キム・ジョンハク
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Vol.3 ― キム・ジョンハク監督死去…巨匠の死を無駄にするな(特別寄稿)
キム・ジョンハク監督の死は個人の問題なのか?2005年から始まった映画産業の低迷は、厳しい構造改革を経て2007年に底をつき、2008年から回復段階に入って、現在はまた上昇ムードにある。昨年には、観客1000万人を突破した映画が2本も輩出された。一方、テレビ業界は出演料や脚本料の上昇を通じて、一握りの人々の手に渡る費用により大きな圧迫を受けているところだ。現在、外注制作会社は深刻な経営難に瀕しており、廃業する会社が増えている。プロデューサーたちは、この状況を爆弾回しゲームに例えている。いつどこで爆発するかわからない時限爆弾を持って、薄い氷の上を歩いているのが今のドラマ制作市場の現状である。そして既に、ドラマ産業は崩壊し始めたのかもしれない。大きな力を持つスーパー甲と呼ばれる地上波テレビ局も、実は極めて困難な状況にある。ニューメディアの躍進と景気の低迷により、広告市場が縮小した上、HD放送の制作とデジタル化を通じて、技術と美術部門において持続的なコストが発生し、経営がますます難しくなっているのだ。一生懸命に働くほど損をするJSピクチャーズのイ・ジンソク代表は、元はMBCの演出家で、比較的うまく制作者への転身に成功したケースだ。ある年の暮れに、彼が参加した飲み会での話を私は未だに忘れることができない。その年、JSピクチャーズは地上波テレビ局にのみ5~6本のドラマを制作・放送して、ほとんどの作品をヒットさせたが、年末に決算してみると30億ウォン(約2億6,900万円)の赤字が発生したという。いっそ何の仕事もせずに、職員全員が一年中ずっと遊んでいたら、経常費である20億円(約1億7,930万円)の赤字だけで済んだのだ。結局骨が折れるほど働いて、10億ウォン(約8,969万円)をさらに失ってしまった。その年の有償増資で30億ウォンを埋められていなければ、おそらく会社は廃業していたはずだ。彼は、もう海外版権などの著作権を保護してくれなければ、この仕事もすぐに辞めるしかないと考え、現行の外注制作の構造に対する恨みを吐露した。このような状況で、キム・ジョンハク監督は初めて海外版権を地上波テレビ局に渡さず、著作者の権利を保護した最初の監督だった。そしてその作品がまさに「太王四神記」であり、海外版権を譲渡しなければ放送しないというSBSを後にして、MBCに放送テープを持って行く勇気を見せた。故チョン・ジュヨン現代グループ会長は生前、系列会社の役員たちにこんな話をよくしたという。「雪が降るときには庭の雪かきをするな」。市場の状況が悪いときには、新規投資をしないということであろう。現在のドラマ市場に関する限り、韓国は雪が降っている状況だ。そしてこの雪は10年前から降り始め、雪がだんだん激しくなっている。キム・ジョンハク監督の死は個人の問題ではない予算を確保して配分する過程で、A/L費用とB/L(船荷証券)費用のバランスをとることは非常に重要だ。そしてこの仕事は、全面的に企画者の役割だ。熟練した企画者は、シノプシス(ドラマや舞台など作品のあらすじ)を見ただけで、おおよその制作費を計算する。どちらかの一方に偏って、皆が被害者になるか、適切な配分を通じて規模を大きくし、その恩恵に皆があずかることができるようにするのかは、全面的に企画者の能力にかかっている。脚本家・監督・俳優・スタッフなどの制作関係者たちにとって、よい企画者に出会うことは非常に重要である。韓国の映像産業は、企画者の手にかかっていると言っても過言ではない。私たちは23日、韓国の映像産業を支えてきた偉大な企画者を失った。彼の死を機に、ドラマ産業の問題が特定の職種や組織、あるいは個人の問題ではなく、構造的な問題であることを皆が認識し、この矛盾だらけの外注制作の構造が改善され、韓国の映像産業を再び復興させる公論の場が大きく広がるきっかけになることを切に望む。それだけが、一生をドラマに捧げてきた一人の巨匠の死を無駄にしない道であるだろう。慎んで故人の冥福をお祈りする。ソン・ジュンギ教授KBS在籍中に「うちの町の村長さん」(1992)を通じてドラマ演出家としてデビューし、「ご飯を焦がす女」(1994)、「隠れた絵探し」(1994)を演出した後、SBSに移籍。「オギ叔母さん」(1996年百想(ペクサン)芸術大賞・演出賞)、「カタツムリの愛 ~4色物語~」(1998年百想芸術大賞・作品賞)、「ウンシリ」(1998年韓国放送プロデューサー協会・今月のプロデューサー賞)などを演出した。最近では、2007年に家庭の月特集「私たちを幸せにするいくつかの質問」を演出し、韓国仏教・言論文化賞を受賞した。現在、東亜(トンア)放送芸術大学のコンテンツ学部長として在職している。
