My name is
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Vol.2 ― 宇宙少女 Joyユニット ソンウィ、ウンソ、ヨルム「My name is...」
My name is ソンウィ。施すと言う意味の「宣」に挙動を意味する「儀」と書く。人の気持ちを汲み、施す人になれという意味が込められている。1995年1月26日生まれ。中国出身だ。幼いころから少女時代の先輩方の大ファンだ。みんな綺麗で歌も良くてステージも華麗じゃないか。デビュー前にMBC「歌謡大祭典」を見に行ったことがあるけれど、その時に運良く先輩方にお会いできた。挨拶をしたら顔が赤くなった(笑)デビューステージの時は正直、実感が湧かなかった。ソラ姉さんが泣いたので私も一緒に泣いた(笑) メンバーを見ながら「ああ、大変だったよね。お疲れ」と言っているうちに、いきなり涙が出てきた。メンバーの顔を見ただけで、お互いにどんな気持ちだったか察することができたようだ。ニックネームはウインクマシーン!ウインクが上手だということでメンバーがつけてくれた。長時間ウインクをしたままでいられるし、自由自在にウインクできる。来年は1位に挑戦してみたい。まず今年は初めての活動を上手く終えるのが目標で、来年は音楽配信チャートや音楽番組で1位のトロフィーを手に取ってみたい。人々にポジティブなエネルギーを与えたい。ロールモデルは少女時代のティファニー先輩。いつも笑っている印象だ。暖かい雰囲気が感じられる。他の人が私を見た時に幸せを感じ、笑顔になってもらえたら嬉しい。 (ウンソ:十分にその可能性はある。私たちが憂鬱になっている時、自分から近づいてきて包み込んでくれるタイプだ)My name is ウンソ本名はジュヨンだ。周りの「周」に延べる「延」と書いて、すべての人をあまねく導いて率いる人になれという意味が込められている。導く人というのは、もちろん先に立つ人もいるけれど、後ろから導いて共に歩む人もいると思う。だから周りの人々を助けながら一緒に歩いていくことができる人になりたい。1998年5月27日生まれでもともと子役になる準備をしていた。母から学業にもっと専念して欲しいと言われ、女優の方には行くことができなかった。その後、他の道も考えてみたけれど、芸能界に対する夢を捨てることができなかった。ずっと関心を持って努力し続け、このようにデビューできるようになった。デビュー当時、所属事務所のお姉さんを見て涙を流した。私たちと宿舎生活を一緒にして面倒見てくれた職員のお姉さんがいる。私たちがステージを終えて降りてきたら、そのお姉さんが泣いていた。実は、ステージを終えてもデビューしたことをそれほど実感できていなかったけれど、そのお姉さんを見て涙が出た。メンバーたちとの絆が深まった。練習生の時は互いにレッスンのスケジュールが違ったから、こんなにくっついて過ごすことはなかった。だけどデビュー後は24時間ずっと一緒にいたので、自然と情が芽生える(笑) マネージャーのお兄さんも同じだ。いつもくっついているので情が湧いて有り難さがさらに大きくなった。時代のアイコンになりたい。特にmiss Aのスジ先輩のようになりたい。顔も綺麗で実力も素晴らしい。その上初恋のアイコンや清純の代名詞と呼ばれるように、ある時代を表すことができるという点もまた見習いたい。My name is ヨルム本名は真の「眞」、しとやかな「淑」と書いて、ジンスクだ。真にしとやかに生きていけという意味を込めて祖父がつけてくれた。小さい頃は大人っぽい名前のせいでよく冷やかされたけれど、今はかえって馴染み深い名前でいいと思う。1999年1月10日生まれで、グループの最年少だ。小さい頃、Jewelry先輩の「Superstar」や歌手チェヨン先輩の「二人で」のステージを見て、歌手になりたいという夢を育てた。 (ウンソ:ヨルムはカリスマもあって、ダンスもストリートダンススタイルで踊る。密かに年相応じゃない一面がある)デビューステージは胸が張り裂けそうだった。ステージを終えて涙をこらえようとしたけれど、メンバーみんなが泣いた。一番最初にソラお姉さんが泣いて、その次が私だったみたい。1人が泣き始めると涙が感染って、みんなが泣きだした(笑)実戦ステージは練習とは全く違った。確かに舞台に上がると実力はもっと早く増すようだ。表情の作り方もそうで、動線もメンバーを見ずに一回で合わせることができるようになった。食べる量に比べてあまり太らない。いっぱい食べるけど体はやせている方なので、お姉さんたちはやせた太っちょと呼ぶ。芝居もやりたい。いつになるかは分からないけれど、芝居やバラエティーなど多方面で活動できる人になりたい。やりたい役? tvNドラマ「応答せよ1988」のGirls Dayのヘリ先輩!本当に楽しませてもらった。元々ファンだったのでもっと好きになった。私だけのイメージを作り上げたい。miss Aのスジ先輩やヘリ先輩のように、私だけのキーワード、タイトルを持ちたい。
Vol.1 ― 宇宙少女 Wonderユニット ボナ、ソンソ、ダヨン「My name is...」
My name is ボナ。本名はジヨンだ。知るの「知」に美しいという意味の「娟」と書いて、賢くて美しい人になれという意味が込められている。1995年8月19日生まれでグループでは二番目だ。小さいころ、周りの人たちから芸能人になってみたら?とたくさん言われた。中学校の時に友達と面白半分でオーディションを受けて、それが見事受かった。両親は首をひねりながらも「じゃあ一回やってみたら」と許してくれた。その後、練習生生活を続けた。デビューステージはひたすら楽しかった。正式にデビューする前は、ステージに立てる機会が多くはなかった。あんなに多くの人たちの前に立ったのも初めてだった。緊張もしたけど楽しいという気持ちの方がもっと大きかった。すごくウキウキしていた。女性らしさを担当している。性格が女々しいわけではないけれど、好みが女性らしい。アクセサリーが好きで、服や化粧品も好きだ。ネイルアートにも関心がある。メンバーみんなが疲れて眠っている時でも、私は一人で2~3時間かけてマニキュアを塗って寝る。休日も絶対メイクをする(笑)ダヨンと特別な縁がある。ダヨンがSBS 「K-POPスター」に出た時、放送を見ながら「若いのにすごいな」と思った。歌も上手で話も上手なので「あの子は何をしてもしっかりできるだろうな」と感心していたけれど、その後、事務所で出会うことになった。本当に不思議だった。ロールモデルはmiss Aのスジ先輩。綺麗で気高いイメージがある。私もそのようなイメージで、芝居やCM、バラエティーなど多方面で活動したい。My name is ソンソ(Cheng Xiao)。漢字は中国の河の名前「潇(ソ/しょう)」。河のように澄んでいて深い人になれという意味で、今後さらに多くのことを学び、名前のように考えが深い人になりたい。1998年7月15日生まれで中国から来た。昔からK-POPに関心が高く、韓国のアイドルがすごく好きだった。特に少女時代の先輩方! 中国でダンス教室に通っている時、運良くスカウトされた。だけど実は初めは断っていた。今の事務所から連絡がきた時「今しかない。やろう!」と確信して韓国に来た。デビューステージの時、涙がたくさん出た。緊張していて震えていた。練習でみんなが苦労してきたので、ステージに上がれて感動した。その日ファンの皆さんに初めて会って、それも凄く不思議な気分だった。終わってから誰かが撮った映像を探し、みんなと一緒に見て感嘆した。ニックネームは春麗。デビューアルバム収録曲「CATCH ME」のステージでタンブリングをして、それを見たファンの方々から「ストリートファイター」の春麗(チュン・リー)に似てると言われた。中国で10年ほど舞踊を習ったおかげで、柔軟さとタンブリングには自信がある。グループを明るくする役割を担当している。 (ボナ:まだ韓国語の発音がたどたどしくて、それが本当に可愛くて逆に愛嬌となる。周りの人々を嬉しくする役割だ) (ダヨン:そして綺麗!) ハハハ。私が思う私の長所はメンバーをよく起こしてあげられるということ?(笑)12人全員の名前を広めることが目標。私たちが初めてデビューした時「メンバーの数がとても多い」という反応が多かった。だけど今はメンバーひとりひとりの存在感を刻んでいきたい。ロールモデルはf(x)のビクトリア先輩。私と似ている点が多そうだ。韓国と中国との活動をうまくやっている。私たちもまた、韓国だけでなく色々な国でも積極的に活動したい。My name isダヨン。多いの「多」、映画の「映」と書いて、富貴と栄華を享受する人になれという意味が込められている。私がどれくらい努力するかによることだと思うので、両親が誇りに思う娘になるようにもっと努力する。1999年5月14日生まれ。