キム・ヨンヒョン
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「馬医」イ・ビョンフン流時代劇は、なぜ期待ほど成功できないのか
イ・ビョンフン流時代劇が限界にぶつかった理由月火ドラマの視聴率戦争が、まさに佳境に入っている。MBC「馬医」とSBS「野王」が同時間帯1位の座をめぐってしのぎを削っているためだ。「馬医」が余裕でリードするという当初の予想とは裏腹に、復讐という強烈な題材を掲げた「野王」の勢いが、対立構図を揺るがしている。時代劇の達人イ・ビョンフン監督が演出し、トップスターのチョ・スンウを掲げた「馬医」は、なぜ期待ほどの成績を出せずにいるのだろうか。毒となってしまったイ・ビョンフン流時代劇トップスターチョ・スンウの初めてのドラマ出演作としても話題を集めた「馬医」は、イ・ビョンフン流時代劇のヒット神話を引き継ぐ作品として、内外から大きな注目を集めた。しかし、放送終了まで8話を残したこの時点で、「馬医」の勢いは依然として横ばい状態であり、なかなか20%台の視聴率を超えられないでいる。申し訳ない話だが、期待をはるかに下回る成績を記録していることだけは確かなようだ。言うまでもなく、イ・ビョンフン監督は素晴らしい演出者だ。1999年「ホジュン~宮廷医官への道~」で韓国時代劇の新しいページを切り開いただけでなく、2003年「宮廷女官チャングムの誓い」では類い稀なる能力を見せつけた。几帳面で細かい演出力と、現場を仕切るカリスマ性は、他の追随を許さないほどだ。問題は、彼の時代劇が15年の歳月を経て、次第に古くて月並みなものへと変質してきたことにある。「馬医」の限界は、まさにこの部分から始まるのだ。イ・ビョンフン流時代劇のストーリーのほとんどは、身分の低い主人公が色んな逆境と苦難を乗り越え、目標を達成するという典型的な英雄譚に基づいて作られる。「ホジュン~宮廷医官への道~」「商道-サンド-」「宮廷女官チャングムの誓い」「薯童謡(ソドンヨ)」「イ・サン」「トンイ」に至るまで、このようなパターンは変わらなかった。正確に言えば、人物と題材だけ変わっただけで、ストーリーの大きなあらすじは毎回二番煎じになったわけだ。視聴者がイ・ビョンフン監督の時代劇に飽きを感じる理由は、まさにここにある。さらに大きな問題は、似たような商品を出しているなら、最低でもデザインや包装くらいは変えなければならないが、それさえもままならなかったところにある。「馬医」は、これまで目にしてきたイ・ビョンフン流の英雄譚に、漢方医学や宮中の暗闘を加えた程度に留まっている。「ホジュン~宮廷医官への道~」と「宮廷女官チャングムの誓い」で、漢方医学と水刺間(スラガン:王の食事を作る台所)という新鮮な題材を取り上げたイ・ビョンフン監督が、「イ・サン」「トンイ」「馬医」を経ながら、古臭い政治的暗闘と陰謀だけに埋もれつつあるのは、残念極まりないことである。自分の役割を果たせていない脚本家も問題ここで注目すべき人物が、もう一人いる。それは、脚本家だ。ドラマは、脚本家の影響力が絶対的なジャンルだ。イ・ビョンフンはかつて、「朝鮮王朝500年」シリーズでシン・ボンスン脚本家とタッグを組み、「ホジュン~宮廷医官への道~」「商道-サンド-」ではチェ・ワンギュ、「宮廷女官チャングムの誓い」ではキム・ヨンヒョンとタッグを組んだ。3人とも現代最高のドラマ脚本家と言っても過言ではない。シン・ボンスンは、韓国最初の時代劇「国土万里」から「朝鮮王朝500年」シリーズ、「韓明澮(ハン・ミョンフェ)」などを手がけた脚本家で、韓国時代劇の生き証人だ。チェ・ワンギュは「ホジュン~宮廷医官への道~」「商道-サンド-」「朱蒙(チュモン)」など時代劇だけでなく、「総合病院」「オールイン 運命の愛」「光と影」など、ジャンルをまたがり大成功を収めたヒットメーカーで、キム・ヨンヒョンもやはり「宮廷女官チャングムの誓い」「薯童謡(ソドンヨ)」「善徳女王」「根の深い木~世宗(セジョン)大王の誓い~」など大ヒット作を作り出した大物脚本家だ。