キム・ジャオク
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“故キム・ジャオクさんの弟”キム・テウク元アナウンサー、昨日(3/4)死去…享年61歳
SBS元アナウンサーのキム・テウクさんが4日に死去した。享年61歳だった。SBSの関係者は5日午前、マイデイリーに「キム・テウク元アナウンサーが亡くなった。現在状況を把握しているので、葬儀場や葬地などはまだ確認できていない」と伝えた。キム・テウク元アナウンサーは昨年、SBSから定年退職した。その後、フリーランサーとしてラジオ番組「キム・テウクの気持ちいい夜」の進行を務めていた。キム・テウク元アナウンサーは1989年、KBS公開採用アナウンサーとしてデビューし、1991年にSBSへ転職した。2014年、副局長として赴任して「ニュースと生活経済」「生放送トゥデイ」などの進行を務め、昨年SBS編成室のアナウンサーチームの局長歴任を最後に定年退職した。女優だった故キム・ジャオクさんの弟としても有名だ。

故キム・ジャオクさん、突然の別れから本日(11/16)で6年…今でも愛される女優
キム・ジャオクさんがこの世を去って6年が経った。キム・ジャオクさんは2014年11月16日、7年間のがん闘病の末、63歳でこの世を去った。故人の遺体は京畿(キョンギ)道城南(ソンナム)市盆唐(ブンダン)のメモリアルパークに安置された。1951年生まれのキム・ジャオクさんは、1970年にMBC第2期公開採用タレントとしてデビューし、「欲望の海」「誘惑」「幸せは私たちの胸に」「私の名前はキム・サムスン」「明日に向かってハイキック」「烏鵲橋の兄弟たち」など多数のドラマに出演し、視聴者に愛された。また、彼女はテ・ジナの勧めで1996年「姫は寂しい」を発表し、歌手としても愛された。キム・ジャオクさんは亡くなる前までtvNバラエティ番組「花よりお姉さん」に出演し、話題を集めた。テレビドラマはもちろん、舞台女優や歌手としても活動していたキム・ジャオクさんは遺作として「花よりお姉さん」と演劇「春の日は行く」を残して亡くなった。キム・ジャオクさんは2008年に大腸がんの判定を受け、抗がん剤治療を受けたが、がんが再発し、闘病生活を続けた末にこの世を去った。キム・ジャオクさんが亡くなってもう6年が過ぎたが、依然として彼女を懐かしがる人は多い。歌手ヤン・ヒウンは6月、自身のInstagramに「離れた友達と彼女の家で時々ジャオクを思い出す」とキム・ジャオクさんへの懐かしい気持ちを表し、歌手テ・ジナも6月、KBS 1TV「朝の広場」で「キム・ジャオクがいたらよかったのに」とし「キム・ジャオクがもし生きていたら僕の隣に座っていたと思う。『愛は誰もができるか』のミュージックビデオにも出演してくれたし、僕はキム・ジャオクのマネージャーもしていた。『姫は寂しい』の時もアルバム企画を手伝ってあげた。思い出が多い女優で、僕が感謝している女優だ。僕の会社が大きく発展できるよう助けてくれた人もキム・ジャオクだ」と感謝の意を表した。また、俳優イ・ジョンギルは1月に放送されたMBC「人が好き」でキム・ジャオクさんを思い出し、「君たちがこの世を去ったため、多くのドラマを制作してきた切ない過去がすべて埋もれてしまった。こうして昔のことを思い出すと胸が痛い。どうしてこんなに演技が上手いんだと思った役者の一人であるキム・ジャオクさんを忘れることができない」と涙を流した。MBC第2期公開採用タレントの同期パク・ウォンスクは、昨年11月6日に放送されたMBC TV「モダンファミリー」でキム・ジャオクさんの奉安堂(納骨堂)を訪れた。当時、パク・ウォンスクは奉安堂の前で「人がたくさん訪れたようだ。人々が触ったので、ジャオクのところが一目で分かる」と涙を流した。