ラ・カージュ・オ・フォール
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2AM チョグォン&ジヌン、チャンミンの応援に「ラ・カージュ・オ・フォール」を観覧
グループ2AMのチョグォンとジヌンが、ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」(以下「ラカジ」)に出演中のチャンミンを応援するために「ラカジ」を観覧し、写真を公開した。チョグォンは22日午後、自身のTwitterに「ジヌンと一緒にミュージカル『ラカジ』見てきました!ジャン・ミシェル最高!同じグループのメンバーだからどうしようもなく鳥肌が立つかと思ったけど全然!そんなのなしに今日の公演も無事成功したジャン・ミシェル~!最後の公演までファイト!!」というコメントを掲載した。公開された写真ではジヌンとチャンミン、チョグォンが並んで楽しそうな表情でにっこり笑っている。チャンミンはジヌン、チョグォンと肩を組んで幸せそうに笑っており、チョグォンは指で最高のポーズをしてチャンミンを応援している。ジヌンも歓声を挙げるような口をして楽しい表情をしている。写真を見たネットユーザーたちは「メンバーの和やかな友情、互いに応援しあってるんだね」「『ラカジ』本当に面白かった。チャンミンの演技も最高」「同じメンバーで鳥肌立つかと思ったなんてやっぱりカプグォン(ふざけるチョグォンという意味のニックネーム)」などのコメントを寄せた。ミュージカル「ラカジ」は9月4日まで韓国のLGアートセンターで公演される。
Vol.2 ― ナム・ギョンジュ「生の波を乗り越える信念が私の力」
俳優ナム・ギョンジュは、今年の上半期だけで「ラ・カージュ・オ・フォール」と「シカゴ」の2作を演じていた。それも、ひとつのシーズンに、次のシーズンへ移ってるのではなく同時にである。こうしてミュージカルへの愛に浸っている彼に、休みの間はどうするかを尋ねた。「私は、忙しいときほど多くのことをやるようにしています。休んでいるときは何もしないで休みますけれど、忙しいときほど本を読むようにしていますし、休みのときよりも忙しいときに時間を割いてジムに行ったり、他のことをもっとやったり元々、そういう性格みたいです。仕事があるときは、もっと自分自身を厳しく引き締めてエネルギーを作り出す、いわば自分で発電させる自家発電スタイルです。そして休むときは、自分の中のエネルギーを完全に放電させるんです。妻から見たとき『夫がいま働いているかどうかわからない』と思うほど、そういう気配を出さないほうです。今日も、朝の6時50分に飛行機で済州(チェジュ)島に行き、子供キャンプで講演して、また戻ってインタビューに応じているんです。他の人達は、今夜公演があるにも関わらず私がこうやって忙しく飛び回っているなんて信じません。こんなに忙しいのにどうやって公演できるかってね。でも私は、私なりのノウハウがあります。仕事をするときだけ集中し、起こっていないことや今後のことについては心配しません。もちろん、準備すべきことについては徹底的に備えます。予め準備して、それからのことが心配にならないようにしておくんです。ステージに上る前に、楽屋でどれほど綿密に準備したかによってステージの上で自由を満喫できるように、自分を拘束しなければならないときは、確実に自分を拘束します。しかし、ステージに上るときは自分をありのままに表現します。今日も、あと少しでステージに上りますが、緊張よりは期待の方が大きいです。どんなことがステージで起こるかな、という楽しみの方が大きいんです」結果より過程を重要視するナム・ギョンジュナム・ギョンジュは、仕事はするが、仕事を楽しめる俳優だった。彼は忙しいスケジュールのなかで、仕事に苛まれることなく、仕事からエネルギーを得て、その仕事を通じて自分自身を成長させられる俳優だった。ステージに上がる前に緊張は楽屋の中に残し、ステージの上では嬉しさを抱えて行くことができる俳優だったのだ。ナム・ギョンジュは結果よりは過程を重要視する俳優として、ミュージカル界では有名だった。最高の結果を重要視するよりは、どれほど最善を尽くして準備したかを重要視する過程中心主義者でもある。過程を重要視することになった特別なきっかけがあったのか聞いてみた。「20代は、自分が好きなことはミュージカル俳優だということを発見した年頃でした。ミュージカルを演じてみて面白かったから『性に合う』と天職だと思うようになりました。そして、ミュージカルについて知りたかったので、ただ闇雲にミュージカルの練習と勉強をしました。20代のときも、自分で認識していませんでしたが、過程そのものが楽しかったわけで、何かを望んでやったことではないんです。私が20代の頃は、人々にミュージカルがそれほど知られていない時代でした。なので、私なりの夢がありました。後で人々の口からナム・ギョンジュという名前が出たとき『ああ、あの人がミュージカル俳優だね』とだけ知ってもらいたいという小さな夢でした。20代の夢が叶ってからは、結婚して夢が変わりました。『良い父親になりたい』というふうに。『良い父親になるということは、つまり良い俳優になることだ』と思ったんです。娘に恥ずかしくない父親になることが、良い父親になることだと思います。俳優として恥ずかしくないことは何かを考えてみたら、自分が与えられたことに最善を尽くし、準備し、それを楽しむことができて、結果よりは過程を楽しむことができる人間になれたなら、良い父親になれると思います。家族にこのような過程本位の人生について話して、このような方式で一緒に生きていけたらと思います。こんな過程本位の人生は、本から学んだ部分もありますが、経験から理解した部分もあります。でも、過程を楽しむといっても、ただ楽しむだけとは思いません。例えば、アスリートが試合を楽しむためには、技術も必要ですし、試合の運用能力も必要ですし、体力も必要なように、様々な能力が必要になります。これは、人生も同じですし、役者という職業も同じだと思います。