残念ながら不発となった。このような中で、主演女優賞を受賞した「私の少女」のペ・ドゥナと功労賞のイム・グォンテク監督がトロフィーを獲得し、プライドを守った。作品賞の栄光は中国の「ブラインド・マッサージ」が手に入れた。盲人マッサージ師を素材にする「ブラインド・マッサージ」はチン・ハオ(金昊)、グオ・シャオドン(郭小冬)、メイ・ティン(梅婷)、ホアン・シュアン(黄軒)が出演し、ロウ・イエ監督がメガホンを取った。この日「ブラインド・マッサージ」は作品賞と共に撮影賞を受賞した。監督賞は「黄金時代」のアン・ホイ(許鞍華)監督が受賞した。「黄金時代」は1930年代、激変の中国、狂いそうなほど文を書きたかった天才作家、シャオホンの強烈な人生を描いた作品だ。タン・ウェイ(湯唯)、ウィリアム・フォン(馮紹峰)、ワン・チーウェン(王志文)が出演した。〈以下は全受賞リスト〉◆ 作品賞 - 「ブラインド・マッサージ」(中国)◆ 監督賞 - 「黄金時代」 アン・ホイ(中国)◆ 脚本賞 - 「薄氷の殺人」 ティアオ・イーナン(中国)◆ 主演男優賞 - 「薄氷の殺人」 リャオ・ファン(廖凡、中国)◆ 主演女優賞 - 「私の少女」 ペ・ドゥナ(韓国)◆ 助演男優賞 - 「黄金時代」 ワン・チーウェン(中国)◆ 助演女優賞 - 「そこのみにて光輝く」 池脇千鶴(日本)◆ 撮影賞 - 「ブラインド・マッサージ」 ツォン・ジエン(中国)◆ 編集賞 - 「ザ・レイド GOKUDO」 ギャレス・エヴァンス(インド)◆ 音楽賞 - 「Margarita, with a Straw」 マイキー・マクリアリー(インド)◆ 視覚効果賞 - 「GONE WITH THE BULLETS(一歩之遥)」 リック・サンダー、クリストフ・ゾリンジャー(中国)◆ 衣装デザイン賞 - 「GONE WITH THE BULLETS(一歩之遥)」 ウィリアム・チャン(中国)◆ 美術賞 - 「GONE WITH THE BULLETS(一歩之遥)」 リウ・チン(中国)◆ 特別賞(「エクセレンス・イン・アジア・シネマ・アワード」) - 中谷美紀(日本)◆ 功労賞 - イム・グォンテク(韓国)
スイスのフリブール国際映画祭、韓国映画4作品を公式招待
韓国映画「アーティストポン・マンデ」「海にかかる霧」「私の少女」「愛のタリオ」がスイスのフリブール国際映画祭に招待された。今月21日、スイスのフリブールにて第29回フリブール国際映画祭が開幕した。フリブール国際映画祭は、毎年テーマを決めて映画を招待している。今年はエロチックシネマがテーマに選定され、韓国の作品の中からは「アーティストポン・マンデ」「海にかかる霧」「私の少女」「愛のタリオ」が同映画祭に招待された。今年で29回目を迎えたフリブール国際映画祭は、スイスを代表する映画祭で、アジア映画を早くから紹介して知らせる役割を忠実に果たしてきた映画祭として有名だ。韓国の作品としては昨年、「ポエトリー アグネスの詩」「母なる証明」「ハウスメイド」「レイトオータム」「10人の泥棒たち」「誰でも自分の寿命を全うしたい(Your Time Is Up)」「南営洞(ナミョンドン)1985」などが招待され、「ハン・ゴンジュ」が大賞を受賞した。
映画「私の少女」チョン・ジュリ監督“ペ・ドゥナ&キム・セロンの好演は本当に有り難かったです”
チョン・ジュリ監督に初めて会ったのは今月18日(現地時間)、カンヌのビーチにある「Vegaluna」で開かれた映画振興委員会主催の韓国映画の夜のイベントだった。当日深夜に到着したチョン・ジュリ監督は時差のため朦朧としており、相次ぐイベントに慌ただしい様子だった。きょとんとした目で「海外は初めてです」と言う彼女の姿が今でも目に浮かぶ。第67回カンヌ国際映画祭のある視点部門に招待された映画「私の少女」(監督:チョン・ジュリ、制作:ファインハウスフィルム)。公式セクションの一部門であるある視点は、オリジナリティのあふれる作品を選出するセクションだ。チョン・ジュリ監督は初めての長編デビュー作にもかかわらず、堂々とカンヌに選ばれた。快挙とはこのような時に使う言葉なのではないだろうか。惜しくも授賞は逃したが、韓国の女性監督の青写真を描き、熱い好評を得た。繊細な感性で残酷ながらも美しい物語を描いたという「私の少女」は、カンヌでかなりの成果を得た。「韓国の小さな町で起こる地域的な物語なのに、好評を受けたというので驚きました。実は共感してもらえるかどうか不安でした。今でも信じられません(笑)」―カンヌに来た感想は?チョン・ジュリ:まだあまり日が経っていませんが、カンヌで10日間くらい過ごしたような気がします。イベントが本当に多かったです(笑) あと偶然、ダルデンヌ兄弟(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督)を見ました。もちろん、直接お会いして話をしたわけではなく、遠くから見ただけですが(笑) それでも嬉しかったです。―「私の少女」を見た海外の観客たちの反応は?チョン・ジュリ:海外の観客たちの反応までは分かりませんが、カンヌ国際映画祭のクリスティアン・ジョン副執行委員長はストロング(Strong)な映画だと言ってくださいました。―同性愛コードがある作品だが?チョン・ジュリ:シナリオの初期段階では猫の飼い主から始まり、猫のような子としてドヒ(キム・セロン)を思い浮かべました。そして似たような人物たちが全く異なる状況に置かれて出会う物語にしたいと考えました。非常に孤独な人物がいいと思い、性的マイノリティたちの運命を思い浮かべ、それぞれ異なる孤独から出会う二人の女性の物語にしたいと思いました。