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パク・ワンギュ

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  • 【PHOTO】ピョ・イェジン&Ben&Kassyら「第9回GAONCHART MUSIC AWARDS」レッドカーペットに登場

    【PHOTO】ピョ・イェジン&Ben&Kassyら「第9回GAONCHART MUSIC AWARDS」レッドカーペットに登場

    8日午後、ソウル松坡(ソンパ)区蚕室(チャムシル)室内体育館で開かれる「第9回GAONCHART MUSIC AWARDS」のレッドカーペットイベントにピョ・イェジン、Ben、Kassy、チャン・ヘジン、イム・ジェヒョン、カン・ヒョンウク、パク・ワンギュ、有名振付師リア・キム、キム・ヨンデ、オ・アリンらが登場した。・「第9回GAONチャートMUSICアワード」最終ラインナップを公開Stray Kids&ユン・ミンスが合流

    マイデイリー
  • 「プロデュース101」出身チャン・ムンボク、長髪の大先輩たちと記念ショット“髪の毛、褒められました”

    「プロデュース101」出身チャン・ムンボク、長髪の大先輩たちと記念ショット“髪の毛、褒められました”

    「プロデュース101」出身チャン・ムンボクが、キム・テウォン、キム・ジョンソ、キム・ギョンホ、パク・ワンギュと一緒に撮った「君の声が見える」記念ショットを公開した。22日午後、チャン・ムンボクは自身のSNSに「先週に続き、今週も!!『君の声が見える5』楽しく見ましたか? 今回は髪がきれいなロック・アベンジャーズ大先輩たちと共にしました」という書き込みを掲載した。さらにチャン・ムンボクは「#チャン・ムンボク #君の声が見える5 #キム・テウォン #キム・ジョンソ #キム・ギョンホ #パク・ワンギュ #fourever #髪の毛、褒められました。へへ」とつけ加え、見る人を笑わせた。書き込みと共に公開された写真にはチャン・ムンボクがキム・テウォン、キム・ジョンソ、キム・ギョンホ、パク・ワンギュと一緒にポーズをとっている姿が盛り込まれている。彼らは皆長髪のスターたちで、輝く髪の毛を自慢しながらカメラの前に集まっている5人の姿が笑いを誘発する。

    OSEN
  • BIGBANGのD-LITE&ロイ・キム&ソン・ヒョンジュら「ファンタスティック・デュオ2」出演決定…超豪華ラインナップに関心集中

    BIGBANGのD-LITE&ロイ・キム&ソン・ヒョンジュら「ファンタスティック・デュオ2」出演決定…超豪華ラインナップに関心集中

    韓国で20日に放送されるSBS「ファンタスティック・デュオ2」が超豪華ラインナップを確定した。「ファンタスティック・デュオ2」は先週に続き「スター・ウォーズ特集」第2弾とした飾られ、最近収録を行った。今回の特集には歌手チャン・ユンジョン、TURBOがファンタスティック歌手として登場し、歴代級のステージを届けた。特にチャン・ユンジョンのファンタスティックデュオになるためにトップセレブたちが挑戦し、視聴者の視線を集中させる予定だ。普段からチャン・ユンジョンのマニアであることを掲げてきた俳優ソン・ヒョンジュをはじめ、「トロット(韓国の演歌) 特集」でチャン・ユンジョンとコラボステージを披露したBIGBANGのD-LITE、お笑いタレントのキム・ヨンチョルらが挑戦者のラインナップにその名を連ねた。何より、パク・ワンギュとロイ・キムの挑戦に関心が集まっている。すでに「ファンタスティック・デュオ2」で復活とともにステージに立ったパク・ワンギュは、ワイルドな音色とパワフルなカリスマ性で圧倒的な存在感を誇る歌手である。ロイ・キムは代表曲「春春春」をはじめ、優しい音色とダンディなイメージの象徴であるだけに、ノリノリのトロットジャンルをどのように歌うか関心が集まっている。トップセレブ10人とチャン・ユンジョン、TURBOが出演する「ファンタスティック・デュオ2」の「スター・ウォーズ特集」第2弾は、韓国で20日午後6時25分に放送される。

    TVレポート
  • KangNam&パク・ワンギュ&チョン・ドンハ&イ・ジェユン「ラジオスター」の収録現場で集合“和気藹々とした雰囲気”

    KangNam&パク・ワンギュ&チョン・ドンハ&イ・ジェユン「ラジオスター」の収録現場で集合“和気藹々とした雰囲気”

    KangNamがMBC「ラジオスター」に出演した際の写真を公開した。 KangNamは10日、自身のInstagram(写真共有SNS) に「ラジオスター」の収録前に撮影した写真を掲載した。 公開された写真にはお茶目な表情のKangNamをはじめイ・ジェユン、チョン・ドンハ、パク・ワンギュの姿が写っている。KangNamは「パク・ワンギュ兄さん、チョン・ドンハ兄さん、イ・ジェユン兄さん、KangNam。『ラジオスター』撮影しました。1月25日に放送されます。僕はこれから撮影始まります~。まだ眠いです。目を閉じてしまう。今日もファイトファイト #ラジオスター #MBC #眠い #キム・グラ #パク・ワンギュ #チョン・ドンハ #イ・ジェユン #KangNam #HEYNE」と書き込んだ。

    TVレポート
  • イム・ジェボム、30周年記念アルバムを27日に発売…FTISLAND イ・ホンギら参加のトリビュートソングにも期待

    イム・ジェボム、30周年記念アルバムを27日に発売…FTISLAND イ・ホンギら参加のトリビュートソングにも期待

    歌手のイム・ジェボムが30周年記念アルバムを発売する。23日、イム・ジェボムの所属事務所は「今月27日に発売される30周年記念アルバム『after the sunset: White Night』は新曲とリメイク曲、後輩たちのトリビュートソングで構成されている」と明かした。共に公開された写真の中でイム・ジェボムは、鋭い眼差しでどこかを見つめている。「夕焼けの後も夜は来ない」というタイトルのように、音楽への真剣な気持ちを表した。イム・ジェボムのニューアルバムは2つのCDで構成された。今年10月に発表された「名前」並びに新曲とイム・ジェボムが自ら再解釈しリメイクした曲、そしてユン・ドヒョン、パク・ワンギュ、FTISLANDのイ・ホンギ、キム・テウなど後輩歌手たちによるトリビュートソングも鑑賞することが出来る。イム・ジェボムは今月28日に放送されるJTBC「HIDDEN SINGER」シーズン4のイム・ジェボム編で4年ぶりにテレビに出演する。

