プファル
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【PHOTO】カンタ&ユンナ&Dynamic Duoら「MBCラジオDJコンサート」でステージ披露(総合)
歌手カンタ、ユンナ、ヤン・ヒウン、ソン・シギョン、Dynamic Duo、YIRUMA、テイ、復活(プファル)のキム・テウォン、チ・ソクジン、パク・ジョンア、ペ・チョルス、ノ・ホンチョル、チョン・イングォンらが7日午後、ソウル上岩洞(サンアムドン)MBC本社前の上岩文化広場で開催された「2016 DMCフェスティバル」の「MBCラジオDJコンサートStand by me」でステージを披露した。
「2016 DMCフェスティバル」SHINee、EXO、防弾少年団、TWICE、モーニング娘。など…豪華ラインアップを公開!
韓流スターが集結する音楽の祭典「2016 DMCフェスティバル」が11日間、上岩洞(サンアムドン) で開かれる。主催者は12日、MBCが準備する「2016 DMCフェスティバル」が10月1日から11日まで11日間に渡り、上岩ビルと上岩文化広場一帯で華やかに開かれる予定だと説明した。「2016 DMCフェスティバル」は1日(土) に開幕公演「祭りの序幕」から始まり、2日(日)「2016 アジア太平洋スターアワード」、3日(月)「レジェンド~土曜日、土曜日は歌手だ~」、4日(火) には「私は歌手だ~伝説の帰還~」、5日(水)「皆さんの選択! 覆面歌王」、6日(木)「ミュージックコンサート開幕特集AMNビッグコンサート」、7日(金)「ラジオDJコンサートStand By Me」、8日(土)「Korean Music Wave」、9日(日)「DMC Rock Festival」、10日(月)「ソウル市立交響楽団~秋のファンタジア~」、11日(火)「若さの祭り~上岩で遊ぼう!」まで、11日間毎晩上岩MBC前の上岩文化広場で開かれる。同公演はキム・ソンジュ、ペ・チョルス、シン・ドンヨプ、イ・ハニ、パク・ジョンヒョンなどMCらの進行でEXID、Dynamic Duo、DJ.DOC(祭りの序幕)、SISTAR、Red Velvet、モーニング娘。(AMNコンサート)、少女時代、SHINee、EXO、INFINITE、Apink、防弾少年団、TWICE(Korean Music Wave)、YB、プファル(復活)、キム・ジョンソ、No Brain(DMC Rock Festival) など、最高のスターらが集結する予定だ。また、「DMC街頭祭り」「KOREA VRフェスティバル」、特別展示「We、顔展/私たちの、顔展」など、様々な見どころと体験コンテンツが満載で、祭りの期間中上岩DMCを訪れる人々には見どころの多い祭典になると見られる。「2016 DMCフェスティバル」に関する詳しい情報および参加の申し込みについてはホームページ(http://dmc2016.imbc.com)で確認できる。
故キム・ソンミンさん、最後の見送り…同僚芸能人たちの弔問相次ぐ
一緒に芸能界生活を送ってきた仲間たちが故キム・ソンミンさんの遺体安置所を訪れ弔問し、故人の最後を見送った。故キム・ソンミンさんの遺体安置所は、ソウル江南(カンナム) 聖母(ソンモ) 病院14号室に設けられた。出棺は28日午後6時30分頃の予定だ。26日設けられた故人の遺体安置所には、同僚芸能人たちの弔問が相次いだ。26日には2009年放送されたKBS 2TV「男子の資格」に一緒に出演していたお笑いタレントのイ・ギョンギュとユン・ヒョンビンが訪れた。JTBC「私たち結婚できるかな?」で共演した女優ハン・グルは本日(27日) 遺体安置所を訪れ弔問し、生前に故人と共演し交流のあった女優チャン・ソヒ、歌手チョン・ドンハ、プファルのキム・テウォン、芸能人野球団アルバトロスが送った花輪が遺体安置所を飾った。故キム・ソンミンさんは24日、自宅で自殺を図り、すぐに病院に運ばれたが、26日最終的に脳死判定を受けた。その後本人の意思で自身の臓器を5人に提供した。
プファルのキム・テウォン、パニック障害を告白「15年間睡眠薬を飲み続けている」