―猫のようなドヒとは、どんな子なのか?チョン・ジュリ:猫を一匹飼っている飼い主がある日、違うネコを連れてきます。ところが、飼い主は新しく連れてきた猫だけを可愛がるのです。以前からいた猫がそれを見て、毎朝死んだネズミを飼い主の靴の中に入れるようになります。飼い主はネコがそんな行動をするのは嫉妬からだと思い叱りますが、翌朝猫は皮を剥いだ真っ赤なネズミを飼い主の靴の中に入れました。実は猫は飼い主を愛する気持ちからエサを入れただけなのです。私たちが思うような嫉妬ではなく、飼い主に対する愛なのです。ドヒはそんな子です。―ドヒとヨンナム(ペ・ドゥナ)が感情を交わすトイレシーンが二回出てくる。チョン・ジュリ:二人の感情の交流はヨンナムが車に乗っている時、ドヒに水を掛けたことから始まります。二人がヨンナムの家で更に距離が縮まるようにしました。中に入り、空間の一番奥にある浴室まで侵入します。浴室は感情的な交流をする上で最もプライベートな場所じゃないですか。もしかしたら、本当の二人が出会う場所だとも言えます。別れもまた、その場所にしたいと思いました。出会いと別れを決心する場所がトイレなのです。―ドヒは生まれついての悪なのか?それとも後天的な悪なのか?チョン・ジュリ:私たちの映画でドヒが悪に見えましたか?(笑) ドヒはとても純粋な子です。その純粋さが両面的だと思います。とてもあどけないですが、同時に盲目的な一面も持っています。それがドヒなのです。一つお願いしたいことは、『私の少女』で絶対悪はヨンハ(ソン・セビョク)が代弁していますが、もしヨンナムがドヒに出会わなければ、ヨンハはドヒの未来になっていたでしょう。もしくは、ジョムスン(キム・ジング)になっていたかもしれません。―エンディングについてどう説明するのか?チョン・ジュリ:エンディングは『私の少女』の始まりであり、ドヒの最大の行動であり選択です。ヨンナムにとって救いになると思います。ドヒが選択できる最善かつ最悪の選択で、必然的な選択でした。―ヨンナムが初めて村に行くシーンも印象的だ。大雨が降っていたのに急に止んだが?チョン・ジュリ:雨の中を走っているヨンナムの姿は、昔ヨンナムが置かれていた運命を表しています。村に入った瞬間に雨が止むことで、また別の人生を掴めるということを表現しようとしました。期待も不安もある状況です。最終的に主人公に今までとは他の選択が出来る可能性を提示しました。―ドヒはヨンナムを最後まで止めなかった。チョン・ジュリ:ドヒはこの映画でヨンナムのことを一番よく知っている人物です。ヨンナムの元恋人が出てきますが、ドヒほどよくは知りません。ドヒは知っているのです。止めても無駄だということを。ヨンナムが自分を訪ねて来た時、既に覚悟を決めて来たのだと思ったのです。よく見てみると、ドヒはヨンナムのために警察署で再陳述しますが、その後は一言も話しません。恐らく、ドヒの心境的にそうせざるを得なかったのではないでしょうか?―「私の少女」は予算の大きい商業映画ではない。チョン・ジュリ:元々私は韓国芸術総合学校映像院出身ですが、在学当時映像院とCJの産業協力プロジェクトがありました。映像院出身と在学生、卒業生を対象にした公募展がありましたが、私の作品はそこで選ばれた5つの作品のうちの一つでした。開発を進めながら最終的に選ばれたシナリオが制作に入るものでしたが、最終段階で落ちてしまいました(笑) 当時、イ・チャンドン監督にお会いしましたが、『私の少女』を見てもったいないと思われたのか、作ろうと提案してくださり制作することになりました。やはり大きな話題となる商業映画ではありませんから。出来る限りキャスティングに比重を置きました。そして何故か、韓国の俳優を網羅して最も満足のいくキャスティングになるのではないかという得体の知れない期待がありました(笑)―その願い通り、優先順位1位のキャスティングに成功したのか?チョン・ジュリ:うーんそうですね(笑) 実は、キム・セロンには最初断られました。キム・セロンはシナリオを読むことにとても徹底しており、感情的に大変そうだと思って最初は断ったそうです。でも時間が経ってもキム・セロンほど上手く演じられる子はいないと思いました。キム・セロンももう一度考えて『私の少女』に出演してくれることになりました(笑)―ヨンナムは毎晩お酒を飲むが?チョン・ジュリ:アルコール中毒かも知れません。色々な状況がヨンナムを眠らせてくれませんから。ミネラルウォーターのボトルに焼酎を入れるのは全て私のアイディアです。何故かヨンナムがそうしたそうに見えたのです。実際私はお酒が大好きでよく飲んでいます。だからと言ってヨンナムのように飲んだりはしませんが(笑)―ペ・ドゥナ、キム・セロンなどが好演したが、監督として俳優たちの演技はどうだったのか?チョン・ジュリ:本当に有り難かったです。デビューしたての新人監督の私をよく知らない状況で、シナリオだけを見て決めてくれた彼らに感謝しています。彼らは私を直感的に理解したようです。特別な指示が要らないほど上手でした。―俳優たちの演技のおかげで更に良くなったシーンはあるのか?チョン・ジュリ:シナリオを書きながら想像していたセリフと声のイメージがありましたが、俳優たちと初めて読み合わせをした時ぴったりだと思いました。ヨンナムの孤独な姿や取調べを受けるシーンを見て、モニターの外で涙が止まりませんでした。ヨンナムの孤独を元々この俳優が持っていたのか?と思えるほど上手く表現してくれたのです。驚きました。もちろん、キム・セロンは言うまでもありません。―今後もこのような映画を作るのか?チョン・ジュリ:ある視点部門に招待された韓国映画は商業的に素晴らしい映画だと思います。ですが、私はこれから映画を作る上で商業だ、非商業だと区別はしないと思います。『私の少女』は観客が楽しんで見ることのできる余地が十分にあり、それを考慮して作りました。私は商業映画を目指すタイプではありませんが、より多くの方に見てもらえる映画を作りたいと思います(笑)