    TVレポート
  • 少女時代 テヨンからFTISLAND イ・ホンギまで、イム・ジェボムのデビュー30周年記念アルバムに参加

    少女時代 テヨンからFTISLAND イ・ホンギまで、イム・ジェボムのデビュー30周年記念アルバムに参加

    「この夜が過ぎれば」「君はどこへ」「君のために」など、時間が経っても色あせない感動を与えるイム・ジェボムの名曲が後輩歌手によってリメイクされる。歌の神様イム・ジェボムがデビュー30周年記念アルバム「after the sunset:White Night」の発売を控え、アルバムに収録されるトリビュートソングに参加した後輩歌手の豪華ラインアップを公開した。所属事務所によると、イム・ジェボムのデビュー30周年記念アルバムのトリビュートソングにはYBのユン・ドヒョン、パク・ワンギュ、MONNIのキム・シニ、FTISLANDのイ・ホンギなど、韓国のロック音楽を代表するボーカリストとウン・カウン、ソヒャン、Annなど、歌唱力と音楽性を兼ね備えた実力派女性ボーカリスト、そしてソロ活動とgodの公演練習など忙しいスケジュールをこなしているソウルボーカル、キム・テウも参加した。韓国最高のボーカリストが勢ぞろいしたイム・ジェボムのニューアルバムで、それぞれのアーティストがイム・ジェボムのどの名曲をリメイクしたのか、さらに期待が高まっている。また、少女時代のテヨンと19年ぶりにリメイクした代表的なデュエットソング「愛より深い傷」も収録される予定で、デビュー30周年記念アルバムの価値はさらに高まると予想される。所属事務所の関係者は「後輩歌手にイム・ジェボムのトリビュートソングを頼んだとき、皆快く承諾してくれた。それだけでなく、曲の作業にも積極的に参加し、アルバムの完成度をより一層高めた」とビハインドストーリーを伝えた。イム・ジェボムのデビュー30周年記念アルバム「after the sunset:White Night」は11月中旬以降に発売される予定で、30日と31日にはソウルオリンピック公園体操競技場で同名の単独コンサートが開催される。

    OSEN
  • FTISLAND イ・ホンギ、パク・ワンギュとのお茶目なツーショット公開“一緒にいるのはなぜでしょう”

    FTISLAND イ・ホンギ、パク・ワンギュとのお茶目なツーショット公開“一緒にいるのはなぜでしょう”

    FTISLANDのイ・ホンギが先輩歌手パク・ワンギュとの仲睦まじいツーショットを公開した。イ・ホンギは31日、自身のInstagram(写真共有SNS)に「パク・ワンギュ先輩が僕と一緒になぜ?気になるでしょう?今週の『モダン・ファーマー』本番死守(リアルタイムで番組を見ること)!」と書き込み、写真を掲載した。公開された写真にはお茶目な表情でセルフショットの撮影に夢中になっているイ・ホンギとパク・ワンギュの姿が写っている。二人の個性的な表情と微笑ましい先輩・後輩の姿が視線を引き付けた。イ・ホンギが出演する「モダン・ファーマー」は人生の脱出口として帰農を選んだ4人の若者の夢、愛、友情を愉快に描くヒューマンコメディドラマで、韓国で毎週土、日曜日の午後8時45分に放送される。

    TVレポート
  • 「音楽中心」落ち着いた雰囲気で再開…出演者、大幅変更

    「音楽中心」落ち着いた雰囲気で再開…出演者、大幅変更

    4週間ぶりに戻ってくるMBC音楽番組「ショー 音楽中心」が落ち着いた雰囲気で放送を再開する予定だ。「ショー 音楽中心」の関係者は8日午後、OSENに「いつもより落ち着いた雰囲気で番組を構成する予定」とし「新曲をリリースした歌手だけでなく、普段なかなか見られなかった歌手たちを招待する予定」と伝えた。関係者によると「ショー 音楽中心」は10日、旅客船セウォル号の沈没事故から3週連続で放送休止となっていたが、4週ぶりに再開するという。いつもより落ち着いた雰囲気で行う予定で、イ・ウンミ、パク・ワンギュ、紫雨林(ジャウリム)、チョン・ジュニル、Urban Zakapaなど、普段は音楽番組にあまり出演しない歌手たちがステージに立つ。また、既に新曲の活動を終えたバラードの王子イム・チャンジョンはもちろん、EXO、Apinkなどのアイドル歌手も出演する予定だ。制作スタッフと出演者は、依然として追悼の雰囲気が続く中、音楽で心の傷を癒すという企画意図の下、癒しの音楽を披露する計画だ。

