私たち結婚できるかな?
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「私たち結婚できるかな?」DVDリリース決定!
「イタズラなKiss~Playful kiss」チョン・ソミン×「私の名前はキム・サムスン」キム・ユンチョル監督が贈る、リアル結婚ラブコメディ「私たち結婚できるかな?」が、2013年7月17日(水)よりセルDVD-BOX1でリリースされることが決定した。本作は最高視聴率50%突破という大人気ドラマ「私の名前はキム・サムスン」のキム・ユンチョル監督とドラマデビュー作「赤と黒」で強い存在感を発揮し、「イタズラなKiss~Playful Kiss」のヒロインを高い演技力で愛嬌たっぷりに演じたチョン・ソミンがタッグを組みリアルな結婚ラブコメディを誕生させた。ヒロイン チョン・ソミンとW主演を果たしたのは、「私に嘘をついてみて」や「美男<イケメン>バンド~キミに届けるピュアビート」で一躍ブレイクしたソンジュン。そして、ソンジュンの従兄弟の悪い男を演じるのは、「僕らのイケメン青果店」や「ラブレイン」でのクールで都会的な役で注目を集めるキム・ヨングァン。2012年の話題作で注目を集めた、スタイル抜群の2人のイケメン俳優が競演も話題となっている。結婚準備段階で破局するカップルが少なくないというほど、複雑な韓国の結婚。そんな韓国の、結婚に至るまでの過程を赤裸々に描いた今作は、多くの視聴者の共感を獲得し「私たち結婚できるかな?」マニアを生むほど。その反響はすさまじく、放送回数の延長を願う声や、登場人物に共感する視聴者からの電話がJTBCに殺到。また当初23時台に放送されていた今作だが、視聴者から「プライムタイムに!」との要望が多く寄せられ、放送時間が1時間繰り上げられたことはニュースにもなった。また、今作は放送されるたびに着実に視聴率を伸ばし、最終回には2.8%という自己最高視聴率を記録。視聴率が1%を超えるとヒットというケーブルドラマの世界で、今作の人気がうかがえる。さらに、日本版は声優、そして歌手として人気の水樹奈々が「イタズラなKiss~Playful Kiss」に引き続き、チョン・ソミンの声を担当。「美男<イケメン>バンド~キミに届けるピュアビート」でもソンジュンの声を担当した保志総一朗が、今作でもソンジュンの声を担当!その他、「機動戦士ガンダム」アムロ・レイ役ほか多くの人気作に出演する声優古谷徹などが出演。豪華メンバーでお届けする日本語吹替え版も必見だ。「私たち結婚できるかな?」7月17日(水)「私たち結婚できるかな?」DVD-BOX18月28日(水)「私たち結婚できるかな?」DVD-BOX2各¥19,950(税込)7月3日(水)より、DVDレンタル開始発売元:エスピーオー/テレビ東京メディアネット販売元:エスピーオー
【輝く俳優Vol.2】キム・ヨングァン「先の見えない道が見え始めた」
俳優にとって、時間とは意地悪なものだ。徹底的に時間を注ぎ込んで演技したとしても、必ず良い結果が出るとは限らないが、真心を込めて打ち込めば、一度くらいは爽快な喜びを感じることもあるからだ。2008年KBS「彼らが生きる世界」の脇役をはじめとして、俳優デビュー5年目になったキム・ヨングァンにとっても同じことだ。MBC「トリプル」からJTBC「私たち結婚できるかな?」まで、彼は少年と大人の男性の間にある、様々なキャラクターを演じた。途中で戸惑ったときもあったが、上手くいきそうな予感をほんの少し感じた。しかし、そんな意地悪な時間の中でも常に努力し続けたおかげで、やっと「私たち結婚できるかな?」のギジュン役として、キラキラ輝く瞬間を残すことができた。彼は、自分自身でも知らないうちに少年から大人の男性として成長していた。「10asia」が2013年注目すべき2番目の俳優として選んだキム・ヨングァンにとって、その輝きは頻繁に訪れるものでなく、より一層大切な瞬間の喜びだった。何でもできる男。キム・ヨングァンは、最高の男を夢見てきた。しかし、彼はデビューの時から男というよりも、少年の顔でアプローチしてきた。彼が「トリプル」のジェウクとKBS「お嬢さまをお願い!」の間の抜けた執事チョン・ウソンとして見せた少年の笑顔は、すらりとした背丈のようにすっきりしていて、KBSドラマスペシャル連作シリーズ「ホワイトクリスマス」のチョ・ヨンジェのようにどこに飛ぶか分からない少年のエネルギーは、元々キム・ヨングァンの持ち物のようによく似合っていた。素敵な男性のようにスーツを着て、おぼろげな視線で一人の女性を見つめるも、不思議と少年のように見えたKBS「ラブレイン」のハン・テソンも、キム・ヨングァンの表情を浮かばせた。しかし、ある日このような考えをひっくり返すように、キム・ヨングァンは本物の男になって帰ってきた。大声を出さなくても、愛してほしいと叫ばなくても、簡単にドンビ(ハン・グル)と女性視聴者の心を惹きつけた「私たち結婚できるかな?」のギジュンになったのだ。キム・ヨングァンは驚くほど最高の男に近づいていた。最高の男になりたいというキム・ヨングァンの熱い思いは、自分に合った作品と出会うことで光を放った。枠に閉じこめられるより、自分の考えを演技で表現した時に、光を放つことのできる彼に「私たち結婚できるかな?」は翼をくれた。「自分で感じ、考えた上でキャラクターを作らなければならないのに、演技の仕方が事前に決まっていると、その型に合わせるのは難しいんです。だけど、今回は監督が事前に用意をしてくるタイプではなかったので、楽しく演じることができました」カリスマを装うのではなく、力を抜くことでより魅力的だった悪い男ギジュンは、何よりもキム・ヨングァンの厚かましさを完成させた。そして、この厚かましさは、自分の思い通りに演技ができず、4年間の俳優生活でたくさん泣いて、悩んだ末に起きた変化だった。「ギジュンが話す言葉をすべて納得したわけではなく、ドンビにこれから君がするキスは全部無効だと言った時は、鳥肌が経ちました。でも、不思議なくらい凄く堂々とした演技ができました。以前、壁にぶつかった時は、あれこれやって、もどかしい時もあったけど、今回は理解できなくても、『これで良いのだ』と思いました」厳しい現実に憤りを感じたりもしたが、諦めず、ぶつかってきたおかげで、キム・ソングァンは少年のエネルギーがなくても、見る人を虜にするカリスマ性を手に入れた。偶然通り過ぎたかもしれないこの作品を自分のものにした真の力は、キム・ヨングァンが一人で戦い守ってきた、根性だった。忍耐力のある少年から余裕のある大人の男に未熟で、理解できないことも堂々と演じることができるのは起伏が激しいキム・ヨングァンにとっては何よりも意味のある武器だ。