南営洞1985
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大統領選挙まで残り数週間…「26年」「南営洞1985」が叫ぶ
「犬のように生きた」映画「26年」に出る戒厳の任務を負った軍人や遺族たちは、26年間の歳月についてこう語った。光州(クァンジュ)のど真ん中で死んでいく妻の姿を見た夫は、毎日お酒に頼って過ごしたが、それでもその日の記憶から抜け出すことができず、ついには自分自身に火を付ける。以前、戒厳の任務を負う軍人だった男は、その日の過ちを認めることが怖く、いっそのこと、死力を尽くしてあの人の警護を勤めながら自分がしたことを合理化する。冒頭に言及した台詞は、故キム・グンテ元民主統合党の常任顧問の自伝手記を映画化した「南営洞(ナミョンドン)1985」で、22日間拷問を受けたキム・ジョンテ(パク・ウォンサン)の姿にも当てはまる。キム・ジョンテは今のこの決定がいつか自分の手に負えない罪悪感として戻ってくることを分かっていながらも、自分が尊敬する社会運動の先輩たちを背後勢力に指差す。そうでもしない限り、チルソン板(拷問道具)に横になって気絶するまで電気拷問を受けたり、拷問技術者のイ・ドゥハン(イ・ギョンヨン)のベルトに首を吊られ、犬のように引きずり回されながら靴で踏まれたご飯を食べなければならないからだ。それは生きることではなく、耐えることに近かった。「26年」「南営洞1985」「MBの追憶」スクリーンの中の他人事ではない大統領選挙まで一ヶ月も残っていないこの時点で、一週間間隔で「南営洞1985」と「26年」が公開された。この映画は、1980年代の拷問技術者や戒厳の任務を負った軍人の後ろに隠れた独裁者の暴力性が、一個人に決して消すことができない苦痛をもたらしたことを見せる。別名南営洞VIPルームで起こった酷い拷問にフォーカスを合わせた「南営洞1985」が、過去の暴力を生々しく再現した映画だとしたら、「26年」は1980年5月18日ではなく、それから26年が経った時点での遺族たちのストーリーで始まり、彼らの苦痛や憤りが依然として現在進行型であることに注目する。(断罪を)しなくても死にそうで、しても死にそうという状況で始まったあの人断罪計画は、あの人を守ろうとする公権力の前で力を失い、中止される。映画での最後の銃声が遺族のシム・ミジン(ハン・へジン)とあの人の中の誰に向けたものなのかは重要ではない。5.18から26年が経ったという記事が載った新聞を敷いて足の爪を切るあの人を断罪しても、彼らの苦痛はしばらくの間落ち着くだけで、永遠に消えるわけではないからだ。死んだ家族たちの悲鳴や血で勝ち取ることができた民主主義の時代に生きているにも関わらず、遺族たちの人生がまったくよくならないことと同じように。もちろん、「南営洞1985」のキム・ジョンテや「26年」の遺族ほどではないだろうが、映画を見る観客たちも苦痛から逃れられているわけではない。その苦痛というものが、対岸の火事のような第3者の立場から感じる感情ではないためだ。先月公開したドキュメンタリー映画「MBの追憶」は、イ・ミョンバク大統領の当選前後を交差編集する方法を使って、国民たちの手で選んだ指導者が国民たちに背を向ける時代を冷静に直視する。例えば、大統領候補の時代は「貧しさを譲り渡さないため、国が補助してみんなが教育を受けるようにしなければならない」と演説したイ・ミョンバク大統領は、大学の授業料の半額の実現を唱える大学生たちを味方につける。また、「皆さんを本当に愛しています」と叫んでいた彼は、その愛を巨大な散水車とミョンバク山城で表現した。「MBの追憶」が振り返ったここ5年間は、まるでふざけた思い出のようだ。1980年、1985年、そして、2012年。それぞれ違う時代を表現するこの3つの作品が相次いで公開されることは、偶然の一致ではない。ここ4年間、投資とキャスティングに難航し制作が何回も中止になったが、巨大な個人投資家の力ではなく1万5千人に及ぶ予備観客たちの力でようやく世の中に出ることができた「26年」は、これが単なる映画の中の話だけではないことを証明している。泣き叫ぶばかりか、それとも投票するか苦痛も貧しさのように次の時代に譲り渡されるこの時代に、私たちは何ができるだろうか。「MBの追憶」で前回の選挙を回想する間、流れたイ・ミョンバク大統領の本心を表すナレーションがその小さなヒントになる。「政治はイメージだ。実際、国民たちは政策について問い詰めはしない。僕はイメージ作りにベストを尽くした。ここ5年間の歴史は僕を権力の座に座らせた君たちが書いてきたものだ」というナレーションは、「投票が世の中を変える」という命題をむやみに信じてはいけないと警告する。聞いたり問い詰めたりせず選んだ指導者は、私たちの世界ではなく自分だけの世界を作るからだ。次の世代に苦痛を受け継がないためには、投票そのものではなく投票する対象を決めるまでの過程が重要とされる。それは、候補たちが自分で作ったイメージに振り回されず、悪い候補者を取り除くことに留まらず、その後に残った候補者たちをまるで聴聞会をするようにきちんと検証し監視する過程の大切さを意味する。それが政治的な関心であり、そうすることで集まった有権者の心は、将来の指導者が恐れのるに十分な力を持つ。「映画が大統領選挙に影響を与えてほしい」という「26年」と「南営洞1985」の監督たちの願いは、特定の個人に向ける憤りを越え、その憤りや悲しみがこれ以上、現在進行型にならないよう世の中を変えることに力を加えたいという意味だろう。5年後、私たちは「26年」の中のキャラクターと同じく、「犬のように生きた」と泣き叫ぶだろうか、それとも「人間らしく生きた」と振り返るだろうか。権力の座に座る指導者が書いていく5年間の歴史を決める時間まで、もう数日しか残っていない。
パク・ヒスン「南営洞1985」を見て涙が出た