ロックバンド プファル(復活)のキム・テウォンがパニック障害を患っていることを告白した。キム・テウォンは韓国で13日に放送されたSBS「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~」にイ・ギョンギュの親友として出演した。釣り場で会った二人はお互いの近況について話した。キム・テウォンが「パニック障害はどうか?」と聞くと、イ・ギョンギュは「ずっと薬を飲んでいる」と答えた。キム・テウォンは「死ぬまで飲まなきゃいけないんじゃないか」と苦笑いした。またキム・テウォンは「僕もパニック障害だ。もう長い」と明かした。イ・ギョンギュが「睡眠薬を飲んでいるのか?」と聞くと「15年間飲み続けている」と頷いた。この日放送された「ヒーリングキャンプ」には、キム・テウォン、キム・ソンジュ、キム・グラ、チョン・リョウォン等が出演した。
プファル、デビュー30周年記念コンサートを開催…歴代ボーカリストたちとコラボ
ロックバンドのプファル(復活)が、デビュー30周年記念コンサートを開催する。変わらぬ人気と活発な活動で時間を超えた共感帯を形成しているプファルは、5月16日にソウルオリンピック公園オリンピックホールで2回にわたって「プファル30周年記念コンサート」を開催する。今回の公演でプファルは、「ヒヤ」「愛するほど」「雨とあなたの物語」「Never Ending Story」など30年間プファルを支えてきた数多くの名曲と、リーダーのキム・テウォンが直接語るプファルの歴史とエピソードまで、プファルの歌で人生の喜怒哀楽を共にした観客たちに決して忘れられない感動のステージを披露する予定だ。プファルは初代ボーカルキム・ジョンソを皮切りに、2代目のイ・スンチョル(RUI)、3代目のキム・ジェギ、4代目のキム・ジェヒ、5代目のパク・ワンギュ、6代目のキム・ギヨン、7代目のイ・ソンウク、8代目のジョンダン、9代目のチョン・ドンハ、現在の10代目ボーカルキム・ドンミョンまで正統派ロックと情緒的な感性の名曲をリリースし、優れたボーカリストを排出した。特に、今回のコンサートは現在のボーカルキム・ドンミョンの情緒的かつパワフルなステージ以外に、プファルで歌った歴代ボーカリストたちと共に行う素晴らしいコラボレーションが披露される。「プファル30周年記念コンサート」は、これまでのプファルの歴史を一緒に過ごしてきた中年層から青少年層まで、歳を超え、誰かには希望になり、また誰かには思い出となる美しいステージを予告している。「プファル30周年記念コンサート」は、6日午後2時にインターパークを通じてチケット販売を開始する。
元プファルのチョン・ドンハ、外車の取引相手が9000万ウォンの提訴「正当な手続きをした…何が問題なのか分からない」
自身の外車を売買しようとして訴えられたロックバンドプファル(復活)出身のチョン・ドンハ側が悔しさを表した。11日、チョン・ドンハ側の関係者は「取引当時、正当な手続きを経て複数の詳細について告知しており、双方が話し合って価格を設定し、取引が行われた。何の問題で訴えられたか理解できない」と吐露した。 また、「取引過程についての証拠が十分にあるので、対応できる。朴さんがチョン・ドンハが芸能人だという理由で問題を大きくしている」と付け加えた。仁川(インチョン)地方裁判所富川(プチョン)支院によると、原告の朴さんは先月13日、訴訟代理人を通じて事実照会申請書を提出しチョン・ドンハに対し9000万ウォンの訴訟を起こしたという。関係者によるとチョン・ドンハは昨年9月ごろ、中古車を売買するコミュニティサイトを介して朴さんと取引をした。チョン・ドンハは朴氏に8000万ウォンを受け取り、自分の外車を売った。その後約6ヶ月が経った先月、朴さんは車に問題があるとして払い戻しを求めた。
チョン・ドンハ、8年に及ぶプファルとしての活動に終止符…さらなる飛躍を目指して
歌手チョン・ドンハがロックバンドプファル(復活)を脱退する。プファルエンターテインメント側は3日午前、報道発表資料を通して「プファルとチョン・ドンハが8年間の旅を終える。昨年12月31日の全羅道(チョルラド)莞島(ワンド)でのコンサートを最後に、8年間続けてきたプファルとしての活動に終止符を打つことに合意した」と公式に発表した。続いて「プファルは美しい翼を持ったチョン・ドンハがより高く羽ばたけるよう祈るという意思を伝え、チョン・ドンハもプファルの9代目のボーカルとしてその名誉を胸に抱き、歴代のボーカルたちと歩みを共にすることを決意した」と説明した。今後、チョン・ドンハは当分の間ミュージカル「ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」「ノートルダム・ド・パリ」などに専念する予定で、プファルは暫定的に活動を休止し、新しいボーカリストを迎え入れることについて話し合いがもたれる予定だ。これを受けチョン・ドンハは約8年間共に活動してきたプファルをはじめ、リーダーのキム・テウォンとも違う道を歩むこととなった。また、彼は11日に9年間交際を続けてきた初恋の相手と結婚式を挙げる予定だ。チョン・ドンハは2005年、プファルにボーカリストとして参加した。イ・スンチョル(RUI)をはじめ、故キム・ジェギ、キム・ジェヒ、パク・ワンギュ、キム・ギヨン、イ・ソンウク、チョンダンなどの実力派ボーカリストたちの後を継ぎ、約8年間プファルのボーカリストとして活動を共にした。