    OSEN
  • プファル(復活)「30周年を目前にして、第2の全盛期を迎えている」

    プファル(復活)「30周年を目前にして、第2の全盛期を迎えている」

    ロックバンドのプファル(復活)は、チーム名通り何度も復活を遂げた。キム・テウォンと共に1980年代にプファルを栄光に導いたイ・スンチョル(RUI)がチームを脱退した後、長い空白期間を持ったプファルは、キム・ジェギが歌った「愛するほど」の大ヒットにより復活し、キム・ジェギが悲運の事故でこの世を去った後はボーカルのパク・ワンギュを迎えて再び音楽界に戻ってきた。アイドルグループが人気を博し、ロックバンドの人気が停滞していた時期は、グループに戻ってきたイ・スンチョルが歌った「Never Ending Story」が大ヒットして人気を集めた。そして今はスターボーカリストのチョン・ドンハと共に第2の全盛期を迎えている。彼らが何度も復活できた理由は簡単だ。それは彼らの曲が人々の胸を打つ力を持っているからだ。プファルが再び人気を博すようになった経緯の一つには、最近多くなったキム・テウォンのバラエティ出演やチョン・ドンハのミュージカル出演などが一役買った。しかし、人々が一つ見逃している事実がある。プファルは1986年以来、30年近くの長い歳月の間に13枚のフルアルバムをリリースしたが、すべてのアルバムにおいて妥協のない完成度の高い音楽を披露してきたということだ。今年に入ってプファルは、アメリカや中国、日本でもコンサートを開催するなど活発な活動を行い、音楽の領域を広げている。開天節(檀君(タングン)神話に基づく韓国の建国記念日)である10月3日に、ソウル松坡(ソンパ)区芳夷洞(バンイドン)に位置するオリンピック公園のオリンピックホールで単独コンサートを開催するプファルに会った。―昨年夏、13thアルバム「Purple Wave」をリリースした後、韓国で全国ツアーを行った。開天節である来月3日にソウル公演を控えているが、バンドとしてここ1年間の近況を聞かせて欲しい。キム・テウォン:休むことなくツアーを続けた、全国を回りながら公演を行った。7月には日本で公演を行い、今年はアメリカと中国での公演も控えている。 ―バンド活動以外にキム・テウォンはテレビ出演、チョン・ドンハはミュージカル出演なども並行しているのでとても忙しいと思うが。キム・テウォン:私はかなり前からやってきた仕事なので大丈夫だが、最近はチョン・ドンハがとても忙しい。KBS 2TV「不朽の名曲-伝説を歌う」(以下「不朽の名曲」)でのチョン・ドンハの素晴らしい活躍を目の当たりにしたからだろうか?MBC「私は歌手だ」の代表歌手がイム・ジェボムとパク・ワンギュだとしたら、「不朽の名曲」にはチョン・ドンハがいる。―チョン・ドンハは既に誰もが認めるスターボーカリストだが、彼の人気のおかげでプファルが第2の全盛期を迎えたと思ってもいいだろうか?キム・テウォン:そう思ってもらっても過言ではないと思う。チョン・ドンハ:プファルが第2の全盛期を迎えられたのはキム・テウォン兄さんのおかげだ。兄さんが思い切ってバラエティ番組に挑戦し、プファルの名前を再び皆さんに知って頂けるようになったことで、様々な相乗効果を得ることができた。最近、とても忙しい中でも楽しく仕事ができる理由は、それだけプファルが人々に愛されていると実感できるからだ。―今年はアメリカや日本、中国でも公演が予定されている。9月20日から30日までアメリカのアトランタ、ニュージャージー、シカゴ、ダラスを回るアメリカツアーが計画されているが、今回のように海外の地方を回るツアーは以前にも行ったことがあるのか?キム・テウォン:アメリカのロサンゼルスやサンフランシスコで公演を行ったことはあるが、今回のように複数の州を回るのは初めてだ。―今年でプファルの結成から28周年を迎え、もうすぐ30周年になるが、その長い歳月の中で今のプファルはどの位置にいると思うのか?キム・テウォン:プファルは今、これまでで一番高く飛んでいる。今よりも高く飛んだことはこれまでない。―1~2枚目のアルバムの時は大人気を博すロックスターだった。「ヒヤ(Heeya)」「雨とあなたの物語」のような最高のヒット曲を次から次へと発表し、ロックバンドとしては珍しくアルバムの売り上げが数十万枚に達した。キム・テウォン:その時の人気と今の人気では意味が違うと思う。1980年代は私たちも今のアイドルのように若かったから。今の私たちの平均年齢をバラエティ番組に例えるとKBS 2TV「ハッピーサンデー-男の資格」ほどであるが、今でも人々からとても愛されている。これは私たちが若かった1980~90年代の時とは比べられない、また別の立ち位置である。1986年に「ヒヤ」、1993年に「愛するほど」、2002年に「Never Ending Story」が大きな人気を博したが、今年のように多くの海外公演を行うことはできなかった。プファルは今、一番高く飛んでいる。アーティストは紙飛行機のように単独では飛べない。ファンたちが私たちを高く押し上げて飛ばしてくれたんだ。