俳優パク・ヒスンが、韓国で22日に公開された映画「南営洞(ナミョンドン)1985」を見た感想を語った。パク・ヒスンは23日、自身のTwitterに、「『南営洞1985』、正直言って見たくなかったです。目を逸らしたかったです」と書き込んだ。続いて彼は、「映画を見ている間ずっと辛いと思うから」と、目を逸らしたかった理由を書いた後、「それでも勇気を出して見ました」と明かした。映画公開の初日から劇場を訪れ映画を見た彼は、「やっぱり嫌でした。辛かったです。痛かったです。恥ずかしくてムカつきました。汗が出て、涙が流れました」という感想とともに、「それでも見て良かったと思います。申し訳なく、感謝します」と伝えた。これはパク・ヒスンに限った話ではない。「南営洞1985」を見た人たちは誰もが、「見づらい映画」だと語る。だが同時に「必ず見なければならない映画」だと付け加えた。チョン・ジヨン監督がメガホンを取った「南営洞1985」は、故キム・グンテ元民主統合党常任顧問の自伝手記を映画化した作品である。1980年代の軍事政権時代、人権を侵害した拷問行為を告発した作品だ。拷問現場を覗き見るような、あまりにも細かい描写は、見る人の息の根を止める。実際の被害者らの証言が相次ぐエンディング映像は、この見づらい映画が私たちの歴史だという事実に衝撃を与える。国民が必ず見なければならない映画だという理由は、実際に映画を見なければ分からない。チョン・ジヨン監督が今年上半期を占めていた「折れた矢」に次いで、下半期も注目を集めることができるのか、今映画の蓋が開けられた。韓国で11月22日に公開された「南営洞1985」は、観客4万261人を動員し、興行ランキング5位にランクインした。
「南営洞1985」忘却の時代に辿り着いた“拷問の記憶”
単純で、愚直かつ正直なチョン・ジヨン監督の演出力「アウシュビッツ以降、叙情詩を書くことは野蛮だ」批判理論を導いたフランクフルト学派の思想家、テオドール・W・アドルノはナチスとヒトラーのユダヤ人虐殺に対し思いを込めた比喩で痛烈に批判した。否定を通じて真理にたどり着こうとした否定弁証法を主に主張したこのドイツ出身の哲学者にとってアウシュビッツで代弁される自国の野蛮な行為は、確かに治癒できないトラウマになったのだろう。昨年12月末、拷問の後遺症で亡くなったキム・グンテ元民主統合党の常任顧問は、自伝手記「南営洞」に「死の影が迫ってくるたびにアウシュビッツ収容所を連想し、そのような非人間的な状況に対する絶望に身震いしました」と述懐した。第2次世界大戦当時のあのアウシュビッツの話だ。骨の髄まで沁みる死への恐怖と、歯ぎしりするほど野蛮で非人間的な暴力に対する絶望。テオドール・W・アドルノが捨てたものが叙情詩だったら、映画監督のチョン・ジヨンが諦めざるを得なかったことはある種の映画的仕掛けや修辞ではなかったのだろうか。アウシュビッツを連想したというキム・グンテの痛みと苦しみを映画化しながら厳粛になるしかなかったある種の悲壮感のことだ。そのように故キム・グンテ常任顧問の手記をもとにして作った映画「南営洞(ナミョンドン)1985」は、チョン・ジヨン監督のそのような気持ちが映画にそのまま投射されたと見られる。それがチョン・ジヨン監督の馬鹿力を反映された避けられなかった選択だったなら、「南営洞1985」は106分という時間の間、苦痛の重さにスクリーンで向き合うようにした後、やっとその選択が結果的に正しかったことを確認させてくれる。エンディングクレジットが出てくるまで観客は、キム・グンテ議員が22日間苦しめられた拷問の時間を一つ一つ、そして苦痛に見守るしかない。「南営洞1985」はその苦痛に向き合うことこそ、私たちが持たなければならない姿勢で、記憶に刻んで置かなければならないと言っている。ソウル大学に通った共産主義者を取り調べ、拷問する愛国者たち「南営洞1985」は、状況説明は省略したまま取り調べ室に連れてこられた一人の男、キム・ジョンテ(パク・ウォンサン)を照らすフラッシュの明かりとともに始まる。闇の中で抵抗する一人の男、そして彼を武力で制圧する公安の刑事たち。映画全体を押さえ付ける苦しさと無力感は、すぐ怒りとため息に変わってしまう。それもそのはず、チョン・ジヨン監督はその時代に関するディテールの描写や人物の背景などは大胆に省略し、拷問の時間にジャンプしてしまう。ただ民主化運動をしただけの一人の男がいきなり捕まえられ、何の理由もなく叩かれ服を脱がされる侮辱を経験した後、やっと「ここが南営洞か」と口を開く。その後続く暴力、そして拷問する刑事たちは彼をソウル大学に通った共産主義者と責め立て、自分たちは国のために献身する愛国者と言う。彼の先輩たちが北朝鮮に行った前歴があったキム・ジョンテが連座制を避けられなかった時代、2年後拘束されたソウル大学の学生、パク・ジョンチョルが「ポンと叩いたらふっと死んだ」という警察の発表とともに冷たい遺体になって戻ってきた時代。それは軍部独裁の80年代であった。だが、罪がないから告げることもない。拷問が始まるところだ。なかなか状況を描写しない映画は、回想シーンを通じてしばらく民主化運動を休んでいたキム・ジョンテを見せる。街の銭湯で妻と幼い息子、娘の前で捕まえられるシーンを通じて彼が平凡な日常生活をしていたことだけは確かに見せてくれる。それから拷問技術者のイ・ドゥハン(イ・ギョンヨン)が怪物のように登場し、「南営洞1985」は本格的に苦痛のレベルを上昇させていく。苦痛な拷問シーンとさらに苦しい幻想の意味綺麗に片付けられている各種の拷問道具。キム・ジョンテが拷問される中で死ぬことを防ぐために随時見る懐中時計、そして洗練された手つきと節制された話術。この拷問技術者が注ぎ込む水と粉トウガラシで満身創痍になるまでキム・ジョンテは我慢に我慢を重ねる。以前、高校の先輩だという人脈を言及した南営洞対共分室の総責任者であるユン社長(ムン・ソングン)に「愛国こそパク・ジョンヒの維新独裁とチョン・ドゥファンの光州(クァンジュ)虐殺、それについての米国の傍観などを正すことだ」と声をあげた彼だった。