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千日の約束

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  • パク・ユファン「兄JYJ ユチョンとは特別な関係!普段振りまけない愛嬌を役の中で表現した」

    パク・ユファン「兄JYJ ユチョンとは特別な関係!普段振りまけない愛嬌を役の中で表現した」

    不治の病に冒されたヒロインと彼女を一途な愛で支え続ける男、そして家族の究極の愛のドラマ『千日の約束』。アルツハイマーで徐々に記憶を失っていく姉を懸命に支える弟ムングォン役を好演したのは、日本でも人気のJYJ ユチョンの実弟、パク・ユファンだ。兄に似た繊細な感性でその演技力を高く評価された本作について、そして兄への思いを語る。―役者になろうと思ったきっかけは?パク・ユファン:実は、最初は演技に対してまったく関心がなかったんです。でも、たまたま兄(JYJ ユチョン)が「トキメキ☆成均館スキャンダル」のため演技の練習をするのを見たんですが、兄はその役に完全になりきっていたんです。その姿を見て、僕も演技をやってみたいなと。本来なら経験するはずもない他人の人生を経験できるのが魅力的に感じたんです。それで、演技を始めました。―デビュー作の「きらきら光る」はオーディションで出演が決まったそうですが、どんな気持ちでしたか?パク・ユファン:とにかく信じられませんでした。当時、僕はとても未熟でしたし、果たしてうまくできるだろうかというプレッシャーもありました。でも、不安以上に嬉しさの方が大きかったですね。興奮してドキドキしたし。とにかく最善を尽くして、1話から最終話までで、キャラクターも自分自身も成長していく姿をお見せしたいと思っていました。―実際に演技をしてみて、どうでしたか?パク・ユファン:初めてカメラの前に立った時、事前に用意していたように演技ができず、緊張して汗だくになってしまいました。その時の、耳の中でドクンドクンと鳴り響く心臓の音がいまだに忘れられません。でも、1人で練習している時より、実際に現場で演じるほうがたくさんのことを学べるようです。直接ぶつかって経験したほうが、はるかに効果的というか、より本物の演技に近づけるようです。―『千日の約束』もオーディションだったのですか?パク・ユファン:オーディションでした。その時も、とても緊張しましたね。あまりにも有名な監督と脚本家がいらしたので。あとになって僕を選んで下さった理由を聞いたんですが、スエさんととても似ていて姉弟として違和感なく、ムングォン役に最もよく合っていたと言われました。―出演が決まった時の心境は?パク・ユファン:やはり信じられませんでした。僕がこんな作品に出演できるなんて。監督と脚本家の先生は韓国ではあまりにも有名な方々で、しかも共演のスエさん、キム・レウォンさんも有名な俳優です。僕が下手過ぎて、迷惑をかけたらどうしようと不安にもなりました。でも、最善を尽くそう! 先輩たちと先生方にたくさん学ぼうと思いました。―周囲の反応はどうでした?パク・ユファン:もちろん祝ってくれました! 母も兄もこんないい作品に参加できることを喜んでくれましたし、とくに兄は「最善を尽くして頑張れ、いろいろ大変だろうけどその分、学べることも大きいから」と言ってくれました。―脚本のキム・スヒョン作家は俳優にも厳しいことで有名ですが。パク・ユファン:ムングォンという人物は脚本家が作ったキャラクターです。なので、僕がいかに役作りをしようが、回答は脚本家が持っていると思いました。だから、できるだけ脚本家が考えるムングォンを演じようと頑張りましたし、台本の読み合わせの時にも、僕がセリフの言い方、表現を間違えると、その度に先生が「ここはこういう感情でこういう風に表現すればいいのよ」と教えて下さいました。―ユファンさん自身ではムングォンというキャラクターをどう解釈し、どのように演じようと心がけたのですか?パク・ユファン:まず、この姉弟はつらい幼少期をともに過ごしてきたため、普通の姉弟とは違う特別な関係にあると思いました。ムングォンにとっては姉が母であり父であり同志でありすべてなんです。なので、その姉が難病を患っていると知った痛みを、真心込めて演じようと心掛けました。他の誰よりもつらいはずなので、それを最大限に見せようと思ったし、姉のことを誰よりも思う良き弟に見えるよう演じようと心がけました。―泣く演技が多かったと思いますが、その点で苦労はありませんでしたか?パク・ユファン:泣くと言っても、みんな同じ泣き方ではありませんよね。その都度の理由があって、その時々の感情があるので。僕がもし気持ちのとらえ方を間違えて泣きだしてしまったりすると、脚本家の先生が「そうではなくて、こういう気持ちなのよ」と詳しく教えて下さいました。でも、感情を出すシーンは、僕がまだ新人だったこともあって、最初はとても大変でしたね。役に入り込むのも大変だったし。感情を出すために、兄が同じ病気にかかったらと想像もしてみました。はじめは兄を通じてそういった感情を引き出していたのですが、撮影も中盤以降になると、自分自身も知らぬ間に、完全に役に入り込んでいました。スエさんを見ただけで悲しくなり、自然と涙が出てくるほどでした。―ムングォンとユファンさん自身が重なったり、共感したりした部分はありましたか?パク・ユファン:ソヨンとムングォン姉弟は小さい頃から二人きりで、(親に捨てられているので)悲しみも喜びも分かち合ってきた仲です。そういう部分で、僕と兄の関係ととても似ていました。僕も、兄とは特別な関係だと思っているので。そこからムングォンの気持ちを引き出したりもしていました。―ムングォンは理想的な弟に見えましたが、ユファンさん自身はどんな弟なのですか?パク・ユファン:兄にとって誇らしい弟になりたいと思いますが、いろいろと失敗することもあり。兄と2人でいるときは、お互いへの気持ちをあえて表現することはないのですが、離れているときは互いを意識したり、気にしたりします。やはり僕たちは心が通じ合っている、特別な兄弟なんだと。なので、普段、兄に愛嬌を振りまきたくても照れてできない分、ムングォンを通じてソヨン姉さんに表現していたと思う。僕が兄に本当はしたかったことを、代わりにソヨン姉さんにすべて捧げたと思います(照笑)―そのスエさんをはじめ、共演者からアドバイスを受けたり、演技について相談するようなことはありましたか?パク・ユファン:スエさんには常に相談していましたね。「このシーンは、ソヨンの立場から見てどうでしょう?」とか。スエさんの方から「セリフを合わせてみようか」と声をかけてくれたこともあります。何より、先輩方と一緒に演じることそのものが助けになったし、学んだこともたくさんありました。―物語はシリアスでしたか、現場の雰囲気はどうでしたか?パク・ユファン:本当にシリアスで悲しいドラマだったので、そういったシーンを撮るときはスタッフの方々がうまく感情を出せるように雰囲気づくりをして下さったのですが、それ以外はファミリーのように過ごしていましたね。たくさんふざけたり、おしゃべりしたり。それに、僕だけが映るシーンでも、キム・レウォンさんやスエさんなど、先輩方が本当に真剣な顔で僕を見つめているのを見て、とても感動しました。―特に苦労したシーン、悩んだシーンは?パク・ユファン:すべてのシリアスなシーンが大変でした。中でも涙を流すシーンですね。それぞれに別の意味合いがあったので、それぞれを分析するのが最も大変でした。また、分析してから、それを現場で表現するのも大変でしたが、それは本当に演技の勉強に役立ったと思います。―撮影を終えたとき、どんな気分でしたか?パク・ユファン:終ってからも、なんだか悲しい気持ちでした。ムングォンの余韻が残っていた気がします。―「千日の約束」を終えて以降、「美男<イケメン>☆スター誕生」や「あなたなしでは生きられない」と主演作が続いていますが、どこにポイントを置いて出演作を選んでいますか?パク・ユファン:まず、オファーがたくさん入ってくるといいなと思っています(笑) 出演作については、より新しい役をやってみようと思いながら選んでいます。前作とは違うキャラクター、僕の新しい面を見せられるキャラクターを求めていますね。もちろん新しい役を演じるということは、前作よりうまくいかない場合もあると思いますが、挑戦を恐れたりはしません。精一杯、頑張るのみです。―では、演技の面白さを感じるのはどんなときですか? 逆に難しさを感じるのは?パク・ユファン:演じる前はいつも、悔いのないように頑張ろう! と意気込むのですがそれでもやはり悔いることはあって(笑) でも、最も面白くやりがいを感じるのは、僕が想像していた気持ちで役にうまく入り込めたときは、演技を面白く思うし、やりがいを感じますね。最も難しいと感じるのは、役に入り込めないとき、集中できないときです。そんなときも監督がいろいろと助言してくださるので、有り難く思います。―役者以外でやってみたいことはありますか?パク・ユファン:実は、役者の世界に入る前は、僕には夢がありませんでした。そのことにストレスを感じたりもして、僕は何がやりたいのだろうと悩んだこともありました。今、演技の世界は、僕の初めての夢になっています。なので、とにかく今は役者をやっていたいんです。他のことであえてあげればドラムかな。チャンスがあったらドラムはやってみたいですね。―いろいろな役をやることによって発見した、新たな自分はありますか?パク・ユファン:新しいキャラクターを演じるたびに、それは感じますね。ムングォンの場合も、僕ってこんなに泣けるんだとか、僕もこんなに感情を出せる人間なんだと、思いましたし。「K-POP~」のときは、ああ、僕ってこんなに気難しいところもあるんだ、なんて発見がありましたね。―最近のお気に入りは何ですか?パク・ユファン:実は、デビュー作の時から癖になっていることがあって、それは漢江で台本を読むことなんです。今でも時間があるときは、一人で漢江へ行って、静かに台本を読んだりします。―以前プライベートで来日しているそうですが、その時の日本の印象は?パク・ユファン:JYJのコンサートの時に一度来日しましたが、時間がなくてコンサートだけ見てすぐに帰りました。日本は元々美味しいもので有名ですが、そういうグルメを体験できずに帰ったので、すごくもったいなかったです。―来日について、ユチョンさんから助言はありましたか?パク・ユファン:僕も新作「あなたなしでは生きられない」の準備などスケジュールが詰まっていて、兄も「屋根部屋のプリンス」の撮影中なので、一緒に住んでいても家で会えるのは週に1度あるかどうかなんです。来る前に電話では話しましたが、「仕事をしっかり頑張れ」と、それから「美味しいものがたくさんあるから食べてこい」と言われました。それで、今回の来日はとても楽しみにしていました!―日本でやりたいことは?パク・ユファン:日本でもどこでも、ひたすら演技をやっていたいのですが。今回、日本のTVでも「千日の約束」が放送されることになり、またDVDも出るということで、本当に良かったです。僕の顔が日本のTVにも映り、視聴者の方々にあの感動を伝えられるので、本当に嬉しく思っています!■関連サイト・「千日の約束」公式サイト