「しっかりやっていても、型にはまったキャラクターを演じることになると、凄くストレスが溜まります。そんな状況でも生き生きと演じなければならないのに、その型を壊すことが難しいんです」型を壊そうとする度に、彼を引き止めたのは、その状況から抜け出すことができず、混乱していたキム・ヨングァン自身だっただろう。彼は、人々に忘れられるのが不安で、早く成長したいが、大人のように縛られたくないだけに悩みが多く、最終的にエネルギーを集中させるのが難しかった。そんなキム・ヨングァンが完璧主義を置いて、一息ついたというのは、強情だけでぶつかってきた過去から抜け出し、次の段階に進んだことを意味する。「できないことも、今のように『何、そんなこともあるさ。大丈夫!』と思うと、上手くできるような気がします。段階を一つずつゆっくりと上がりながら、少しずつ成長しているようです」忍耐は誰にも負けないというキム・ヨングァンが余裕と度胸を手に入れた。今からがスタートだと叫ぶキム・ヨングァンの意気込みが、ギジュンとして見せてくれたもの以上の成長を引き続き期待することのできる理由だ。俳優としてどのあたりまで上がっているのかと聞くと、まさに今訓練を終えて、部隊配置を待っている兵士のようだと答えた。本格的な軍生活を始める兵士のように、これから起きることが退屈で、先が見えないというわけではない。先の見えない道が見え始めた感じというように、俳優として時間を費やしてきた結果を今になって味わったキム・ヨングァンにとって今は、これまで以上に情熱と熱気に満ち溢れた瞬間だ。「あえて強く、悲しいキャラクターを演じるより、失敗しても構わないので、マラソンのように徹底的に準備して演じてみたいです。自分を極限まで追い込んで、試練に耐えるといつか自分にも幸せな日が来るようなお決まりのストーリーが好きなんです」キム・ヨングァンが俳優として、軍服務を終えて戻ってきた時、本当にそのようになっているのかは約束できない。彼の望み通り、何でもできる男になっているかは未知数だ。しかし、催促したり疑問に思う必要はない。今までやってきたように、待つことでキム・ヨングァンはいつか結果を出すからだ。それが何であれ、お決まりのものではないだろう。今のキム・ヨングァンは、最高の男に一歩近づいている。
【輝く俳優Vol.1】ソンジュン「正しい道を歩んでいると思う」
閃光を放っていると言えば良いだろう。それは数多くの新人の中で俳優というタイトルを手にしている彼らがその可能性を見せる瞬間のことだ。それは一瞬のことのように、とても短いかもしれない。しかし、それさえも数多くの新人の中で、数少ない人だけが見せていると思うと、それ自体がどれだけ難しく、大切な瞬間なのかが分かる。まだ未熟だが見守りたくなる4人の俳優が残した些細なことも「10asia」が覚えているのはそのような理由だからだ。特に彼らは日照りが続いていた中で、目を輝かせたくなる俳優が少なかった20代男性俳優のカテゴリーから飛び出してきたという点で、より大切な存在である。ゆっくり歩んでいるが、いつからか人々を強く魅了している彼らは、今どこへ向かっているのだろうか。最初に2011年KBSドラマスペシャル連作シリーズ「ホワイトクリスマス」でデビューした後、昨年JTBC「私たち結婚できるかな?」まで、驚くほど速いスピードで自分の領域を広げている俳優ソンジュンの足跡を追ってみた。彼が聞かせてくれた話は、一度見たら忘れられないほど強烈な彼の印象と似ていた。ソンジュンは非現実的だ。停止した画面の中でも何かを語っているような不思議な眼差しを持っているからではない。ソンジュンはわずか1年前、tvN「美男バンド~キミに届けるピュアビート」で格好つけた高校生クォン・ジヒョクとして人々に広く知られ、その後半年も経たない昨年の夏は、お金がなくて生活に苦しむKBSドラマスペシャル「湿地生態報告書」のチェ・グンだった。そして数ヶ月後は、毎日彼女に叱られるJTBC「私たち結婚できるかな?」のジョンフンとして生きた。もう少し遡ってKBS「ホワイトクリスマス」のチェ・チフンを思い出すと、混乱してしまう。誰よりもアウトサイダーの方が楽だった「ホワイトクリスマス」の高校生が会社で苦労しながら、「人は変わっても、愛は変わらない」と信じる「私たち結婚できるかな?」の平凡で純粋な男になったからだ。世相の中心に足を踏み入れるまで2年余りかかった。そんなに無理をしたわけではない。本当にソンジュンは非現実的だ。この俳優に心を打たれた理由は、単純に2年という物理的な時間が経ったからではない。自分にしか不満を言えないほど、自発的に外部から離れていたソンジュンは自我を育ててきた男だった。「そばに誰かがいるのが嫌だった。ストレスが溜まるから。昔はただ一人で音楽を聴いたり、映画を観たりした。自分が好きなことだけして生きていた」そのようなソンジュンがある日突然、何気なく自分を消した。他のものでもなく、人間ソンジュンを消したのだ。現実に似た仮想空間で、自由に動く俳優になるためだった。「僕ではなく、ただクォン・ジヒョクであり、チェ・グンであり、ジョンフンでいなければいけなかった。そうしなければ、良い演技はできないから」仮想空間で本当のように話をしたり、笑ったりすること。これはその気になったからといって、簡単にできることではない。いや、覚悟した瞬間、すべてが偽者になってしまう。そのような理由で、ソンジュンは表現ではなく、反応し始めた。無理して何かを表現するより、台詞だけを覚えたまま撮影現場に行き、芽生える感情に対応すれば良いということをソンジュンは知ることになったのだ。もちろん今も彼はそれをじかに感じて、世の中を受け入れている。チェ・グンを知るために実際にお金を持ち歩かないなど、その時その時自分の壁を作ってみるのは、彼が自分以外のものを受け入れる独自の方式である。しかし、それさえも劇の中で自分を消すためにしたことだった。だから、クォン・ジヒョクとジョンフンのように周りとコミュニケーションをとる人物とソンジュンが重なっても衝突しなかったのは当たり前のことだ。少年を消した空間に詰め込んだ俳優自我に満ちていた少年が、大胆に自分自身を消し、俳優ソンジュンの名前を書き込んだ。そして思ったより短い時間で、俳優ソンジュンは様々なキャラクターを演じた。だが、これよりさらに興味深いのは、単純に見えるが混乱するようなこの過程をソンジュン自身がコントロールできるということだ。ソンジュンはアイデンティティが次第に薄くなっているようで喪失感は感じているが、不安にはならず、同時に俳優として悪くないということを前提にしてバランスを取っている。