イ・スンヨル
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イ・スンヨル、新ドラマ「ザ・ロード:1の悲劇」OSTに参加…本日リリース
俳優のチ・ジニ、ユン・セア、キム・ヘウン、チョン・ホジン、アン・ネサンなどが出演し、しっかりとしたラインナップで話題を集めているtvNの新水木ドラマ「ザ・ロード:1の悲劇」が、OST(挿入曲)の初走者として歌手のイ・スンヨルを抜擢した。本日(5日)、「ザ・ロード:1の悲劇」のOST(挿入歌)制作を担当するStone Music Entertainmentによると、「ザ・ロード:1の悲劇」のOSTの初走者として21世紀の韓国大衆音楽を代表するアーティストの中の一人であるイ・スンヨルが確定された。1994年、U&Me Blueという2人組バンドでデビューしたイ・スンヨルは、2003年に1stアルバム「この日、この時、この頃に」をリリースして本格的なソロ活動に乗り出した。その後、リリースするアルバムごとに斬新さと高い完成度を誇示して、2008年の韓国大衆音楽賞で今年の音楽人、最優秀モダンロック部門、2012年には最優秀モダンロックアルバムと最優秀モダンロック曲を受賞した。またtvNドラマ「ミセン-未生-」「シグナル」のOSTにも参加し活躍した。今回、イ・スンヨルは「ザ・ロード:1の悲劇」のOST Part 1「Memories」の歌唱に参加して、ドラマへの関心を高める予定だ。特有の音色と抜群の音楽性で同僚ミュージシャンの尊敬と愛を一身に受けているイ・スンヨルの参加で、「ザ・ロード:1の悲劇」のOSTも出演陣と同じく華やかなラインナップを構築するものと期待を集める。「Memories」はプログレッシブロックバラードスタイルの楽曲で、「ザ・ロード:1の悲劇」の音楽監督であるパク・ソンジン監督が直接作詞、作曲した。叙情的なストリング編曲と調和をなすイ・スンヨルの重厚な音色が、深い響きを与えるものと期待される。OST制作会社の関係者は「徐々に高まるサウンドが特徴で、聞いた瞬間に圧倒される感じを与える強烈な楽曲になるだろう」と説明した。イ・スンヨルが歌った「ザ・ロード:1の悲劇」のOST Part 1「Memories」は、本日(5日)の正午に発売された。tvN新水木ドラマ「ザ・ロード:1の悲劇」(脚本:ユン・ヒジョン、演出:キム・ノウォン、企画:スタジオドラゴン、制作:ザ・グレートショー)は、大雨の夜に残酷で悲劇的な事件が発生し、沈黙と回避、がんじがらめの秘密がまた新しい悲劇を招くストーリーを描くミステリードラマだ。チ・ジニ、ユン・セア、キム・ヘウン、チョン・ホジン、アン・ネサンなどが出演する。
弘大が活気を取り戻す…「LIVE CLUB DAY」4年ぶりに復活“音楽で熱かった一日”
弘大(ホンデ)前が以前の活気を取り戻した。ここ最近、弘大付近はダンスクラブの前に並んでいる酔客の列だけが長い様子だった。しかし、4年ぶりに「LIVE CLUB DAY」が復活した先月27日、弘大前の風景は違った。KT&Gサンサンマダン(想像広場)、CLUB TA、CLUB FFなどミュージシャンの公演だけが行われるクラブを観客の列がぐるりと囲んだ。本当に久しぶりに弘大前が音楽で熱かった一日だった。この日は朝から「LIVE CLUB DAY」を見るために足を運んだ観客が弘大前の駐車場に設けられたブースに押し寄せた。中には釜山(プサン)から夜行列車で上京し、明け方からブースを訪れた観客もいた。午前11時から本格的に列が作り始められたため、主催者側は急いでバリケードと暖炉を設置した。公演は午後8時から開始した。GUCKKASTENがステージに立ったKT&Gサンサンマダンは約400人が押し寄せ、足の踏み場がないぐらいだった。久しぶりに弘大前のクラブのステージに上がったGUCKKASTENのハ・ヒョヌは「このような意味深いお祭りに僕たちが参加できて光栄だ。皆さん、呼吸困難になるかもしれないから、少しずつちゃんと呼吸しましょう」とウィットのあるコメントを投げた。観客はより盛り上ががり、一番後ろの列までジャンプを続けた。他のクラブも足の踏み場がない様子は同じだった。午後8時半頃に訪れたCLUB FFもクラブの入り口までたくさんの人が立っていた。最近、インディーズシーンの新たなスターとして浮上したHYUKOHがライブを行っていた。HYUKOHは未発表曲である「大きな鳥」を演奏し、雰囲気をさらに盛り上げた。同じ時間、すぐ隣にあるCLUB TAの雰囲気も同じだった。