ユン・ジョンヒ
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キム・ヘス、女優の故ユン・ジョンヒさんを追悼…SNSで生前の写真を公開
女優のユン・ジョンヒさんがアルツハイマーで闘病後に死去した中、女優のキム・ヘスが追悼した。20日、ユン・ジョンヒさんはフランス・パリで、79歳で息を引き取った。故人は長い間アルツハイマーで闘病していた。悲報が報じられると、キム・ヘスは自身のInstagramのストーリーを通じて、ユン・ジョンヒさんの写真を数枚掲載し、故人を追悼した。また、パク・ボギュン文化体育観光部長官は遺族に「故人が残した卓越した成就と輝く足跡に限りない敬意を表す」というメッセージを残した。他にも、女優のハン・ジイルが自身のInstagramを通じて追悼メッセージを残した。ユン・ジョンヒさんはムン・ヒ、ナム・ジョンイムと共に第1世代女優として人気を集めた。1967年の映画「青春劇場」を皮切りに、なんと300本以上の映画に出演した。そんな中、1976年に現地で活動していたピアニストのペク・ゴヌ氏と結婚。2010年にはイ・チャンドン監督演出作「ポエトリー アグネスの詩」でスクリーンに復帰して注目を集めた。
女優ユン・ジョンヒさん、アルツハイマーで闘病生活も…本日(1/20)パリで死去
本日(20日)、ユン・ジョンヒさんがフランス・パリでこの世を去った。享年79歳。先立って故人は、アルツハイマーで闘病中であると公表していた。夫でピアニストのペク・ゴヌは「アルツハイマー闘病中というのが、あまりいい話ではないが、これ以上隠すことができない段階になったので、彼女を愛する人たちも知るべきだと思った。もう画面に出ることもないだろうし、知らせる時が来たと思った」と伝えた。ユン・ジョンヒさんの最後の作品は、2010年のイ・チャンドン監督の映画「ポエトリー アグネスの詩」となった。彼女はこの作品で、韓国国内外の7つの映画祭で女優主演賞を受賞した。1967年に「青春劇場」でデビューしたユン・ジョンヒさんは、1976年にピアニストのペク・ゴヌ氏と結婚した。その後、娘が暮らしているフランス・パリに移住した。・ピアニストのペク・ゴヌ、韓国に帰国アルツハイマーの妻ユン・ジョンヒを放置?疑惑を再び否定・女優ユン・ジョンヒ、海外で家族のサポートなしに闘病生活?国民請願の内容に衝撃夫は否定
ピアニストのペク・ゴヌ、韓国に帰国…アルツハイマーの妻ユン・ジョンヒを放置?疑惑を再び否定
ピアニストのペク・ゴヌが、妻で女優のユン・ジョンヒを海外に放置したという疑惑について釈明した。ペク・ゴヌは11日、仁川(インチョン)国際空港を通じて、フランス・パリから入国した。帰国後にペク・ゴヌは「まず家族のことでお騒がせして申し訳ない。ビンチェロで発表したように、ユン・ジョンヒは毎日とても平穏な生活をしている」と明らかにした。また彼は、「私たちは何の問題もない。ご心配いただいて感謝している」と付け加えた。先立って5日、青瓦台(大統領府)の国民請願掲示板には「外部と断絶され、一日一日倒れていく映画女優Aさんを助けてください」というタイトルの請願が掲載された。請願によると、フランスに滞在中でアルツハイマーを患っているベテラン女優が、夫と別居状態で、配偶者にケアもしてもらえず、パリ郊外にあるアパートで、一人寂しくアルツハイマーと糖尿病と戦っていると伝えた。実名は挙げなかったが、ユン・ジョンヒを連想させる内容だった。これに対してペク・ゴヌは、「我々は、一緒に演奏旅行に通ったが、数年前からユン・ジョンヒの健康が急激に悪化し、数十時間にのぼる長い旅路に同行できない状況となった。しかし、家族と離れて生活しなければならない介護病院よりは、家族と近くで親密に過ごすことができる環境であるペク・ジニのマンションのすぐ隣の家で、ペク・ゴヌの家族と裁判所が指定した介護人の温かいケアの下で生活できるようにしている。書き込みの内容とは違って、定期的な医者の来診および治療と共に気楽で安定した生活をしており、言及された『制限された電話及び訪問の約束』は、いずれも裁判所の判決の下で決定された内容であることをはっきりと申し上げる」と伝えた。また「現在、ユン・ジョンヒは安泰で安定した生活が必要だ。女優という理由だけでプライベートが細かく公開される状況は望んでいない。確認されていない事実をもとに作成された悪質な書き込みの流布やデマの作成、推測性の報道など、女優と女優の家族の人格と名誉を毀損するすべての行為を、やめていただきたい」と呼びかけた。・女優ユン・ジョンヒ、海外で家族のサポートなしに闘病生活?国民請願の内容に衝撃夫は否定・ハン・ジミンからユン・ジョンヒまで、女優が続々号泣「第38回韓国映画評論家協会賞」授賞式の現場が話題
女優ユン・ジョンヒ、海外で家族のサポートなしに闘病生活?国民請願の内容に衝撃…夫は否定
アルツハイマーと糖尿病により闘病中である女優のユン・ジョンヒの近況が、人々に衝撃を与えている。最近、韓国大統領府の国民請願の掲示板には「外部と断絶され、一日一日倒れていく映画女優Aさんを助けてください」というタイトルの請願が掲載され、大衆の注目を集めた。この書き込みをした人物は「Aさんが別居状態で、配偶者にケアしてもらえず、パリ郊外にあるアパートで、一人寂しくアルツハイマー、糖尿病と戦っている」とし、「Aさんが直系家族である配偶者と娘から放置されたまま、ほとんどの時間を一人で過ごし、大変な闘病生活をしている。残念ながら、一人で外に出ることもできず、監獄のような生活をしている」と書き込んだ。そして娘と夫、治療過程についても具体的に言及、これを受けAさんが女優のユン・ジョンヒであることが知られた。ユン・ジョンヒの闘病は、過去に彼女の夫であるピアニストのペク・ゴヌが、マスコミのインタビューで明かした。今回の国民請願をうけ、ペク・ゴヌ側が書かれていた内容を否定した。ペク・ゴヌ側は「内容は偽りであり、根拠のない主張だ。家族と離れて生活しなければなら療養病院より、家族と密接に過ごすことができる環境である、娘ペク・ジニのアパートのすぐ隣で、ペク・ゴヌ家族と裁判所が指定した介護者の温かいサポートの下、生活できるようにした。(国民請願の)内容とは異なり、周期的な医師の往診や治療の下、快適で安定した生活を送っている」と伝えた。ユン・ジョンヒは、これまで数々の授賞式で主演女優賞などを受賞してきた実力派女優だ。 ・イ・チャンドン監督映画「ポエトリー アグネスの詩」日本上映決定・Vol.1 ― ユン・ジョンヒ 「『ポエトリー』はカンヌ国際映画祭の作品賞としても十分な映画」
