ポエトリー アグネスの詩
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Vol.1 ― ユン・ジョンヒ 「『ポエトリー』はカンヌ国際映画祭の作品賞としても十分な映画」
信じられないが、信じざるをえない話がある。ユン・ジョンヒが最高に人気があった時、彼女はある映画祭で賞をもらった後、ソウル市内でカーパレードをした。そしてさらに信じられない話がある。ユン・ジョンヒは、その人気を後にして、もともとの計画の通りフランスへ行った。韓国の映画史を飾った最高のスターであり、フランスに行った後も絶え間なくシナリオの話が持ち込まれる、今もファンクラブがある女優。そして15年ぶりの作品で、イ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」を選択した女優。ユン・ジョンヒは、いったいどんな人生を生きた女優なのだろうか。彼女に人生と映画について聞いてみた。 ―映画「ポエトリー アグネスの詩」の公開に合わせて、いろいろなメディアで立て続けにインタビューを受けているが、このような経験は初めてですか。ユン・ジョンヒ:初めてです。昔、人気があった時は時間がなくて、記者たちが現場に来たり、団体で来る場合が多かったんです。だけど、今回は「ポエトリー アグネスの詩」を愛していて、俳優として作品だけ終わらせて発つよりは良い作品を最後まで正しくお知らせするのが私の義務だと思いました。新しい人とインタビューをしたら、新しいものもたくさん学べて良いです。「35回も撮ったシーンもあります」―本当に「ポエトリー アグネスの詩」に満足したんですね(笑) ユン・ジョンヒ:そうですね。この映画を見れば、私の話に賛成するでしょう。「ポエトリー アグネスの詩」がカンヌ映画祭に出品されましたが、私が審査委員だったら、本当に「ポエトリー アグネスの詩」に作品賞を与えたいです。他に極上の素晴らしい作品が出てこない限り、作品賞として十分な作品です。―その素晴らしい作品とはたぶん「ポエトリー アグネスの詩」となるでしょう(笑) イ・チャンドン監督とはどのようにしてお知り合いになったのですか。ユン・ジョンヒ:できる限り良い映画をたくさん見ようとしています。イ・チャンドン監督の映画も、当然全部見ようとしました。以前は映画祭の審査をたびたびしていたので、大画面でよく見ていたけど、イ・チャンドン監督の映画は残念ながらDVDで見るしかなかったです。見ながら、こんなに素晴らしい監督がいるんだなと思いました。―イ・チャンドン監督の作品の中で、最も印象的な作品は何ですか。ユン・ジョンヒ:「ポエトリー アグネスの詩」です。(笑) ―ハハハ。イ・チャンドン監督からはどのように「ポエトリー アグネスの詩」の出演を説得されましたか。ユン・ジョンヒ:説得はまったくありませんでした。イ・チャンドン監督が私たち夫婦と監督の奥さんと4人で一緒に食事しましょうと誘ってくれて、食事をして、コーヒーショップに行った時、話があると言っていました。監督が私を念頭に置いてシナリオを書いているが、ずっと黙っていることが気になっていると。その話を聞いて私たちは「わー!」と感嘆しながら喜びました。タイトルも聞かずに、どんなストーリーなのかも知らずに、その場で了解しました。最近の若者たちがこう言っていました。「感動です」。(笑) その通りでした。―「ポエトリー アグネスの詩」は女性主人公が全体的に映画を引っ張っていくと言っても過言ではない作品で、俳優として大変な部分も多かったと思います。シナリオを渡された後、どんな気持ちでしたか。ユン・ジョンヒ:シナリオを読んでみたら、作品の90%以上を私が引っ張っていかなければならない内容でした。それだけ責任感も大きく感じましたが、シナリオがとても良くて、ミジャ役もとても魅力的でした。観客たちがこの映画を見ながら、夢を見て、美しさの中で人生を送れたら良いなと思いました。