4才の時から歌手が夢だった。私も知らなかったが、小さい頃に歌手の絵を描いてその下に「私の夢は歌手」と書いていた。それが4才の時のことだ(笑)「K-POPスター」の出場経験がある。すごく小さい頃から歌手になることが夢だった。小学校5年生の時、オーディション番組に出た。故郷の済州島とソウルを行き来するのは大変だった。その時は良い結果じゃなくて、母から歌手の夢をあきらめろと言われた。1年後、母に内緒で「K-POPスター」に志願して、かなり高い順位まで上がった。ソウルで撮影をしなくちゃならなくて、実家が済州島なので、一人で過ごさなければならなかった。その時私は13歳で狭いワンルームで過ごした。デビューステージは上がった瞬間から涙が出た。事務所の人の前ではたびたびショーケースをしたけれど、初めて見る人々の前に立つのは初めてだった。観客の方が拍手して下さり、胸が一杯になった。グッと我慢していたけど、ステージを降りるや否や涙があふれた。ニックネームは金持ちだ。才能ある人、お母さん、やりくり上手、滋養強壮剤など、たくさんある。最近は「お母さんみたいな末っ子」を担当している。お母さんのような面もあって、子供のような面もある。 (ボナ:末っ子なのに健康食品が大好きだ。) ハハ。身体に良いというモノはすべて食べる。汁物が種類別にあるほどだ(笑)ファン・ジョンウム先輩が好き。飾らない姿、気さくな性格がうらやましい。作品の中でもおてんば娘のキャラクターを多く演じてきた。私も性格が似ている。猫はかぶらない方だ。だからすごく好き。作品に出演するたびに上手くいって、誰からも好感を持たれているところも憧れる。
イ・ハユル「My Name is...」
My Name isイ・ハユル。 俳優になって得た芸名だ。漢字では川のハ(河) に流れるユル(汩) と書いて、川の水のように穏やかに流れるという意味を持っている。名前を作ってくれる所に行って付けてもらった名前だ(笑) 6個の候補があったが、この名前が一番先に目に入った。運命だと思う。ハハ。中性的な感じが強くて名前がとても気に入っている。名前のおかげで、人々が僕を簡単に忘れられないと思う。本名はイ・ジョンホだ。KBS 2TVドラマ「星になって光る」で初の地上波主演を務めた。キャスティングの終盤にオーディションを受けたが、運よく作品に出演することができた。初の主演だと思ったら、始める前から特別な気分になった。実は負担が大きかった。主演は中心を取らなければならず、引っ張っていく力が必要だからだ。どうすればより上手く演じられるだろうか、どんな姿を見せればいいだろうかなど色んなことを考えるようになった。イム・ホ先輩のアドバイスがとても力になった。先輩がマインドコントロールをした方がいいとアドバイスしてくれた。撮影に入る前に「僕はイ・ハユルではなく、ユン・ジョンヒョン(役名) だ」と考えた方がいいと言われた。先輩のアドバイスが大きく役立った。視聴率18%を超える夢を見た。そして、本当に18%を超えた。ははは。僕が台本の読み合わせの練習室に入りながら「視聴率18%を記録した!」と叫ぶ夢で、目が覚めてからも嬉しかった(笑) これを監督に話したら1千ウォン(約96円) を僕に渡して夢を買ってくれた。それから間もない頃、本当に視聴率18%を記録した。鳥肌が立つほど不思議で幸せだった。ハハ。初の主演作を成功的に終えたと思う。すっきりした気分だ(笑) 「星になって光る」を始める時、3つの目標があった。視聴率、関係者に顔を知らせること、ポータルサイトの検索語1位がそれだったが、3つともある程度は実現した気がして嬉しい。残念なことがあるとしたら、6ヶ月間一緒に撮影した先生たち、俳優、スタッフともう毎日会えないということだ。みんなとても苦労して、作品のために昼夜を問わず動いた。多くの人の努力がたっぷり詰まったからか、高い視聴率が出てとても嬉しかった。良い成績を得て皆の労苦が補償された感じがした。特別な縁のおかげで俳優としてデビューすることになった。今の代表は高校の先輩だ。本当に親しくて兄さんと呼んでいる。ハハ。23歳の時、軍隊を除隊する頃に最後の休みをもらって外に出た。当時、僕の携帯電話は利用停止していたので、父親の携帯電話を持って出かけて遊んでいた。父親の携帯電話に知らない番号から電話がかかって来た。電話に出たら、今の代表の兄さんだった。うちに電話して番号を教えてもらったと言われた。電話を終えたら、兄さんがすぐに僕を訪ねてきて「演技をしてみるのはどう?」と俳優の道を提案した。除隊を控えた時、男は皆同じことを考える。「除隊したら、外に出て何をすればいいんだろう?」だ。ハハ。軍隊で将来を決める人が多いと思う。僕もちょうど悩んでいた時に甘い提案が入ってきた。結局、両親と数日を悩み続けた末に俳優の道を歩むことにした。父親の反対が激しかった。父親は長い間職場生活をした人なので、僕にいつも安定的な職場を持った方がいいと言っていた。でも、皆が知っているように俳優という職業はチャンスと運がついてこなければならない。スポットライトを浴びないと、やりたくてもできないこともある。父親は僕に3年という時間をくれた。その期間内に目標にしたことを成し遂げられなかった場合、両親としての支援を切ると言われた。幸い、広告からドラマまで様々な作品に出演して良い反応を得た。今は両親がたくさん支持してくれている。特に、父親は毎日モニタリングをしてくれて、母親よりもっと熱情的に僕を手伝ってくれる。うちの父親が変わった。ハハ。デビュー作だったMBC「深夜病院~傷だらけの復讐~」を考えると、コンテストで賞を受賞した気分だ。俳優の道を決心した後、1年間演技の勉強に専念した。それから正確に1年後、すぐ「深夜病院~傷だらけの復讐~」にキャスティングされた。今考えても嬉しくなるほど、その時はすごく嬉しかった。ずっと笑いが止まらなかった。熱心に勉強してコンテストで賞をもらった感じだった。ハハ。カメラの赤いランプがついた時に流れる静寂が好きだ。撮影直前はいつも慌ただしい。スタッフ全員がワンシーンのために全力を尽くす。そのうち、カメラの赤いランプがついたら静寂が流れる。その静けさが大好きだ。これを喜びと言うのかな? ハハ。その時は完全に集中して没入するようになる。演技の魅力を聞く質問にはいつもこの静けさが好きだと答える。本物を演じたい。演技というのは自分を見せつける作業なのでぎこちなくて恥ずかしいこともある。まして、自分ではなく、誰かを見せつけることはよりぎこちないかもしれない。そのぎこちなさを取り捨てて見ている人々を笑わせたり、泣かせられるのは完全に自分を信じることにかかっている。自分は本物だと信じて演じてこそ、見る人も本物だと信じられるからだ。キャラクターの行動を本当に自分の行動のように演技するためには、まず自分自身を信じなければならない。本物を演じようという初心を持って本物のように演じるために努力している。意地を張る部分がある。 長所とも言える部分だ。できるまで挑戦する方だ。周りから何と言われても、どんな劣悪な環境でも、与えられたことは無条件に達成しようとする。そのおかげで、責任感も強くなる気がする。演技生活にも本当にたくさん役立つ。もし、長い台詞を消化しなければならない時はご飯を食べながらも、トイレでも台本を見る。本物になるまでやる。30歳になってようやく大人になることを感じた。20代とは感じがまったく違う。その前までは軍隊に行ってきたら大人だと思ったが、30歳になってようやく大人というものについて分かるようになった。言葉一つ、行動一つに注意するようになった。将来についても具体的に考えるようになった。それでも、まだ子供だ。ハハ。健康で初心を失わない30代を描いていきたい。本物の演技をするような30代になりたい。今後、多くの難関を乗り越えていく僕自身への応援?最善を尽くそう。最善を尽くしていると、今は最高じゃなくてもいつかは最高になると信じている。ハハ。一人で言い聞かせていることなのにこうやって話すのは恥ずかしい(笑) 最高になった僕の姿を両親に見せたい。
アン・ヒョソプ「My name is...」