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  • キム・レウォン、除隊後復帰作「千日の約束」は重厚で悲しくて深みのある恋愛物語

    キム・レウォン、除隊後復帰作「千日の約束」は重厚で悲しくて深みのある恋愛物語

    不治の病に冒されたヒロインと彼女を一途な愛で支え続ける男、そして家族の究極の愛のドラマ「千日の約束」。アルツハイマーで徐々に記憶を失っていくヒロインを愛で支えるジヒョン役を演じたキム・レウォン。除隊後、復帰した役者キム・レウォン、そして、復帰作となったドラマ「千日の約束」について語ったインタビュー。―役者になろうと思ったきっかけは?キム・レウォン:私は元々大韓民国バスケットボール協会に登録しているバスケットボール選手でした。ある時怪我をして2ヶ月くらい休んでいたのですが、その頃父の知り合いの方がCM監督をされていまして、バスケットボールのドリブルの演技の代役を私に依頼されたんです。軽い気持ちで引き受けました。お小遣いもくれるというので。それで撮影しに行ったところ、私の笑顔がきれいだと言ってくださって、せっかくだから記念にひとつ思い出を作ってあげる、ということになりまして、そのCMのメインモデルとして撮影することになったんです。その後またバスケットボールの道に戻ったのですが、バスケットボールをやめた後、そのCMをきっかけに自然といろいろなオファーを頂きました。それで1年後に活動を始めることになったんです。その後も自然にドラマなどの作品に出演するようになりました。こうして今振り返ってみると、大きな夢や意欲を最初から持っていたわけではありませんでした。最初はただのお小遣い稼ぎだったり、周りの人が喜んでくれるから始めたんです。実は私はやるぞと決心して始めるとたいがいはうまくいくのですが、演技だけは自分が思ったとおりになかなかできなかったんです。それでもっとうまくできるようになりたいという欲や情熱が湧いてきて、自然と演技の道を歩んでいました。―役者になって感じた喜びはどんなことですか?キム・レウォン:やはり、ドラマ撮影の後に視聴者の皆さんからの反応があった時です。映画の場合は、映画が公開されてたくさんの方が観てくださって喜んでくださる時ですね。それから、日本でのファンミーティング等のイベントで、ファンの皆さんが私のことを喜んで迎えてくださったり、いつも応援しています、というメッセージをくださったりする時に、一番大きなやりがいを感じます。―演じていて楽しい瞬間はどんなときですか?キム・レウォン:うーん、面白いシーンの撮影をしながらNGが出たりする時ですね。ずっと笑いが止まらなくなってしまうような楽しい雰囲気で撮影をしていると本当に楽しいなと感じます。―笑顔の印象の強いレウォンさんですが、「千日の約束」では愛を貫く苦しい表情も多かったと思います、除隊後復帰作として今作を決めた理由は?キム・レウォン:私にとって、奥深いメロドラマ、悲しいラブストーリーを演技するのにちょうど良い時期だと思いました。30代で最初の作品になるということ、20代では明るくて元気いっぱいのキャラクターをやってきましたが、30代になったので、重厚で悲しくて深みのある恋愛の演技ができたら良いのではないだろうか、と考えました。―脚本、演出スタッフは大御所でしたが、優秀なスタッフに囲まれての撮影の心境はいかがでしたか?キム・レウォン:そうですね。アルツハイマーにかかって死に向かっていく女性を描くドラマなので、撮影自体もシリアスな雰囲気の中で進んでいきました。私も大変でしたが、皆さんが大変だったと思います。特別な作品です。―撮影前に体重を落とされたと聞きましたが、役作りのためにされたことを教えてください。キム・レウォン:演技をしていなかった2年間の間にだいぶ体重が増えてしまったので、この作品のために体重を落としたのが一番大変でした。当時、約15キロ落としました。ダイエットをしながら、時折出てくる台本を読んだりキャラクターの分析をしたりしました。ですが、それほど大きな負担に感じなかったのはなぜかというと、このドラマは非常に堂々としたひとりの女性がアルツハイマーにかかって死にゆく姿を描いているのですが、その女性を愛する男性の役なので、その女性を演じるスエさんには大きな負担があったかと思いますが、自分にはそこまで大きな負担には感じませんでした。―スエさんの印象はいかがでしたか? また、スエさんとのシーンで思い出に残っているシーンを教えて下さい。キム・レウォン:第一印象は、とても素直で純粋で優しくて非常に良い印象を持ちました。実際に現場でお会いするようになってからは、さすがプロだな、と思うようになりました。とても情熱に溢れていて私が困惑するくらいでした。演技に対する情熱と意欲が、溢れ出ていました。思い出に残っているシーンは、ある冬の日にプールで泳ぐというシーンがあるのですが、ドラマの設定としては夏の設定なのですが、撮影をしたのが冬でしかも野外だったのですごくすごく寒くて。スエさんもすごく大変だったと思います。―ドラマで印象的だったところ、お気に入りのシーンを教えて下さい。キム・レウォン:最後のシーンですが、スエさん演じるソヨンがこの世を去った後、この世にはもういないソヨンを思い描きながら一言セリフがあります。「僕はまだ君を愛している」と。その名セリフが印象に残っています。―最後に、日本のファンへ一言お願いします。キム・レウォン:私の役柄は二番目の主人公としてのキャラクターでしたが、個人的にすごくやりたかった作品です。この作品でのジヒョンの役柄は、典型的なかっこいいキャラクターではないので、嫌われる部分もあるのですが、より現実味のある、事実に近い表現をしようと、演技のためにすごく悩みながら努力しました。日本の皆さんがどのように観てくださるか、心配でもありますが気になります。皆さんにはぜひ女性主人公の気持ちになって観ていただき、私のことを嫌いにならないようにお願いしたいです(笑) 真実の愛を描いたドラマですので、そういったことも念頭に置いてご覧いただければと思います。■関連サイト・キム・レウォン ジャパンオフィシャルファンクラブ・「千日の約束」公式サイト