自分の最も大きな変化の一つを第3者の立場で見る、客観化されたソンジュンは少しのことでは動揺しない冷たい宇宙である。そしてその宇宙は、いつでも新しい人物を受け入れるために、思い通りに自分を動かす準備ができている。まだ未熟で、経歴も多くはないが、俳優ソンジュンが怖く思えるのはこの様な理由だからだ。現実のせいにして逃げようとする人に「僕は野望がない男だ。僕は小さくて、素朴な人生が良い。うん妻を熱く愛して、その愛を維持して、子供を一緒に育てて、大したお金ではないけど、些細な幸せを楽しむこと。僕はこのような人生を君と一緒に歩くなら大丈夫だと思った」と照れながら話すジョンフンも、反対に「まだ未熟な面がたくさんあるけれど、僕は自分が正しいと考える道を歩んでいると思う」と堂々と話すソンジュンも、結局みんなを説得してしまうのだ。今ソンジュンは、彼の言葉通り「スタートしたところから、5歩進んでいる」のかもしれない。だが5歩しかではない。ソンジュンは一番堅固だった自我を柔軟に動かせるようになったからだ。それも重心を土台にして、思い通りに大きな振幅を描きながら。そのため、俳優ソンジュンにかける期待は、ただ様々なキャラクターを自分のものにするだけに留まらない。他の人ではないソンジュンが努力して得た結果を、そして彼が解釈して誕生させた新たな人物を確認したくなったからだ。「何がしたいということは重要ではないそうだ。ある先輩は、『俳優とは自分に合った作品を見つけていくのではなく、作品に合わせて行くこと』だとおっしゃっていた」ソンジュンは軽く他人の言葉を伝える。しかし、その言葉の中には、より自由に自分を消し、劇の中に飛び込んで行く彼の志が刻まれている。焦らず、一歩も無駄にしない俳優ソンジュンは、そのような理由で今後も非現実的であり続けるだろう。これ以上頼もしい予感はない。
「私たち結婚できるかな?」ハ・ミョンヒ脚本家“様々な人々が自分と他人を許し、幸せに暮らしたら良いと思う”
プロポーズで始まり、結婚で終わった。出生の秘密も、親の敵も、後からみると女子高校の時の同級生だったり、姻戚関係もない世の中のありふれてた結婚にまつわる話である。しかし、JTBC「私たち結婚できるかな?」は、すべての人が知っていると思った、これ以上新しいこともない結婚の話から、個人の成長と人間関係に対する考察、不合理な慣習から抜け出す勇気まで提示し、充実した内容で全20話ドラマの幕を下ろした。お互いの欲望で、ぶつかることもあったが、絶対的に悪かったり、優しくはないキャラクターたちと、リズミカルでありながらも、ちょうど良い加減の台詞で2012年の人々の社会の断面を描き出したハ・ミョンヒ脚本家に会った。―「私たち結婚できるかな?」は、放送前にKBS「夫婦クリニック~愛と戦争~」(以下「愛と戦争」)の脚本家が書いた結婚の話題という面で関心を集めた。ミニシリーズ(毎週連続で2日間に2話ずつ放送されるドラマ)の脚本家としてのデビューが遅れた方だが、今までどんな作業を行ってきたのか。ハ・ミョンヒ:子供の時から文章を書きたいと思っていたけど、どんな文章を書けば良いのか分からなかった。大学卒業後1年ほど勤めていた会社を退社して、小説の書き方を習ったり、放送作家養成所のドラマ脚本家コースに通ったこともあった。ある日、スタジオ見学に行って運命を感じた(笑) その後、放送作家養成の専門学校に登録し、94年にMBC「ベスト劇場」の脚本公募展に当選した。チェ・ワンギュ脚本家の後についで「総合病院」を6ヶ月程度書いて、KBSで「愛が花咲く教室」という青春ドラマといくつかの単幕劇を執筆した後、しばらくの間休んだ。そして2006年から「愛と戦争」に参加して2009年のシーズン1の幕が下りるまで執筆した。―「愛と戦争」の執筆は、以前執筆した自分の作品とはまったく違う経験だったと思う。ハ・ミョンヒ:「愛と戦争」に参加したことは脚本家人生で神の一手だった(笑) 新人脚本家の時、私が書いた文章を読んで、監督たちが少女好みの文章と話していた。穏やかで線がきれいで、キャラクターが弱いと言われた。でも、今はまったくそんなことは言われない。過激な世界でいろんなことをたくさん学べた。私は人生を生きながら特別な苦難なく、平凡に生きてきた人間だった。だけど、「愛と戦争」のアイテムになる事例を見ると、どうしてこの人たちは離婚しないのかなと思った。誰が見ても離婚が解決策だったのに、離婚しない人たち、辛くて苦しくても一緒に暮らさなければならない人生に対して考察も勉強もたくさんした。「『私たち結婚できるかな?』の劇的な部分は徹底した普遍性から始まった」―「愛と戦争」を通じて結婚という題材に対するコツは得たと思うが、「私たち結婚できるかな?」のように極端な設定や独特な装置がない平凡な結婚物語をミニシリーズとして繰り広げるためには、大変なこともたくさんあったと思う。ハ・ミョンヒ:私は思うドラマで一番重要なものは日常性だと思う。監督たちから劇的な面がないと指摘されたけど、私が見て話にならないことは、書きたくなかった。だから「私たち結婚できるかな?」の劇的な面は、徹底的に普遍性から始まった。結婚をしてもしなくても、人生を生きながら、誰もが避けられない問題だから、そんな物語を通じて人々と疎通したかった。そしてヘユン(チョン・ソミン)の結婚と同時に姉ヘジン(チョン・エヨン)の離婚の話を進めながら劇的な面を強化することにした。―しかし、「私たち結婚できるかな?」の中心は、結婚や離婚をする当事者でなく、姉妹の母親であるイ・ドゥルジャだったようだ。根気強くて、子供のために犠牲になる母親像はドラマでよく登場するが、イ・ミスクを通じて生命力を吹き込まれたイ・ドゥルジャはとても独特で強烈なキャラクターだったハ・ミョンヒ:ドゥルジャは荒くて、子供のためならどんな苦痛や危険も厭わない猪突猛進で積極的な母親の設定だったので、イ・ミスクさんがキャスティングされたことを知って、少し心配した。あれほど女性らしい魅力がある女優から、がむしゃら母親の姿を見せられるか心配だった。だけど、やっぱり素晴らしい俳優だった。私は脚本を書くとき、俳優たちが自然に演技できるように感情や表情に対して細かく説明しない方だけど、イ・ミスクさんが「父親なしで子供を結婚させる母親の気持ちをあなたが知ってるの?」という台詞で感情をリアルに表現したシーンを見て本当に関心した。がむしゃらに働いて、生計を立てながらも、軽薄に人ではなく、堂々としたドゥルジャを演じて見せたのだ。話題になったブルーのアイシャドウも自ら選んできたけど、ある人は最近誰もあんな色の化粧はしないと言っていたけど、ドゥルジャだったらあり得ると思った。