続けてパク・ウォンスクはスタッフに「感受性豊かでたくさん笑って、いつも女性だということを大切にしていた女優だった」とし「美しくて華やかな女優が私より先に逝ったことに胸が痛い」と話した。何よりキム・ジャオクさんを懐かしんだ人は、夫で歌手のオ・スングンだった。2人は、芸能界を代表するおしどり夫婦として知られていた。オ・スングンは昨年6月、「朝の広場」に出演し、キム・ジャオクさんが恋しくて追慕館近くに引っ越したという話を伝え、話題になった。・ヤン・ヒウン、故キム・ジャオクさんとの思い出写真を公開恋しさを吐露「時々思い出す」・「キム・サムスン」「コーヒープリンス」キム・ジャオクさん、本日一周忌を迎える

「キム・サムスン」「コーヒープリンス」キム・ジャオクさん、本日一周忌を迎える
故キム・ジャオクさんが一周忌を迎えた。故キム・ジャオクさんは昨年11月16日、肺がんで亡くなった(享年63歳)。2008年に大腸がんの手術を受けたが、がんが再発し、抗がん治療を受けていた故人は病状が急速に悪化し、突然の死を迎えた。故人は京畿道(キョンギド)盆唐(プンダン)にあるメモリアル・パークに安置されている。現在夫のオ・スングンは同僚タレントらと共に故キム・ジャオク財団の設立を準備している。故キム・ジャオクさんは1970年にMBC公開採用タレント2期としてデビューし、翌年の1971年、KBS(当時中央放送)ドラマ「沈清伝(シムチョンジョン)」に出演し、一躍スターになった。その後、約40年間タレントとして活躍し、高い人気を得た。故人は闘病中にもSBSドラマ「3度結婚する女」に出演し、演技への情熱を燃やした。また、ケーブルチャンネルtvN「花よりお姉さん」に出演し、クロアチア旅行をしながら相変らず少女のような魅力をアピールした。その年の5月には演劇「春の日は行く」にも出演した。

故キム・ジャオクさん、1年前の闘病中切ないメッセージ「クリスマスの明かりが怖い…憂鬱だ」
故キム・ジャオクさんの主治医が、1年前にキム・ジャオクさんから送られたメッセージを公開した。19日に韓国で放送されたMBC「リアルストーリーヌン(目)」では肺がんの闘病中、16日に亡くなったキム・ジャオクさんを哀悼し、知人のインタビューを放送した。この日の放送でキム・ジャオクさんの主治医は「昨年のクリスマスにメッセージが送られた。(自身が)長生きできないかもしれないという話だった」と語った。また「少し怖いし、となりのクリスマスツリーの光を見た時、あまり嬉しいだけではないという内容だった」とし「『クリスマスの光を見て喜ばずに、なに憂鬱なことを言ってるんだ』と話したが、あの時少し分かっていたようだ」と付け加えた。キム・ジャオクさんは16日、肺がんによる合併症で死去した。故人は2008年に大腸がんの手術を受けたが、最近がんが再発し、抗がん治療を受けてきたが、14日に病状が急速に悪化し、ソウル江南(カンナム)聖母病院の集中治療室で治療を受ける途中、16日午前7時40分に家族が見守る中で死去した。

“サムスンの母”キム・ジャオクさん、悲しみの中で出棺式…同僚俳優らが涙
女優故キム・ジャオクさんの出棺式が遺族と同僚俳優たちが集まった中、厳かに執り行われた。19日午前8時30分、ソウル瑞草(ソチョ)区盤浦洞(バンポドン)にあるカトリック大学ソウル聖母病院の葬儀場では、故キム・ジャオクさんの出棺式が行われた。この日、故人の遺族をはじめ、普段親しかった先輩・後輩俳優たちが集まって故人の最後を見守った。午前8時から約40分間にわたって行われた出棺礼拝には、親しい同僚芸能人たちが参加した。お笑い芸人イ・ソンミ、イ・ギョンシル、ソン・ウニ、キム・ジソンと俳優カン・ソクウ、カン・ブジャ、チョ・ヒョンギ、ソ・ウリムなどは厳粛な雰囲気で涙を流しながら礼拝に参加した。