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Babylon、3rdフルアルバム「EGO 90'S」トラックリストを公開…イ・ヒョリ&パク・ジニョンら豪華なラインナップに注目
R&BシンガーソングライターのBabylonが、豪華アーティストらが参加したニューアルバムを発売する。Babylonは昨日(6日)、自身のSNSを通じて3rdフルアルバム「EGO 90'S」のトラックリストを公開した。そこには豪華アーティストたちが名を連ねており、注目を集めた。まず「雨が降る」はBabylonがプロデュースした楽曲で、パク・ジニョン(J.Y. Park)が作詞し、歌手オム・ジョンファがフィーチャリングとして参加した。この他にも、DEUXのイ・ヒョンドとイ・ヒョリのプロデュース曲をはじめ、Brown Eyed Soulのヨンジュン、キム・ボムス、サム・キム、フィソン、ハリム、イム・ジョンヒ、UPTOWNのチョン・ヨンジュンがフィーチャリングに参加した。企画会社のスイッチプロモーションは「今回のアルバムは90年代、2000年代のソウル、R&B、ジャズ、バラード、ニュージャックスウィングをベースにしたアルバムだ。Babylonは『トレンドは変わるけれどクラシックは永遠だ』ということを表現したかった」と伝えた。Babylonの3rdフルアルバム「EGO 90'S」は、19日午後6時に発売される。
DEUX元メンバー故キム・ソンジェさんの元恋人、薬物分析専門家を相手取った損害賠償訴訟の第2審でも敗訴
DEUXの元メンバーである故キム・ソンジェさんの元恋人が、薬物分析の専門家を相手取って提起した損害賠償訴訟で、第1審に続き、第2審でも敗訴した。ソウル高裁民事27部は16日、故キム・ソンジェさんの元恋人が薬物分析専門家のA氏を相手取って提起した、10億ウォン(約1億円)相当の損害賠償請求訴訟で、原告敗訴の判決を言い渡した。A氏は、キム・ソンジェさんが死亡した時、薬物検査を行った国立科学捜査研究院所属の薬物分析家だ。元恋人は、A氏が過去にキム・ソンジェさんの遺体から検出された薬物のゾレチルが麻薬の代用として使えると供述したが、その後の講演などでこの発言を覆し、まるで自身(元恋人)が故人を殺害したかのように話していたと主張し、訴訟を提起した。しかし、A氏の弁護人は「A氏は学術的な立場を明らかにした」とし「元恋人に被害が及んだとしたら、それは誹謗中傷によるものだ」と反論した。1993年にヒップホップデュオDEUXとしてデビューしたキム・ソンジェさんは、1995年11月に、あるホテルの部屋で死亡した状態で発見された。この事件で元恋人が容疑者と疑われ、第1審で無期懲役を宣告されたが、控訴審で証拠不十分により無罪判決を受けた。その後、最高裁で無罪が確定した。
“24歳の若さで死去”DEUX元メンバー故キム・ソンジェさん、早すぎる別れから本日(11/20)で25年…K-POP界で活躍
DEUX(デュース)の元メンバーである故キム・ソンジェさんとの別れから25年が経った。本日(20日)、キム・ソンジェさんの訃報から25年を迎えた。彼は1995年11月、ソウル西大門(ソデムン)区のあるホテルで遺体で発見された。享年24歳。故キム・ソンジェさんは1993年、イ・ヒョンドとともにヒップホップグループDEUXでデビューした。DEUXは優れたダンスの実力とファッションセンスでK-POP市場を揺るがした。DEUXはヒット曲「Turn Around And Look At Me」「As I Told You」「In Summer」など、今でも愛されている名曲を多数残した。しかし、キム・ソンジェさんはソロ歌手としてカムバックした直後に亡くなり、当時大きな衝撃を与えた。彼の死因をめぐり、多くの疑惑が提起されたが、結論は出なかった。当時、SBS「それが知りたい」が、キム・ソンジェさんの死因に関する内容の放送を企画したが、故人の元恋人が放送禁止仮処分申請を提起し、結局放送は中止となった。故人は京畿(キョンギ)道盆唐(ブンダン)メモリアルパークに埋葬されている。・DEUX元メンバー故キム・ソンジェさんの元恋人、薬物分析専門家を相手どった損害賠償訴訟で敗訴・DEUX元メンバーの故キム・ソンジェさん、死因は麻薬?殺人の疑いで起訴された元恋人が主張
SISTARからTWICEまで、今の時期にピッタリのサマーソング10曲に注目…日本で撮影したMVも!(動画あり)
この時期にぴったりの最高のサマーソングは、COOLの「海岸の女」だった。韓国で最近放送されたMnetのバラエティ番組「TMI NEWS」第53話には、(G)I-DLEのミヨン、ミンニ、ウギが出演し、「この時期に必ず聴くべき最高のサマーソングBEST10」を紹介した。サマーソングの条件は爽やかな海の風景と振り付け、そしてどこか旅立ちたくなるような美しい歌詞だった。「この時期に必ず聴くべき最高のサマーソングBEST10」の10位はTWICEの「Dance The Night Away」だった。TWICEが初めて水着シーンに挑戦したこの曲は 「海よ、私たちと一緒に遊ぼう。風よ、君もこっちにきて」という歌詞で、自然と友達になる少女の感性そのものを表現し、注目を集めた。この曲は発売からわずか60日でミュージックビデオの再生回数が1億回を突破し、大ブレイクした。9位は、Red Velvetを一気にサマークイーンにした「Red Flavor」だった。Red Velvetだけの感性が際立つユニークな歌詞が印象的な曲だ。この曲の中で出てくる赤い味は、真夏の熱い愛だった。「Red Flavor」はビルボードが選ぶ2010年代最高のK-POPソング2位に選ばれた。8位は夏といえば頭に浮かぶフードソングの元祖ユン・ジョンシンの「パッピンス(かき氷)」だった。かき氷のレシピが盛り込まれた歌詞は、集中すればより美味しそうに聞こえる楽曲だという。「カキ氷」は発売された2001年ではなく、それより6年後の2007年にデジタルシングルが発売されてから本格的に人気を集め始めた。7位は、理解するには難しい歌詞だが、クセになるf(x)の「Hot Summer」だった。汗をぬぐって手で扇ぐユニークな振り付けと「暑すぎるなら黒く長い服を着よう」などの歌詞が印象的だ。