プファルのチョン・ドンハ、来年1月11日に結婚“大学時代からの縁”
ロックバンドプファル(復活)のボーカルのチョン・ドンハ(33)が来年1月11日に仁川(インチョン)HYATT REGENCY HOTELで結婚式を挙げる。チョン・ドンハの知人は27日、TVレポートに「チョン・ドンハさんが来年1月に仁川で結婚式を挙げる。芸能人ではない相手に配慮して結婚式は非公開で行われる」と話した。チョン・ドンハは5日、公式ファンコミュニティを通じて結婚の計画を発表した。当時、具体的な日程は決まっていない状態だった。チョン・ドンハは8年前から交際した同い年の会社員パクさんと結婚する。二人は大学時代に出会ったと知られている。チョン・ドンハは2005年にプファルの10thアルバム「叙情」でデビューした。今年KBS 2TV「不朽の名曲」などを通じて人々に顔を知らせた。
プファルのチョン・ドンハ、1月に結婚…所属事務所「詳細は未定」
ロックバンドプファル(復活)の所属事務所が、ボーカルのチョン・ドンハが来年1月に結婚することを認めた。5日、プファルの所属事務所の関係者はTVレポートに「相手は一般人なので、非公開で結婚式を挙げることにした。8年前から交際してきた恋人はチョン・ドンハと同い年だ。お互いのことを大切にしている」と話した。しかし結婚式関連の詳細なスケジュールは公開されていない状況だ。チョン・ドンハは所属事務所に結婚式の計画だけを伝えただけで、場所や祝歌などはまだ調整中だという。所属事務所の関係者は「おめでたいことだが、チョン・ドンハは慎ましい雰囲気の中で静かに結婚式を挙げたいと話している。チョン・ドンハは結婚後もさらに一生懸命活動する」と付け加えた。この日、チョン・ドンハは自身のファンコミュニティに結婚の事実を知らせ、ファンに感謝の挨拶を伝えた。
「ヨセフ・アメージング」BEAST ヤン・ヨソプ&プファルのチョン・ドンハら4人のヨセフ“運命的な作品”(総合)
今年2度目の公演を開催するミュージカル「ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(以下「ヨセフ・アメージング」)出演陣の練習風景が公開された。15日、ソウル冠岳区(クァナク)南硯洞(ナヒョンドン)では、ミュージカル「ヨセフ・アメージング」のハイライト公演および記者懇談会が行われた。特に主人公ヨセフ役でクアドラプルキャストとして選ばれたロックバンドプファル(復活)のチョン・ドンハ、ミュージカル俳優のキム・スンデ、パク・ヨンス、BEASTのヤン・ヨソプは作品を選んだ理由について、口を揃えて「運命的に選択した」と話を始めた。チョン・ドンハは他のメンバーとは異なり、初演に続き今回の公演にも参加することになった。アイドルスターとしては初演にZE:Aのシワンが参加し、今回はBEASTのヤン・ヨソプが参加する。チョン・ドンハ、キム・スンデ、パク・ヨンスは「一生懸命に練習した。運命的な作品であるだけに、ヨセフというキャラクターを最大限に生かしたい」と覚悟を語った。ヤン・ヨソプは「僕の年が劇中のヨセフと一番近い。兄さんたちとは異なるキュートさでアピールする」と言い、笑いを誘った。ミュージカル「ヨセフ・アメージング」では、BEASTのヤン・ヨソプ、チョン・ドンハ、キム・スンデ、パク・ヨンスがヨセフ役を務める。解説者役はリサ、イ・ヘギョン、キム・ギョンソンが務める。ファラオ役はパク・ジュニョン、キム・ジャンソプ、キム・ヒョンムクが演じ、ヤゴブ役はソン・イジュが務める。解説者役を演じるリサ、イ・ヘギョン、キム・ギョンソンはそれぞれの魅力を生かして劇の流れをリードすることを予告した。「ヨセフ・アメージング」の演出を担当したキム・ジェソン監督は「解説者に神のような意味を与えた。夢と現実を行き来したり、舞台のセットを変えたりするなど、様々な魅力を楽しむことができる」と説明した。