ハン・ジミンからユン・ジョンヒまで、女優が続々号泣…「第38回韓国映画評論家協会賞」授賞式の現場が話題
新人女優賞を受賞したキム・ガヒから始まった涙の受賞スピーチが、主演女優賞ハン・ジミンと功労映画人賞ユン・ジョンヒにまで続いた。「第38回韓国映画評論家協会賞」授賞式の現場で、女優たちが涙を流した。13日午後6時30分、ソウル中(チュン)区韓国プレスセンター20階国際会議場では、韓国映画評論家協会が主催する「第38回韓国映画評論家協会賞」授賞式が開催された。CBSシン・ジヘアナウンサーと俳優キム・ジフンが司会を務めた。この日の授賞式で初めて涙を流した女優は、新人女優賞をもらったキム・ガヒだ。キム・ガヒは7月19日に公開された「パク・ファヨン」で18歳の高校生パク・ファヨンに扮し、劇的に増量してリアルな演技で驚きを与えた。キム・ガヒは「目を向けたくない映画、目を向けたくない役だった。初主演作が苦しかったけど、幸いパク・ファヨンという役が私に来て、役者としても成長させてもらい、パク・ファヨンも世の中に出ることができたと思う」とし、涙を流した。また、「演技をする瞬間から幸せな人だと思ったけれど、人生を生きながらはそうでなかった。とんがった石だと思っていたけど、原石だと選んでくれた監督に感謝している。これから心をこめて近づいていく女優になるように頑張る」と伝えた。新人女優賞で始まった涙は助演女優賞でも続いた。クォン・ソヒョンは「ミス・ペク」で娘を虐待する非情な継母チュ・ミギョン役を務めた。3年前に「マドンナ」を通じてを通じて映画評論家賞で新人女優賞を受賞したクォン・ソヒョンは、「ミス・ペク」でもう一度助演女優賞を受賞した。彼女は「泣かないつもりだったけど、やっぱりまた涙が出てくる」とすぐに涙を見せ、「『マドンナ』の後、またこのような場に立つことができるだろうかとすごく不安だったし、怖かった。だから『ミス・ペク』という作品はぜひやってみたかったし、やりきらなければならなかったので、愛する作品を通り越して愛憎の作品だった。今この場にいられるのは『ミス・ペク』の監督とハン・ジミン姉さんがいたからだと思う。その映画を撮る時、全スタッフと俳優の方々が映画という目的1つで本当に一生懸命作った」とし、目頭を押さえた。クォン・ソヒョンは「これはたった1つだけ準備したコメントであり、気持ち悪いかもしれない。私は細部まで見てこそ綺麗な女優だと思う。そういう私を温かい心で細部まで見てくれ、励ましてくれた評論家の方々に感謝申し上げる。これからもっと勇気を出して一生懸命演技して、長く見て愛らしい女優になれるように努力する」とし、涙を拭った。「ミス・ペク」でクォン・ソヒョンと共演したハン・ジミンは、同僚の涙を見ながら一緒に涙ぐんだ。男女助演賞の後、男女主演賞の授賞式が行われ、「ミス・ペク」でこれまでの清純なイメージを脱ぎ捨てペク・サンアに扮し、180度変身したハン・ジミンが受賞した。ハン・ジミンは「今日綺麗にしてきたのに、クォン・ソヒョンさんのせいで泣いてしまった」というコメントで始めた。ステージに上がり、涙のため言葉に詰まっていたハン・ジミンは「この映画が出るまですごく難しくて、大変だった。だから公開されるだけでも感謝した。今この瞬間も夢みたいだ。厳しい過程をちゃんと戦い、映画を完成してくれた監督と、映画のメッセージのためこれは作られなければならないと言ってギャラを下げて作品に参加してくれたスタッフ、私が参加できるようにエネルギーをくれたすべての俳優たちに感謝している。いつも主演女優として申し訳ない気持ちがあった。だから今日、クォン・ソヒョンさんの受賞が自分の受賞よりも嬉しかった。その方々に少しでもお応えできて、力になれるんじゃないかと思って、やっと安心した」と話した。また、ハン・ジミンは「『ミス・ペク』を見守ってくれた観客の方々にも感謝し、子どもたちにとって希望になればと思う。これからもっと多くの女性映画と社会的な問題を取り扱った映画が出てくることを心より応援したい。この賞の重さを、不当なものに立ち向かって新しく挑戦する勇気にし、思いっきり挑戦する」とし、涙ぐんだ。ハン・ジミンが涙を流すと、今度はクォン・ソヒョンがハン・ジミンを見ながら涙を流した。最後に功労映画人賞を受賞したユン・ジョンヒは、受賞スピーチをしながら、4日に肺がんで死去したシン・ソンイルに言及しながら涙を流した。ユン・ジョンヒは「故シン・ソンイル先生と100本の映画を撮った。次回作を一緒に撮りたかったが、それができなくて残念だ。今日のこの賞をシン・ソンイル先生に捧げたい。今涙が出そうだ」とし、目元を拭った。