ペ・ドゥナの興味深い足取り「『私の少女』は衝動的な選択だった」
ペ・ドゥナの足取りはいつも気になる。彼女がどんな作品を選んで、どんな姿で人々の前に現れるかが予測不可能だからだ。商業性が高い映画から短編映画まで彼女が踏み出す足取りの幅は同年代の他の女優とは違い、非常に大きい。ポン・ジュノ監督、是枝裕和監督、ウォシャウスキー姉弟など、有名監督のペ・ドゥナ活用法も千差万別だ。ペ・ドゥナの一風変わった足取りが興味深い理由だ。海外に向かっていた彼女の足取りが「私の少女」(監督:チョン・ジュリ、制作:ファインハウスフィルム)に留まった。最近、ユニークな役だけを演じてきたせいか、「私の少女」の中での日常的な人物ヨンナムが懐かしく思える。偏見と先入観に向き合って、人知れない寂しさに閉じ込められたヨンナムの姿がある面ではペ・ドゥナのように思える。寂しいヨンナムの姿に共感できると彼女は話した。ヨンナムとペ・ドゥナ、お互いにぴったりな服を着た。10asiaがペ・ドゥナに会って、彼女の興味深い足取りを辿ってみた。―先に、カンヌ国際映画祭に招待されたこと、おめでとうございます。「空気人形」に続き2度目の参加だが、今回は韓国映画で参加するという点で以前とは違う気持ちだと思う(「グエムル-漢江の怪物-」がカンヌ国際映画祭の監督部門に招待された時、ペ・ドゥナは映画祭に出席しなかった)ペ・ドゥナ:実は日本、韓国、アメリカとは関係なくどんな映画でも映画祭に行くと気持ちいい。今度の作品が特別な理由は「空気人形」の場合は私が選択された作品で、「私の少女」は私の趣向に沿って選んだ作品だ。だから「空気人形」の時は、運良くカンヌ映画祭に行けたような気がする。それに、是枝裕和監督はカンヌが愛する監督でもあった。「私の少女」とは状況が違っていたので、嬉しいながらもまだ実感していない。―「グエムル-漢江の怪物-」(2006)以降、6年ぶりに選択した韓国映画が「ハナ~奇跡の46日間~」(2012)だったが、「私の少女」の出演を決めるまで時間がそれほどかからなかった。韓国映画にもっと出演したいと思ったのか。ペ・ドゥナ:特に韓国映画に出演することにこだわっているわけではない。実は衝動的な選択だった(笑) シナリオを読んで、これは私にぴったりな役だと思った。勇気を出して最短期間で決めたことも今回が初めてだった。―確信があったから衝動的な選択ができたと思う。ペ・ドゥナ:そうかな。様々な面でしっかりした内容のシナリオだったし、何となくシナリオを書いた人が素敵に思えた。文章を読んでいるとそんな風に思える時があるでしょう?会ったこともないのに、そのような不思議な信頼感を感じた。表現方法が普段のシナリオとは違っていて、説明的というより文学的に押し寄せてきた。そのような理由でこの人が誰なのか気になり始めたし、素晴らしい監督という確信ができた。また、キャラクターも同じだった。ドヒは韓国映画の女性のキャラクターの中で本当にカッコいいキャラクターだと思った。自分自身を救い出す人物のように思えた。また、ヨンナムやヨンハなど、他のキャラクターからもパワーを感じた。だからこの作品に飛びかかった。そうでなかったら、慎重に作品を選んだと思う。―マスコミ試写会の時、ヨンナムの寂しい姿に共感したと話をした。そのことについて具体的に聞きたい。ペ・ドゥナ:ヨンナムは特殊な状況に置かれていた。権威的な集団に属している人であり、社会的な偏見や先入観から自由ではないところに置かれた人物である。そのような点で共感したと言えばいいのかな。人々は誰でもヨンナムが感じる寂しさにある程度共感すると思う。個人的に当時、「ジュピター・アセンディング」を撮影していた時だったので、外国生活をしていたせいかより共感できた。―しかし、新たな場所に行って、新たなことに挑戦するのが好きだったのでは?過去のインタビューから見るとそうだったと思うが、そのような性格が少し変わったのか。ペ・ドゥナ:まだ好きといえば好きではある。でも、二面性があるようだ。好奇心に満ちた私にとって新しいものがあると、とても楽しい。新しい文化があれば経験してみたいし、学びたい。そう言いながらも、慣れないことから違和感を感じた。実際に「クラウド アトラス」「ジュピター・アセンディング」は、韓国では経験できない新たな作品だった。その反面、「私の少女」は「ほえる犬は噛まない」と「子猫をお願い」など、デビュー当時に出演した作品のように郷愁を呼び起こしてくれる作品だった。シナリオを読んだ後、どう表現すればいいのか分からなかったが、懐かしい香りが漂っていた。―最近、演じてきたキャラクターが平凡ではなかったからそう感じるのかもしれない。平凡な人ではなかったから。ペ・ドゥナ:そうかもしれない。「空気人形」「クラウド アトラス」「ジュピター・アセンディング」など、平凡な人ではなかった。だから、現実的なキャラクターへの渇望があったけど、適切な時に私の目に入ったわけだ。このシナリオを渡された時も、後からCGを入れるグリーンスクリーンの前で演技をしていた。シナリオを読んでいると、海の香り、田舎の香りが押し寄せてきた。最初、麗水(ヨス)金鰲島(クムオド)に行った時も、韓国にもこんな所があるんだと驚きながら、2~3日が経つと都会が恋しくなった。―それなら、作品の選択する時に、自分だけの基準があるのか。