聖歌隊の賛美歌が葬儀場に鳴り響く中、出棺礼拝を終えた故キム・ジャオクさんは霊柩車へ運ばれた。車に運ばれる間、遺族と親戚、そして同僚芸能人たちは流れる涙を止めることができなかった。特に、イ・ギョンシルは「お姉さん、お姉さん」と泣き叫びながら嗚咽し、見る人の心を痛めた。故キム・ジャオクさんの息子オ・ヨンファンさんはこの日、出棺式に参加してくれた人たちに感謝の挨拶を伝えた。そして、最後の挨拶を伝える瞬間、キム・ジソンが再び嗚咽し、一緒に参加したチョ・ヒョンギが肩を抱きながら慰めた。キム・ジャオクさんは16日午前7時40分、肺がんによる合併症で享年63歳で死去した。遺族としては夫のオ・スングンと息子、娘がいる。特に息子であるオ・ヨンファンさんは来年3月に結婚を控えていることが知られ、悲しさが増した。故人の遺体はソウル瑞草区院趾洞(ウォンジドン)にある追慕公園で火葬した後、京畿(キョンギ)道盆唐(ブンダン)メモリアルパークに安置される。

故キム・ジャオクさん、芸能界の先輩から後輩まで“悲しみのお別れ”
キム・ジャオクさんの死去に芸能界全体が悲しみに陥った。昨年、故人が出演したtvN「花よりお姉さん」の制作スタッフは17日午後、公式Facebookを通じて「痛く、悲しい気持ちを禁じえませんが、ジャオク姉さんと一緒にできて、本当に幸せでした。ジャオク姉さんがいつも語っていたポジティブ、希望、勇気、そして幸せがより多くの方々に伝わることをお祈りします。故人のご冥福をお祈り致します」という書き込みで悲しみを表現した。作曲家でプロデューサーのチュ・ヨンフンもまた、同日午前、自身のTwitterに「2014年、Twitterの書き込みのかなりの数が、故人のご冥福を祈りながら悲しむ書き込みでした。昨日もまた、一人が我々の傍を離れました礼拝でお会いした時のその笑顔を、まだ鮮明に覚えていますが天国でもその笑顔のまま、またお会いすることを祈ります。キム・ジャオクさん、安らかにお眠りください」という書き込みで故キム・ジャオクさんへの哀悼を表した。歌手ユン・ジョンシンは16日午前、自身のTwitterに「キム・ジャオク先輩、故人のご冥福をお祈り致します」との書き込みを残した。また、歌手キム・グァンジンも自身のTwitterを通じて「キム・ジャオク先輩がこの世を去ったとは信じられません。いつも若く、美しかったイメージだけを覚えています。故人のご冥福をお祈り致します」との書き込みで哀悼の意を表した。俳優イ・グァンギも自身のTwitterを通じて「キム・ジャオク先輩が天に召されました。一緒に礼拝に参加し、聖書の勉強をしながら喜んでいた姿を覚えています。これからは、神様の傍に永遠にきれいなお姫様としていさせてください、感謝します!ずっと涙が」との書き込みを掲載した。映画評論家のホ・ジウンも午前、自身のTwitterに「映画『殺人蝶々を追う女』の最後の蝶々の飛行シーンのように、ひらりひらりと。キム・ジャオクさんのご冥福をお祈りいたします」との書き込みを掲載し、女優ハン・グルもまた「私がとても尊敬するキム・ジャオク先輩。先輩はいつも美しくて、素敵でした。故人のご冥福をお祈り致します」との書き込みで故キム・ジャオクさんに哀悼の意を表した。この他にも小説家イ・ウェス、2PMのテギョン、俳優イ・キョン、ジュリアン・カンなど芸能界の先輩・後輩たちが自身のSNSを通じて書き込みを掲載し、故人の冥福を祈った。故キム・ジャオクさんは16日午前7時40分に死去した。2008年に大腸癌の手術を受けており、最近癌が再発して抗癌治療を受けたが14日夜、病態が急に悪化し、ソウル江南(カンナム)聖母病院集中治療室で家族が見守る中、この世と別れを告げた。斎場はソウル江南聖母病院14号室に設けられた。出棺式は19日午前8時30分に行われる。