・【PHOTO】ナム・ジュヒョク&ハン・ジミン&チュ・ジフンら「第38回韓国映画評論家協会賞」授賞式に出席・「ミス・ペク」ハン・ジミン人生のキャラクターという評価に感謝休まずに挑戦していく【第38回映画評論家賞 部門別授賞者(作)】最優秀作品賞:「1987、ある闘いの真実」((株)ウジョンフィルム制作)功労映画人賞:ユン・ジョンヒ監督賞:ユン・ジョンビン「工作 黒金星と呼ばれた男」主演女優賞:ハン・ジミン「ミス・ペク」主演俳優賞:イ・ソンミン「工作 黒金星と呼ばれた男」助演女優賞:クォン・ソヒョン「ミス・ペク」助演俳優賞:チュ・ジフン「工作 黒金星と呼ばれた男」国際批評家連盟韓国本部賞:イ・チャンドン「バーニング」脚本賞:クァク・キョンテク、キム・テギュン「 暗数殺人」撮影賞:ホン・ギョンピョ「バーニング」音楽賞:キム・テソン「1987、ある闘いの真実」技術賞(視覚効果):チン・ジョンヒョン「神と共に-罪と罰」特別賞:故ホン・ギソン監督新人監督賞:チョン・ゴウン「小公女」新人女優賞:キム・ガヒ「パク・ファヨン」新人俳優賞:ナム・ジュヒョク「安市城」独立映画支援賞:キム・イルラン、イ・ヒョクサン「共同正犯」/チョン・ゴウン「小公女」新人評論賞:チョ・ハンギ
【PHOTO】ナム・ジュヒョク&ハン・ジミン&チュ・ジフンら「第38回韓国映画評論家協会賞」授賞式に出席
13日午後、ソウル市中(チュン)区の韓国プレスセンター国際会議場で開かれた「第38回韓国映画評論家協会賞」の授賞式に、ナム・ジュヒョク、ハン·ジミン、チュ・ジフン、キム・ジフン、イ・ソンミン、クォン・ソヒョン、キム・テソン、ユン・ジョンヒ、キム・ガヒらが出席した。・【PHOTO】ナム・ジュヒョク「第2回THE SEOUL AWARDS」レッドカーペットに登場・ハン・ジミン&ハン・ヒョジュら、美女4人の誕生日パーティーが話題笑顔で記念ショット
イ・チャンドン監督 「まだ私たちには多くの時間とチャンスが残っている」
第63回 カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した「ポエトリー アグネスの詩」で主演を務めたユン・ジョンヒとイ・チャンドン監督が、26日帰国した。彼らが帰ってくるまでの間、韓国では「ポエトリー アグネスの詩」のシナリオが昨年の韓国映画振興委員会のマスター映画製作支援審査で0点という評価を受けたことが大きな議論となった。また、ユ・インチョン文化体育観光部長官が「ポエトリー アグネスの詩」への批判ともとれる発言をしたとの報道が流れ、ユ・インチョン長官側が反論するという騒ぎとなった。二人は受賞の喜びも束の間、映画の作品性を巡る議論に巻き込まれてしまった。そして渦中の二人が帰国した26日、ソウル新村(シンチョン)にある現代デパート、ユーフレックスで開かれた記者会見で、率直な感想を聞かせてくれた。―受賞した感想を聞かせてください。ユン・ジョンヒ:率直に私はパルム・ドール(カンヌ国際映画祭の最高賞)をもらったらと思いました。誰でもそんな想像はするでしょう?(笑) その点では少し惜しい気もします。「カンヌで色んな方から賞賛のお言葉を頂いたのが、私の財産です」―ノミネートされたからには、主演女優賞を受賞したいという気持ちはなかったのか。ユン・ジョンヒ:世界的な映画祭で私たちの映画がノミネートされただけでも十分幸せです。いろんなマスコミを通じて報道されましたが、海外メディアからも高く評価されたんです。審査委員長のティム・バートンさんが「あなたの演技は最高だった」と言ってくれました。ある映画評論家は私が賞をもらえなかったことに自分が腹が立って腹が立ってしょうがなかったと言ってくれたりして。夫と私はそれが賞を受けたのと同じくらい嬉しいことだと思ってます。いろんな方から賞賛のお言葉を頂いたのが、私の財産です。―映画祭閉幕式に参加してほしいという話を聞いた時にパリにいたと聞いた。パリで何をしていたのか?(笑) イ・チャンドン:カンヌから少し離れた場所に行きたいなと思って、家族と一緒にパリで観光をしていました。知り合いと会ったりしたんです。―カンヌ映画祭では映画のどこが魅力的だと思われて脚本賞を受賞したと思うのか。イ・チャンドン:きっとカンヌ映画祭関係者の中の誰かが、脚本賞にふさわしい映画がなくて脚本賞を与えたと冗談を言ってました(笑) それだけ脚本が優れた作品があまりなかったようです。審査委員長のティム・バートンからは「すごく感動的で、心に響いた」というお褒めの言葉を頂けました。たぶん映画が伝えようとしていることを心で感じ取ったんじゃないかな。ユン・ジョンヒ:この映画って魅力的じゃありませんか?賞賛するのは当然だと思います(笑) 本当に幸せな限りです。―「ポエトリー」に対する海外評論家の反応はどうだったか。韓国と違ったところなどはなかったのか。イ・チャンドン:韓国での公開とカンヌでの紹介がほとんど同時に行われて、韓国の観客の反応はあまり聞いてないんです。記者会見やVIP試写会の後の反応と観客が劇場で見た反応、カンヌでの映画関係者と記者たちの反応が、それほど違ってはいなかったんです。映画のセリフって一般馴染みのある文法ではないのですが、情緒に強く訴えかけるところがあって。それで翻訳を心配したんですけど、非常に奥深い部分まで理解して共感していただいたようで、映画で使われるセリフの文法というのは、普遍的だなと思いましたね。ユン・ジョンヒ:内容が難しいと言った人はあまりいなかったのです。ある方は本当におもしろいと、またある方は一人の女性の人生を詩を通して描かれているところが良かったと言ってくれました。不満を言った人は詩の朗読が長すぎたというくらいですかね。これは質問と関係ない話ですけど、フランスでは(興行を)期待をしてました。フランスの大手配給会社diaphanaから製作費の一部を出してもらっていたのですが、そこからインタビューのオファーを受けました。それでインタビューはお断りしていますと言ったら、映画の宣伝も映画を公開する上で重要な要素のひとつだと言われて、それには自信があるのでぜひインタビューに応じてほしいとお願いされて。