Vol.2 ― 故キム・ジョンハク監督は出演料を踏み倒していない(特別寄稿)
キム・ジョンハクは出演料を踏み倒していないSBSドラマ「シンイ-信義-」は、キム・ジョンハク監督が演出者として参加した有限会社の作品だ。まだ、捜査が進行中であるため、正確な経緯を知ることはできないが、キム・ジョンハク監督はこの作品において、法的にスタッフや出演者の未払い賃金の責任を負う理由は一切ないというのが筆者の考えである。それは、有限会社という新しい形態の制作システムが、法的に保障してくれた安全装置であるためだ。この作品で彼は演出料をもらって、制作に参加したディレクターの資格にすぎない。脚本家や出演者と同様に、賃金をもらって制作に参加した演出者として、自身の演出料さえ確保できれば良いことだ。しかし、一生を堅気な性格の監督でありながら、妥協を知らない制作者として生きてきた彼に、同僚役者の出演料とスタッフたちの賃金未払いは耐えられない厳しい自責と挫折を与えただろう。そして、一生を、ドラマ以外のことは考えずに仕事だけに捧げて、これまでに数多くのヒット作を残したにもかかわらず、同僚たちの賃金を横領した存在になってしまった自分がとてもみじめに感じられたはずだ。彼は、コシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)の狭い小部屋で考え続けただろう。「僕の生はどこから間違ったのだろうか?ドラマしか知らずに、頑張ってきた僕になぜこんなことが起こったのだろう?」横領の疑いで検察の捜査を受けたキム・ジョンハク監督は、今まで自身を支えてきたドラマの制作者、または監督としてのアイデンティティを喪失して、深刻なアノミー現象(人々の欲求、行為の無規制状態、急激な社会変動に伴う社会規範の動揺や崩壊によって生じる状態)を経験したのだろう。そして結局、彼はコシテルの小さな部屋で寂しく死んでいった。深刻な制作費配分の不均衡一般的に制作と言えば、その過程を3段階に分けるというのはよく知られている。その3段階とは、「プリプロダクション(Pre production)」と「プロダクション(Production)」、そして「ポストプロダクション(Post Production)」だ。このように分ける理由は、お金のためである。ドラマは文化であると同時に産業だ。人生と愛を描いているという点から確かに芸術の一部分だが、もう一方では資金を投資して元金を回収し、収益を発生させる必要があるという資本主義の産業論理が確かに動作しているわけだ。私たちが制作の全過程をこのように3段階に分ける理由は、事業的な側面で制作予算が均等に配分され、執行されたのかを調べるために必要だからだ。「プリプロダクション」に投入される人材である脚本家、監督、俳優たちに支払われるお金を上位ラインの費用という。そして撮影、照明、音響、技術、美術などの「プロダクション」と、編集などの「ポストプロダクション」に投入される人材に支給されるお金をサブラインの費用という。この2つの項目に全体予算が適切なバランスで配分された際に、私たちは制作会社の安定的な成長とドラマ産業のバランスの取れた発展を期待できる。問題は韓国のドラマ産業の場合、上位ラインの費用が非常に高く、その中でも俳優部門に投入される費用が高すぎるということだ。史上最高の出演料を更新した「太王四神記」2008年、ペ・ヨンジュンはMBC「太王四神記」に出演し、1話当たり2億5千万ウォン(約2千2百万円)が支給されたという。確認されてはいないが、出演料として1億ウォン(約9百万円)、資本参加によって1億5千万ウォン(約1千4百万円)程度の出演料を受けたという。「太王四神記」がMBCから支給された制作費は、1話につき2億ウォン(約1千8百万円)台だと知られている。結局、放送局から支給された制作費を主人公1人に全部つぎ込んでも足りない状況だったのだ。ところが、このような事例はたくさんある。2007年5月4日から7月3日まで、KBS 2TVで放送されたミニシリーズ「花いちもんめ」は、ユン・ソンヒ脚本家、チ・ヨンス演出家がタッグを組み、俳優チャ・テヒョンとカン・ヘジョンが主役として出演したが、この4人に支給されたお金は制作費の100%だった。上位ラインの費用が100%を超えてしまったのだ。結局、制作会社が損失負担を引き受けるか、支給する能力がなければ、スタッフや脇役の俳優の賃金が未払いにならざるを得ない構造となっているのだ。制作費配分の不均衡が原因今の文化産業分野に進出する大卒の新入社員の場合、初任給が100万ウォン(約9万円)程度だ。