「ヨセフ・アメージング」は、「オペラ座の怪人」「キャッツ」などを制作したミュージカルの巨匠アンドリュー・ロイド=ウェバーと「ライオンキング」「アイーダ」などの作詞を手がけた作詞家ラティム・ライスの2人が初めて手を組んで制作したミュージカルだ。「トニー賞(Tony Award)」と「ローレンス・オリヴィエ賞(Lawrence Olivier Awards)」でそれぞれ6部門にノミネートされるなど、世界的に愛された「ヨセフ・アメージング」は、初演でも大きな人気を博した。「ヨセフ・アメージング」は10月29日から12月12日までソウル広津(クァンジン)区陵洞(ヌンドン)のユニバーサルアートセンターにて上演される。
カンタ&プファル キム・テウォン「私は一人で暮らす」から暫定降板“復帰の可能性も”
プファル(復活)のリーダーキム・テウォンとカンタがレギュラーとして出演していたMBCバラエティー「私は一人で暮らす」から暫く離れることになった。1日午後、MBCは「キム・テウォンとカンタが『私は一人で暮らす』の『虹の集まり』をしばらく休むことになった」と明らかにした。キム・テウォンは、実の娘であるソヒョンさんが韓国で生活することが決定し、一人で暮らす男の人生から卒業することになり、番組から離れることになった。また、所属しているバンドプファルの海外公演が予定されており、スケジュールをこなすのが難しいというのも、今回の暫定降板の理由となった。キム・テウォンの所属事務所の関係者は、「キム・テウォンが『私は一人で暮らす』の初期メンバーとして番組に愛着が深く、休むことになったのは残念だがしばらく休息期間を持って娘さんと共に穏やかな時間を過ごした後、再び戻って来る予定だ」と降板に至った背景を伝えた。またカンタは最近、中国のバラエティー番組に韓国代表のレギュラーメンバーとして出演することが決定し、スケジュール調整の問題で番組から去ることになった。「私は一人で暮らす」からの降板により時間的な余裕ができたカンタは、中国のテレビ番組の出演と共に、近いうちに公開されるソロアルバムの作業にも拍車をかけると伝えられた。しかし、スケジュールによって降板と出演が自由な形式をとっている「私は一人で暮らす」の特性上、彼らの今後の復帰の可能性も開かれている状況だ。
プファル(復活)「30周年を目前にして、第2の全盛期を迎えている」
ロックバンドのプファル(復活)は、チーム名通り何度も復活を遂げた。キム・テウォンと共に1980年代にプファルを栄光に導いたイ・スンチョル(RUI)がチームを脱退した後、長い空白期間を持ったプファルは、キム・ジェギが歌った「愛するほど」の大ヒットにより復活し、キム・ジェギが悲運の事故でこの世を去った後はボーカルのパク・ワンギュを迎えて再び音楽界に戻ってきた。アイドルグループが人気を博し、ロックバンドの人気が停滞していた時期は、グループに戻ってきたイ・スンチョルが歌った「Never Ending Story」が大ヒットして人気を集めた。そして今はスターボーカリストのチョン・ドンハと共に第2の全盛期を迎えている。彼らが何度も復活できた理由は簡単だ。それは彼らの曲が人々の胸を打つ力を持っているからだ。プファルが再び人気を博すようになった経緯の一つには、最近多くなったキム・テウォンのバラエティ出演やチョン・ドンハのミュージカル出演などが一役買った。しかし、人々が一つ見逃している事実がある。プファルは1986年以来、30年近くの長い歳月の間に13枚のフルアルバムをリリースしたが、すべてのアルバムにおいて妥協のない完成度の高い音楽を披露してきたということだ。今年に入ってプファルは、アメリカや中国、日本でもコンサートを開催するなど活発な活動を行い、音楽の領域を広げている。開天節(檀君(タングン)神話に基づく韓国の建国記念日)である10月3日に、ソウル松坡(ソンパ)区芳夷洞(バンイドン)に位置するオリンピック公園のオリンピックホールで単独コンサートを開催するプファルに会った。―昨年夏、13thアルバム「Purple Wave」をリリースした後、韓国で全国ツアーを行った。開天節である来月3日にソウル公演を控えているが、バンドとしてここ1年間の近況を聞かせて欲しい。キム・テウォン:休むことなくツアーを続けた、全国を回りながら公演を行った。7月には日本で公演を行い、今年はアメリカと中国での公演も控えている。 ―バンド活動以外にキム・テウォンはテレビ出演、チョン・ドンハはミュージカル出演なども並行しているのでとても忙しいと思うが。