かえって他の人から何と言われても消す人ではなかったので、「このブルーのアイシャドウはキム・テヒがしても似合わないけど、私だから似合うんですよ」と言う台詞を入れた。そしてドゥルジャの「みんなが私にね、イ・ミスクに似てるって」の台詞はアドリブだった(笑)―結婚準備をする時から始まる問題なら、大抵結婚を反対する相手側の親との対立を思い浮かべるが、それよりも熾烈な戦いは自分の親との間で起こるという点に集中したことが印象的だった。ハ・ミョンヒ:とにかく相手側は他人だからわざと対立構造を作るのが難しい。それに結婚前だから対立が大きくなれば、別れればいい。だけど、親と子供の関係は切ることができないから、より熾烈になるしかない。今の世代の親の世代は価値観自体が違うから、衝突を避けることができないという点が普遍的だと思った。―生活方式と価値観が違う両家両親の対立は両家の顔合わせ、結納、結婚準備などの段階ごとに緻密に描かれた。その微妙な過程をどう構築したのか。ハ・ミョンヒ:普遍性を持つ話であると同時に情報を伝えたいという意味もあった。実際に結婚する人たちも、目前に迫るまで準備過程をよく知らない。だから、基本的な順序を調べて、「愛と戦争」の時、結納品にまつわる話を書きなら知るようになった内容も参考にした。実は私、このドラマに出る内容の中で結婚したことも、結婚を決心したことも、子供を産んだこともなく、たった一度の愛を経験しただけの人間だ(笑) 重要なことは観察力と想像力だ。まったく違う文化の衝突、男性側の家にまったくお金を使いたくないドゥルジャと息子を持つ母親ウンギョン(ソヌ・ウンスク)の間でどんな葛藤が生じるか考えた。―ドラマでダブー視されてきた恋人たちのスキンシップと結婚前に性的関係を持つことを日常生活の一部として描き出した試みもやはり大胆だった。どんな意図だったのか。ハ・ミョンヒ:最初から愛とセックスが乱舞するドラマを書くぞ!と言った。台本を読んだ製作会社の代表理事が「その部分はどこにありますか?」と聞かれたけど(笑) 「愛と戦争」を執筆しながら。セックスレスの夫婦に関する話をよく見たけど、私の考えでは、家族同士のスキンシップが増えるなら、社会的な問題も減少すると思う。そんな面で親と子供がキスシーンくらいは一緒に見て、正常的な関係の中でのスキンシップが増えなければならない。そして、ドラマの中で恋愛がおとなしく描かれるのとは違って、自分自身の幼稚さを表に出して、それを受け入れてくれる相手との関係が健康な恋愛だと思う。「賢いヒロインが迷惑をかけながら、感情移入させるのも嫌いだった」―ヘユンというキャラクターも興味深い。愛のためにすべてを耐え切るよりも、明確な欲望と現実感覚もありながら、時には自己中心で計算的な姿があった面で、典型的な愛らしいヒロインの枠から抜け出した。ハ・ミョンヒ:それが欠点になるとは思わなかった。かえって現実的な性格は魅力として加えた。とても優しくて、完璧なキャラクターを作りたくもなかったし、普段は賢いヒロインにわざと間抜けな面を加えて、迷惑をかけながら感情移入させるのも嫌だった。それより私がヘユンの欠点として加えたものは、普段は正常だけど、恋愛をする時だけ、彼氏をいじめたり、うるさく小言を言ったり、よく怒る性格だった。平凡な女の子の中でもよくある性格だけど、ヘユンはコンプレックスからくる欠点を彼女が成長しながら捨てていくのだ。―ヘユンが「私たち、みんな思春期になるだけで、親を客観的に判断する」と言ったように、人間は成長しながら親を客観的に見るようになり、特に結婚が決定的なきっかけとなる。このように距離を置くことは、親と子供、両方に簡単ではない過程だが、これを描きながらどんなことを考えたのか。ハ・ミョンヒ:「私たち結婚できるかな?」で恋人、親子、夫婦、兄弟姉妹、同性の友達、異性の友達など、多様な関係をすべて整理した。結婚は表面上に現れたことだけではなく、すべての関係に対する整理と新たな出発でもある。特に、年を重ねると親離れしなくてはならないように、親も子離れしなくてはならない。親だけ知らないだけで、子供は外で自分の親がどんな人なのか批判する(笑) 親は常に子供に最善を尽くしたので、子供たちが親を批判するとは思わないだろうが、実はそうではないから、それを教えてあげたかった。―ほとんどのキャラクターが長所と短所を同時に持っているので、単純な悪者も正義の味方もなく、それぞれの立場が説得力を持っていたが、ジョンフン(ソンジュン)の父親ドンゴン(カン・ソグ)は実力と人柄の面でほとんど完璧な人物だった。このようなファンタジーを提示した特別な理由があるのか。ハ・ミョンヒ:家庭の中で父親の役割はとても重要だと思う。私たちの父の世代は仕事とお酒のせいで、家庭から遠ざかり、年を重ねると家族とさらに疎遠になる場合が多かった。それに、父との関係が良くなかった人たちは社会生活や恋愛問題でも苦痛に思う場合が多い。ところが、ジョンフンの父のような男性がいたら、家庭というものがどれだけバランスが取れて、健康な家庭を築けるのかを描きたかった。ジョンフンがたくさんお金を稼げる男性ではないけど、結婚したい男性、一緒に歩みたい人生を夢見ることができる男性になったことも、そのような父の影響だったから、ドラマを見る誰かにもそんな夫、父になりたいと思わせたかった。―台詞が速くて多い方だったが、各キャラクターに合う表現とリズム、台詞自体が持つ力を感じた。執筆する時の原則があるとしたら。ハ・ミョンヒ:一番目は言葉を書こう。ドラマだけで使う言葉ではなく、人々が実際に使う言葉。二番目は少しは想像できる、ドラマの中だけで使う台詞を入れよう。二つの適切は配合は9:1にしようとした。ドゥルジャの台詞の場合は、イ・ミスクさんを思い出したら、自然に浮かび上がったことも多かった。インスピレーションを与えてくれる俳優だ。―「私たち結婚できるかな?」は脚本、俳優、演出の三拍子がぴったり合った、最近では珍しい作品でもあった。キム・ユンチョル監督との作業はどうだったのか。ハ・ミョンヒ:もともとファンで、好きだった監督だったので、一緒にこの作品を作り上げたいとおしゃってくれた時は本当に嬉しかった。物語の構造と台本の特性をよく把握してくださった。台詞が多いことに対してもそのまま受け入れて下さって、ドゥルジャと姻戚関係であるウンギョン(ソヌ・ウンスク)の心理戦のシーンでは、かえって台詞をもっと増やしてほしいと提案してくれた。週2回の撮影に編集、音楽まで緻密に取りまとめて下さったので、体力的にも大変だったと思うけど、製作をする中、一番私を配慮して下さった方だ。尊敬と感謝の念を送りたい。