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  • キム・レウォン「韓流ぴあ」8月号の表紙を飾る

    キム・レウォン「韓流ぴあ」8月号の表紙を飾る

    俳優キム・レウォンが日本の韓流雑誌「韓流ぴあ」8月号の表紙を飾った。キム・レウォンは21日に日本全国へ発売される「韓流ぴあ」8月号の表紙と巻頭インタビューを飾った。除隊後の復帰作「千日の約束」で印象深い演技を披露したキム・レウォンは、今回のインタビューで30代初の作品としてそのドラマを選んだ理由など、深い話を聞かせてくれた。日本の韓国ドラマファンのために韓国の最新ドラマをいち早く紹介する新作ドラマ特集では、イ・ソンギュンの医療ドラマ「ゴールデンタイム」、チョン・ユミ、イ・ジヌク、キム・ジソクの「ロマンスが必要2」、ソン・ヒョンジュとキム・サンジュンの名演技で注目を浴びた「追跡者 THE CHASER」、日本のヒットドラマをリメイクしたパク・ソルミ、キム・ミンジュン主演の「親愛なる者へ」、シーズン3を迎えたリュ・ドクファン、アン・ネサンコンビが繰り広げる捜査ドラマ「神のクイズ3」を紹介する。スターインタビューでは今号でもまた華やかなラインナップで日本の韓流ファンの心をときめかせる。まずミュージカル「Jack the Ripper」に出演するSUPER JUNIORのソンミンは、日本公演に対する感想を伝える。またドラマ「ペク・ドンス」や「僕らのイケメン青果店」で各々違う魅力を披露しながら日本で人気急上昇中のチ・チャンウク、「シークレット・ガーデン」のユン・サンヒョン、「キング~Two Hearts」で一層成熟した演技を披露したイ・スンギ、「太陽を抱く月」で今年最高の俳優として急浮上したキム・スヒョンのインタビューが掲載される。ほかにもソン・イルグク、イ・テゴン、カン・ジファン、ハ・ジウォン、キ・テヨン、NU'EST、MYNAME、SS501の末っ子キム・ヒョンジュンなど多彩な俳優とK-POPアーティストのインタビューも見逃せない。そのほかにも映画やドラマの制作発表会現場やミュージカル、ライブの現場スケッチなど、興味深い韓国のエンターテインメント情報を伝える。日本のメディアコンテンツグループぴあ株式会社がマイデイリーと一緒に制作する「韓流ぴあ」は2006年3月に季刊誌として創刊され、正確で素早い韓国エンターテインメントニュースでマニア層を確保し、季刊誌としては異例の5万部販売という驚くべき成果を見せた。現在月刊誌として発売されている「韓流ぴあ」は、着実な成長により日本で多くの関心を集め、韓流エンターテインメント専門雑誌としてトップの座についている。ぴあ株式会社は日本国内の公演、イベント、映画チケットなどを販売・主催しており、出版、公演制作などを取り巻く総合メディアコンテンツグループである。マイデイリーは、2005年10月にぴあ株式会社と戦略的提携を結んで「韓流ぴあ」を共同で制作している。「韓流ぴあ」の韓国内の取材はマイデイリーが担当しており、プレミアム写真のデータベースであるフォトデイリーの写真を全面的に使用し、クオリティの高い写真を収録している点も、「韓流ぴあ」の成長の一助となっている。

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  • チョン・ユミ「何でもやれば出来るという自信がついた」

    チョン・ユミ「何でもやれば出来るという自信がついた」

    女優チョン・ユミが、何でもやれば出来るという自信がついたと、役者としての喜びを伝え、注目を浴びている。チョン・ユミは最近、あるファッションマガジンとのインタビューで「もう、何でもやれば出来るという自信もついた」と語った。彼女は「SBSドラマ『千日の約束』のヒャンギ役のイメージがあまりにも強く、何をしても「ヒャンギっぽい」と言われるのではないのかという懸念はあった。ドラマの最終回が放送された直後は、いきなり忘れられてしまうのではないか焦っていた。SBSドラマ『屋裏部屋の皇太子』のオファーが来たときは、『悪役で大丈夫なのか』と言われたが、むしろ共感の得られる悪役のキャラクターを作ってみたかった」と伝えた。また「演技がとても楽しい。様々な役を演じてみたい。今では、何でもやれば出来るという自信もついた」と付け加えた。また「本物を見せるのが本当の役者だと思う。私が本当に感じるもので演じるべきだと思う。大変でも悩み続けながら、私なりの本物を見せるために努力するのが、そういう心構えを持っている役者が良い役者だと思う」と役者としての覚悟も語ってくれた。さらにチョン・ユミは、この日のインタビューとともに行われたグラビア撮影で、今までキャラクターのせいでいつも短い髪にしていたため、思い切ったメイクロングヘアが似合うのかと心配していたスタッフの懸念を払拭し、細く、美しいボディラインと多彩な表情でスタッフを感心させたという。

