【PEOPLE】ナオルを構成する5つのキーワード
ナオル
「今の世の中は刺激的すぎる。音楽だけでなく、すべてがそうだと思う。特に、音楽はあまりにも変質してしまって、僕は責任を感じている。だから、音楽と真剣に向き合っている」―ナオル「DAZED KOREA」とのインタビューより
このような言葉を言っても、人々が納得する歌手の歌い方。

ユ・デオル
ナオルの双子の弟である短編映画監督。二人は幼い頃から画家である叔母たちを見ながら成長し、母親は彼らが4歳の頃からバイオリンを習わせた。これは二人が芸術に関わる仕事を選び、ナオルが音楽と美術の両方を上手にできる理由である。しかし、ナオルはもともと歌手になりたいとは思っていなかった。「自分には才能がない」と考えていた上に、人前で歌うことが恥ずかしいと思っていたためである。実際、ナオルは音楽の実技試験で2~30点をとったこともあるという。しかし、カラオケができたので、恥ずかしがらずに一人で歌を歌うスペースができ、歩きながらでも歌を歌うほど没頭するようになった。そのうち、友だちとのハーモニーで歌を楽しむようになり、歌手にまでなった。これは、努力すれば誰もがいい歌手になれるというよりも、ナオルの才能を発見できなかった周りの人々に問題があったようだ。誰もが努力したからといって、ナオルのような声を持つことができるわけではない。
Anthem
ナオルが歌手としてデビューしたグループ。教会で一緒に歌を歌った重唱団のメンバーたちが集まって結成したグループで、ナオルは高校時代にもブラックコーヒーというボーカルグループで活動したことがある。また、彼が好きな音楽はBoyz II Menなどアカペラに強いボーカルグループの音楽だった。そのため、アカペラが上手いメンバーが集まったAnthemは彼が望んでいた形のグループだったのだろう。彼のAnthemへの愛情は、ナオルがBrown Eyesで人気になると、Anthemにいた頃に携わった曲が“Brown Eyesのナオルの曲”として宣伝されることに寂しさを感じていたほどである。ナオルがAnthemの後、Brown EyesとBrown Eyed Soulとして活動し、今やっとソロアルバムをリリースしたのは、“重唱団”を望んでいた彼の選択が生んだ結果のようだ。
Brown Eyes
ユンゴンとナオルが結成したデュオ。ユンゴンは以前、所属していたグループのTEAMが失敗し、残りのメンバーと一緒にもう一度音楽をやろうとしている時にナオルに出会った。そして、その残りのメンバーがグループを辞めることになり、結果的にBrown Eyesが結成された。そのためか、Brown Eyesのデビュー曲である「もう一年」は、ユンゴンが作曲したTEAMの曲「星」と構成が似ている。しかし、曲が全体的に穏やかに流れる「星」と違い、「もう一年」はナオルの声が聞く人々に強くアピールする力を持っていた。ユンゴンが作り出した美しくポップなメロディーに、ソウル風のボーカルをポップスの感性で表現するナオルの歌声は、洗練され、かつ大衆的でもあった。「もう一年」以降、2000年代の前半には多くの歌手たちがミディアムテンポ+深い(ナオルやパク・ヒョシンを真似た)ボーカルで音楽界に現れた。大衆より半歩先を行く音楽でトレンドを変えたデュオの登場だった。
キム・ボムス
ナオルと親しい歌手仲間。ナオルはキム・ボムスのボーカルについて「もし歌に教科書があるとしたら、彼の歌こそがその教科書だと思う」と話した。また、ナオルはデビュー前からフィソンと仲が良かった。フィソンによると、デビュー前のナオルは「練習したそぶりを見せないが」、実は「(自分が望む通りに歌を歌えなかったら)練習室から3日間も出て来ないくらいだった」と話した。黒人音楽を好んで聞き歌ったナオル、パク・ヒョシン、キム・ボムス、フィソンらは、同時期にデビューし、大衆音楽業界でR&B/ソウルスタイルのボーカルの流行において重要な役割を果たした。