観客があまりも多すぎて、クナムグァヨライディングステラ(Goonamguayeoridingstella)の公演を入口の階段で見るしかなかった。主催側はスムーズな公演の進行のために入場客数を制限した。主催側は「最初、チケットの当日販売の数量は各クラブの最大収容人数を考慮して500枚に限定したが、入場できなかった観客の要請によって入場可能なクラブに限って約200枚の追加チケットを販売した。計700枚のチケットが完売するのにかかった時間はたった2時間だ」と伝えた。 落ち着いた雰囲気の公演も行われた。夜9時頃、VELOSOでは前日「韓国大衆音楽賞」を受賞したキム・サウォル×キム・ヘウォンの公演が披露された。キム・ヘウォンは幼い頃、父親が聞かせてくれたというチャン・ヒョンの「夕日」を素敵な編曲で聞かせた。この他にも、新人ReflexからTHE SOLUTIONS、Rock 'N' Roll Radio、yozoh×イム・インゴンなど多彩なジャンルのミュージシャンの公演を見ることができた。イ・スンヨルとアンニョンパダは一緒にステージに上がった。アンニョンパダのナムは「弘大で公演を行ってから一番悲しかった瞬間はCLUB SSAMが店を閉めた時と『CLUB DAY』がなくなった時だ。このように『CLUB DAY』が再開してとても嬉しい」と話した。Yellow Monstersの公演会場では、観客を頭上にあげて泳ぐように移動させるクラウド・サーフィングを行うなど、熱気がすごかった。観客の行列は深夜まで続いた。夜0時に近い時間にも、観客たちは家に帰ろうとしなかった。Galaxy Expressのパク・ジョンヒョンが公演の途中に「皆さん、そろそろ終電の時間ですが帰らないんですか?」と聞いたが、観客は音楽に夢中になって公演を楽しむばかりだった。このような雰囲気は明け方まで続いた。 2001年3月に始まった「CLUB DAY」は2007年、ライブクラブを中心とした「SOUND DAY」と結合して規模を広げた。一時、毎週約1万人の観客を弘大前に集め、文化の象徴として位置づけられた「CLUB DAY」は、2011年1月の117回目を最後に暫定的に中断された。約10年間「CLUB DAY」は故盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を追悼する期間を除いて毎月着実に開催された。当時、「CLUB DAY」が商業的に成果を収めていたのにも関わらず中断された理由の一つは、外部から流入した類似クラブや夜の文化と結合した梨泰院(イテウォン)、江南(カンナム)地域のクラブと大きな差別化を置けず、競争する状況になったからだった。当時のクラブ文化協会は「クラブ間で善意の競争を繰り広げながらもクラブ文化を共に作っていくクラブ共同体として生まれ変わるため、激しい内部の議論と反省を行う予定」と明らかにした。「CLUB DAY」が中断されてから約4年間、弘大前はまさにソドムとゴモラ(旧約聖書の「創世記」に出てくる、神の怒りを呼んで滅亡された都市=商業都市)のような現場になってしまった。そのため、これを変えなければならないという自省の声が高かった。今回、6ヶ所のライブクラブ(GOGOS2、Evans Lounge、CLUB Evans、CLUB TA、Freebird(Big Bird)、CLUB FF)と4ヶ所の公演会場(LezhincomicsVhal、KT&Gサンサンマダン、VELOSO、Prismhall)は新しく「ライブクラブ協同組合」を設立し、「LIVE CLUB DAY」を皮切りに、弘大前のライブクラブとインディーズ文化の発展に向けて様々なコンテンツを企画する予定だ。ライブクラブ協同組合のホン・セジョン組合長は「新しくスタートした『LIVE CLUB DAY』の初回を大きな事故なく盛況のうちに終了しただけに、今後のイベントも公演文化の発展のために健全な方向で進める予定だ」と話した。 「LIVE CLUB DAY」を見学した音楽評論家のキム作家は「復活した『LIVE CLUB DAY』は名前だけ変わって戻ってきたのではなく、すべてが数段階グレードアップされた。最近、この業界の人たちに会うと、弘大前が力を失ったという心配についてよく話し合っていた。素晴らしいグループが多く、素敵なアルバムも沢山あるのにムーブメントがないという話だった。でも、今日色んなクラブを歩き回って、すべての店の前に作られた長蛇の列、生まれて初めてクラブを訪れた少年少女の反応を見ながら、毎月最終金曜日が新たなムーブメントの自転軸になるという確信のようなものを感じた」と伝えた。
ロックフェスティバル、週に1回ずつ開催…“これでは共に破滅するのでは?”