もちろん映画の中で大きな事件も起こるけれど、私たちの人生の中には平和で美しいことだけあるわけではないでしょう。―しかし、ミジャを演じることは簡単ではなかったと思います。ジョンヒさんの「霧」のような過去の作品を見たら、その時の演技は今より演劇的な感じが強かったです。最近の俳優は、できる限り自然に演技をするほうです。特にイ・チャンドン監督は、俳優に最大限に自然な演技を注文しています。ユン・ジョンヒ:この映画は恋愛ドラマでもなく、サスペンスでもなく、エロティックなものでもありません。極端な演技ではなく、多様で繊細な演技が必要でした。それにイ・チャンドン監督は実に事実主義の演出をするでしょう。セットやデコレーションひとつまで、エキストラも普通の人のように自然に演技しなければならないし、そのような演技をするためには努力が必要でした。ある時は1、2回でOKが出たり、難しかったときは35回も撮り直したこともありました。しかし、100%うまくいく映画がどこにありますか。解けない場面で答えを見つけた喜びが幸せをくれます。自然に演技をすることは簡単ではなかったけれど、すべてのスタッフやイ・チャンドン監督と呼吸がよく合っていたので、苦痛ではなかったです。正解を探すと言うより、絶えず会話をしながら少しずつ結果を出したような感じです。「イ・チャンドン監督と話しながら、私も知らなかった自分を発見」―35回も撮ったのはどんなシーンでしたか。ユン・ジョンヒ:あるおばさんに会って、何かをお願いするシーンがありました。だけどその時、ミジャはある面ではロマンに酔っていた状態です。若干、幻想に陥っている人のようでもあり、それが現実で起きていることだけど、本当は非現実的な瞬間であるかもしれない、その姿をどうやって自然に、ミジャのように演技すべきなのかが非常に難しかったです。―イ・チャンドン監督はジョンヒさんの演技についてどのように話していますか。ユン・ジョンヒ:イ・チャンドン監督の演技指導がとても良かったです。自分がシナリオを書いて、自分で演出したので、監督自身が想像しているミジャの姿を多様なアイディアで提案してくれました。イ・チャンドン監督と話をする過程で、自分でも知らなかったユン・ジョンヒを見つけることができたんです。だから対話をたくさんして、二人で仲良く熱心に撮影することができました。35回撮ったシーンも、ミジャと似ている点があって、続けて没頭できました。私もミジャのように時々現実でボーっとして自分に酔ったりもするから(笑) 人生を送りながら些細なことも見逃さず、その美しさに陥るところも似ています。―しかし、ミジャとジョンヒさんの人生はまったく違うと思います。同年代の人だけど、ずいぶん違った女性でしたが、このミジャにどのように近づきましたか。ユン・ジョンヒ:そのことを考えるよりは、瞬間瞬間の気持ちによって動きました。もちろん撮影前にすべて勉強はしましたが、現場では瞬間的な気持ちに忠実したと思います。カメラ前に立つ時は、夢を見るように夢想に陥ります。このような気持ちを維持したことがとても役に立ちました。私は今でも錯覚をしながら生きています。―何をですか。ユン・ジョンヒ:歳を!(笑) もちろん精神と身体の差がありすぎたらダメだけど(笑) でも、学校に通っていた時も本を読むとその主人公に陥っていました(笑) だからデビュー作だった「青春劇場」の女性主人公のオ・ユギョンも、先に本を読みながら実に魅力的な女性だと思い、彼女にのめり込んだことがあります。このような考え方が後になって作品を作るとき、とても役に立ちました。―花を見たら今でも胸がドキドキするとおっしゃいましたが、その時も文学少女だったんですね(笑) ユン・ジョンヒ:花が嫌いな人はいませんよ(笑) 私は胸がドキドキするのではなく、大声で叫びます(笑)
ユン・ジョンヒ“詩のように、花のように”