My Name is アン・ヒョソプ。父が付けてくれた名前だ。漢字では親孝行のヒョ(孝)に炎のソプ(燮)と書く。1995年4月17日生まれだ。あれ、名前を検索すると誕生日が記録されてないって? 本当だ。どうしてなんだろう(笑) 家では末っ子だ。6歳年上の兄さんと4歳年上の姉さんがいる。兄さんと姉さんはどちらも勉強が得意だったからか、両親から芸能界に入っても勉強は続けるようにと言われた。1学期は休学したけど、現在大学(国民大学)で国際経営学科を専攻している。カナダで10年ほど暮らした。7歳の時に家族がカナダに移民に行ったが、17歳で韓国に戻った。カナダは静かで面白くない(笑) 韓国に来てカナダが恋しくなった時があったけど、今は韓国が僕の家のようだ。(カナダで)高校1年生まで過ごして、韓国で同年代の友達と一緒に学校に通いたくて清潭高校1年にもう一度入った。だから韓国にも友達が結構いる。夢がすごくたくさんある。17歳の時にJYPエンターテインメントに入って2年半ほど練習生として過ごしたが、自分の道ではないと思い始めてきた。その後、今の事務所(Starhausエンターテインメント)にいる仲の良い室長から「話し合いでもしてみる?」と言われて、会ってみたら縁が繋がり、Starhausに入ることになった。最初から俳優になろうと思っていたわけではないけど、幼い時から映画やドラマを見ながらいつか僕も映画やドラマに出てみたいと思った。俳優になったら色んなことに挑戦してみたい。音楽も大好きだ。歌の実力はそれほど悪くない(笑) ONE O ONE(クァク・シヤン、ソン・ウォンソク、クォン・ドギュン、アン・ヒョソプで構成された俳優グループ)というプロジェクトグループを事務所から提案された時、演技だけではなく歌を通じて違う姿も見せることができると思い、嬉しかった。できる楽器? ピアノとギターだ。幼い頃に習ったのでバイオリンも弾ける。バイオリンはアマチュアの実力だけど、楽譜を見ながら演奏できるくらいだ。MBC「ポンダンポンダン 王様の恋」がドラマデビュー作だ。宮廷で遞兒職(チェアジク:朝鮮時代の契約社員)として登場するけど、後になってパクヨンという人物を演じた。初めての作品なので大切だが、一方では心残りもある。緊張して感情移入が上手くできなかった。振り返ってみるとそのような点を残念に思っている。実は、本放送をまともに見れなかった。僕が登場するたびに耳を塞いで見られなかった。ぎこちないこともあって、不思議でもあって、面白かった。自分の姿に慣れなかった。再放送で見た時も僕が登場すると停止して、深呼吸してから再生したりした(笑)撮影現場で皆さんが優しくしてくださった。監督、先輩とスタッフの方々が、僕が早く撮影現場に慣れるように力になってくれた。特にキム・スルギ姉さんと一緒に撮影するシーンが多かった。姉さんが色んな方法を提案してくれて、色んな方向に試みることができた。アクセントもそうでしたが、枠にはまらず多様な方法でやったら、相手がどう受け止めるかについても教えてくれた。短簫を吹くシーンを撮影する時は楽しかった。短簫が吹けなかったので、撮影1時間前に指だけでも合わせるために吹く方法を習った。撮影に入った時は皆が集中していた状況で九九を唱えるリズムに合わせて短簫を吹かなければならなかったが、変な音しか出なかった。こらえていた笑いが吹き出て、たくさんのNGが出た。幸いにも編集してくださったので、自然に演奏しているように見えた。エンディングクレジットにはそのシーンがNGとして流れる(笑) NGを出したシーンの中でまだ気になっているものもある。スルギ姉さんが危険にさらされた時、先に馬に乗せた後に「行け」という台詞があったけど、その日によって台詞が上手く言えなかった。寒かったからか、発音練習が足りなかったからか、寒い日だったのに続けてNGを出したせいで皆さんに申し訳なかった。僕の魅力は親和性があることだとよく言われる。相手の話をよく聞こうとして気楽にしてくれる面があると言われる。普段は気さくな性格だ。一つのことにあまり捕らわれず、辛いことがあってもすぐに忘れる方だ。ビジュアル的な魅力は身長? 目? ハハ。自分で言うのはちょっと恥ずかしい。目が一番気に入っている。似ている人は、両親の中では母親!(笑) 芸能人の中では、最近キム・ウビン先輩やパク・ソジュン先輩、キム・ヨングォン先輩に似ていると言われたことがある。普段は音楽をよく聞く。R&Bソウルやジャズ、クラシックが好きだ。最近はクリスマスシーズンだから(インタビューは2015年12月22日に行われた)、シーズンを感じたくてクリスマスソングを頻繁に聞いている。マイケル・ブーブレ(Michael Bublé)の「All I Want For Christmas Is You」のような曲だ。春、夏、秋、冬の季節ごとに歌を分けて聞く。春は明るくてテンションが上がる歌、夏は涼しい感じの歌、秋は憂鬱な曲もたくさん聞いて、冬はクリスマスソングを聞く。以前はメロディーやビートだけを聞いていたが、最近は歌詞も聞こえてきて、歌詞を感じながら聞く曲はまた違う感じがする。(―自分で歌詞を書いたこともあるのか?) 歌詞じゃなくても、思いついたことがあったら携帯のメモ帳にすべて書き留めておく。気分がいい時や見た映画が印象深かった時、チキンがとても食べたい時などだ(笑) これは少し恥ずかしい話だが、「本当に美味しいチキン、どうして大根は持ってこないんだよ!」と考えて、後からチキンを愛という単語に変えた。それを後で見たら、話がスムーズに流れた。ハハ。メロディーも思いついたら録音しておく。すべて自分が好きでやっていることだ。ブラッドリー・クーパーとロバート・ダウニー・Jrが好きだ。2人とも自由でやんちゃな面がある俳優だ。一方、セクシーでかっこいい魅力もある。映画「ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」を見ればどんな感じなのかぐっと来る。「アメリカン・ハッスル」も本当に面白くて、「アイアンマン」も好きだ!目標は決めておかない。欲張りだが、今に忠実な方なのですぐに大きな成果は求めない。着実に練習して現場の経験を積み重ね続ければ、ある瞬間自然に成長していると思う。だから約3年後にはテレビで僕を見た時、ただ「アン・ヒョソプだ」ではなく、役に入り込み、よく溶け込んでいる俳優に見えてほしい。初心を忘れないようにしている。新人だからこう考えるのは当然だろうが、謙虚に、相手を配慮して、すべての人が僕と一緒に仕事している、お互いに相互作用をしながら進んでいくという考えを常に持とうと思っている。僕が上手いから上手くいくのではなく、一緒に頑張っているから上手くいくという考えを忘れないつもりだ。この気持ちはずっと持ち続けなければならない。やあ、ヒョソプ。今回、「ポンダンポンダン 王様の恋」でパク・ヨン役で初めてドラマに出演したじゃん。そう、初めてだったのにご苦労さま。でも、お前はすべての方々に本当に感謝しなくちゃいけないよ。知っているだろう? 2016年も頑張ろう。明けましておめでとう。(―自分に送るメッセージをこんなに躊躇わず言う人は初めて見た!) ハハハ。
キム・ミンギュ「My name is...」
My Name is キム・ミンギュ。両親が付けてくれた名前だ。秋の空ミン(旻)に星のギュ(奎)と書く。空にぽつんと輝く星という意味が込められている。ある面では良い意味だが、ある面ではぽつんと輝いているのが寂しく思える。家でも一人っ子だから!似ている俳優がたくさんいるって?(笑)イ・ヒョヌ先輩、パク・ボゴム先輩、チ・ジニ先輩、キム・ウビン先輩、コン・ユ先輩まで、一人だけではなくたくさんの先輩に似ていると言われた。嬉しいし、感謝したいことだ。でも、(前髪を上げたり下ろしたりして)前髪を上げた時と下ろした時のイメージが違う。上げると年を取って見えて、下ろすと年相応、22歳に見える。 (―話をしてみたら、声がとても低い。) 皆、最初は僕の声がこんなに低いとは思ってないようだ。普段は(低い声で)こんな声だけど、気分が盛り上がるとハイトーンになる。(スタジオが吹っ飛びそうな大声で)おい! こうやって(笑)千戸洞(チョンホドン)イケメンと呼ばれたのは俳優を準備していた二十歳の時だ。友人たちと待ち合わせをしていたある日、8人集まる約束だったが、3人しか来てなかった。だから、まだ来ていない友人たちに見せようと「今、千戸洞に3人しか来てないから早く来い」と言う姿を動画で撮影し、YouTubeに掲載した。その、動画を掲載してから、携帯が鳴り続けた。意図したことではなかったけど、多くの方々が僕の映像を見て、嬉しいことに千戸洞のイケメンと呼んでくださった。その当時、道を歩くと僕のことに気づいてくださる方が多くて嬉しかったけど、早く作品に出演したいと思った。KBS 2TV「恋するジェネレーション」がデビュー作だ。セガン高校の水泳部の一員だった。その時、同じ水泳部だったナム・ジュヒョク、イ・ガンミン兄さん、ユ・セヒョン兄さんと仲良くなって、撮影が終わっても一緒にサイクリングに行ったりした。最近ジュヒョクとカンミン兄さんは撮影中なので、それが終わったら会う約束をした。あ、セヒョン兄さんとは昨日会った。「ドキドキ仮想恋愛」に特別出演してくれたし。ウェブドラマ「ドキドキ仮想恋愛」で一人芝居をした。一人で演じることがこんなに大変なことだと知らなかった。今回の作品を通じて、これからもっと演技の勉強をしなければならないと思った。相手と息を合わせながら演じるのではなく、カメラを見て演じなければならなかったので大変だった。