「傷ついた治癒者になりたい」―振り返ってみると「私たち結婚できるかな?」を通じてどんな話をしたかったのか。ハ・ミョンヒ:結婚する時、男性は女性に対して責任を取ると言うけれど、どうして女性はそう言わないのか、その疑問から始まり、たくさんのことを考えた。何よりも女性たちに良い男性に出会うことで、大吉の人生になり、すべての問題が解決するというファンタジーを与えたくなかった。既にこの世の中は変わっているのに、ドラマの視聴者を追ってはいない。現実の男性の中では毎月2百万ウォン(約163,000円)以下の給料をもらうサラリーマンが70%で、彼らと結婚して生活しなければならない女性たちもやはりドラマのように暮らすことができず、外に出て仕事をするしかない。そのような理由で、そのような現実を事前に考えることで、私がこの男性とどう生計を立てて、どんな方法で暮らしていくかに対して主体性を持って悩むきっかけを作ってあげたかった。―それなら、この作品が視聴者たちにもたらすどんな変化を期待しているのか。ハ・ミョンヒ:世の中に生きているさまざまな人々が自分自身を許して、他人も許しながら幸せに暮らしてほしい。お互いの関係を通じて救援され、お互いの人生に深く干渉せずに、今自分が生きている方式が正しいと信じながら生きてほしい。人間関係にあってドンビ(ハン・グル)のような配偶者が多いけど、どんな理由であっても、彼らが他人に優しくしてあげて、配慮することは正しいと思う。愛も与える人が強者であるように。―次にはどんな作品で会えるのだろう。ハ・ミョンヒ:2010年の放送コンテンツ振興財団の公募展で当選した医療ドラマ「女性チンピラのヘジョン」を準備している。青少年時代を暗鬱に送った女性チンピラが過去を乗り越えて医者になることで繰り広げられる物語を描いた作品だけど、台本が中盤くらいまで作られたので、できる限り早く始めたい。韓国の医療体系の変化に対する話も扱っているので、社会的な接点も見つけることができるだろう。―最終的にどんな脚本家を夢見ているのか。ハ・ミョンヒ:Wounded healerすなわち傷ついた治癒者になりたい。誰もが人生を生きていきながら傷つくしかない、脚本家はそのように傷つきならがらも、他人を癒す人でありたい。そして、死ぬまで脚本家として仕事をしたいと思っている。
【CLOSE UP】「私たち結婚できるかな?」イ・ジェウォン ― 世界のどこにもいない“元カレ”
結婚を控えたヒロインの元カレ。職業は弁護士。好みの弁当を考試院(コシウォン:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作った長期宿泊施設)まで持って来てくれた彼女を置いて浮気をし別れたが、自分に献身的な女性が必要だという理由で再び訪ねてきたこの男は、何事もなかったかのようににやにや笑いながら堂々と話す。「僕が訪ねて来てもいつでもお前は拒否できる。でも、お前、そうはしないだろう」。JTBC「私たち結婚できるかな?」でイ・ジェウォンが演じるサンジンは、ヘユン(チョン・ソミン)とジョンフン(ソンジュン)の恋愛に突然登場した元カレであり、ヘユンの姉ヘジン(チョン・エヨン)の離婚訴訟の担当弁護士という曖昧な立場に立っている男だ。だが、イ・ジェウォンは最初からこのように誰も視線を投げなさそうなサンジンの恋愛に興味があった。「実は少し不器用ですが、彼女がよく食べて生きるように外で熱心に働くというやり方で、自分ならではの恋愛をする人物がサンジンです。純粋だったり、ものすごく優しくしたりする男ではありませんが、自分ならではの方法で恋愛を探す人です」どこにでもいるが、見たことがない男演技をしていない普段のイ・ジェウォンはみっともないというよりあどけなくて、少しだけ気分を悪くしてもすぐ無邪気に笑いそうな顔を持っている。同時に、どこかへ行ってもまったく負けないようなしっかりとした視線を投げる。彼が「私たち結婚できるかな?」にキャスティングされるきっかけとなった、KBS「ドラマスペシャル」の「湿地生態報告書」で演じたノギョンは、友達の家に居候をして就職もできず戦々恐々としながらも、主人公のチェ君(ソンジュン)に女性とのデートのノウハウを教えようと、紙コップの底をくしゃくしゃに巻いてワイングラスを持つ振りをする。限りなく天然な姿が印象的だった彼が、サンジンのようにみっともない姿とくじけない姿という相反する姿をすべて持つ役で戻ってきたのは当たり前のことかもしれない。そして、これは映画「カン・チョルジュン 公共の敵1-1」をはじめ、「アジョシ」とKBS「カクシタル」など見せた、憎たらしかったり、ふざけたりするのに欠かせない役を継続して演じていた間、「六つの原則の中で他の五つの原則は台本に全部出ているから、俳優として似たような役をどのようにするかにより焦点を」合わせて少しずつ固めてきた実りであろう。どこにでもいそうな平凡な役の一つ一つを「イ・ジェウォンならではの何か」にするために努力してきたストーリーには、まるでノギョンが手で隅々まで擦って作り出した紙のワイングラスのように粗雑に見えるが、我慢強い真心が込められている。自らビデオオタクだったというほど、目の前に繰り広げられる映画とドラマの世界に溺れていった高校時代、イ・ジェウォンはある俳優を発見すると、彼のフィルモグラフィーに最初から全部目を通し、また見れば見るほど映画にしっかりはまっていった少年だった。そして、卒業する学年になって進路を選択しなければならなかった時、とうとう自らその世界に入ってみようと心を決めたことは、まるで毎日食べるご飯に他のおかずを一度のせてみることのように自然なことであった。「学問への情熱がとりわけ強い大邱(テグ)寿城(スソン)区の学区内で唯一」演劇映画学科の進学を希望していた彼は、「自分にどれだけの可能性があるのか気になって」週末ごとにソウルにある塾に通いながら進学の準備をした。平日は学校へ、週末は明け方にKTX(韓国高速鉄道)に乗って塾へ行き来するという過酷なスケジュール。しかし、イ・ジェウォンは「大邱の田舎者だったからこそ、もっと頑張れた」という言葉でその辛かった時間を要約する。何かに集中するとそのまま突っ走ってしまう趣向が彼をこの世界について勉強させ、1年間で分かってきた演技の味は、忙しく行き来する生活に振り回されずに自分の準備をし、集中するようにした基盤になったのだ。「サバのような俳優になりたい」確信的な話をする時は弾力よく声のテンションを上げていたイ・ジェウォンは、Twitterに掲載した「サバのような俳優になりたい」という表現を詳説しながら、口元を大きく引っ張って笑った。