キム・テウォン:私はかなり前からやってきた仕事なので大丈夫だが、最近はチョン・ドンハがとても忙しい。KBS 2TV「不朽の名曲-伝説を歌う」(以下「不朽の名曲」)でのチョン・ドンハの素晴らしい活躍を目の当たりにしたからだろうか?MBC「私は歌手だ」の代表歌手がイム・ジェボムとパク・ワンギュだとしたら、「不朽の名曲」にはチョン・ドンハがいる。―チョン・ドンハは既に誰もが認めるスターボーカリストだが、彼の人気のおかげでプファルが第2の全盛期を迎えたと思ってもいいだろうか?キム・テウォン:そう思ってもらっても過言ではないと思う。チョン・ドンハ:プファルが第2の全盛期を迎えられたのはキム・テウォン兄さんのおかげだ。兄さんが思い切ってバラエティ番組に挑戦し、プファルの名前を再び皆さんに知って頂けるようになったことで、様々な相乗効果を得ることができた。最近、とても忙しい中でも楽しく仕事ができる理由は、それだけプファルが人々に愛されていると実感できるからだ。―今年はアメリカや日本、中国でも公演が予定されている。9月20日から30日までアメリカのアトランタ、ニュージャージー、シカゴ、ダラスを回るアメリカツアーが計画されているが、今回のように海外の地方を回るツアーは以前にも行ったことがあるのか?キム・テウォン:アメリカのロサンゼルスやサンフランシスコで公演を行ったことはあるが、今回のように複数の州を回るのは初めてだ。―今年でプファルの結成から28周年を迎え、もうすぐ30周年になるが、その長い歳月の中で今のプファルはどの位置にいると思うのか?キム・テウォン:プファルは今、これまでで一番高く飛んでいる。今よりも高く飛んだことはこれまでない。―1~2枚目のアルバムの時は大人気を博すロックスターだった。「ヒヤ(Heeya)」「雨とあなたの物語」のような最高のヒット曲を次から次へと発表し、ロックバンドとしては珍しくアルバムの売り上げが数十万枚に達した。キム・テウォン:その時の人気と今の人気では意味が違うと思う。1980年代は私たちも今のアイドルのように若かったから。今の私たちの平均年齢をバラエティ番組に例えるとKBS 2TV「ハッピーサンデー-男の資格」ほどであるが、今でも人々からとても愛されている。これは私たちが若かった1980~90年代の時とは比べられない、また別の立ち位置である。1986年に「ヒヤ」、1993年に「愛するほど」、2002年に「Never Ending Story」が大きな人気を博したが、今年のように多くの海外公演を行うことはできなかった。プファルは今、一番高く飛んでいる。アーティストは紙飛行機のように単独では飛べない。ファンたちが私たちを高く押し上げて飛ばしてくれたんだ。―昨年夏、「Purple Wave」の発売を記念する記者会見を行った時、キム・テウォンが再び20代に戻ったようだと話し、1980年代に恋愛をしていた時のように、とてもアクティブな体の状態だと言ったのが記憶に残っている。キム・テウォン:みんなに愛されながら新しいアルバムを作ったのは本当に久しぶりだった。プロデューサーとして新しいアルバムを準備するのに、背負いきれないほどの大きな期待を受けたのはその時が初めてだったと思う。―最近はキム・テウォンに続き、チョン・ドンハが頻繁にテレビに出ている。メンバーたちはチョン・ドンハが出る番組を見ているのか?ソ・ジェヒョク:チョン・ドンハが出る番組をよく見ている。チョン・ドンハを応援するために「不朽の名曲」にプファルのメンバーたちで出演したこともある。キム・テウォン兄さんが出演した時はチョン・ドンハが歴代最高の点数で優勝をしたが、私とチェ・ジェミン兄さんが応援に行った時は負けてしまった(笑) もちろん、その前に3勝もしたのですごいと思う。チョン・ドンハはテレビやミュージカルなど、とても多忙なスケジュールをこなしているのにも関わらず疲れを全く見せない。チョン・ドンハ:子供は母親が夕食の時間だから帰ってきなさいと言うまで休まずに遊ぶじゃないか?そんな気持ちで楽しく遊ぶような感じでスケジュールをこなしている。体力面では大変だが、精神的にはとても楽しい。―ミュージカルをやっているとプファルの公演が恋しくならないのか?チョン・ドンハ:それぞれの魅力が違う。ライブは事前に決まった約束事はなく、ダイナミックに流れるのが魅力だとすれば、ミュージカルはストーリーの進行やアンサンブルなど、予め決められた通りに舞台で表現しながら感じるスリルが魅力である。そして、その中で少しずつ自分ならではの魅力をアピールすることができる。