女性の代役の手を見た後、その方の目ではなく後ろにあるカメラのレンズを見なければならなかったのに、無意識に女性の方を見てしまった。それにカメラのレンズはガラスなので、僕の目が映る。本当に変わった経験だった。「ドキドキ仮想恋愛」に出演してから学生たちに知ってもらえたかどうか分からない。家にばかりいるので(笑) 家で猫のシアンと遊ぶ。ロシアンブルーという品種から付けた名前だ。本当にカッコいい。世界で一番綺麗な猫だ! 座っている時はまるで人間のようだし、雑誌の表紙モデルのように本当に綺麗だ。映画「チェイス-夜明けまで走れ-」を撮影しながらたくさん学んだ。「恋するジェネレーション」を終えて撮影に入った作品だ。キム・スンウ先輩とキム・ジョンウ先輩、そしてVIXXのヒョギ兄さんが出演する。僕が演じた役はテヨンという高校生だ。無口で意見も言わないし、友達に言われるままにするキャラクターだ。無口な役なので、台詞が少なく、最後に印象深いシーンがあった。どうして彼が無口で静かになったのかについて打ち明けるシーンだったが、審議にかかり、撮影できなくなった。残念ではあったが、今回の映画に出演しただけでも嬉しかったので大丈夫だった。撮影の最後の日に「お疲れ様でした」と挨拶した時は涙が出そうだった。大田(テジョン)で何ヶ月も寝泊りして家族のように過ごしたからかな。人々が言う僕の魅力は笑顔と、人見知りをしないことだ。初めて会った人にも親しく接するので「自分の味方にする魅力がある」と言われた。自慢ではないけど(笑) 僕は人が好きで、幼い頃から今まで誰かを嫌いになったことがない。すべて両親が立派に育ててくれたおかげだ。でも、人見知りでもないのに、バラエティ番組に出演した時は本当に緊張した。KBS 2TVバラエティ番組「ホドンの芸・体・能~めざせ!ご当地スポーツ王」に出演した時は、本当に緊張してまともに話せず、ずっと黙っていた。一生懸命泳いできた。意欲はたくさんあるけど、あまり表現しない。親和力がある性格とは正反対かもしれないが、好きなことがあってもあまり言葉で表現しない。大変なことがあっても一人で我慢する。仲の良い友人たちには気楽に話すけど、それほど多くない。心に残っている言葉は、うーん僕のInstagram(写真共有SNS)にも投稿したことだけど「Let your desires be ruled by reason(欲望を理性の支配下におくこと)」だ。この言葉がすごく好きだ。それと、ある日、友人に投げかけた言葉だが「He can do, she can do, why not me?(彼にも彼女にもできて、僕にできないわけがない)」も。チョン・ウソン先輩とファン・ジョンミン先輩が好きだ。いつかきっとチョン・ウソン先輩に会って、その驚異的なオーラを感じてみたい(笑) 本当にカッコいい! それに、これまでの人生の中で一番好きな作品が「傷だらけのふたり」だ。ファン・ジョンミン先輩が演じた役のように、深みのある恋愛演技にも挑戦してみたい。演じてみたい役が最近一つできた。映画「ベテラン」でのチョ・テオ(ユ・アイン)のような悪役だ。欲張りすぎたかな(笑)常に笑顔で、謙虚でありたい。常に笑顔で常に謙虚な人になりたい。そうやって一生懸命頑張れば、いつかある程度の地位にいられると思う。でも、笑いすぎると目元にシワができる(笑)
Vol.5 ― UP10TION シャオ、ウシン「My name is...」
My Name is シャオ。中国語で小さいという意味だ。また別の意味には末っ子と笑いがある。本名はイ・ドンヨルで、漢字では東のドン(東)に熱いヨル(熱)と書く。東を輝かせるという意味だと思う。言葉が訛っている理由は、釜山(プサン)出身だからだ(笑)幼い頃からステージに立ったり関心を受けることが好きだった。テレビでTEENTOP兄さんたちや他の先輩たちのステージを見ながら「僕もあんな風に多くの人に愛されたい」と思った。それで一人でダンスを踊ってみたり、コミュニティ活動をして、そこに自分の写真を掲載したことがある。(メンバーたち:オルチャン(ネットで話題の美男美女)!?) 違う! 歌手志望生のコミュニティに写真を掲載したが、それがきっかけでスカウトされて事務所に入るようになった。デビューショーケースの時母と父、そしてファンたちが見に来てくれて、すごく嬉しかった。ショーケースが終わってからインターネットで検索してみたら、僕たちの姿が出てきてとても不思議だった。ただ、夢のようだった。今はデビューしたことを少し実感しているが、まだ少し1位になれたら実感が湧くと思う。(メンバーたち:お~!)グループでの役割は末っ子だ。 (メンバーたち:可愛さ、子犬の役割も担当している! ファンヒ:僕も同じ1998年生まれの最年少だけど、僕がシャオに譲った(一同笑)) 宿舎で僕はジンフ兄さんの世話をする役割を担当している。ジンフ兄さんの洗濯を僕がして(一同爆笑)、ジンフ兄さんが散らかしておいたものを僕が片づける。 (ジンフ:物干しが僕のものじゃん~洗剤は僕が買ってあげるじゃん~) とにかく、そんな役割を担当している。 (ジンフ:金銭的な部分を僕が負担するから僕は父親で、自分は洗濯などをするから母親だと言っている。ウェイ:2人は2段ベッドを使っていて、その間の関係がそうだ(笑))休みの日は外に出て遊ぶのが好きだ。仁川(インチョン)にいとこが住んでいて、友達と遊びに行ったり、一日だけ釜山に行ってくることもある。スケジュールを終えてから行ってきたこともある。 (ジンフ:シャオに「今日、(釜山に)行かなくちゃいけません」と言われると。ソニュル:僕たちは「分かった。楽しんできて~」と言う)TEENTOP先輩たちを尊敬する。初めてダンスを見て練習したのがTEENTOP先輩のステージだった。先輩たちの映像をたくさん見て真似した。そして、神話(SHINHWA)先輩も尊敬している。アンディ隊長、最高!シャオを表現する3つの単語は末っ子とヒョトゥンテンイ(舌デブ)、そして人間ビタミンだ!(笑)やあ、シャオ。デビューしてから今まで上手くやっていると思う。10人のメンバー全員が喧嘩せず、力を合わせて頑張って必ず1位を獲得しよう。そして、神話先輩たちのように長く活動する歌手になろう。いつかカッコいい車を買って、10人で一緒に遊びに行こう!(一同笑)My Name is ウシン。時間が経つほど神秘的な人になりなさいという意味だ。デビューの時につけてもらった名前だ。本名はキム・ウソク。困った人に手を差し伸べ、優しさを施しなさいという意味が込められている。分け合う性格なのかと聞かれると(笑) (クン:所有欲が強い奴だ) 食べ物やプレゼントにおいては分け合うのが好きだ (ジンフ:メンバーたちの誕生日に一番気を使う。仲間には本当に気を配る方だ) 人に対しては所有欲が強い方だ。メンバーたちは皆好きだ。ウェイのように歌手になろうと思って練習したわけではない。最後まで悩んでいた時に、TEENTOP先輩たちのステージでダンサーとして踊る機会があった。その時にファンたちの歓声を聞いて「この仕事が僕の仕事なんだ」と思った。僕がカッコいいと思った時は、ファンの前に立った時だ。愛されている感じがする。愛された時に自らカッコいいと思うようになるようだ。グループでは赤い髪を担当している。1枚目、2枚目のミニアルバムの活動の時に赤い髪だった。次は何色にするのかまだ決めていない。3枚目の時も赤い髪にしようかな?(笑) 宿舎では一人で部屋を使っている。もともとギュジンと一緒に使っていたが、夏の時に熱くて他の部屋で寝て、ギュジンも他の部屋で寝るようになった。冬になって僕は僕たちの部屋に戻ったけど、ギュジンは戻ってこなかった。だから今は一人で部屋を使っている。すごく楽だ。 (クン:近いうちに宿舎で部屋を変える予定だ) でも、一緒に使っても構わない。故郷が大田(テジョン)だから友達がソウルにあまりいないので、ソウルで休む時はただ寝ている。それ以外の時間には映画を見る。ウェイのように映画館に行くのはあまり好きではないので、家でVODを見る。 (ウェイ:家で映画を見るたびに僕が「映画は映画館で見ないと」と言う)尊敬しているアーティストはパク・ヒョシン先輩だ。中学1、2年生から好きだった。最初は他の歌手が好きだったけど、親友がパク・ヒョシン先輩が好きで、一緒にいたら動画を見るようになった。だから僕も大ファンになって一緒に動画を探して見たりした。歌手という仕事に関心を持たせてくださった方だ。「Gift」が一番好きだ。先輩の曲の中でよく歌う曲は僕は先輩の曲は歌わない。ただ聞いて喜ぶ。尊敬している。ウシンを表現する3つの単語は赤い髪(しばらくの間悩んでいる様子) 何があるかな? (メンバー一同:ビジュアル!、シャオ:絵描き! 絵が本当に上手い!)生きることは塞翁が馬(人間の禍福は日々変化するので、予測することはできないものだ、という意味の諺)だ。辛いことがあっても頑張れ! ファイト!