この曲も人気を博し、発売から9年が過ぎた今でも、夏といえば思い浮かぶサマーソングとなった。一方、この曲は元々少女時代が歌う予定だったと知られ、注目を集めた。実際に少女時代は「Take Over」というタイトルで録音まで終えていた。6位は、パク・ミョンスの「海の王子」だった。先立って芸人のパク・ミョンスは、1stアルバム「バカ愛」をリリースしたが、あまり反応が良くなく、2ndアルバム「海の王子」もあまり注目を集めることができなかった。そのためパク・ミョンスは「海の王子」を自虐ギャグネタの素材として使ったりした。しかしある時、音楽番組でトップ20に入ると共にカラオケ定番曲になり、北朝鮮の人々も歌う曲になった。その後パク・ミョンスは、ジェシカと一緒に歌った「冷麺」で2番目のヒット曲を出した。5位は、元祖音楽界の悪童DJ DOCだった。DJ DOCは、3rdアルバムのタイトル曲「冬の物語」と、その後続曲「夏の物語」を年金ソングとして持っている。このうち「夏の物語」は当時ホットだった歌手Roo'Raまでおさえ、音楽番組で1位を8回も獲得する大記録を打ち立てた。4位は、SISTARの「Touch My Body」だった。健康的でセクシーなイメージをより際立たせた楽曲で、ソロ活動で忙しかったメンバーらが約1年2ヶ月ぶりに完全体にカムバックした楽曲であるだけに、さらに意味があった。3位は多くのアイドルの憧れで、イ・ヒョリもロールモデルにしているオム・ジョンファの「Festival」だった。明るいビートと、ウォーターパークで撮影されたミュージックビデオ、涼し気な水着姿、真似しやすいダンスまで。当時、街中ではどこでもこの曲が流れていたという。発売から21年が過ぎた今でも愛されている「Festival」。しかし、この曲はもともとチュ・ヨンフンが、カントリーココ(COUNTRY KKO KKO)のために作ったと知られた。オム・ジョンファもこの曲が気に入らなくて泣いたというが、アルバムを55万枚を売り上げる大記録を打ち立てた。2位は、K-POPで初めて浜辺でミュージックビデオを撮影したと知られているDEUXの「夏の中で」だった。韓国初のヒップホップデュオで、ヒップホップの大衆化に尽力したグループDEUX。20年が過ぎてもなお愛されている楽曲は、すべてイ・ヒョンドの作品で、そのうち1994年に発売された「夏の中で」は、イ・ヒョンドが自ら選んだ最愛の楽曲だった。強烈さとカリスマ性を捨て、清涼感溢れるこの曲は、初恋の人へ宛てた手紙のような歌詞で人々の心に響いた。イ・ヒョンドはある番組で「地方でのスケジュールで大変な時、鏡浦台(キョンポデ)に行って青空を見たら、ふと明るくて幸せな歌を作りたいと思った。ソウルに戻って来てすぐに作曲した」と感想を伝えた。一方、この曲の著作権料は最高1億8千万ウォン(約1600万円)であることが明らかになった。そして、この時期に必ず聴くべき最高のサマーソング1位は、強烈なオープニングが印象的なCOOLの「海辺の女」だった。現在も相変わらず各アンケート調査で定番のサマーソング1位に選ばれているという。・PSYからf(x)、SISTARまで休暇シーズンはこの歌が最高!
DEUX元メンバーの故キム・ソンジェさん、死因は麻薬?殺人の疑いで起訴された元恋人が主張
DEUX(デュース)の元メンバーである故キム・ソンジェさんの死因をめぐり、元恋人Aさんが主張した。故キム・ソンジェさんは1995年11月20日、あるホテルで遺体で発見され、当時大きな衝撃を与えた。司法解剖の結果、彼の死因は動物麻酔剤で、当時の恋人だったAさんが殺人の疑いで起訴されたが、最高裁判所で無罪判決を受けた。12日、ソウル中央地方裁判所民事合議14部(部長判事:キム・ビョンチョル)は、故キム・ソンジェさんの元恋人Aさんが、薬物分析専門家B氏を相手に提起した損害賠償訴訟の初の弁論期日を行った。同日、Aさんの法定代理人は故キム・ソンジェさんの死因として取り上げられている動物麻酔剤について「当時も麻薬として使われていた証拠があり、代用の可能性が判決文にも明記されている」と明らかにした。続けて、薬物分析専門家B氏の発言について「該当の薬物が人体に一度も使われたことがなかったかのように言うのは遺憾だ」と述べた。しかし、薬物分析専門家B氏も反論を提起した。B氏は「該当の薬物がキム・ソンジェさんが死亡した時、麻薬類として使われていたか立証してほしい。該当薬物が毒物でないと主張しているかについても明らかにしてほしい」と主張した。そして「Aさんが精神的苦痛を受けていることは、残念に思う。しかし、私(B氏)は学術的な立場を明らかにしたもので、Aさんを特定して名指ししたことはない」と説明した。また、SBS「それが知りたい」は故キム・ソンジェさんの事件を放送しようとしたが、Aさんが提起した放送禁止仮処分申請が受け入れられたため、放送されることはなかった。裁判部は3月25日午後、第2次弁論期日を開く予定だ。・「ヒーリングキャンプ」キム・ソンジェを覚えていますか?・キム・ハヌル「DEUX キム・ソンジェさんのおかげでデビューした」
ユン・シユン「『最高の一発』のキャラクターは、DEUXの故キム・ソンジェさんをモチーフにしている」
ユン・シユンがKBS 2TVの新バラエティドラマ「最高の一発」の中のキャラクターのモチーフで、男性デュオ DEUXの故キム・ソンジェさんを挙げた。ユン・シユンは最近発売された雑誌「allure KOREA」との インタビューで、チャ・テヒョンとユ・ホジンプロデューサーが共同演出するドラマ「最高の一発」について言及した。この作品でユン・シユンは、1990年代に人気があったスターのユ・ヒョンジェ役を務めた。彼は「故キム・ソンジェさんをモチーフとした。キム・ソンジェさんは当代のファッショニスタたちとはレベルが違ったようだ。服もとても洗練されたファッションだった。もともと好きな歌手だったが、演技しながらも『キム・ソンジェさんが生きていたらどうだろう?』ということをよく考える」と告白した。バラエティ番組のプロデューサーであるユ・ホジンの初めて演出したドラマであり、俳優ではない演出者チャ・テヒョンの初めてのドラマで、より一層関心を集めている「最高の一発」。これに対してユン・シユンは、「演出者が全国民的に人気を得ている方々なのでプレッシャーだ。だが、僕らの目標は視聴率よりは若い人々に広く知られることだ」として抱負を明らかにした。本をたくさん読み、本が好きなことで有名な彼は、「書店に行けばまず、僕が好きな作家の新作が出ているか先に調べる。政治、社会分野の書籍が好きだが、最近では近現代史を扱った本を読んでいる」と付け加えた。