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  • My name is チョン・ユミ「あなたのヒャンギ(香り)」

    My name is チョン・ユミ「あなたのヒャンギ(香り)」

    「愚鈍なヒャンギバカみたいなヒャンギ」SBS「千日の約束」でジヒョン(キム・レウォン)に送ったヒャンギのメールは、視聴者の気持ちを代弁するものだった。かわいそうで気の毒だと思っても、友達なら背中を蹴りたくなるほどヒャンギの純愛はもどかしかった。「私もヒャンギが完全に理解できたわけではなかったです。どれほど愛すればそこまでできるのか。怒ることもまったくないんですよ。ヒャンギは」このような世の中に存在するだろうかと思われる人物を表現するために、チョン・ユミが選んだ方法は黙々とした静けさだった。ひたすら何度も台本を読んで、チョン・ウリョン監督の言葉に耳を傾けていたら「いつの間にか私の中でヒャンギが満ちていた」ことに気付いた。やっとヒャンギの恋も理解できるようになったというチョン・ユミの演じ方と、ヒャンギの一人だけを見つめる恋の方法は、双子のようによく似ている。トーンの低い声で話す人物の中で、ヒャンギだけがさわやかに自分の声で喋り動いたのはそのためだ。少し鼻声っぽい愛嬌のある声と、笑うと細長くなる目元が丸く開く時、ただ無邪気なその顔はチョン・ユミのものだが、それ自体がヒャンギでもあった。しかし、生まれながらに清く純粋で、汚れなく育てられたヒャンギと、既にデビュー9年目を迎え、映画「シルミド / SILMIDO」の端役から、顔が知られたKBS「大王世宗」やMBC「チング ~愛と友情の絆~」まで、ずっと地道に走ってきたチョン・ユミは、違う種類の無邪気さを持っている。むしろ馬鹿正直というべきだろうか。2007年、中国ドラマに出演したとき、「マネージャーもいなくて、通訳を含めて韓国人スタッフは二人しかいない」環境でもチョン・ユミは「毎日泣きながらもせっかく任せられた役柄を完璧にこなしたくて、毎晩通訳のお姉さんにお願いして、気持ちを奮い立たせて中国語を勉強」した。そして、最初は理解すらできなかった中国語のセリフをこなした。それでもチョン・ユミが演技にしがみついたのは、結局「演技するのが楽しかったから」という単純明快な理由だけ。今後の夢に関しても「いつまでも今のように楽しく演じたいです」と話す。注目を集めた作品の後、あれこれ欲張ることもありえるが、チョン・ユミは依然としてヒャンギのように無邪気ながらも情熱的な答えを出す。ヒャンギの母なら舌打ちするかもしれない。だが、この無邪気な女優を応援したくなるのは当然だろう。My name isチョン・ユミ。同名の俳優さんが受賞された時、あまり連絡していなかった知人が記事のタイトルだけを見て私におめでとう、と携帯でメールを送ってきたことがある。1984年2月23日に生まれた。ヒャンギにはお兄さんがいるのに私は一人娘である。ヒャンギみたいにお兄さんがほしいのに。方言を直すのは難しくなかった。私が上京してH.O.T.に会ったらソウルの言葉で話そうと、彼らが出演するラジオを録音して、繰り返し聴きながら練習した。H.O.T.のアルバムはいつも2枚ずつ買った。1枚はコレクション用、もう1枚は鑑賞用。しかし、まだ会ったことはない。二股をかけるのはもちろん乗りかえも許せない。お酒を飲んで電話がつながらないことも許せない!ヒイインとフウウンの違いをヒャンギは必ず生かさなければならなかった。家でフウウンとヒイインを独りで繰り返し練習した。声と速度を少しずつ変えながらあれこれやってみたが、今思えばひどかった。オッパバカという言葉を私も見た。私も「うん。オッパ(お兄さん)、大丈夫」という言葉を一番よく使ったような気がする。未完成な台本も、ハードなスケジュールの撮影もなくてすごく不思議だった。少なくとも1週間から2週間前にはいつも台本が出来上がっていた。あんなに難しい作品だから、台本が前もって出来なかったら、本当に大変だったと思う。イ・ミスクさんを今もお母さんと呼んでいる。最初は怖い方なのかと緊張していたけど、とてもやさしく私を導いてくれた。「無謀な挑戦」のときから「無限に挑戦」は欠かさず観ている。カレンダーも毎年必ず購入していたけど、今年は遅れた。でも「無限に挑戦」のメンバーたちが直接送ってくださった。今回買ったらチョン・ヒョンドンさんが来るかもしれなかったのに。中国ドラマ「五星大飯店 Five Star Hotel」が上手くいった。それで未だ韓国のファンカフェに中国のファンの方が中国語で書き込みをしてくれるときがある。私も中国語で旅行できるぐらいの語学力はある。プサンにいる祖母がすごく喜んでくれて嬉しかった。友達の前でヒャンギのおばあちゃんで通じると言いながら、これからはしょっちゅう観られる毎日ドラマ(月~金に放送されるドラマ)に出なさいとおっしゃっている。俳優や芸能人がきれいに見えなければダメだということから脱した演技をやってみたい。ありのままをみせられる演技。黙々としていても、その奥に何かが盛り込まれているキャラクターに挑戦してみたい。

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  • チョン・ユミがおすすめする「コーヒー一杯とよく似合う音楽」