1話当たり2億5千万ウォンずつ、週2話の放送だから1週当たり5億ウォン(約4千5百万円)、つまり月20億ウォン(約1億8千万円)を稼ぐ主人公を見た制作会社の新人プロデューサーはどう感じるのか?彼は自分より2千倍も多いお金を持っていく主人公を見ながら、あり得ることと納得できるのだろうか?このような極端な相対的剥奪感の中で、才能のある若者が文化産業の従事者として働く理由を見つけることはできるだろうか?上位ラインに偏っている制作費は、サブライン従事者たちの生活を締め付けている。しかも、賃金を受け取っていない状況から生活に苦しんで、実力のある人は残っていない。結局、制作費の不均衡は、当然サブラインの質的な低下をもたらす。技術を担当するスタッフ部門の質的低下は、作品の完成度の低下につながり、超過した制作コストは賃金の未払い、制作会社の経営悪化、連鎖倒産、映像産業の低迷へとつながっていく。役者の出演料の上昇、産業規模に比べて高すぎる2008年12月1日、韓国ドラマプロデューサー協会は、高額の出演料がドラマの危機を招いたという認識から「テレビドラマの危機と出演料の正常化」というテーマでセミナーを開催した。同セミナーで提示された資料によると、ここ10年間の主役級俳優の出演料は20倍以上にも膨れ上がっていた。今は主役級の俳優の場合、1話当たり5千万ウォン(約450万円)から7千万ウォン(約630万円)程度が支給されている。脇役級の俳優も状況は同じだ。有名になりそうだとか、人気を得そうな場合であれば、すぐに出演料は1千万ウォン(約90万円)を超えてしまう。韓国の外注制作の場合だと、平均的に全制作費の60%は出演料であり、15%は脚本家費用として投入される。このような状況から、実力のある外部監督やプロデューサーは立場がなくなり、実力のあるカメラマンや照明監督、美術監督、音楽監督も就かず、撮影機材も安心して使うことができない。日本の場合は、出演料が全制作費の20~30%程度だ。また、脚本家費用は3%を超えない程度だ。トップスター級の出演者の契約料の割合も、全制作費の10%を超えていない。次は、日本と米国の全制作費用と出演料の割合を比較したものだ。放送市場の規模から見ると、日本は韓国の6倍程度であり、広告市場の規模は10倍程度となる。報酬的に見積もっても、韓国の俳優の出演料は日本の6分の1程度が適正な水準だ。ところが、現在韓国の主役級俳優の出演料は日本の約2倍だ。それにもかかわらず、韓国の芸能人の70%の年間所得は1千万ウォン以下であり、月平均所得が80万ウォン(約7万円)にしかならない芸能人が2400人に達するという事実は、ドラマ産業のすべての付加価値が極めて少数の人たちに、しかもトップスター級の俳優という特定の職業群の人たちに独占されていることを証明している。この数値は、今日の韓国ドラマ産業が抱えている問題が、ある個人の問題や特定組織の問題ではなく、構造的な問題だということを示している。総合編成チャンネルの発足により、市場環境はよくなったのか?メディア法改正と総合編成チャンネルの発足は、このような脈絡から理解すべきだ。プラットフォームが増えれば、メディア産業の道が少し開けるというのが、総合編成チャンネル発足時の論理だった。ところが、総合編成チャンネルの発足によってドラマを放送するチャンネルが2倍以上増えたにもかかわらず、外注制作会社の状況はさらに悪化している。その理由は、総合編成チャンネルが地上波に対抗するために、過剰投資をしながら、主役級の俳優の出演料を以前よりも引き上げたからだ。制作費は地上波より少なく支給されているのに、俳優の出演料はより高くなったわけだ。今やJTBCを除いた総合編成チャンネルは、ドラマの制作を諦めた。チャンネルは増えたが、ドラマ外注市場はさらに悪化してしまったのだ。イ・ミョンバク政権における代表的な番組制作の失敗事例だと言えるだろう。ソン・ジュンギ教授KBS在籍中に「うちの町の村長さん」(1992)を通じてドラマ演出家としてデビューし、「ご飯を焦がす女」(1994)、「隠れた絵探し」(1994)を演出した後、SBSに移籍。「オギ叔母さん」(1996年百想(ペクサン)芸術大賞・演出賞)、「カタツムリの愛 ~4色物語~」(1998年百想芸術大賞・作品賞)、「ウンシリ」(1998年韓国放送プロデューサー協会・今月のプロデューサー賞)などを演出した。最近では、2007年に家庭の月特集「私たちを幸せにするいくつかの質問」を演出し、韓国仏教・言論文化賞を受賞した。現在、東亜(トンア)放送芸術大学のコンテンツ学部長として在職している。
Vol.1 ― キム・ジョンハク監督の自殺、個人の問題ではない(特別寄稿)