「おばあさんの服は派手すぎる。この町とまったく似合わない」白い肌、少女のように細い身体、幅広ブリムの帽子。そのため、若いころには「微笑むだけで、男性たちが惚れてしまった」という話にも、うなづいてしまうような女性であるミジャ。そんなミジャが町を歩きまわる。農作業のために顔が真っ黒に日焼けした女たちがいる町を、他人の助けなしでは身動きさえ難しいおじいさんたちがいる町を。しかし、ミジャはこの町に似合わない。家政婦の仕事をしてやっと暮らしている生活保護対象者であるが、詩想を思い浮かべながら無邪気な表情をするミジャは、この町に似合わないのだ。ミジャはそもそも詩が似合う女だ。カン老人(キム・ヒラ)の面倒を見た後はきれいにシャワーを浴び、美しく装いなおすミジャの姿から、暮らしの厳しさなどまったく感じられない。ミジャの姿は、彼女が好きな花のようだ。世の中の騒音や埃にもまれても、依然と美しく町のどこかに咲いている。よく見かけることはないが、どこかに咲いている花それで、ユン・ジョンヒがミジャに扮した。数百本の映画に出演し、血書を書くまでになるほど男たちが惚れて、映画祭で賞をもらえばソウルの街でカーパレードをしたスーパースターのユン・ジョンヒであるから。しかし、ユン・ジョンヒが「ポエトリー アグネスの詩」に出会ったのは、そんな華やかな女優時代があったからでなく、その前後の彼女の人生のためであるだろう。彼女の父親は彼女が幼い頃から、いつかは彼女がフランスに渡って優雅な芸術家の人生を生きることを願った。そして、ユン・ジョンヒは決めた分だけ女優として活動した後、ピアニストである夫と共にフランスに向かった。家族と一緒に映画を見ながら眠る毎日を過ごした彼女。そんな彼女は、夫の演奏に合わせて未堂・徐廷柱(ミダン ソ・ジョンジュ)の詩を朗唱するアルバムも出した。数多くのトロイカ女優(各世代での3大女優)の中で、ある女優は人々のそばに残り、韓国人の心の中で母親的な存在になった。しかし、ユン・ジョンヒはフランスで美しい花になっていた。スタジオでアントニオ・ヴィヴァルディの曲が流れたら、にっこりと笑いながら踊る彼女は、身体を動かせる花になっていたのだ。よく見かけることはないが、どこかに咲いている花。「ポエトリー アグネスの詩」は、ユン・ジョンヒが一生咲き続けてきた容姿を、そのまま街なかに移してきたような映画だ。ミジャがシャワーを浴びるために服を着替える時、観客はまるでか弱い少女のようなユン・ジョンヒの背中を見ることができる。ユン・ジョンヒのその背中は、その町にはなかなか似合わないミジャの存在を現実に映し出す。どんな服を着ても、どんな状況にいても、詩を書くことが似合う女。相変わらず古典的と言えるこの女優のオーラが2010年のスクリーンに映されるとすぐに、まるで詩のように現実から消えたと思った美しい女性が現れた。彼女が書いた私たちの詩しかし、ミジャが見てときめいたアンズのように、詩は壊されたり踏まれる時、人々の次の人生に貢献することができる。60年以上を生きながら、ミジャはまるで町の、もしくは世界の周辺人のように生きてきた。生活保護対象者だったが暮らしが大変とは思わないし、自分に孫を預けて地方でお金を稼いでいるためあまり会えない娘との関係は「友達のような仲」とロマンティックに包んでいた。そして、生きてきた中で起こった多くのことは忘れた。忘却と目を逸らすことで可能になった詩のような人生。しかし、ミジャに似合わなかった町の人々の話が、ある瞬間、彼女の人生に入ってきた時、ミジャはそれ以上、彼らから目を逸らすことも、忘れることもできなくなる。強い日差しの下で日焼けしながら果物を採る女の表情の裏には、誰にも明かせない深い悲しみがあった。身体を動かせない老人には、ミジャが思ってもいなかった姿があった。彼女は自分が知らなかったある秘密を知るようになった瞬間から、ミジャにとって町は、そして現実は、数日前に彼女が見つめていたものとは違う場所になった。詩想を思い浮かべることができないくらいの悲しい世の中になった。そんな現実の中で、ミジャが詩を書くために何かをしなくてならないと言ったら、彼女は何をするべきか。