しかし、キム・イヨン脚本家は、「イ・サン」「トンイ」「馬医」共に、貧弱なストーリーラインと踏ん張りのなさによって、確固たる勢いを作り出せずにいる。特に彼の作品は、主人公に大きすぎる比重を与えてしまい、周りの人物の個性があまり活かされないという弱点がある。現在の「馬医」でも、目につくのはただ一人ペク・クァンヒョン(チョ・スンウ)だけだ。このような状況で、「ホジュン~宮廷医官への道~」のユ・ウィテ(イ・スンジェ)や「宮廷女官チャングムの誓い」のハン尚宮(ヤン・ミギョン)のような素敵な師匠の登場を期待するのは難しい。新しい題材をうまく活かしきれていないことも残念だ。「馬医」は、獣医という題材を扱う点で、「ホジュン~宮廷医官への道~」「宮廷女官チャングムの誓い」とは明白に差別化できていた。人間と動物との交流、そこから起こる色んなエピソードをドラマチックに描いたならば、きっと大きな呼応を得ていたはずだ。しかし、「馬医」は、これまでの時代劇のヒットパターンを繰り返しただけで、視聴者が期待する新しい絵を与えることはできなかった。これは以前「イ・サン」の図画署(トファソ:王室の画事を担当する官庁)、「トンイ」の剣契(コムゲ:賤民たちの秘密組織)が非常に新鮮な題材だったにも関わらず、メインストーリーの背景程度に留まり、その機能を失っていたことを思い浮かばせる。このように現在の「馬医」は、収拾しきれない様々な限界に直面したまま、足踏み状態が続いている。残念なのは、このドラマがイ・ビョンフン監督が直接演出する最後の作品になる可能性が高いということだ。時代劇の巨匠イ・ビョンフンは、果たして「馬医」をうまく締めくくり、有終の美を飾ることができるのだろうか。名誉ある退場を誰よりも切実に望んでいるであろう彼が、放送終了を1ヶ月前に控えたこのタイミングでどのような話を準備しているのか、また、競合作を抑え同時間帯1位の座を逃さずにいられるのか、気になるところである。
「清潭洞アリス」には「根の深い木」の成功要因がある
キム・ヨンヒョン&パク・サンヨン脚本家が立ち上げたKP&SHOWの共同創作方式クリエイティングシステムドラマ「清潭洞(チョンダムドン)アリス」には、「根の深い木~世宗(セジョン)大王の誓い~」(以下「根の深い木」)の成功要因が含まれている。「24-TWENTY FOUR-」「LOST」などアメリカのドラマでは一般的である脚本家たちの共同創作方式、クリエイティングシステムだ。SBS週末ドラマ「清潭洞アリス」(脚本:キム・ジウン、キム・ジンヒ、演出:チョ・スウォン、シン・スンウ)は、クリエイターKP&SHOWが披露する3番目の作品だ。KP&SHOWは「根の深い木」の共同執筆者のキム・ヨンヒョン(「宮廷女官チャングムの誓い」)とパク・サンヨン(「JSA」)脚本家が意気投合して立ち上げた脚本家専門会社で、2008年「必殺!最強チル」と2011年「ロイヤルファミリー」を作った。「清潭洞アリス」のキム・ジウン、キム・ジンヒ脚本家はKP&SHOWを立ち上げてから最初に発掘した新鋭だ。二人はキム・ヨンヒョン&パク・サンヨン脚本家のドラマ「善徳女王」と「根の深い木」を経て5年間共同執筆システムを経験し学んだ。「清潭洞アリス」の制作陣は、「このドラマが『根の深い木』のように手堅いストーリー構造を持つ理由は、キム・ヨンヒョン、パク・サンヨン脚本家のクリエイティングシステムのおかげだ。この作品が成功する場合、韓国ドラマの現実に体系的な共同創作システムの拡張をもたらせることができ、ドラマの水準を一層高めることができる」と紹介した。「清潭洞アリス」は恋愛と結婚、出産を諦めた3放世代の女性の清潭洞に嫁ぐプロジェクトを描いており、ムン・グニョンとパク・シフが出演している。
キム・ヨンヒョン、パク・サンヨン脚本家「世宗がハングルを作ってくれたのはこんな風に使うためじゃないと思うけどな」