毎回、平凡な選択ではなかった。ペ・ドゥナ:こだわる部分はないけど、基本的に「素晴らしい監督から素晴らしい映画が作られる」という考えは変わらない。だから、監督がどんな方なのかを一番重要視している。映画は監督の芸術であり、私は監督に使われる小道具だと思っている。私が小道具として使われるためには、できれば素晴らしい作品の中で使われたい。それだと、素晴らしい監督はどんな監督なのか、どんな基準で分かるのかと質問されるかもしれない。それは勘で分かる。監督に会って話し合った時に監督の人柄を見ると直感的に感じる。―それでは「私の少女」のチョン・ジュリ監督はどんな監督なのか。ペ・ドゥナ:素晴らしい方だ。監督のように外柔内剛の人は初めて見た。本当に限りなく和やかで、一度も大声を出したことがなく、怒ったこともなかった。そのように穏やかだけど、監督が考えていることはすべて成し遂げる方だ。映画を見ると、凄く静かだけど、話したいことをすべて話している。人自体がそうだ。実はまだよく分からない。ミステリアスな人だ。それに、お互いに支え合って、頼り合った。特にヨンナムを演じた時、私が感じるには、2人だけが理解した。―二人だけが理解した時点はいつだったのか。ペ・ドゥナ:うーん。撮影していると、「ヨンナムがここではこうしていい」という時がある。イ・チャンドン監督(「私の少女」の制作者)も時々、撮影現場に来てヨンナムの役柄が合っているのか聞かれましたが、そんな中でも監督は私に確信を与えてくれた。実際にデビューする監督にとって簡単なことではない。後になってイ・チャンドン監督から「実は少し心配したけど、完成した映画を見たら杞憂だった」と言われた。―チョン・ジュリ監督とは79年生まれの同じ年だと聞いた。また、キム・ジヨンプロデューサーやソン・セビョクなど同じ年の同僚が撮影現場に多いとも聞いた。撮影現場の雰囲気が以前と少し違ったと思う。ペ・ドゥナ:監督やプロデューサーとまるで友達のように過ごした。そして、頼るようには見えなかったかもしれないが、心的には彼らにたくさん頼った。私も彼らに力になろうと努力した。また、親しい友達と集まって作品を作るような感じもした。それで、カンヌ国際映画祭に招待されたことに非常に驚いた。あ、面白いエピソードがある。ある日、是枝裕和監督が撮影現場に遊びに来た。ヨンナムとヨンハ(ソン・セビョク)が交番で対峙するシーンを撮影する時に、是枝監督が撮影現場の片隅で見ていた。たぶんメイキング映像には入っていると思う。とにかく、その時に演出側のスタッフたちが是枝監督の登場に騒ぎ立てた。あるスタッフはその日美容室に行ってきて、訳もなく監督の周りをうろついたりした。その状況が非常に面白かった。後で多くの人からありがとうという挨拶をもらった。―「空気人形」以来、是枝裕和監督とはずっと連絡を取り合っているようだ。ペ・ドゥナ:たまにメールをしている。「そして父になる」の撮影の時は私が撮影現場に遊びに行った。是枝監督は相変わらず優しい。実は(監督は)釜山(プサン)に行く予定だった。それで、もし私が麗水(ヨス)で撮影したら、直接釜山まで運転して監督に会いに行こうと思った。プロデューサーは疲れるからと引き止めたけど。でも、そんな事情を聞いた監督が一日先に江華島(カンファド)に来てくれた。本当に嬉しかった。それで、私は監督が一番好きなカンジャンケジャン(渡り蟹の醤油漬け)をプレゼントした。―ペ・ドゥナが考える「私の少女」はどんな映画なのか?知り合いから「『私の少女』はどんな映画なの?」と聞かれたが、どう説明すればいいかかなり悩んだ。「面白いのか?」という質問にもなかなか答えられなかった。ペ・ドゥナ:私もそうだった。どんな映画なのかという質問にほぼ答えられなかった。でも、マスコミ試写会の後からは少し楽に話せるようになった。多くの観客は見た後に話すことが非常に多い映画、社会問題を指摘する映画だと考えているようだ。監督が話そうとしたことよりもっと多くのことを映画から見つけ出す観客もいる。「観客との対話」を行ったが、観客の様々な話を聞いて監督がそこまでは意図しなかったと話したほどである。監督も話した通り、結果的には孤独な1人の人間と人間が出会ってお互いを慰める物語だ。児童虐待、移住労働者、同性愛者など様々な話が出るから観客には様々な意味を与えているようだが、私もそこまでは考えなかった。―ヨンナムとドヒは平凡な状況に置かれた人物ではない。それで、映画の中で2人の関係も平凡ではない。ヨンナムとドヒの関係をどんな風に受け入れたのか?ペ・ドゥナ:個人的にはヨンナムの感情は母性愛のようだと思ったことが多かった。それでいて、ドヒに頼ったり、力をもらったりする面もあると思う。後からドヒがある選択をするが、そのドヒの態度からインスピレーションも受けたと思う。ヨンナムは死んでもそんな選択はできない人物だから。そのようにヨンナムはドヒのおかげで強くなって勇気を出すようになる。一方、ドヒは本当にかわいそうな子だ。しかし、通常の姉さんだったら簡単にしてあげられることもヨンナムは人から誤解されることを心配してドヒになかなかやってあげられなく、それから来る心の葛藤も持っている。ドヒにとってヨンナムの存在はまた違う。母親を超えた、執着するしかない切実な存在だ。親から愛されたことのない子供が初めて愛を感じる対象であるからだ。まるで小鳥が卵から生まれ出た時に初めて見る存在と同じだ。寂しい女性2人が出会ってお互いを慰める映画という監督の表現が正しい。ヨンナムもドヒに非常に慰められる。初めてシナリオを受けた時は救援される感じまでした。―何より感情表現のレベル調節が難しかったと思う。