故キム・ジャオクさん、生前に見せた夫への愛情が話題に…「眠れずに見守っていそう」
肺がんで亡くなった女優キム・ジャオクさんが生前、夫に見せた切ない愛情に関心が集まっている。キム・ジャオクさんは去年8月22日に韓国で放送されたMBC「黄金漁場-ヒザ打ち導師」に出演し、歌手である夫オ・スングンに対して語った。当時キム・ジャオクさんは、がん闘病中に自身の世話をしてくれた夫に対して「病院を行き来したり、全て世話をしてくれた。しかし、この人はたくさん泣いて、とても心を痛めていた」と明かした。彼女は「検査を受けるたびに本人が結果を聞いて、薬があると聞けば、私に知らせずに行ってみたり、有名な医者を訪ねては聞いてみたりした」とし「夫婦ってこういうことなんだと思った。感謝している。私はあの人が痛かったら、眠れずに見守っていそう」と語った。キム・ジャオクさんは16日午前7時40分に亡くなった。享年63歳。死因は肺がんによる合併症だ。個人の斎場はソウル江南(カンナム)聖母病院14号室に設けられており、出棺は19日午前8時30分に行われる。

故キム・ジャオクさん、ソウル江南の聖母病院に斎場が設けられる
肺がんで亡くなったキム・ジャオクさん(享年63歳)の斎場がソウル江南(カンナム)聖母病院14号室に設けられた。キム・ジャオクさんは1970年、MBC第2期公採タレントとしてデビューし、役者として活動を始めた。ドラマ、映画、演劇、歌手など幅広い分野で活躍した。遺族には夫で歌手のオ・スングンと息子オ・ヨンファンさん、そして結婚して家を出た娘が一人いる。故キム・ジャオクさんは今年もSBSドラマ「3度結婚する女」やtvN「花よりお姉さん」などに出演し、精力的に活動していた。故人の出棺は19日だ。

キム・ジャオクさん、肺がんで死去…「私の名前はキム・サムスン」「コーヒープリンス1号店」「烏鵲橋の兄弟たち」など多数のドラマで活躍
女優キム・ジャオクさんが肺がんで亡くなった。享年63歳。どの瞬間も美しく、プリンセスのように生きてきた彼女が、この世を去った。キム・ジャオクさんは1970年、MBC第2期公採タレントとしてデビューし、役者として活動を始めた。ドラマ、映画、演劇、歌手など幅広い分野で活躍した女優だった。ドラマ「誘惑」(1987)、「人間の土地」(1994~1995)、「欲望の海」(1997)、「屋根部屋のネコ」(2003)、「がんばれ!クムスン」(2005)、「私の名前はキム・サムスン」(2005)、「コーヒープリンス1号店」(2007)、などをはじめ、映画「同い年の家庭教師」(2003)、「ジェニ、ジュノ」(2005)などに出演し、様々な作品で優しい母の役を演じ、国民の母として視聴者に愛されてきた。さらにキム・ジャオクさんは1996年「姫は寂しい」というアルバムをリリースし、韓国でブームを巻き起こした。2008年に大腸がんが見つかったキム・ジャオクさんは、大手術を経て健康を取り戻し、女優として復帰した。シットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「明日に向かってハイキック」(2009)、ドラマ「烏鵲橋(オジャッキョ)の兄弟たち」(2011)、「3度結婚する女」(2013~2014)などに出演し、精力的に活動していた。今年1月にはtvNバラエティ番組「花よりお姉さん」で元気な姿を見せ、5月には楽劇「春の日は去っていく」にも出演した。キム・ジャオクさんは16日、肺がんで死亡した。斎場はソウル江南(カンナム)聖母病院14号室に設けられ、出棺は19日だ。

「花よりお姉さん」イ・スンギからユン・ヨジョンまで、女優への偏見を一気に吹き飛ばした5人の役割とは?