俳優なら基本的なスキルから初めて、本人ならではの芸術哲学、様々な表現方式などをすべて備えることも重要ですが、何より先に人間になるべきです。人間になるための悩みは重要だと思います。どんなことが幸せな人生で、人間らしい人生かを悩みながら、自分が良い俳優として、良い父親として生きていけるのではないかと思います」ナム・ギョンジュは、家族を重要視する大黒柱だった。良き俳優になる前に、まずは良き父親になろうというナム・ギョンジュの哲学を拡張してみたら、彼の人生自体が娘に、家族にメンタリング(人の育成、指導方法の一つ)として伝えられるという意味深さを持っているからだ。言葉で教える前に、人生を通じて家族に、娘にとってモデルになろうとする彼の家族中心の哲学は、役者としての個人哲学とも密接に関連していることがわかる。「ジュリアス・シーザーの勝利の道が好きです。『勝利は信念から始まり、信念は知識から始まり、知識は訓練から始まる。訓練が不足すれば知識が足りず、知識が不足すれば信念が達成できず、信念が不足すれば勝利を達成できない』これは経験から会得したことですが、頭でだけ一生懸命考えたとしても、良いアイデアは浮かびません。運動をしたり、楽器を弾いたり、楽屋で音楽をながして体を動かしたり、このような一連の活動を通じて得る知識は、本から得られる知識とは違い、カエサルが話した信念を得られる土台を作ってくれるんです。人はアップダウンの浮き沈みがありがちです。信念を持ったら、人がどれほど暗い状況にあるとしても、諦めたり恐れたりせず、それを乗り越えるために挑戦していくと思います。でも、信念がないなら、そこで躓いてしまうと思います。人生は短時間で結果を得られるものではありません。長い歳月が必要ですが、長い歳月を耐え忍ぶためには信念が必要だと思います。そこで、信念を必要とするためには、先ほど良き父親、良き役者について話したときのように、守るべき基本的な土台の上に築き上げられるものなのです。私が見た限りでは、基本がぶれると、どれほど頑張ったとしても虚しい動きにしかならないと思うんです」ジュリアス・シーザーを取り上げてまで、彼が最終的に話したかったのはこれではないかと思った。生の波を乗り越えるためには、信念は必ず必要なものだ。しかし、この信念を備えるためには、しっかりとした基本が必要だ。基本が十分でない場合、決して信念を持てないことをナム・ギョンジュは強調した。基本があって初めて信念が持て、信念があって初めて勝利を達成できるということである。最後にミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」ならではの魅力ポイントについて、彼はどう思っているだろうか。「(普通の人とは違い)一般的でない人生を生きていくゲイの話ですが、愛があれば犠牲があり、幸せがあれば悲しさがある、喜怒哀楽がすべて作品の中に盛り込まれています。そのため、ゲイを題材にしたから『ゲイの話だから変わっているんだろう』という偏見を持つ前に、自分の周りにもこのような人がいるかも、と気楽に観覧していただけたら嬉しいです。そして、彼らがこの難関をどのようにして、賢く乗り越えていくかに注目していただければ、さらにお楽しみ頂けるのではないかと思います」
Vol.1 ― ナム・ギョンジュ“適宜”がわかる俳優…「ゆっくりと…しかし確実に」
ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」の俳優ナム・ギョンジュに会ったミュージカル界でナム・ギョンジュという名前は、元祖ミュージカル俳優第1世代ミュージカル俳優として通じている。それだけ貫禄ある俳優であり、同時にミュージカルが大衆化する前から一貫してステージを守ってきた俳優だったため、このような称号で呼ばれる上で少しも遜色のない、大俳優である。それにも関わらず、新しいことへの挑戦に一瞬もためらわず、昔から今までずっと変わらない情熱一つで突っ走ってきた俳優だ。インタビューを通じてわかったことが多かった。一言の質問に答える彼の回答は、人生というステージを通じて悟った、様々な貫禄が溶け込んでいるものだった。インタビュアーさえも感心させる貴重な回答が、隅々まで溶け込んでいるインタビューだった。ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」(以下「ラカジ」)は、1983年に始まった公演だ。しかし、韓国ではミュージカルが始まってから29年後に初めて観客に披露された公演である。韓国初演のミュージカルを準備する上で、どのような困難があったかを尋ねた。「ラカジ」アメリカのトニー賞を3回も受賞同性愛の題材で韓国では初演「最初は練習が、パズルのように1ピース1ピースが合わなくてみんな苦労するんです。今回の練習は他のライセンス公演に比べて少し大変でした。原作をできる限り毀損しない範囲内で脚色し、内容自体は変わっていないとはいえ、演出者が多いに手を加えた作品なんです。俳優はそれをステージで演じ切らなければならないので、論理的に理解できない動きがあったら、ステージの上で自分が苦労することになるんです。理解できない部分をやり切るために苦労しました。でも、こうして観客の皆さんの反応がいただけるので、やり甲斐も感じますし、達成感も大きくなるような気がします」ミュージカル「ラカジ」で、息子ジャン・ミシェルの結婚しようとする相手側が超保守主義者である。息子が向こうから結婚をすんなりと認めてもらうためには、ジョルジュ&アルバン夫婦が同性愛夫婦だということを何があっても隠さなければならない。相見礼(サンギョンレ:結婚前にお互いの親が顔合わせをすること)を無事に済ませるためには、夫ジョルジュが妻アルバンをどうしても説得しなければならないのだ。「ラカジ」のジョルジュのどの部分がナム・ギョンジュのどの姿と似ているのかが気になった。「妻アルバンを心から愛するジョルジュの姿が、結婚してから私が感じる感情に似ていると思います。妻一筋でアルバンだけを愛するジョルジュの姿も、現実の私の姿ですし。劇中で息子のジャン・ミシェルへの切なくて愛おしく思う気持ちは、私が愛らしい娘に感じる感情とまったく同じだと思いました。