ペ・ドゥナ:ヨンナムは心の扉を閉めた状態だ。心の扉を開ける瞬間、(ヨンナムは)崩れるようになる。それで、できるだけ感情を抑えて心をより徹底的に防いでおいた状態だと思った。でも、観客にはヨンナムがどんな人物なのか教えなければならない。それと同時に、ヨンナムはある感情を持っているが、それを心の中に閉じ込めているということまで観客に伝えなければならなかった。それが観客に伝わったら、本当に胸がいっぱいなりそうだった。でも、モニターをして、もっと表現した方がよかったのかもしれないと思う時もある。―同性愛者に関する表現も同じだと思う。実は明らかにされる前までは確信することができなかった。それで、ずっと「2人の関係は何だろう?」という疑問があった。ペ・ドゥナ:少しずつヒントを与えようとした。一部の観客は早めに分かったようだ。でも、実は外形的な部分では同性愛者だからといって大きな違いはない。私の周りの友達を見てもそうだ。そして、ヒントや表現も非常に細かくて些細なものである。―それから、ヨンナムはどうしてそんなにお酒をたくさん飲むのか?しかも、焼酎の瓶ではなく、必ずミネラルウォーターのボトルに移して飲むが。ペ・ドゥナ:焼酎の瓶を家の中に入れない(笑) それは彼女がどれほど不安なのか、心の傷がどれほど大きいのかを表現する手段である。秘密が多くて、壁にぶつかって超えられない地点があるということを象徴的に見せてくれる。それで、お酒を必ずミネラルウォーターのボトルに移して飲んで、他の人の前ではお酒を飲まないと話す。彼女が社会的な視線からどれほど自由ではないのかを見せられる良いヒントだと思った。―ひょっとしたら撮影の途中、本当のお酒を飲んだのか?ペ・ドゥナ:お水だった。実際にお酒を飲んだら、顔が真っ赤になる。でも、ヨンナムは顔が赤くなってはいけない気がした。―ある意味、ドヒが取る行動は怖い。今後、怪物として成長する子供のようにも見える。正しい方向に成長できるように保護を受けなければならないと思った。それが大人たちの役割でもある。ペ・ドゥナ:私もそう考えた。ヨンナムは警察の取り調べを受けてから、もう一度心の扉を閉じるようになった。それで心は痛いが、ドヒと別れることを選んだ。逃げ出したいとも思っただろう。そうするうちに、他の人からドヒが「幼い怪物のようだ」と言われてヨンナムは正気に戻る。ドヒの立場では切に望んでいたことのために厳しい選択をしたのに、それから捨てられたことになる。それで、ある不安や傷を捨てて再び走り出すようになる、そんな地点に立っていると思う。ある意味、ヨンナムは以前よりはるかに自由になった。以前はドヒに母性愛を感じても自分自身を守るためにできないことがあったが、それまでも崩す瞬間を迎えた。―ヨンナムとドヒはその後、どのように暮らしていると思う?想像してみよう。ペ・ドゥナ:苦労していそうと話す人もいるし、2人の関係は違う方向に発展するかもしれない。様々な道があるだろう。それは観客が想像することだから。私の考えはまだ良い友達か、母性愛を持つような仲になりそうだ。それからまた何年か経ってからのことは、よく分からない(笑)
【PHOTO】ペ・ドゥナ、インタビューで見せた“少女のような表情”
映画「私の少女」に出演した女優ペ・ドゥナが三清洞(サムチョンドン)のあるカフェで行われたOSENとのインタビューでポーズを取っている。「私の少女」は「影響の下にいる男(A Man Under The Influenza)」で釜山国際映画祭でソンジェ賞を受賞した他、「11」「風は望む所へ吹く」など多数の短編映画で期待を集めてきた新人チョン・ジュリ監督初の長編映画で、暴力に晒された少女の全てを守るための危険な選択をめぐる残酷で美しい物語を描いた作品だ。ペ・ドゥナは20日(現地時間)カンヌの映画振興委員会パビリオンで取材陣にジム・スタージェスとの関係について「恋人である」と明らかにし、大きな話題を呼んだ。映画「私の少女」は第67回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品された。
「私の少女」カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の受賞ならず
ハンガリー映画「White God」(監督:コーネル・ムンドルッツォ)が第67回カンヌ国際映画祭である視点賞に輝いた。カンヌ国際映画祭側は23日(現地時間)午後、フランス・カンヌのドビュッシー劇場で「White God」をある視点賞に選定したと伝えた。「White God」は動物保護センターから脱出し、人への反乱のチャンスを手にした野良犬の物語を通じて現在のヨーロッパの姿を投影させた作品だ。ある視点部門の審査員賞はスウェーデンの「Tourist(原題)」(監督:リューベン・オストルンド)が、アンサンブル賞はフランスの「Party Girl(原題)」(監督:マリー・アマシューケリ)が受賞した。今年のある視点部門には韓国映画「私の少女」(監督:チョン・ジュリ、制作:ファインハウス)が出品されたが、惜しくも受賞にはならなかった。「私の少女」は人里離れた海辺の村に左遷された交番の所長ヨンナム(ペ・ドゥナ)が暴力に独りで露出された14歳の少女ドヒ(キム・セロン)に出会い、助けの手を差し伸べようとするもドヒの養父ヨンハ(ソン・セビョク)のせいで危機に陥るストーリーを描いた作品だ。
キム・セロン「カンヌ国際映画祭に来られて非常に光栄…前回はまだ幼かった」