「ただ自分の仕事をした」22日、SBSドラマ「根の深い木~世宗(セジョン)大王の誓い~」(以下「根の深い木」)の最終回で同僚だったチェユン(チャン・ヒョク)、ソイ (シン・セギョン)、ムヒュル(チョ・ジヌン)や反対勢力のチョン・ギジュン(ユン・ジェムン)を亡くした朝鮮王朝第4代王・世宗(ハン・ソッキュ)がこう呟く。繰り返し自分に言い聞かすようにもう一度呟く。「私は自分の仕事をした」孤独で苦悩する世宗(本名イ・ド)がハングル創製までを描いた「根の深い木」は、キム・ヨンヒョンとパク・サンヨン両脚本家の前作「善徳女王」(MBC)に続き、2011年最も話題になったドラマだ。歴史と政治、文化と人間、支配者と被支配者を世宗の最も偉大なる遺産である文字にフォーカスを当てて描いたキム・ヨンヒョンとパク・サンヨン両脚本家にインタビューした。―まずはエンディングに関する話からお願いします。パク・サンヨン:チェユンやソイ、ムヒュル、そしてチョン・ギジュンとみんな死んでいく。それはイ・ドを最後まで孤独に表現するために意図的に行った部分でもある。視聴者がいっそのことイ・ドも死んだ方がよかったかもと思うくらいイ・ドを孤独にみせようと演出した。キム・ヨンヒョン:チェユンが最後に「民でも責任を果たすと言ったんじゃなかったの? 」と言うように、最初から民の代表だったソイとチェユンはイ・ドを助けて死ぬことは決まっていた。あなたたちが国をちゃんと治めてくれれば、僕たちは喜んで命までも投げ出せるという感じで。パク・サンヨン:イ・ ドが訓民正音の序文を完成できずに悩んでいる時、ソイが死んだことを聞いてその場で可愛く思ってという部分を書き始める。それはイ・ドが民を愛していることを告白する部分だ。以前、チョン・ギジュンから「お前は民を愛していなかった。」と言われた後に、彼自身も分からなくなっていた民に対する自分の心を。「イ・ドは自分の中で国民と恋愛をしていたと思う」―他の王や数多くの指導者とイ・ドが異なる部分は、国民をどのように見ていたかだと思います。国民がかわいそうだから恩恵を与えようと思って文字を作ったのではないと思いますが、彼から見て国民はどんな存在だったのでしょうか。キム・ヨンヒョン:「朝鮮時代に、実際世宗が国民をどのように見ていたか」と「僕たちがドラマの中でイ・ドをどう描いたか」は少し違う。以前、国民は無知で支配すべき対象だった。朝鮮初期の性理学は、国民を君子にしようとする革新的な性格を持つ学問だった。その影響を受けたイ・ドの価値観は当時、とても先進的な考えで、恩恵を与えるためというよりは教化に近く、国民も学ぶことで人間の理想に向かって進んでいけるという考えだった。でも、僕たちは実際に文章を書いていて、文章を書くことにも限界があることを知っているから、国民をただかわいそうに思うではなく、国民を恐れて人々の欲望を怖がる王を考えてみた。王の身分だし性理学の教育を受けた人なので、国民を無条件に面倒を見て愛すべき対象と思っていたはずだけど、その過程で悩んだり、イライラしたり、怒ったり、恐れたり無力感を感じたりしていたんじゃないかなと。パク・サンヨン:無力感はドラマの中で僕たちが描きたかったテーマの1つだ。すでにハングルの発布まで行い、王の業績とは思えないほど、数多くの素晴らしい業績を残した王が世宗だ。でも、ハングルを発布した後も、国民が依然とお知らせの言葉を読めなく疫病で死んでいく姿を見たら、世の中はまったく変わっていないと思ったんじゃないかな。自分が見ている国民の欲望をすべて完璧に満足させるのは不可能なのに。「文字を知らないのが自慢か?」というセリフはイ・ドのその苦しい気持ちが顕著に表れているし、チョン・ギジュンから「お前は民を面倒くさいと思っているのだろう」と言われた時、「私は本当に民を愛していなかったのか?」と葛藤が始まる。結局ハングルの発布式でチェユンが言ったように、それが愛だったということに気づく3段階のドラマを描いている。イ・ドは自分の中では国民と恋愛していたと思う。―「善徳女王」(MBC)を執筆した後、次回作を決める際に色々な考えがあったと思いますが、なぜ世宗を選びましたか?キム・ヨンヒョン:本当は「善徳女王」より先に、こっちが決まっていた。以前にも世宗を題材にして書きたいと悩んだことがあるが、「大王世宗(テワンセジョン)」(KBS)が出たからもう世宗の話はできないと諦めた。