そんな疑問が浮かぶ瞬間、「ポエトリー アグネスの詩」は奇跡を見せてくれる。現実が詩になり、詩が現実を動かす奇跡。そして、町に似合わなかったおばあさんのミジャが、実は世の中の傷を癒そうとする聖ミジャであることを見せてくれる奇跡。そして、実際、本名がミジャであるユン・ジョンヒは、人々から長い間離れていた過去の女優でなく、今の韓国に帰ってきて、我々に自らを振り返って懺悔させる女優になった。そのためずいぶん宗教的と言ってもいい「ポエトリー アグネスの詩」の救援は、韓国の現実と、非現実的なほど美しい芸術家の世界に身を置いたユン・ジョンヒの存在感を通じて可能になった。ミジャは町に似合わない女だ。1960年代のスターであるユン・ジョンヒは、2010年の韓国とは似合わない女優だ。しかし、ミジャは町に、韓国に入ってきた。そして、詩を書いた。我々が見ることができなかった我々の世の中に関する詩を。
イ・チャンドン監督 「夢を持ちたい人に『ポエトリー アグネスの詩』を見てもらいたい」
「私が苦労するといけないからって早く済ましてはいないのよね?」「僕がそんなにいい人だと思います?」映画「ポエトリー アグネスの詩」のメーキングフィルムの中で、監督と女優はそのような会話を交わしていた。女優はデビューして40年の間に300本以上の作品を撮ったユン・ジョンヒさん、監督は「グリーンフィッシュ」から「シークレット・サンシャイン」まで、自ら韓国映画のひとつの流れを作り出したイ・チャンドン監督であった。それぞれの分野で巨匠となった二人はどのような縁から「ポエトリー アグネスの詩」を共に制作したのであろう。14日、ソウルの押鴨亭(アックジョン)CGV映画館では「ポエトリー アグネスの詩」に出演した俳優アン・ネサンの司会で、二人の出席した制作報告会が行われた。―「ポエトリー アグネスの詩」を撮ったきっかけは?イ・チャンドン監督:全ての作品がそうですが、「ポエトリー アグネスの詩」は僕にとってチャレンジであり実験でもありました。このチャレンジをどうしたら上手く出来るのかを考えたのです。見えないけれども意味のある美しいものが段々と失われていく時代に、そうしたものを共有したいと思ったのです。ですからこの題名とストーリーと主人公で観客と向き合いたかったのです。アン・ネサン:売り上げにあまりこだわらなかった作品だと思います(笑) でも上手くいくと思いますよ。イ・チャンドン監督:映画を撮るたびに同じような質問を受けています。「オアシス」の時もそのような障がい者が登場する映画を見るため、わざわざ映画館まで来る人がいるのかと言われました。僕は観客とのコミュニケーションのために映画を作っています。映画はそうあるべきです。映画はお互いが理解出来る人同士の媒体ではないし、僕は不特定多数の人々と話をしたいんです。本心さえ伝われば観客と向き合ってコミュニケーション出来ると信じています。「女性が自分の生き方を振り返るストーリー」―どんなチャレンジを意味しているのですか。イ・チャンドン監督:見る側からすればあまり大した変化はないと言うかもしれませんが、僕は大きなチャレンジだと思っています。観客に会いたいけれど、簡単に会うより難しく不慣れな方法で会いたかったのです。だから観客と僕の間には、まるで障害物競走のように多くの障害を設けておいて、それを通過した時、観客とゴール地点でガッツポーズをしたいと思ったんです。この映画はそうであって欲しかったんです。ですから不慣れな形の映画になったと思います。映画はますます楽しさや娯楽性、刺激を追い求めるケースが増えていますけど、「ポエトリー アグネスの詩」は刺激ではない刺激として受け入れて欲しかったです。映画のキャッチコピーに「胸を打つ」なんていうのがありますけど、少し恥ずかしいです(笑) こうしたものが胸を打つんじゃないでしょうかね。―予告を見た限りだと今までの映画より少し明るくなったように感じられますが。