K-POP歴代最高のダンスミュージック1~120位!SM&YG&JYPから多数選定、1位となったのは…
ヒョン・ジニョンの「曇った記憶の中の君」が、専門家らが選んだK-POP界歴代最高のダンスミュージックに選定された。音楽専門のWEBマガジン「音楽趣向Y」では最近、最高のダンスミュージックを選ぶ「ダンストラック120」を選定した。選定には「音楽趣向Y」に所属しているキム・ヨンデ音楽評論家など17人の専門家が参加した。リストは過去の歌謡から最近のアイドルグループの歌が網羅されており、韓国のダンスミュージックの歴史を振り返ることができる。選定基準について「音楽趣向Y」側は、「投票過程で最も重要視したのは韓国の大衆音楽史、その中でもダンスミュージックの系譜において該当曲が持つ音楽的、社会的、文化的価値だった。ジャンル的な同時代性の適切な具現および解釈のレベル、完結した曲としての出来栄え、音楽的なアイデアを具現した編曲レベル、ダンス音楽として持つパフォーマンスの卓越性など、音楽自体を十分に評価すると同時に、その曲たちが社会と文化にもたらした意味も評価しようとした。もちろん大衆的な反響こそが、評価基準のように重要なダンスミュージックの最大の美徳であり、判断の基準だ」と説明した。1位を獲得したヒョン・ジニョンの「曇った記憶の中の君」について、キム・ヨンデ音楽評論家は、「最新のヒップホップのビートとソウルフルなボーカル、ピアノ旋律のブルー・ノート・スケールが華やかに交差する中で、韓国のダンス史上最も印象深い瞬間の一つである腰曲げダンスの確信に満ちた動作は、それこそ新たな時代の幕開けを確信させた」と評価した。2位はキム・ゴンモの「間違った出会い」、3位はソテジワアイドゥル(ソ・テジと子供たち)の「僕は知っている」が獲得した。最近のアイドルグループの中ではBrown Eyed Girlsの「Abracadabra」が4位を記録し、最も高いランキングに入り、少女時代の「Gee」は5位、PSYの「江南スタイル」は6位、DEUXの「私たちは」は7位、Wonder Girlsの「Tell Me」が8位、ナミの「くるくる」が9位、キム・ワンソン「リズムの中のそのダンスを」が10位に上がった。「江南スタイル」についてキム・ユナ音楽評論家は「断言できるが、PSYとユ・ゴンヒョンがこの歌を完成させた時、彼らの頭の中には世界を征服するという野望はまったくなかっただろう」とし、「あまりにも見え透いて下品な特有のB級グルーヴ、馬ダンスになったバカ踊り、『女性』『奴』『男』など、特定の単語で歌う言葉の響きまで、今まで生きてきた人生を歌い踊ったこの歌手と歌がK-POPブームのトップランナーになったという事実は、さらに大きな意味を持っている」と伝えた。20位圏内を見ると、INFINITEの「僕のものになって」が11位、ソテジワアイドゥルの「何如歌」が12位、ユ・スンジュンの「情熱」が13位、DJ DOCの「Run to you」が14位、2NE1の「私が一番イケてる」が15位、チョー・ヨンピルの「短髪」が16位、パク・ジニョンの「彼女は綺麗だった(She was pretty)」が17位、BIGBANGの「LIES」が18位、015Bの「すごく長くなった恋人たち」が19位、東方神起の「MIROTIC」が20位に上がった。パク・ジニョンの「彼女は綺麗だった」に対し、キム・ヨンデ音楽評論家は「パク・ジニョンは骨の髄まで昔の音楽への郷愁に浸っている人だ。彼のおかげで韓国の大衆音楽も90年代以後、かなり優れたソウルとファンク、ディスコの曲を保有することができた。『彼女は綺麗だった』は一番輝いているレパートリーの1曲として記憶されるだろう」とし、「JYPサウンドの本格的な幕開け」と評した。SM、YG、JYPの3大事務所の所属歌手たちが上位にランクインしていることが特徴だ。SMエンターテインメント出身のヒョン・ジニョン、少女時代、東方神起、f(x)、H.O.T.、SHINee、BoA、S.E.S.、SUPER JUNIOR、神話(SHINHWA)、EXOなど、SMは最も多くの歌手がリストに上がっており、YG ENTERTAINMENTのBIGBANGや2NE1、SOL、Jinusean(ジヌション)、SE7EN、JYPエンターテインメントのWonder Girls、パク・ジニョン、RAIN、パク・ジユン、miss Aなどもチャートにランクインした。歌手別にはDEUX、ソテジワアイドゥル、ナミ、キム・ゴンモ、キム・ワンソン、パク・ナムジョン、NOISEなどの曲が多数ランクインしている。これと共にチョリとミエの「君はなぜ」、イ・ウナの「夜汽車」、ユン・スイルの「華麗な告白」、消防車(ソバンチャ)の「オジェパム・イヤギ~ゆうべの話」、キム・フングクの「ホランナビ(アゲハ蝶)」、ヘウニの「熱情」など時代を風靡した多くのダンス曲もチャートで見ることができる。「音楽趣向Y」側は、「大衆音楽の歴史はダンスミュージックの歴史でもある。新しい作曲法や和声の革新よりは、新たなリズムとダンスの発見が新たな流行をリードし、また新たなリズムの発見によりその流行が代替され受け継がれる過程は現代大衆音楽の歴史の核心である」とし、「普段、大衆が最も多く楽しむ彼らの人生と情緒に最も密接な影響を与えた音楽を抜きにして、大衆音楽の歴史を論じることはできないだろう。私たち大衆が日常的に楽しみ、身を任せてきた主な音楽ジャンルであるダンスミュージックの歴史を振り返ってみて、当時話題となった名曲たちを選定する作業をした理由は、まさにこのような問題意識の発露だ」と選定した趣旨を説明した。1位から120位、全チャートは「音楽趣向Y」のサイトから見ることができる。
ULALA SESSION、DEUXデビュー20周年記念アルバムに参加