Vol.4 ― UP10TION ギュジン、ビト「My name is...」
My Name is ギュジン。二十歳になったばかりだ。未来型童顔ギュジンだ(笑) 星のキュ(奎)に木のジン(軫)と書き、星のように前進しなさいという意味が込められている。本名はハン・ギュジン。星のキュ(奎)に宝物のジン(珍)と書く。ファンヒと一緒に本名を使う唯一のメンバーだ。中学校の時にダイエットをした。中学2年生から3年生まで110kgで、ズボンが合わなくなって3ヶ月で40kg減量し、父の勧めでダンススクールに通った。ちょうど年末のフェスティバルがあって、ステージに立つ機会があった。その時、僕だけに送ってくれた歓声ではなかったけど、その歓声を聞いて喜悦のようなものを感じた。その時から歌手という職業に関心を持つようになった。その後、2回にわたる事務所の非公開オーディションに合格し、UP10TIONとしてデビューした。デビューする前はこれで終わるのかな、デビューできるのかなと不安が大きかったけど、デビューして安心した。もっと頑張って父と母が誇りに思う息子になりたい。グループの中でどこか抜けているキャラクターを担当している。 (ソニュル:ホダン(しっかりしているように見えるが、どこか抜けている人)!、シャオ:シャオのお父さん! 僕の保護者だ(笑)) シャオは僕の可愛い弟だ。宿舎ではソニュル兄さんの人形として生きている。尊敬するアーティストはイム・チャンジョン先輩だ。地元が同じで二村(イチョン)出身だ(笑) イム・チャンジョン先輩は俳優としても歌手としても活動している。だからなのか、歌詞から真心がにじみ出ている。先輩のように歌詞に魂を込められる歌手になりたい。休む時は二村(イチョン)の実家に帰る。ソウルから近いから。3兄弟だから帰ったら弟たちと一緒に遊ぶ。ネットカフェに行ったり、公園でサッカーをしたりする。ギュジンを表現する単語はまゆげだ。(クン:キュピット!、ソニュル:キューピットとギュジンを合体した言葉だ!) じゃあキュピットもジンフ兄さんが作ってくれた単語だ。そしてムンチクン兄さんがドンチで僕はムンチだ。僕たちは普通の人より1.5倍の骨太のメンバーだ。やあ、ギュジン。未来の僕もどこか抜けている人なのかもしれないけど、これからも両親と家族、そしてメンバーたちにとって誇らしいギュジンになろう。ファイト!My Name is ビト。肥沃な土地という意味だ。英語で書くとBEAT TOで「ビートのあるリズミカルなアーティストになりなさい」と意味でつけてもらった名前だ。本名はイ・チャンヒョン。聡明に賢く生きろという意味だ。小学校6年生の時に地元で開催した大会で踊った時に人々が歓声をくれるのを見て喜びを感じた。その時からダンスを始め、ダンススクールでスカウトされた。事務所で1年半ほど練習生生活をして、UP10TIONでデビューした。デビューして実感できなかったけどステージに立った後、デビューしたばかりなのに僕たちを見に来てくれた方々がたくさんいて、応援してくれる方々がたくさんいて驚いた。ステージでは僕のパートを歌う時が一番カッコいいと思う(笑)グループでダンスを担当している。メンバーたちのダンスも僕が練習させる。 (クン:踊らない人を嫌う) 一番嫌いだ(笑) 僕たちのグループの皆がダンスが上手いかって? (ファンヒ:そうだ! 皆上手いぞ! (一同爆笑)、ソニュル:謙虚になれば認めてくれるよ~) 一生懸命に頑張っている。振り付けでミスが見えないように上手く隠している。宿舎では(メンバー一同:老人だ!、ファンヒ:ナマケモノだ!) 動くのを面倒くさがるので、ほとんど動かない。 (クン:ダンスは好きなのに) 踊る時に激しく動くから(笑) それから僕は食欲と睡眠欲が強いので、オフの日は食べて寝る。特に何かをするわけではない。食べる時に一番気分がアップする。小麦粉の料理はみんな好きだ。ご飯以外で、だ!小学校6年生の時にRAIN(ピ)先輩が大好きで毎日先輩のダンスを真似して踊っていた。最近は音楽活動を休んでいるので今はTEENTOP先輩が好きだ! 特にTEENTOPのL.JOE先輩が好きだ! ステージで歌う時に漂うオーラが本当にカッコいい。ビトを表現する単語は帽子、ほっぺの肉のせいで餅、そしてダンスだ。やあ、ビト。今まで頑張ってきたので、これからももっと頑張りなさい! これからも上手くいくから一生懸命頑張って。他人から悪口を言われる人にならないように!
Vol.3 ― UP10TION ソニュル、ウェイ「My name is...」
My Name is ソニュル。「美しい旋律(韓国語でソニュル)で人々を感動させる」という意味だ。本名はソン・イェイン。漢字では明るいイェ(叡)に善良なイン(仁)と書いて、明るくて善良な人になるという意味を持つ。デビューした時は実感が湧かなかったのも事実だがそれよりプレッシャーが大きかった。練習生の時はミスをしても練習して上手くなればいいが、ステージの上ではミスが許されないから、そんな部分でプレッシャーを大きく感じた。グループでの役割は(あちこちから「お母さん!」と叫ぶ声が聞こえる中) お母さんと言うとお世話をするイメージがあるが、僕は小言をたくさん言う気がする。ウェイとはタイプが少し違う。僕は「少し管理した方がいいよ~」「少し痩せなよ~」 (ウェイ:僕は「管理して!」と強く言う) 「○○した方がいいんじゃない?」「そうした方がいいんじゃないの?」と言うタイプだ。宿舎に帰ったら、布団の外はとても危ないからいつも布団の中にいる。布団の中が一番気持ちいい。休む時も布団から出ない。外出する時はやることを全部処理する。例えば、銀行に行かなければならないことと買わなければならないものがあったら、銀行に行って買うべきものを全部買ってから帰ってくる。オフの日の大部分をただ家で自由を満喫することに費やすのが好きだ。コンビニなどで食べ物をたくさん買って布団の中で食べる。退屈になったらリビングを一緒に使っているギュジンと話したり、携帯電話を見たりする。ユンナ先輩を尊敬している。ユンナ先輩の歌を他の人がカバーして歌っても、その感じがぐっと来ない。独特の歌声とユンナ先輩だけの雰囲気があるようで本当に好きだ。幼い頃、ユンナ先輩がピアノを弾き語っているのを見て魅了されて、歌手になりたいと思った。当時、周りに何もない田舎に住んでいたが、小学校4年生か5年生の頃、テレビで先輩の姿を見た。そして、中学校3年生の時、オーディションを受けたいと言って母親に「勉強せず何を考えているの?」と怒られた。でも、高校2年生の時、母親から「(オーディションに)出てみて」と言われて、Mnet「SUPER STAR K5」に参加した。そこでスカウトされて、ソウルに上京してきた。ソニュルを表現する3つの言葉はスペクトルお母さん高音だ。光の反射で様々な色が出るように、僕もそうだ(笑) そして、お母さんはメンバーたちからたくさん言われる言葉だからだ。高音は僕が熱心に頑張って身につけたものだ。もともと声が高い方ではあったが、最初は2オクターブまでしか出せなくて、事務所から評価を受ける時も不安定な音を出すことが多かった。でも、努力して高音を出せるようになった。 (ウェイ:オーディションの時、ソニュルがIU(アイユー)先輩の「Someday」を歌った。「うちの事務所で女の子を選抜するのかな?」と思った。最初はショックだった) 僕は少し変わったタイプだった(笑)やあ、ソニュル。いつも不安がらず、熱心に頑張って上手くいってほしい!My Name is ウェイ。漢字では立派なウィ(伟)と書いて、中国語でウェイと発音する。大きい盛んだという意味と、英語のWAY道という意味をすべて込めた。立派なミュージシャンの道を歩む音楽業界を輝かせる人になるという意味だ。本名はイ・ソンジュンで、漢字では察するソン(省)に準じるジュン(準)と書く。ソウル出身だ。事務所に入った時は歌手になりたいと考えていなかった。幼い頃、CMを撮ったり、子役として活動したことがあったが、通っていた演技教室に事務所の理事が来て、試験を受けた。演技力は不足していたけど、ナマケモノなどの動物を真似したのに合格した。その時はとても幼くて、両親から経験になるから一度やって見てもいいと思うと言われて事務所に入った。ダンスも、歌も、ラップも下手だった、演技だけ経験があったチビが100%の兄さんたちの下で育ちながら、一緒に練習して基本技のレッスンを受けた。練習生生活は5年間で、メンバーたちの中で一番長い。その次はジンフ兄さんとコギョル。4年間、練習生だった。デビューした時は信じられなかった。本当に信じられなかった。100%の兄さんたちがデビューした時、ジンフ兄さんとコギョルと一緒に見ながら「わあ、兄さんたちが出てきた」「不思議だ」「僕たちもあんなミュージックビデオを撮るよね?」「地面が砂で大変そう」と話していたら、「So, Dangerous」の時、僕たちが砂の上でミュージックビデオを撮影した。感無量で、特別な感じがした。グループの中での役割は長身かな?肉体的に表現すれば長身で、ソニュルがお母さんを担当しているけど、僕も小言が少し多い方だ。 (ジンフ:事務所の考えと一致することが多いメンバーだ。僕たちがこっそり「こんなことしてみる?」と言ったら、ウェイは「ダメだよ。それは違うだろう」と言う) もちろん、僕もメンバーたちの気持ちを理解している!(一同爆笑) 練習生として長い間事務所にいたから、事務所とメンバーたちの間に挟まっている気がする。両方を見てきているから、自分でも知らないうちに体がそっち(事務所側)に反応してしまう。宿舎で僕の役割は小言だ。一番大きな部屋をビト、ファンヒと使っているが、この間、ビトが掃除をしていなくて「最近ちょっと汚い」と言った。