―昨年夏、「Purple Wave」の発売を記念する記者会見を行った時、キム・テウォンが再び20代に戻ったようだと話し、1980年代に恋愛をしていた時のように、とてもアクティブな体の状態だと言ったのが記憶に残っている。キム・テウォン:みんなに愛されながら新しいアルバムを作ったのは本当に久しぶりだった。プロデューサーとして新しいアルバムを準備するのに、背負いきれないほどの大きな期待を受けたのはその時が初めてだったと思う。―最近はキム・テウォンに続き、チョン・ドンハが頻繁にテレビに出ている。メンバーたちはチョン・ドンハが出る番組を見ているのか?ソ・ジェヒョク:チョン・ドンハが出る番組をよく見ている。チョン・ドンハを応援するために「不朽の名曲」にプファルのメンバーたちで出演したこともある。キム・テウォン兄さんが出演した時はチョン・ドンハが歴代最高の点数で優勝をしたが、私とチェ・ジェミン兄さんが応援に行った時は負けてしまった(笑) もちろん、その前に3勝もしたのですごいと思う。チョン・ドンハはテレビやミュージカルなど、とても多忙なスケジュールをこなしているのにも関わらず疲れを全く見せない。チョン・ドンハ:子供は母親が夕食の時間だから帰ってきなさいと言うまで休まずに遊ぶじゃないか?そんな気持ちで楽しく遊ぶような感じでスケジュールをこなしている。体力面では大変だが、精神的にはとても楽しい。―ミュージカルをやっているとプファルの公演が恋しくならないのか?チョン・ドンハ:それぞれの魅力が違う。ライブは事前に決まった約束事はなく、ダイナミックに流れるのが魅力だとすれば、ミュージカルはストーリーの進行やアンサンブルなど、予め決められた通りに舞台で表現しながら感じるスリルが魅力である。そして、その中で少しずつ自分ならではの魅力をアピールすることができる。―「不朽の名曲」とプファルのコンサートはどう違うのか?チョン・ドンハ:「不朽の名曲」は、ステージの演出や曲のアレンジなどを自分で作り上げていくことがとても面白かった。高校生の時、学園祭のステージを準備しながらどんな服を着て、ステージをどう飾りつけるかについて悩んだ時と同じときめきを再び感じた。―チョン・ドンハはプファルの歴代のボーカリストの中で、久しぶりに人々にその存在を刻み付けたケースである。チョン・ドンハ:実は、プファルとして活動を始めてから「こんにちは。私たちはプファルです」と自然に挨拶がでるまで、かなり長い時間を要した。以前までは「私はプファルに新しく加入したボーカルのチョン・ドンハです」という紹介を必ずしなければならないような雰囲気だった。プファルというバンドがあまりにも大きな存在だったので、「私たちはプファルです」と自信を持って言えなかった時期がある。―本来、プファルはイギリスのディープ・パープルのようにギタリストが全面に立つバンドだと思ったが。キム・テウォン:さあ、私がプファルでリッチー・ブラックモア(ディープ・パープルの元メンバーであるギタリスト)ような役割を果たしたのかもしれないが、人々は私をそんな風に見ていなかったと思う。過去のロックマニアの間では、プファルはキム・テウォンが中心となったバンドだと思っているかもしれないが。―キム・テウォンは練習時も非常に厳しく、練習する時の雰囲気が殺伐としていると聞いたが。チョン・ドンハ:昔はそうだったかもしれないが、今は全然違う。キム・テウォン:それは1980年代の話で、1985年のプファルの前身であるTHE endの時代からプファルになるまではメンバー間の争いがすごかった。バンド内で音楽的な方向性を誰が決めるかを決定する時期だったからだと思う。THE endの時はキム・ジョンソが歌を歌い、現在チョー・ヨンピルが率いるバンド、チョー・ヨンピルと偉大な誕生のベーシストであるイ・テユン、当時天才ドラマーと呼ばれたファン・テスン、私のギターの師匠だったイ・ジウンがリードギターを担当していた頃は殺伐とした雰囲気だった。全員が同じ年頃だったので競争が激しかった。その時はみんな若いミュージシャンだったが、今振り返ってみるとその時のミュージシャンたちが今、韓国の音楽界で名声を上げている。チェ・ジェミン:キム・テウォン兄さんがそのそうそうたるメンバーの中でリーダーだったということでしょう?キム・テウォン:でも、私は1990年代以降すっかり別人になり、プファルの2枚目のアルバムを最後に長い間彷徨っていた。―2枚目のアルバムの後、イ・スンチョルがバンドを脱退し、その後にキム・ジェギと3枚目のアルバムをリリースするまでにかなり長い時間がかかった。キム・テウォン:私の不遇の時期だった。「愛するほど」が収録された3枚目のアルバムで戻ってきた時、私はすっかり別人になっていた。性格が丸くなりユーモアも持つようになって、少し不思議な部分もあった。長らく彷徨った結果、そんな自分がより素敵な人間だと思うようになった。―プファルはロックバラードのヒット曲が多いが、アルバムには壮大なスケールのアートロック系の曲も多い。1枚目のアルバムでは「人形の復活」がそうだったし、2枚目のアルバムには「回想」の連作シリーズがあった。その後のアルバムにもそのような曲が必ず収録された。