「花よりお姉さん」お姉さんたちの全盛時代おじいさんに続き今度はお姉さんだ。tvN「花よりおじいさん」を手がけたナ・ヨンソクプロデューサーのバックパック旅行プロジェクト第2弾「花よりお姉さん」が大きな人気を集めた。実はか弱い花のようなお姉さん4人と、荷運びよりも荷物に近かったイ・スンギの活躍は、第1話から視線を集めるに十分だった。気難しくてプライドが高いように見えた女優に対する偏見を一気に吹き飛ばした「花よりお姉さん」。その人気の秘訣に迫る。最年長ユン・ヨジョン(1947年6月19日生まれ)1966年、TBC第3期公開採用タレントとしてデビューした。1987年「愛と野望」をはじめ、「風呂場の男達」「長子」「カイスト~天才たちの青春日記~」などの人気作品に出演した。人々には映画「ハウスメイド」「蜜の味 テイスト オブ マネー」で見せたカリスマ性に満ちた几帳面なイメージとして記憶されている。「花よりお姉さん」でユン・ヨジョンは知的な魅力を思い切りアピールした。トルコの空港では現地の人々と英語でスムーズにコミュニケーションをとって視聴者たちを驚かせ、他人の言葉に耳を傾けてポイントを抑える能力も示した。気の強いキャラクターのイメージに包まれたその裏側には、自分の長旅により一人で過ごす母親を心配する温かさも溶け込んでいる。4次元のお姉さんキム・ジャオク(1951年10月11日生まれ)1970年、MBC第2期公開採用タレントとしてデビューした。1996年にリリースした1stアルバム「王女は孤独」を通じてお姫様のイメージを固めてから、少女のような感性とはにかんだ笑顔がトレードマークになった。2009年に放送されたMBCシットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「明日に向かってハイキック」では、「花よりおじいさん」に出演したイ・スンジェとカップルを演じた。「花よりお姉さん」でキム・ジャオクは、良く笑い、どこででもその瞬間思い浮かんだ感情を書き留める少女のような姿をアピールした。特に、みんながパニックに陥ったトルコの空港で、平然と座ってその瞬間を記録する姿は強い印象を残した。雑食少女キム・ヒエ(1968年4月23日生まれ)1983年に映画「20年の初日」で映画デビューした。「女はなにで生きるのか」をはじめ「息子と娘」「妻~愛の果てに~」などの清純な姿だけでなく「完全なる愛」「妻の資格」などの強い役割まで、様々な演技を披露した。キム・ヒエは前に出ない代わりに、後ろから姉と末っ子のイ・スンギの面倒を見る逞しくて賢い姿を見せて「花よりお姉さん」で愛された。静かにトラブルを解決しても表に出さない態度は、普段のキム・ヒエの姿そのままだった。キム・ヒエは隠していたお笑い本能までアピールしながら活躍した。お転婆娘の末っ子イ・ミヨン(1971年9月23日生まれ)ドラマ「愛が花咲く樹」が輩出した最高の青春スターの一人。主演を務めた映画「幸せは成績順じゃないでしょう」を通じて外見と実力を両方とも認められた。「明成(ミョンソン)皇后」「黒水仙」「キムマンドク~美しき伝説の商人」などで見せたカリスマ性のある演技で馴染み深い。イ・ミヨンは「花よりお姉さん」では興奮しやすい行動派だ。せっかちな性格で言葉よりも体が先に動き、お姉さんたちの荷物も自ら運ぶ。上には3人のお姉さんたちを、下には末っ子の荷運びイ・スンギの面倒を見る「花よりお姉さん」の行動隊長だ。