「グルメ紀行番組でサバの特集を放送していました。安くてありふれた魚だから、簡単に食卓に上るのがサバじゃないですか。でも、その味は本当に食べるたびに『サバってこんなにおいしかったっけ』と思うんです(笑) 一瞬、そんな俳優になりたいと思いました」ある作品が繰り広げるストーリーは時に、そのストーリーを待っている人々の前に整えられる食卓となる。贅沢に整えられた食卓であれ、数少ないおかずでこぢんまりと整えられた食卓であれ、その上でイ・ジェウォンが居たいと思う場所は、最初は目立たないが、一度手が伸びると何度もスプーンの上に乗せるようになるサバなのだ。演技というスプーンの上に香ばしくてあっさりした味をのせたがるこの俳優は、これからまたどんな味に興味を感じるのだろうか。何になろうと、すでにサバの平凡ながら非凡な味を一番にした俳優だ。だからこそ、イ・ジェウォンが料理するサバのおかず一皿を、そしてまた違う味の何かを私たちはただ涎を飲みながら待ってみてもいいだろう。
「私たち結婚できるかな?」新たなホームドラマの誕生
※この記事にはドラマ「私たち結婚できるかな?」の結末に関する内容が含まれています。 JTBC「私たち結婚できるかな?」最終回 1月1日夜10時放送最終的に、ヘユン(チョン・ソミン)とジョンフン(ソンジュン)は結婚に至り、ドゥルレ(チェ・ファジョン)は子供を授かった。家族と結婚を中心にした多くのドラマのように「私たち結婚できるかな?」も家庭を築き、家族を増やしながらキャラクターたちの重要な時間を描いた。しかし、他のドラマでは省略したり、大まかに結婚過程を描いていた反面、このドラマが徹底的に描いた結婚は、単純な和解、強迫的な縫い合わせではなかったため、依然としてリアルで斬新だった。最終的にヘユンとジョンフンは結婚を含めた多くの出来事の中で、本人たちが本当に望んでいるものを選べるかどうかの判断力を得ることができ、ドンビ(ハン・グル)とキジュン(キム・ヨングァン)は本人たちが望んでいるものを手に入れるために妥協しなければならないことを理解して、受け入れる勇気を得ることができた。虚飾と義務が多くなるからではなく、自分自身の人生を自ら支えなければならないため、このドラマは結婚というものを大人になるための通過儀式として描いたのである。それだけではなく、同ドラマでは当事者ではない人々にも結婚を重要なターニングポイントとして活用することで、より幅広い関係を説明し、人間を理解している。ドゥルジャ(イ・ミスク)から幼いテウォン(ファン・ジェウォン)まで、最終的に他人を自分が望む方向に強く押し付けた人はいなかったし、望むものがあれば、諦めなければならないものも生じるという人生の法則も公平に適用させた。またその道理を通じて家族という共同体の中で存在する亀裂をリアルに表現し、その隙間を認めた時、本物の家族が完成すると説得している。結局ウンギョン(ソヌ・ウンスク)の気を楽にさせるものは、息子の犠牲や夫の補償ではなく、自分自身の限界を認めた彼女自身だった。現実を写し出したような「私たち結婚できるかな?」が新たな物語として感じられるのは、まさにその点である。華麗な家族写真のように目に見える幸せではなく、個人の幸せを通じて家族全体の平均的な幸せを具現できるという洗練された脚本家の意思を通じて、最終的にこのドラマは結婚を探求した趣旨を自ら説明した。そして、不可能だと思われた新しいタイプのホームドラマが誕生したのである。
「私たち結婚できるかな?」リアリティ溢れるストーリーに“泣いたり笑ったり”
※この記事にはドラマ「私たち結婚できるかな?」の結末に関する内容が含まれています。結婚の現実を描いた「私たち結婚できるかな?」が20話で放送を終了した。韓国で1日に放送されたJTBC月火ミニシリーズ(毎週連続で2日間に2話ずつ放送されるドラマ)「私たち結婚できるかな?」(脚本:ハ・ミョンヒ、演出:キム・ユンチョル)は、結婚を準備する中で紆余曲折を経験した2組のカップル、ジョンフン(ソンジュン)とヘユン(チョン・ソミン)カップル、キジュン(キム・ヨングァン)とドンビ(ハン・グル)カップルがそれぞれ結婚し、ハッピーエンドで幕を閉じた。「私たち結婚できるかな?」は、地上波3局のドラマと同時間帯に放送されたが、次第に視聴率が上昇し、注目を集めた。「私たち結婚できるかな?」は、結婚式まであと100日の予備夫婦へユンとジョンフンが結婚を準備する過程で経験する数々のハプニングを通じ、結婚の文化と結婚生活を描いた。2005年韓国にキム・サムスンブームを起こしたキム・ユンチョル監督とKBS 2TV「夫婦クリニック 愛と戦争」の台本を執筆したハ・ミョンヒ脚本家が意気投合して作ったドラマということで期待を集めた。期待通り「私たち結婚できるかな?」は、リアルな結婚についてのストーリーを展開し視聴者の共感を得た。たくさんのカップルが結婚を準備する過程で婚約破棄をするという話をそのままドラマで描いた。ジョンフンとヘユンは結婚を控え、両家への挨拶まで済ませたが、親たちの心理戦によって二人は別れたり、よりを戻したりを結婚するまでに2度も繰り返した。序盤でのヘユンは、姑になるウンギョン(ソヌ・ウンスク)といい関係だったが、結納などを準備する過程で互いのあまにも違う家庭環境のせいで対立が発生した。ここにウンギョンとヘユンの母ドゥルジャ(イ・ミスク)のプライド対決まで重なり、ジョンフンとヘユンの結婚は危機を迎え、結局彼らは別れることになった。最後は、二人が結婚するという幸せな結末になったが、友人の結婚準備をそばで見てきた人、そして結婚した視聴者だけでなく子供たちを結婚させた視聴者も大きく共感できるストーリーであった。それだけでなく、もっぱら息子のキジュンだけを見て生きてきたキジュンの母は、ドンビがキジュンと結婚しようとすると、キジュンの前ではドンビに優しいが、キジュンがいない時はドンビの頬を殴りながら大声で「生意気な」と言うなど、息子への歪んだ母性愛でドンビを苦しめた。キジュンとドンビカップルの姿も私たちが時折耳にする話だった。ドラマであるだけにある程度劇的に誇張された部分はあったが、「私たち結婚できるかな?」はできるだけリアルに結婚について描いていた。「私たち結婚できるかな?」は、結婚は単なる男女二人の絆ではなく、家族と家族が出会う巨大な儀式という事実と、その中で起きる数々の対立と心理戦をあまりにもリアルに表現し、共感を得ると共に結婚の現実を直視するようにしてくれたドラマだったと言える。
PSYから「建築学概論」「清潭洞アリス」まで…2012年のキーワードは“江南”