矛盾に満ちたドラマの外注制作ドラマ「太王四神記」は全24話で、1話当たり約18億ウォン(約1億6144万円)を投じた超大作ドラマである。同ドラマは当初SBSでの放送を確定して制作に乗り出したものの、制作終了まで海外の版権など著作権を巡って合意に至らず、SBSでの放送は白紙になった。結局同ドラマはキム・ジョンハク監督の実家とも言えるMBCで放送されることになった。当時MBCから受け取った1話当たりの制作費は約2億ウォン(約1794万円)だという。原価コスト18億ウォンの作品を2億ウォンで販売したため、「太王四神記」はドラマとしては成功したものの、制作会社の成功には繋がらなかった代表的な例となった。成功したドラマ、失敗した事業「太王四神記」は計480億ウォン(約43億528万円)の制作費が投じられたが、収益は第2次、第3次の集計を合算しても400億ウォン(約35億8773万円)に過ぎなかった。大ヒットしても制作会社としては失敗になることは放送業界ではあまり珍しいことではなく、古い慣行のように繰り返されている。数多くの制作会社たちが資金難に悩まされている。このように外注制作の世界は矛盾している。なぜこのようなことが起こるのだろうか?高いドラマであるほど安い外注制作会社が制作する?多くのトップスターの出演によって高額な制作費がかかるミニシリーズ(毎週連続で2日間に2話ずつ放送されるドラマ)は、テレビ局が制作しないことが多い。トップスターをキャスティングしなければならないため、高額な制作費が掛かる上、収益が激減するからである。このような場合、テレビ局は巨額の損失を避けるために外注制作をするのが一般的である。テレビ局が直接制作した場合、1話当たりの制作費が2億ウォン以上かかるならば、外注制作をして1話当たり1億5000万ウォン(約1345万円)台で収めるということだ。一般的にテレビ局が外注制作会社に支払う金額は制作費全体の60~70%ぐらいである。このように損失を被ってまで制作するという外注会社たちが多い理由は何だろう?制作会社は930社、チャンネルは4つ現行の法規定によると、ドラマの外注比率は約40%程度である。このうち、外注できないニュースとスポーツ、洋画などを除けば、実際は制作局の番組の70%を外注しなければ規定された外注比率に合わせることはできない。ドラマの場合、既に各地上波の外注比率が70%を超えている。SBSはドラマの外注比率は80%に迫る。総合編成チャンネルは100%外注制作に依存している。このように高まった外注制作の比率は制作会社の乱立をもたらした。全国に外注制作のために力を注いでいる制作会社は900社を超えており、この内、ドラマを制作したり、ドラマの制作を目標に取り組んでいる会社は40社以上である。新生制作会社たちは会社を創立しても長い間放送してもらえず、実績はゼロに近い。放送してもらえるように何年も努力していても、テレビ局のハードルは高すぎる。頼れる脚本家や監督、トップスターを確保できないと、企画案は検討すらしてもらえないことも少なくない。制作会社はオフィスを借りて職員を採用して何年も耐えるが、収益はほぼゼロに近い。長期間実績がないことを投資家たちが黙っているはずがない。資金難と投資家の圧迫に追い詰められた制作会社は、とんでもない制作費で制作するしかない絶望的な状況に追い込まれることになる。制作経験のない創立したばかりの会社は、テレビ局の要求通りにトップスターをキャスティングするために巨額の出演料を支払う。テレビ局は実績がないという弱点を最大限利用して損失のリスクを制作会社に転嫁し、今後の収益モデルを独占する。これが制作経験のない制作会社に超大作ドラマの制作を預ける理由である。たとえドラマがヒットしても、給料や出演料未払いのような問題が発生せざるを得ない。だが、テレビ局にとっては制作費を適切に使っているのか、出演陣やスタッフたちはちゃんと給料をもらっているのかはどうでもいいことである。スタッフや俳優たちの出演料未支払いが起こると、テレビ局はオウムのように同じ言葉を繰り返す。「それは制作した外注制作会社と解決すべき問題だ」と。キム・ジョンハクプロダクションにキム・ジョンハクは存在しない2年間の制作期間を経た超大作ドラマ「太王四神記」は巨額の損失を被って幕を下ろし、結局キム・ジョンハク監督は自身の持っていた会社の株式を後輩たちに与え、会社を去ったという。その後、会社の運営はキム監督の後輩であるパク・チャンシク氏が務めており、彼は現在セヌリ党の比例代表の議員として活発な活動を繰り広げている。結局「太王四神記」は制作会社の代表であり、監督キム・ジョンハクが直接メガホンを取った最後のドラマとなり、以後キム・ジョンハクプロダクションはキム・ジョンハク監督のいない、名前だけのキム・ジョンハクプロダクションとなってしまった。