Brown Eyesの「With Coffee」がこれまでの曲よりポップな感覚のメロディーをR&B/ソウルスタイルの歌い方で表現したとしたら、「段々」はこれまでのバラードに近い曲をR&B/ソウルスタイルで歌ったと言える。この4人は韓国大衆音楽の基盤が黒人音楽のスタイルに変わるための架け橋の役割を果たした。特に、ナオルは「人間が堕落する前、地球が破壊される前に存在した人間の姿に一番近いと思うため」黒人が好きで、黒人をテーマにした絵をよく描いた。そして、「本当に黒人のような声」を出したくて一生懸命努力したという。しかし、ナオルが自分の声について「声自体に黒人のような感じがない」と思っていることは矛盾している。韓国でナオル以外に、一体誰がそのようなボーカルを持っているいるのか分からない。
Brown Eyed Soul
ナオルが再び結成した重唱団。自分は黒人のボーカルにまったく似ていないと思ったナオルは、白人が黒人音楽をやることをBlue Eyed Soulと言うように、“茶色い目を持つ、ソウルを歌う人”という意味でグループ名をBrown Eyed Soulと名づけた。実は、Brown Eyesの時からBrown Eyed Soulという名前を使いたかったという。ナオルの望み通り、Brown Eyed Soulは「My everything」のようにBoyz II Menを思わせる音楽を披露した。しかし、タイトル曲「本当に愛してたのかな」はソウルというよりバラードに近い曲で、大衆性を持っていた。そのため、ソウルミュージックを期待した人にとっては少し残念と思えるかもしれない選択だった。しかし、ナオルは最初からポップな黒人音楽を好んでおり、その後のBrown Eyed Soulの音楽も従来のバラードと黒人音楽の境界にあるような曲が多いということを考えると、“Brown Eyes”を持つナオルのソウルミュージックはこのようなスタイルであると言えるだろう。
ジョンヨプ
Brown Eyed Soulのメンバー。「Nothing better」の男。「僕は歌手だ」と言っても、誰も文句を付けることができないボーカリスト。Brown Eyed Soulの1枚目のアルバムは複数の曲がヒットした良いアルバムだった。しかし、Brown Eyed Soulの本当の影響力は10年以上かけてゆっくり現れた。彼らの成功後、数多くのボーカルグループが登場し、ジョンヨプと同じく、グループで実力を認められ、ソロとして成果をあげる歌手が増えた。また、編曲は黒人音楽のスタイルで、メロディーはポップ・バラードの雰囲気を盛り込んだBrown Eyed Soulの曲は、韓国でそれ自体が一つのジャンルとなった。ブラスとベースを積極的に活用してソウルの雰囲気を出し、穏やかで豊かなサウンドを演出した「退いてあげるよ」の編曲とレコーディングは、Brown Eyed Soul独自のジャンルと言えるほど、彼らは独特のスタイルを確立した。Brown Eyed Soulの栄光のすべてがナオルだけのものではないが、ナオルが追求した音楽の方向性はBrown Eyed Soulを通じて音楽界全体に広がった。もしBrown Eyed Soulがいなければ、MBC「私たちの日曜の夜-私は歌手だ」やKBS「不朽の名曲」も今とはかなり違っていたはずだ。
ハン・ヘジン
ナオルの彼女。会う度に歌を歌い続けるナオルにやめてほしいと文句をつけるすさまじい女性。ハン・ヘジンは知り合いのラジオ作家の紹介でナオルに初めて出会った。しかし、出会ったその日は彼がほとんどしゃべらなかったので、寂しかったという。それでも、ハン・ヘジンはナオルに好感を持ち、彼女から先に連絡して二人は付き合うようになった。クリスチャンであるハン・ヘジンは、ナオルが自分のミニホームページで信仰を告白をするのを見て彼のことが気になり始めたという。それほど信仰に厚い2人であった。特に、ナオルはBrown Eyed Soulの曲の中でもCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)である「嵐の中の主」を最高の曲の一つに選ぶほど信仰心が厚い。