「次回のカンヌでも会えることを期待している」第67回カンヌ国際映画祭アシスタント・ディレクターのクリスチャン・ジュンヌの言葉だ。その主人公は女優キム・セロン。ある視点部門に出品された映画「私の少女」で、虐待される少女ドヒ役を演じたキム・セロンに海外メディアから関心が集まった。キム・セロンは「私の少女」、これまで披露した演技よりさらに成熟した姿を見せた。子どもの時から子役演技で、しっかりした演技力を見せてきた彼女だが、今回は何だか本物の怪物になったような感じである。暴力に晒された自分を助けてくれた人への盲目的な姿を見せたドヒだが、キム・セロンはその人物に乗り移ったように演じた。すでに一度カンヌ国際映画祭を訪れたことがあるが、まだ緊張しドキドキしている様子で、カンヌの海辺をキョロキョロ見回す中学2年の少女は、「私の少女」の演技に関する話になると、すぐに真剣な女優の姿に変わった。特に暗い作品であるため、幼い歳で心の傷を負うのではないかと心配する取材陣に「周りの環境が明るいので全然心配しなくてもいいですよ」と、逆に取材陣を安心させようとする大人な姿もあった。以下はキム・セロンとの一問一答である。―カンヌ国際映画祭を訪れた感想は?キム・セロン:カンヌ国際映画祭に来られて非常に光栄に思っている。ワクワクして、来る前からとても緊張してドキドキしていたが、まだときめく気持ちが続いている。そして楽しい。今日も楽しんで韓国に戻りたい。―「私の少女」の公式スクリーニングの時に涙を見せたが。キム・セロン:こみ上げてくるものがあった。撮影する時は、家族のような雰囲気で楽しく撮影できたので記憶に残る現場だった。一生懸命に撮影した後、これだけ大きな映画祭で上映されて、人々からもいい評価をもらえたようで、感情がこみ上げてきて涙が出たと思う。―公式スクリーニング後、キム・セロンへの好評が続いている。キム・セロン:そんな評価をもらえて感謝している。―様々なレッドカーペットを踏んだが、カンヌのレッドカーペットは何が違うか?キム・セロン:韓国と海外の違いというよりは、韓国でレッドカーペットを踏むことも嬉しくドキドキすることだけれど、この映画が韓国だけではなく、もう少し広く知られるというか、多くの方々に見てもらえる。だからドキドキして、嬉しく思う。―友人が羨ましがるのでは。キム・セロン:それもあると思う。学校に来なくてもいいと羨ましがっていた(笑) でも、私は学校に行くことも楽しい。友だちと遊ぶことも楽しいし、授業も楽しくて学校が好き。だから親しい友だちは羨ましいというよりは、残念だと言うことのほうが多いと思う。―幼い年齢で暗い作品をすると、その役柄から抜け出すことが難しいような感じもするが。キム・セロン:暗い作品に出演すると、どうしてもまだ幼いから、周りから心配される。役柄から抜け出せないんじゃないかと。だから撮影の時に配慮していただく。実際は、配慮というより家族のような雰囲気なので、演技をした後、その役柄から抜け出すのに難しいことは特になかったように思う。学校に行くと、友だちに会い、周りに明るい環境があるので、役柄から抜け出せないという難しさはない。―演技の面でこれからやっていくべき課題があるだろうか。キム・セロン:課題は今も続いているように思う。そういう暗い演技が数学の勉強だとすれば、数学を終えてこそ他の科目の勉強もできる。そういった点で、このような暗い役柄を何回もやっているとも思うし、この役柄もまだ自分で完璧に演じこなしていないと思うので、もっとうまく演じたい。他の役柄にもこれから徐々にチャレンジしてみたい。―カンヌでやりたいことがある?キム・セロン:カンヌを心の中に残していきたい。前回来た時は幼かったためあまり記憶がない。だからたくさん心の中に残したい。
映画「私の少女」公開初日に観客動員数1万人を記録…興行成績5位に安着
映画「私の少女」が興行成績5位でスタートを切った。韓国映画振興委員会の映画館入場券統合ネットワークによると、映画「私の少女」は公開初日である22日に1万3512人の観客を動員した。事前試写会を含む累計観客動員数は1万6526人だ。「私の少女」は第67回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に公式招待された作品で、一番大切なものを守るために危険な選択をする少女ドヒ(キム・セロン)の残酷ながらも美しいドラマを描いた。カンヌ国際映画祭で上映された後「人を惹きつける魅力を持つ、素晴らしい女優ペ・ドゥナが映画に魂を吹き込んだ」(Screen Dailyの主席評論家マーク・アダムズ)、「暴力性が繊細な演出と素晴らしい演技で見事に表現された。ぞっとするほど美しいシーンと素晴らしい俳優たちの演技を感じられる映画だ」(フランスの日刊紙「リベラシオン」)などの好評を得ている。特にフランスに販売され、早ければ9月、遅くても年内にフランスの60ヶ所の劇場で上映される予定だ。この日の興行成績1位は「X-MEN:フューチャー&パスト」だった。21人3018人の観客を動員し、前夜公開の観客動員数を含む累計観客動員数は30万4315人だ。興行成績2位の「情愛中毒」は5万2555人の観客を動員し、「ポイントブランク~標的にされた男~」「トランセンデンス」などがその後に続いた。
「私の少女」ペ・ドゥナ、いよいよ現実という地を踏む