グループULALA SESSIONとエレクトロニックグループHouse RulezがヒップホップデュオDEUX(デュース)デビュー20周年を記念したアルバムに参加した。5日、DEUXの所属事務所側の関係者は「DEUXのお別れコンサートのエンディング曲でDEUXの最後のライブであり、ファンなら誰もが覚えている曲『愛する人へ』をULALA SESSIONの声を通じてもう一度聞けるようになった」と伝えた。「愛する人へ」はDEUXには珍しいバラード曲で多様なジャンルを作り出し、歌を歌ったイ・ヒョンドのプロデュースの実力をもう一度証明する曲である。eniacが編曲した「愛する人へ」は原曲の雰囲気を生かした編曲にULALA SESSIONの完璧なハーモニーとコーラスでさらに完成度を高めた。House Rulezは「傷」をベースに5曲の原曲をサンプリングしてDEUXを記念する音源を誕生させた。同曲には故キム・ソンジェの声とイ・ヒョンドのラップ、そしてDEUXを好きだった人なら誰もが知っている記憶の欠片をHouse Rulezならではのエレクトロニックサウンドを通じてデジタル復元する方法を使った。さらに音源に登場するサクソフォーンの音もDEUXの原曲から抽出したイ・ジョンシクの演奏を加えて完成させた。またHouse RulezのメインラッパーであるStevie Kのナレーションのようなラップを通じ、先輩ミュージシャンに対する尊敬の気持ちを込めて「LEGENDARY DEUX」というサブタイトルを付けた。これと関連してDEUXのデビュー20周年記念アルバムを制作しているジェイワンパートナーズのイ・チャンソブ代表は「DEUX20周年記念アルバムの収録曲に満足している。しかし原曲より良いカバー曲はない。ただもう一度DEUXの音楽を聞き、DEUXを知らない人には彼らの音楽を知らせるチャンスを作っている」と語った。DEUXのデビュー20周年記念アルバムは12月にフルアルバムでの発売を計画している。
PSYからf(x)、SISTARまで…休暇シーズンはこの歌が最高!
この歌は何ですか?どんな曲を聞いてますか?本格的な休暇シーズンがやってきた。蒸し暑くて湿った梅雨前線が私たちを苛立たせるが、雨が止んだら間もなく私たちには嬉しい休暇がやってくるだろう。そんな時、車を運転しながら、あるいは飛行機に乗ってバカンスへと旅立ちながら聞くと良さそうな曲を紹介したい。一人で聞いてもいいし、誰かと一緒に聞いてもいい。聞いているだけで、もう私たちは旅行先に着いているはずだから。PART 1音楽配信ランキングに敏感になろう!夏がやってくると、至る所から肩を揺らし、踊り出したくなるような軽快な音楽がなだれ込んでくる。にもかかわらず、何を聞けばいいか悩ましいのなら、音楽配信ランキングのTOP50を順番通りに聞くのも一つの方法だ。悩むことなく、最近一番ホットな音楽を楽しむことができるからだ。1. Dynamic Duoヒップホップシーンはもちろん、多くの人から愛されるヒップホップミュージシャンDynamic Duoが返ってきた。特有のエネルギッシュな音楽から、現実的な歌詞でウィットに溢れる音楽まで、Dynamic Duoの7thフルアルバム「LUCKY NUMBERS」には聞き逃してはいけない曲がいっぱいだ。タイトル曲「BAAAM」から、夏にぴったりの「泡が溢れないように注いで」まで、Dynamic Duoのアルバムが1枚あれば旅行が楽しくなる。2. SISTAR最近、最もホットなガールズグループを挙げるとしたら、断然SISTARではないだろうか。男女問わずSISTARの爽快な歌声にハマり、彼女たちの歌をつぶやきながら肩を動かし始めてしまう。さらに、男性なら彼女たちのCDを入れると最初から最後までずっと繰り返し再生してしまう無限ループに陥ってしまうことだろう。特に、最近活動している「Give It To Me」は、一度聞いただけで口ずさんでしまう、中毒性の高い曲だ。「The Way You Make Me Melt」と「Bad Boy」も、今回のアルバムで人気を得ている。PART 2時代を超えて歌を楽しもう!「夏といえば、どんな歌を思い浮かべますか?」と聞いた時、多くの人が答える歌がある。10年前に発売された歌でも、時間に関係なく楽しめる歌。郷愁を感じさせたり、その歌と共にした思い出を思い浮かべながら微笑ませてくれる歌のことだ。それに、この歌たちは今聞いても依然として軽快で、素敵なのだから。3. DEUX「夏の中で」DEUXの「夏の中で」ほど、夏によく歌われる曲があるだろうか?1994年9月にリリースされてから20年近くになるが、夏になるといつも思い浮かぶ歌として挙げられる。素敵なメロディーと歌詞は、不朽の名曲という修飾語が最も相応しい。人気曲なので、色々とリメイクもされた。しかし、やはりオリジナルのDEUXの歌声で聞くのが一番だ。4. COOL「海辺の女」今の世代にはあまり馴染みのないグループであるCOOL。しかし、夏に聞くと盛り上がる歌を検索すれば、確実に彼らの歌が1、2曲くらいは出てくるほど、最高のヒット曲を出した男女混成グループだ。1997年7月にリリースしたCOOLの3.5thアルバムのタイトル曲「海辺の女」は当時、音楽番組の1位を総なめにしたのはもちろん、今でも夏というと思い浮かぶサマーソングの代表曲となった。タイトルからして夏の匂いがぷんぷんするこの歌を聞いていれば、繰り返されるフレーズの「ヤイヤイヤイヤイヤイ」を自然に歌っている自分を見つけるようになる。5. DJ DOC「RUN TO YOU」夏にこれまた外してはいけないグループがDJ DOCだ。彼らには、「DOCとダンスを」「マーフィーの法則」「夏物語」「美女と野獣」など軽快なヒット曲が色々とあるが、その中でも断然体を動かすことのできる曲は「RUN TO YOU」である。いわば股開きダンスを自然に呼び起こすこの歌が流れると、雰囲気は一瞬にしてヒートアップ!息切れするまで「バウンス」を叫ばせる。6. UP「海」昨年、ドラマ「応答せよ1997」がブームを巻き起こし、1990年代のヒット曲が郷愁を感じさせた。1990年代の歌手の中でも忘れてはいけないUPの「海」は、清涼感でいっぱいの曲だ。今聞くと少し野暮ったく聞こえるかも知れないが、キュートな魅力に目をつぶることができる。実は、海とはあまり関係のない歌詞だが、何だが夏になるとこの歌を聞かなければならいような気持ちになる。7. BUZZ「自分に旅立つ旅行」2005年にリリースしたBUZZの代表曲の一つ。すでにタイトルから夏とバカンスの匂いがぷんぷんする。軽快なロックサウンドと、ボーカルミン・ギョンフンの爽快な歌声を聞いていると、今すぐどこへか旅立ちたい気分になってくる。