だが、人生をまるごと伝えたような陳述書を寝ずに書き続けていたキム・ジョンテも、結局動物以下の扱いをするこの冷血漢の拷問には耐えられなくなった。キム・グンテ顧問の妻のイン・ジェクン議員が目をぎゅっと閉じたという電気拷問のシーンが続いてる間、カメラはしつこくキム・ジョンテの顔と全身をクローズアップする。死の恐怖があごの下まで近づいてきそうな苦痛とこれによって引き起こされるしかない嘘の自白。そしてものすごい肉体の苦痛がスクリーンから伝わってくるとき、チョン・ジヨン監督はキム・ジョンテの疲弊した内面を覗かせている。恋人を奪われた腹いせでキム・ジョンテを暴行したイ係長が申し訳ない気持ちで投げてくれたパンと牛乳、食欲という生存の欲望の前で、キム・ジョンテは普通の格好をした元気な自身と対面する。この幻想は、拷問を受けるときにたびたび力になってくれた妻の声や、連れられてくる直前に息子と行くことを約束した平和な海を思い出すこととは明らかに違うレベルのものだ。ハム・セウン神父をはじめ、背後の人物を偽りで密告したキム・ジョンテにチョン・ジヨン監督は、そのように動物扱いされる前の本人の姿を見せ「あなたは悪くなかった」と慰めたかったのかもしれない。実際、映画的に見るなら単純すぎるこのような象徴も「南営洞1985」では重たい響きとして機能するしかない。キム・ジョンテの内面を慰めるこのシーンが代表的だ。だが、この響きも直接的な拷問シーンの細かい描写のうえに立てられたことを忘れてはいけない。その極限の肉体的、物理的苦痛に必然的に伴う深く傷付いた内面を経験していない者であるなら、どのようにしてそれを想像することができるのだろうか。(このような演出に対しては賛否が分かれる可能性が明らかに見えるのだが)洗練されるどころかあまりにも単純で愚直に見えるこのような話法は、その後提起される記憶と許しの問題につながっている。あなたなら簡単に許せますか?映画の後半、20年以上が経った時点でキム・ジョンテは閣僚会議で国家保安法撤廃の件に対して意見を出すと(故ノ・ムヒョン)大統領が「穏健だ」と評価するような保健福祉部の長官になった。それと同時に刑務所で服役中であるイ・ドゥハンと単独面談した彼は交錯した運命の前でひざまずくあの拷問技術者に何も言うことができない。パク・ウォンサンの卓越した演技が目立つこのシーンでチョン・ジヨン監督が強調することは、キム・ジョンテの震える手のような微細な部分だ。「お前が死刑される前、世の中が変わるならそのときは俺を殺せ」と言ったその拷問技術者がひざまずくときも拷問を終えたあと、彼が歌った「クレメンタイン」だけはキム・ジョンテの耳元から離れない。だから「南営洞1985」は生半可に許しについて話さない。拷問の時間が終わりかけていた頃、軍医官から連絡先を持ち出したことや南営洞から出て行く直前までも民主主義に対する定義を曲げなかったキム・ジョンテに、結局イ・ドゥハンは狂気じみた暴圧を加える。その狂気こそ単純に時代の痛みとして中和することのできない野蛮の正体だ。何の情報も与えず闇の中のフラッシュの明かりから始まった同映画は、そのイ・ドゥハンを後にしたままカメラを見つめるキム・ジョンテの目をクローズアップする。果たしてあなたたちはこの人を許すことができるのかと、私はまだ許せないという怒りの眼差しだ。限られた時間と空間でかなり単調に展開される「南営洞1985」がはっきり見えてくる感情で観客の心を動かせるのは、拷問への精密な描写のようにキム・ジョンテ、いやキム・グンテの心理を正直かつ濃密に描いているためだ。そういう長所は、エンディングクレジットとともに登場する拷問被害者の証言によって、実話に基づく従来の映画の感動とは違うレベルの熱い感情を与える。「折れた矢」に続く被害者の話大統領選挙に影響を?司法被害者'の問題を扱った「折れた矢」に続き、拷問被害者のキム・グンテ議員の話を描いたチョン・ジヨン監督は「南営洞1985」で実名を使わなかった理由に対し「この映画は、キム・グンテ議員や拷問技術者、イ・グンアンだけの話ではない。時代の加害者と被害者両方が映画に込められていなければならない」と話す。「南営洞1985」に刻まれたこの耐え難い拷問の記憶こそ、2012年に観客たちが覚えておくべき広義のそのなにかであるという意味であろう。イ・ジェオ議員まで登場する証言映像も、この映画が召喚した記憶を単純に時代の恐怖に縮小してはいけないという監督のサインのようなものだ。そしてチョン・ジヨン監督は「この映画が今年の大統領選挙に影響を及ぼすことは望ましくないではないか」とも言う。ちょうど「南営洞1985」がプレス試写会を通じて公開された5日、「五賊」「灼けつく喉の渇きに」のキム・ジハ詩人が「この時代に必要なものは女性のリーダーシップ」という趣旨の発言をし、議論を呼び起こした。誰かにとって記憶はなくなったり、再構成されたりするものだが、また誰かにとっては永遠に刻印される刑罰のようなものになるのだろう。もしかしたら忘却の時代を生きているかもしれない私たちに今「南営洞1985」が訪れてきた。そしてプレス試写会後、もう一度探してみた遺言のビデオでキム・グンテ顧問は、このように呼びかけていた。「希望は信じる人に先に来ます。希望は先に立ち上がる人だけ見ることができます。皆さん、一緒に立ち上がりましょう。皆さんは一緒にしなければならないし、一緒にすることができます」
「南営洞1985」チョン・ジヨン監督“辛かった…しばらく休みたい”