―「不朽の名曲」とプファルのコンサートはどう違うのか?チョン・ドンハ:「不朽の名曲」は、ステージの演出や曲のアレンジなどを自分で作り上げていくことがとても面白かった。高校生の時、学園祭のステージを準備しながらどんな服を着て、ステージをどう飾りつけるかについて悩んだ時と同じときめきを再び感じた。―チョン・ドンハはプファルの歴代のボーカリストの中で、久しぶりに人々にその存在を刻み付けたケースである。チョン・ドンハ:実は、プファルとして活動を始めてから「こんにちは。私たちはプファルです」と自然に挨拶がでるまで、かなり長い時間を要した。以前までは「私はプファルに新しく加入したボーカルのチョン・ドンハです」という紹介を必ずしなければならないような雰囲気だった。プファルというバンドがあまりにも大きな存在だったので、「私たちはプファルです」と自信を持って言えなかった時期がある。―本来、プファルはイギリスのディープ・パープルのようにギタリストが全面に立つバンドだと思ったが。キム・テウォン:さあ、私がプファルでリッチー・ブラックモア(ディープ・パープルの元メンバーであるギタリスト)ような役割を果たしたのかもしれないが、人々は私をそんな風に見ていなかったと思う。過去のロックマニアの間では、プファルはキム・テウォンが中心となったバンドだと思っているかもしれないが。―キム・テウォンは練習時も非常に厳しく、練習する時の雰囲気が殺伐としていると聞いたが。チョン・ドンハ:昔はそうだったかもしれないが、今は全然違う。キム・テウォン:それは1980年代の話で、1985年のプファルの前身であるTHE endの時代からプファルになるまではメンバー間の争いがすごかった。バンド内で音楽的な方向性を誰が決めるかを決定する時期だったからだと思う。THE endの時はキム・ジョンソが歌を歌い、現在チョー・ヨンピルが率いるバンド、チョー・ヨンピルと偉大な誕生のベーシストであるイ・テユン、当時天才ドラマーと呼ばれたファン・テスン、私のギターの師匠だったイ・ジウンがリードギターを担当していた頃は殺伐とした雰囲気だった。全員が同じ年頃だったので競争が激しかった。その時はみんな若いミュージシャンだったが、今振り返ってみるとその時のミュージシャンたちが今、韓国の音楽界で名声を上げている。チェ・ジェミン:キム・テウォン兄さんがそのそうそうたるメンバーの中でリーダーだったということでしょう?キム・テウォン:でも、私は1990年代以降すっかり別人になり、プファルの2枚目のアルバムを最後に長い間彷徨っていた。―2枚目のアルバムの後、イ・スンチョルがバンドを脱退し、その後にキム・ジェギと3枚目のアルバムをリリースするまでにかなり長い時間がかかった。キム・テウォン:私の不遇の時期だった。「愛するほど」が収録された3枚目のアルバムで戻ってきた時、私はすっかり別人になっていた。性格が丸くなりユーモアも持つようになって、少し不思議な部分もあった。長らく彷徨った結果、そんな自分がより素敵な人間だと思うようになった。―プファルはロックバラードのヒット曲が多いが、アルバムには壮大なスケールのアートロック系の曲も多い。1枚目のアルバムでは「人形の復活」がそうだったし、2枚目のアルバムには「回想」の連作シリーズがあった。その後のアルバムにもそのような曲が必ず収録された。そのような曲を作るようになったきっかけは?キム・テウォン:幼いころからクラシック音楽への興味が高かった。クラシック音楽に興味を持つようになったきっかけは映画が好きだったからだ。映画で感動を与える決定的なシーンにはいつも音楽が流れていた。シーンにBGMがないと観客が涙を流さないからだ。そのことに気づき、弦楽を中心とするオーケストラにはまった。クラシック音楽には歌詞がないため、聞く人が思い思いに想像することができるのが長所である。そんなクラシック音楽とジミ・ヘンドリックスのようなロックが好きだった。―プファルのアルバムを見ると、チャイコフスキーやラフマニノフ、エンニオ・モリコーネなどの音楽を演奏に挿入していたりもする。キム・テウォン:1枚目のアルバムにはチャイコフスキー、2枚目のアルバムにはレクイエムのテーマを私たちの音楽に挿入した。元々はクラシック音楽が好きだったが、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムのドラム音を聞き、ロックのリズムにはまるようになった。だから私の音楽にはクラシック音楽とロック音楽が両方混ざっている。