BUZZの曲は特に、男性たちに愛されることで知られているが、この歌を歌っていて声が裏返った人も多いことだろう。8. チョー・ヨンピル「旅に出よう」夏と旅行と言えば、断然この歌ではないだろうか。歌王チョー・ヨンピルならではの歌声で聞く原曲も、バラードの皇太子イ・スンギのリメイク版でも、どちらでもいい。この歌の魔力は、どこで歌ってもテチャン(歌に沿って一緒に歌うこと)を引き出すことだ。ビルの森から抜け出したくなる不思議な魅力を持った歌だ。9. Indigo「夏よお願い」Indigoというグループ名は知らなくても、「夏よお願い」という歌は、ダンス曲を結構聞いている人なら知らない人はいない。イントロの「夏よお願い、ああ」という子供の可愛い声が特徴だ。10. ミョンカドライブ「冷麺」2008年、MBCバラエティ番組「無限に挑戦」の「オリンピック大路デュエット歌謡祭」から誕生した曲。パク・ミョンスと少女時代のジェシカという似合わなそうな組み合わせが、意外なシナジー効果を完成させた。「冷麺」というタイトルは、その韓国語での発音に因んで冷面、つまり冷たい顔という意味と夏の定番料理である冷麺という二つの意味を持っている。パク・ミョンスの歌声とジェシカのスイートな歌声が、思ったよりも合っている。11. ユン・ジョンシン「氷小豆」タイトルからにして夏らしい。夏によく食べる氷あずきをタイトルに掲げ、氷あずきの作り方を歌詞にした点で非常に斬新な曲だ。感性的なバラードのヒット曲もたくさん作り出したユン・ジョンシンだが、やはり「氷あずき」を挙げないわけにはいかない。歌詞通りに真似さえすれば、氷あずき製造の第一人者になれそうな気がする。12. オム・ジョンファ「FESTIVAL」1999年に発表したオム・ジョンファの最大のヒット曲であり、作曲家チュ・ヨンフンが最も得した曲ではないかと言われる歌だ。チュ・ヨンフンがこの曲を作曲した当時、色々な歌手のもとを転々とした末にオム・ジョンファに行きついたというが、これほどのメガヒット曲になるとは誰も思わなかっただろう。パチパチパチという拍手の音を真似するようになることから、繰り返すフレーズの手の仕草の振り付けは、国民的ダンスも同然だ。13. f(x)「Hot Summer」完全に夏を狙ったようなf(x)のサマーソング。エレクトロニックサウンドとユニークな歌詞は、一回聞けばまた聞きたくなるほどの中毒性がある。「汗をかく外国人には道を教えよう」「暑すぎる時は、黒い長袖を着よう」などユニークと言ってもあまりにもユニーク過ぎる歌詞に最初は当惑するが、すぐに慣れてしまうので心配は無用だ。カラフルな背景にf(x)の美貌が際立つミュージックビデオも見逃してはならないポイントだ。14. PSY(サイ)「江南(カンナム)スタイル」バカンスに出向く道中には、やはり軽快な音楽に限る。それでは、歌手PSYの「江南スタイル」を挙げないわけにはいかない。アイドル中心のK-POPにおけるグローバル構造を一気に一変させた曲だ。歌詞を知らない外国人が聞いても自ずと躍らせるパワーを持つ。PSYが馬ダンスで世界を惹きつけたことには理由がある。15. アーロン・カーター「Surfin' U.S.A.」夏といえば思い浮かぶポップ曲の中で、断然たる1位ではないだろうか。「Surfin' U.S.A.」はもともとビーチ・ボーイズが歌ったのが原曲だが、ここではアーロン・カーター版をオススメしたい。アーロン・カーターが幼いころ歌ったバージョンは、爽やかそのものだ。純粋な声を聞いていると、何も考えずに海に飛び込み、水遊びをしたくなる。16. ケイティ・ペリー(featuringスヌープ・ドッグ)「California Gurls」夏になればヒットを飛ばし、サマーソングの代表走者になったケイティ・ペリー。2010年リリース当時、ビルボードHOT100ランキングで6週連続で1位を占めた曲であり、同年ビルボードが発表した最高のサマーソング30にも名をあげた。17. ジャスティン・ビーバー「Baby」ジャスティン・ビーバーをスターにさせ、世界中に知らない人がいないほどメガヒットした曲だ。PSYが「江南スタイル」をリリースする前までYouTubeの再生回数1位を占めた。英語の歌詞は知らなくても、繰り返されるフレーズの「ベイビー」は、真似しない人がいないほど大いに人気を集めた。休暇に出かける道中には、断然ダンス曲が最高Girl's Day「女性大統領」、4Minute「水がいい?(Is it Poppin'?)」、IVY(アイビー)「I Dance」、Dal★shabet「私の脚を見て」などは、暑い天気に相応しい軽快な曲だ。そのため、旅行地へと出かける道中でGirl's Dayの曲を選択しても後悔はないだろう。特に、強烈なダンス曲はバカンスと一番似合うジャンルだ。ウキウキした気持ちを少し落ち着かせる、ミディアムテンポの曲達ダンス曲ももちろんいいが、気楽に聞けるミディアムテンポの曲も旅行地へ同行するには欠かせない音楽だ。RUI(イ・スンチョル)「MY LOVE」、キム・イェリム「All Right」、ロイ・キム「Love Love Love」、ホ・ガク&Apink チョン・ウンジ「Short Hair」など、少し落ち着いた心で歌を聞きながら余裕を楽しむのも良さそうだ。
イ・ヒョンド、SM第1期出身…「イ・スマン会長が私の曲を賞賛した」
ヒップホップデュオDEUX(デュース)出身の歌手イ・ヒョンドがSMエンターテインメント(以下SM)のイ・スマン会長とのエピソードを公開した。イ・ヒョンドは7日夜に韓国で放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」に出演し、「僕はSMの第1期出身だ」と明かした。この日イ・ヒョンドは、「ダンスだけは踊りたくなかった。それで、音楽を作って歌手ヒョン・ジニョンに聞かせた。ヒョン・ジニョンは、『僕のアルバムにこの曲を入れたい』と言った」と述べた。彼は「イ・スマン会長にも聞かせると、『君が曲を作ったのか?』と言いながら『君が本当に一人で作ったのか?』と尋ねられた。その時から自信を持つようになった」と話した。さらに、「『すぐにアルバムに入れよう』と言われた。それが後のDEUXの『君だけに』という曲だった」と述べた。