ナム・ギョンジュがジョルジュを演じているけれど、私自身なのかジョルジュなのか勘違いするほど共感できる部分が本当に多かったと思います」1984年と2005年、2010年と3回もアメリカのトニー賞を受賞したが、同性愛を題材にしているという特殊性からこれまで韓国では紹介されなかった、同性愛という特別な題材を取り上げる「ラカジ」を準備するうえで困難だった事はなかっただろうか。「ゲイカップルのことを描く作品なので、観客が偏見を持つかもしれないという点が最大の心配でした。でも、僕の心配は杞憂に過ぎませんでした。なぜなら、観客はゲイというアイデンティティに注目するより、彼らも他の平凡な人たちと同じ人間なので、例えば悩みを抱えているならそれをどう解決しようと頑張っているかをご覧になりたがるわけで、ゲイに焦点を合わせて観覧することはなかったようです。私が最近出演した作品のなかで、『ラカジ』のように爆発的な反応を呼んだ作品は、『I LOVE YOU 愛の果ては?』以来だと思います。当時『I LOVE YOU 愛の果ては?』は中劇場くらいの規模の公演でした。『ラカジ』のように、大劇場規模の公演で爆発的な反響は初めてです。最初は当惑するほど、反応が良すぎました。この観客の爆発的な反応を、どう解釈すべきかと悩むほどでした。でも見てみると、主人公が置かれている厳しい状況の中で事件を解決しようと心から頑張る姿が、観客に面白く受け入れられたのではないかと思います」ナム・ギョンジュの初演作連続出演マンネリへの戒めナム・ギョンジュが出演した最近の作品は「Next to Normal」と「シカゴ」「ラカジ」だ。リバイバルのレパートリー作品の「シカゴ」を除いては、2作とも韓国での初演作という共通点を持っていた。もし馴染み深いものにだけ安住しようとし、挑戦する精神を持たないなら、韓国での初演作を連続して選択するはずがない。ナム・ギョンジュは、リバイバルのレパートリー作品だけ繰り返す、マンネリに陥ることを戒めていた。「図星ですね。私はいつも同じ所に留まっていることが大嫌いなんです。結婚してから一定期間、自分の結婚が遅かったもので、幸せな結婚生活のために、妻のために、子供のためにもう少し時間を費やすべきだと感じ、新しい挑戦を少し見送ったんです。言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私なりに『ちょっとゆっくり行こう。これからもいくらでも機会はあるし、結婚生活を送りながら感じる感動的なことが、俳優生活においても絶対に役に立つ』という信念を持って、家庭に多くの時間を割愛して生活を充実させようとしました。ある程度家庭が安定して子供も育って、留まっている自分の姿が嫌になり『もう一度勇気を出してみよう』と思うようになりました。それで『Next to Normal』と『ラカジ』という新しい2作品に挑戦しましたが、やっぱり確実な作品よりは不確実な作品に挑戦した時のほうが、はるかに多くのものを得ることができました。新しいものに挑戦すること自体が、人生の挑戦だと思います。安住せず、新しい作品に挑戦し続けられる自分になろうと努力しています」水が貯まるといつかは腐敗することを、彼はよく知っていた。ミュージカル演技においても、彼は水が貯まることを警戒していた。しかし、家庭が安定する前までは、新しい作品や新しい演技に挑戦することは負担が大きかった。そのため彼は、時期を待った。新しい演技に挑戦すべき適当な時期を。俳優ナム・ギョンジュは、馴染み深さを拒否して新しさを追求するが、家庭が安定する時期を待ち、真の意味の適宜がわかる俳優であった。息子に勝てる親はいない。ミュージカルのジョルジュ&アルバン夫婦も、息子のジャン・ミシェルの無理なお願いを断れず、息子の円満な相見礼のために頑張ることになる。ナム・ギョンジュも娘の要望を聞いてやるために妻を説得することがあったのだろうか。「当然あります。子供がなにかをねだる時、私から見れば大丈夫そうなのに、妻はそれ以上はやらせない時があります。そんな時私は『どうした、私が傍で見守るから、許してあげて。もし危険なようであれば私がやめさせるから、子供の言うとおりにしてあげよう』ということもしばしばあります」
イ・ジナ「ミュージカル市場、希望は進化する観客にある」
MBC「黄金漁場-ラジオスター」にミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール(以下「ラカジ」)」チームが出演した。Mnet「ユン・ドヒョンのMUST」でも1時間のミュージカル特集が用意された。最近、一番注目されているチョ・ジョンソクはミュージカルステージで芝居を始め、今日も数多くのアイドルがミュージカルステージに上がり、SMエンターテインメントとYGエンターテインメントは自らミュージカル企画に参加したこともある。ミュージカルがいつの間にかエンターテインメント産業の一つの軸となって、自然にミュージカルを作る人への好奇心も湧いてきた。最近、ロンドン五輪開幕の公演が語られるように、すべてのエンターテインメントにおける演出のアジェンダと忍耐はすなわち公演の始まりかつ終わりである。「ラカジ」は品格を失わずにという大きな枠内で、すべての俳優とスタッフたちが自分の役割を果たす作品である。そして、その作品を誕生させたイ・ジナはこの12年間、「グリース」「ヘドウィグ」「ガイズ&ドールズ」「光化門恋歌」「風の丘を越えて/西便制」などで興行と作品性を逃さない演出家として評価される人だ。「憤りは私の力」といいながら豪快に笑う彼女に会って、演出家の条件と戦国時代に取り組む姿勢、そして希望について聞いた。―比較的、韓国で知られていない「ラカジ」が好評公演中だ。イ・ジナ:100%好評一色だ。酷評があるとしたら、それは大体私を嫌う人々から出たものだ(笑) 「グリース」を2003年に始めたが、愉快で爽快な作品のおかげでスターがいなくても儲かり続けた。すべての人々が「グリース」を見て、みんな幸せだった。私は「ラカジ」がグレードアップした「グリース」のようになってほしいと思う。