イ・チャンドン監督:個人的には今までの作品もそれなりに明るかったと思ってるんですが(笑) 映画が暗いとか明るいとか以前に、映画を先に見た人はこれまでの作品より居心地が悪かったと言ってましたね。―小説家出身の映画監督が詩を書く人の話を作っている。小説、映画、詩とはどんな意味なのでしょうか。イ・チャンドン監督:本質的には同じです。僕が僕の中のものを通して世の中を見て、それを人々とコミュニケーションするんです。それをあえて詩としたのは、人々に近づける最もいい話題だったからです。詩はなくても生きていけるし、国語の時間に習っては卒業と同時に忘れやすいものです。でもそれでも詩は必要です。目には見えないけれど生き方の意味や美しさを表すあるものですよね。そうした意味で、小説や音楽、映画は同じなんです。確かに娯楽としての映画もありますけど、そうでないのもあるでしょ。観客と共にどんな意味なのかを考えてみたかったんです。―「ポエトリー アグネスの詩」の題名を監督が直筆で書いたと聞いています。どうしてそれを使ったのか。イ・チャンドン監督:意味を持ちながらも、あまり飾らない美しさのような物を伝えたかったんです。だから上手すぎるといけないと思ってそのまま使いました(笑) もともと僕の書道の腕前はそこそこだしね。アン・ネサン:誰でも書けそうな腕前でしたよね(笑) ―ミジャという女性のお話だということですが、彼女はどんな女性なのか。イ・チャンドン監督:映画が封切られるまで伏せておくべき部分があるのであまりあからさまにはお話出来なくて恐縮ですが、隣のユン・ジョンヒさんのような人です。ユン・ジョンヒさんは周知の通り伝説的な女優ですし、世界的に高名な音楽家を夫に持つ人でもあります。しかしご自身が女優でありながらも自分の全てを捨てて数十年の間、夫を支え続けた方です。偉大な人物として受けとられて当然の方ですが、その内面にはソウル近郊の質素なアパートで自分の人生の小さな物を守りながら暮らしている、60代の普通の女性と変わらない部分を持っているように見受けられます。そうした女性が自分の生き方について振り返った時、どういう選択をすべきかについての話しです。「シナリオを受け取り興奮して作品を撮った」―ユン・ジョンヒさんをどうやってキャスティングしたのですか。イ・チャンドン監督:個人的には親交がありませんでしたが、僕らの世代でユン・ジョンヒさんを知らない人はいないでしょ。だからユン・ジョンヒさんは僕のことを知らなくても僕は良く知っていました。ですからとても自然にユン・ジョンヒさんを主人公にしようと思ったのです。シナリオを書く前からユン・ジョンヒさんを主人公に考えていますとお話ししておきました。ユン・ジョンヒさんの本名がミジャということもありましたけど、シナリオを書いているうちに何となく主人公の名前はミジャ(美子)が似合うと思ったんです。ありふれた名前ですけど美しいの美が入っているし、ぴったりするくらいの野暮ったさと美しさがあったから。ユン・ジョンヒ:私も泣き虫で小さいことに感動してしまうたちなんです。夫が一緒にシナリオを読んで君と似てるねって言ったほどですから。だから演技に対する心配は少し減ったのですけれども、私の以前の演技から抜け出すのが大変でした。とても多くの作品に参加して来ましたけど、「ポエトリー アグネスの詩」を演技するのは本当に大変だったんです。生まれて初めて夫の前でも練習したんですよ。そしたら夫が監督と同じように「もっと自然に出来ないかな」って言うの(笑) イ・チャンドン監督:ユン・ジョンヒさんはとても素朴な方で、顔にしわが表れていても内面は全くお年を召していないんです。ミジャも同じで、60年も見てきたはずの月なのに、今でも夜空の月を眺めてはうっとりし現実を忘れてしまう、そんな女性なんです。―15年と言うブランクのあるユン・ジョンヒさんをキャスティングするにあたり不安はなかったのですか。イ・チャンドン監督:僕が不安になるというより、ユン・ジョンヒさんがどう受け止めていらしたのかが知りたいですね。