東方神起、イ・ヒョリからB.A.Pまで…“スタースタイリスト”チョン・ボユン「スタイリングは再創造」
チョン・ボユン。彼女のことをある人はスターをスタイリングするスタースタイリストと呼び、ある人はスタイリスト界の大御所と呼ぶ。また、スターの一番仲の良い友達と呼ぶ人もいる。ヒョリッシュ(Hyorish:イ・ヒョリだけの魅力)の創作者、流行アイテムの製造機など、数多くの呼び名を持つチョン・ボユンは、ソテジワアイドゥル(ソ・テジと子供たち)やDEUX(デュース)、Untitle、SECHSKIES(ジェクスキス)、Fin.K.L(ピンクル)、イ・ヒョリ、東方神起、少女時代、BEAST、4Minute、SISTARなどのスタイリングを担当し、トレンドをリードしてきた。彼女のこれまでの仕事を振り返ってみると、ここ20年あまりの韓国音楽界の系譜が読み取れるといっても過言ではない。時代の流れを読み取る鋭い視線と独特の社交性は、競争が激しいファッション業界で彼女が長い間トップを走り続けるための強力な武器だ。ソウル総合芸術学校のファッション芸術学部の兼任教授として、そしてスタイリング会社ロンドンプライドの代表として、後輩の育成にも積極的に参加している彼女にスタイリストの世界や人生について聞いてみた。「スタイリングはコピーではなく、再創造だ」という言葉が特に印象に残った。―どの歌手のスタイリングを担当しているのか?チョン・ボユン:一番長いのは、イ・ヒョリと東方神起だ。彼らとはデビューした時から一緒に仕事をしてきた。4MinuteとBEASTは前回のアルバムまで担当し、今はSISTARやBOYFRIEND、B.A.Pなどを担当している。どんどん担当する歌手たちの年齢が若くなっており、いまや、BOYFRIENDのメンバーのお母さんたちと同い年だ(笑)―20年以上、若い感覚を維持しているのが凄い。チョン・ボユン:トレンドに遅れないように努力している。でも、厳密に言えば、社員たちの力が大きい。社員たちがいなかったら大変だったと思う。―大学で授業もしているが、学校でもファッションセンスのある学生は目立つのか?チョン・ボユン:そうだ。生まれつきのファッションセンスは本当に重要だ。例えば、イ・ヒョリやBIGBANGのG-DRAGONは生まれつきのファッションセンスを持っている。だから、何を着たらかっこいいかをとてもよく知っている。中でも、イ・ヒョリは服のフィット感に関して良い感覚を持っている。それで、他の人の衣装のフィット感もよくチェックしてくれる。イ・ヒョリが選んでくれるパンツは、全部可愛い。鋭い目線を持っているからだ。Fin.K.Lの時のイ・ヒョリは、私が教えながらファッションに興味を持たせようとしたならば、今は私が彼女に衣装のチェックを受けている。「これはどうですか?」とか、「これは気に入りますか?」とか(笑) そのようなスターたちと仕事するのはとても楽しい。また、センスが悪くなったと言われてはいけないので、仕事に対し常に緊張感を持つようになる。―スタイリスト第1世代でもあるため、この仕事を始めた当時はスタイリストに関する情報が全くなかったと思う。どうやってこの仕事を始めるようになったのか?チョン・ボユン:元々は英文学を専攻した。大学1年生の時にイギリスに語学留学に行ったが、そこでファッションを勉強する友達に出会い、ファッションにはまった。両親の反対を押し切ってロンドン・カレッジ・オブ・ファッション(ロンドン芸術大学)に入学し、本格的にファッションの勉強を始めた。そして、大学の休みに友達と一緒にしばらく韓国に帰ってきたが、その時、「オシャレ」という月刊ファッション誌の記者がファッショングラビアのスタイリングを担当してみたらどうかと提案してくれた。今はファッション誌が多いが、当時は「オシャレ」が唯一のファッション誌だった。それで紹介された歌手が、デビューしたばかりのソテジワアイドゥルだった。彼らはヒップホップ音楽をすると言っていたのに、スーツを着ていた(笑) それで「I Know」の雰囲気に合わせたスタイリングをし、彼らがそれをとても気に入ってくれた。イエローやオレンジ色のカラフルなTシャツにオーバーオールだったけど(笑)―覚えている。当時は非常に画期的な衣装だった(笑)チョン・ボユン:そう。今見ると少し野暮ったいが、当時はすごかった。翌年の休みにはDEUXに出会い、ヒップホップファッションを流行させた。その時に、すぐに返ってくる反応がとても面白くて、流行の真ん中にいる職業だということを体感した。それをきっかけに、ファッションデザインを専攻したにも関わらず、スタイリングの方により関心を持つようになった。それで、卒業後、本格的にUntitleやSECHSKIES、Fin.K.Lなどのスタイリングを担当し、この道を歩むことになった。―韓国スタイリスト界の生き証人だ。チョン・ボユン:本当にその通りだ。本でも出そうかな(笑)―以前は、スタイリストはスターの付き人という認識もあったが、待遇はどうだったのか?チョン・ボユン:留学を終えて帰国したら、韓国でちょうどファッション教室やメイクアップ教室のブームが起こり始めた時だった。そして、この業界に多くの人が入って来ては、きつくて辞めて、また入ってきては辞めてのような過程が繰り返されながら、システムが確立していった。そうしているうちに、スタイリストを養成する大学ができ、留学経験のある人材も増えた。特に、ファッションチャンネルを通じてチョン・ユンギやキム・ウリのようなスタースタイリストが浮上し、この職業に対する認識がかなり良くなった。―やはり、ある分野が浮上するためには、スターが必要だ。チョン・ボユン:そうだ。私も様々な番組に出演したが、スタイリストがどんな職業なのかを人々にちゃんと知らせたいという理由からだった。考えてみれば、私は色んな面で運が良いケースだ。留学経験があるという理由で良い待遇を受けたし、私が担当した芸能人たちがみんな高い人気を得て過大評価された部分もある。本当に運が良かったのである。―運が良かったにも関わらず、大変だった瞬間は?チョン・ボユン:たくさんある。この仕事は見た目とは違い、重労働だ。インターネット時代が到来し、フィードバックが速くなった。番組が終わると、インターネット上にすぐにコメントが書かれるが、その評価の速さに慣れるまでに時間が少しかかった。