    チョン・ユミがおすすめする「コーヒー一杯とよく似合う音楽」

    チャンスは誰にでも訪れる。だが、誰もがそのチャンスを運命に変えられるわけではない。チョン・ユミにSBS「千日の約束」の台本が回ってきたのは、女優人生を変えるチャンスであった。だが、脚本家キム・スヒョンの台本を前にしたチョン・ユミは「私にできるのかな」という不安が先立つとともに、厳しいことで有名なチョン・ウリョン監督やベテラン俳優の前で「作品に傷を残したらどうしよう」という緊張で一杯だった。だが、その不安と心配があったからこそ、ヒャンギ(香りを意味する)の愛し方をすべては理解することができないながらも、黙々と台本と向き合って努力した結果、ヒャンギ役をこなすことができた。「作品に傷を残してはいけない」という考えが人一倍強かったため、彼女は自分に回ってきたチャンスをしっかり掴むことができたのだ。いつのまにかデビュー7年目を迎え、様々な作品で経験を積み重ねてきた女優チョン・ユミが香りを放った瞬間であった。だが、人生の転機と言える決定的瞬間は、つぼみを硬く閉じている花には飛び込んでこない。「多くの人に分かってもらえなくても、目立たない役だけが回ってきても演技するのが面白いから」といって頑張ってきた彼女は、出番が一度しかなかった映画「シルミド / SILMIDO」の小さな役も断らなかった。また、中国のドラマ「五星大飯店 Five Star Hotel」に出演することになった時は、あまりの厳しさに毎晩泣きながら中国語を勉強する根性まで見せた。MBC「チング ~愛と友情の絆~」でハン・ドンス(ヒョンビン)を追いかける、屈託のない明るい女の子ミン・ウンジを、そして「宝石ビビンバ」の愛嬌あるイ・ガンジを演じることができたのも、ドラマ関係者たちにその誠実さを認められたからである。地道に成長という階段を一段ずつ登ってきた彼女にとって、撮影現場で飲むコーヒーはささやかな贅沢であり楽しみであるという。そんな彼女がコーヒーを飲む時に聴くおススメの音楽だと紹介した次の曲は、目標に向かって突き進む中で、疲れた自分に安らぎを与えてくれる素朴で温かい曲となっている。1.10cm「アメリカーノ(Digital Single)」10cmの歌は味わい深くコクがある。コーヒー一杯をテーブルに置いて考え込んでいた彼女が、最初に「アメリカーノ」を思い出したのもその芳醇な香りに導かれたためである。まるでテレビで美味しい店を紹介する時や、夜中にグルメブログで美味しい料理を見た時、自分も知らないうちによだれが出てくるように。韓国語がよく分からない外国人もロックフェスティバルなどで一緒に歌うという「アメリカーノ」は、歌いやすくて面白い素直な歌である。何よりジャンべとアコースティックギターが織り成す温かみのあるサウンドと「アメアメアメ」と歌うクォン・ジョンヨルの魅力的なボーカルは、苦いけれど飲みたくなる、珈琲の不思議な魅力と似ているかもしれない。2.キム・グァンソク「キム・グァンソク-再び歌う 2」 苦いコーヒーは大人の飲み物である。子供の頃、両親が飲むコーヒーをこっそりと一口飲んで、何でこんなに苦いものを飲むのか理解できなかった人も、時間の流れとともに少しずつコーヒーの味が分かるようになる。彼女が聞いているとなぜか涙が出てくる曲と勧めた、キム・グァンソクの「ある60代の老夫婦の話」には静かに聞くだけで胸にジーンとくるものがある。「私の人生の最後を一緒に過ごすことができる人について考えるようになる曲」という彼女の話のように、人生について考えさせられる曲である。3.グレン・ハンサード&マルケタ・イルグロヴァの「Falling Slowly」が収録されている「once ダブリンの街角で」のOST独特の感性と声で音楽が好きな人の胸をしっとりと濡らした映画「once ダブリンの街角で」を見てOST(オリジナル・サウンドトラック)を購入した人も多かっただろう。彼女もその一人であった。映画が人気をになる前に「最初は映画館で見たけど、流れている曲がとても良くて、家に帰ってすぐ調べてみた」という彼女のお勧め曲は、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァが一緒に歌う「Falling Slowly」。人生の苦しさと寂しさ、そして痛みを、時には繊細に、また爆発的に吐き出すかのように歌う「Falling Slowly」は、傷ついた人々の心を慰めてくれる。4.ボブ・ディラン「Dylan:Collector's Edition」ボブ・ディランの歌の中で、彼女が勧めた曲は「Mr. Tambourine Man」。決して寂しいメロディーではないが、アコースティックギター一本で歌うボブ・ディランの声には人生の深みが感じられる。「夕方にボブ・ディランの曲を聞きながら飲むコーヒー一杯は本当に幻想的」という彼女の話のように、叙情的でありながらも鋭い比喩が込められている歌詞とメロディー、そしてハスキーに変わって行くボブ・ディラン特有の鼻音の混じった声を感じることができる「Mr.Tambourine Man」は、黄金色に染まってていく夕暮れにぴったりで、聞く人の気持ちを幸せにしたり、落ち着かせたりする不思議な魅力のある曲である。5.ミンディ・グレッドヒル「Anchor」ミンディ・グレッドヒルの3rdアルバム「Anchor」に収録された「California」は、可愛い歌詞とさわやかなボーカルの歌声が、沈んだ気持ちを切り替えてくれる曲だ。「暖かい春の日にテラスに座ってコーヒーを飲みながら聞きたい曲」という彼女の話のように、のどかな春の日にカフェのテラスに座ってこの曲を聞いている姿を想像してみよう。まるでコマーシャルの一場面のようだ。「Pack your bags and lock your door I'll take you places you've not been before」という歌詞のように、ふらりとどこかへ旅立ちたい気持ちにさせる「California」で、忙しい日常に疲れた自分を励ましてあげるのはいかがだろうか。「このように多くの人から応援、そして注目されたのは初めてで信じられない」という彼女の夢は、「ドレスを着てレッドカーペットを踏んでみること」。そして「『千日の約束』でその夢を叶えることができた」と話す彼女の次の目標は、「これからも今まで通り楽しく演技すること」だけだという。「千日の約束」に出演した時に最も良かった思い出の一つが「しばらく会っていなかった釜山(プサン)に住んでいる祖母がとても喜んでくれて、友人の方々にも自慢げに話したみたい」と話す彼女。ドラマで演じたヒャンギのように素朴で心やさしくて、黙々と成長していく女優に会えた気がした。

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  • 「千日の約束」 チョン・ユミの決定的な瞬間

    「千日の約束」 チョン・ユミの決定的な瞬間

    「高校の先生が演技を勧めてくれました」親は、学校の先生になれって言ったんです。女性の職業としてはそれが最高だからって(笑) 私も両親の言うとおりにやってみようかなと思っていたんですが、高校の先生が「お前なら俳優になれる。やってみてはどうか」って勧めてくれたんです。チェ・ジウさんが同じ高校の先輩なんですが、その先生はチェ・ジウさんの恩師としても有名な方でTV出演もなさった事があるんです。その後、演技の専門学校へ通い、反対する両親を説得して、結局大学は演劇映画学科へ進学しました。その時の先生の勧めが、私の人生のチャンスであり、きっかけになったと思います。「H.O.T.と同じ事務所でデビューしたかも」H.O.T.のファンだったので、一度くらいは会ってみたいと思い、SMエンターテイメントの事務所の前で待っていたんです。そしたら事務所の関係者の方に誘われて、地下の練習室で「オーディションをしてみよう」ってことで即席で色々してみることになったんです。踊ったり、歌って見せたりしたんですけど「君は歌手に向いてないね」と言われてしまいました(笑) その代わり「女優として契約するつもりはないか」とオファーを受けました。でも契約期間が7年なんですよね。その時はまだ高校生でしたから親はもちろん反対です。その後も連絡は繰り返し来ましたが。私だって正直に言うと「H.O.T.のいる所なのに」って、惜しいなって思いました。後からも「今の年なら契約も終了してただろうな」って、あの時がチャンスじゃなかったのかなって考えたこともありました。「ヒャンギはハスの花に滴る露のような子なのに、私は違うからって」「千日の約束」のオーディションで最初に出会ったジョン・ウルヨン監督が、「君はイメージがヒャンギじゃないな。声も違うし、顔も違う。ヒャンギはハスの花に滴る露のような子だから」と仰ったので「私もそう思います」って笑いながら話したんです。それでも私に1時間以上、台本を読んでみろって、帰る時には「君じゃあだめだ。でもここまで来たんだし、5回分の台本をお土産に持ってけよ」って言ってくださったんです。それから連絡はなかったんですが、2週間後に突然「明日すぐに来い」って言われて、慌てて脚本家のキム・スヒョンさんに見せるデモビデオを撮ったりしました。翌日、監督に電話をしたら「これからは君が俺の希望だから。頼りにしてるよ」って。そうやってノ・ヒャンギの役が始まったのですが、私には本当に良いチャンスになったと思います。