荷運び(荷物)イ・スンギ(1987年1月13日生まれ)2004年に1stアルバム「蛾の夢」で音楽界にデビューした。その後、MBCシットコム「ノンストップ5」に出演することで役者へと活動の領域を広げ、SBS「僕の彼女は九尾狐<クミホ>」とMBC「キング~Two Hearts」を通じて勢いに乗ったロマンス演技を披露して、昨年放送を終了したMBC「九家(クガ)の書~千年に一度の恋~」では半人半獣のチェ・ガンチ役で人気を集めた。最も信頼できる芸能人として挙げられた彼が「花よりお姉さん」では荷物持ちへと転落した悲運の男となった。一足遅いホダン(しっかりしているように見えるが、どこか抜けている人)な部分はあるが、自身のミスを正直に認めて最善を尽くす姿で、もちろん好感度も最高だ。

「花よりお姉さん」女優たちとイ・スンギ、旅を通じて分かち合った本音
4人の女優と1人の荷物持ちの初めての旅行が、いつの間にか本気で共感する場になっていた。初めて会った時のぎこちなさは消え、互いを理解して慰め合える家族のような存在になっていた。10日午後、韓国で放送されたtvN「花よりお姉さん」第7話では、ユン・ヨジョンとキム・ジャオク、キム・ヒエ、イ・ミヨン、そしてイ・スンギがクロアチア・ドゥブロヴニクで旅行の最後の時間を過ごした。彼らは9泊10日の最後の旅行先であるクロアチアで、旅行を楽しみながら互いのことをより分かり合えた。特のこの日の放送では、旅行をしながら一層仲良くなった女優たちとイ・スンギの姿を見ることができた。女優たちは旅行の間ずっと自分たちの面倒を見ながら東奔西走したイ・スンギを褒め称えながら「絶対良い女に会ってね」と話すなど、彼に息子や弟のように接した。また女優の中では一番歳下のイ・ミヨンに対しても心配や慰めの言葉が伝えられた。イ・ミヨンはドゥブロヴニクの観光中、偶然会った韓国人の観光客から「必ず幸せになってくださいね」と言われて涙を流した。「幸せ」という言葉に盛り込まれている様々な意味が彼女の心に触れたのだ。ユン・ヨジョンとキム・ジャオクも先輩、そして親しい姉としてイ・ミヨンを心配して慰めた。ユン・ヨジョンは作品活動が少ないイ・ミヨンに、今回の旅行をきっかけにより活発に活動するようアドバイスし、キム・ジャオクは「あなたが幸せになったらいいね」と話し、愛情を表した。イ・ミヨンは仲間たちの慰めに、涙を浮かべた。キム・ヒエは普段から仲の良いキム・スヒョン作家が韓国から送ってくれたメールを見て涙を流した。彼女は旅行6日目、ストレスによって苦しんでいた。1人で散歩をしていたところ、キム・スヒョン作家のメールを受けたキム・ヒエは自分の心を読み取られたと、涙を流した。それだけでなく女優たちは旅行を通じて自分のことを本気で打ち明けた。キム・ジャオクはガンの闘病後、パニック障害で苦労をしていたことを話した。ユン・ヨジョンは離婚後、息子を育てるために仕事ばかりするしかなかったと話した。特にユン・ヨジョンは旅行中、荷物持ちのイ・スンギと腕を組むなどして、彼に頼る姿を見せた。「花よりお姉さん」は女優たちとイ・スンギにとって、バックパック旅行以上の意味があった。芸能界で活動していたが、行き来していなかった仲を縮めてくれたし、同じ作品に出演した仲間たちをより親密にまとめてくれた。旅行をしながら共有した感情や経験を通じて、まるで家族のようになるきっかけになったのだ。

「花よりお姉さん」女優への偏見を一気に吹き飛ばす、花のような女優のバックパック旅行とは?