古希(70歳)を目前にした老監督のダイレクトな語調は相変わらずだった。二十歳の青年の勇気は彼より大胆なのだろうか。はっきりとした信念と頑固な性格、年齢を実感させる目じりのしわは、苦労した歳月を代弁する勲章である。彼はまるで止まってしまった韓国の心臓に心肺蘇生をするために立ち上がったようであった。映画「南営洞(ナミョンドン)1985」(制作:アウラピクチャーズ)のマスコミ向け試写会があった5日、チョン・ジヨン監督(66)に会った。雨が降ったせいだろうか、何だかチョン・ジヨン監督は少し落ち込んでいるようだった。苦痛の末に生んだ問題作が今になって心配にでもなったのだろうか、老将の顔には憂いが漂っていた。「緊張しましたよね?」と軽く声をかけた。すると監督は「ホホホ」と笑いながら特有の笑顔を見せてくれた。「映画を完成させたら、もし緊張していたとしても緩んでしまう。監督によっては公開を前に観客が何人来てくれるのかについて考え過ぎていらいらしたりもするが、私は自分がすべきことをしたと思うので気楽だ。公開する日までのマーケティングや広報などは私ではなく、専門家の仕事だ。だから緊張もしない。ただ運に任せるだけ(笑)」「『南営洞1985』を見る間、観客たちに心地悪くなってほしい」―「南営洞1985」は故キム・グンテ議員の自伝的手記「南営洞」を原作にした作品だ。社会的な反響が大きいと思われる。チョン・ジヨン監督:大きな反響を期待している。私の作品が多くの人々に議論を巻き起こすということは、社会のある問題を暴いたという意味を持つ。問題の中心にいる彼らに問題を投げかけること。それはとても楽しいことだ。―いつからこの作品を計画していたのか。チョン・ジヨン監督:以前からこのような問題を暴く必要があると思っていた。忘れてはならない歴史であって、必要な記憶だと思った。ちょうど故キム・グンテ議員の記録が存在していたし、(それを基に)行動で実戦できるようになった。拷問を様々な方法で表すことがポイントではない。ちゃんと見せることが重要だ。―「南営洞1985」は衝撃的な拷問シーンがあるにもかかわらず、R15等級となった。チョン・ジヨン監督:むしろ私はR12等級を受けてほしかった。等級の判定に最も大きな影響を与えるのが暴力性と扇情性だが、この映画は扇情性の面では問題がなかった。もちろん裸体シーンはあるが、全くエロティックなシーンではないからだ。問題になるのは暴力性だが、その基準は青少年が暴力を模倣する懸念があるのかだった。だが「南営洞1985」の暴力性は、模倣心理を刺激しない。青少年たちも人権の問題だと受け入れてくれると信じた。だからこそ「R12等級だったらもっとよかったのではないか」と思った。しかし今までの韓国の映画等級の慣例基準で考えると、R15+に値すると思う。これくらいでも満足する(笑)―赤裸々な表現に心地悪さを感じる観客もいると思うが。チョン・ジヨン監督:心地悪さを感じてほしい。ホラー映画の監督は観客に恐怖を感じてほしいだろうし、悲しい映画の監督は観客に悲しさを感じてほしいだろう。私も映画で主人公が感じた苦痛を観客に感じてほしい。そのような気持ちで作った。だからこれまでの作品よりはるかにつらかった。―拷問をどこまで表現すればいいのかに対して悩みはなかったのか。チョン・ジヨン監督:撮影する前に拷問被害者を取材したが、想像もできないくらいひどかった。視覚的に見ることができないほどで、避けた拷問もかなりある。例えば針で爪の下を刺す行為や人を逆に吊るす行為など、言葉で言えないくらいの拷問が多かった。そのため、故キム・グンテ議員がされた拷問をできるだけ再演してみようと思った。私も拷問をされた経験がないので、キム・グンテ議員が手記で表現した部分は「十分描かれたのだろうか」という疑問がある。映画を撮影しながら「拷問を象徴的ではなく、赤裸々で直接的に表現しよう」と思いを固めた。ただ「視覚的に不快なものにはしない」と一線を画した。徹底的に計算して撮ったシーンだ。―被害者を探してインタビューをしたが、どんな気持ちだったのか。チョン・ジヨン監督:私もその時代を経て今の年齢になったが、当時の状況は詳しく知らなかった。被害者たちの話を聞くとただ涙が出た。本当にひどかったから故キム・グンテ議員は実際、民主化闘争の後に国会議員や長官にもなって一定の補償をしてもらった。しかし彼のような人は非常に少なかった。ある日、畑で働いていると突然スパイだと濡れ衣を着せられて捕まり、懲役20年の刑を言い渡され、出所したら家族はバラバラになっていて惨憺過ぎる。彼らの20年、30年は誰が補償してくれるのか。彼らの証言を少しでも知らせたくて、映画の最後に少し語った。映画が公開されたら「南営洞1985」のサイトにインタビュー映像を掲載するつもりだ。長くて退屈かもしれないけど、1度くらいは是非見てほしい。「怪物イ・ドゥハン、僕には可愛いイ・ギョンヨン」―映画「折れた矢」のチームと意気投合したことで、たくさんの期待を集めた。チョン・ジヨン監督:ただ有難いだけだ。パク・ウォンサンは自身の俳優人生の中で一番成功的な役割だったと言ってくれた。僕に対する信頼が生まれたのだ。僕はその信頼を利用したと言えるかな(笑) 今まで私自身が考えるペルソナを作れなかった。映画は30年間作っているが、多くの作品を制作したわけではないので、ペルソナと言えるくらいの人との交流は少なかった。せいぜいイ・ギョンヨン、アン・ソンギ、チェ・ミンスくらいだ。パク・ウォンサンとは2回目の作品だが、あまりにも苦しめたため、彼に対しては特別な気持ちを持っている。パク・ウォンサンが僕のペルソナだと断定することはできないが、彼とは十分な交流があった。―熱演を見せてくれた7人の俳優は、精神的にとても辛かったと思う。チョン・ジヨン監督:そうだ。特にキム・グンテを演じたパク・ウォンサンは、被害者の心と体で苦痛を感じていた。イ・ドゥハン役のイ・ギョンヨンも加害者としての苦しみを十分に感じたと思う。自身の体で苦痛を感じたわけではないけれど。―拷問シーンの撮影は難しそうだ。チョン・ジヨン監督:実は拷問シーンを撮影する際、いくつかのトリックを使った。詳しいことは秘密だが、映画が公開されたら明らかにする予定だ。その他のことは俳優たちが直接耐えてくれた。