新しく登場した見せ掛けの「有限会社」損失を被ることが目に見えている状況で外注するテレビ局、外注を受ける制作会社、そしていつまでも繰り返される大ヒットドラマ、赤字会社の構図から抜け出すことができず、結局そのリスクを回避するために新しいリスク回避手段を見つけた。有限会社を設立してこの会社を制作の主体にしてしまう巧妙なシステムを作り出したのである。それは馴染みのない文化産業専門会社という言葉である。「(有)善徳女王」「(有)シンイ-信義-」などの字幕がいつの間にかエンディングクレジットに登場したのは、制作会社が破綻してしまったとき、誰も責任を負わないというリスク回避手段である。そもそも有限会社は資本金がなくなれば会社が倒産し、運営主体は責任を取らない。従って、もし巨額の損失により会社が倒産してしまったとしても、その被害は給料を先に支払ってもらえない何の力もないスタッフや助演、下請け会社、エキストラ出演者などが受けることになる。結局、文化産業専門会社という名の有限会社は、予想された損失を何の力もない弱者たちの転嫁するという強者の手段に過ぎないのである。ソン・ジュンギ教授KBS在籍中に「うちの町の村長さん」(1992)を通じてドラマ演出家としてデビューし、「ご飯を焦がす女」(1994)、「隠れた絵探し」(1994)を演出した後、SBSに移籍。「オギ叔母さん」(1996年百想(ペクサン)芸術大賞・演出賞)、「カタツムリの愛 ~4色物語~」(1998年百想芸術大賞・作品賞)、「ウンシリ」(1998年韓国放送プロデューサー協会・今月のプロデューサー賞)などを演出した。最近では、2007年に家庭の月特集「私たちを幸せにするいくつかの質問」を演出し、韓国仏教・言論文化賞を受賞した。現在、東亜(トンア)放送芸術大学のコンテンツ学部長として在職している。
故キム・ジョンハク監督、止まってしまった砂時計…永遠の眠りに(総合)
韓国ドラマの巨匠キム・ジョンハク監督が永遠の眠りについた。25日午前10時、ソウル風納洞(プンナプドン)峨山(アサン)病院の葬儀場では、故人の最後の道を見守るために各界各層の人々が集まり、涙の出棺式が行われた。出棺式の1時間前の午前9時には、ドラマPD(プロデューサー)協会長のチョン・サン監督から、俳優パク・サンウォン、リュ・ドクファン、オ・グァンロク、パク・ウンビン、ユン・テヨンなどが出席した中、告別式が行われた。告別式では、パク・サンウォンが弔詞を読みながら涙を流して悲しみを吐き出し、故人の生前の姿が盛り込まれた映像に葬儀場は涙の海と化した。特に、映像の最後で、「黎明の瞳」のエンディングシーンが特別編集され、スクリーンに流れた。このシーンでは、劇中死を迎えたチェ・シラを抱き、ゆっくり死んでいくチェ・ジェソンがパク・サンウォンに「私は一生懸命生きた。正しく生きるということは、非常に大変だった。もう休みたい」という台詞が葬儀場に流れた。亡き人となる前に苦難に満ちた人生を行きなければならなかったキム・ジョンハク監督の心を代弁するようなこの台詞に、参列者たちは涙を流した。また、後半非公開で行われた告別式以降は出棺が続いた。俳優のキム・ヒソン、チェ・ミンス、チェ・ジェソンなどは告別式には出席しなかったが、出棺式には出席し、出棺される故人の遺体を見守った。特に、チェ・ミンスとチェ・ジェソンは、霊柩車が去った後も片隅で嘆いていた。チェ・ミンスの目は真っ赤になっていた。彼ら以外にも、多くの中堅俳優たちや、所謂キム・ジョンハク師団の俳優たちが故人の最後を見守った。韓国ドラマの歴史の1ページを飾った巨匠キム・ジョンハク監督は、このように多くの人の悲しみに抱かれながら永い眠りについた。霊柩車の前に置かれた遺影の中の故人の姿は、明るく穏やかだった。キム・ジョンハク監督は、1977年MBCに入社し1981年ドラマ「捜査班長」でデビューし、1991年ソン・ジナ脚本家とタッグを組んだ「黎明の瞳」でスター監督になった。その後1995年SBSドラマ「砂時計」、1998年「白夜 3.98」、2007年MBCドラマ「太王四神記」などを演出し、平均視聴率44.3%という驚くべき記録を残した。今年の5月、キム・ジョンハク監督はドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任および横領詐欺の疑いで告訴された。故人は23日午前、京畿道(キョンギド)盆唐(プンダン)のあるコシテル(考試+ホテル:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作られた長期宿泊施設)で遺体となって発見された。警察はこれを自殺と結論付け、捜査を終結している。故人の遺体は出棺の後、ソウル良才洞(ヤンジェドン)のソウル追慕公園で火葬され、京畿道城南(ソンナム)メモリアルパークに安置される予定だ。