ですから、8月にフランスで公開されれば韓国よりはもう少し手ごたえのある反応が実感できるんじゃないかと思ってます。「ユン・ジョンヒさんは主演女優賞を受賞されると期待しました」―フランスで韓国映画はどのように評価されているのか。ユン・ジョンヒ:青龍映画祭の審査員を10年間務めながら、ホン・サンス監督の「豚が井戸に落ちた日」や、ホ・ジノ監督の「8月のクリスマス」を見て、韓国の映画って本当に良いなと思いました。それと私の夫も海外での演奏会が終わったら、その国の友人たちとお酒を飲むんですけど、その時、妻の私が女優だと分かったら必ず「韓国の映画は素晴らしい」と言ってくれます。これからも韓国の映画界にはもっと発展してほしいです。―二人にとってカンヌ映画祭はどんな意味を持つのか。イ・チャンドン:カンヌ映画祭は全世界が注目する映画界最大のイベントで、そこでの評価がマーケティング的な部分でも無視することはできないほど大きな影響を与えます。私たちの映画にとっても、韓国の観客だけでなく世界の観客に紹介できる場となりました。でもプレッシャーもあります。映画というのは、それぞれの国の美徳と価値を持っている創造物みたいなものなので、オリンピックのように記録を測ったり勝負を争うことはできないんです。でも多くの人から期待されているので、そこからくるプレッシャーはありました。でもユン・ジョンヒさんは現地でも主演女優賞の受賞が期待されていたし、撮影する時も目の血管が破裂するほど頑張っていただいたので、受賞できたらなと思いました。ユン・ジョンヒ:賞をもらいたくてあそこまで頑張ったわけではないです(笑) ミジャというキャラクターにハマっただけで。国際映画祭の審査員はやったことがあるんですけど、カンヌは初めてで、それほど気にしなかったのです。主演女優賞って興行とも関係がありますので。私は、映画祭は良い映画と映画関係者のためにある場所だと思ってます。ティム・バートンのような監督に出会えるチャンスなんて、そうそうあるわけではないし。なので監督は心配しなくていいですよ(笑) ―映画の最後に出てくる詩が、ノ・ムヒョン大統領を連想させるという話があるが。イ・チャンドン:最後の部分は映画全体の構造で見ればミジャの思いを綴った詩です。また、世の中の美しさを探す過程で、この美しさはどこからくるかという質問に対する答えでもあります。その詩では、世の中の美しさというのは美しい形としてだけ存在するのではなく、私たちの人生の中にある汚いところに気づいた瞬間にその美しさは生まれるということが表現されています。なので誰かの死を連想するのは自然だと思います。それを死と限定するのは詩の意味に幅がなくなるという恐れもあります。観客によっては自分と一番親しい人を連想する人もいると思います。それは観客の自由なので、私があれこれ言うのは間違っていると思います。―韓国映画振興委員会のマスター映画製作支援審査で、シナリオについて0点という評価をしたということが話題になっている。それについてどう思うのか。イ・チャンドン:それについてはノーコメントということでお願いします。「『ポエトリー アグネスの詩』は難しくない映画」―ユン・ジョンヒさんをキャスティングした理由は?イ・チャンドン:それまで会ったことがなかったので、釜山(プサン)映画祭で会ってユンさんのキャラクターというか、彼女の内面に惹かれましたね。それで、たぶん僕が考えるミジャという人物と俳優としての彼女、また一人の人間としての彼女に出会った気がしました。ユンさんの本名がミジャだったのは偶然のような必然だったかもしれません。シナリオを書きながらもミジャとしてのユンさんの姿を想像しましたが、それでユン・ジョンヒという人物にさらに近づいたという感じがします。その前までは、出会いの理由なんて考えたことはなかったんですが、今思うと必然的な出会いだったと思います。映画を撮りながらユン・ジョンヒという人物を通じて、ミジャってこんな人だったんだな~と気づきました。ユン・ジョンヒ:映画が終わって本当に聞きたかったことは、どうやって私と瓜二つのミジャを描いたのかというこです。自分自身を演じているという気がするほど、共通点が多かったんですね。―次回作は決まっているのか。イ・チャンドン:頭の中にいくつのストーリがあるが、それを形にできるのか、自信がないんです。ユンさんと再び仕事できるならば非常に良いですが、それも人の力でできるものではないし。僕はいつもそれが物語であろうが、映画であろうか、創造物っていうのは意図して作るのではなく、自然に作られるものだと思ってます。作られることができる時が早く来れば良いんですけど、今は何とも言えないですね。ユン・ジョンヒ:監督の言葉通りだと思います。次の作品のシナリオも受け取ったし、気に入る作品もあるんですが、まだミジャの役が抜けきれてないので、作品を選択することができるか分からないです。このように強くて美しい人物を演じることができて、とても幸せです。良い作品に会うにしても2年くらいは何もできない気がします。イ・チャンドン:長く映画を続けることができれば、ユンさんとはもっとシワも白髪も増えた時にまた会えればと思います。まだ私たちには多くの時間と機会が残っていると信じてます。ユン・ジョンヒ:そう言ってもらえて嬉しいです。私は90才まで生きるのが夢なんで、80才、90才の私の姿を想像してもらうのはすごく有り難いことです。ありがとうございます(笑) ―映画をまだ見てない方々にひと言お願いします。ユン・ジョンヒ:ポエトリー、詩というタイトルにあまり現実味がないと思って、見るのをためらっている方もいると思います。でも、詩を通して、一人の女性の苦痛、夢見る人生と心の痛みを表現する過程を美しくて悲しい映像で伝えている映画です。難しい映画ではないので、多くの方々に見てもらえたらと思います。