でも、制作社のsidusHQが小説「根の深い木」を見せてくれて、世宗のストーリーの中でハングルに関する部分だけを抜粋して描いている点が面白いと思った。僕たちはその時代がとても優れた王が治めた平和な時代と知っているから、すべてが順調だったと思われがちだが、実際は朝鮮が開国して26年しか経っていない時だったというのが面白かった。朝鮮初期、イ・ソンゲやイ・バンウォン時代は権力争いがひどくて、イ・バンウォンがイ・ドに王位を渡した時は、その争いをすべて終わらせた後だと言うけれど、その数多くの臣下がすべていなくなっていたはずはない。イ・ドが国をよく治めたから、その勢力がもう一度力を広げられなかっただけで、その代わりにイ・ドはどれほどプレッシャーを感じていたかなと考えてみた。本当にうまくやっていかないと殺されるかもしれない座であることを知っていたから、頑張れたんじゃないかな。パク・サンヨン:「必殺!最強チル」をはじめ、僕たちが書いた時代劇は仁祖時代のものが多い。その時は混乱がピークの時代だから。でも、今回は最も優れた王が治める平和な時代として知られている世宗時代を、どのようにドラマチックに描けるかについてたくさん話し合った。原作に頼った部分もあって、「王の心が平和な平和時代を見たことがあるか? 私の心が地獄だから、せめて世の中だけは平和であることを祈るのだ」というセリフにも現れているように、このストーリーの中でも心が地獄にいるようなキャラクターを作くろうと思った。そして、そんな人はストレスもものすごかったはずだから、悪口を言うのも当然だ(笑)―審議が心配になったりしなかったですか? (笑)キム・ヨンヒョン:審議にひっかからない位なものを、とても頑張って探した(笑)ストーリーの前後を合わせるために、トルボクが先に悪口を言ってイ・ドが後からまねするみたいな感じで。パク・サンヨン:狂っているを意味する悪口の言葉がとても重要なキーワードとして使われていたので少し心配もした。ストーリーの展開において非常に必要な言葉なのに、突然審議委員会で「これ使わないように」と言われたらドラマを続けられなくなっちゃうから(笑)―典型的な時代劇の形ではなく、様々な人物が持っている欠片を集めてパズルを完成させていくような構成になっています。それはおもしろい試みだと思いますが、話がめちゃくちゃになるリスクは感じたりはしなかったですか?パク・サンヨン:とても危険だった。もう2度とやらないと思う。とても大変だから。気をグッと引き締めないと、僕たちまでストーリーが分からなくなる(笑)キム・ヨンヒョン:これまで書いた50部作以上のドラマは、1人の人物を事件ごとに追っていく構成が多かったけど、「根の深い木」は1つの事件が中心になって、それをスペクタクルに解いていかなければならない。そういった面で、様々な人物同士の葛藤や事件が必要だった。だから、脚本を書く技法や構成の面がいつもより重要になって、ストーリーを形作る時も非常に気を引き締めながら書いた。通常ドラマは2者構図だけど、僕たちはカン・チェユンという人物を国民を代表する最も重要なキャラクターにして、イ・ドとチャン・ギジュン、カン・チェユンの3者構図を作って、3人を取り巻く環境や緊張感のある対立にした。パク・サンヨン:この3人を中心にして、またそれぞれにストーリーを展開していく人物が必要になる。その人物達がまたそれぞれ違うことを考える。たとえば、イ・シンジョクがチョン・ギジュンの考えてる通りに動く人じゃなく、チョ・マルセンも世宗の味方か敵かがはっきりしていない。それぞれのキャラクターに独立した意志を与えたかった。キム・ヨンヒョン:この構成を作ってから「これ少しでも間違えたら変な方向に行ってしまうかも」と思ったけど、それでも「善徳女王」の構図に戻したりはしなかった。気を引き締めて書いて、ダメになったら仕方がないという気持ちで書いたけど、やはり戻した方がよかったかな(笑)―「蜜本(ミルボン)」という組織の名前は原作にないオリジナルですが、どうやって作りましたか? パク・サンヨン:噂になっているけど、僕たちがイ・ミョンバク大統領の略字であるMBを文字って作った名前ではない(笑)キム・ヨンヒョン:「根の深い木」を漢字で表現したらどうかなと考えた。