そのような曲を作るようになったきっかけは?キム・テウォン:幼いころからクラシック音楽への興味が高かった。クラシック音楽に興味を持つようになったきっかけは映画が好きだったからだ。映画で感動を与える決定的なシーンにはいつも音楽が流れていた。シーンにBGMがないと観客が涙を流さないからだ。そのことに気づき、弦楽を中心とするオーケストラにはまった。クラシック音楽には歌詞がないため、聞く人が思い思いに想像することができるのが長所である。そんなクラシック音楽とジミ・ヘンドリックスのようなロックが好きだった。―プファルのアルバムを見ると、チャイコフスキーやラフマニノフ、エンニオ・モリコーネなどの音楽を演奏に挿入していたりもする。キム・テウォン:1枚目のアルバムにはチャイコフスキー、2枚目のアルバムにはレクイエムのテーマを私たちの音楽に挿入した。元々はクラシック音楽が好きだったが、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムのドラム音を聞き、ロックのリズムにはまるようになった。だから私の音楽にはクラシック音楽とロック音楽が両方混ざっている。50人のオーケストラが奏でる音楽を4人で演奏するのがロックバンドだ。ソ・ジェヒョク:すべての曲がまるでエンディングテーマのようなのでコンサートの時にセットリストを決めるのが難しいほどだ。「雨とあなたの物語」のような曲が終わると、公演を終わらせなければならないような雰囲気になってしまう(笑) ―キム・テウォンは他のミュージシャンの音楽を聞くと、その影響を受ける可能性があるので聞かないそうだが、今もそうなのか?キム・テウォン:音楽は全く聞いていない。―どの時期まで音楽を聞いていたのか?キム・テウォン:1980年代のLAメタル、ハードロックまでは聞いた。1990年代に入り、音楽を聞かなくなった。クラシック音楽を聞いているわけでもない。音楽自体を全く聞いていない。移動中の車の中でも音楽を聞くことはない。―プファルの車の中を覗いてみると、キム・テウォンが作曲に使う小さなアコースティックギターがあった。移動中に曲を作ると聞いたが。キム・テウォン:私の職業は作曲家だが、普段は一人でじっと座って曲を作る余裕がほとんどない。番組出演があり、公演も行い、色んな人たちに会わなければならないからだ。でも、車の座席に座るとようやく一人になれる。マネージャーが運転をしている時、私の目の前には外の風景だけが映るので作曲するのに丁度良い時間だ。チェ・ジェミン:私たちは全員、キム・テウォン兄さんの作曲の邪魔にならないように寝ている(笑)―チェ・ジェミンはプファルに入る前に一世を風靡したバンド、ティサムスとして活動していた。その時にプファルと会ったことがあると思うが。チェ・ジェミン:私たちのライバルだと思っていた(笑) 1980年代の後半に「毎日待っている」がヒットした時だったが、実際、プファルやシナウィのようなバンドはバンドマンたちの間ではノムサビョク(越えられない4次元の壁)だった。―チェ・ジェミンが1998年に6枚目のアルバムから参加し、ソ・ジェヒョクは1999年に7枚目のアルバムから合流した。そして、チョン・ドンハが2005年の10枚目のアルバムから入ってきた。その後はメンバーの交代がないまま現在まで続いている。過去にメンバー交代が多かったことを考えると、今のメンバーがプファルにとって一番安定しているのではないか?キム・テウォン:今はプファルのメンバー4人全員がそれぞれ注目を浴びている。これはプファルの歴史上、初めてのことだ。このようにメンバー全員がそれぞれ活躍することはすべてのバンドの望みでもある。今のプファルはその望みに近づいている。チョン・ドンハ:単独公演ではチェ・ジェミン兄さんやソ・ジェヒョク兄さんの応援ボードが多い。私には目もくれないファンも多いが、そんな様子を見るのがとても嬉しい。―チョン・ドンハはそうそうたる先輩の歌を歌わなければならないが、特にプレッシャーを感じたり、難しかった曲は?チョン・ドンハ:難しい曲とプレッシャーがかかる曲は少し違う。プレッシャーがかかる曲はパク・ワンギュ兄さんの曲だ。全体的にキーが高いので高音を歌うのが大変だ。難しい曲は故キム・ジェギさんの「愛するほど」だ。この曲は歌うたびにメロディと歌詞が違う感じで入ってくる。他の曲が完成された絵だとすれば、「愛するほど」は白い画用紙のようだ。だから私が自分で描かなければならない部分が多い。不思議なことにこの曲はテクニックを使って歌おうとするとおかしくなる。時間が流れるにつれて徐々に完成していく感じがする。―「愛するほど」が発表された時、チョン・ドンハは中学生だったのでは?チョン・ドンハ:そうだ。当時、すでにプファルを知っていたが、熱狂的なファンではなかった。だが、「愛するほど」は脳裏に深く焼き付き、自分でも知らないうちに歌っていた曲だ。―30年近く活動してきたので、ヒット曲も時代別に分けられる。ソ・ジェヒョク:「ヒヤ」が好きな世代、「愛するほど」が好きな世代、「Never Ending Story」が好きな世代に分かれる。