Vol.2 ― ユン・ジョンヒ 「自分の生き方を再現する作品と出会えることを希望に生きる」
―では詩を書いてみたことはありますか?ユン・ジョンヒ:学生のころしかありませんね(笑) 変わりに朗読は結構しましたよ。有名な詩人のソ・ジョンジュ先生の作品を朗読レコードで出したこともありますし。私たち夫婦は、普段からソ・ジョンジュ先生に可愛いがってもらっていましたので、その恩返しとして夫が演奏をし、私が詩を朗読したんです。朗読する前は先生と詩の勉強をしたりしてまして、レコードが出た時は先生が本当にお喜びになったんです。先生の詩は朗読にとても適していましてね。「ポエトリー アグネスの詩」を撮影する前は詩集を10冊ほど枕元において読みまして、その時に心に残ったのがキム・ヨンテクさんの詩でした。読めば読むほど安らかに心にしみ込んで来るんです。彼の詩が気に入っていたので、彼がこの映画に出演してくれてびっくりしました。演技が上手なことにも驚きましたけど(笑) 「もともと俳優が夢ではなかった」―普通の人は歳を取るほど、詩を読んで感動するという感受性を維持するのが難しくなります。先生はそうした点では他の人と大変違う暮らしをなさっているようですが。ユン・ジョンヒ:生まれつきの性格でしょうね。韓国で映画を撮っていた時も、フランスで暮らしている今も変わらないようです。国の雰囲気や友達が少し変わったくらいですね。それはどうしてかというと、俳優をしていたころもカメラの前に立っているときだけ俳優でしたから。スタジオから出れば、私は私、本名のソン・ミジャに戻るんです。そのミジャはどこの国に住んでも変わってませんし、それが今まで続いたようです。もしそうでなかったらとても不便だったでしょうね。―ほとんどのスターは私生活でもスターの姿を維持しようとする面がありますが。ユン・ジョンヒ:私は反対でした(笑) 俳優暮らしも全然派手ではなかったし。ファンが私をスターにしたのであって、私の心の中にはスター意識と言うものがありませんでした。私の名前はソン・ミジャですが、あの当時も今も俳優という職業はとても派手な職業と思われていましてね、だからそうした暮らしの中でも静かに暮らしたいという思いから静かなジョン(静)に女のヒ(姫)を書いてジョンヒって芸名を付けたんです。ユンという苗字は友達の中にとてもきれいで優しい子がいて、その子の苗字がユンだったから、勝手にユンって付けたの(笑) ―それだけ俳優でない、自分だけの人生を望んでおられたということですね。過去のインタビューの中で俳優業を5年だけしてやめようと思っていたのに、2年も長引いてしまったとお話していますが。ユン・ジョンヒ:もともと俳優が夢ではなかったからです。偶然だったんですよ。本当は勉強を続けて、将来は大学教授か外交官になりたかったんです。だから5年だけやったら米国へ留学しようと思っていたのに、当時韓国は映画界の黄金期だったでしょ?それで本当にいい作品ができて、簡単にやめることのできない立場になって、それで7年そのまま居座ったんです。そして1972年に、有名なシン・サンオク監督と映画をハンティングしにパリに行くことになり、その時に私の行くべきところは米国ではなくパリだって思ったんです。リュミエール兄弟が映画を作った場所、パリだってね。―しかし1200分の1の競争を勝ち抜いて「青春劇場」の主演としてデビューしましたよね。それは普通、俳優になりたいという意思が相当ないことにはできないことじゃないですか?(笑) ユン・ジョンヒ:友達から「青春劇場」のオ・ユギョンを選ぶんだって聞いて偶然受けたんです(笑) 実際、当時面接の最後にスクリーンテストがあったんですけど、現場では誰々に決定してるなんて話が飛び交ってましてね。私の短所は、不必要なくらいプライドが高いところでして(笑) だからそれを聞いてすぐにオーディションを受けている途中で帰ってしまったんです。それからソウルの真ん中を流れる漢江(ハンガン)のほとりを歩いていたら誰かが説得しに来て、それで帰ってスクリーンテストを受けたんです。―生意気でしたね(笑) ご両親がすごい自信を与えて育てない限り、幼い頃からそうした考えを持つのは難しいと思うのですが。ユン・ジョンヒ:父親がすごいロマンチストだったんです。私をフランスへ行かせるのが夢だったんですって。弟や妹はアメリカに行かせるのが夢でね。結局はその通りになりましたけど。幼稚園の頃から舞踊や合唱を習わせたりしてましたし。それが演技にすごく役立ちましたよ。バレエや古典舞踊を習っていたから、映画でダンスの必要な場面があると知らずに体が動いてくれましたから。―すごいですね。当時だと簡単なことではなかったはずですよ。ユン・ジョンヒ:父親が東京の留学生だったんです。日本で法大に通っていて、学生のころに俳優と撮った写真なんかがいっぱいあるんですよ(笑) 俳優になりたいわけではなかったけど、そういうのに興味があったみたいです。「死ぬまで映画から離れないかも」―ジョンヒさんもお父様のように芸術やロマンに興味が多いようですね(笑) 俳優やスターになるのが目標なのではなく。ユン・ジョンヒ:ええ。一番忙しかった時などは個人の生活がまったくありませんでしたから。外出すれば女子生徒が群がって来るし、男性の血書とか受け取ってましたから(笑) そうした愛情はありがたいものですけど、なにしろ自由がないですよね。だから自由を求めてパリへ行き、映画の勉強をしたんです。そしていいシナリオが来るといつでも韓国へ戻って演技をしてね。結婚しても20作品くらいは撮ってますよ(笑) 本当に素敵ですよね。女性でも男性でも若さがすべてではありませんから。素敵に生きている90歳の女性も本当に美しいと思いませんか?どうしたら美しく時を過ごせるのかを考えながら、今までの私の生き方を再現できる作品に出会うという希望を抱いて暮らしているんです。