タイトルをそのまま変えたら「根地木」だから、よりニュアンスの良い名前を作ろうとしたけど、「深木」「深根」でもしっくりこなくて、最終的に「蜜本」という言葉を作った。「本」には「根」の意味も含まれているから。「世宗大王は天から贈られてきた方」―よく正祖を改革君主と言いますが、世宗こそ文字を通してパラダイムの転換を成し遂げた改革君主だと思います。世宗は聖君の時代が終わっても国が安定的に進んでいけるシステムやインフラを作った王だと思いますが、それは多くの議論から答えを出していった過程で培ったものだと思いますか、それとも先見の明があり、その時代よりはるか先のことを考えていたからだと思いますか?キム・ヨンヒョン:国が新しく建国されたら、権力争いが起きて国の礎石を築く王がいるけど、その中でもイ・ドは超人に近い人物だと思う。それは彼の業績が朝鮮という社会の体制だけでなく、自然科学の分野や文化的な分野のハングルまでやり遂げたからだ。その中でもハングルは、学者が一生をかけても決して簡単ではないことなのに、一国の王が自分で音韻学から勉強して作り出したという点で本当にすごいことだ。当時、ハングルは女子や下層の人以外には別に大きな意味がない業績だったかもしれない。でも、その時代に完璧を追求して作ったものが今でも見事に使われている。世宗は本当に天から贈られてきた方だ。パク・サンヨン:世宗は亡くなる5年前にハングルを発布したけど、なぜ最後の業績を文字作りにしたかに関してたくさん話し合った。多分、世宗も当時、500年後の国民を思ってはいなかったはずだから、王権を固めるための側面が強かったと思う。王と士大夫の2者構図を国民まで含めて3者構図に変えたら、王が士大夫を介さず直接国民に話ができて、士大夫の権力は弱くなるはずだから。確かなのはこんな人が実在したなんてありえないと思える方だという事実だ。スティーブ・ジョブズのように、とても優れている実業家であると同時に経営者でもある人がたまにいるけど、世宗はおよそ200の分野で優れていた方だ。―一方では1人の偉人が歴史を変えることや完璧な指導者1人に頼るばかりでは、発展できないという批判もありますが。パク・サンヨン:だからチョン・ギジュンが「王は悲しいだけだ」と言ったんだ(笑)僕たちは代議民主制の限界についても話したかったし、「糞が入っている箱は(王でなく優れている士大夫が一緒に国政を運営する『大臣総裁制』という)システムが負うべきだ」というセリフもそのような悩みから出た。本当は2つの事実が矛盾している面もある。それは、イ・ドを見て「あの方のようなリーダーが必要だ」と思うけど、彼は王だからできることがたくさんあった半面、現代の大統領みたいな指導者は何でも自分の思い通りにできる環境ではないから、昔の王と今の指導者を同じに考えるのは無理がある。キム・ヨンヒョン:僕たちは3人の中の誰かに力を持たせるというより、王の代表であるイ・ド、士大夫の代表であるチョン・ギジュン、国民の代表であるチェユンとソイ、それぞれに対等な立場を与えて、視聴者に考えてもらうことを重点に置いて描こうと思った。でも、視聴者の大半がイ・トに共感するという反応を見て脚本家としてキャラクターのバランスが取れていなかったのではないかと反省した。―チョン・ギジュンの場合、世宗と考え方が違っても自分は悪くないと思う人物ですが、このキャラクターは意図した通りにうまく表現できたと思いますか?キム・ヨンヒョン:彼の表現にも少し残念に思う部分がある。ドラマの序盤、連続殺人事件で話が進んでいったので、10話くらいの間、彼は子どもの時の話以外はほとんど出てこなかった。カン・ジェユンやイ・ドに比べて、この人の心理に共感できる材料が足りなかったと思う。実際、彼にフォーカスを当てたら、描ける話はたくさんある。たとえば、チョン・ギジュンの家の話はフィクションではあったけど、チョン・ドジョンは息子1人と弟だけを残して家族全員が殺された悲劇を経験した。