女優ペ・ドゥナ(34)という名前が韓国の映画界で持つ意味は特別だ。1990年代後半、雑誌モデルとして芸能界に顔を知らせた彼女はドラマ「学校」「クァンキ」で型にはまらない演技力で関心を集め、スクリーンに舞台を移してはポン・ジュノ、パク・チャヌク監督の頼れるミューズとなり、自分だけの印章を映画のいたるところに刻んだ。ここで歩みを止めずにハリウッドへと舞台を広げた彼女はあえてワールドスターという陳腐な修飾語をつけなくてもしっかり自分の役割を果たし、ペ・ドゥナという名が持つ意味に深みを持たせている。そんな彼女が韓国で今月22日に公開される映画「私の少女」(監督:チョン・ジュリ、制作:ファインハウスフィルム)で2年ぶりに映画界に帰って来た。クローン(映画「クラウド アトラス」)、人形(映画「空気人形」)など、ここ何年間は現実世界とはかけ離れた人物を生きていた彼女は今回の作品で華麗なメイクをすべて消し、すっぴんで観客に会う。現実という地に両足でしっかり立ったペ・ドゥナの姿はそれだけでも妙な響きを伝える。「私の少女」は暴力にさらされた14歳の少女ドヒ(キム・セロン)と自らを孤独に閉じ込めた派出所の所長ヨンナム(ペ・ドゥナ)がお互いを癒し、これを見つめる人々の無責任な偏見について加減なく伝える映画。5分で出演を決めたというペ・ドゥナはその理由として「現実的な映画への渇き」と取り上げた。「イギリスのロンドンで映画『Jupiter Ascending』を撮影しているとき、Eメールで『私の少女』のシナリオをもらいました。シナリオを読んですぐにやりますと返事をしました。映画的措置をたくさん広げておきながらも、メッセージを観客に強要しないところがすごく上手いと感じました。何よりもドヒというキャラクターに惹かれました。20年だけ若ければやってみたいほど惚れました(笑) 正直、当時の状況が私を煽ったところもありました。いつも非現実的なキャラクターを演じ、描いたスクリーンの前で演技をしていたので、現実的な映画に対する恋しさがありました」ペ・ドゥナが演じたヨンナムは警察大学出身のエリートだが、個人的な事件のため人里離れた海辺の村の派出所の所長に左遷された人物だ。ヨンナムは継父のヨンハ(ソン・セビョク)に身体も心も殴られている傷だけの少女ドヒを見て、捨てられた猫を抱きしめるように心を尽くして包み込む。村で唯一ドヒに助けの手を差し伸べたヨンナムだが、彼女の真心は破滅の前兆になる。そして、その中心には人々のひどく残酷な偏見がある。映画は最初からヨンナムとドヒの秘密を見せてくれない。徐々に積み上げた伏線は映画の半ば、パズルのようにはめられ感情の振幅をさらに大きくする。ペ・ドゥナは「浴槽のシーンでヨンナムの秘密に気付いた。あえて念頭において演じたのか」というTVレポートの質問に「気付いてもらって本当に嬉しい」と膝を打った。いつもカメラの前で自分が抱いている感情を100%見せないという彼女は映画の中で重要なシーンである浴槽のシーンでほんの少し、ヨンナムの秘密をカメラの前で見せた。「私の少女」の視線は傷だらけのドヒの青い背中と孤独の涙をためた両目を長く見つめる。喜怒哀楽という言葉では決して表現できないドヒの感情を噛み締めて、演じきったキム・セロンについてペ・ドゥナは「私よりも大人っぽく、すでにプロフェッショナルな女優だ」と絶賛した。あわせてキム・セロンが感じたであろう精神的混乱については「監督ならびにすべての方々が徹底的な保護措置を設けた後、撮影した」と安心させた。「実際、(キム)セロンはとても明るいです。セロンが私の隣の部屋に泊まっていましたが、夜中ずっとマネージャーのお姉さんと騒いでおしゃべりして遊んでいました。いくら感情的に大変なシーンを撮っても、撮影が終わったら子どものように枕投げをして遊んだり、『ギャグコンサート』の流行語の真似をしたりします。現場であだ名がセロンTVでした。本当に明るいです。セロンが偉いのが、難しいキャラクターから抜け出す方法を知っているということです。健康に育った気がします」彼女は制作者イ・チャンドン監督について「存在だけでも頼れる人」と話した。どの制作者よりも撮影現場を頻繁に訪れたイ・チャンドン監督は映画撮影がすべて終わってからペ・ドゥナを初めて褒めた。ペ・ドゥナはそれまで心を焦がしながらイ・チャンドン監督の顔色を伺ったそうだ。「何が気に入らないんだろうと怖かったです。それでもイ・チャンドン監督が現場に来ると甘えられるので良かったです。今回撮影現場でみんな私にドゥナ先輩というので、どうにかなりそうでした。監督、プロデューサーも私と同い年なので、甘えられる人がいないのです。是枝裕和監督が現場に遊びに来て『なぜみんなこんなに若いですか?』と驚いてました(笑) プレッシャーが大きかったです」「私の少女」は第67回カンヌ国際映画祭のある視線に公式招待された。「グエムル-漢江の怪物-」と「空気人形」に続き、カンヌ国際映画祭参加3回目となる彼女は、「映画祭はさておいて、純粋な意図で参加した作品だ。こんなにいいシナリオがダメになるのを見たくなかった。一種の使命感を持って参加したりもした。カンヌ映画祭招待の知らせを聞いてスタッフの顔を思い出し、誇らしかった」と伝えた。彼女はインタビューの終わりごろ、自身のフィルモグラフィーをとても厳しく選び抜いて美しく積み上げていると打ち明けた。見栄えといえば見栄えかも知れないが、フィルモグラフィーだけは自分でも誇りに思うそうだ。女優としてがむしゃらに進んでいくことにおいて障害になる世の中の偏見には「彼らよりは私がいい人」という自信で、大きすぎる称賛には「それよりは足りない人」という謙遜でバランスを取るそうだ。「次回作はハリウッド映画になりそうです。心配しないでください。すぐに終えて韓国映画に帰ってきますから。ハハ。昔は作品の中でどれくらい目立つのか、キャラクターはどれぐらい魅力的なのかをずる賢く考えていたとしたら、今は作品全体を見ます。チャンスがあればドラマにも出演したいです。毎週私の顔を見せるのです(笑)」
「私の少女」カンヌ国際映画祭で10分間のスタンディングオベーション…新人監督賞の候補に!