「ラカジ」は「グリース」の若者から中高年の観客まで全部受け入れることができるし、すべての年齢層に大きな不満や傾きなしに幸せとミュージカルの味を与えることができる。まだブランドパワーもなく、実力しか持っていない俳優たちなので(笑) 大きく成功することはできないが、結局生き残ると信じている。飛ぶ鳥を落とすスーパースターなしでも、上手くできる俳優たちと一緒にロングセラーを作ること、それが私の夢だ。「『ラカジ』で最も大事だったのは、品格を失わないこと」―「ラカジ」のどんなところが観客を集めていると思うのか。イ・ジナ:まず原作が非常に素晴らしい。これまで良くない原作にスターを先立たせた作品が多かったが、意識の高い観客たちがそういった現象に懲りたのだと思う。制作者も観客も「ラカジ」の台本を見て、たくさん学ばなければならない。同性愛をこんなにも拒否感なく見せてくれる作品はないはずだ。十千万の言葉よりこれ一つを見れば済む。とても愛おしくて、賢い。韓国人たちはストーリーテリングが劇的なものだとしか考えていないが、「ラカジ」のように細々しくても最後まで押し付けていける力のある作品が多い。古いが「ガイズ&ドールズ」も出来の良い作品だし、「Next to Normal」もそうだ。最近、出来の良い作品が多いのに、興行的に上手くいかないということが問題である。破れて血が溢れ出てこそ上手いと感じる外科医のマインドのようなものだ。体内を精密に調べる内科医を認めてあげないのだ。もし、前者の方だけを考えたら、自分のカラーを守ることはできなかったと思う。―この作品の美徳の中の一つは同性愛を扱っているが、すべての存在への愛情が盛り込まれているという点だ。そのためか、見ている間ずっと「大丈夫、大丈夫」と言っているようだった。イ・ジナ:「風の丘を越えて/西便制」以降、一番癒される作品だ。キム・ムンジョン音楽監督が練習の際に聞いてきて「先生、何でこんなに涙が出るのですか」と言った。この作品は悲しいからではなくて、人を癒すから涙が出る。実際、私は人々に苦痛を与えているから(3秒間の静寂の後、一同爆笑)作品で癒されているのではないと思っている。―その中でも「The Best Of Times」の永遠に記憶に残る私の人生/燦爛たる今、ここでは、今日という歌詞がすごく良かった。イ・ジナ:言語の機能が多いが、たまに韓国語の発音が少し強く感じられる時がある。それで、歌詞の作業をする時は韓国語が綺麗に聞こえる部分に重点を置くほうで、説明よりは詩的な表現を多く使っている。私が耽美主義者だけど、そこだって違わないだろう(笑) 「今この時」の歌詞の今、ここでは、今日の部分は本来「Now、now、now」だ。音符にぴったり合わせて、英語でもあまりにもぴったり合うから到底変えられないと思っていたが、ある日少しだけ意味を含ませてみたら今の歌詞が出来上がった。それを分かってくれたら凄くありがたいことだ。私がやっている歌詞は意味を害しない範囲の中で修正するほうだが、「ヘドウィグ」の「The Origin Of Love」や「オペラ座の怪人」の「Music of the Night」「The Point of No Return」も原作の歌詞とは違う。―ライセンス作品の演出の際、脚色に凄く気を遣っているが、特に「ガイズ&ドールズ」と「ラカジ」では主体的な女性キャラクターを描こうとする意図が見られた。イ・ジナ:名作は堅固であるため、レンガ一つだけを抜いても全部崩れてしまう。そのため、脚色が難しい作業だが、構造を揺るがさない程度でやるのが、翻訳口調の台詞を変えることと、女性たちに自我を育むことである。昔の作品ほど、マッチョのような男性キャラクターに特化した女性キャラクターたちがいる。「ラカジ」の原作のアンヌも、ただあっちこっちに引きずられる間抜けな女性だが、今の時代は違うだろう。それで、微弱だがジャン・ミシェルよりも年上で、自分の意見を出せる人に変えた。「ガイズ&ドールズ」のアデレイドとサラも同じだったし。今回の「ラカジ」は古典への尊敬を基本としているため、特に難しい作業ではなかった。スタッフたちもとても良かったし(笑) ―実は、公演を見て真っ先に思ったことが「イ・ジナ演出家って怖い人だね」だった。全スタッフと俳優たちが自分の場所で自分の技量を誇っていると感じたからだ。イ・ジナ:もしそう思えたら、それは制作会社のAGA Companyのチョ・ヘンドク代表を褒めなければならない。普通のプロデューサーたちは、スタッフと俳優を演出家と相談せずに決める時が多い。しかし、今回はすべてをお互いが合意して行ったし、そしたらみんなが上手くできるようになった。たまに木の椅子を作らなければならないのに、豆腐を与えられるときがある。私は演出家で、マジシャンではない(笑) ―そういった理由で、演出家をメンタル職業と言っていたのか。イ・ジナ:演出家は方向を示す人なので、その道のためにどう行くべきかを一番よく分かっている。でも、周りの人たちの気持ちが揺らぎ続ける場合がある。もちろん、彼らも自分なりの信念があって、なぜそうなのかも今は分かっている。政治家のパク・クンヘも国を愛している。みんな心から愛している。でも、それが間違った道であれば、正しい道に進ませるのが私の仕事だ。たまに私が彼らに負けて、結局自ら作品を手放す時があるけど、その苦痛は言葉では言い尽くせない。スピードスケートのイ・ギュヒョク選手が以前こんな話をしたことがある。「できないということを分かっていながらも挑む」という言葉。私が一番悲しい時もこの作品が上手くいかないということを分かっていながらも、幕を閉じるまで背負わなければならないということだ。―結局、演出家は人材を起用して、進むべき道を示さなければならない立場だが、「ラカジ」の作業をしながら大事に思ったことは何なのか。イ・ジナ:愛情がなければ理解できないし、愛情で作るものと技術的に作るものは違う。それで、ラ・カージュのガールたちの場合は基本的にドラッグクイーンへの愛情がどれほどあるかを見て選んだ。いくらダンスが上手でも愛情がなければ選べなかった。それは良心だ。