さらに、チョン・ギジュンや当時の士大夫の立場から見れば、自分たちが朝鮮を作ったという自負心が強かったはずで、性理学を勉強するエリートとしてのプライドも高かったはず。そんな士大夫が文字という既得権を守るために戦って、「既得権の何が悪いのか? 」と言っていたから、そういう彼らの心理をもっと説得力のあるように見せるべきだったと思う。そしたら、反対の立場からも客観的に判断できるし。―「善徳女王」の時、ミシルとドクマンの6分間の議論がありましたが、イ・ドとチョン・ギジュンの20分にも及ぶ議論も印象的でした。それぞれの世界観が激しくぶつかり合うことで、ドラマ的にスペクタクルなシーンを作り上げましたが、どのように構成したのですか? キム・ヨンヒョン:幸いに視聴率が落ちたりはしなかった。本当に視聴者のみなさんに感謝している。僕たちなりにとても長い時間話し合って準備しながら、「難し過ぎるんじゃない?」「抽象的過ぎるよ。こんなの誰も聞かないと思う」と悩んだ。もちろん、その議論を入れてもちゃんと聞いてくれるように、色々な工夫をしたけどかなり心配していた。だから、視聴者が熱心に見ていてくれたことがとても嬉しい。パク・サンヨン:それぞれの論理を強めるために現代社会での問題、たとえばFTAみたいなものも様々な角度で入れてみた。映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で俳優チャールトン・ヘストンが「不正な権力者に対抗して銃器を持つ自由がある」という憲法を引用して銃器自由化を支持するけど、現実は銃器業者のロビー活動によって自由になり、その結果、たくさんの人が殺されている。もし文字を武器だと考えれば、「これを人々に配るべきか?」「お互いに殺しあえと?」「昔は石を投げられて死んだ人が多いけど、今は文字で死ぬ人がもっとも多いのでは?」みたいな話をしながらその議論のシーンを作った。なかなか進まない時は演技までしながら激しく言い争った。正・反・合の中で、いつも自分は正だと思って話し合っていた(笑)―文字に重点を置くことで悩みが多かったと思いますが。パク・サンヨン:結論的には武器だと思った。とても良いものだけど、危険なものでもあるという面では、プロメテウスの火が最も似ている意味を持っていると思った。歴史的にはルターがラテン語じゃなくドイツ語のバイブルを作ったのと似ている面があるんじゃないかなとも思った。「携帯電話が出る時代やSFもやってみたい」―「使う楽しさを知れば、人は世界に向かって自分をもっと表現したがる」というチョン・ギジュンの言葉は、ドラマを書く人にも色々なことを考えさせると思いますが。キム・ヨンヒョン:責任は感じている。僕たちが伝えたいストーリーをドラマに盛り込むために、非常にたくさんの努力をしていることは事実だ。だから、以前より表現を直接的に書くことは少なくなったと思う。それより、たった1つでも視聴者に考えさせるようにしている。そのため、2人が作業しながらお互いが考えたり書いた分について検証し続ける。だから、両側をより対等に見せたほうがいいと思って、論争に何より多く時間をかけてるのかもしれない。パク・サンヨン:最近映画「スパイダーマン」の「巨大な力には巨大な責任が伴う」というセリフについてよく考える。もし人がものすごい力を持ったら、自身が力を動かすのではなく、力が自身を動かすのかもしれないなと思っている。僕たちが持っている力はまだそれ程大きなものではないが、視聴者に影響を与えるマスコミで仕事をしている人だから、小さな力でもどうやって責任を取るか考える。僕が考えるには、脚本家は話したい言葉があって、その言葉を人々が聞きたいストーリーに変換することができなくてはいけないと思う。もう1つ加えるとしたら、その言葉は責任を取れる言葉なのかを必ず考えるべきだ。―放送前に「皆が文字を理解して書けることが、必ずしも正しいことと言えるだろうか」と視聴者に問いたいと話していましたが、これに対して自分の答えは出ましたか?