故キム・ジョンハク監督、最後のお別れに同僚や俳優が集結“巨匠の最後の道”
25日午前、ソウル松坡(ソンパ)区風納洞(プンナプドン)のソウル峨山(アサン)病院で故キム・ジョンハク監督の告別式が行われ、故人の遺影が告別式場に向かっている。ドラマの巨匠キム・ジョンハク監督の死で放送・芸能界は深い悲しみに包まれた。「捜査班長」「黎明の瞳」「砂時計」など、激動の韓国現代史を描いた作品で全国民から愛されたスター監督であるだけに彼と一緒に仕事をした同僚や俳優はもちろん、直接的な関係はなかったが彼を尊敬する後輩まで、哀悼の意を表する人々が後を絶たなかった。故人の遺体安置所には23日午後までにペ・ヨンジュンとイ・ジア、チェ・ミンス、チェ・シラ、コ・ヒョンジョン、チョ・インソン、パク・サンウォン、トッコ・ヨンジェなど、一緒に仕事をした多くの俳優たちが訪れ、巨匠の魂を慰めた。キム・ジョンハク監督は23日午前、盆唐(プンダン)にあるコシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で死亡しているのをコシテルの管理人が発見した。故人は、ドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任、横領、詐欺の疑いで警察の取調べを受けていた。墓地は京畿道(キョンギド)城南(ソンナム)永生院(ヨンセンウォン)のメモリアル・パークに決まった。
キム・ジョンハク監督死去…第一発見者が語る「ノックしても返事がなく…煙たい匂いがした」
「砂時計」を演出したキム・ジョンハク監督が死亡した状態で発見され、大きな衝撃を与えている。キム・ジョンハク監督は23日午前、盆唐(プンダン)所在のコシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で死亡したまま発見され、自殺と断定された。故人は家族に申し訳ないという内容の遺書を残したことが知られている。24日に韓国で放送されたSBS「SBSテレビ芸能」では、キム・ジョンハク監督の死亡を発見した最初の目撃者であるコシテルの管理人のインタビューが放送され、当時の状況を伝えた。この日の放送でコシテルの管理人は、キム・ジョンハク監督の死亡を知った経緯について「その日、あの部屋は違う人が予約していた。ノックしてみると物音がしなかった」と説明した。続けて彼は、「行ってみると煙たい匂いがして、おかしいと思った。練炭が燃えたことで出る匂いだった。煙たい匂いがして部屋の中を見てみると、ベッドにきちんと寝ている姿ではなく、体の半分だけベッドにかかっている姿だった」と当時の状況について語った。「黎明の瞳」「砂時計」など珠玉のような作品を残したキム・ジョンハク監督の出棺は午前8時、墓地は京畿道(キョンギド)城南(ソンナム)永生院(ヨンセンウォン)メモリアルパークである。
故キム・ジョンハク監督の葬儀しめやかに“写真の中に笑顔を残して…”
故キム・ジョンハク監督の遺体安置所が23日午後、ソウル松坡(ソンパ)区風納洞(プンナプドン)のソウル峨山(アサン)病院に設けられた。「黎明の瞳」「砂時計」などを演出したキム・ジョンハク監督が23日午前、盆唐(プンダン)にあるコシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で死亡しているのをコシテルの管理人が発見し、警察に通報した。キム・ジョンハク監督はSBSドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任、横領、詐欺の疑いで告訴されていた。
ペ・ヨンジュン&チョ・インソン&コ・ヒョンジョン、故キム・ジョンハク監督を弔問
巨匠が去り、トップ俳優たちの弔問が続いている。23日午前に死去した故キム・ジョンハク監督の遺体安置所に、ペ・ヨンジュンに続きチョ・インソンが訪れ、哀悼の意を表した。チョ・インソンは同日午後9時頃、ソウル風納洞(プンナプドン)ソウル峨山(アサン)病院に設けられた故人の遺体安置所を訪れた。黒いスーツを着て登場した彼は、10分間の短い弔問を終え、遺体安置所を去った。取材陣の前で彼は「お父さんみたいな方で俳優として沢山助けていただいた。どうかいい所へ行かれたらと思う」という言葉を残し、少し涙を浮かべた。これに先立ち8時20分頃、故人が演出したドラマ「太王四神記」に出演した俳優ペ・ヨンジュンが弔問し、黒いスーツ姿で唇をかみしめたまま遺体安置所に入った。ソウル峨山以前にもともと遺体安置所が設けられた京畿道(キョンギド)城南(ソンナム)市盆唐(プンダン)区チャ病院には、故人とドラマ「砂時計」で縁を結んだコ・ヒョンジョンやパク・サンウォンなどが早くから訪れ、弔問した。