(この瞬間いきなり携帯が鳴った)アン・ネサン:ローンの問題がまだ解決していないようですね(笑)イ・チャンドン監督:iPhoneを買ったのにまだ上手く使えなくて(携帯を)そのままにしてました。また鳴るかも知れませんよ(笑) ユンさんは約300本もの映画に出演しているので、体が過去に演技していたことを覚えているんです。それが悪いというのではなくですね、演技の経験がない人とは違うんです。それで僕とぶつかったりしたらどう受け入れるだろうかとそれが心配でしたけど、実際にしてみるととてもオープンな方でして。若い俳優でも自分の持っている何かを砕いてしまうと抵抗するのに、それをとても上手く受け入れて下さいました。ユン・ジョンヒ:監督が私を考えながらシナリオを書き始めたと言ってくれた時、本当に嬉しくて感動したんですよ。その時はまだシナリオが出来ていませんでしたが、イ・チャンドン監督の作品をずっと見てきたから信頼があったんです。その後現場でシナリオを受け取ったのですけど、またとないシナリオだなってね、興奮した感じで撮影したんです。―実際の撮影はどうでしたか。ユン・ジョンヒ:良かったですよ。監督は私が本当に追い求めた姿を教えてくれました。だから今回の役を演じるのは難しかったけれど、撮影現場の雰囲気や監督との呼吸はとてもよく進められました。アン・ネサン:体力的には問題ありませんでしたか?(笑) 監督は俳優を酷使することで有名なんですよ。ユン・ジョンヒ:60歳を超えていても私は少女のように暮らしてますよ(笑) なのにスタッフたちが来ては疲れていませんか?大丈夫ですか?って聞くんですけど、体力的には全然疲れを感じませんでした。バドミントンをするシーンがありましてね、何回も撮ったから腕が疲れましたけど、映画会社の人が病院に行きましょう、行きましょうっていうからどうしてですかって言ったんです。シップすればいいのにね(笑) イ・チャンドン監督:バドミントンをする場面は結構重要で、しかも夜の撮影でしたから夜更かししてバドミントンをしたんです。若者でもそれくらい腕を使うと筋肉が引きつるし、そうなると撮影に支障をきたしますからね。だから専門家のマッサージを受けてもらおうとしたのに、ユンさんご本人はそれを本当に何気なく受け止めていましたね。「夢を持っている人に『ポエトリー アグネスの詩』を見て欲しい」―15年の間に映画界は大きく変わったと思いますが、経験して見たご感想は?ユン・ジョンヒ:昔の友達に会ったような感じですよ。私は映画界から引退したと思ったことがなかったのでこうした雰囲気がとても自然に感じられたんです。以前はモニターを見ながら自分の演技を分析したことがなかったんですけど、今回はそれが出来て大変役に立ちました。(演技に)欲張りだから、どうすれば本当に最善を尽くした演技が出来るのだろうかと悩んで、それから満足するまでやろうと思ったから本当に大変で。―美貌は相変わらずのようですが(笑) 秘訣などはありますか?ユン・ジョンヒ:わたし普通でしょ?(笑) 髪だって自分でしてるし。ただ自分の肌は自分で管理しないといけないから本を見て化粧品を自分で作って使ったりしていますけど。―「ポエトリー アグネスの詩」はカンヌ国際映画祭に出品されそうですか?イ・チャンドン監督:一応作品は送っていますし、カンヌ委員会の委員長や選定委員たちの感想を聞いています。ですが公式発表があるまではそれに言及しないのが通例ですから、待つしかありませんね。―最後に観客への一言を。ユン・ジョンヒ:私は自分のファンの方々を信じています(笑) ファンの方々に多く見てもらいたいですし、他の人々にもたくさん見てもらいたいです。特に夢を持っている人に見てもらいたいですね。イ・チャンドン監督:僕は夢を持ちたい人にも見てもらいたいです。それとユン・ジョンヒさんと共感できる人が夢について考えることの出来る若者と共に見てくれたら嬉しいですね。アン・ネサン:そしたら一千万人を動員出来ますね(笑)
「ポエトリー アグネスの詩」日本で絶賛の嵐!