その時、ビトが体の調子が悪かったのを知らずに (ファンヒ:でも、本当に酷かった。部屋の中にスペースがないぐらいだった。歩けない状態だった!) 「これは少し片付けた方がいいだろう」と言ったら、ビトも悪いと思ったのか「早く治してすぐに片付ける。誓う」と言って、治ってからすべて片付けた。それから、化粧室を僕たちの部屋の3人とウシン、ギュジンという5人で使っているが、ウシンが少し長い間使っていると「早く出て。他のメンバーも使わなきゃいけないから」と言う。丁寧に使っていることは分かるが、他のメンバーまで時間が押されてしまうからそう言うようになる。それに、僕が化粧室の掃除当番なので、ギュジンがコットンを使って化粧室に置いて出てきた時は「どうして捨てなかったの?」と言う(笑) (ジンフ:ウェイは繊細だ!)オフの日は溜まった映画をたくさん見る。僕は「映画は映画館で見なければならない」という主義だ。もし、休みが2日間であれば、朝に映画を一つを予約して、夜にもう一つ、事務所に来る前にもう一つ映画を見るような感じで、ずっと見続ける。お正月には「レヴェナント:蘇えりし者」と「華麗なるリベンジ」を見て、メンバーたちと「カンフー・パンダ3」を見た。お正月はそんなにたくさんは見なかった。尊敬するアーティストはマイケル・ジャクソンだ。 (ファンヒ:本当に好きだ!) マイケル・ジャクソンが死んだ時、母親がすごく泣いていた。あれほど泣く姿はほとんど見たことがなかったので印象深かった。母親がどうしてそこまで好きなのか知りたくて探して見たら、僕も深くハマった。ダンスとラップの実力が伸びなかった時、母親が見習わなければならない人だと言ってくれて、より熱心に見た気がする。ウェイを表現する単語は食いしん坊だ。ご飯を3杯食べて、ピザをホールで2枚ぐらい食べる。 (メンバーたち:それなのに太らない!) そして演技、最後は柱(身長のため)だ!やあ、ウェイ。いつもお前と色んな会話をしている。そう、独り言も多かった。最近、とても疲れていることは知っているが、お前だけ疲れていると考えず、メンバーたちを信じて一緒に頑張ってみよう。
Vol.2 ― UP10TION コギョル、ファンヒ「My name is...」
My Name is コギョル。僕たちが知っているコギョル(高潔)だのような、性格がまっすぐだという意味だ。本名はコ・ミンス。漢字では敏捷なミン(敏)に秀でるス(秀)と書いて、敏捷で秀でた人という意味を持つ。 (ジンフ:バスケが得意だ。昨年「アイドル陸上大会」で優勝した!) 実は僕は体よりも頭が早く回転する方だ。状況判断が少し早い。 (ジンフ:メンバーたちが何かを悪いことをして怒られていると、コギョルは「僕はあんなふうにしてはいけない」と思って静かにその場を離れる。こんな頭が本当に良い) その通りだ(笑)幼い頃、母親に芸能人になりたいと言ったら、「あなたみたいな人は江南(カンナム)に行ったらいっぱいいる」と言われた。母親のその考えを変えたかった。そのうち、ボーカルスクールでスカウトされて事務所に入ることになった。デビューする前両親が周りの人に「息子さんはいつデビューするの?」とよく聞かれたという。僕がデビューしてテレビに出たら、周りの人はもっと不思議がるし、母親はすごく喜ぶ。デビューしてから母親が幸せそうなのですごく嬉しい。今回、お正月に家に帰った時、そんなことをより深く感じた。叔母たちも本当に喜んでくれた。テレビに僕が出たら、テレビショッピングなどでフライパンを買いたくても母親から「(コギョルが出るから)チャンネル変えないで」と言われて買えないと言われた(笑)グループでシルム選手の役割を担当している。(ウェイ:今回も「アイドル陸上大会」を通じて新しい才能を発見した!) シルム(韓国伝統の格闘技、日本の相撲に似ている)の才能があると思う。 (ジンフ:また、性格がしっかりしている! 僕たちはなかなか言えない気まずい話も、コギョルは「これは違う」と思ったらはっきり言う。 ソニュル:上手くまとめて話す!) メンバーたちが話してくれた通りだ(笑)宿舎に一番最初に入ってシャワーを浴びて一番先に寝る。(クン:カビゴンだ) クン兄さんと一緒に2段ベットを使っていて、クン兄さんは下段を、僕は上段を使っている。それでクン兄さんに「電気を消して」とか、「ドアを閉めて」とお願いする。 (クン:それが僕の役目だ。消灯!(一同笑)) メンバーが部屋の前を通り過ぎる時も「早く来て。急いで」と呼んで「電気を消して」とお願いする。 (ファンヒ:僕が向こうにいた時も「ファンヒ~ファンヒ~」と呼ばれて行ってみたら「電気消して」と言われた(笑)) 家では末っ子で、姉にやられたことを宿舎でそのままやっている。TEENTOPのNIEL先輩を尊敬している。NIEL兄さんのソロ活動の時にバックダンサーを務めたが、僕と一緒にステージに立ったダンサーはみんなNIEL兄さんに魅了された。一人で踊って歌う姿が本当にかっこよかった! NIEL兄さんのようになりたいと思った。それから、面倒をよく見てくれる!(笑)コギョルを表現する3つの単語は、堂々、そして自分も知らない才能がいくつかもっとあると思うから潜在力。また、僕は未来が期待できる人だと思うから有望株だ!やあ、コギョル。練習生の時、大変だったはずなのに、よく我慢してメンバーたちとデビューして本当に誇らしい。母親や家族がお前を誇らしく思うことを見ながら絶対に今の気持ちを忘れず、ファンたちに優しくすることも忘れず、メンバーたちと仲良くやっていってほしい。My Name is ファンヒ。声で人を喜ばせるという意味だ。本名も芸名と同じで、イ・ファンヒだ。漢字では嬉しいファン(歓)に嬉しいヒ(喜)と書く。両親が嬉しいことにあふれた人生を生きてほしいという意味を込めた。嬉しく生きている!ノリがいい。小学校1年生か2年生の時、名前のせいでFly To The Sky ファニというニックネームをつけられた。「僕はただのファンヒなのに、どうしてFly To The Sky ファニと呼ぶんだろう」と思ったが、そのニックネームをずっと聞き続けているうちに歌手になりたいと思った(一同爆笑) しばらくの間、あの時のことを忘れていたが、中学校1年生の時、友達とカラオケに行ったら友達から「お前、歌が少し上手いじゃん」と言われて、歌を歌うことが好きだから歌手になってみようと思った。デビューした時はとても嬉しかった!KBS 2TV「ミュージックバンク」の事前収録をしに行く時、人々が関心を持ってくれた!本当に感動した。グループではお調子者だ。宿舎では (シャオ:服を脱いであっちこっちに行く!(一同爆笑) ソニュル:宿泊でも一番ノリがいいメンバーだ) 望まれないお客さんって感じかな? どの部屋に行っても「来ないで、来ないで」と言われる(笑) 「出て行って」とも言われる。誰も歓迎してくれない! さらには自分の部屋に行っても拒否される。 (コギョル:ファンヒ、僕は歓迎するよ~) 歓迎していないじゃん。 (コギョル:電気を消して) 「パワーエイド買ってきて」「ポカリスエット買ってきて」と言われるだけだ! (コギョル:でも、一度も買ってきたことないじゃん) 結局買ってこなかった(笑)あまり休んだことがないから分からないが休むとなったら遊びたい。遊ばないかな? 絶対遊ぶ!(笑) インターネットカフェやチムジルバン(韓国式サウナ)に行くことが好きで、遊園地も好きだ。僕は全部好きだ。TEENTOPのCHANGJO先輩を尊敬している。なぜかというと、CHANGJO先輩は昔はパートがあまりなかったのに、今はパートがすごくたくさん増えた。曲も作っている! 努力して成長していくところがとてもかっこよくて見習いたい。ファンヒを表現する言葉は末っ子の中で兄! 僕も末っ子だ!(笑) それからハスキーボイスとビーグル(ビーグル犬のようにいたずら好きで可愛いという意味)だ。やあ、ファンヒ。とても長い時間がかかったが、熱心によく頑張った。僕はお前が誇らしい。もっと熱心に頑張ってトップまで上ろう!(一同拍手)
Vol.1 ― UP10TION ジンフ、クン「My name is...」
My Name is ジンフ。太い木という意味で太い木のように筋の通った男になりなさいという意味だ。本名はキム・ジヌク。星のジン(辰)輝くウク(煜)と書き、星のように輝け!(笑) 慶尚南道(キョンサンナムド)昌原(チャンウォン)出身だ。VIXXのエン先輩も昌原出身だ。以前は知らなかったけど、同じアカデミーに通いながら仲良くなった。INFINITEのホヤ先輩、カン・ドンウォン先輩も同じ故郷だ。小学生の時から歌手になりたかったがオーディションを受けたわけではない。でもある日、知り合いの兄さんがJYPのオーディションを受けて最終審査まで残った。兄さんが一緒にやってみようと誘ってくれて一緒にアカデミーに通ったが、兄さんたちは(オーディションに)受かってアカデミーを辞めた。僕一人がアカデミーに残り「あ~もう諦めようかな」と思っていた時に選ばれた。兄さんたちの間で一番最後に選ばれたが、一番早くデビューした。デビューして、人々から関心を受けるようになり、不思議だった。ステージで歓声を浴びた時は鳥肌が立った。デビュー前と比べて一番ルックス的に進化したメンバーはソニュルとファンヒだ。僕もダイエットした。代表が僕の太った姿を見て「昌原に帰るのか?」とおっしゃった。だから10~11kgほどダイエットした。UP10TIONの班長だ。(クン:僕は頼もしい副班長!) リーダーを務めている。僕たちは10人組だから一人でリーダーを務めるのは無理なので、所属事務所から(同い年の)クンと一緒にやっていきなさいと言われた。