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  • チョン・ユミ「千日の約束」厳しい言葉に感謝「愛情の反対語は無関心」

    チョン・ユミ「千日の約束」厳しい言葉に感謝「愛情の反対語は無関心」

    最近、「ドリームハイ」のような青春ドラマを除いて、ドラマ一本でこれほどの人気を集めた俳優が他にいるだろうか。先月幕を下ろしたSBSのドラマ「千日の約束」のチョン・ユミがそうである。脚本家キム・スヒョンのドラマも、最終回まで自分のセリフがあったドラマも、生まれて初めてだった。毎日が感激の連続だった。このような状況になると「テレビ局の幹部の娘だ」など、根拠のない噂が出ることも多いが、そんな雑音は一切なかった。2003年、バスで北朝鮮に派遣された工作員の人質となった女子高生役で出演した映画「シルミド」(監督カン・ウソク)でデビューしていたことが明らかになり、中古新人というあだ名がすぐにつけられたからだ。「ヒャンギのアメリカ行きでもう終わりかなと落胆もした」チョン・ユミは、5日に公開された映画「ワンダフルラジオ」(監督:クォン・チリン)でもかなり重要なラジオのメイン作家役を演じ、イ・ミンジョン、イ・ジョンジン、イ・グァンスの「3人の李」と共演した。コミカルなタッチであったものの、デビュー後初めてのベッドシーンも撮影した。チョン・ユミは「『千日の約束』のヒャンギとして暮らした5か月は、毎日が誕生日のように嬉しかったです」とシャイな笑顔を見せた。「サウナに行くと、『ヒャンギでしょう』と挨拶してくれる方がいて、不思議な気持ちでした」という彼女は「ペーパードライバーで車も持ってないから、普段はバスや電車を利用するんですが、この前、あるおばさんが私の手を握って『うちの息子に会ってみない?』と言ってくれたことが記憶に残っています」と、ドラマ出演後に大きく変わった日常生活を紹介した。「7年間休まずに演技してきましたが、親にはいつも申し訳ないと思っていました。私の親は『娘さん、どこに出演しているの?』と聞かれても、いつも自信のある答えができなかったんです。でも今回、親はとても喜んでくれました。私もこれが小さな親孝行になったかもしれないと思うほどやりがいを感じました」そして「千日の約束」17話の台本の読みあわせでヒヤッとした経験も話してくれた。台本にはヒャンギがアメリカへ行くシーンが登場し、脚本のキム・スヒョンが「ヒャンギ、これまでお疲れ様」と言ったからだった。チョン・ユミはチョン・ウルヨンプロデューサーに「私、これからどうなるんですか? もう降板ですか?」と確認したそうだ。すると逆に......「監督が『ユミ、降りたいのか』と聞き返してきました。違いますと強く否定したら『ヒャンギはおそらく18話に帰国するよ。最後まで頑張ってね』と言ってくれました。我慢していた涙が出てしまいました。ドラマで私の父役だったパク・ヨンギュさんも一緒に喜んでくれました」2002年に漢陽(ハニャン)大学の演劇映画科に入学した彼女はキシリトールガムや大韓航空のCMモデルとして活動した。オーディションを受け、学科の先輩であるソル・ギョング主演の映画「シルミド」にも参加した。「全羅北道(チョルラプクト)の扶安(プアン)でソル・ギョングさんや、チョン・ジェヨンさんなどの先輩たちと楽しく撮影しました。でも、バスが爆破される前に悲鳴をあげた私の生まれて初めてのセリフ『きゃー』は、カットされてしまいました(笑) いつか、先輩たちみたいに素敵な俳優になろうと決心したきっかけでした」「ユ・ジェソクさんの結婚の知らせに胸が痛む」「千日の約束」でヒャンギがあまりにも優しい性格だったため、キム・レウォンの純愛を邪魔したのではないかという分析について意見を聞くと、最も真剣な口調で話を続けた。「私は台本に書かれている通り演技しますが、そんな意見があったのも事実です。自分で意図したことではないけれど、キム・レウォン兄さんにあまりにも申し訳なくて、ドラマの初めに予定されていたインタビューも全部断りました。レウォン兄さんは腰が悪くて大変だったのに、現場ではむしろ私が面倒をみてもらっていました。人として器がとても大きい印象を受けました」と話した。映画「ワンダフルラジオ」のクォン・チリン監督とは、映画「シングルズ」以来の2度目の作業。チョン・ユミは「数年ぶりに再会した監督がいきなり、『シングルズ』の時に、私の唯一のセリフをカットしてすまなかったと言ってくれました。監督は素晴らしい記憶力の持ち主かも。今回の映画でも俳優たちにアドリブを多く要求していました」と笑った。チャン・ドンゴンより、ユ・ジェソクの結婚ニュースを聞いた時に「もっとも胸が痛かった」というチョン・ユミは、「時代劇の『トンイ』を撮影する時、遠くからユ・ジェソクさんを見たのですが、それだけで顔が真っ赤になってしまいました」と告白。「ワンダフルラジオ」でカップルとして出演し、親しくなったイ・グァンスが「ジェソク兄さん」と仲良く電話している時は、イ・グァンスを尊敬するとも話した。「これからコメディやシットコム(シチュエーションコメディ)、ホラーにも挑戦してみたい」と言うチョン・ユミは「『千日の約束』を通じて演技の魅力に目覚めました。このまま進んでもいいのかと悩んだ時もあったけど、自分の好きなことを職業にできるようになった今、言葉で表現できないくらい幸せです」と明るく笑った。外で遊ぶより家でゆっくりしている方が好きだという彼女は「野菜ジュースをくれるだけだった母ですが、最近はいろんなサプリメントをくれるようになりました。鉄分供給や血液の循環をサポートする様々なサプリメントがテーブルにいっぱいです」と笑った。「つらくなるたびに、初めて台本の読みあわせ練習をした時のときめきを忘れるな、というパク・ヨンギュさんの言葉が頭に浮かびます。『千日の約束』を初めて撮影した日、時間に追われて集中できていなかった私に、イ・ミスクさんが『ユミ、しっかりして』と厳しく言ってくれました。それも感謝しています。愛情の反対語は無関心じゃないでしょうか。お二人が私を導いて下さいました。『千日の約束』を通じて、素晴らしい親に出会い、お金持ちになった気持ちです」大学時代に、男性を紹介してもらった経験が一度しかなかったというチョン・ユミ。それは彼氏がずっといたということかと聞くと、彼女は「オーディションに夢中で、恋愛をする心の余裕がなかったんです。今もいないけど、もし『千日の約束』を観て元カレが連絡してきても遠慮したい」と大きく笑った。

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  • Vol.2 ― スエ“赤ちゃんを初めてかわいいと思えたのは、結婚する時期になったということでしょうか”

    Vol.2 ― スエ“赤ちゃんを初めてかわいいと思えたのは、結婚する時期になったということでしょうか”