チャ病院は空間が狭いと判断し、午後6時頃、現在のソウル峨山病院に搬送した。生前、「砂時計」「太王四神記」「シンイ-信義-」などのヒットドラマを多数輩出した故人は、キム・ジョンハクプロダクションを設立し、多数の俳優や芸能界関係者らと密接な交流を続けてきた。故人の最期にこれまで縁を結んできた沢山のトップスターが哀悼の意を表している。関係者によると、「シンイ-信義-」や「砂時計」など故人と付き合いの長いチェ・ミンスと「シンイ-信義-」の主人公イ・ミンホ、「太王四神記」のヒロインイ・ジアなども弔問に訪れる予定でありトップスターの弔問は続くと見られる。一方、盆唐(プンダン)警察署によると、キム・ジョンハク監督は同日午前、京畿道(キョンギド)城南(ソンナム)にあるコシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で遺体となって発見された。現場には遺書と思われる文書と練炭が発見されたことから自殺と断定し、今日中に捜査を終える予定だ。出棺は25日午前8時、葬地は京畿道城南にあるメモリアル・パークである。キム・ジョンハク監督は5月、ドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任と横領、詐欺の疑いで訴えられた。1981年にMBCドラマ「捜査班長」でデビューし、1991年「黎明の瞳」、1995年「砂時計」などをヒットさせた。
「シンイ-信義-」監督キム・ジョンハク氏自殺…キム・ヒソン、イ・ミンホら弔問
出演料未払い事態が起きた「シンイ-信義-」の俳優たちが、故キム・ジョンハク監督の遺体安置所を訪れた。「黎明の瞳」「砂時計」「太王四神記」「シンイ-信義-」等を誕生させたソン・ジナ脚本家は24日午前、公式サイト「Dramada」に「行って参りました」という件名で長文を掲載した。ソン脚本家はこの記事で、「以前の作品の他の役者たちが昔の話をしていた中、力なく座っていた『シンイ-信義-』の役者たちを見て心が痛みました」とし、「シンイ-信義-」に出演した俳優たちが故人の遺体安置所を訪れたことを伝えた。彼女は、「2つの収録をやっと終え、蒼白な顔で駆けつけてきた(キム・)ヒソンさんも、急いで飛行機のチケットを手配して夜中に駆けつけた(イ・)ミンホ君も、暗い影のように座っていた(リュ・)ドクファン君も、泣いていた(パク・)セヨンさんも、そんなに隅っこにいないでください」と慰めた。キム・ジョンハク監督は死亡直前まで、昨年放送されたSBSドラマ「シンイ-信義-」の出演料を支払わなかったという理由で背任、横領、詐欺等の疑いで警察の調査を受けていた。そのため、監督が突然死亡したというニュースが伝えられた後、「シンイ-信義-」に出演した俳優たちが受けたショックは大きいものだった。ソン脚本家はこの文章で「ヒソンさんのことが気になります。3年待って加わった『シンイ-信義-』。大変な撮影現場で監督を唯一笑わせたというウンス。名前のないスタッフや新人俳優たちが自分たちだけでは力が足りないと、名の知られたヒソンさんが力になってくださいと告訴状に名前を載せた経緯を私が知っています。監督を相手にしたのではなく、制作会社を相手に。しかし、そんな理由で泣いて、また泣いています。泣かないでください」と「シンイ-信義-」の俳優たちが出演料未払いと関連し告訴した相手がキム・ジョンハク監督ではなく制作会社だと説明した。盆唐(プンダン)警察署によると、キム・ジョンハク監督は23日午前、京畿道(キョンギド)城南(ソンナム)にあるコシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で遺体となって発見された。警察は故人を発見した当時、遺書と思われる文書とともに練炭があったことから自殺と断定し、今日中に捜査を終える予定だ。出棺は25日午前8時、埋葬地は京畿道(キョンギド)城南市(ソンナムシ)盆唐(プンダン)のメモリアルパークだ。キム・ジョンハク監督は5月、ドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任、横領、詐欺等の疑いで告訴されていた。
警察、キム・ジョンハク監督の死因を自殺と結論…司法解剖せずに捜査終了へ