50人のオーケストラが奏でる音楽を4人で演奏するのがロックバンドだ。ソ・ジェヒョク:すべての曲がまるでエンディングテーマのようなのでコンサートの時にセットリストを決めるのが難しいほどだ。「雨とあなたの物語」のような曲が終わると、公演を終わらせなければならないような雰囲気になってしまう(笑) ―キム・テウォンは他のミュージシャンの音楽を聞くと、その影響を受ける可能性があるので聞かないそうだが、今もそうなのか?キム・テウォン:音楽は全く聞いていない。―どの時期まで音楽を聞いていたのか?キム・テウォン:1980年代のLAメタル、ハードロックまでは聞いた。1990年代に入り、音楽を聞かなくなった。クラシック音楽を聞いているわけでもない。音楽自体を全く聞いていない。移動中の車の中でも音楽を聞くことはない。―プファルの車の中を覗いてみると、キム・テウォンが作曲に使う小さなアコースティックギターがあった。移動中に曲を作ると聞いたが。キム・テウォン:私の職業は作曲家だが、普段は一人でじっと座って曲を作る余裕がほとんどない。番組出演があり、公演も行い、色んな人たちに会わなければならないからだ。でも、車の座席に座るとようやく一人になれる。マネージャーが運転をしている時、私の目の前には外の風景だけが映るので作曲するのに丁度良い時間だ。チェ・ジェミン:私たちは全員、キム・テウォン兄さんの作曲の邪魔にならないように寝ている(笑)―チェ・ジェミンはプファルに入る前に一世を風靡したバンド、ティサムスとして活動していた。その時にプファルと会ったことがあると思うが。チェ・ジェミン:私たちのライバルだと思っていた(笑) 1980年代の後半に「毎日待っている」がヒットした時だったが、実際、プファルやシナウィのようなバンドはバンドマンたちの間ではノムサビョク(越えられない4次元の壁)だった。―チェ・ジェミンが1998年に6枚目のアルバムから参加し、ソ・ジェヒョクは1999年に7枚目のアルバムから合流した。そして、チョン・ドンハが2005年の10枚目のアルバムから入ってきた。その後はメンバーの交代がないまま現在まで続いている。過去にメンバー交代が多かったことを考えると、今のメンバーがプファルにとって一番安定しているのではないか?キム・テウォン:今はプファルのメンバー4人全員がそれぞれ注目を浴びている。これはプファルの歴史上、初めてのことだ。このようにメンバー全員がそれぞれ活躍することはすべてのバンドの望みでもある。今のプファルはその望みに近づいている。チョン・ドンハ:単独公演ではチェ・ジェミン兄さんやソ・ジェヒョク兄さんの応援ボードが多い。私には目もくれないファンも多いが、そんな様子を見るのがとても嬉しい。―チョン・ドンハはそうそうたる先輩の歌を歌わなければならないが、特にプレッシャーを感じたり、難しかった曲は?チョン・ドンハ:難しい曲とプレッシャーがかかる曲は少し違う。プレッシャーがかかる曲はパク・ワンギュ兄さんの曲だ。全体的にキーが高いので高音を歌うのが大変だ。難しい曲は故キム・ジェギさんの「愛するほど」だ。この曲は歌うたびにメロディと歌詞が違う感じで入ってくる。他の曲が完成された絵だとすれば、「愛するほど」は白い画用紙のようだ。だから私が自分で描かなければならない部分が多い。不思議なことにこの曲はテクニックを使って歌おうとするとおかしくなる。時間が流れるにつれて徐々に完成していく感じがする。―「愛するほど」が発表された時、チョン・ドンハは中学生だったのでは?チョン・ドンハ:そうだ。当時、すでにプファルを知っていたが、熱狂的なファンではなかった。だが、「愛するほど」は脳裏に深く焼き付き、自分でも知らないうちに歌っていた曲だ。―30年近く活動してきたので、ヒット曲も時代別に分けられる。ソ・ジェヒョク:「ヒヤ」が好きな世代、「愛するほど」が好きな世代、「Never Ending Story」が好きな世代に分かれる。コンサートで曲の反応を見ていると、観客の年齢が分かる。―「ヒヤ」「雨とあなたの物語」のような曲は、韓国で一番愛されるロックバラードになった。たぶん今後もそのような曲は出てこないと思う。キム・テウォン:それはその曲に盛り込まれている思い出があるからだと思う。もし音楽が単に技術力の発達によって進化するとしたら、過去の音楽はすべて消えなければならないだろう。だけど、昔の曲は依然として強く愛されている。それは緻密に計算された難易度の高いメロディや最高に美しい曲が出てくることがあったとしても、昔の曲には新しい曲では敵わない何かがあるということだ。