ファンダム(特定のファンの集まり)文化ができてからは、男性アイドルのファンから無差別な攻撃もたくさん受けたし(笑)―最も落ちこんでしまう言葉は、「スタイリストがアンチファンなのか?」だと思うが。チョン・ボユン:実は、その言葉に関連した、大変だったエピソードがある。イ・ヒョリがMnet「OFF THE REC. HYOLEE」を撮影した時だったが、私も少し出演し、その言葉が一番嫌いだと言ったことがあった。すると、その日以来、私の関連検索語に「スタイリストがアンチファンなのか」が挙がってくる(笑)―好きなスターの衣装について主観的な声を出すファンが多くなった。これにより、スタイリストの立場からは疲れることが多くなったのではないか?チョン・ボユン:でも、ファンも以前と比べ、かなり変わった。昔は無条件に批判する場合が多かったが、いつの間にか専門家のような視線を持つファンが現われ始めた。もちろん、今も「手じゃなくて足で作ったでしょう?」のような酷いコメントが多い。でも、書き込みを読んでいると、共感できるコメントも発見できる。スタイリストを頷かせるような鋭い視線のコメントは、受け入れようとしている。―人の衣装をスタイリングする職業に就いているため、本人のスタイルにも気を使うと思うが。チョン・ボユン:幼い頃からファッションに関心があった。淑明(スンミョン)女子高校を卒業したが、当時、唯一制服が自由な学校だった。そのため、勉強より衣装に気を使った(笑) 同級生の記憶の中にいる私は、お洒落な人、服をたくさん持っている人だった。友達に会うと、「本当にぴったりの職業を選んだ。英文学は全く似合わない」と言われる(笑)―衣装を着た時、期待以上に着こなしがかっこいい歌手は?チョン・ボユン:BEASTのヤン・ヨソプだ。ヨン・ジュンヒョンもかっこいい。SISTARのメンバーたちも意外に着こなしが良い。あぁ、挙げているときりがない。―ファッションを完成させるのは自信という言葉もあるが。チョン・ボユン:アティテュード(Attitude:態度)のことだが、正しいと思う。でも、歌手が本当に着たくないと思う服をあえて着せる必要はないと思う。歌手も人間なので、嫌な服を着て楽しく踊れるはずがない。ある人はそれをプロフェッショナルではないと批判するが、私の考えは違う。合理的に仕事をしようとする方だ。―色んなアイテムを流行させた。どんなものがあるのか?チョン・ボユン:イ・ヒョリの「10 Minute」の時は、彼女の全てのアイテムが話題になった。ベースボールキャップやトレーニングウェアにアンクルブーツ、バスケットボールのタンクトップなど、きりがない。東方神起の場合はスキニージーンズかな?東方神起が日本活動時にスキニージーンズを穿いていたが、SMエンターテインメントのイ・スマン代表がその衣装を韓国でも披露しようと提案した。韓国ではスキニージーンズがまだ流行っていない時だったので、ファンたちの衝撃は大きかった。そう、反応がかなり悪かった(笑) 今はみんながよく履く定番のスタイルになったけど。それから、Fin.K.Lの時はリングピアスやロングピアス、白いワンピースのスタイルなど本当に多くのアイテムがヒットした。―ファンが簡単に真似できるスタイルとなかなか真似できないスタイル、作業するにはどっちがより面白い?チョン・ボユン:フィードバックがすぐに返ってくるのは、真似しやすい衣装を着せた時だ。BIGBANGのハイトップシューズとバギーパンツの場合は革新的で、イ・ヒョリの「10 Minute」ファッションも真似しやすいコンセプトだったため、人々にアピールするのが早かった。韓国人は流行に非常に敏感で、海外のパパラッチ写真にも敏感だ。誰々のスタイルという言葉まで生まれるほどだから。一方、スタイリスト個人の満足度だけを考えると、ステージ衣装っぽい衣装を構想することの方がもっと楽しい。でも、その場合、ファンは気に入ってくれない確率が高い。東方神起のハードコアコンセプトだった時がそうだったし、イ・ヒョリの2枚目の「Get Ya'」も好き嫌いが分かれた。―パパラッチ写真といえば、スターの空港ファッションについてはどう思うのか?チョン・ボユン:大変だろうなと思う(笑) スターが普段着でよく写真を撮られる場所が空港であることから、空港ファッションというのが誕生したと思うがこれがさらにはファッションブランドと連携し、広報的に拡大した面もある。見えるラジオも空港ファッションも、私たちの仕事を増やしてしまった(笑) その代わり、芸能人が持つ優れたファッションセンスが目立つようになったという点では肯定的に捉えることもできる。ファッションが好きな芸能人が多いが、彼らの立場では自分のスタイルを見せる機会ができたことになる。SISTARのヒョリンや4Minuteのキム・ヒョナがそうだ。彼女たちはポイントだけを生かし、服を着る姿が素敵に見える。もちろん、空港ファッションといえば東方神起のユンホとチャンミンがユニークではある。彼らは空港ファッション界の皇太子だ(笑) 逆に、イ・ヒョリのようなスタイルもある。イ・ヒョリは、「何が空港ファッションよ!楽な格好が一番だ!」という主義だから。―スタイルのコンセプトを構想する時、何に影響を受けるのか?チョン・ボユン:状況によって違う。曲からインスピレーションを受けたり、所属事務所が要求する方向に合わせてコンセプトを決めることもある。例えば、東方神起の「Catch Me」の場合、腕を使う振り付けが多いため、所属事務所から振り付けが目立つ衣装にしてほしいと言われた。このような場合は、その要求に合わせて試行錯誤を始める。「光るLEDを使ってみようか。袖に刺繍を入れてみようか」など、様々なアイデアを絞り出す。生地の制約もスタイリングに影響を及ぼす。ステージ衣装は基本的に伸縮性がよくなければならない。そうじゃないと、生放送でSHINeeのテミンの衣装が破れたような事故が発生してしまうからだ。新人の場合には、各メンバーのキャラクターに合わせてスタイリングする。少女時代が初めて登場する時は、ハツラツとした雰囲気を与えるために、スポーティーなカジュアルルックにスタイリングした。東方神起の「HUG」の時は、親近感を与えるために、隣の家のお兄さんのような自然なコンセプトにした。―トレンドが目まぐるしく変化し、情報も簡単に手に入れられるようになったからか、似たようなスタイリングをする芸能人が多い。アイテムをいち早く確保するのも大変だと思うが。