モ・ジミン、キム・ジェドクのような人たちがいるけれど、我々のラ・カージュガールの俳優たちは劇団四季「キャッツ」の俳優たちみたいに上手くはできないだろう。でも、大事なのは彼らへの温かい気持ちだった。そして、スタッフたちに求めたのは、品格を失わないことだった。「ラカジ」はミュージカルショーだが、ショーが見落とす優雅さがある。華やかさは誰にでもできる。でも、控えめでもミュージカルショーが美しくなれるということを見せたかった。―それで、華やかなセットで有名なソ・スクジンデザイナーのステージが変わったようだ。小ぎれいでありながらも華やかだった。イ・ジナ:お互い同床異夢(同じ事を行いながら、考えや思惑が異なること)で会ったのだ。ソ監督は「イ・ジナ演出家特有のシンプルなステージをやるだろうな」と思っていて、私は「いっぱい詰めて人々にパッと見せるのをやるだろう」と思った。だが、ソ監督がうんざりだといってシンプルにさせて欲しいと言った(笑) でも、スタイルというのはどうしようもなくて、私がいくら華やかにすると言ってもあれくらいが限界なのだ。ウハハハハ。「スーパーパワーはなくても成功させるという強情さがある」―演出家に与えられた役割はいい作品を作ることまでだと言えるが、他の演出家に比べて広報に積極的だ。イ・ジナ:私はたとえ一枚でも自分の力でチケットをより多く売ることができるのであれば、前に出る人間。これまで演出家が前に出なければならない状況は厳しかったけど、こうやってこそ私が生きることができる。「興行はどうであれ、私は自分の分け前はしっかり手に入れた」という考え方になれない。そして、初演であまりにも散々言われると、新しい命が与えられないこともあるから。「風の丘を越えて/西便制」の初演を見れば分かる。口コミだけで大劇場を埋め尽くすことは難しい。―さっき、出来の良い作品が興行不振で残念だと指摘したが、最近の業界をどう見ているのか。イ・ジナ:「アイ・ラブ・ユー」が大成功した2004年、観客層は狭かったけど、ものすごく知的だった。むしろそのときは問題作がうまくいって、今は本当に一般受けするものがうまく行く。観客の幅が広くなった点いいと思うけど、相対的に中下が太くなったため、最上位で動かないということが問題。バレエの需要が増え、いい作品がたくさん公演されたけど、今回の「ジゼル」が失敗するのを見たらますますそう思えた。ミュージカルはショービジネスなのに、これまで韓国で作ってきた作品にはそういった美徳すらないものが多かった。今やただスターたちのファンパーティーになってしまったような気もする。潰れる人たちをただ見つめていて、価値もなく儲かる人々をうらやむときもある。観客と制作者の間に挟まれた立場として、すべての問題点と中身を把握して、妖怪になった。このごろはそんな歴史の証人として、手放さないようにしようと思っている。―作品外的な事案についても直接的な発言をよくしている方で、議論を起こすときもしばしばある。イ・ジナ:自分だけを思ったなら、偉そうに幸せを満喫してもいい。人々が私を見て幸せに生きろと言うけど、こんな状況がいいというよりは苦痛を楽しみたいと話す。最近はあまりにも酷いことが多い。作品をいくつか成功させたプロデューサーや演出家たちが驕慢になり、やってはならない人たちがあまりにもたくさんミスを犯している。子供たちの手に銃を握らせたような気持ちになる。こんな状況について記者たち、観客たちにも憤りを感じる。私は自分の気立て自体が非常に暗いため、成功よりは失敗と悪手に苦しむ方だが、なぜ同じミスをあれほど繰り返すのかと思う。プロデューサーも、スーパースターでもなく、何の興味もない職業だが、ここまで意地を張ってやってきて業績がないわけではないから、憤りを力にして続けていく(笑) スーパーパワーがなくても成功させるという強情さのおかげで、「風の丘を越えて/西便制」と「光化門恋歌」をやることができたと思うし。―愛憎が多すぎるようだ(笑) イ・ジナ:私ほど純粋に公演を愛する人がいないということに気づいて悔しい(笑) 成功してほしい。私ではなくて韓国、韓国の公演業界が。外国に5年間いるときに感じたのは、韓国には優れた人が多いということだった。そこはシステム自体が非常にいいため、能力がなくてももてはやされる。そのようなまあまあの才能を持つ子供たちが先進国のシステムの中で花を咲かすのに、私たちには花を咲かすことが本当に難しい。そのため、私に力がある間、システムまでは望まないけれど、悪いものは排除しておきたい。―希望があるならば、どこにあるのだろうか。イ・ジナ:観客を信じる。きっと進化している。時間が長くかかるだけで、悪いことについてははっきり覚えている。とにかく私は「風の丘を越えて/西便制」で韓国の観客たちが地獄で動いてくれることを経験し、「ラ・カージュ・オ・フォール」はマニアが先に始めたが、一般観客まで動けるかどうか実験中だ。法律大学生たちが判例を勉強するように市場分析をし続けて眠れないが、それなりの競争力を持つ制作会社たちが前に出てくれなければならない。B級、中劇場に焦点を合わせるソン・スンファン代表のPMCのように、Mミュージカルカンパニーもある意味では自分だけの新しい市場を築いた。みんながメジャーになる必要はない。すべての制作者たちがお互い自分のカラーをはっきりさせると、むしろ可能性がある。楽観的に見ている。「ルイ・ヴィトンの偽物ではなく、固有デザイナーの洋服で勝負しなければならない」―地位についての責任感がここまでこさせた力でもあるようだが、今の時点でやるべきことは何だと思っているのか。イ・ジナ:創作!私は本当に成功する創作ミュージカルを一つ見たい。最近は私が持っているエネルギーを演出ではなく、どこに注ぐか悩んでいる。12年間、険しい春秋戦国時代で演出してきたため、太平聖代時代にできることとは違う戦闘力のようなものができた。ほぼ50年間演出してきた人の底力みたいなものができてしまった。野戦司令官みたいな感じというか(笑) 創作ミュージカルでブロードウェイとは違う我々の文法を持ちたい。ブロードウェイには勝てないから、ただ持ってくればいい。