水を鼻に注ぐシーンがあったが、我々は事前にパク・ウォンサンと約束をした。彼に「できるかぎり耐えてほしい。もうダメだという時に振り切ってくれ」と注文した。監督として悪い要求だったが、リアリティを生かすための措置だった。幸いパク・ウォンサンは受け入れてくれた。―監督にとっても30年の映画人生の中で一番大変な時期であったと思う。チョン・ジヨン監督:撮影する時には気付かなかった。ただ「体が疲れているからだろう」くらいしか認識できなかった。ところが撮影が終わっても治らなかった。その時気付いた。約1ヶ月間拷問するところ、拷問されるところを見ながら、私自身も拷問されていたのだ。だから簡単に治らなかったのだと思う。おそらくイ・ギョンヨンも私と同じ苦しみを感じていただろう。パク・ウォンサンは言うまでもない。他の俳優ならすぐに逃げ出したと思う。―イ・ギョンヨンが演じたイ・グンアン(「南営洞1985」ではイ・ドゥハンという名前を使った)拷問技術者は、現在行方が分からない状態だと聞いた。もしイ・グンアンがどこかで「南営洞1985」を見るとしたら?チョン・ジヨン監督:間違いなく「僕はそんなに悪くなかった」と言うだろう。映画の中でイ・ドゥハンがそうだったように、イ・グンアンも故キム・グンテ議員に会って許しを願った。そして監獄から出た後に、牧師として新たな人生を始めたように見えた。しかし世の中が変わったと思ったのか、自身は「拷問技術者ではなく、尋問技術者だった。愛国者だ」と主張したではないか。信念が強ければ最後まで貫くべきだと思うが、彼は世の中の変化と共に信念も変えてしまった人だ。「体も精紳も疲れた。2年の休息期間を持ちたい」―第17回釜山国際映画祭の記者会見で、大統領選挙の候補らに「南営洞1985」を是非見て欲しいと言ったが。チョン・ジヨン監督:本当に是非見てほしい。我々はみんな野蛮な時代を経て、今の姿で生きているのではないか。韓国の国民もそうだが、指導者はさらに過去に対して考えなければならない。我々のつらい過去を改めて確認しないと、韓国の将来をうまく設計することもできないと思う。そのような気持ちで是非見てほしい。―故キム・グンテ議員の妻であるイン・ジェグン女史も釜山で映画を見たと聞いたが。チョン・ジヨン監督:私に対するコメントはなかった。一言も。私は映画を見ながら泣いている彼女の姿を見た。その姿を見ると胸が痛かった。―監督はダイレクトな話法を使っている。プレッシャや不安は感じないのか。チョン・ジヨン監督:韓国で何かを隠したがる人々は誰だろうか。その何かが世の中に出た時に損をする人たちだ。だから彼らが隠そうとするものを絶え間なく水面上に出さなければならない。誰かが蓋をしようとするものに対して絶えず考え、明かそうとすることが、我々のような力のない者の義務であり、権利だと思う。もちろん力のある者に押されているため、簡単ではないだろう。しかしそれを暗闇から明るいところに引き出そうとする努力は続けなければならない。私も行動を止めないつもりだ。我々が共有すべき、美しくて胸の痛い物語が多い。―「南営洞1985」をどれだけの観客に見てほしいのか?チョン・ジヨン監督:釜山国際映画祭で上映される前は100万人だと思っていた。ところが釜山で上映された後、反応がかなりよかった。私が、「100万人が見てくれるだけでもいい」と言ったら、周りの人々がもうちょっと欲を出してもいいんじゃないかと褒めてくれた。それで今はもうちょっと欲を出している(笑)―次期作でもチョン・ジヨン特有のダイレクトな話法が楽しめるのか。チョン・ジヨン監督:大変だ。少し休みたい。2年くらい休むつもりだ。久々に連続で2本の映画を作ったら体力的にも疲れたし、特に「南営洞1985」で精神的にも疲弊した。短い撮影期間中に自分自身をあまりにも苦しめすぎた。休みながら充電する必要があると思う。もちろん2本の作品に多くの方々が関心をたくさん見せてくれたおかげで、力と勇気をもらえた。次期作のことはしばらく忘れてほしい。休みが必要だ。
「南営洞1985」チョン・ジヨン監督“選挙に影響がありそう”
チョン・ジヨン監督が、映画「南営洞(ナミョンドン)1985」が選挙に影響を与えられたら嬉しいという意志を明かした。5日午後、ソウル東大門(トンデムン)区MEGABOXで「南営洞1985」(監督:チョン・ジヨン)のメディア試写会が開かれた。チョン・ジヨン監督は、「選挙を前に、映画が公開される。そんな時期で、私は釜山(プサン)で誰かの質問に『選挙に影響を与えられたら嬉しい』と答えた気がする」と明かした。さらに、「今でも同じだ。どう影響を与えるかは、今も分からない。辛い過去の断面のひとつを暴いたので、それに対する候補者の反応や、反応を見た国民たちの反応を通じて、選挙に影響を与えるだろうという考えのため、望ましいことではないかと思う」と話した。チョン・ジヨン監督は先月、「第17回釜山国際映画祭」で開かれた「南営洞1985」の記者会見に参席し、「この作品が選挙に影響を与える?どう影響するかは分からないが、影響を与えたら嬉しい。映画監督として、その作品が社会に反映されたとしたら、それは作った甲斐があると思う」と明かした。「南営洞1985」は、故キム・グンテの自伝手記「南営洞」を原作にした映画だ。1985年に恐怖の代名詞と呼ばれていた南営洞の拷問室で繰り広げられた22日間の記録を描き、パク・ウォンサン、イ・ギョンヨン、ミョン・ゲナム、イ・チョニ、キム・ジュンギなどが出演する。10月に「第17回釜山国際映画祭」のガーラプレゼンテーションを通じて公開され、細かな拷問描写などで話題になった作品で、チョン・ジヨン監督の前作「折れた矢」に続き、再び社会的反響を呼び起こし、ヒットするのかに注目が集まっている。映画は22日に韓国で公開される。
「南営洞1985」パク・ウォンサン“僕を拷問した俳優たちが憎かった”