「誰がこんなに行くんですか?」なんと、週に1回ずつだ。暑い夏を楽しむ公演マニアのためのロックフェスティバルが週1で開催され、観客誘致に乗り出している。需要はそのままで、供給は溢れ出ている。当然懸念の声も上がっている。CJ E&Mが26~28日に開催した「2013 ANSAN VALLEY ROCK FESTIVAL」は総観客数7万8千人(主催集計)を動員した。昨年CJ E&Mが京畿道(キョンギド)利川(イチョン)市の芝山(チサン)で開催した「2012 JISAN VALLEY ROCK FESTIVAL」が10万人を突破し爆発的な人気を集めたことに比べると多少物足りない成績だ。ラインアップによって観客数が変わることがあるにせよ、どうしてもフェスティバルが増えすぎたため、観客分散現象も起こりかねないと解釈されている。現場に訪れた観客は「予想よりかなり閑散としていた」と口を揃えている。これから次々と開催を目前に控えているロックフェスティバルも緊張しているのは同じだ。8月2~4日には2つのロックフェスティバルが同時に開催される。既に他のライブフェスティバルに観客を奪われた状態で、再び観客を両分しなければならないのである。2つのフェスティバルともロックフェスティバルとして成功神話を残したことがある。「INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL」と「JISAN VALLEY ROCK FESTIVAL」がその主人公だ。仁川(インチョン)松島(ソンド)国際都市で開催されるペンタポートは、FALL OUT BOY(フォール・アウト・ボーイ)、ドゥルグクファ(野菊)、SKID ROW(スキッド・ロウ)、YBなど、国内外から30チームがラインアップに名を連ねており、「JISAN VALLEY ROCK FESTIVAL」はシナウィ、イ・スンヨルなどが出演する予定だ。とても強力なラインアップとは言い難い。その次の週からはソウル都心で開催されるフェスティバルもある。あえて遠出しなくても良いという点で、既存のロックフェスティバルの強力なライバルとして浮上した。8月14~15日にオリンピック公園で開催される「SUPERSONIC 2013」にはチョー・ヨンピル、PET SHOP BOYS(ペット・ショップ・ボーイズ)などが出演する予定で、8月17日~18日には蚕室(チャムシル)総合運動場で開催される「CITYBREAK」にはMETALLICA(メタリカ)とMUSE(ミューズ)がラインアップに登場し期待を集めている。このようにフェスティバルが増えたのは、ロックフェスティバルが儲かったことから、主催とイベントがたくさん分離されたためだ。ペンタポートからペンタポート vs チサンに、チサンから再びチサン vs アンサンに分離するなど、供給を増やしてきた。ここにノンバーバルパフォーマンスNANTA(ナンタ)で有名なPMCプロダクション(SUPERSONIC)とポップスター公演で有名なHyundai Card(CITYBREAK)まで参入した。フェスティバルが増えると観客はずる賢くなる。フェスティバル全体を楽しむのではなく、自身が観たい公演だけを探して観る。つまりフェスティバルのブランドよりはラインアップが重要になったということだ。ラインアップによってその年の存亡が決まるようになったこと。フェスティバルの関係者は「今やフェスティバルよりは自身が好きなミュージシャンの公演だけを楽しむために、1日券のみを購入するなど、楽しむ方式も変わっている」と伝えた。どのフェスティバルも次の年の成功を楽観できないということだ。歌手たちもフェスティバルの存亡に関心が高くなるしかない状態。キャスティング競争が激しくなり、ある程度名の知れたミュージシャンには、ほぼ全てのフェスティバルからオファーが殺到する。人気バンドの関係者は「実は全てのフェスティバルから連絡が来る。そのオファーに全部応じると、週に1回フェスティバルに立つことになる。それを防ぐためにフェスティバルのオファーは慎重に検討している」と語った。フェスティバルは秋にも10回ほど用意されている。これでは共倒れするとの懸念が強いが、ロックフェスティバルの人気は暫く続くとの楽観論もある。ロックフェスティバルの特性上、一度現場を経験すると、次の年にどのフェスティバルであれ行くことになるとのこと。観客を分けなければならないという悩みはあるが、差別化に成功すれば勝算はあるとの評価だ。「ANSAN ROCK VALLEY FESTIVAL」の関係者は「観客数は残念ながら多少物足りないが、中身の評価にはとても満足している」とし「敷地が広くなり、むしろ快適になった。その前は住居団地のため音量制限があったが、今回は制限が解除され思い切りサウンドを楽しめるようになった。これからずっと続ける見込みでANSANに移転しただけに、長期的投資が行われている。成功裏に一歩踏み出したと評価する」と語った。