2012年の大衆文化をまとめるキーワードは、江南(カンナム)になると見られる。映画、ドラマ、音楽、コメディなどのあらゆるジャンルで江南と他の地域の違和感および江南特有の文化を全面的に出し、貧富の格差問題などを指摘した。映画「建築学概論」は、それぞれ江南と江北(カンブク)に住む男女のすれ違った初恋を描き、爆発的な人気を集め、お金の問題を本格的に扱ったコメディアン兼歌手の歌が音楽ランキングを総なめにし、PSY(サイ)の「江南スタイル」がピークに達したことに続き、SBSドラマ「清潭洞(チョンダムドン)アリス」がフィナーレを飾っている。これらの作品は、すべて貧富の差に伴う人々の喪失感などを見抜き、熱烈な共感を得た。1990年代の大学生の初恋を描いた「建築学概論」で、イ・ジェフンとmiss A スジの葛藤の中心にはお金持ちの家の先輩がいた。同じ江北地域に住んでいたが、江南に引っ越した女性とその女性に近付いたお金持ちの家の先輩は、主人公であるイ・ジェフンが初恋を失くした一番大きな要因となった。当時を再現する細かな小道具と名曲が目を引いたこの作品で、スジとイ・ジェフンはスターになり、恋愛物としては異例の、400万人の観客動員を突破した。上半期の音楽チャートでは、お金の問題を真正面から取り上げたコメディアンの歌が爆発的な人気を得た。ヒョンドニとデジュニの「オリンピック大路」は、江南に向けた普通の人の認識をそのまま表している。この楽曲は江南まで1時間半もかかるオリンピック大路の事情を歌い、「兄さんの家はどこ/私は狎鴎亭(アックジョン)/私はカチ山(カチサン)/(中略)/素敵な男は新沙洞(シンサドン)に/素敵な女も新沙洞に」と貧富の格差を歌った。これに先立ち、勇敢な奴らも厳しい経済事情を歌に昇華した。「I ドン(お金) Care」は、タクシー代がなくて困難な状況を題材にして笑いを誘うと同時に、「牛乳配達30万ウォン(約2万3千円)/コンビニエンスストアのバイト60万ウォン(約4万7千円)/だが、大学の授業料は何?2千万ウォン?(約160万円)」と歌いながら社会を風刺した。7月に発表されたPSYの「江南スタイル」は、まさにピークだった。海外での成果は別にしても、この楽曲は発売と同時に各音楽ランキングで1位を獲得し、「江南スタイル」というタイトルが韓国人にどれほど強いインパクトを与えるのかを見せてくれた。この曲は、江南スタイルを信じ込み、自分の虚勢に利用するマッチョな兄さんたちの身振りをあざけ笑って、今年最高のヒット曲になった。子どもの遊び場、観光バスの中、町内のサウナなどが登場する全く江南らしくない背景が江南という洗練されたイメージと入り混じって爆発的な皮肉を演出したミュージックビデオは、江南を羨望しながらも皮肉って下に見たい普通の人々の感情を正確に貫いたという分析だ。また、SBS「清潭洞アリス」は貧しい家庭に生まれたシンデレラというありふれた題材だが、劇中でムン・グニョンは1年の契約職に命をかけなければならない20代の女性たちを鮮明に描き出している。自身と似た境遇の彼氏が、「君と僕、合わせても月給350万ウォン(約27万円)」と言い、生活費や家賃、利子などを考えて、「一年ならマイナス2850万ウォン(約223万円)」と計算して、別れを告げるシーンはサンポ族(恋愛、結婚、出産の三つを諦めた)世代の現実をリアルに描く。また最近深刻な問題へと浮上した、大企業が中小企業のビジネスエリアを侵犯する問題とハウスプア問題などがきめ細かく描写されている。劇中で、江南の清潭洞への進出は上流階級への進入を意味し、ムン・グニョンが演じるハン・セギョンは清潭洞に入りたいという欲望をさりげなく表現することで従来のシンデレラとは異なる姿を見せる。貧富の格差が恋愛に及ぼす影響は、JTBC「私たち結婚できるかな?」でも如実に現れる。順調に恋愛してきた恋人が、結婚という現実的な課題の前で、どんな問題に直面するのかを詳細に描いた同ドラマは、江南に住む男性主人公の家と江北に住む女性主人公の家の激しい対立を描いている。
「私たち結婚できるかな?」結婚のすべてを描いた細密画
僕たち、結婚できる?この上なく単純な質問を投げてみる。これは私たちが本当に愛していたのか、あるいは私たちが今愛しているのかというようなロマンチックな感情に対する質問ではない。あなたと私、長い間お互い違う環境で育ってきた2人が、様々な違いと危機を乗り越え人生で一番煩わしくて、高級なイベントと言える結婚まで、果たして無事に至ることができるのかに対する疑いから始まった疑問だった。それに結婚をするという意志や、結婚できるという確信の代わりに抱く不安は、私たちの結婚が私たちだけの望みだけでまとまることではないということから始まる。そのため情熱な愛より難易度の高い課題は、順調な結婚であり、JTBC「私たち結婚できるかな?」はこの一節の質問から始まり、結婚にまつわる様々な人間関係と人物を顕微鏡で見ている。結婚、第3者の基準で自分自身を採点するテスト用紙恋愛が2人だけで完成できる幸せな世界であるとすれば、結婚はそれぞれが生きてきた世界に異質的な相手を受け入れることで発生する無数の葛藤の始まりである。夫と死別し、一人で娘たちを育ててきたドゥルジャ(イ・ミスク)は、小学校の教師である次女ヘユン(チョン・ソミン)が中小企業の新入社員ジョンフン(ソンジュン)と結婚することに激しく反対する。だが、ヘユンは自分の現実的な条件が、母が思っているほど良くないということを分かっている。一方、裕福な家庭で育ったジョンフンは、ヘユンの母ドゥルジャから年収3千万ウォン以下のサラリーマンである自分があまり気に入られていないということにショックを受け、母ウンギョン(ソヌ・ウンスク)がヘユンに要求した結納の問題を解決できない自分の経済力に、改めて愕然とする。このように、韓国での結婚は、大人たちがプライベートの関係でも第3者の基準で自分自身を採点するという不快な経験であると同時に、「お母さんが恥ずかしい」と告白するヘユンと「結婚の準備をしながら、母さんの色んな顔を見た」と失望するジョンフンのように、子供が親を客観的に見て、距離を置くようになる重要なきっかけにもなる。だが、生まれてから大人になるまで、進学や就職によって住まいが変わるなど、特別なきっかけがないと親離れできず、一緒に住みながら金銭的な支援を受けたり、家事労働などが与えられる。そんな子供たちが結婚だけは自分の力でやりたいと思うのは、ある意味つじつまが合わない望みだ。それは愛情という名を装った搾取と干渉の悪循環の中で、親は自分の投資と犠牲によって育ててきた子供が「異性に狂い正気でない」状況を受け入れることができず、しばしば葛藤の原因を部外者である将来嫁や婿になるであろうヘユンやジョンフンのせいにしようとする。