―そうした点では、フランスへ行かれてから選択した作品の方がより特別な意味がありそうですが。ユン・ジョンヒ:そうです。一作品ずつ撮っていますからね。一作品ずつやるようになってから、その作品をより大事にして、より掘り下げるようになったんです。それに「マンムバン」を撮ってから15年の間、様々な分野から仕事の依頼が来ていたんですけど、待っていたらこんなにいい仕事が入ってきたでしょ?(笑) 自由をさがそうと決心してからは、映画を撮るごとに映画が大事になっていったんです。役者は人の生き方を再現するわけですから、私が死ぬまでこの世界から離れることはないと思います。―そうした感性を維持するのにフランスという国での生活はどんな影響を与えましたか?ユン・ジョンヒ:フランスでの暮らしが大きな影響を与えたとか、そういうのはないようです。ただパリは芸術の都でしょ?本当に展覧会も多いし、音楽会も多いし、それにすごく自由なんです。誰も人のプライベートには関与しないんですね。そうした自由な空気が影響を与えている面があるかもしれませんね。私たち夫婦は世界中を旅するんですけど、確かにパリへ帰ると違う何かがあります。でも私に最も大きな影響を与えるのは家族です。私がこうして仕事ができるのも、私の家族が私以上の映画好きで、私がいい作品に出るのを本当に喜んでくれるから可能なんです。―「ポエトリー アグネスの詩」をしながら夫であるピアニストのペク・コンウ先生の前で初めて演技の練習をしたと聞きますが。ユン・ジョンヒ:前は全然したことがないんです(笑) 今までは一人でもできたから。でも本当に上手くやりたいシーンがあって、それを演じるには他の人が必要だったんです。いつも努力を怠ってはいませんが、今回は特にそうでしたし。逆に夫の音楽については多くのことを話しています。夫が演奏プログラムを組む時も、「これ聞いてくれる?」って聞かせてくれますし。私をクラシック好きの聴衆だと思って意見を聞いて来るんですね。もちろん私が映画を撮るときは夫がいろんなアイデアをくれますけど。―それほど映画が好きなのに、フランスにいながらカンヌ映画祭には一度も行ったことがないんですよね。ユン・ジョンヒ:自分の作品もないのに行く必要ないでしょ?遊びに行く時間はなかったから(笑) ―今回ようやく行かれるんですよね(笑) 気分はどうですか?ユン・ジョンヒ:カンヌの雰囲気を経験できてすごく嬉しいですよ。それに国際映画祭の審査で最も素敵なことは、素敵な映画関係者に出会えるということです。そこでいい映画人と出会いたいですね。―先生の作品の中で記憶に残る作品の中には、小説を原作にした作品が多いですね。文学的な感性の漂うような。実際にそうした作品が記憶に残るともお話ししていますし、「ポエトリー アグネスの詩」に対しても文学的だと表現しています。ユン・ジョンヒ:ええ。なるべく素敵な作品がやりたかったんです。文学作品はすべて原作が素晴らしいし、いい監督と組みたかったからラッキーだったと思います。ユ・ヒョンモク監督やシン・サンオク監督あの方々から本当に大切にしていただきました。―カンヌのレッドカーペットの衣装はお決まりですか?ユン・ジョンヒ:ご想像にお任せします(笑)
Vol.1 ― ユン・ジョンヒ 「『ポエトリー』はカンヌ国際映画祭の作品賞としても十分な映画」
信じられないが、信じざるをえない話がある。ユン・ジョンヒが最高に人気があった時、彼女はある映画祭で賞をもらった後、ソウル市内でカーパレードをした。そしてさらに信じられない話がある。ユン・ジョンヒは、その人気を後にして、もともとの計画の通りフランスへ行った。韓国の映画史を飾った最高のスターであり、フランスに行った後も絶え間なくシナリオの話が持ち込まれる、今もファンクラブがある女優。そして15年ぶりの作品で、イ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」を選択した女優。ユン・ジョンヒは、いったいどんな人生を生きた女優なのだろうか。彼女に人生と映画について聞いてみた。 ―映画「ポエトリー アグネスの詩」の公開に合わせて、いろいろなメディアで立て続けにインタビューを受けているが、このような経験は初めてですか。ユン・ジョンヒ:初めてです。昔、人気があった時は時間がなくて、記者たちが現場に来たり、団体で来る場合が多かったんです。だけど、今回は「ポエトリー アグネスの詩」を愛していて、俳優として作品だけ終わらせて発つよりは良い作品を最後まで正しくお知らせするのが私の義務だと思いました。新しい人とインタビューをしたら、新しいものもたくさん学べて良いです。「35回も撮ったシーンもあります」―本当に「ポエトリー アグネスの詩」に満足したんですね(笑) ユン・ジョンヒ:そうですね。この映画を見れば、私の話に賛成するでしょう。「ポエトリー アグネスの詩」がカンヌ映画祭に出品されましたが、私が審査委員だったら、本当に「ポエトリー アグネスの詩」に作品賞を与えたいです。他に極上の素晴らしい作品が出てこない限り、作品賞として十分な作品です。―その素晴らしい作品とはたぶん「ポエトリー アグネスの詩」となるでしょう(笑) イ・チャンドン監督とはどのようにしてお知り合いになったのですか。ユン・ジョンヒ:できる限り良い映画をたくさん見ようとしています。イ・チャンドン監督の映画も、当然全部見ようとしました。以前は映画祭の審査をたびたびしていたので、大画面でよく見ていたけど、イ・チャンドン監督の映画は残念ながらDVDで見るしかなかったです。見ながら、こんなに素晴らしい監督がいるんだなと思いました。―イ・チャンドン監督の作品の中で、最も印象的な作品は何ですか。ユン・ジョンヒ:「ポエトリー アグネスの詩」です。