イ・スンヨル「今は音楽を楽しみたい」
イ・スンヨルとインタビューを行う約10日前、彼のニューアルバムを先に聞いて大きな衝撃を受けた。「新曲聞いてみた?」という携帯のメールに「イ・スンヨルの歴代の傑作」と躊躇なく答えるほど凄かったからだ。昨年、イ・スンヨルのライブを見ながら、次の作品に対して大きく期待した。当時、彼は過去の曲はほとんど演奏せず、深刻で実験的、さらに難解な新曲を続けて聞かせてくれた。どうしてだろう。例えば、ジャズピアニストのブラッド・メルドーの場合、ライブを通じて曲を整え、その曲がある程度、軌道に乗った時にレコーディングするスタイルだ。イ・スンヨルも同じパターンだったのだ。付け加えれば、最近のライブでイ・スンヨルは、基本的に編成されたバンドとノートパソコンを使ったサンプリング、ベトナム楽器のダン・バウを使った異色なサウンドを聞かせてくれた。そして、ニューアルバムであり、4枚目のフルアルバム「V」ではライブの面白味を覆す、驚きの結果を聞かせているのだ。これを90年代半ばに韓国大衆音楽界で鶏群の一鶴のロックサウンドを聞かせてくれたU&Me Blue(イ・スンヨル、バン・ジュンソクのバンド)の衝撃と比較するとどうなるだろうか?5月20日、10asiaの事務室でイ・スンヨルと会った。―今年3月、アメリカのテキサス州で開かれた世界的な音楽フェスティバル「サウスバイ・サウス・ウエスト音楽祭(SXSW)」での公演を果たした。子供の頃アメリカで過ごし、現地の音楽を体得したが、今は韓国音楽業界に慣れた自分の音楽を現地の人々の前で演奏した気分はどうだったのか?イ・スンヨル:韓国に渡って長い時間が経った。僕がアメリカで暮らしていた当時、東洋人のスターはブルース・リーだけだった。これまでに東西の境界も低くなり、お互いに対する情報もたくさん増えた。彼らが認識する東洋人のイメージが無条件に良くなったとは言えないが、音楽を知らせる良い機会だったので嬉しかった。―昨年「仁川ペンタポート・ロック・フェスティバル」では、前作「why we fail」に収録された曲は演奏せず、難解な曲だけを続けて演奏した。そのため新しいアルバムが気になった。一体どんな音楽を作るためにあのような難解な曲を演奏したのか聞かせてほしい。イ・スンヨル:昨年の「ペンタポート」公演そうだ。新曲中心に公演をした。昔もそうだったし、今後も変わらないと思う。ニューアルバムの公開を間近に控えた時は、公演の8割は新曲を披露する。そのようにバンドと息を合わせた後、レコーディングを始める。「V」の収録曲は昨年の4月から、外部コンサートで演奏した。―レコーディングはいつから始まったのか?イ・スンヨル:昨年の11月、4日間弘益大学(ホンデ)のVELOSOで6曲を先にレコーディングした。残りの4曲はその後、少しずつFLUXUSスタジオでレコーディングした。アルバムの1番目に収録された「minotaur」は、一昨年の夏から秋にかけて一番先に作曲し、「we are dying」と「who?」「犬になって」「satin camel」もほぼ同じ時期に作った。―どのようなきっかけがありVELOSOでアルバムをレコーディングするようになったのか。イ・スンヨル:昨年、VELOSOで4回ほどコンサートを行ったが、空間と音がとても良かった。「NAVER MUSIC ONSTAGE」を収録したことがきっかけで、コンサートをして、アルバムのレコーディングまですることになった。―歌と楽器演奏を別々にレコーディングする一般的なスタジオ作業とは異なり、ライブ形式でレコーディングを試みた。特別な理由はあるのか?イ・スンヨル:今までのレコーディング方式に飽きていた。一般的なスタジオ作業は歌と楽器演奏を別々にレコーディングした後、一つにまとめる。そのように実際に歌と楽器が交じり合わない、人為的に空気感(ambience)を作る作業から抜け出し、新たなチャレンジが必要だった。そのため、一つの空間で行われるバンドのアンサンブルをアルバムに盛り込むことになった。4~5回程度をレコーディングした後、ベストな演奏だけを選んだ。アルバムを聞くと分かると思うが、バンドとのアンサンブルは混沌としていた。このような楽器同士の空気感を、これまでのスタジオで作る自信がなかった。ところがコンサートの前、合奏室で練習した時はその空気感をスタジオで生かすことができた。その雰囲気を生かしたかった。―今回のアルバムの数多くあるキーワードのひとつは、バンドのアンサンブルではないかと思う。楽器の編曲は、どれくらい演奏者たちに任せたのか?