二つの扉
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「二つの扉」今年の独立映画のうち最高の興行記録を更新
龍山(ヨンサン)惨事を扱ったドキュメンタリー映画「二つの扉」が、今年公開された独立映画(配給会社を通さず、制作者が直接映画館に売り込む映画)の新記録を打ち立てた。映画振興委員会の映画館入場券統合ネットワークの集計結果によると「二つの扉」は27日、累積観客数7万人を記録して独立映画の興行新記録を打ち立てた。これは、独立映画の興行基準ラインが1万人である中、異例の記録だという点で注目を集めている。また、全国544ヶ所の映画館で公開33日目にして累積観客数1200万人を記録して歴代の韓国映画ボックスオフィス3位を記録した映画「10人の泥棒たち」水準の記録だと言える。「二つの扉」が異例の興行記録を立てたのは、ユ・ジテ、チン・ジュングォン、チョ・グク、イ・ヒョリ、アン・チョルス、イ・ハナなどの著名人の観覧の話題がSNSを通じて広がり、各地域の市民団体の公開映画館がない地域での貸館上映などが貢献していると見られる。「二つの扉」は、インディスペース、インディプラス、想像広場(サンサンマダン)シネマなどを中心に、韓国で現在も公開中だ。
「二つの扉」観客5万人動員…インディーズ映画の新記録
龍山(ヨンサン)惨事を扱ったドキュメンタリー映画「二つの扉」(監督:キム・イルラン、ホン・ジユ、制作:ヨンブノンチマ、配給:シネマダル、「二つの扉」配給委員会)が今年インディーズ映画の新記録を達成した。「二つの扉」は映画振興委員会の統合ネットワーク基準で19日に累積観客数5万1350人を記録した。これは今年最高の興行ドキュメンタリー映画だといわれる「語る建築家」の3万9123人を超える数値である。韓国で昨月21日に公開された「二つの扉」は公開8日目でインディーズ映画の興行基準だといわれる1万人を突破し、1ヶ月目で上映館40館未満の小規模の公開であるにも関わらず5万人の観客を動員しながら2012年最高興行のインディーズ映画というタイトルを付けられることになった。「二つの扉」は5人の撤去民と1人の警察特攻隊員が死亡した龍山惨事を新しい視点から再構成したドキュメンタリー映画だ。
映画「二つの扉」他人の悲劇ではない“龍山ドキュメンタリー”
去る2009年1月19日、ソウル市龍山(ヨンサン)再開発の補償金対策に反発した撤去民と警察が対立している間に発生した原因不明の火災で、6人が命を落とし24人が負傷した。生存権を訴えながらやぐらに上がった5人の撤去民と一人の警察特攻隊員が死体となって下りてきたが、かかった時間は一日がようやく過ぎ去った25時間であった。さらに政府の対応は、一度も話し合いや交渉を試みないまま、最低限の安全保障も無しで警察特攻隊とクレーン、そしてコンテナを投入して鎮圧するだけであった。6月21日に封切りしたドキュメンタリー映画「二つの扉」は語る。25時間今この国の政権が国民に容認する時間はたったそれだけだと。龍山惨事と命名されたこの悲劇は、イ・ミョンバク政権が犯した数多くの過ちの中で最も残酷な事件であり、最も辛い記憶だ。ただ多くの人が命を落としたからだけではない。事件の開始からまだ終わっていない闘争が続いている今日まで、明らかな事実が私たちに罪悪感を抱かせる。この罪のない死は避けられた悲劇だったからだ。「二つの扉」が投げかける最も恐ろしい話題「二つの扉」は、龍山惨事を扱ったドキュメンタリー映画と聞いて簡単に連想できるように、撤去民=被害者という定義は前面に出さない。撤去民と同じように十分な安全保障なしで性急に鎮圧へと投入された警察特攻隊員が、その火災で経験した恐怖とトラウマを語っている。このような観点が重要な理由は、撤去民の敵が警察ではなく、警察の敵が撤去民ではないという事実を見逃していたからだ。映画のタイトル「二つの扉」は、当時やぐらが設置されたナムイルダンビルの屋上へ向かう二つの扉がある。片方は閉まっており、もう片方はやぐらにつながっていたが、鎮圧のために到着した警察特攻隊も、どの扉に入れば良いのか分からなかった事実から始まった。当時、撤去民のデモが治安を害するほどだったので、特殊任務を遂行する警察特攻隊をわざわざ投入させたという公権力の弁解とは違い、火炎瓶が登場する2時間前、片方のやぐらを設置していた時、誰かの電話一つで早まった無謀な作戦はすでに始まっていた。状況を把握する時間もなかった。いや、公権力はそんな意志さえなかった。その結果、撤去民と警察がともに熱い地獄へ陥っていた。「二つの扉」を作ったキム・イルラン、ホン・ジユ監督が明らかにした演出の趣旨の中で一番胸を打った言葉は「皆が奴隷剣闘士だ」である。