「私たち結婚できるかな?」狂った世界へ向かった勇気ある一歩問題は、男女2人が新しい家庭を作り定着するための初期費用が、20~30代の会社員の平均年収の全額を何年貯めても手に負えないほど高いということが、2012年の韓国の現実だ。29歳の大卒者が就職難に悩みを抱えて自殺し、恋愛、結婚、出産費用が手に負えなくて諦める3放世代(恋愛、結婚、出産の3つを諦めた世代)という新造語ができた社会は、子供が親から最小限の独立できる機会まで遮断している。そんな理由で、自分一人で頑張って成功することは、今はもう神話の領域となった。また、若い世代が最も解決しなければならない課題が生存になってしまった今、一生、生活に苦しみながら生きてきたドゥルジャが、ヘユンには自分のような人生を送ってほしくないため、ジョンフンの親が持つ不動産の一部を欲張るのは少し醜いけれど、仕方のない選択でもある。しかし、結婚を準備しながら、2度の別れを経験したヘユンとジョンフンが、高級ホテルの代わりにいとこが運営するレストランを無料で借りて結婚することを決め、ジョンフンの親が譲ってくれるマンションの代わり、ローンを組んで安い家を借りようと一緒に探そうとする。また、ドゥルジャの家で暮らしながらお金を貯めることを悩む姿は、彼らがこれまでの過程を通じて得た成長の一面である。ヘユンが結婚を諦めようとした一番大きな理由だった母のことをそのまま受け入れる方法を学び、ジョンフンは結婚を反対する母に「失敗をしてもそれは僕がしたことで、その失敗による責任も僕が取る」と宣言する。そのため、ありふれた結婚ストーリーの中で、親と子供の関係、夫婦になろうとする2人の関係、新しく家族の垣根に入ることになった人々との関係を深く考察した「僕たち、結婚できる?」は、何度も諦めて逃げたことがあるヘユンを通じて物語を語っている。「逃げない。私が欲しいものを勝ち取るし、守る。戦って勝つ人だけが持てるものだとしたら、戦って勝ってみせる」愛する人と家庭を築くことが、危険なギャンブルのように認識されるこの狂った世界へ向けた勇気ある一歩だ。
「私たち結婚できるかな?」率直な結婚生活の裏話で好評…“視聴率3%台目前”
JTBC月火ドラマ 「私たち結婚できるかな?」が視聴率3%を目前にしている。26日、視聴率調査会社AGBニールセン・メディアリサーチの集計結果によると、韓国で25日に放送された「私たち結婚できるかな?」(脚本:ハ・ミョンヒ、演出:キム・ユンチョル)の第18話は、全国基準で(全国有料放送)2.818%を記録した。これは第17話で記録した1.646%に比べ、1.172%上昇したものである。第18回は首都圏有料世帯基準で平均視聴率2.9%(広告を除く)、最高視聴率は3.3%を記録した。JTBCのある関係者は「リアルな離婚訴訟の過程に共感する女性視聴者からの電話が視聴者審議室に殺到した。このままいけば、最終回は4%台にまで上るのでは」と述べた。この日の放送では離婚調停中のドヒョン(キム・ソンミン)とヘジン(チョン・エヨン)が、子供の親権のための児童心理調査に入った中、二人の息子テウォン(ファン・ジェヒョン)は親の離婚を悲しんで涙を流した。 しかし最後の調停委員会でドヒョンは「本当に離婚しますか?」という調停委員の質問に「いいえ、したくありません」と答え、どんでん返しを暗示した。「私たち結婚できるかな?」の離婚調停過程は、リアルでドラマチックな構成で視聴者から注目されている。ネットユーザは「普段他人事のようだった離婚が、自分のことになるかもしれないと考えるようになった」「弱者のヘジンがかわいそう」などの反応を見せている。
「私たち結婚できるかな?」海外からラブコールが殺到…キム・ヨングァン&ソンジュンへの関心も上昇
JTBC月火ドラマ「私たち結婚できるかな?」(脚本:ハ・ミョンヒ、演出:キム・ユンチョル)が視聴者の口コミ効果で海外からのラブコールが続いている。最近、同ドラマの撮影現場では日本のドラマ関係者が訪れ、キム・ユンチョル監督とインタビューを行った。ハードな撮影スケジュールが続いているが、日本の関係者たちはその撮影スケジュールに合わせて撮影現場を訪問した。日本へすでに版権が販売された「私たち結婚できるかな?」への高い関心がうかがえる。「私たち結婚できるかな?」はリアルなセンス溢れるストーリーですでに視聴者の好評を得ている。また、ネットを通じてのVODサービスも好調で、海外ファンの間でも自然に口コミ効果が表れている。特に、モデル出身のソンジュンとキム・ヨングァンの抜群のプロポーションや感覚的な画面構成が多くのファンの関心を集めている。リズミカルに発せられる役者たちの台詞も興味深いというのが海外のファンたちの反応だ。「私たち結婚できるかな?」の制作会社は「すでに日本には版権が販売された。他の海外各国からの問い合わせも続いている」と明かし、韓流ドラマとしてヒットが予想されると伝えた。「私たち結婚できるかな?」はジョンフン(ソンジュン)&へユン(チョン・ソミン)、キジュン(キム・ヨングァン)&ドンビ(ハン・グル)など様々なカップルのストーリーが興味津々に展開され、今後の展開にも期待が集まっている。韓国で毎週月~火曜の夜9時50分に放送される。
「私たち結婚できるかな?」飲み会の写真を公開“カップルのコミカルなラブショット”
JTBC月火ドラマ「私たち結婚できるかな?」に出演する俳優たちが、飲み会の写真を公開した。「私たち結婚できるかな?」に出演している俳優イ・ミスクをはじめ、ソンジュン、キム・ヨングァン、ハン・グル、キム・ソンミン、チョン・ジェヨン、キム・ジンスは最近飲み会に行った。写真の中で、ソンジュンやキム・ヨングァン、ハン・グル、キム・ソンミン、チョン・ジェヨン、キム・ジンスらは 奥ゆかしい表情でグラスを手に持ってカメラを見つめている。また他の写真では、互いに腕をクロスさせて飲むラブショットをしながら妙な表情を見せるなど、コミカルな雰囲気で、笑いを誘った。また、ドラマで親友として登場するソンジュンとキム・ヨングァンは、ぎゅっと後ろから抱きしめているポーズで女性ファンの心を揺さぶった。イ・ミスクやカン・ソグ、ソヌ・ウンスクなどの大御所俳優と、ソンジュンやキム・ヨングァン、ハン・グルなどの新人が息を合わせる撮影現場は、互いに面倒を見てあげる俳優の姿で和気藹々とした雰囲気だという。若いカップルが結婚を準備するストーリーに離婚の過程にある夫婦、子供を結婚させる親の心理などが加わって良い反応を得ているドラマ「私たち結婚できるかな?」は、毎週月曜日と火曜日の午後9時50分から韓国で放送される。