二人のやることが決まっている。僕が静かになだめると、クンは言うことを聞かないメンバーたちに厳しく言う(笑) (クン:ジンフが羊飼いのように羊を率いる時、その群れから外れる羊がいる。僕のそばでその羊を追う役割をしている。それほど群れを外れる羊はないけど) 時々いる(兄さんたちが末っ子のシャオとファンヒを見つめながら)。 (シャオ:誰が? 誰が?/ファンヒ:ええ~群れを外れるメンバーがいるの?/ソニュル:羊が話せるんだ!)(一同爆笑)宿舎で僕は(シャオ:いつも散らかしています!)(一同笑) シャオとルームメートだが、僕たちの部屋は綺麗だ! (メンバーたち:(騒ぎながら)えっ、僕たちの部屋が汚いって? 兄さんは2階から出てこない! 2階のお化け!) 宿舎のことはあまり気にしていない(笑) 2階にいる理由は、僕が個人的な空間が好きだからだ最初は寒いからみんな嫌がっていたのに、暖かくしたら僕の部屋を狙っている。普段は音楽をずっと聞いている。(ギュジン:ほとんど補聴器のようにイヤホンをしている) R&Bジャンルが好きだ。DEAN先輩、SOL先輩、パク・ジェボム先輩、そして、ムン・ミョンジン先輩が好きで、尊敬している。その方々の後を継いで行きたい。僕の欲かもしれないが、僕だけの特技がほしいので、練習し続けている。ジンフを表現する3つの単語は唇小さな巨人笑顔! 9人のメンバーたちをリードしなければならない役割を果たし、2015年9月にデビューして2016年まで来た。忙しい仲でも上手くやってきた。感心している。これからも上手くやって、僕たちのグループを輝かせたい。そのようにリードできるように班長のジンフになりたい。My Name is クン。坤と書いて中国語で発音するとクンだ。また、ドイツ語でクンは大胆な勇敢な勇気ある冒険的なという意味がある。大地のように万物を与えることができる存在になりなさいという意味の芸名だ。本名はノ・スイル。父がつけてくれた。秀でているという意味のス(秀)に、一つという意味のイルで、「一つの秀でたもの」という意味が込められている。高校3年生まで、ホテル経営学を勉強することを夢見ていた。大学でホテル経営学を勉強したかったが、夏休みの時に勉強が嫌になった。退屈だったし。そうしているうちに僕が活動していたクラブの後輩たちが大会に出たので応援に行ったら、そこでスカウトされた。その後、オーディションを受けてこの所属事務所に入ることになった。もともと音楽やダンス、演技にも関心がたくさんあった。他の俳優たちの演技を一人で真似してみたりした。僕が行こうとした道もあったけど、突然回って来たチャンスに挑戦してみるのも悪くないと思った。演技をはじめ、色んな事に挑戦してみたい。作曲と作詞にも挑戦してみたい。デビューして一番良いことは練習生の時はいつも不安だったけど、今はアーティストという確かな職業ができた。デビューして僕が常に望み、やりたかったことをやっているということが幸せで、家族が僕のことを自慢して誇らしく思ってくれるも嬉しかったし、胸がいっぱいになった。もっと頑張らなければならないと思っている。叔母と祖父がカトリック信者だけど、カトリック教会の人たちに僕のことを自慢している(笑)グループで副班長を務めている。副リーダーだ。年下メンバーたちがよくついてきてくれているが、時々、言うことを聞かない時もある。そんな時はビシッと厳しく言う。簡単だ! 男らしい性格なのかと聞かれると(ジンフ:(胸を指しながら)17歳の少女がいる) それが魅力だよ。 (ソニュル:「7番房の奇跡」を観て、号泣していた!) 男友達と「7番房の奇跡」を観に行った時、(泣くふりをして)しくしく泣いた。ティッシュある? 鼻水が止まらないんだけどどうしよう、と言ってた(笑)宿舎でもうるさい羊たちを静かにさせる役割をしている。(ウェイ:その羊になる時もある) 違う! 宿舎ではあまりしゃべらないぞ (ジンフ:そうだ。一人だけの時間を楽しんでいる) 時々、年下メンバーたちが退屈に思うかもしれないので、楽しませるために雰囲気を盛り上げている (ウェイ:雰囲気を盛り上げる時に先ほど僕が言っていた羊になる) 僕もジンフのように自分だけの空間を確保して自由を満喫したがるタイプだ。部屋はコギョルと一緒に使っている。オフの日はカフェに行ってコーヒーを飲む。普通の22歳の男の子のように映画を観たり、ご飯も食べる。グループでラップボーカルを担当しているのでラッパーとして尊敬している方はBeenzino先輩とGONZO先輩だ。GONZO先輩は若い年にもかかわらず自力で成功した人だ。本当に凄い。Beenzino先輩は僕が好きなスタイルだ! ファッションセンスやラップのスタイル、すべてが好きだ。アイドル歌手ではBIGBANG先輩だ。トレンディーな音楽で大衆をリードする姿が本当にカッコいい。クンを表現する3つの単語は骨太男らしい男少女の感性! ホテリアーになるところだった人だったが、他の道を歩むことになって上手くやってきたので、今はUP10TIONのクンというアーティストになったけど、これからも一生懸命に頑張りたい。まだまだ新人だから力を出して最後までやって行きたい。分かってくれるよね、ファイト! 誰よりも愛しているよ。
ユン・ジウォン「My name is...」
My name is ユン・ジウォン。 本名だ。漢字では知るチ(知) に根源のウォン(原) と書いて知識の源泉という意味を持つ。最初はジウォンという名前は多いから芸名を使おうかなと思ったが、多いだけに良い理由があるはずだ。はは。1994年10月7日、秋に生まれた。夏に生まれた人は寒さに強くて、冬に生まれた人は暑さに強いという俗説があるが、私はその中間の秋に生まれたからか寒さにも、暑さにも弱い。ハハ。ホットな23歳だ。現在、演劇映画学科2年生に在学中だ。何度も休学してまだ2年生だ(笑)tvN「チーズ・イン・ザ・トラップ」でソン・ミンス役を演じて顔を知らせた。オーディションを受けて合流した。監督が私をミンスを大切に思う女優だと判断したようだ。当時、「チーズ・イン・ザ・トラップ」の台本でオーディションを受けたが、私は原作のウェブ漫画のファンなので漫画に出てくる台詞をよく知っていた。そんな点があったから、他の人よりもう少し深く理解しているように見えたと思う。私が考える、私だけのソン・ミンスを見せたかった。そうやってドラマに出演するようになって、たくさん愛された。主に地下鉄やバスを利用しているが、ドラマのおかげで最近私に気付く人が少しいる。こんな経験は初めてだからとても不思議だった。実は外にあまり出かけないタイプなので、まだ多くは感じていない。ハハ。悲しくて泣いたこともある。(ソン) ミンスというキャラクターは(ホン) ソル(キム・ゴウン) の立場から見ると理解できない行動が多かったが、ミンスの立場では違った。私がミンスに感情移入したからそう思っているかもしれない。でも、視聴者はソルの視線で見るだろう。ソルのライオンのぬいぐるみを拾った時からミンスの感情が心にぐっと来た気がする。その前まではミンスの悲しさを頭だけで理解したようだ。「チーズ・イン・ザ・トラップ」の俳優たちはキャラクターととても高いシンクロ率の演技をするが、実際に俳優たちは本当に仲がいい。でも、撮影が始まると、それぞれのキャラクターに憑依して私に背を向ける。疎外された気がしてミンスの悲しさが感じられた。2回目のチームプレイが終わってダヨン(キム・ヘジ) 姉さん、ヨンゴン(チ・ユンホ)、サンチョル(ムン・ジユン) 先輩が私を非難した時、結局は撮影が終わってから泣いてしまった。ハハ。誰かにとって私はホン・ソルにも、ソン・ミンスにもなれる。そうじゃなければ、ボラ(パク・ミンジ) やダヨンかもしれない。映画「インサイドヘッド」のように、一人の内面には様々な姿があると思う。そのため、ミンスの行動もある程度は理解できる。そう思い始めたらミンスを受け入れることが難しくなかった。ミンスは特に劣等感が強くてプライドが低いだけだ。実際、人は誰もが劣等感や低いプライドを持っていると思う。ただ、程度の差があるだけだ。ミンスは私にとって抱いてあげたいキャラクターになった。本当に弱いキャラクターだ。私は今までいじめるキャラクターは多く演じたが、悲しくなるキャラクターは初めてだった。誰かをいじめるキャラクターを演じる時はあまり考えずやった。でも、今回は逆に悲しい感情を経験してみて、私にいじめられるキャラクターを演じた俳優がこんな感情を感じただろうと思った。彼らの悲しさを理解し始めた。「チーズ・イン・ザ・トラップ」を通じて心強い同僚を得た。実際に年の差が大きい先輩もいたが、キャラクターが大学の先輩・後輩だからか早く仲良くなった。先週も会った。ハハ。彼らはどう考えるか知らないが、個人的に私は今回の作品を通じて心強い私の人を得た気がする。私は新人だから同僚や先輩たちにたくさん助けられる。特に、サンチョル先輩役のムン・ジユン先輩にアドバイスをたくさん求めた。こうやってインタビューを受けるのも初めてだから、どう話したらいいか心配した。それでアドバイスを求めたら、先輩が自分の経験談をもとに色んなことを詳しく話してくれた。最初、ムン・ジユン先輩は私にとっては大先輩なので近づきにくい部分があった。でも、実際に話してみると、内向的で口調も優しかった。今はむしろサンチョル先輩に私がいたずらすることが多い。ハハ。様々な経験をしようと努力する。そのため、ミュージカル、映画、ドラマ、さらにはアルバイトまでやってみた。「パルレ」というミュージカルに出演して、映画「アイルランド-時を盗む島」にも出演した。様々な分野を経験したからか演技について幅広く学んだ気がする。