イ・スンヨル:僕は楽器別にデモを精巧に作るタイプだ。楽器ごとに編曲が完成した後、合奏に入る演奏者の意見を受け入れる部分は、定められたリフ(繰り返されるコード)を除いて間奏の部分だけだ。ダン・バウの演奏者のプホンが作ったいくつかのメロディを除いて、基本的には自分で作ったデモとほとんど同じである。もちろんバンドのチームワークを形成することにより進化する部分もある。―ニューアルバムでベトナムの民族楽器ダン・バウが重要な役割をしている。この楽器とはどうやって巡り会えたのか。イ・スンヨル:偶然だった。運転中よく聞くラジオのクラシックFM(93.1)チャンネルを聞いていた時、国楽管弦楽団の演奏が流れた。現代音楽のような曲だったけど、最後に演奏された無伴奏のソロ演奏が本当に良かった。どんな楽器なのか知らなかったので調べてみたらプホンが演奏したダン・バウという楽器だった。その後、知人を通じてプホンを紹介してもらった。プホンはベトナムでダン・バウを専攻し、韓国に留学に来て国楽の打楽器の博士課程7年目である。―アルバム制作までを念頭においてプホンに会ったのか?イ・スンヨル:最初は一緒にバンドをやってみないかと誘った。僕のアルバムとデモを聞かせたが、最初はピンと来なかったと思う。フェスティバルの単独コンサートを何度か一緒にすることで、息を合わせた。クラシック演奏者と一緒に演奏した知人の話を聞くと、コミュニケーションにおいてしばしば困難な時があると。ところがプホンは柔軟な性格だったので、僕たちと相性がぴったり合っていた。アルバム作業を始めた頃は、周りからダン・バウの役割が大きすぎるのではないかと心配する声もあった。偏ったのかと心配したところ、アルバムを聞いてみたらそれほどではなかった。―最初アルバムを聞いた時、これまでのイ・スンヨルの音楽と違う部分は、ダン・バウの音と中東風の音階が用いられたことだと思った。どのようなきっかけでこんなに斬新な作業をするようになったのか?イ・スンヨル:メロディは私が作ってプホンに演奏してほしいと頼んだ。今回のアルバムを構想しながら私はおかしな音楽に心酔していた(笑) エチオピア人ミュージシャンMulatu Astatkeのアルバムを3ヶ月くらい聞きながら、「そうだ。固定されたものだけあるわけではない」と考えを大きく変えた。個人的にアラブの音階に対する憧れもあった。お祈りをするように小声でつぶやく歌だ。これまで作ったことのないメロディを作りながら「ここまで来たら、もっと大胆になっても良いのではないかな」と考えるようになり、アラブ圏のボーカルを探した結果、たまたまプホンの伝統音楽バンドにオマールというボーカルがいて、紹介された。オマールはインディーズバンドSuriSuri MahaSuriの共同リーダーでもある。僕が意思を見せたら、憧れていた音楽の要素を少しずつ手に入れることができた。その勢いで後ろを振り向かずにアルバム作業に着手することができた。色んなことを試したことにおいてオーバーとは考えず、思うままに前進した。「minotaur」でナレーションをしたのはオマールのアイデアだった。小説「異邦人」から抜粋した一節を読んだものだ。―ボーカルも変化している。イ・スンヨルの声は時々歌を歌うというより、すすり泣きのように聞こえる時がある。イ・スンヨル:ボーカルにおいても後半作業をできる限り減らした。歌詞もメロディも自然に思うがまま歌った。スタジオではなくライブで歌う時に、音程が不安定でも僕が望む雰囲気が漂う時がある。そんな雰囲気を生かそうとした。2次的な歌詞作業を行わなかったので、そのような意図で英語の歌詞もハングルに変えなかった。―「fear」「who?」など長い曲が特に多い。1970年代のプログレッシブ・ロック的な感じも出ているが。イ・スンヨル:それは聞く人の好みによって違う音楽に聞こえると思う。今回のアルバムは曲のテンポが遅いため、アルバム全体の再生時間が自然に長くなっている。これまでアルバムの再生時間を考えながら曲を作ったことはない。長い曲の中で十分に余裕を持って言いたいことをすべて言うことは良いことだと思う。以前は長い曲を書く時、余計な部分まで入っているのではないかと検討したが、今はもうそのようなことはしない。今回のアルバムには、話したい物語をすべて詰め込むことができた。曲の進行上、余計な部分はまったくなかった。―イ・スンヨルの音楽がU&me blue時代からソロに至るまで英米ロックの枠に入っていたとしたら、今回のアルバムはその枠から抜け出したと思う。イ・スンヨル:抜け出したかった。ずいぶん前から、英米圏のロックをわざわざ探して聞いていない。運転しながら音楽を聞く時が一番多いが、ラジオは常にクラシック・国楽チャンネルになっている。おそらく、3枚目のアルバムを準備しながら、新しい音楽はほとんど聞いてなかったと思う。