パク・サンヨン:実際、僕たちが考えていたほど、視聴者に訴えかけることができなかったので反省している。チョン・ギジュンの登場時期や感情の共感においてバランスが合わなかったりして、努力はしたけど鋭い質問を投げることには役不足だったと思う。キム・ヨンヒョン:答え自体は簡単だった。勉強をしてから書け、考えて書け。これは僕たち自身に言い聞かせていることでもある。文章というものは書くと同時に、自分の考えもまとめられるが、あまりにも多用しすぎるので問題が生じていると思う。パク・サンヨン:検索サイトの書き込みや匿名コミュニティなどを見ていたら、本当にひどいと思う時がある。僕もドラマを書く時に、陰険なキャラクターを描いたり悪質なセリフを考えるが、それとは比べ物にならないくらいひどい書き込みが多い。自分の残酷さを生かすためのアイデアまで入れて書いているのを読んだら、今の時代はあまりにも倫理がない時代だと思ってしまう。キム・ヨンヒョン:倫理より責任だと思う。文章を書くことに対する責任を自分で負って、その責任がどの程度のものであるのかを認知しなくてはならないのに、それをあまりにも知らないことが問題だと思う。パク・サンヨン:世宗がハングルを作ってくれたのはこんな風に使うためじゃないと思うけどな(笑)キム・ヨンヒョン:世宗はドラマで簡単に「そういう問題は国民が自分で解決しろ」と話したのに(笑)―「必殺!最強チル」放送当時のインタビューで「今の世の中は支配者と被支配者を称する名前だけが変わっただけで、本質的には何も変わっていないと思う。その絶望的な世界観で非常に楽観的で美しい世の中を見たのではなく小さな希望を見ただけ」とコメントしていましたが、そういう面から「歴史は進歩する」という点についてどう思いますか?パク・サンヨン:僕の考えはその時々によって変化する。一時期は本当に人間と歴史について希望に満ち溢れていた青年だった。しかしいつからか、歴史の進歩と考えていたものがすべて資本の陰謀ではないかと考えるようになった。87年6月の抗争の時、戦った相手が軍事のファシズムだったとすれば、僕たちが心の底から従っている資本というものは戦うにはあまりにも厳しい相手だ。「必殺!最強チル」を執筆した時は、支配者の名前だけが変わっただけで奴隷が農奴に、そして労働者に変わっただけと考えた。そして、それは今も悩んでいるテーマだ。キム・ヨンヒョン:僕はそういうものはすべて発展だと考えている。朝鮮は高麗の腐敗したシステムを崩して始まったけど、500年が経って結局は腐敗して滅びたように、資本主義もいつかはそうなると思う。僕が重要だと考えるのは、何が変化しそれにより発展したかによって、その中での僕のポジション、僕がどのように態度を取って生きていくかということだ。たとえば、人々が既にインターネットやSNSを通じて欲望を満たす方法を知っていたとしたら、それによってあるものは解決されるし、反対にこれまで思いもしなかった問題が出てきたりする。それを発展と言えるかどうか分からないが、変化として認め、その中で自分のポジショニングを探すために努力すべきだと思う。既にそうやって出てきた物を押さえたり止めたりするのは時代錯誤に見えるだけだ。―「必殺! 最強チル」、「善徳女王」の執筆に次いで、今年は「ロイヤルファミリー」(MBC)のクリエイターとして参加するなど、ここ数年休まず働いていますが、次回作についての構想はありますか? キム・ヨンヒョン:来年は僕たちと長年働いてきた補助作家が執筆する、ロマンティック・コメディのクリエイターをやることにした。その後は2013年にMBCで放送する50部作ドラマの準備をする予定だ。パク・サンヨン:50部作ドラマや時代劇をやる可能性が高いが、僕たちの長年の夢は携帯電話を使用する現代の話を書くことだ(笑)60年代から始まり現代までを描く時代劇もあるが、僕たちは現代から始まり未来に行く話を書けたらおもしろいと思っている。キム・ヨンヒョン:最初からSFはどうかなと思う。書いてる僕も、見てる方も面白そうだけど。パク・サンヨン:SFをやると言ったら、放送局はビックリすると思うよ(笑)