「南営洞1985」試写会、民主化運動家キム・ジョンテを演じるパク・ウォンサン俳優パク・ウォンサンが「南営洞(ナミョンドン)1985」で民主化運動家キム・ジョンテを演じ、凄絶な拷問を受けるシーンを披露して、見る人をやり切れない気持ちにさせた。彼が試写会後に行われた記者懇談会で映画を撮影しながら、役について悩んだことや撮影現場で大変だった時間について淡々と語った。5日午後2時、ソウル東大門(トンデムン)MEGABOXで開催された映画「南営洞1985」の試写会でパク・ウォンサンは「亡くなられたキム・グンテ常任顧問をモデルとしたが、作品の中ではキム・ジョンテという名前で登場する。しかし、キム・ジョンテでスクリーンに出ても観客たちがキム・ジョンテとして見ないだろうと考えた」と話を切り出した。「それで南営洞に関する手記も探し、色々な資料や映像も探してみようとしたが、結局演技をする過程は、僕がキム・グンテ常任顧問を真似る過程ではないと思った」というパク・ウォンサンは「今回の作品では、1985年9月のある日南営洞本部に連れて行かれ、22日間拷問を受けたキム・ジョンテ役を務めるのが僕の役目だったため、台本にもっと集中し、撮影現場でもさらに集中しなければならなかった」と述べた。彼は「故キム・グンテ常任顧問を参考にはしたが、それが僕の目指す目標点ではなかった」と付け加えた。撮影でもっとも大変だったのはいつだったのだろうか。パク・ウォンサンは「監督に一緒にやろうと言われて、拷問の演技に耐えられる『体力だけで撮影に取り組みます』と話した。しかし、撮影中に体力的な限界、体が耐えられる限界が来た」と述べた。彼は「実際のことのように思わせる苦痛を、スクリーンを見る観客の方々に最大限に伝えるため最善の表現方法を探さなければならなかった」と述べた。「その方法は、最善を尽くして耐えることだった」というパク・ウォンサンは、「映画を見る前にそんな体力をくれた両親に感謝したいと話したこともある」と述べた。彼は「撮影中に隣にいる俳優たちが実際に憎くなってきた。隣にいるイ・ギョンヨン先輩と力が強いイ・チョニさん、肩を力の限り押したキム・ウィソンさんに対しても現場で憎たらしい感情が出てきたこともあった」と本音を伝えた。パク・ウォンサンは「それにもかかわらず、互いに信頼があったため、そして僕たちは映画を撮っているんだから、カットが出れば集まって話し合って笑ったりしながら、1ヶ月半を耐えられる元気を周りからもらった」と述べた。チョン・ジヨン監督の新作である「南営洞1985」は、1985年9月、ソウル南営洞治安本部の対共分室(民主化運動家たちが拷問を受けた場所、現・警察庁人権保護センター)で、故キム・グンテ前民主統合党常任顧問が22日間拷問されたストーリーをリアルに映画化したものだ。パク・ウォンサン、イ・ギョンヨン、ミョン・ゲナム等が出演し、韓国で11月22日に公開される。
「南営洞1985」10時間撮影したメインポスターを公開
映画「南営洞(ナミョンドン)1985」のメインポスターが公開された。これに先立って公開された予告ポスターは拷問現場を客観的な第3者の視線で表現したとしたら、5日午前に公開された2枚のメインポスターはその日の拷問現場を繊細に表現した感じである。映画「南営洞1985」は、1985年に南営洞対共分室(民主化運動家たちが拷問を受けた場所、現・警察庁人権保護センター)で繰り広げられた22日間の拷問行為を描いた実話である。故キム・グンテ民主統合党常任顧問の自伝的手記を映画化した作品である。映画「折れた矢」のチョン・ジヨン監督が演出し、俳優パク・ウォンサンがキム・グンテを象徴するキム・ジョンテ役を務めた。メインポスターの一つはパク・ウォンサンの単独ポスターである。拷問室で自分自身と戦っているキム・ジョンテの姿が表現されている。長く続く拷問で心身ともに病んでいる姿が視線を引きつける。国民の息の根を止めるまで検閲を行う世の中で、残酷な拷問に対する恐怖から無罪である他人を告発し、偽りの自白をしなければならない状況に陥った人間キム・ジョンテの深い悩みが窺える。パク・ウォンサンはポスターの撮影のために拷問を受ける被害者の姿を見事に表現した。10時間以上の撮影時間にも関わらず、パンツだけ履いてすべての撮影を見事に表現したという。またもう一つのポスターは団体ポスターで、1985年9月4日に南営洞対共分室の拷問技術者たちとそこに閉じ込められたキム・ジョンテの姿を写している。拷問現場を覗き見るようなカメラの視線が印象的であり、そのメインポスターの中の楽しそうな顔をしている拷問技術者たちの姿に観客は怒らざるを得ない。拷問技術者にとってキム・ジョンテは人間ではなく、獲物のように見える。そんな彼らとは違ってキム・ジョンテは疲れたように焦点の定まらない眼差しでカメラを見つめ、無言のメッセージを投げかける。この日のポスター撮影の現場では、俳優たちがもう一度被害者と加害者を見事に表現し、劇中のキャラクターになりきった。
「Barbie」イ・チョニ“結婚前は不安だった…クラブに行くのを止めれるのか”
ハードなスケジュールで声が低くなっていた。「風邪のせいです。僕は温かいゆず茶かレモンティーがいいです」とニッコリ笑う姿が、間違いなくチョンデレラ(チョニ+シンデレラ)だ。すごく悪い奴を期待していたが、彼は依然と隙だらけのソユちゃん(イ・チョニの娘)のパパだった。映画「Barbie」(監督:イ・サンウ、制作:インディカムメディア)で一攫千金のために幼い姪に海外の養子縁組を強いる残酷なマンテク役を演じたイ・チョニ(33)。叔父さんとして姪に海外養子縁組を強いること自体が人から後ろ指をさされることなのに、それが平凡な養子縁組でもなく、違法臓器売買のための犯罪だった。その事実を知りながら知らないふりをする残酷さが、さらに衝撃的だ。それだけではない。イ・チョニは韓国で11月に公開される予定の「南営洞(ナミョンドン)1985」(監督:チョン・ジヨン、制作:アウラピクチャーズ)でも末端刑事のキム係長に扮し、悪役を演じた。