裁判過程で「やぐらの構造について聞いたことがない」「デモ隊が引火物質を所持していたことさえ知らなかった」と述べた警察特攻隊員も、デモを始めてからたった25時間で目を閉じたままビルから下りてきた撤去民も全て権力者によって円形闘技場に閉じ込められ、まるでお互いに刀を向き合った剣闘士のようだった。いや、もしかしたら訓練された剣闘士より衰えていたかもしれない。撤去民はもちろん高度に訓練されたという警察特攻隊も粗末な装備と投入作戦により、目の前の炎の中で、どうすることもできなかった。人間が身分で等級が分かれていた時代、戦争捕虜や黒人奴隷がほとんどだった剣闘士は、煌びやかだったローマ帝国にもたらした最も暗い影の一つである。このような野蛮な記憶が今この韓国で再現されてしまったということが、「二つの扉」が投げかける最も重くて恐ろしい話題の一つである。決して理由がない事件も、死もない。だが龍山惨事を置いて公権力と政府が見せた対応は、事件当事者はもちろん、これを見守った国民を戸惑わせるだけだった。事件発生直後、死体解剖検査は遺族の同意なしで速やかに行われ、撤去民の対策委員会の委員長が8日ぶりに拘束された。その反面、過剰鎮圧を行った警察に対しては無罪という結論が出た。世論の連鎖反応を考慮した政府は「龍山惨事で広がった警察の否定的なフレームを連続殺人事件解決という肯定的なフレームに変えられる絶好のチャンスです」という広報指針まで命令した。真実が明かされることを願っていた裁判は、公開されない3,000ページ余りの捜査記録と削除された警察側の証拠映像をはじめとし、真実を隠す過程となった。帰ってきた非道な亡霊の前で何をするべきか最終的に法廷では加害者の顔を誰も見ることができず、撤去民の生存者に対する実刑宣告で事件を締めくくった。二人の監督は裁判を見守りながら悲しみ、恐怖と侮辱感を感じたという。罪のない死と私たちの恐怖と無力感を餌にして公権力が行う野蛮さはますます強くなるだけだ。チョ・ヒョンオ前警察庁長官は最近発刊した自叙伝でもう一つの過剰鎮圧だった2009年の双龍(サンヨン)自動車平沢(ピョンテク)工場鎮圧作戦に関して「安全に終わらせられた、成功した進出だった」と自評した。このように侮辱的なことが言えるのは、龍山惨事と韓米FTA(自由貿易協定)反対デモ、そして双龍車事態が公権力に「こんなことをしても国民は我慢してくれるのだ」という悪い教訓を与えたからだ。「二つの扉」の配給委員として参加した映画「折れた矢」のチョン・ジヨン監督は次期作として昨年12月他界した故キム・グンテ前民主党常任顧問の一代記を映画化する計画だ。拷問技術者イ・グンアンに踏みにじられたキム・グンテの話を描いたこの作品のタイトルは「野蛮な時代」だ。一方、6月20日解雇されたMBCチェ・スンホプロデューサーはメディアtodayとのインタビューで「野蛮な時代、不義の時代を避けられる方法がないので、特別な感想もない」と心境を明かした。この背筋が寒くなる既視感はどこから始まったのだろうか。「二つの扉」のもう一つの重要部分は「国家は無理な要求をどのように解決するのか」である。撤去民に過ちがないという訳ではなく、過ちを犯したとしても、無理な要求をしたとしても、ひとまず聞き入れるべきだ。だが、今の韓国社会はそうではない。民主主義の根幹である会話と疎通の機会を剥奪され、暴力と抑圧の経験を刻んでいるこの野蛮な時代。龍山惨事や双龍車事件、そして全国言論労働組合(韓国の新聞、放送などのメディア業界の労働組合が加盟する上部組織)のストライキは自分とは関係ない、他人の悲劇ではない。罪のない命を数えきれないほど失っても止めたり反省を試みようともしない現政権は、表現と言論の自由を踏みにじる非民主的な方法で民主主義の原則と秩序を口にする軽薄な偽善に頼った難破船だ。何より、過去の民主化闘争の経験で克服したとされた野蛮な暴力が幽霊のように復活した。その理由が説明や再現ではなく、経験と目撃のドキュメンタリーとして記憶されている「二つの扉」は観客に、遅れた目撃者の義務と潜在的な被害者の決議を悩ませる。それは戻ってきた非道な亡霊が威嚇する時代を生きている限り、被権力者である私達は誰も自由にもなれず安全でもないからだ。龍山道路はナムイルダンビルの開発に伴い消えていった。だが、その日そこで6人の命を飲み込んだ炎は、今もなお消えることはない。
JYJファンの有意義な行動…龍山ドキュメンタリー「二つの扉」を観覧しましょう