映画「私の少女」(監督:チョン・ジュリ)が第67回カンヌ国際映画祭で初公開された。19日(現地時間)、フランス・カンヌのドビュッシー劇場では67回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品された「私の少女」の初上映が行われた。「私の少女」は暴力に晒された少女の危険な選択をめぐる物語を描いた作品で、ペ・ドゥナ、ソン・セビョク、キム・セロンが出演し、「影響の下にいる男(A Man Under The Influenza)」「風は望む所へ吹く」を演出したチョン・ジュリ監督初の長編映画でもある。コンペティション部門を除くと最も権威のある部門である「ある視点」部門は、才能のある若い監督を発掘し、独創性を奨励するために設けられた。特に、同部門で選定された作品の中の1本はフランス内での配給をサポートするための支援金も提供される。この日、「私の少女」への関心は実に大きなものだった。記者や映画関係者を対象にした上映だったが、1時間前から劇場の前が混雑するなど多くに観客が「私の少女」の観覧を待った。これに応えるようにペ・ドゥナとキム・セロン、チョン・ジュリ監督、イ・チャンドン監督率いるファインハウスフィルムのイ・ジュンドン代表がレッドカーペットに登場し、感謝の言葉を伝えた。120分間の上映中、「私の少女」には終始重い雰囲気が漂っていた。児童への性的虐待や同性愛など、刺激的な題材だが、美しい映像と繊細な感性で観客の視線を引きつけた。まるで劇中のドヒ(キム・セロン)とヨンナム(ペ・ドゥナ)のように穏やかに流れた120分だった。 「私の少女」の上映終了後、約10分間にわたってスタンディングオベーションが続いた。韓国では見ることができなかったが、カンヌ国際映画祭を通じて自身の完成した作品を初めて目にしたキム・セロンは熱い涙を流し、観客の歓声に感謝の挨拶を伝えた。自身初の長編映画を演出したチョン・ジュリ監督も涙を流しながら挨拶を繰り返した。この日は「私の少女」の主演俳優の他にもペ・ドゥナの恋人として噂になったこともあるハリウッド俳優ジム・スタージェスが登場し、注目を集めた。ジム・スタージェスはペ・ドゥナの手を握って劇場に入り、一緒に映画を観覧して映画が終わってからはペ・ドゥナの姿を自身の携帯電話で撮影するなど深い愛情をアピールした。「私の少女」は同映画祭に招待された長編映画の新人監督の中から一人を選定し、授賞する「カメラ・ドール(新人監督賞)」の候補にも上がっている。果たして絶賛と受賞を同時に手にすることができるのか関心が高まっている。
【PHOTO】ペ・ドゥナ、カンヌ国際映画祭出席のため出国“軽やかな足取り”
15日午前、女優ペ・ドゥナが第67回カンヌ国際映画祭に出席するために仁川(インチョン)国際空港を通じて出国した。ある視点部門に招待された映画「私の少女」(監督:チョン・ジュリ)のペ・ドゥナ、ソン・セビョク、キム・セロンはカンヌを訪問する。ペ・ドゥナは2年ぶりの韓国映画復帰作で、映画「グエムル-漢江の怪物-」(2006年)と「空気人形」(2009年)に続き、三度目のカンヌ訪問を果たした。キム・セロンは「冬の小鳥 <旅行者>」(2009年)に続き2度目となる。
「私の少女」チョン・ジュリ監督“主人公を同性愛者に設定した理由は…”
チョン・ジュリ監督が同性愛の設定について言及した。12日午後、ソウル城東(ソンドン)区杏堂洞(ヘンダンドン)CGV往十里(ワンシムニ)で開かれた映画「私の少女」(監督:チョン・ジュリ、制作:ファインハウスフィルム)のマスコミ向け試写会にはチョン・ジュリ監督と女優のペ・ドゥナ、キム・セロン、俳優ソン・セビョクが出席し、花を添えた。この日チョン・ジュリ監督は映画の主人公の設定を同性愛者にしたことについて「もっとも偏見の目で見られる人物の条件として考えた」と説明した。続いて「同性愛という設定をコード化して見せるのは、自ら物語を引っ張っていくのにも適していなかった。どうすれば自らを運命に閉じ込めた人物を表現できるのか、悩み続けた」と付け加えた。またチョン監督は「ドヒは寂しいけれど、寂しいことをまったく知らない子だ。愛されたことのないドヒが、同性愛者というアイデンティティのため、自ら孤独を選ぶしかない人と出会う物語だ」と演出意図について強調した。「私の少女」は人里離れた海辺の村に左遷されてきた派出所の所長、ヨンナム(ペ・ドゥナ)が暴力に一人でさらされた14歳の少女ドヒ(キム・セロン)に出会い、助けの手を差し伸べるも、むしろドヒの義父ヨンハ(ソン・セビョク)のせいで危機に陥る物語を描く。ペ・ドゥナの2年ぶりの韓国映画復帰作であり、短編「影響の下にいる男(A Man Under The Influenza)」で釜山(プサン)国際映画祭ソンジェ賞を受賞したチョン・ジュリ監督の初の長編映画だ。第67回カンヌ国際映画祭のある視点部門に招待された。韓国で5月22日に公開される。