イ・チョニは最近悪役のキャラクターにどっぷりハマっている。「本当のイ・チョニが気になる」普段からバラエティ番組を通じて隙だらけのチョニチョンデレラと呼ばれるなど無邪気な魅力をアピールしていたイ・チョニが、隠していた棘を見せ始めた。継母ことキム・スロとお嬢様ことパク・イェジンがいじめていたチョンデレラはもういない。これまでの優しいイメージに飽きたのだろうか?上記2本の映画を通じてイ・チョニは本格的な悪党になった。わざと公開の時期を合わせたかのような絶妙な(?)タイミングである。当分は魅力的なイ・チョニの笑う目は忘れたほうが良さそうだ。連続して悪役を演じることに、プレッシャーを感じても不思議ではないが、イ・チョニはいつ悪役を演じたのかと思わせるほどニッコリと笑い「大丈夫です」とプレッシャーを吹き飛ばした。イ・チョニは「本当に偶然の一致だ。僕はどんなイメージであろうと気にしない。周りでは『ニュー!日曜日は楽しい-ファミリーがやってきた』(以下「ファミリーがやってきた」)でのイメージをなくすために悪役を演じているのではないかと心配でもない心配をするが、それは絶対に違う。どんな形であろうと、皆さんが僕のことを覚えてくれれば、それは感謝すべきことだ」と打ち明けた。さすが前向き大魔王のイ・チョニだ。短い会話しか交わしていないたった10分の会話でも、彼への信頼が生まれた。イ・チョニこそ優しい男だ。そんな彼が一発殴りたくなるマンテク役とキム係長役を演じるとは、裏切られたような気持ちでいっぱいだ。どんな姿が本当のイ・チョニなのだろう。イ・チョニは「僕の本来の姿というのが、どんなものなのか分からない。どんな姿が本当の僕なんだろう」と聞き返した。ユニークに見えても、彼が心から感じているジレンマでもあった。イ・チョニは「こうやってインタビューでお喋りをしている姿も僕だし『ファミリーがやってきた』での隙だらけの僕ももちろん僕だ。実は、普段の生活では隙だらけのイ・チョニだけど、演技をする時はそのキャラクターに合わせて変化しなければならない。隙だらけの僕であろうとも、喧嘩をする時は笑わないように、悪役を演じる時に本当の僕が映し出されることもあるけど。もちろんバラエティ番組の笑える僕も本当の僕だ。どんな僕でも全部僕なのに、ある一面だけを見て一次元的に評価されるのは寂しい」と話した。「普段『隙だらけのチョニのイメージがもっと好きです』とよく言われます。一度はこんなこともありました。『ファミリーがやってきた』では面白かったのに、実際には面白くない人なんだ、と言われました。こう言われると、心配になりますね。『Barbie』も『南営洞1985』も重い映画なのに、これ以上明るく振る舞うこともできないでしょう?本当の僕は隙だらけのチョニに近いです。だけど、『Barbie』や『南営洞1985』の公開の時だけは暗く重い雰囲気を演出しようとしています。僕、どうしましょう?(笑)」「自分の演技は見ていられないほど恥ずかしい」「Barbie」のマンテクという人物は、悪い奴というレベルの悪役ではない。人としてやってはいけないことをする悪党だ。「南営洞1985」のキム係長も同じだ。まだ「南営洞1985」を見ていないというイ・チョニは自分がどれだけ悪い人として映されているのか、気にしていた。最近イ・チョニはMBCの海外ボランティアプロジェクト「2012 KOICAの夢」の撮影で「南営洞1985」の試写会に出席できなかったという。「南営洞1985」は第17回釜山(プサン)国際映画祭のガーラプレゼンテーションの招待作品として6日に釜山で初公開された。紛争地域であるパレスチナでボランティア活動を行ったイ・チョニは「共演した先輩たちと一緒に釜山を訪れることができず、とても残念だった。パレスチナで、メッセンジャーで記者懇談会の写真を見たが、とても寂しかった。イ・ギョンヨン、ミョン・ゲナム、パク・ウォンサン、ソ・ドンス、キム・ジュンギ先輩たちとチョン・ジヨン監督が揃って並んでいる写真を見たが、死ぬほど羨ましかった」と可愛い愚痴をこぼした。またイ・チョニは「(参加できなかったのは)とても残念だけど、実は、いざ僕は僕が出演した映画が見られない」という意外な告白で笑いを誘った。イ・チョニは「恥ずかしく見ていられないというか。僕が悪口を言ったり人をいじめたりする姿に違和感を感じる。とてもじゃないけど見られない」と首を横に振った。だが、イ・チョニが自分の全作品を見ていないわけではない。昨年開かれた第16回釜山国際映画祭の「韓国映画の今日のビジョン部門」の招待作品「Barbie」。イ・チョニは1年前、釜山で「Barbie」を見ることになった。当時は撮影を終えたばかりだったので、その勢いで見ることができたという。1年が過ぎると、当時の記憶が蘇り、恥ずかしくなったとか。隙だらけの魅力が輝きを増す瞬間だった。見たいと何度も言っていた作品だが、いざ見ることになると勇気が出ないみたいだ。その分、作品と触れ合う時は慎重で謙虚な姿勢で臨んでいるというイ・チョニである。「最近、妻(チョン・ヘジン)と映画を見に行きました。CGVムービーコラージュでしたが、『Barbie』も招待されていました。人々も『Barbie』のタイトルを見て呼応してくれました。僕はその光景をこっそりと見守りながらただ胸がいっぱいになったのです。映画館に入り、リラックスした姿勢でスクリーンを見ていたら、突然見慣れている画面の予告映像が出てきました。『Barbie』の予告映像でした。予告映像で見ることになるとは、想像もしなかったです。真剣に悪口を言うマンテクを見て、唾も飲み込めなくなるほど焦ってしまいました。妻はそんな僕を見て爆笑してました。ハハハ」「逸脱、やるだけやってみたけど僕には合わないものだった」たしかに「Barbie」と「南営洞1985」を通じてイ・チョニの演技の幅は広くなり、深くなった。また丈夫でしっかりとした基盤となった。