16日、あるファンの団体観覧提案で応援と関心が殺到ソウル市長再補欠選挙、4.11総選挙の認証ショットに続き、今度は龍山(ヨンサン)惨事のドキュメンタリー観覧ときた。4月に1580枚の投票認証ショットを集め、パク・ウォンスン市長にまで素晴らしいファン心と認められたJYJのファンたちは、今度は龍山惨事を素材にしたドキュメンタリー「二つの扉」の団体観覧上映を推進している。「現在推進中の日付は30日!博覧会最寄りの新沙洞(シンサドン)の映画館で推進しています!内容は先日のコメントを読んで下さい。ご参加いただける方は、人数把握のためにJYJFANSfor2DOORS@gamil.comまでお申し込みください!」(@JYJsPie****)発端は16日「二つの扉」の配給委員団に参加した、あるファンの提案だった。14日ソウルアートシネマで開かれた「二つの扉」配給委員発足コンサート及びVIP試写会に参加したこのファンは、龍山惨事の真実を掘り下げるドキュメンタリーの趣旨と内容に感動し、積極的に団体観覧イベントを推進し始めた。「切ないこの映画、JYJファンの皆様と一緒に観たいです」「何度も繰り返し書き込んでは消しました。今日、龍山惨事を描いたドキュメンタリー『二つの扉』を観てきました。配給委員という立場から、色々と公開に困難があった(誰よりも私たちはこのような理由をよく知っていますよね)この映画が小規模ながら公開できるように、少額少額を集めての支持者たちの試写会でした。ムン・ジョンヒョン神父も配給委員の資格で訪れましたし、遺家族の方々、龍山真像究明活動家の方々もいらっしゃいました。本当に、頭では知っていても、直接目で見て声を聞くことは、また違う響きがありました。この映画で個人的に胸を打たれたのは、デモした方たちだけでなく、この国が、そこに登らなければならなかった若い末端警察たち、結局は一概に市民たちの傷を見据えていたから、切ない思いがしました。私が恐れながらもこのようなことを書き込む理由は、この映画を一緒に見たいからです。作った二人の監督も、制作会社のピンクのスカートも、配給するシネマダルも、力のないインディーズ映画に対する関心や愛情から広報しているわけではなく、ただ寂しく葬り去られていく真実を共有し、それについて話し合い、私たちの力で真実究明の場を作っていこうと呼びかけていました。それで、配給闘争、観覧闘争という表現を(笑)予想されたでしょうが、数少ない小さなインディーズ映画館だけが公開を支持してくれている状況で、マルチプレックスや大きな映画館はこの映画を受け入れてくれません。それで地方の場合は、直接訪ねて行っての共同体上映も歓迎するということでした」このファンがTwitterに掲載したこの長文のコメントは、全国民主労働組合総連盟のキム・ジンスク指導委員がリツイートして多くの人に知らされ、16日午後にはJYJのファンはもちろん、「二つの扉」の監督と配給会社にまで伝わり応援と参加のコメントが相次いでいる。アーティストのイメージを高めるファンホン・ジユ監督「私もJYJのファンです」応援を追い風に、このファンは28日から4日間ソウル・ハクヨウル駅SETECで開かれるJYJファン博覧会の期間に合わせ、30日江南(カンナム)近辺の映画館で団体観覧を推進している。すでに配給会社のシネマダル側とも具体的なことについて協議しているそうだ。「二つの扉」は上映館が少ないインディーズドキュメンタリーであるだけに、映画に接しがたい地方のファンにまで配慮した形だ。このファンは「oh!my star」に「とりあえず観覧できる方を調べている段階に過ぎない。関心を示してくれても、その日ご一緒できるかどうかを把握している段階なので、政治的にも他の面でも事が大きくなることは避けたい」と述べた。一方龍山惨事の意味を問う「二つの扉」が公開する前からJYJのファンたちに関心を受けていることについて、映画を作ったキム・イルラン、ホン・ジユ監督は歓迎している様子だ。キム・イルラン監督は「素晴らしい連携が起きています。お互いが感動しているようで素敵です!ファンクラブの形も素敵ですが、それとは違う形というから、さらに素敵な面があります。団体観覧でもそうでなくても、上映後には必ず伺いたいです」と伝えた。ホン・ジユ監督も「実は私はJYJファンの皆様の『二つの扉』団体観覧に驚きませんでした。誰かのファンクラブである前に、常識の通じる社会を望む一人ですから。実は、私も本当に昔からのJYJファンです」と応えた。続いてホン・ジユ監督は「アジア太平洋エイズ大会でのJYJの祝賀公演、私は公式カメラの本分を忘れて公演に見入っていましたし、隣にいた活動家の方の歓喜に満ちた顔も覚えています」と伝え、本人もJYJのファンであることを告白した。JYJファンの龍山ドキュメンタリー「二つの扉」への連携が感心を呼んでいる中、21日公開を控えた「二つの扉」への関心がどこまで続くか、そして下の応援コメントのように「アーティストのイメージまで高める」JYJファンの有意義な活動がまたどのように拡大されるか関心を集めている。「ある集団というのは、カンジョン村へ押し寄せた、間違った信仰団体のような例もあるかと思えば、JYJファンクラブのように『二つの扉』の団体観覧を主導する素敵な例もある。素晴らしいファンたちは、アーティストのイメージまで高めていると思う」(@shine****)