    内向的な性格だったスエがこのような冗談を言えるようになったのは、映画「あなたは遠いところに」を撮影する頃からだった。今は亡き映画会社のチョン・スンへ代表のアドバイスと激励、叱責のお陰だという。生まれて初めてのヨーロッパ旅行も信頼していたチョン代表の誘いがきっかけとなった。 負けず嫌いと意地で耐えた3ヶ月「旅行が私を大きく変えてくれました。旅行って小さい感嘆符が心に刻まれるようなことだと誰かが言いましたよね。いつかスペインのサンティアゴにある聖地巡礼の道を歩いてみたい。近いうちにフランスのパリに行くつもりですが、カフェでココアを飲む私を想像すると今から胸がドキドキします」今回のドラマで「自分自身のどの部分に驚いたか」という質問に対して、「意地」だと短いながらもインパクトのある答えを出した。「毒気というよりは負けず嫌い、意地という表現が適切だと思います」と話し、「人間は極限に達すると何でもできるという言葉を改めて実感した。家でシャワーだけ浴びてまた撮影現場に行かなければならない日も多くあったが、意地で耐えて何とかできた」と笑った。「映画『深夜のFM』を撮影する時は、険しい山を何度も越えるような気持ちでしたが意地で耐えました。やっと一つの峠を越えたと思ったら、また大きな山が目の前に立ちはだかっているような状況の連続でした」ドラマが後半に向かうにつれ悲しくも凄然とした演技が際立った理由に対しては、「いつも頭より先に心に聞いてみた」と微笑んだ。キャラクターとその感情を分析することを止めず、もし自分が100を見せることが可能なら、初めから100を見せようと全力を注いだという説明だった。 「イ・ジュンイク監督がこう言ってくれました。『スエ、100の力があるなら惜しまず100を注ぎなさい』と。結果を怖がらずに感情やエネルギーを完全に燃やしてこそ、新たなエネルギーが生まれるということをその時に学びました。フィクションだと言っても、アルツハイマー病にかかった娘を見守る親の気持ちは如何なものだったのか。スエは「母は台本が出るたびに内容を気にしていました。既にドラマの筋は分かっているのに、観るたびに涙を拭いていました」と話した。「私の第一の視聴者はいつも親ですね。ただ、台本を読むのはいいんですが、読み終わったら元の場所に戻してほしいです(笑) いつもどこにあるのか探してしまいますからね」今年33歳になったスエは「娘役の赤ちゃんを見て初めてかわいいと思った。自分自身に結婚する時期になったのかと自問してみた」とにっこりと笑った。ワーカホリックの面貌もあるが、36歳になる前には家庭を作りたいと話した。 結婚は遅くても36歳になる前に「熾烈に生きている女優のスエと、余裕のある安定的な暮らしを好む自然体のパク・スエの人生を一緒に考えてみると、36歳になる前には結婚しなくちゃと思いますね。彼氏は今いないけど、私もいつかは運命の男にめぐり合えるでしょう」ドラマが始まってまもなく、劇中でキャラクターに合わない高級ブランド品を着ていたと非難されたことについて聞いてみた。「私が考えても行き過ぎた部分はあったと思います。でも悔しいこともありました」と述べ、高価なコートを着たのは事実だが、エルメスのバックだと指摘されたバックは国産ブランドの品だったと説明。スエが持ったことで国産ブランドのバッグが海外の高級ブランド品のように見えたことは、むしろ良いことだと思いませんかと聞くと「そうですか?」と反問した。「脚本家が高くない服を着たとしても、くすんで見えてしまうのは絶対ダメだと繰り返し強調していました。貧乏臭く、患者のように見えないよう、衣装やヘアスタイル、メイクまで細心の注意を払ってくれたのです。衣装の色もできるだけ明るい色に、髪の毛もきれいに伸ばすようにと。監督に「ソヨンは患者ですけど」と聞くと、「劇中では、もしソヨンの髪が乱れてもおばさんがきれいにしてあげるはずだし、服が汚れればすぐ新しい服に着替えさせるだろう」と説明してくれました。ソヨンは今頃、天国で何をしていると思うかと聞いてみると、5秒くらい窓の外をじっと見詰めていたスエは「おそらく人生で最も楽な時間を過ごしていると思います。生きている間は人生の荷物をずっと背負っていた子でしたけど、今はね」と言葉尻を濁した。「大切な人と一緒に過ごすことはできないけど、それでも今が最も安定した状態だと思います。最終話の台本を読んで、なぜソヨンは火葬して納骨堂に置かれる方法を選択せず墓に埋められたかと気になりました。きっとそこには脚本家の意図があったんでしょうけどね」スエは「いい俳優はキャラクターに入り込むことより抜け出すことに際立っているといいます。そういう点では私はまだまだですね」と話し、「これまでソヨンを愛してくれた皆さんに感謝します」と晴れた笑顔を見せた。

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  • Vol.1 ― 「千日の約束」スエ“最近、ソヨンと別れるために頑張っています”

    Vol.1 ― 「千日の約束」スエ“最近、ソヨンと別れるために頑張っています”