コンサートで曲の反応を見ていると、観客の年齢が分かる。―「ヒヤ」「雨とあなたの物語」のような曲は、韓国で一番愛されるロックバラードになった。たぶん今後もそのような曲は出てこないと思う。キム・テウォン:それはその曲に盛り込まれている思い出があるからだと思う。もし音楽が単に技術力の発達によって進化するとしたら、過去の音楽はすべて消えなければならないだろう。だけど、昔の曲は依然として強く愛されている。それは緻密に計算された難易度の高いメロディや最高に美しい曲が出てくることがあったとしても、昔の曲には新しい曲では敵わない何かがあるということだ。それはきっと思い出なんだと思う。―おそらくキム・テウォンが一番多く聞かれる質問だと思うが、それでも聞いてみたい。歴代ボーカリストの特徴を1人ずつ教えてほしい。キム・テウォン:キム・ジョンソに続く2代目のボーカリストであるイ・スンチョルは、歌で人を酔わせる魔力を持っている。歌い方の話ではなく、声そのものにそのような力がある。3代目のキム・ジェギはボーカルとしての才能が誰よりもずば抜けていた。私は分析を終えてから評価をする性格だが、キム・ジェギは、私が彼の真価をすべて確認する前にこの世を去った。三国志に例えると、関羽のように伝説になった存在だ。彼の弟である4代目のキム・ジェヒにも彼の声に対してまだ評価をしていないが、キム・ジェヒが参加した4枚目のアルバム「About The Idle」は、個人的にプファルのアルバムの中で一番自信がある名盤だ。一番魂を込めて作ったアルバムである。―「About The Idle」は、プログレッシブ・ロック系の音楽で、プファルのアルバムの中で一番難解なアルバムだと評価されている。キム・テウォン:私自体が少し難解な人間である。人々の目を恐れずに私のすべてを注いだアルバムだ。3枚目のアルバムで稼いだお金をすべてそのアルバムにつぎ込んだから。―他のボーカリストの特徴も教えてほしい。キム・テウォン:すべての人の声にはその人の魂がこもっている。5代目のパク・ワンギュは自分の魂と自分の声を通じて触れながら歌うボーカルだ。そのため、パク・ワンギュの声には真正性があり、壮絶だが美しい。6代目のキム・ギヨンはプファルが一番大変だった時期を一緒に過ごしたボーカルだ。私を驚かせた音色を持つボーカリストだった。もともと私はプファルの過去の曲をあまり聞かないが、この間、偶然6枚目のアルバムに収録されている「可能性」を改めて聞いてみると、ドラム、ギター、ベースとキム・ギヨンのボーカルのバランスが完璧だと思った。残念ながら、彼はレコーディングの仕上げ段階で声帯結節になってしまった。7代目のイ・ソンウクもプファルが大変だった時期を共に過ごしたボーカルだ。彼はまるで童話に出て来るような声を持っている。現実ではなく、夢の中にいるような歌声を聞かせてくれる。8代目のジョンダンはレコーディングの時、「あんなに歌が上手い人間なんてあり得ない!」と感嘆させたボーカリストだ。まさに歌の教科書、歌の神だと言える。―9代目である今のチョン・ドンハはどんなボーカリストなのか?キム・テウォン:チョン・ドンハはプファルの最年長のボーカリストとして、長い時間努力すれば成功できるということを自ら証明してくれた。ボーカルは活動時の波が激しかったり、序盤で成功しないと歌手を止める場合が多い。でも、チョン・ドンハは音楽への信念を貫いて諦めず、着実に努力した結果、やがて自分の真価を人々に分かってもらえるようになった。4~5年前はチョン・ドンハの歌声に対し好き嫌いが分かれていた。だが、チョン・ドンハは気にすることなく持ち前の声で努力を続け、ついに人々の先入観を破った。多くのボーカリストが短期間で人気を得ては消えていく今、チョン・ドンハは努力が実を結ぶことを見せてくれた良い例である。―チョン・ドンハ本人はどう考えているのか?チョン・ドンハ:2005年に私がプファルに初めて加わった時は、プファルのボーカルが変わったことさえ気付かない人が多かった。人々が記憶するプファルは、イ・スンチョル先輩が歌った「Never Ending Story」で止まっていた。そして、2009年に「思い出す」がヒットし、キム・テウォン兄さんがバラエティ番組に出演するようになるとプファルが再び人気を博すようになった。その時からファンは、プファルの元ボーカルの先輩たちと私を比べはじめた。私の実力が足りないと言う人もいたが、私はそんな反応さえも嬉しかった。そういった意見を通じて私の実力不足を認めながらさらに頑張って練習をした。良い歌を歌うために私は大きな一歩より、着実に一歩ずつ前に進んでいくように努力を重ねてきた。―もうすぐ30周年だが、何か計画を考えているのか?キム・テウォン:今年、故キム・ジェギの20周忌を迎え、「キム・ジェギ歌謡祭」を開催したいと思ったが、思うようにいかなかった。プファルの30周年にはキム・ジェギを追悼し、ロックボーカリスト発掘のための「キム・ジェギ歌謡祭」を必ず開催したい。 ―次のアルバムの計画は?キム・テウォン:次のアルバムは。私は計画を立てて音楽を作るタイプではない。自然にその時が来れば作るつもりだ。