それはきっと思い出なんだと思う。―おそらくキム・テウォンが一番多く聞かれる質問だと思うが、それでも聞いてみたい。歴代ボーカリストの特徴を1人ずつ教えてほしい。キム・テウォン:キム・ジョンソに続く2代目のボーカリストであるイ・スンチョルは、歌で人を酔わせる魔力を持っている。歌い方の話ではなく、声そのものにそのような力がある。3代目のキム・ジェギはボーカルとしての才能が誰よりもずば抜けていた。私は分析を終えてから評価をする性格だが、キム・ジェギは、私が彼の真価をすべて確認する前にこの世を去った。三国志に例えると、関羽のように伝説になった存在だ。彼の弟である4代目のキム・ジェヒにも彼の声に対してまだ評価をしていないが、キム・ジェヒが参加した4枚目のアルバム「About The Idle」は、個人的にプファルのアルバムの中で一番自信がある名盤だ。一番魂を込めて作ったアルバムである。―「About The Idle」は、プログレッシブ・ロック系の音楽で、プファルのアルバムの中で一番難解なアルバムだと評価されている。キム・テウォン:私自体が少し難解な人間である。人々の目を恐れずに私のすべてを注いだアルバムだ。3枚目のアルバムで稼いだお金をすべてそのアルバムにつぎ込んだから。―他のボーカリストの特徴も教えてほしい。キム・テウォン:すべての人の声にはその人の魂がこもっている。5代目のパク・ワンギュは自分の魂と自分の声を通じて触れながら歌うボーカルだ。そのため、パク・ワンギュの声には真正性があり、壮絶だが美しい。6代目のキム・ギヨンはプファルが一番大変だった時期を一緒に過ごしたボーカルだ。私を驚かせた音色を持つボーカリストだった。もともと私はプファルの過去の曲をあまり聞かないが、この間、偶然6枚目のアルバムに収録されている「可能性」を改めて聞いてみると、ドラム、ギター、ベースとキム・ギヨンのボーカルのバランスが完璧だと思った。残念ながら、彼はレコーディングの仕上げ段階で声帯結節になってしまった。7代目のイ・ソンウクもプファルが大変だった時期を共に過ごしたボーカルだ。彼はまるで童話に出て来るような声を持っている。現実ではなく、夢の中にいるような歌声を聞かせてくれる。8代目のジョンダンはレコーディングの時、「あんなに歌が上手い人間なんてあり得ない!」と感嘆させたボーカリストだ。まさに歌の教科書、歌の神だと言える。―9代目である今のチョン・ドンハはどんなボーカリストなのか?キム・テウォン:チョン・ドンハはプファルの最年長のボーカリストとして、長い時間努力すれば成功できるということを自ら証明してくれた。ボーカルは活動時の波が激しかったり、序盤で成功しないと歌手を止める場合が多い。でも、チョン・ドンハは音楽への信念を貫いて諦めず、着実に努力した結果、やがて自分の真価を人々に分かってもらえるようになった。4~5年前はチョン・ドンハの歌声に対し好き嫌いが分かれていた。だが、チョン・ドンハは気にすることなく持ち前の声で努力を続け、ついに人々の先入観を破った。多くのボーカリストが短期間で人気を得ては消えていく今、チョン・ドンハは努力が実を結ぶことを見せてくれた良い例である。―チョン・ドンハ本人はどう考えているのか?チョン・ドンハ:2005年に私がプファルに初めて加わった時は、プファルのボーカルが変わったことさえ気付かない人が多かった。人々が記憶するプファルは、イ・スンチョル先輩が歌った「Never Ending Story」で止まっていた。そして、2009年に「思い出す」がヒットし、キム・テウォン兄さんがバラエティ番組に出演するようになるとプファルが再び人気を博すようになった。その時からファンは、プファルの元ボーカルの先輩たちと私を比べはじめた。私の実力が足りないと言う人もいたが、私はそんな反応さえも嬉しかった。そういった意見を通じて私の実力不足を認めながらさらに頑張って練習をした。良い歌を歌うために私は大きな一歩より、着実に一歩ずつ前に進んでいくように努力を重ねてきた。―もうすぐ30周年だが、何か計画を考えているのか?キム・テウォン:今年、故キム・ジェギの20周忌を迎え、「キム・ジェギ歌謡祭」を開催したいと思ったが、思うようにいかなかった。プファルの30周年にはキム・ジェギを追悼し、ロックボーカリスト発掘のための「キム・ジェギ歌謡祭」を必ず開催したい。 ―次のアルバムの計画は?キム・テウォン:次のアルバムは。私は計画を立てて音楽を作るタイプではない。自然にその時が来れば作るつもりだ。