音楽を聞くことも楽しくなければならないが、いつからかそういう感情が消えていた。ただ、好きなミュージシャンが新しいアルバムを公開したら、気になって探して聞くくらいだった。久々にMulatu Astatkeの音楽が、酒を一杯飲む時に流す音楽だった。―「bluey」はチャン・ピルスンがフィーチャリングした。前作でハン・デスと一緒に作業した「彼らのブルース」に続くブルース連作だと聞いたが。イ・スンヨル:今回のアルバムの中で最初に作った曲だ。2008~2009年に書いた曲なので、アルバムの流れにおいては目立つ曲である。タイトルどおりにブルージーな曲だ。幼い頃から今までブルースというジャンル、スタイル、ソウルに対して妙な憧れを持っている。僕は歌や演奏をする時、その憧れを失わないことをもっとも大事にしている。前作はハン先生と一緒に作業をしたので、今回は女性ボーカルと一緒に作業してみたいと思い、最初に頭に浮かんだ人がチャン・ピルスン先輩だった。でも、遠くにいるし活動もあまりしていないので断られたらどうしようと心配したが、喜んで受けてくれて本当に嬉しかった。チャン・ピルスン先輩が1995~1996年頃にラジオDJをしていた時に、U&me blueが出演してアコースティックライブをしたけど、めちゃくちゃになったことがある(笑) 先輩は済州島(チェジュド)にいるので、レコーディングしたファイルをやり取りしながら作業した。作業中に電話は一度したけど、近いうちに焼酎でも一緒に飲もうと誘ってくれた。―ギタリストとしての欲も抱いているのでは?アルバムでも多くのギターソロを本人が演奏している。イ・スンヨル:U&me blueの時韓国はギタリストに対する視線が限定的だと思った。ギタリストが意味することが片方に偏っていると思い、ギターを演奏することを負担に感じたこともあった。しかし、僕はギターを弾けなかったら音楽を作れなかったと思う。それはギターで曲を書いて、ステージでもギターを演奏するからだ。ギターなしで歌を歌うと集中度が変わる。そういう意味でギターは僕にとって欲望の対象であり、必需品だ。―所属事務所であるFLUXUS MUSICのキム・ビョンチャン代表とは非常に長い付き合いだと聞いた。イ・スンヨルの第一印象について聞いたら、「すぐに商業的に成功するとは思わなかった。でも、非常に素晴らしい可能性を持った人だった」と話してくれた。イ・スンヨル:U&me blueの1枚目のアルバムをレコーディングする時、ミュージシャンとエンジニアとして出会った。当時、キム・ビョンチャン代表はソン・ホンソプ先生が運営していたソンスタジオのエンジニアだったので、U&me blueの1枚目と2枚目のアルバムにエンジニア、演奏者、ミキサーとして参加した。以後、僕がソロでレーベルを探している時、ちょうど会社を立ち上げると聞いた。それで、意欲過剰なデモを渡したが、商業的な面を見て契約したわけではないと思う(笑) たまに細かいことではなく、長い目で見て直せる部分を僕にアドバイスしてくれた。アーティストになれという要望ではなかったのでは。「兄さんは僕がスーパーミュージシャンになることを望んでいるわけではないですよね?」と聞いたこともある。どうしてそんなことを聞いたのかは覚えていないけど(笑)―今回のアルバムに対する周りの音楽関係者たちの評価が非常に良い。「V」が本人のディスコグラフィーにおいてどの位置を占めることになるだろうか?イ・スンヨル:さあ、よく分からない。僕は残念なことに自分の昔のアルバムをあまり聞かない。そのアルバムを作った時に肉体的精神的に苦しかった時が浮かぶようだ。むしろやりがいを感じるべきなのに、それができない。でも、3枚目の「why we fail」を作業した時は、レコーディングすることさえも楽しみたいと望んだ。そして、実際に音楽を作る苦痛が徐々に減っている。4枚目のアルバム「V」は、これからときどき聞けると思う。3枚目よりは4枚目のアルバムの方を頻繁に聞くと思う。―1996年に出たU&me blueの2枚目のアルバム「Cry Our Wanna Be Nation!」の中身を見ると、イ・スンヨル本人が書いた文章がある。音楽界にできるだけたくさんの選択肢が出てきてほしいと述べているが、本人はそのような作業を続けているのか?イ・スンヨル:実は、元々アルバムのために書いたものではなく、他のところに載せるために書いた文章だった。それはバラエティ(variety)について述べた文章だ。多様性があってこそ、対案を選ぶことができるから。この頃週1回、インディーズの音楽が聞けるラジオ番組のDJを担当しているが、その中にはとても幅広い多様性がある。そして、その中にも主流と非主流がある。僕を選ぶファンたちにとって、僕が対案になれるかな?