警察がキム・ジョンハク監督の死因を自殺と結論づけた。この事件を担当している盆唐(プンダン)警察署の関係者は24日の午前、マイデイリーに「キム監督の死因は自殺で結論を出した。他殺の疑いがなく、家族の意見によって司法解剖はせず、今日中に捜査を終える予定だ」と明かした。キム監督は23日の午前、京畿道(キョンギド)城南(ソンナム)にあるコシテル(考試院:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)で遺体となって発見された。現場ではA4用紙4枚分量の遺書と共に練炭が発見された。これに先立ちキム監督は、SBSドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連して背任と横領、詐欺の疑いで訴えられ、警察から調査を受けた。「シンイ-信義-」は100億ウォン(約8億9千万円)を投資した作品で、従来の時代劇とは異なり、多くのCG作業が行われるなど、制作過程でたくさんの制作費が投入された。そしてその過程で俳優たちの出演料の支給が遅くなり、問題が発生した。これに「シンイ-信義-」の出演俳優たちとスタッフたちは、今年2月に制作会社の代表を背任と横領、詐欺の疑いで告訴し、この過程で演出を務めたキム監督が関連があると疑惑が提起され、代表と共に調査を受けた。故人の遺体はソウル松坡(ソンパ)区風納洞(プンナプトン)にあるソウル峨山(アサン)病院の葬儀場34号室に安置され、出棺は25日の午前8時、葬地は城南にあるメモリアルパークである。
スター監督キム・ジョンハクさんの訃報に衝撃を受けた芸能界
キム・ジョンハク監督の訃報を聞いた芸能界が悲痛な雰囲気に包まれた。キム・ジョンハク監督は23日の午前10時18分ごろ、京畿道(キョンギド)盆唐(プンダン)のあるコシテル(考試+ホテル:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作られた長期宿泊施設)で遺体となって発見された。窓をガムテープで防ぎ、練炭に火をつけた現場をコシテルの主人が発見し、警察に通報した。キム監督は「家族に申し訳ない」という内容の遺書を残したと伝えられている。キム・ジョンハク監督の訃報が知られた後、イソン・ヒイル映画監督は自身のTwitterに「一場の夢。キム・ジョンハク監督の冥福を祈る」「惜しい才能を天に送り、雨は降って」という書き込みで悲痛な気持ちを表した。映画評論家のシム・ヨンソプも「キム・ジョンハク監督は、自宅ではなくコシテルで練炭に火をつけて自殺したんですね。この死の暴走列車はいつ止まるでしょうか。残念です。ご冥福をお祈りします」という書き込みで芸能界で相次いでいる自殺のニュースへの切ない思いを吐露した。今月18日、富川(プチョン)国際ファンタスティック映画祭で胸の露出事件で話題になった女優ヨ・ミンジョンも「キム・ジョンハク監督。謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。天国で安らかにお眠りになりますように」と冥福を祈った。MBC「黎明の瞳」やSBS「砂時計」、そして最近SBS「シンイ -信義-」まで、20年以上、コンビとして活躍してきたソン・ジナ脚本家は衝撃を受けた。彼女は23日、あるメディアの電話取材に対し、「申し訳ない。後で連絡する」と言葉を続けられず、電話を切る直前まですすり泣いていたことが知られた。キム・ジョンハク監督は「黎明の瞳」「砂時計」「太王四神記」「シンイ -信義-」などを演出したスター監督だ。特に「砂時計」は放送当時、60%を越える視聴率を記録し、帰宅時計とも呼ばれた。キム・ジョンハク監督は最近、「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任および横領詐欺の疑いで告訴され、警察の調査を受けた。また、出国禁止処分を受けた。
イ・ミンホ「シンイ-信義-」キム・ジョンハク監督死去に“悲痛”
イ・ミンホが故キム・ジョンハク監督の死亡にショックを受けたという。イ・ミンホの関係者は23日午後、OSENとの取材で「イ・ミンホが現在CMを撮影しているが、後から悲報を耳にし、ショックを受けた。悲痛な気持ちで言葉を失ったという。最近共に作品をしただけにショックが大きい」と伝えた。「キム・ジョンハク監督が中国と韓国を行き来しながら次回作を準備していると聞いていたが、どうしてこのような状況になったのか分からない」と付け加えた。イ・ミンホはキム・ジョンハク監督の遺作となった「シンイ-信義-」で主演を務めた。イ・ミンホが故人の最後の作品に出演しただけに、突然の悲報に悲しんでいるという。盆唐(ブンダン)警察署刑事課によるとキム・ジョンハク監督はこの日午前、コシテル(シャワー室とトイレ付きの部屋)で死亡した状態で発見された。彼は昨年からSBSドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払い問題で背任及び横領、詐欺の疑いで告訴され苦しんでいた。現在故・キム・ジョンハク監督の遺体は、盆唐にあるチャ病院の遺体安置所に運ばれた状態だ。