「愛は歌に乗って」EDEN ヒソン“ハリウッドにフランス…海外進出への意欲が大きいです”
比較的、放送期間の長い毎日ドラマ(月曜日から金曜日まで放送されるドラマ)は新人俳優には良き登竜門になる。少なくとも6ヶ月以上ドラマに出演することは、自身の存在を知らせるのにまたとない良い機会であるためだ。KBS 1TV「愛は歌を乗って」でユン・サンヒョン代表を演じたEDEN(エデン)のメンバーで俳優のヒソンもまさにそんなケースだ。その前もSBS「結婚の女神」やKBSの短編ドラマなどに出演した彼は「愛は歌に乗って」を通じて有望株として確かな印象を残した。
「毎日ドラマは容易ではありませんでした。生活そのものがいつも台本を待って、すぐに覚えて撮影するものでしたので。最初は監督も怖かったし、思ったより(演技が)上手くいかなくて悩みも多かったです。メイクをしてくれる方が眉毛に抜け毛が生じ、髪の毛が半分はなくなったとおっしゃるほどでした。あっけにとられて『また生えてくるでしょう?』と聞いたら役者にはこんなことが時々あるとおっしゃいました。それでも1週間、また1週間、抜け毛がとても激しい感じでした」
6ヶ月間彼の名前だった“ユン・サンヒョン”は、ヒロインのコン・ドゥリム(SISTAR ダソム)を好きになってから従兄弟のヒョヌ(ペク・ソンヒョン)と対立するようになる、三角関係の一軸を担当する重要な人物だった。「台本を見ながら『僕はなぜこれほど執着し、二人の間を邪魔するのだろうか』とも思いました」と言ったヒソンは「おそらく恋に目がくらんで自分自身が見えなかったようです。僕が思ったより(サンヒョンの)感情がずっと深かったです」とし「ところで、僕はまだ実力が足りなくてそれほど表現できなかったと思います。それでも幸い“足演技(大根演技)”だと悪口を言われたことはありません」と笑って見せた。
「今回のドラマで僕へのイメージが“裁判官の家の従兄弟ユン・サンヒョン”に固まるのではないかと心配したりしません。これからやってみなければならないキャラクターが沢山あるからです。今よりもっと経験を積みながら、変身します。もし僕をユン・サンヒョンだと記憶される方がいらっしゃるとしても…それならその方々は少なくとも僕のことをご存知だということでしょう?(笑) その方々にはまた次の作品でも良く覚えて頂けるのではないでしょうか。それで『愛は歌に乗って』は僕には良いチャンスだったと思います。どうやってサンヒョンとまた違う姿をアピールするのかは、僕次第です」
「医者になりたいと思って勉強もしてみたし、一日10時間ずつ倒れるまで運動もしてみました。今考えてみると、あちこちぶつかりながら衝動的に生きていた時期でした。その時は韓国に住んでいたけれど、サービングのバイトから通訳のバイトまで何でもしました。ところが、そのように夢もなく生きてみたら辛いだけでした。『僕は何がしたいのか?上手くやりたいのは何なのか?』という考えで一日は紙を取り出してずっと書いてみました。結論はどうであれ、結局芸能や体育関連の仕事がしたいと思いました」
その時まで眼中にもなかったなかった“役者”という職業が彼に近づいてきた瞬間だった。最初は自らも「誰が僕なんかを俳優として使ってくれるだろう」と思ったが、やっと見つけた夢をそのまま諦めたら「死ぬときに後悔するだろう」と思った。結局20代の半分をこの無謀な挑戦に使うことにした。その代わりに演技とは関係のない学科(中央大学・フランス語学科)に進学することで夢が叶わなかった時に備えることにした。とりあえず今日までこの計算は見事に外れた。
「役者になる前は不安があったことも事実です。ところで今はこれがとても好きで不安や負担を感じる余裕もないようです。熱心にさえすればその負担は十分振り切って補償してもらえると思います。僕が前世に何をしたのか分からないけれど、本当に周りに良い方しかいないです。その方々の能力を信じることもあります(笑)」