イ・チャンドン監督の映画「ポエトリー アグネスの詩」は日本での公開後、日本の有名な監督や評論家から絶賛をされている。映画「ポエトリー アグネスの詩」は第63回カンヌ映画祭の脚本賞をはじめ、アメリカCNNの「2011年最高の映画TOP10」やシカゴ・トリビューンの「2011今年最高の映画」にも選定されるなど、韓国内外で高い評価を受けてきた。そして今月の11日に日本で公開された後、日本でも優秀な評論家と監督たちの支持を受け、イ・チャンドン監督の底力をもう一度実感させられた。「ヒミズ」の園子温監督や、日本の映画界の次世代を担う文人であり心理学者でもある「ゆれる」の西川美和監督、「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定勲監督などの日本を代表する若い監督たちが「ポエトリー アグネスの詩」の観覧後、「イ・チャンドン監督の映画の世界を通して、映画の真実と生きる希望を再確認した」と口を揃えて語った。異常気温で雪まで降る寒い天気であったにも関わらず、一般試写会に参加した観客たちにも好評だった。彼らは「韓国映画の高い水準に感嘆した」「叙情的で美しい映像が印象的だ」「人生の深さを感じることができる傑作だ」と映画について高い満足感を表した。「ポエトリー アグネスの詩」の関係者は、このような現状について「韓流に依存する日本の韓国映画史上、新しい転機を迎えるきっかけになるように思われる」と評価した。「ポエトリー アグネスの詩」は今月の11日、東京に位置する由緒深い芸術映画専門上映館である銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館での上映をはじめ、全国50ヵ所の映画館で巡回上映される。また2月末から福岡の西南学院大学の講演や北海道での舞台挨拶など、東京と大阪に続いて、イ・チャンドン監督が再び訪日し、日本の観客たちに直接出会う場を作る予定だ。
イ・チャンドン監督映画「ポエトリー アグネスの詩」日本上映決定
女優のユン・ジョンヒ主演の映画「詩」(監督イ・チャンドン、製作PINEHOUSE FILM)が来月11日、日本で公開される。ドキュメンタリー「牛の鈴音(ウォナンソリ、オールド・パートナー)」の日本配給会社であり「真!韓国映画祭」などを開催して本格的な日本直配ビジネスを進めてきたキノアイジャパンが、今年初の日本直配作品として「詩」を選んだ。第63回カンヌ映画祭で脚本賞を受賞し、世界で高く評価された「詩」は、日本で「ポエトリー アグネスの詩」というタイトルで公開される。日本公開用のポスターと予告映像では、主人公であるミジャ(ユン・ジョンヒ)のクリスチャンネーム・アグネスを強調した。厳しい現実にぶつかったミジャが詩を通じて傷を癒し、自我を探していく過程を叙情的に描いている。日本のキネマ旬報は「確実に傑作となるに違いない」、週刊文春は「日本の映画にはない力が感じられる作品」と評価した。また、読売新聞は「最後の10分間は涙が止まらなかった!」、日本経済新聞は「どんな傾向でどんな物語を描くとしても動揺せず、落ち着いて余裕のある目線で映画を作る監督は、もうイ・チャンドンの以外には存在しない!」と高く評価し、さらに期待を集めている。映画「ポエトリー アグネスの詩」は、来月11日から東京の銀座テアトロを始め、全国巡回で公開される予定だ。