「花よりお姉さん」お姉さんたちの全盛時代おじいさんに続き、今度はお姉さんだ。「花よりおじいさん」のナ・ヨンソクプロデューサーのバックパック旅行第2弾「花よりお姉さん」がついにベールを脱いだ。か弱い女優4人組とかばん持ちというよりも荷物に近いイ・スンギの活躍は、第1回から注目を浴びるのに十分だった。気難しくてプライドが高いように見えた女優への偏見を一気に吹き飛ばした「花よりお姉さん」。その人気の秘訣が気になった。花のような女優にバックパック旅行?女優はプライドが高くて気難しい? 「花よりお姉さん」はこのような偏見に堂々と挑戦状を突きつけた。~さんではなく、~姉さんと呼んでほしいという突飛な少女のようなキム・ジャオクと「感じ分かるから」「テバク(若者が使う「すごい」の感動詞)事件」というバラエティ番組の流行語を矢継ぎ早に言い出す優雅(だと思われていた)なキム・ヒエは、これまでに見せてきた気難しい女優の姿ではなく、純粋で少女のようなイメージで視聴者を魅了した。放送開始前、ナ・ヨンソクプロデューサーはいつも節制して限定的な生活を送らなければならない女優の人生を言及しながら、神秘的なイメージを維持しなければならない女優だからこそ、テレビで正直に飾らない姿を公開することは難しいかもしれないと話した。つまり、彼女たちにとって「花よりお姉さん」は、自分が持っているイメージを忘れて、ありのままの姿を披露することのできる、一生に一度あるかどうかの挑戦だったのだ。しかしこうした憂慮とは裏腹に、「花よりお姉さん」の女優たちは予想外の率直さで視聴者を驚かせた。旅行に行くといつも体調を崩して嫌だと言ってきたユン・ヨジョンは、最年長者としての姿を遺憾なく発揮して、イ・ミヨンはカリスマ性のある堂々とした性格の中に隠されたか弱い本音を現した。それだけでなく、エレガントで知的な女優として知られているキム・ヒエは、KBS 2TVバラエティ番組「ギャグコンサート」のマニアだと言いながら予想外のタレント性を披露して笑いを誘った。そんな中、黙々と平和を求める二番目のお姉さんキム・ジャオクの少女のような感性は他のキャラクターと対比され、またもう一つの面白味を加えた。「花よりおじいさん」 vs 「花よりお姉さん」何が違うのか?また、同じバックパック旅行プロジェクトだからといって「花よりおじいさん」と「花よりお姉さん」を同じだと思ってはいけない。出演者がおじいさんからお姉さんに変わっただけに、お姉さんたちの旅行はおじいさんとの旅行とはまったく違っていた。旅行先はクロアチア。韓国ではまだあまり知られていないエキゾチックな情緒を漂わせる場所で、お姉さんたちとはこの上なく似合っているという評価だ。そのおかげで1週間の旅行では、女優ならではの優れた感性と特有の突飛な部分がクロアチアの美しい景色と調和して、一味違った映像を作り出した。1本のお酒さえあれば何でもOKだったおじいさんたちとは違って、お姉さんたちは小さなことでも感動を受けたり、些細なことまで記録しながらその日の感情を振り返った。これに対し、ナ・ヨンソクプロデューサーは「お姉さんたちは100メートル歩けば、その道にある100のものを見る」とおじいさんたちとは全く違っていたお姉さんたちの姿を話した。それだけでなく、「花よりおじいさん」で末っ子のペク・イルソプがシムトン(意地悪い)イルソプというあだ名がつくほど愚痴をこぼしたこととは異なり、「花よりお姉さん」ではこれまで見たことのない女優たちの親近感の湧く姿を存分に見ることができた。