英「K-MUSIC Festival」にK-POPアイドルが参加しない理由とは?
イギリス・ロンドンで初の試みとなる「K-MUSIC Festival」に、K-POPを主導するアイドルたちが全く参加しておらず、視線を引き付けた。2日午後、ソウル光化門(クァンファムン)のolleh squareで行われた韓英修交130周年および停戦60周年記念「K-MUSIC Festival」の記者懇談会で、今回のイベントを主催した海外文化広報院の関係者は、韓流の中心にいるアイドルたちが参加しない理由を明らかにした。この関係者は、「今回K-POPアイドルが含まれていないのは、予算上の問題もあったし、現地においてK-POPには、まだ非常に商業的なアプローチが可能な部分があり、そのような点においてK-POP進出の余地を残しておこうという配慮もあった」と話を切り出した。続いて、「最近では、イギリスでアイドルグループBIGBANGのコンサートもあったが、規模があまりにも大きく、文化院自体での準備には限界があった」と付け加えた。また、現地でのK-POPの位置づけと認知度については、「『現在、K-POPファンがどれだけいるのか』という質問をよく受けるが、目立たないところでK-POPを楽しむ人も相当数いるし、これを数値的に明らかにすることは難しい。ただ、過去と比較して、K-POPの熱気がこれまでとは違ったジャンルに流れているのは確かだ」と強調した。彼は、「英国の有力な日刊紙ガーディアン(The Guardian)の記者も、『K-POPの時代は過ぎて、今はインディーズ音楽にも関心が広がっているようだ』と分析している。K-POPが終わったというわけではなく、PSY(サイ)もいるし、単に自然とトレンドがインディーズ音楽に向かっているのではないかと思う」と語り、「今回のフェスティバルに招待されたチャン・ギハと顔たち、イ・スンヨルなどにも高い関心を示しており、彼らの公演に期待が集まっている」と話した。今回の「K-MUSIC Festival」は、イギリスのロンドンで、6月14日から8日間、海外文化広報院(院長ウ・ジニョン)と駐英韓国文化院(院長キム・ガプス)主催のもと、初めて開催される。戦争と平和をテーマに行われる今回のフェスティバルには、国立国楽管弦楽団の初のロンドン公演となるBarbican Hallでのオープニングステージを皮切りに、パンソリの名唱アン・スクソンの完唱(物語の始めから最後まで通して唄う)公演やGeomungo Factoryのフュージョン国楽公演と共に、uhuhboo project、チャン・ギハと顔たち、イ・スンヨルらがインディーズ音楽の真髄を披露する予定だ。この関係者は、「今回のロンドン公演は、単純な1回限りのイベントに留まらず、今後、韓国音楽がヨーロッパに進出するための、前進基地になると予想される。今年はロンドンのみの開催となるが、来年はヨーロッパの他の国にもフェスティバルを拡大するつもりだ」と抱負を伝えた。
f(x)&No Brain&GUCKKASTEN…「SXSW」で観客を熱狂の渦に巻き込んだ!