さらに「中学時代に水不足の国に関するドキュメンタリーを見て父に『あんな人々に井戸を掘ってあげたい』と話したことを覚えています。知人の中でアフリカの水不足の国を支援する財団に参加している方がおり、僕も再来年頃には通訳であれ、一般のボランティアであれ、一緒に行くことになりそうです」と伝えた。
しかし、彼の計画の大半は演技と関連したものだった。偶然に入ったが、今は演技はヒソンの本当の道になったためだ。「20代でヨーロッパに進出してカンヌに一度行きたい」と話し始めたヒソンは「小さい賞でももらってフランス語で感想を語ることさえできれば、大変な名誉になるのではないかと思います」と目を輝かせた。
「1年に1本の作品であれ、2年に1本の作品であれ、全部いいです。とにかく出てくる度に(人々から)愛され『さすがヒソンだ』というレベルにまで至る俳優の人生を生きたいです。言語に興味も多いし、またグローバル時代なので海外進出への意欲も大きいです。出てみたいです(笑) 出られるよう競争力を身につけ、ハリウッドであれ、フランスであれ、本当に行くつもりです。そうしながらもっとたくさん学び、経験を積み上げ、僕だけにしかない唯一のものを作ってみたいです。
『愛は歌に乗って』で共演した(キム)ヒョンジュン兄さんと(ペク)ソンヒョンとは一緒にサッカーをしています。ヒョンジュン兄さんとソンヒョンは長い間活動しているのでファンが多いです。ところで、そのファンの方々が僕のところに来ては『母が好きです』『うちの祖母が好きです』と言われます。いざ本人たちが好きだとは言ってくれませんでした(笑) まあ…それもいいでしょう。しかし、これからを楽しみにしてください。寝る前に思い出す、余韻が残る、男性たちも格好いいと思うような俳優になるのが僕のロマンです(笑)」
「毎日ドラマは容易ではありませんでした。生活そのものがいつも台本を待って、すぐに覚えて撮影するものでしたので。最初は監督も怖かったし、思ったより(演技が)上手くいかなくて悩みも多かったです。メイクをしてくれる方が眉毛に抜け毛が生じ、髪の毛が半分はなくなったとおっしゃるほどでした。あっけにとられて『また生えてくるでしょう?』と聞いたら役者にはこんなことが時々あるとおっしゃいました。それでも1週間、また1週間、抜け毛がとても激しい感じでした」
6ヶ月間彼の名前だった“ユン・サンヒョン”は、ヒロインのコン・ドゥリム(SISTAR ダソム)を好きになってから従兄弟のヒョヌ(ペク・ソンヒョン)と対立するようになる、三角関係の一軸を担当する重要な人物だった。「台本を見ながら『僕はなぜこれほど執着し、二人の間を邪魔するのだろうか』とも思いました」と言ったヒソンは「おそらく恋に目がくらんで自分自身が見えなかったようです。僕が思ったより(サンヒョンの)感情がずっと深かったです」とし「ところで、僕はまだ実力が足りなくてそれほど表現できなかったと思います。それでも幸い“足演技(大根演技)”だと悪口を言われたことはありません」と笑って見せた。
「今回のドラマで僕へのイメージが“裁判官の家の従兄弟ユン・サンヒョン”に固まるのではないかと心配したりしません。これからやってみなければならないキャラクターが沢山あるからです。今よりもっと経験を積みながら、変身します。もし僕をユン・サンヒョンだと記憶される方がいらっしゃるとしても…それならその方々は少なくとも僕のことをご存知だということでしょう?(笑) その方々にはまた次の作品でも良く覚えて頂けるのではないでしょうか。それで『愛は歌に乗って』は僕には良いチャンスだったと思います。どうやってサンヒョンとまた違う姿をアピールするのかは、僕次第です」
チェロ少年、役者になる…「演技が好き、もう不安ではない」