    10Asia
  • JYJ ジェジュン、CNBLUE…ロックに挑戦するアイドル vs ロックを捨てた歌手

    JYJ ジェジュン、CNBLUE…ロックに挑戦するアイドル vs ロックを捨てた歌手

    JYJのジェジュンが初のソロミニアルバムをリリースした。ジャンルはロックである。ジェジュンは「幼い時からロックが大好きだった。ロックマニアとまでは言わないが、ロックバンドのN.EX.T(ネクスト)、ユン・ドヒョン、YaDa、Flowerなどの音楽が好きだった」とロックを選んだ理由を語った。だが、先輩アイドルグループH.O.T.の元メンバーであるムン・ヒジュンがロッカーとして活動していた時も、FTISLANDとCNBLUEなどがアイドルロックバンドとして登場した時も、当時はまだ彼らに対する偏見が多かった。それだけに「マニアの音楽」「ポピュラーではない」という認識が強いロックを選ぶのは、まさに冒険に近いことだった。ファン層が厚く、ある程度人気が保障されているアイドルがこのような偏見を覚悟し、あえて難しい道を選ぶのかとも思ったが、彼は「初のソロアルバムでは、これまでたくさん披露してきたダンスナンバーよりは、ロックというジャンルで僕の音楽性を認めてもらい、新しい姿を見せたい」と語った。そのためジェジュンは、シナウィのキム・バダ、THE KOXX、Piaなど、人々から認められているロックミュージシャンとタッグを組み、今回のアルバムを完成させた。ジェジュンもアイドルがロックというジャンルに転向した時のリスクを理解しており、キム・バダからの現実的なアドバイスとディレクティングを受けたという。彼は、「最初からやってもいなかったロックをするからと言って僕がへこんだりすれば、より悪い評価を受けるのではないかと思う。正統派ロックをやりたかったが、僕が自ら制作して良い曲を披露する自信はなかった。悪い評価は常に存在すると思う。アンチファンもいるはずだし、本当に客観的に見て非難する方もいるはずなので、どうせやるならちゃんとしたいという気持ちが強かった」と語った。2010年1月14日、「ひとりぼっち」でデビューしたCNBLUEは、アイドルらしいメンバーがロックバンドをするという理由だけで、デビュー4年目を迎えた今も固定観念に捕らわれている。そのため、今も「ひとりぼっちバンド」という声まで上がっている。だが、CNBLUEは人々の偏見を無くし実力を認められるため、今もロックを固守している。最近リリースしたニューアルバムにも6曲全てを自作曲にした上、モダン・ロック、ポップ・ロック、ディスコ・ロックなど、様々なロックジャンルを披露した。ただ、普通はロックバンドの音楽と言えば、既成世代、古い制度、社会の不条理に対する抵抗心が真っ先に浮上するが、CNBLUEは格好いいビジュアルの少年としてのイメージを前面に押し出した。批判精神よりは、大衆性を備えたブリティッシュロックバンドとして自らの領域を確保しつつある。一方、大衆に一歩近づくためにロックではない新しいジャンルを選択した歌手もいる。ムン・ヒジュンはH.O.T.の解散後、ソロに転向しロックジャンルを選択したことで多くのアンチファンを生み、辛い時期を過ごした。だが、最近リリースしたニューアルバムには、ロックというジャンルはあまり見つけることができなかった。ムン・ヒジュンは、今まで固守してきたロックではなく、ダンスやエレクトロニック、そしてダブステップなどの新しいジャンルを披露した。何より30代中盤の年齢にもかかわらず、現役アイドルに負けないくらいのパワフルなダンスパフォーマンスを選択するなど、大胆な試みをした。これに対してムン・ヒジュンは、「ロックを約12年間やった。本当に長い時間だった。デビューしてから17年になったし、H.O.T.での5年を除いて残りの2倍以上の時間を戦った。12年間ロックというジャンルのみに取り組んだが、孤独でとても辛い戦いだったので疲れた。今まで熱心に自分のカラーを守ってきたが、どうしてまた他の音楽で積み上げてきたものを無きものにするのかと心配する声もあるが、それも怖くない。これまで踊りたいという思いが常にあったし、ロックにハマったように新しいジャンルであるダブステップに魅了されただけだ」と理由を明かした。特に彼は、「これからはファンだけではなく、多くの人々に認められて愛されるミュージシャンになりたい」と語った。理由は少し異なるが、パク・ワンギュも最近自身のトレードマークであり、プライドだったロッカーという言葉を捨てた。 バンド復活(プファル)のリーダーであるキム・テウォンのおかげで歌手になったパク・ワンギュは、1年6ヶ月もの期間、放送を通じて多くの姿を見せながら忙しい日々を送った。生活難で妻と離婚したパク・ワンギュは、今や単独コンサートを開き、自ら所属事務所を設立するなど歌手としての地位を固め、それだけに面倒を見なければならない後輩も増えてきた。これまでの人性の経験を通じてパク・ワンギュは、自身のミュージシャンとしての生き方を変えることにした。これはロッカーとして孤独に生きてきた、閉鎖された人生から抜け出し、もっと人々と交流しようとする彼の願いだった。パク・ワンギュは2012年12月1日、歌手仲間であるキム・ギョンホのコンサートでゲストとして上がったステージを最後に、自身の名前からロッカーという言葉を捨てることにした。これは自分の生き方への変化と共に、他の後輩歌手への配慮からだ。パク・ワンギュは、「ただ、公平にしたい。ロックバンドの中でKBS『TOPバンド』などの放送を通じて知られるようになった仲間もまだ、そのままの生活をしている。さらに放送に出演しなかった、さらに有名でない仲間たちはまともな生活ができるのか心配だ。こんな話をする前提には、ロックがすごい音楽ではないということがある。しかし、彼らはそれにも関わらずロックをしたがるのに、ある長髪の人間がテレビに出てロックが最高だとうるさく言う様子を見ると、果たして彼らはどのように思うだろうか。似合わない修飾語をもうこれ以上自分に与えたくなかった。彼らにも申し訳ない」と語った。皮肉にも、あるアイドルは音楽の変身を図るために挑戦という名のもと、ロックを試みた。またあるバンドは、アイドルバンドと低評価される自分たちに対する人々の認識を変えるため、正統ロックではないが、デビューしてから今までロックを固守している。反対に、12年間ロックというジャンルのみに取り組んだアイドルグループの元メンバーは、マニアらの恋だけではなく、多くの人々にまんべんなく愛されたいとし、しばらくロックジャンルを捨てた。また、ロック精神を抱き、プライドで生きてきたデビュー17年目の中堅歌手は、もうロッカーという言葉が自分には相応しくないとし、その言葉を捨てることにした。相反する選択の中で共通するのは、彼らが誰よりもロック音楽を愛しているという点だ。様々なジャンルがあるが、多くのミュージシャンは今もロック音楽が好きで憧れている。ポピュラーではないという決定的な欠点があるにもかかわらず、ロックというジャンルを捨てない理由は、まさに絶えず戦わせ悩ませるロッカー精神からではないだろうか?猟奇コンセプトの「鳥」を皮切りに、昨年最もトレンディなジャンルの「江南スタイル」で国際歌手となったPSY(サイ)も、一番好きなジャンルはロックだ。彼は、ダンス音楽を主にしているが、「Champion」「We Are The One」などのロックバージョンをリリースするなど、彼の曲の中からロックを見つけることができる。ソテジワアイドゥル(ソ・テジと子供たち)のソ・テジも、90年代にダンスやラップ音楽を大衆に広めた先駆者だが、ロックバンドであるシナウィの元メンバーで、彼の土台もまたロックである。