    1月末に予定されていたインタビューを繰り上げたのはスエだった。4日にソウルの長忠洞で会ったスエは、SBSドラマ「千日の約束」のキャラクターソヨンを一日も早く忘れたいと述べ、「今日こそ、これまで自分の生活でメインだった『千日の約束』を捨て去ろうと心を決めてきた」と話を切り出した。運命のようにやってきた「勿忘草」の台本「ドラマが終わったらその余韻で心が苦しくなると思ったけど、ドラマが終わっても2、3日は全然平気でした。『あれ、どうして?』と思って、オム・テウンさんと電話で話したら、彼は『それは多分スエがソヨンというキャラクターを演じることに完全燃焼したからだろう』と慰めてくれました。ところが4日後から突然胸に穴が空いたように、虚ろな気持ちになってしまいました。無気力になってよく眠れなかったり。予想していたことがついにやってきたんです(笑) もう、こんな気持ちを捨て去りたくて、こうしてインタビューをしながらソヨンとお別れしたいと思いました」スエは「現場でいつも私を守ってくれたキム・レウォンさん、チョン・ウルヨン監督などスタッフが私だけを残してどこかに消えたような気がして不安で寂しかった」と話し、「覚悟はしてたけど、やっぱりドラマの後遺症が長引きそう」と笑った。「私よりもっとドラマチックなキャラクターを演じた方もいれば、100部作のドラマに出演した方もいるのにこのような話をするのは恐縮です。でも、第2話からアルツハイマー病だという診断を受けたソヨンが、最終話まで病気と死闘を繰り返したことはすごく辛かったし、エゴや自己愛が特別強いキャラクターが現実の私に似ていてより演技に没頭できたと思います」普段は登山や水泳で健康を維持してきた彼女だが、今は体力が底をついているという。彼女は「昨年夏、バングラディッシュに向う飛行機の中で、1~2話の台本を読んで震えたことをはっきりと覚えている」と述べた。海外ボランティアのために出国しようとした空港で、所属事務所の代表がバイク便で送ってくれた「千日の約束」の仮タイトルだった「勿忘草」の台本を受け取ったのだ。 「もしかしたら運命だったのかもしれません。飛行機で台本を読むと、第2話からヒロインの病名が明かされていました。次のストーリーをどのように展開していくのかとても気になった私は、帰国してすぐチョン・ウルヨン監督とミーティングをしました。既に私は、その時点でソヨンになっていたのかもしれません。ところが、最初のリーディングを終えて追加台本を受け取ってから再び自信がなくなりました。『ごめんなさい。私、できません』と後ずさりする私を、監督が最後まで励ましてくれました。『私にも心配はあるけど一緒にやってみよう。スエさんが必要だ』という監督の言葉に勇気をもらいました。「私、実物よりテレビの方がきれいでしょう?」リーディングの時、脚本家であるキム・スヒョンからよく聞いた言葉は激しくだった。「スエさん、ここではもっと激しくお願い」「もっと激しく戦って、ぶつかってほしいの」「2ページを超える長文で、キム・スヒョンさん特有の速射砲のセリフも厳しかったが、キム・スヒョンさんと監督が求めている感情がしっかり表現できているのか不安で途方に暮れた時も多かった」と謙遜した彼女は、「でもなぜか第3話からは不思議なぐらい自信と活力が出始めました。貴重な経験だった」と述べた。彼女は当時の気持ちを窮鼠猫を噛むような気持ちに例えた。「窮すれば通じるという言葉がありますよね。第3話から集中力もよくなり、悲劇の真ん中を歩いて行くような状況でも、撮影する日を楽しみに待てるようになりました。知らないうちに楽しめるようになったんです。それは一種のカタルシス(解放感)、あるいは超人の力だと言えますかね。何があっても最後までやってみようという負けず嫌いな気持ちが、自分の中に生まれたんです(笑)」一緒に撮影するシーンは少なかったものの、先輩であるイ・ミスク、キム・ヘスクの激励と応援、そして鎮痛剤の力を借りてまで腰の痛みと戦ったキム・レウォンの強い意志も、スエのモチベーションを高めた。特に相手役のキム・レウォンとの関係設定が「近づく男とその気持ちを突き返すしかない女」だったので、わざと距離を置く時もあったと告白。「そこはキム・レウォンさんに悪かったなと思います。感情のこもった彼の演技にリアクションしながらも、彼のことを配慮しなきゃいけなかったのに当時の私にはそんな心の余裕はありませんでした」反応が早いドラマの特性上、現実のスエを心配してくれるファンが多かったという。午前中、家の近くのスーパーに行くと「こんなにかわいいお嬢さんが病気だなんて」と気の毒に思ってくれる視聴者のおばさんのお陰で元気を出すことができたという。「お母さんたちに人気がありました。内心『映画よりドラマの方がいいかな』と考えた時もあったんです(笑) かわいいという言葉を嫌う女はいませんからね(笑) でも私、実物より画面の方がかわいいと思いませんか? どうしよう。撮影現場のように照明と反射板をいつも持ち歩くわけにはいかないですしね」

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  • 【PHOTO】スエ、“可憐なスマイル”

    【PHOTO】スエ、“可憐なスマイル”

    女優のスエがTVレポートとのインタビューでポーズをとっている。スエは最近放送が終了したドラマ「千日の約束」でアルツハイマー病で徐々に記憶を失い、最後に死を迎えるイ・ソヨン役を熱演した。

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  • Vol.2 ― パク・ユファン「スエを兄ユチョンと考え演技…」

    Vol.2 ― パク・ユファン「スエを兄ユチョンと考え演技…」

    パク・ユファン(20)を取り巻くあだ名のうちのひとつがJYJ ユチョン(25)の弟だ。とても有名なスターの兄がいるせいで彼の名前の後には兄の名前がついてきた。パク・ユファンは2月から始まり8月に終了したドラマ「きらきらひかる」でデビューした。その後「階伯(ケベク)」でサルス役を熱演し、今月の20日に終了した「千日の約束」では姉のスエをいつも思う姉バカと呼ばれたくさんの人から愛された。3つのドラマだけで自分の存在を分からせ、興行させる能力を持った彼に対し、兄の名前が後からついてくるということには気分が悪くなったり、不自由に感じないだろうか。パク・ユファンはこんな心配について「僕は兄の話をするのが好きだ。兄弟である家族だから家族の話をするのがおもしろくないか」と語った。「暴露するのが好きなわけではない」と冗談まじりの声で「そうでしょう。いつかは」と冗談を話す程、彼に兄の話は気兼ねなく話せるものだった。これと同じような特別な兄弟愛は「千日の約束」を撮影の時に輝かせた。ドラマの初めスエを兄だと思い、演技したおかげでイ・ムングォン役をより完璧に表現できた。彼は「初めは兄をたくさん利用した」とし、「どんな感情であり、どんなシーンでも兄を置いて演じたので本当に助かった。ムングォン(パク・ユファン)とソヒョン(スエ)、僕と兄が似ているところが多かった」と説明した。それに続けて「今までやってきたことを考えると自分が経験したことや過去を考えて演技した」とし、「それも運といえるだろう」と謙虚に語った。そんな彼に最近悩みができた。自分がプレゼントした兄とのペアブレスレットを自動車のエアコンに落としたこと。兄のユチョンが歌手活動している時からほとんど見につけていたほどの大切なブレスレットだった。パク・ユファンは「僕もいつもブレスレットをつけているのだが、撮影をする日にはずして車に置いておいた」、「それが自動車の中にある風がでる所の穴に入っていってしまった。それをとるには車を2日間預けないといけない」と語った。それに続けて「忙しいのでまだ預けられないので、マネージャーが『もうひとつ買ったらどう?』と言ったが、高くはないけど7~8年つけ続けたブレスレットなので、また違った意味で特別だ。休みをもらった時にとる予定だ」と明かした。このように愛情溢れる兄弟愛はドラマのチェックの時でも輝いて見える。ユチョンはヨーロッパツアーをする時も「千日の約束」を見逃さなかった。彼が直接弟の演技をうまい、下手だと評価するわけではないが、撮影を終え夜中に帰ると「お疲れ」と言ってくれるのはもちろんパク・ユファンの台詞である「レンズ僕が洗います」「酒を飲んではいけない」などという台詞が浮かんでくるほど、何を考えるにしても愛情溢れた目で見つめている。彼は「とても忙しいのにチェックをしてくれるだけでもありがたい」「僕もやってあげたのにしてもらわないと」と冗談のように語り、笑いを呼んだ。「千日の約束」を終え、パク・ユファンは現在次回作を検討している。兄であるユチョンも次の復帰作を検討中だ。彼は「兄と同じ作品をするのはまだ早い気がする」「将来必ず一緒に演じると思う。兄とも同じ話をしたことがあった。おもしろそうだ」と明かした。このようにパク・ユファンは兄と一緒に出演するドラマについて自分のロマンを明らかにしちゃめっけのある姿を伺わせた。彼のシナリオは家族のようなJYJのメンバーであるジェジュンとキム・ジュンスも登場する。パク・ユファンは「寒い冬に外でたくさん撮影しなくてはいけない?僕は暖かいセットの中にいて、兄は外で震えている。ジェジュン先輩はカメオとして出演し1週間外で野外撮影でTシャツ一枚着て、雪の中にいてジュンス先輩もだ」とし、「20話の間野外シーンだけを撮影し、最終回にセットのシーンを入れてあげる」といたずら好きな姿を見せた。

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