「こんなに演技が上手い俳優だったのか」と感じるほど好演を見せた。イ・チョニに「見事に悪役を演じきった。演技が本当に素晴らしかった」と感想を述べると、イ・チョニは「細かく見るとミスだらけで、隙だらけだ」と謙遜した。悪口を言う自分の姿に違和感があったという説明も忘れなかった。「もともと悪党なわけではないので、大丈夫」と彼を慰めると「そうだ。実は僕は悪口があまり言えない」と同意してくれた。また「僕が悪口を言うと、なぜかすごく可笑しい。イ・サンウ監督も僕を見て『本当に悪口が下手だ』とうんざりしていた。僕にできる悪口は二つぐらいしかない」と打ち明けた。「僕は本当に腹が立つと自分をどうすることもできないほど興奮してしまいます。たまに友達と喧嘩をする時も、自分をどうすることもできず悪口を言いますが、それがまた可笑しいみたいです。友達が爆笑してしまって。それほど似合わないみたいです(笑) ドラマもそうです。怒りを感じるシーンもたくさんあるけど、テレビという特性上悪口は言えないでしょう?だけど、怒りを感じる演技は必要なので役作りをします。だけど、どこか浮いているというか。愛する人が離れることになり、怒りを感じるけど、重く『行かないで』と言ってカリスマ性をアピールするのではなく興奮した状態で『行かないでってば~』と言って劇を台無しにしてしまいます。そこで、最近は自粛しようとすごく努力しています(笑)」思ったよりも筋の通っている男だった。一見激しい反抗期を経験した世間知らずの少年のように見えても、内面には人生を知っている大人がいる。「早く物心がついたほうなのか」という質問にイ・チョニは「早いほうではなかったけど、結婚をしてから物心がついたようだ」と答えた。音楽が好きだったイ・チョニは結婚する前に「クラブ音楽にハマっているのに、僕はクラブへ行くことを止めることができるのだろうか」という不安が大きかったと告白し、場内を爆笑させた。また「でも、結婚をしてからクラブに行かなくてもやることが多くなったし、楽しくなった。『こんな楽しさもあったんだ』という幸せな気持ちを知った」と話した。特に最近はキャンピングにハマり、生きる楽しさを感じていると付け加えた。「僕自身も逸脱した行動が多かったほうだと思います。もちろん、マンテク役やキム係長役とはレベルが違いますけどね。僕の基準にしてはものすごい反抗と逸脱を経験しました。もしかしたら悪役を無難に演じきったのも僕の逸脱が幅広くなく、ささやかな逸脱であったためであるのではないかと思います(笑) だけど、逸脱と僕とは傾向自体が合わないんです。まずは不快な気分になりますので。今はキャンピングで少しの逸脱を味わっています。初めての場所で親しい人々と率直な会話を交わせる魅力が本当に良いです。ハハハ」
「南営洞1985」衝撃的な描写にも関わらず“15歳以上観覧可”を受けた理由とは?
チョン・ジヨン監督の次回作「南営洞(ナミョンドン)1985」が、映像物等級委員会(以下、映等委)から15歳以上観覧可の判定を受けた。同映画は第17回釜山国際映画祭でも15歳以上観覧可を受けて上映されたが、これは映画祭という特別な状況下であったためであって、今回の映等委からの15歳以上観覧可の判定は想像のつかないことであった。それだけ映画の中の拷問シーンの描写は凄まじい。さらに主人公のキム・ジョンテを演じた俳優パク・ウォンサンの裸体シーンも登場する。それにも関わらず、映等委が15歳以上観覧可の判定を下した理由は何だろうか。映等委は公式ホームページを通じて、「映画『南営洞1985』は、故キム・グンテ議員の自伝的手記をもとに、1985年に南営洞対共分室(民主化運動家たちが拷問を受けた場所、現・警察庁人権保護センター)で繰り広げられた拷問行為を告発する内容である。約20日間の拷問を受ける場面で、集団暴行、不適切な発言、飲酒などのシーンが登場する。また、拷問の過程で身体の露出シーンなども登場するが、煽情的な要素としては描かれず、様々な形の暴力性は拷問の残酷さを表現する要素であり歴史的事実を根拠とし表現されたものである」と伝えた。 続いて「題材及び内容、暴力性、恐怖、台詞などは社会的知識と経験に基づくものであると考慮し、15歳以上観覧可の判定を下した」と説明した。「南営洞1985」は、故キム・グンテ民主統合党常任顧問の自伝的手記を映画化した作品で、韓国で11月22日に公開される予定だ。
「南営洞1985」は「折れた矢」を越えられるか?
映画「折れた矢」のチームが、再び意気投合した。「折れた矢」で340万人の観客を動員しながら興行成績はもちろん社会的な反響まで呼んだチョン・ジヨン監督が「南営洞(ナミョンドン)1985」で帰ってきた。「南営洞1985」には、チョン・ジヨン監督のみならず「折れた矢」の興行を成功に導いたメンバーたちが合流し、注目を集めている。「折れた矢」でパク・ジュン弁護士を演じた俳優パク・ウォンサンと、イ・テジュン裁判長を演じたイ・ギョンヨン、シン・ジェヨル裁判長役のムン・ソングンが「南営洞1985」にも出演した。また、スタッフのほとんどが同様である。同作の関係者は、「俳優たちとスタッフらが1年も経たないうちに改めて集まることができたのは、巨匠チョン・ジヨン監督に対する尊敬と信頼があったからこそ可能なことだった」と伝えた。特に、俳優たちはノーギャラで出演したが、これもまたチョン・ジヨン監督に対する信頼に基づいたことだと明かした。「南営洞1985」は、1985年に南営洞対共分室(民主化運動家たちが拷問を受けた場所、現・警察庁人権保護センター)で繰り広げられた22日間の記録を収めた実話で、故キム・グンテ議員の自伝的物語を映画化した作品である。第17回釜山国際映画祭で公開されるや否や熱い反響を呼んだ同作が、今回もまた興行的に大きな成功を収められるか、関心が集まっている。「南営洞1985」は11月に韓国での公開を控えて配給会社を決定した状態でおり、近々公開日が発表される予定である。