K-POPが米国テキサス州のオースティンを熱狂の渦に巻き込んだ。文化体育観光部(長官:ユ・ジンリョン)と韓国コンテンツ振興院(院長:ホン・サンピョ)の海外音楽マーケットB2Bショーケースプラットフォームである「K-POP Night out」が世界的な音楽フェスティバル「South By South West」(以下「SXSW」)で、全世界の音楽関係者など約700人が参加した中で大盛況のうちに幕を下ろした。 「K-POP Night out SXSW」は、米国テキサス州のオースティンにある公演会場Elysiumで12日午後7時30分(以下現地時刻)から13日午前2時まで行われた。今回の公演ではf(x)、ロックバンドGUCKKASTEN、No Brain、The Geeks、Galaxy Express、歌手イ・スンヨル、チョン・チャシクがステージを飾った。初めにステージに立った韓国を代表するバンドThe Geeksはデビュー14年目を迎えたバンドらしく「Rocknroll No.2」「Open Your Eyes」「Losing End」「I Still Believe」など40分間計12曲を見事に歌い上げた。次は韓国モダンロックを代表するイ・スンヨルは「So」「We are dying」「Who」などを熱唱し、感性をくすぐる歌声と音楽で注目を浴びた。MBC「私は歌手だ」を通じて国民的なバンドに浮上したGUCKKASTENは「Fuego」「赤い畑」「Violet Wand」「Rafflesia」「Faust」「鏡」「しっぽ」などを独特の音色で披露し、音楽関係者たちの耳目を集中させた。17年目のロックバンドNo Brainもヒット曲と「焼酎一杯」などを歌って韓国ロックのパワーを見せつけた。続いて韓国大衆音楽賞の最優秀ロックアルバム賞と最優秀ロック歌賞を受賞したチョン・チャシクの独特な歌声とメロディーが会場に響いた。そして「SXSW」から3年連続招待されたGalaxy Expressが「君と私」「Love is」「Riding the Galaxy」「Jungle The Black」など計8曲を熱唱した。ファイナルを飾ったのは韓国を代表するガールズグループf(x)だった。f(x)は「Electric Shock」「Hot Summer」「ピノキオ(Danger)」などエレクトロニックダンス曲を歌い上げた。今回のショーケースには一般人は参加できなかったにも関わらず、現地のファンが押し寄せK-POPの可能性を証明した。f(x)の所属事務所であるSMエンターテインメントの関係者は「f(x)が2010年フランスで開かれた世界最大級の音楽博覧会『MIDEM』に参加した後、欧州でK-POPの進出が本格的に行われたように、今回の「SXSW」のショーケースが北米のK-POPブームを巻き起こすことを期待している」と伝えた。No Brainは「北米の最大音楽フェスティバルで僕たちの音楽が披露できて光栄だった。直接来てみると、K-POPの人気も実感できたし、世界の音楽市場の壁はそう高くはないと思った。今回のショーケースを通じて韓国のバンドも海外に進出できるという自信を得た」と感想を語った。「SXSW」の総監督ジェームス・マイナも「米国人はK-POPをPSY(サイ)や4Minuteのキム・ヒョナ、2NE1のようなアイドルグループの音楽だと思っているが、「SXSW」は韓国の多様な音楽とその可能性に注目している」と述べた。米ビルボードの編集長ビル・ワードは「『MIDEM』に続き、「SXSW」でK-POPショーケースを見て早いスピードで成長していると思った。今後さらに多くのステージで、K-POPの多様なジャンルに触れてみたい」と伝えた。文化部と韓国コンテンツ振興院はK-POPの海外進出の拡大とジャンルの多様化のために「SXSW」とともに世界3大音楽見本市である「Music Matters」「MIDEM」でB2Bショーケースを開催している。
イ・スンヨル、韓国大衆音楽賞で5部門の最多ノミネート
シンガーソングライターのイ・スンヨルが、韓国大衆音楽賞で最多のノミネートを受けた。韓国大衆音楽賞の事務局は18日、総合4部門と16部門のジャンルにおける候補者を発表。イ・スンヨルはそのうち、今年のアルバム、曲、アーティスト、最優秀モダンロックアルバム、最優秀モダンロック曲の、全5部門に名前が挙がった。最優秀モダンロックアルバム部門の候補に挙がったイ・スンヨルの3rdアルバム「Why we fail」は、2007年の2ndアルバム以来、4年ぶりのアルバムだ。すでに韓国NAVERの「今日の音楽」では「2011 今年の国内アルバムBEST1」に選ばれている。イ・スンヨルは、昨年の3rdアルバム発表後1ヵ月間、小劇場でのコンサートを通じてファンたちとの交流を深めてきた。また、17日に発表したクラジのフルアルバム「Infant」のタイトル曲「Love&Hate」にボーカルとして参加し、注目を集めた。そして27日、ソウル弘大の「想像広場」で、Kayipとのジョイントコンサートを行う。韓国大衆音楽賞は2月29日、ソウル廣壮洞のAX-KOREAにて開催される。