(笑) ―ハハハ。イ・チャンドン監督からはどのように「ポエトリー アグネスの詩」の出演を説得されましたか。ユン・ジョンヒ:説得はまったくありませんでした。イ・チャンドン監督が私たち夫婦と監督の奥さんと4人で一緒に食事しましょうと誘ってくれて、食事をして、コーヒーショップに行った時、話があると言っていました。監督が私を念頭に置いてシナリオを書いているが、ずっと黙っていることが気になっていると。その話を聞いて私たちは「わー!」と感嘆しながら喜びました。タイトルも聞かずに、どんなストーリーなのかも知らずに、その場で了解しました。最近の若者たちがこう言っていました。「感動です」。(笑) その通りでした。―「ポエトリー アグネスの詩」は女性主人公が全体的に映画を引っ張っていくと言っても過言ではない作品で、俳優として大変な部分も多かったと思います。シナリオを渡された後、どんな気持ちでしたか。ユン・ジョンヒ:シナリオを読んでみたら、作品の90%以上を私が引っ張っていかなければならない内容でした。それだけ責任感も大きく感じましたが、シナリオがとても良くて、ミジャ役もとても魅力的でした。観客たちがこの映画を見ながら、夢を見て、美しさの中で人生を送れたら良いなと思いました。もちろん映画の中で大きな事件も起こるけれど、私たちの人生の中には平和で美しいことだけあるわけではないでしょう。―しかし、ミジャを演じることは簡単ではなかったと思います。ジョンヒさんの「霧」のような過去の作品を見たら、その時の演技は今より演劇的な感じが強かったです。最近の俳優は、できる限り自然に演技をするほうです。特にイ・チャンドン監督は、俳優に最大限に自然な演技を注文しています。ユン・ジョンヒ:この映画は恋愛ドラマでもなく、サスペンスでもなく、エロティックなものでもありません。極端な演技ではなく、多様で繊細な演技が必要でした。それにイ・チャンドン監督は実に事実主義の演出をするでしょう。セットやデコレーションひとつまで、エキストラも普通の人のように自然に演技しなければならないし、そのような演技をするためには努力が必要でした。ある時は1、2回でOKが出たり、難しかったときは35回も撮り直したこともありました。しかし、100%うまくいく映画がどこにありますか。解けない場面で答えを見つけた喜びが幸せをくれます。自然に演技をすることは簡単ではなかったけれど、すべてのスタッフやイ・チャンドン監督と呼吸がよく合っていたので、苦痛ではなかったです。正解を探すと言うより、絶えず会話をしながら少しずつ結果を出したような感じです。「イ・チャンドン監督と話しながら、私も知らなかった自分を発見」―35回も撮ったのはどんなシーンでしたか。ユン・ジョンヒ:あるおばさんに会って、何かをお願いするシーンがありました。だけどその時、ミジャはある面ではロマンに酔っていた状態です。若干、幻想に陥っている人のようでもあり、それが現実で起きていることだけど、本当は非現実的な瞬間であるかもしれない、その姿をどうやって自然に、ミジャのように演技すべきなのかが非常に難しかったです。―イ・チャンドン監督はジョンヒさんの演技についてどのように話していますか。ユン・ジョンヒ:イ・チャンドン監督の演技指導がとても良かったです。自分がシナリオを書いて、自分で演出したので、監督自身が想像しているミジャの姿を多様なアイディアで提案してくれました。イ・チャンドン監督と話をする過程で、自分でも知らなかったユン・ジョンヒを見つけることができたんです。だから対話をたくさんして、二人で仲良く熱心に撮影することができました。35回撮ったシーンも、ミジャと似ている点があって、続けて没頭できました。私もミジャのように時々現実でボーっとして自分に酔ったりもするから(笑) 人生を送りながら些細なことも見逃さず、その美しさに陥るところも似ています。―しかし、ミジャとジョンヒさんの人生はまったく違うと思います。同年代の人だけど、ずいぶん違った女性でしたが、このミジャにどのように近づきましたか。ユン・ジョンヒ:そのことを考えるよりは、瞬間瞬間の気持ちによって動きました。もちろん撮影前にすべて勉強はしましたが、現場では瞬間的な気持ちに忠実したと思います。カメラ前に立つ時は、夢を見るように夢想に陥ります。このような気持ちを維持したことがとても役に立ちました。私は今でも錯覚をしながら生きています。―何をですか。ユン・ジョンヒ:歳を!(笑) もちろん精神と身体の差がありすぎたらダメだけど(笑) でも、学校に通っていた時も本を読むとその主人公に陥っていました(笑) だからデビュー作だった「青春劇場」の女性主人公のオ・ユギョンも、先に本を読みながら実に魅力的な女性だと思い、彼女にのめり込んだことがあります。このような考え方が後になって作品を作るとき、とても役に立ちました。―花を見たら今でも胸がドキドキするとおっしゃいましたが、その時も文学少女だったんですね(笑) ユン・ジョンヒ:花が嫌いな人はいませんよ(笑) 私は胸がドキドキするのではなく、大声で叫びます(笑)
ユン・ジョンヒ“詩のように、花のように”