後から演技を受け入れることにおいても差がある気がする。演技以外ではカフェでアルバイトをしたことがある。論硯洞(ノンヒョンドン) にあるカフェだったが、本当にたくさんの人が来た。座る暇もなくコーヒーをいれた。スムージーと間違うこともしばしばあった。ハハ。すべての経験が違う感じだが、プロセス自体が面白い。何かを学ぶということは常に面白いことだと思う。経験は私の人生の頼もしい資産になった。本来は音楽を専攻した。中学校の時、音楽制作やプロデュースを勉強した。だが、音楽を止めて演技を始めるまで色んなことがあった。手を怪我してしばらくの間、楽器を演奏することができなかった。その時、入試があって、両親と先生の勧めで取り合えず芸術高校に進学した。「様々な挑戦をしてみた方がいい」というアドバイスを受けて演技に挑戦した。失敗に対する恐怖が少ない。怪我や会社問題など色々と大変な時期があった。その瞬間、「これじゃない」という気がした。勉強することを決心して学校に戻ることが怖かった。それまで私は音楽だけやってきたからだ。担任の先生から「とりあえず戻ってきて」と言われた。先生が引っ張ってくれて新しい夢を見るようになったと思う。ようやく「やれるだけやったからそれでいい」と思った。学校を辞めて出てきたら心がすっきりした。やれるだけやったからだ。好きなことと上手にできることは違うと心から感じた。夢を諦めた経験が一度あるからか、大きな欲がない。音楽する時は焦って欲が多かったが、今は早く大きなキャラクターを手に入れたいとは思わない。失敗に対する恐怖も小さくなった。すべての面ですごく成熟して自分に寛大になった気がする。最近、映画「花様年華」にはまっている。「8月のクリスマス」から「ゴッドファーザー」までクラシックな映画をたくさん見ている。一つの映画を何度も繰り返して見ることが好きだが、最近は「花様年華」を見ている。今まで4回ぐらいは見たと思う。「花様年華」の主題歌が流れながら主人公がお弁当を持って登場するシーンを見るたびに胸がいっぱいになる。最初は本当に難しい映画だと思った。でも、繰り返して見たら「これが芸術かな」と思うようになった。平凡な23歳の若者だ。私の23歳はただ平凡だと思う。苦悩する時は苦悩して、面白かったら笑う。やりたいことも多い。友達とあまり変わらないと思う。それで、「チーズ・イン・ザ・トラップ」で学生の感じがよく出たと思う。私は主に小学校の時の友達と遊ぶが、会ったら仕事や理性などについて話す。そうやって友達と遊んだり、一人でいる時間も好きだ。ニックネームがホン・ギルドンだ。一人で江南(カンナム) に行ったり、弘大(ホンデ) に行ったりするからだ。ハハ。楽しい時は楽しくて、憂鬱な時は憂鬱な、平凡な青春を送っている。自分へのメッセージは「もう少し寛大になろう」だ。私自身を苦しめないでほしい。発展するためなら仕方ないが、すべてのことにおいて自分に冷たい傾向がある。日記を書いてみると、「上手くできなかった。過ちだ」などの言葉ばかり書いている。自分にもう少し寛大になりたい。
イ・シア「My name is...」
My Name is イ・シア。本名はイ・ジアです。イ・シアは所属事務所で付けてくれた芸名です。同じ名前で有名な先輩がいらっしゃったので、芸名を使うことにしました。本名と似ている名前にしました。でもポータルサイトでイ・シアを検索すると、イシアポリス(大邱に位置したニュータウン) にいつも負けます(笑)ずっと前からから演技がやりたかったです。大学でも演技を専攻しました。個人レッスンも受けながら演技の勉強をしています。でも、偶然に歌手になるチャンスが来たのです。本格的に演技に挑戦する前にあれこれやってみるのも良いと思ったので先に歌手としてデビューしました。日本でアルバムを2枚出して、2013年まで活動しました。アイドルは明るくて可愛く、常にキュートでなければならなかったです。俳優は自分の本来の姿よりは台本に描かれた人物を演技で表現しなければなりません。でも、歌手をしながら多くの人々の前で歌ったり踊ったりして舞台恐怖症が消えました。コンサートをたくさんしました。そのおかげで演技をするためにカメラの前に立っても怖くありません。外国語が好きです。幼い時から英語と日本語を勉強しました。日本語は第2外国語で選択したし、日本で暮らしたこともあるので流暢な方です。英語は独学で勉強しました。主に外国の映画の台本をたくさん読みました。現地での日常会話も勉強できて楽しいです。演技者として初めてドラマに出演したのはMBC「ホジュン~伝説の心医~」でした。MBC「ホジュン~伝説の心医~」ではエキストラで出演し、SBS「僕には愛しすぎる彼女」ではf(x) クリスタルのお姉さんであり、ヒョヌク(RAIN(ピ)) の初恋の人、ユン・ソウン役で出演して以前より長く視聴者に私の演技をお見せすることができました。第2のハン・ヒョジュと言ってくださり、本当に感謝しています。でも、負担になる修飾語でもあります。いつもモニタリングをするたびにもしかして足演技(演技が下手という意味)をしているのではないかと心配しました。画面の中の自分の姿を見ていると「これが本当にわたしなのかな?」と思う時がたくさんあります。もっとも記憶に残る作品はJTBC「イニョプの道」です。時代劇だったので難しい点も多かったけど、無事に終えることができて嬉しかったし、胸がいっぱいになりました。それに、演技力も問題にならなかったし、視聴率も悪くなかったです(笑)「イニョプの道」で演じたホ・ユンオクは悪役でした。すごい悪役だったので、演技をしながらも申し訳なかったです。共演した方々が皆、先輩だったのに、劇中でお嬢様役だったので、先輩たちをこき使う役でした。もし、私が先輩だったら、気分を悪くしたかも。普段は自然に先輩たちに礼儀正しく振舞いました(笑) 一番末っ子の役者だったから演技についてアドバイスもたくさんしてくれました。私にはとても有益な時間でした。「リメンバー-息子の戦争」で演じたキャラクターは演技が難かったです。普段できない経験じゃないですか。出るたびに泣くキャラクターだったんです(笑) 台本を読んだ時はまだ私が表現できない内容じゃないかな、これをどうやって演じればいいんだろうとたくさん心配しましたが、いざ撮影が始まったら思ったより上手く演じた気がして胸がいっぱいです(笑)「シグナル」が放送された後、リアルタイム検索語に名前がランクインした時は驚きました。「私の名前がリアルタイム検索語ランキングに上がるなんて信じられない!」と本当にびっくりしました。人々が思ったより「シグナル」に多くの興味を持ってくれることにも驚きました。「イニョプの道」で悪役を演じた時は悪口をたくさん言われましたが、「シグナル」ではおぼろげなイメージで出てきたからか、少しだけ出るキャラクターだったのにこんなにたくさんの興味を持ってくれるとは思ってなかったんです。チョ・ジヌン先輩の演技のおかげで私まで注目を浴びた気がします(笑) また、きれいに編集してくれたおかげです。「シグナル」の出演以来、私が思ったよりも反応が本当にいいです。以前は街に出ると「ユンホクだ」と気づいてくれましたが、最近は「イ・シアだ」と呼んでくれるんです。「シグナル」を通じて様々な新しい経験をしました。遺影写真を撮ったのが初めてで、その写真が本当に葬儀場に置かれたらもっと変な気分になりました。また、犯人に口を塞がれて暗い小道に連れていかれるシーンでは、本当に怪漢に連れていかれるような感じがして実際にも怖かったです。キム・ウォンソク監督が演技を指導してくれました。監督は視聴者もウォンギョンのように心がワクワクしなければならないと言っていました。1989年の女性のように大人しくて淑やかな感じが必要で、ジェハンと目が合うだけでも恥ずかしくて照れるような姿を見せなければならないと教えてくれました。私が考えてもいなかったディテールな手振りや感情などについて言ってくれました。本当に素敵な監督でした。チョン・ドヨン先輩がロールモデルです。ドラマ「プラハの恋人」と映画「シークレット・サンシャイン」でのチョン・ドヨン先輩はとても素敵でした。「シークレット・サンシャイン」で先輩が見せてくれた感情演技は今も覚えています。私も後にチョン・ドヨン先輩のように本当に演技が上手くて真っ直ぐな感じを与える女優、愛される女優になりたいです。台本を熱心に読もうと努力しています。その後、自分が演じるキャラクターの幼い頃から想像してみるんです。まるでその人になったかのように、どんな性格を持っているのか、どんな職業を持っているのかを一つずつ作っていきます。できるだけその人物になれるためです。そんな部分がまだ簡単ではないです。家にいることが好きです。(笑) 犬を2匹を飼っていますが、本当に可愛いんです。一日中子犬と遊んで、ご飯をあげて、散歩したら時間があっという間に過ぎます。また、最近は家でドラマ「ナイン ~9回の時間旅行~」を再び見ています(笑)キャンディ(漫画キャンディ・キャンディの主人公、お転婆で、元気に困難を乗り越えるキャラクター) のようにハツラツとした明るいキャラクターを演じてみたいです。今まで多くのキャラクターを演じたわけではないですが、悪いキャラクターや深刻なキャラクターばかり演じたんです(笑)3月に私が主人公を務めた「ドッペルゲンガー」というウェブドラマが公開されます。私が演じるキャラクターはトップモデル兼女優です。劇中、私の彼氏と彼のドッペルゲンガーの間で起きることを描いたドラマです。斬新な題材なので面白くて、また軽く楽しめると思います。長い間記憶される女優になりたいです。短い間だけ注目を集めて消える女優ではなく、一生演技を続ける人になりたいです。