ルイ・ヴィトンの偽物ではなくて、我々の固有デザイナーたちの洋服で勝負しなければならないのに、東洋的なシンボリズムを通じて観客たちの頭を上げたい。クラシックまでは無理でも、ジャンルの中でカジュアルに文化的高揚感を覚えられる程度?―多数の創作ミュージカル作業もやってきたが、今後これはやめようと思うものがあるのか。イ・ジナ:一般受けしないという理由で餓死させたくはない。「光化門恋歌」は作品の目的と市場がはっきりしていた。決してこの作品がベストというわけではないけど、私と制作者の間で望んでいたものを完成させた感じだ。しかし、「風の国」や「大長今(チャングム)」などはそうではなかった。コンテンツの中で私にできる完成というものがあるが、ほとんど作品を抱いて吐くことで終わる。そうではなくて、孵化熟成までできる作品がやりたい。制作者たちは結局芸術的なものより、一般受けする子供たちに滋養分を与えるものだ。そのため、最初から餌を与えられるようにしてこそ完成するのだ。「風の国」や「風の丘を越えて/西便制」はどれほど無邪気な試みだったのかとも思う。「風の丘を越えて/西便制」は一見、ずっと滋養分を与え続けられそうでもある。今後そんな創作ミュージカルを2~3個だけやってもいい。―最近、創作ミュージカルが多く登場するが、そしたらその中でイ・ジナ演出家がやるべき領域はどこなのか。イ・ジナ:小劇場はとてもうまくやっている。きれいな作品が結構多いが、それは私がやる必要がない。結局、私は大劇場用をしなければならない。歴史物、現代物を一つずつすべきだと思うが、「ジーザス・クライスト・スーパースター 」のように歴史が歪んだものが出てくるとされた。具体的に何をすればいいのか分からない。私までここで無駄なことをしてはいけないだろう。韓国で「これをやります」と言ったとき、信じて支える演出家が私だ。プロデューサーが私の話を聞いてくれる最初の演出家となり、私が望んでいたその場に立っているのに、私がここでつまずいたらぶっ飛ばすことになるかも知れない。その重さがとても重過ぎて軽々と始められない。「風の丘を越えて/西便制」も満たないコンテンツでやったものだが、今やいけるコンテンツを私の手に握らせてくれるこの瞬間に、オークションに出たシャンパンが暴落してはいけないでしょう。この負担感で狂ってしまいそうだ。―寂しい闘いになりそうだ。イ・ジナ:幸い多くの創作者たちが私の味方だ。私が進みたがる道にはイ・ジヘ作曲家やキム・ムンジョン音楽監督、ク・ユニョン照明デザイナーが大事だ。私たちがいい作品を作ればその作品になるのだ。俳優も体だけを貸してくれるのではなくて、一緒に膝をつき合わせる人が必要だ。それがまさに創作だ。何人かの意識の高い俳優が現れると思って力を入れている。毎日創作者たちを家に呼んで、何がやりたいのかと聞いている。プロデューサーがやるべき仕事をやっている(笑) だからうまくいきそうでしょう?
ナム・ギョンジュ、ミュージカル市場に進出するアイドルに苦言
アイドルだからではない、一部の不真面目な態度が問題ミュージカル俳優ナム・ギョンジュの発言が注目されている。ナム・ギョンジュは韓国で1日に放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」にミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」で共演するチョン・ソンファ、2AMのチャンミン、イ・ミノと共に出演した。意外とバラエティにすぐ馴染んだナム・ギョンジュは、約30年間ミュージカル俳優として体得してきたことをどんどん話した。彼は30年間、ミュージカル界のトップスターにい続けた。彼には初心を忘れない姿勢と舞台への熱い思いがあったからである。数千回も上がった舞台であっても、ナム・ギョンジュは今も上演まで平均2~3ヶ月は猛練習する。ミュージカル界最高のスターチョ・スンウ、チョン・ソンファも猛稽古を積むことで有名だ。近年、ミュージカルに出演するアイドルが増えている。彼らはミュージカル俳優に比べ高い知名度と人気により比較的簡単に主演になれる。しかもギャラも高いほうである。「一時はアイドルのミュージカル進出に疑問を抱いていた」と明かしたナム・ギョンジュも、アイドルのミュージカル主演自体を反対するわけではない。好きなアイドル見たさに観にきて、ミュージカルにはまってしまうファンも増えるなど、プラスの効果もある。また韓国のミュージカル市場がそれほど大きくないため、売れっ子のアイドルは公演制作者にとっては収益を最大化できる魅力的な存在である。実際に「モーツァルト!」「エリザベート」などでスター性と実力を認められたJYJのジュンスや、特有の勤勉さで着実にミュージカル界で活動しているSUPER JUNIORのキュヒョンは、アイドルという垣根を越えて、今後ミュージカル市場を支える大スターに成長する可能性があると評価されている。しかし問題はA級のミュージカル俳優よりも高いギャラを受け、いきなり主役になったアイドルが期待に応えられず、人々を失望させることがごまんとある点である。アイドルだからと色眼鏡をかけて見てはならない。しかし、ナム・ギョンジュが指摘したように稽古もちゃんとせずに主演になり、「スケジュールが忙しくて稽古をあまりしてない。不安だ」というインタビューを重ねる一部アイドルの不真面目な態度は、頑張ってきたミュージカル俳優たちに嫌悪感を抱かせる。アイドルのミュージカル出演はミュージカル界の活性化に繋がると期待されてきた。しかし後先考えず行われているアイドルのキャスティングや、一部アイドルの不真面目な態度によって、ミュージカルファンの不満の声が後を絶たなくなり、公演のクオリティ低下に繋がることになれば、ミュージカル発展の足かせになりかねない。ナム・ギョンジュの苦言にはミュージカルだけではなく、人気をもとに簡単にドラマ、映画の主演になって、演技力不足で批判の的になったアイドルたちも耳を傾ける必要がある。また彼らの認知度だけを狙い、アイドルを主演にキャスティングして、いつの間にか演技塾のようになってしまった、ドラマ・映画界も改めて肝に銘じるべきだ。
ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」美しくて悲しい鳥たちのくつろぎの場所
幸せだった。ドラァグ(異性の服装、ゲイの女装を意味する)ショーが繰り広げられるクラブラ・カージュ・オ・フォール(ラカジ、檻の中の狂人を意味する)は、連日観客でぎっしり埋まり、自分に堂々としているラ・カージュのガールたちは彼女ら自体が美しかった。たまに、アルバン(チョン・ソンファ、キム・ダヒョン)がステージに立たないと脅しをかけてくるが、20年間終始一貫して彼女を愛するジョルジュ(ナム・キョンジュ、コ・ヨンビン)のおかげで、アルバンはマダムザザとして堂々とスポットライトを受けることができた。フランス・サントロペの海風や太陽、空気さえも皆を祝福しているかのように平和な毎日だった。しかし、嵐の前には静寂が訪れるものだ。ジョルジュとアルバンの息子であるジャン・ミシェル(2AM チャンミン、イ・ミノ、イ・ドンハ)が、非常に保守的な政治家の娘アンヌ(キム・ボラ)と結婚したいと話し、「ラカジ」には嵐が吹き荒れる。息子ジャンはアンヌの両親との相見礼(サンギョンレ、結婚前お互いの親が顔合わせをすること)をするため、アルバンの代わりに生物学的な母親が来て欲しいと要求して、アルバンはそんな息子のため自ら叔父として同席すると言い出す。果たして、母親は最後まで叔父であることができるだろうか。そして、ジャンとアンヌは結婚することができるだろうか。【鑑賞指数】夢と希望のワンダーランド9/10点1973年、フランスの舞台劇に初めて登場したミュージカル「ラカジ」は、同性愛者に関する描写がとても細かく、異性愛者である息子が親に求める要求もかなり現実的である。アンヌの父親であるダンドン(チョン・ホジン、ユン・スンウォン)を通して政治家を風刺し、「今日は笑って明日は悲しい涙を流すだろう」と歌うことでひたすら明るい雰囲気の中でも性的少数者たちの悲しみから目を背けない。7月4日から始まった韓国初演は、イ・ジナの演出が以前「お嬢さんとごろつきたち」を演出した時と同じく、既存の構造に若さと華やかさを加えてミュージカルショーとしてのアイデンティティを先に確保する。「ラカジ」を盛り上げるエネルギーの80%は、クラブ「ラカジ」の10人あまりのラ・カージュのガールたちから吹き出てくる。「骨の中まで女性の性を持つように」(ソ・ビョング)作られた振り付けは、骨盤を利用したウェーブがほとんどで、「白鳥の湖」の中の黒鳥シーンを連想させるバレエからカンカン、タンゴに至るまで多様性の面でも断然目立つ。彼らがステージをしっかりと作り上げれば作り上げるほど、同性愛者たちの自己肯定感はプロとしての姿を表し、マダムザザが「私は私である、私は私だ、理由なんてない」と歌う「I Am What I Am」のシーンで爆発する。無駄がない舞台の上でダブルキャスティングされた俳優たちは、それぞれ異なる魅力を見せながら踊る。原作のアルバンは母親の印象が強いため、演出家は「アルバンはチョン・ソンファでなければならない」と主張した。その結果、チョン・ソンファのアルバンはコメディアンとしてのコメディとミュージカルのステージで見せてくれた真面目さが絶妙に結びついて、「ラカジ」を代表する。チョン・ソンファの技巧なく重くて安定的なバリトンの音色はステージに信頼を与え、巧みなナム・ギョンジュはリーダーとしてショーを導く。一方、キム・ダヒョンとコ・ヨンビンは20年間も変わらない愛に焦点を合わせて、同じようで違う、違うようで同じなストーリーを作り上げる。アンサンブルを除けば、劇の中で衣装着替えが一番多いと思える執事ジャコブ役のキム・ホヨンもやはり、シーンの転換のために機能的に使われる瞬間さえも彼独特のエネルギーで観客を集中させる。「ラカジ」はストーリーや音楽、振り付け、照明、舞台セットに至るまで、全てのものが自分の立場で自分の役割を果たし演出という単語を定義する。しかし、ひたすら苦しい息を吐き出すラ・カージュのガールたちを通して、華やかではあるが清らかでもあるこの舞台が、決して簡単に得たものではないことを見せてくれる。韓国社会が同性愛を見つめる視線は依然として暗い。しかし、「他人をありのまま認めなさい」(チョン・ソンファ)というテーマを露骨に主張するより、自然と観客の心に入り込むようにする「ラカジ」のおかげで、観客たちは「私を認めるようにさせるから」という歌詞にスタンディング・オベーションで返事する。公演は9月4日までソウル・駅三洞(ヨクサムドン)にあるLGアートセンターで行われる。
ナム・ジョンギュ「2AM チャンミン&イ・ミノの演技力は…」
ミュージカル俳優ナム・ギョンジュが、ミュージカル「ラカジ(ラ・カージュ・オ・フォール)」でミュージカルに挑戦した俳優イ・ミノと2AMのチャンミンの演技力を評価した。韓国で1日に放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」で、ナム・ギョンジュはイ・ミノとチャンミンのキャスティングにはプラスの面とマイナスの面が共存していたと話し、「チャンミンは歌手なので歌は上手だとしても、演技はどうだろうと心配していた。逆にイ・ミノは演技には信頼を持てたが、歌が心配だった」を話を始めた。ナム・ギョンジュは「正直、公演で実際にその心配が現実のものとなった。今重要なのは、これらを克服していく過程だ」と打ち明けた。特にイ・ミノの変化には驚いたと話し「まるでスポンジのように吸収が早い。日進月歩している」と絶賛した。これについて共演していたチョン・ソンファは「イ・ミノが一番大変だったはずだ。先輩によってアドバイスも変わってくるので」と笑いを誘った。イ・ミノは「最も大変だった先輩は誰か?」という質問に「苦労をしたという意味ではないが、ナム・ギョンジュ先輩が最も多くアドバイスをしてくれた」と打ち明け、感謝の気持ちを伝えた。この日の放送はミュージカル「ラカジ(ラ・カージュ・オ・フォール)」特集でナム・ギョンジュ、イ・ミノ、チョン・ソンファ、チャンミンが出演した。