「おばあさんの服は派手すぎる。この町とまったく似合わない」白い肌、少女のように細い身体、幅広ブリムの帽子。そのため、若いころには「微笑むだけで、男性たちが惚れてしまった」という話にも、うなづいてしまうような女性であるミジャ。そんなミジャが町を歩きまわる。農作業のために顔が真っ黒に日焼けした女たちがいる町を、他人の助けなしでは身動きさえ難しいおじいさんたちがいる町を。しかし、ミジャはこの町に似合わない。家政婦の仕事をしてやっと暮らしている生活保護対象者であるが、詩想を思い浮かべながら無邪気な表情をするミジャは、この町に似合わないのだ。ミジャはそもそも詩が似合う女だ。カン老人(キム・ヒラ)の面倒を見た後はきれいにシャワーを浴び、美しく装いなおすミジャの姿から、暮らしの厳しさなどまったく感じられない。ミジャの姿は、彼女が好きな花のようだ。世の中の騒音や埃にもまれても、依然と美しく町のどこかに咲いている。よく見かけることはないが、どこかに咲いている花それで、ユン・ジョンヒがミジャに扮した。数百本の映画に出演し、血書を書くまでになるほど男たちが惚れて、映画祭で賞をもらえばソウルの街でカーパレードをしたスーパースターのユン・ジョンヒであるから。しかし、ユン・ジョンヒが「ポエトリー アグネスの詩」に出会ったのは、そんな華やかな女優時代があったからでなく、その前後の彼女の人生のためであるだろう。彼女の父親は彼女が幼い頃から、いつかは彼女がフランスに渡って優雅な芸術家の人生を生きることを願った。そして、ユン・ジョンヒは決めた分だけ女優として活動した後、ピアニストである夫と共にフランスに向かった。家族と一緒に映画を見ながら眠る毎日を過ごした彼女。そんな彼女は、夫の演奏に合わせて未堂・徐廷柱(ミダン ソ・ジョンジュ)の詩を朗唱するアルバムも出した。数多くのトロイカ女優(各世代での3大女優)の中で、ある女優は人々のそばに残り、韓国人の心の中で母親的な存在になった。しかし、ユン・ジョンヒはフランスで美しい花になっていた。スタジオでアントニオ・ヴィヴァルディの曲が流れたら、にっこりと笑いながら踊る彼女は、身体を動かせる花になっていたのだ。よく見かけることはないが、どこかに咲いている花。「ポエトリー アグネスの詩」は、ユン・ジョンヒが一生咲き続けてきた容姿を、そのまま街なかに移してきたような映画だ。ミジャがシャワーを浴びるために服を着替える時、観客はまるでか弱い少女のようなユン・ジョンヒの背中を見ることができる。ユン・ジョンヒのその背中は、その町にはなかなか似合わないミジャの存在を現実に映し出す。どんな服を着ても、どんな状況にいても、詩を書くことが似合う女。相変わらず古典的と言えるこの女優のオーラが2010年のスクリーンに映されるとすぐに、まるで詩のように現実から消えたと思った美しい女性が現れた。彼女が書いた私たちの詩しかし、ミジャが見てときめいたアンズのように、詩は壊されたり踏まれる時、人々の次の人生に貢献することができる。60年以上を生きながら、ミジャはまるで町の、もしくは世界の周辺人のように生きてきた。生活保護対象者だったが暮らしが大変とは思わないし、自分に孫を預けて地方でお金を稼いでいるためあまり会えない娘との関係は「友達のような仲」とロマンティックに包んでいた。そして、生きてきた中で起こった多くのことは忘れた。忘却と目を逸らすことで可能になった詩のような人生。しかし、ミジャに似合わなかった町の人々の話が、ある瞬間、彼女の人生に入ってきた時、ミジャはそれ以上、彼らから目を逸らすことも、忘れることもできなくなる。強い日差しの下で日焼けしながら果物を採る女の表情の裏には、誰にも明かせない深い悲しみがあった。身体を動かせない老人には、ミジャが思ってもいなかった姿があった。彼女は自分が知らなかったある秘密を知るようになった瞬間から、ミジャにとって町は、そして現実は、数日前に彼女が見つめていたものとは違う場所になった。詩想を思い浮かべることができないくらいの悲しい世の中になった。そんな現実の中で、ミジャが詩を書くために何かをしなくてならないと言ったら、彼女は何をするべきか。そんな疑問が浮かぶ瞬間、「ポエトリー アグネスの詩」は奇跡を見せてくれる。現実が詩になり、詩が現実を動かす奇跡。そして、町に似合わなかったおばあさんのミジャが、実は世の中の傷を癒そうとする聖ミジャであることを見せてくれる奇跡。そして、実際、本名がミジャであるユン・ジョンヒは、人々から長い間離れていた過去の女優でなく、今の韓国に帰ってきて、我々に自らを振り返って懺悔させる女優になった。そのためずいぶん宗教的と言ってもいい「ポエトリー アグネスの詩」の救援は、韓国の現実と、非現実的なほど美しい芸術家の世界に身を置いたユン・ジョンヒの存在感を通じて可能になった。ミジャは町に似合わない女だ。1960年代のスターであるユン・ジョンヒは、2010年の韓国とは似合わない女優だ。しかし、ミジャは町に、韓国に入ってきた。そして、詩を書いた。我々が見ることができなかった我々の世の中に関する詩を。
イ・チャンドン監督映画「ポエトリー アグネスの詩」日本上映決定
女優のユン・ジョンヒ主演の映画「詩」(監督イ・チャンドン、製作PINEHOUSE FILM)が来月11日、日本で公開される。ドキュメンタリー「牛の鈴音(ウォナンソリ、オールド・パートナー)」の日本配給会社であり「真!韓国映画祭」などを開催して本格的な日本直配ビジネスを進めてきたキノアイジャパンが、今年初の日本直配作品として「詩」を選んだ。第63回カンヌ映画祭で脚本賞を受賞し、世界で高く評価された「詩」は、日本で「ポエトリー アグネスの詩」というタイトルで公開される。日本公開用のポスターと予告映像では、主人公であるミジャ(ユン・ジョンヒ)のクリスチャンネーム・アグネスを強調した。厳しい現実にぶつかったミジャが詩を通じて傷を癒し、自我を探していく過程を叙情的に描いている。日本のキネマ旬報は「確実に傑作となるに違いない」、週刊文春は「日本の映画にはない力が感じられる作品」と評価した。また、読売新聞は「最後の10分間は涙が止まらなかった!」、日本経済新聞は「どんな傾向でどんな物語を描くとしても動揺せず、落ち着いて余裕のある目線で映画を作る監督は、もうイ・チャンドンの以外には存在しない!」と高く評価し、さらに期待を集めている。映画「ポエトリー アグネスの詩」は、来月11日から東京の銀座テアトロを始め、全国巡回で公開される予定だ。