ヒソンは独特なキャリアを持っている。ハングルを習う前から音楽をしていた親の肩越しに楽譜を見た彼に、その中で接したチェロは幼年時代の全てになった。ロシアとフランスに留学に行ったのも音楽のためだった。自身に与えられた道に特に疑問を持たず生きていたある日、もどかしさが押し寄せてきた。ヒソンは「チェロも良かったけれど、チェロのために抑圧された感じもあった。諦めなければならないことが多かったのも事実だ」とし「それでチェロを止めたら視野が広くなる感じがした」と語った。そんなふうに18歳で始まった彼の“彷徨い”は非常に長い間続いた。「医者になりたいと思って勉強もしてみたし、一日10時間ずつ倒れるまで運動もしてみました。今考えてみると、あちこちぶつかりながら衝動的に生きていた時期でした。その時は韓国に住んでいたけれど、サービングのバイトから通訳のバイトまで何でもしました。ところが、そのように夢もなく生きてみたら辛いだけでした。『僕は何がしたいのか?上手くやりたいのは何なのか?』という考えで一日は紙を取り出してずっと書いてみました。結論はどうであれ、結局芸能や体育関連の仕事がしたいと思いました」
その時まで眼中にもなかったなかった“役者”という職業が彼に近づいてきた瞬間だった。最初は自らも「誰が僕なんかを俳優として使ってくれるだろう」と思ったが、やっと見つけた夢をそのまま諦めたら「死ぬときに後悔するだろう」と思った。結局20代の半分をこの無謀な挑戦に使うことにした。その代わりに演技とは関係のない学科(中央大学・フランス語学科)に進学することで夢が叶わなかった時に備えることにした。とりあえず今日までこの計算は見事に外れた。
「役者になる前は不安があったことも事実です。ところで今はこれがとても好きで不安や負担を感じる余裕もないようです。熱心にさえすればその負担は十分振り切って補償してもらえると思います。僕が前世に何をしたのか分からないけれど、本当に周りに良い方しかいないです。その方々の能力を信じることもあります(笑)」
「寝る前に思い出す、そんな俳優になる」
今後の計画を聞くとヒソンは躊躇せず自身の考えを語った。役者としてのアイデンティティをより良い所に活用したいと言った。「芸能人の波及効果が大きいということはいつも思っています」と言うヒソンは「少なくとも恵まれない人に惜しみなく与えられる人になりたいです」と強調した。さらに「中学時代に水不足の国に関するドキュメンタリーを見て父に『あんな人々に井戸を掘ってあげたい』と話したことを覚えています。知人の中でアフリカの水不足の国を支援する財団に参加している方がおり、僕も再来年頃には通訳であれ、一般のボランティアであれ、一緒に行くことになりそうです」と伝えた。
しかし、彼の計画の大半は演技と関連したものだった。偶然に入ったが、今は演技はヒソンの本当の道になったためだ。「20代でヨーロッパに進出してカンヌに一度行きたい」と話し始めたヒソンは「小さい賞でももらってフランス語で感想を語ることさえできれば、大変な名誉になるのではないかと思います」と目を輝かせた。
「1年に1本の作品であれ、2年に1本の作品であれ、全部いいです。とにかく出てくる度に(人々から)愛され『さすがヒソンだ』というレベルにまで至る俳優の人生を生きたいです。言語に興味も多いし、またグローバル時代なので海外進出への意欲も大きいです。出てみたいです(笑) 出られるよう競争力を身につけ、ハリウッドであれ、フランスであれ、本当に行くつもりです。そうしながらもっとたくさん学び、経験を積み上げ、僕だけにしかない唯一のものを作ってみたいです。
『愛は歌に乗って』で共演した(キム)ヒョンジュン兄さんと(ペク)ソンヒョンとは一緒にサッカーをしています。ヒョンジュン兄さんとソンヒョンは長い間活動しているのでファンが多いです。ところで、そのファンの方々が僕のところに来ては『母が好きです』『うちの祖母が好きです』と言われます。いざ本人たちが好きだとは言ってくれませんでした(笑) まあ…それもいいでしょう。しかし、これからを楽しみにしてください。寝る前に思い出す、余韻が残る、男性たちも格好いいと思うような俳優になるのが僕のロマンです(笑)」
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- イ・ミナ、イ・ジョンミン、写真 : イ・ジョンミン
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