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  • パク・ワンギュ「虚勢を張るロッカー、正式に引退する」

    パク・ワンギュ「虚勢を張るロッカー、正式に引退する」

    歌手パク・ワンギュが自分のトレードマークであり、プライドだったロッカーという言葉を捨てた。彼がこれまで守ってきたロッカーというタイトルを捨てた理由は何だろうか。永遠のメンター(良き指導者)であり、人生の兄貴でもあるバンド復活(プファル)のリーダーキム・テウォンのおかげで歌手になったパク・ワンギュは、1年6ヶ月もの期間、放送を通じてたくさんの姿を見せながら忙しい日々を送った。「ハッピーサンデー-男子の資格」(以下「男子の資格」)青春合唱団編を通じて、強い印象だったサングラスを外し、純粋な泣き虫歌手として新しい姿を見せた。そして家族と生計のために、歌手同士のサバイバル競演番組MBC「日曜の夜-私は歌手だ」(以下「私は歌手だ」)のステージにも上がり、MBCのオーディション番組「偉大な誕生」を通じては多くの毒舌も残した。「1年6ヶ月間、旺盛な放送活動をした。周りから見るとうらやましく見え、私と同年代の先輩たちは短い期間でよく進んだとも言ってくれる。最も大きな助けをくれた方は、キム・テウォン兄さんだ。また、今後どのように生きていくべきかに対して過去の時間が私に答えをくれた。いわゆる私が最高だのような生き方は、もはやキム・ドゥハンの全盛時代に通じる過去の話となった」2013年、今年最高のキーワードは、統合と疎通だというパク・ワンギュは人間も芸能界も同じだと言った。元々自分の利益だけを考え、最も閉鎖的だった音楽業界も最近になってクロスオーバー活動が増えて、ジャンルを超えての交流が頻繁になり、段々と変わってきていると述べた。このような流れは、パク・ワンギュという人間自身の生き方もまた閉鎖から開放へと変えた。「キム・テウォン兄さんという最も近い人と話し合ってみると、人生の知恵が見えて、キム・テウォン兄さんを通じて知り合った方々と話し合ってみたら、世の中は一人で生きていくのではないと分かった。『男子の資格』の撮影の時、イ・ギョンギュ兄さんがいつもサングラスを外した方がいいと話した。イ・ギョンギュ兄さんは『人々はサングラスをかけたあなたも好きだが、サングラスの中にある君の目が真実か、嘘かも知りたがる。人々の前で素直に見せることも多くの人たちと疎通できる一つの方法だ』とアドバイスしてくれた。他のメンバーたちも私に本気でアドバイスをしてくれた。歌手がバラエティ番組に出るのが嫌だと思っていた私に温かい言葉をくれた。私もまた心を開いて素直に近づきたいと考えるようになった」パク・ワンギュは2012年12月1日、歌手仲間であるキム・ギョンホのコンサート時、ゲストとして上がったステージを最後に自分の名前からロッカーという言葉を捨てることにした。これは自分の生き方への変化と共に、他の後輩歌手のための配慮からだ。「ロッカーパク・ワンギュとしては正式に引退する。ただ、公平にしたい。弘大(ホンデ)で公演していたロックバンドの中でKBS『TOPバンド』などの放送を通じて知られるようになった友人たちもまだ、そのままの生活をしている。さらに放送に出演しなかったより有名でない友人たちは、食事をとってまともな生活ができるか心配だ。こんな話をする前提には、ロックがすごい音楽ではないということがある。しかし、彼らはそれにも関わらずロックをしたがるのに、ある長髪の人間がテレビに出てロックが最高だとうるさく言う様子を見ると果たして彼らはどのように考えるだろうか。似合わない言葉をもうこれ以上私に与えたくなかった。彼らにも申し訳ない。私も本当にやりたい音楽はロックではなく、ブルースだった。実はブルースはロックよりもっと貧乏な音楽だ。虚勢の塊だった名前はもう捨てて、今からは私が本当にやりたい音楽をしたい」また「なぜ、今まで難しく考えながら答えを探そうとしたのか分からない」というパク・ワンギュは、「最近、テレビ番組に出演した私の母が、私の記事に対する悪評を見てたくさん泣いたと言った。それで母はその当時、直接出演して私のありのままの様子を見せたかったのだ。果たして私が今、私の様子に責任を取ることができるだろうか。私がどのような人間かは、今から私が直接見せるべきだということが分かった。人々が私を悪く考えるなら、私をそう考えるようにした過去もまた私にとって確かに意味のある時間だった。世の中は公平だ。今、多くの人たちに私を知ってもらうより、私自らが表現しなければならないということを理解した」と述べた。そんな彼の様子は、過去の鋭い様子から脱し、確実に穏やかに見えた。パク・ワンギュは昨年、プロ歌手でデビューして以来、最も多く稼ぎ、最近自分の名で会社も立ち上げ、家族の他にも守るべき人々が増えた。また、稼いだものを自分のために全部使うよりも、時間をかけて寄付活動にも力を入れ、回りの人々にも関心を持つ心の余裕もできた。今月19日、20日にソウルオリンピック公園のオリンピックホールで新年初の単独コンサートを準備しているパク・ワンギュは、今回の公演の収益の一部を貧しい人々のために寄付すると述べ、普段後援してきた少年少女家長(親のいない世帯)は無料でコンサートに招待した。「私を見て希望を得たと言ってくれる人が多い。私がいつからそんな苦しむ人々のスポークスマンになったのかは分からない。目線をたくさん下げて私のような人も見ていただき、本当に感謝している。今回の公演では私が落ちこんでいた時期の曲からスポットライトを浴びた『私は歌手だ』の時の曲までいろいろ披露する予定だ。私の人生で経験したことを話したい。パク・ワンギュがどうやって生き残ることができたのだろうか。私は音楽のことだけを考えた。音楽以外のものは考えなかった。だから、20代の時にもアルバム『千年の愛』を発売した時にもできなかったこのような大きいコンサートをできるようになったのだと思う。その気持ちを胸に、一生ステージに立ち続けたい」

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  • JYJからB.A.Pまで…恵まれない人々のために米花輪を寄付したスターたち

    JYJからB.A.Pまで…恵まれない人々のために米花輪を寄付したスターたち

    冷たい風が吹き始め、初雪が降った地域もある。温かい心がより必要になったこの冬、ファンたちとともに慈善活動をした歌手は誰だろうか。まずアイドルグループJYJがいる。JYJは今年の初めから11月14日現在までに、45トンの米花輪を寄付した。最近、それぞれが活発なソロ活動を続けているJYJはテレビドラマ、映画、ミュージカル、ファンミーティングなど、公式イベントがある度にファンたちから贈られた米花輪を寄付してきた。世界各地にファンを持つJYJは日本、中国などのアジア圏だけでなく、米国、欧州などのファンが送った米花輪も寄付をし隣人愛を実践してきた。これを金額に換算すれば、1億1250万ウォン(約833万)であり、351万人の一食分にあたる量だ。14日、歌手パク・ワンギュも米花輪500kgを国際救護開発NGOのグッドネイバーズに寄付した。この米花輪は10月に慶熙(キョンヒ)大学の平和の殿堂で開かれたパク・ワンギュ単独コンサートに、パク・ワンギュDCギャラリーのファンたちが贈ったもので、パク・ワンギュとファンたちは米花輪を欠食児童のために寄付したいという意思を伝えた。彼らが米花輪を寄付したことによって3900人の欠食児童が一食を済ませられるようになった。他にもパク・ワンギュはコンサートチケットの収益金の10%を「青少年ヒーリングキャンプ」に寄付した。さらに13日にはグループULALA SESSIONも子供たちのために各地域の児童センターに米花輪270kgを寄付した。ULALA SESSIONが寄付した米花輪はムンサン児童センター、ヌレラン児童センター、North Korea Intellectuals Solidarity(NK知識人連帯)のサムフン学校、ムジゲ児童センター、クムナム勉強教室児童センターなど、合計9ヶ所に寄付された。ULALA SESSIONが寄付した米花輪は、5月と8月に行われた同グループのメンバーキム・ミョンフンとイム・ユンテクの結婚式、そして初単独コンサートの際にファンクラブULALASENSATIONが贈ったもので、ファンたちとULALA SESSIONは子供たちのために寄付をした。最後にアイドルグループB.A.Pは先月29日、ソウル高麗(コリョ)大学のファジョン体育館で開催した公式ファンクラブ創団式及びミニコンサートを祝うためにファンたちから贈られた米花輪300kgを生活に苦しんでいる人々のために寄付した。

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