イ・ミヨンはストレートでさっぱりした性格でいつも躊躇せずに自分の意見を言う姿を見せたが、末っ子としていつも姉さんたちに自分から近付いていき、気さくに必要なことをこなし、イ・スンギが困っているときには本当の姉さんのようにいつも支えてあげた。「花よりおじいさん」に若者たちの情熱と挑戦に感動を受けた感性アイドル、シン・グがいたことに対し、「花よりお姉さん」ではキム・ヒエがその役割を担当した。20代のイ・スンギが右往左往する度に温かい励ましと笑顔で彼を慰め、「最善を尽くしたから良い」というキム・ヒエ流の慰め方でイ・スンギをなだめて、視聴者から拍手を受けた。東ヨーロッパを代表する絶景、クロアチアこれと共に東ヨーロッパを代表する絶景の一つであるクロアチアの美しい風景を鑑賞することも「花よりお姉さん」を見る楽しみの一つだ。クロアチアは、ヨーロッパのアドリア海の東海岸に位置する国で、ローマ時代の遺跡からルネサンス時代の建築物まで、数多くの文化遺産を有している。「花よりお姉さん」側が放送前に公式Facebookを通じて公開した写真には、クロアチアの沿岸都市ドゥブロヴニク旧市街の風景が収められている。ドゥブロヴニクは旧市街地全体がユネスコの文化遺産に指定されているほど美しいところである。エメラルド色の海を自慢するアドリア海も見所だ。「花よりお姉さん」のユン・ヨジョンは、アドリア海が見下ろせる場所で歯磨きをしていた。美しい風景と対比される女優たちの素朴なすっぴんは本人はもちろん、視聴者まで笑わせた。これと共に、暖かい天候もより美しい映像を作り上げることに一役買った。イ・ソジンと正反対の魅力、かばん持ちのイ・スンギ唯一の男性として女優たちの世話をしなければならないかばん持ち、イ・スンギはどうだったのだろうか。「イ・ソジンが専門のガイドレベルなら、イ・スンギは小学生レベル」と言ったナ・ヨンソクプロデューサーの言葉通り、イ・スンギの突飛な姿は隠されることなく、そのまま公開された。「花よりお姉さん」の打ち合わせで、ヘアドライヤーを一人が代表して持っていこうという一言で「女を知らないガキ」と呼ばれた彼のホダン(しっかりしているように見えるが、どこか抜けている人)らしい姿は、クロアチアに着く前に経由したトルコのイスタンブールにある空港でも明らかになった。ホテルまでの交通手段を探すために1時間もかかり、ユン・ヨジョンからは「私は姉さんではなくて、おばあさん」という冗談交じりの愚痴を聞かされるなど、ミス連発の頼りない姿がそのまま放送された。ミニインタビューを通じて彼は「自分が情けなくて泣きたかった」と本音を漏らしたほど、スタートは容易ではなかった。高校生の時にデビューして、自分の意見ではなく誰かの意見によって動かなければならなかった彼にとって、誰かのために計画を立てたり、意見を調整しなければならない今回の旅行は、もしかしたら手に余るものだったのかも知れない。しかし、彼も毎回少しずつ変わっていった。制作陣をかばったり、姉さんたちの意見を調整するほどまでに成長し、ある時は気が短い性格のイ・ミヨンさえもイ・スンギを認めた。ミス連発、中途半端なことばかり、かばん持ちではなく荷物だと言われたが、彼の真面目な姿はその全てを消してしまった。出国前、仁川(インチョン)国際空港で最年長者のユン・ヨジョンが持っていた液体の化粧品が100ミリリットルを超え、持ち出しが禁止されたことで出発ロビーの外の薬局にまで走って行き、小型の容器に化粧品を移し替えてあげた思いやりもそうだったし、トルコの空港で姉さんたちが好きなコーヒー専門店を訪れ、汗をだらだら流しながら奔走した優しさもイ・スンギだからこそ可能だったことだ。