2AM チャンミン、イ・ミノの年齢発言に「言いたいことは言うタイプ」と暴露
2AMのチャンミンが、ミュージカル「ラカジ(ラ・カージュ・オ・フォール)」で共演した俳優イ・ミノについて「言いたいことは言うタイプ」と暴露し、注目が集まった。韓国で1日に放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」で、イ・ミノは練習に励んでいるというチャンミンの発言が「いい刺激になった」と話し、1986年生まれのチャンミンを「歳も取っているのに」と称した。この発言にスタジオが爆笑すると、チャンミンは「イ・ミノは言いたいことは言うタイプ」だと話し「昨日も公演がよかったので『公演、よかったな』と声をかけると『気に入らない』と言った。理由を聞くと『二日前はもっと上手くできた』と答えた」とエピソードを公開した。チャンミンの話に当事者のイ・ミノは「冗談だった」と説明すると、MCのユン・ジョンシンは「歳も取っている兄さんにそんなこと言っちゃダメ」とジョークを飛ばし、爆笑を誘った。この日の「ラジオスター」ではミュージカル「ラカジ」特集が放送され、イ・ミノ、チャンミンの他にもナム・ギョンジュ、チョン・ソンファが出演し、トークの才能を披露した。
2AM チャンミン、理想のタイプのチョ・ヨジョンとツーショット「願いが叶った」
2AMのチャンミンが普段から理想のタイプとして挙げていた女優チョ・ヨジョンとついに会うことができた。チャンミンは2日未明、自身のTwitterに「神様、ありがとうございます。DEOVOLENTE(ラテン語:神様の意志であるならば)!僕の願いが今日叶いました」という書き込みとともにチョ・ヨジョンとのツーショット写真を一枚掲載した。ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」の公演直後に撮った同写真で、チャンミンとチョ・ヨジョンは明るい笑顔でカメラに向けてVサインを送っている。特に「僕には神秘な存在として残ってもらいたいので、『春香秘伝 The Servant 房子伝 』は見ない」とヨジョンアリ(恋の病で寝込むような)をアピールしていたチャンミンの照れたような笑顔が注目を集めた。チャンミンが公開した写真にメンバーのスロンは「すごい。兄さんが今日一日中機嫌がよかった理由があった」と答え、笑いを誘った。写真を見たファンは「チャンミン兄さん、願いが叶ってよかったですね」「兄さん、やっと理想のタイプに会えましたね。じゃ、次は私に出会う番です」などの愛情溢れるコメントを残した。チャンミンは現在、ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」でアルバンとジョルジュの愛くるしい息子、ジャン・ミシェル役を熱演中だ。
イ・ミノ「中学生の時、FCソウル杯の得点王だった」
俳優のイ・ミノが、中学生の時、サッカーの得点王であったことを明かした。韓国で1日の午後に放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」には、ミュージカル「ラカジ(ラ・カージュ・オ・フォール)」のナム・ギョンジュ、チョン・ソンファ、イ・ミノ、2AMチャンミンが出演し、面白いエピソードを話した。イ・ミノはこの日の放送で、「子供の頃、親に連れられて演技を始め、中学生の時に反抗期が始まった。演技をやめて、サッカーを始めた」と明かした。さらに「中学生の時、FCソウル杯に出場し、3位になった。11ゴールを決めてソウル市の得点王になった」と驚きの告白をした。この話を聞いたMCユ・セユンとユン・ジョンシンが、イ・ミノに「ボールはCGで入れるから、技を見せてくれ」と頼むと、イ・ミノは見えないボールを持って、華麗なドリブルを見せながら、MCとゲストたちの感嘆を誘った。
イ・ミノ「ソン・ヘギョは、14年前も綺麗だった」と絶賛
俳優のイ・ミノが、女優のソン・ヘギョの美貌を絶賛した。1日の午後に放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」には、ミュージカル「ラカジ(ラ・カージュ・オ・フォール)」のナム・ギョンジュ、チョン・ソンファ、イ・ミノ、2AMチャンミンが出演し、面白いエピソードを話した。この日の放送でイ・ミノは、「14年前、ソン・ヘギョと『順風産婦人科』で共演していたが、その時も綺麗だった」とソン・ヘギョの美貌を絶賛した。さらに「撮影現場では、いつも子役の3人で一緒にいたが、ソン・ヘギョがよく面倒を見てくれた。6歳の子供だった私から見てもとても綺麗だった」と付け加えた。イ・ミノは、「順風産婦人科」でジョンベ役に扮し、魅力的な子役として視聴者から大きく愛されていた。
2AM チャンミン「2AMメンバーたちが、チョグォンに土下座した」
2AM チャンミンが、初のソロアルバムをリリースしたチョグォンのMV撮影現場に行けなかったメンバーたちが、彼に土下座をして謝ったことを明かした。韓国で1日の午後に放送されたMBC「黄金漁場-ラジオスター」には、ミュージカル「ラカジ(ラ・カージュ・オ・フォール)」のナム・ギョンジュ、チョン・ソンファ、イ・ミノ、2AMチャンミンらが出演し、面白いエピソードを話した。この日の放送でチャンミンは、チョグォンが「強心臓(カンシムジャン)」に出演して、「初のソロアルバムのMVを撮影する日、メンバーたちが撮影現場に来てくれなかったので、寂しかった」と話したことについて、「チョグォンのMVの撮影日に、メンバーの皆がスケジュールがあった」と明かした。さらに「同じ時期にソロでデビューした2PMのウヨンのMV撮影現場には、メンバーたちが皆来ていたというチョグォンのメッセージをもらって、コーラーとハンバーガーをたくさん買って、アルバムのジャケット撮影現場に行って、土下座をした」と明かした。話を聞いたMCユン・ジョンシンが、「チャンミンの公演にはメンバーたちが来ていないので、お互い様ではないのか」と話すと、チャンミンは「あまりにも緊張したので、私から来ないでといった」と話した。