チョン・ボユン:最初は私もそう思った。昔は外国でアイテムを購入する歌手は、イ・ヒョリしかなかった。それなのに、ある時からYGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク兄さんが外国でのアイテム購入を始めた(笑) 最初は「何だよ、もう唯一じゃなくなってしまう!」と思ったが、今は考え方が変わった。同じアイテムでも異なるスタイリングをすればいい。同じ服の異なる感じというのもあるし、アイテムは一人だけのものではない。ただ、そのスタイルがトレンドだから、多くの人が同じように使うようになるだけだ。残念なのは、後発者の場合、真似したという誤解を招くということだが、その被害者がBEASTのヨン・ジュンヒョンだ。―確かに、G-DRAGONとスタイルが重なるという理由で、ヨン・ジュンヒョンが非難されたことあった。チョン・ボユン:それを見て残念に思った。アイテムが重なるからといって、それをまったく使わない必要はないと思う。少し異なるスタイリングをすれば良い話だ。そういう意味で、VIXXというアイドルのカラーレンズに濃いメイクアップをしたスタイリングに注目する必要がある。アイテムに頼らず、違う部分にビジュアルポイントを与えて視線を引くのも良い方法だ。ORANGE CARAMELのスタイリングも私が担当しているが、彼女たちもはっきりとしたコンセプトがグループの長所になった。最初の頃は、「このスタイリングは100万人のアンチファンを呼ぶだろう!」と冗談交じりで言った(笑) 日本的な感じが強く、生地もエナメル素材だし、メンバーたちも過度な仕草をするからだ。だが、人々は批判しながらも好んでくれて、今はそれが彼女たちならではの雰囲気として認められている。そういうことがむしろ競争力だという気がする。自分だけのコンセプトで、ニッチ市場(特定のニーズを持つ規模の小さい市場)を攻略することが重要だ。―スタイリストは何をする人だと思うのか?チョン・ボユン:リ・クリエイト(re-create)。つまり、再創造する人。時々、スタイリストはコピーする人だと判断する人がいるが、スタイリストは既存に存在するものを再解釈し、再創造する人だ。あるデザイナーがBALMAIN(バルマン)のボタンと全く同じものを作ったとしたら、それはコピーだ。でも、スタイリストは創造されているものを自分ならではの感覚を発揮しミックスコーディネートする人だ。例えば、ビヨンセが白いタンクトップにデニムショートパンツ、赤いハイヒールを履いたとしよう。それがビヨンセのスタイルだと思うかもしれないが、ビヨンセだけのものではない。それをそのまま真似したら問題になるだろうが、上手く応用するのは悪いことではない。だが、「イ・ヒョリ、もしくはキム・ヒョナが、ビヨンセを真似した!」と断定される場合がある。逆に、イ・ヒョリが先にそのように着て、後からビヨンセが着ても、みんな何も言わないのがおかしい。スタイリングをコピーではなく、再創造という意味で見てほしい。もし、コピーだと見たら、今流行っているレトロファッションも1960~70年代に流行ったファッションのコピーになってしまう。ファッションは結局、時代や人を越えて回り続けるものであり、特定の誰かのものとは言えない。―スタイリストになるためには何が必要だと思うの?チョン・ボユン:職業へのプライドや粘り強さ、忍耐力が必要だ。それがないと、耐えられない。厳密に言うと、スタイリストはスタッフだ。でも、芸能人と自分を同じ線上に置いて比べながら、苦しむスタイリストがいる。若いアイドルが出てきて、そのような感情的な動揺を経験するスタイリストが多くなった。時々そんなスタイリストに、「もし、芸能人がスタイリストに扇子で扇いでもらっている姿がTVに映ったらどう思う?」と聞く。そしたら、ほとんどが悲しくなりそうと答える。そうすると、また「悲しくなるだろう。でも、それを職業的に考えてみよう。君たちのスタイリングをかっこよく見せなければならない芸能人が、汗をだらだら流す不細工な姿で映って、『この人のスタイリストは一体誰なの?』と思うように映ったほうがいいの?それとも、扇子で扇いであげて完璧な状態でステージに立つ姿を見る方がいい?」と聞く。この仕事は職業的にアプローチする態度が必要だ。プロフェッショナルに考えれば、扇子で扇いであげることなんて何でもない。私たちはスタッフだ!裏で芸能人のバックアップする人ということを忘れてはいけない。スタイリストを目指す人々はそのことをよく頭に入れて現場に出てほしいと思う。―韓国や海外を問わず、スタイリングしてみたいスターはいる?チョン・ボユン:さあ。それより、「セックス・アンド・ザ・シティ」のスタイリストであるパトリシア・フィールドが思い浮かぶ。70歳を超えたおばあちゃんのスタイリストだが、その方が「セックス・アンド・ザ・シティ」で演出したスタイルは、今見ても全くダサくない。「セックス・アンド・ザ・シティ」のシーズン1が1998年に放送されたので、本当に凄いことである。私は過去の映像が出ると、恥ずかしくて死にたくなる時が多いのに(笑) パトリシア・フィールドのようなかっこいいおばあちゃんスタイリストになりたい。
キム・ハヌル「DEUX キム・ソンジェさんのおかげでデビューした」
女優キム・ハヌルが、ヒップホップデュオDEUX(デュース)の故キム・ソンジェのおかげで芸能界にデビューすることになったと告白した。キム・ハヌルは韓国で10日の夜に放送されたSBS「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~」に出演し、「故キム・ソンジェさんのファンだったが、キム・ソンジェさんのファンではない女性として会ってみたかった」と正直に告白した。キム・ハヌルは、「キム・ソンジェさんに会うために、キム・ソンジェさんが衣類モデルとして活動していたブランドにモデルとして志願したが、1年後に連絡が来た。あとで知ったのだけれど、1期モデルは女性を選んでいなかった。私の写真を見たデザイナーが私の履歴書を大事に保管してくださって、連絡をもらって衣類モデルとしてデビューをすることになった」と明かした。さらに、両親の反応に対する質問に「両親も快く承諾してくれた」とし、「勉強がそんなにできる方ではなかったので、よくやったねと両親は喜んでくれた」と答えた。