この厚い信仰をもとに自分の芸術世界を表現するのがナオルの根本的感性と言えるだろう。ただ、宗教的教義の問題のためか、彼は同性愛に激しく反対している。同性愛を描いた映画を見た後、「いつから同性愛が何ともないものになってしまったんだろう」というコメントをミニホームページに書き込んだほどだ。彼の曲は宗教的な純粋さと言えるほどの心構えから来ているが、そんな彼が宗教的な包容力も持っていたらさらによかったと思う。一時期、黒人も白人と一緒にバスも乗れないくらいの差別を受けた時期があったのだから。
April Shower
ナオルが友人と結成したアートユニット。ナオルがアートディレクターを務め、友人がプロモーションビデオや写真、ジャケットデザインなどを担当し、アルバムを制作したこともある。普段、静かな性格で知られているナオルも、友人と一緒にいる時は少し活発な姿を見せる。よく知られているように、ナオルはアルバムジャケットのデザインをするなど画家としても活動中である。彼は美術が音楽より気楽で、「(歌手は僕には)あまり似合わない」と言ったこともあった。これは、人々の前に立つことが苦手な彼の性格のためである。ナオルは「人をバカっぽく見せる」という理由で、祝いの歌を歌うことを苦しく感じるほどであり、「同じシステムの中」でアルバムを出して公演をしていると逃げたくなる時もあるという。このような歌手が韓国で活動することは極めて難しい。しかし、ナオルは他の人には替えられない歌声を持ち、彼が人前に出なければ出ないほど、彼の歌の希少性は高まっていった。彼は、自分の中に感情が満ちた時、渾身の力を注いで歌を歌うため、人々に本物の歌を聞くという気持ちを与えてくれる歌手だ。同時に、黒人音楽を大衆的なメロディーに融合させる方法を知っているミュージシャンでもある。ナオルは今、洗練されて聞きやすく、それに高度だという満足感を与えてくれる音楽を聞きたがる人々の好みを満足させている。それが、トレンドがどのように変わろうが、ナオルの曲ならば無条件に聞くという人々が存在する理由だ。
キム・ゴン
Anthemのメンバーリメイクアルバム以外では、ナオルの初のソロアルバムである「Principle of my soul」のタイトル曲「風の記憶」のプロモーションビデオに出演した。演出はApril Showerのソン・ウォンヨンが担当した。「Principle of my soul」はAnthemから今までのナオルの経歴をすべて溶け込ませたようなアルバムである。「風の記憶」が大きなスケールのバラードをナオルの声で表現した曲だとしたら、「You&me」はアメリカでもブームを起こした古いソウルの再現であり、「Stone of zion」と隠しトラックは彼が神に捧げるゴスペルである。そして、ナオルはこのすべての曲の中で、不思議に思えるほどの声の幅を見せてくれる。固いけれど固まってはおらず、広がりがあるが明確な焦点を持ち、高音でも柔らかく聞こえる彼の歌声は、このソロアルバムを通してすべて表現された。これまで重唱団を通じて制限的に、またはリメイクを通じて少しずつしか聞くことができなかったナオルの歌声が、ソロアルバムではすべての可能性を爆発させたのである。ナオルは長い間、ゆっくり歩みながら独自の音楽を集約し、人々はこれまでいくつかのグループや歌手たちを通じて少しずつ感じていた“ナオルスタイル”を余すところなく聞くことができた。人前に立つことが苦手だった歌手。グループの中で歌を歌った歌手。人々から離れて絵を描いていた歌手。その歌手がようやく一人で歌を歌い始めた。次のソロアルバムを期待させながら。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- カン・ミョンソク、翻訳 : ナ・ウンジョン
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