私は王である!
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「私は王である!」神話から政治家まで…“相次ぐポスターのパロディ化”
グループ神話(SHINHWA)と政治家が登場する、映画「私は王である!」ポスターのパロディがネットユーザーの間で話題となっている。ネットで「私は王である!」のポスターを使ったパロディが話題となり、オフラインを超え、オンラインで大きな人気を博している。初のパロディポスターは、エルミンというニックネームのネットユーザーが作ったもので「私は王である!」のポスターに登場する人物に、グループ神話のメンバーの顔を絶妙に合成し完成させた。特にシックな表情で道端に座り込んだ姿のドンワンは、多少お茶目な表情の他のメンバーと対照的で面白い。「私はワンである」とのタイトルのパロディが更に笑いを誘う。特にクレジットまで神話のメンバーの名前に変えた細かいディテールが「私はワンである」の特徴だ。2番目のパロディポスターは民衆統合党所属のキム・ドゥグァン議員が誕生させた。ひざ蹴りを炸裂させる迫力のある王、太宗(テジョン)のキャラクターポスターに、キム議員の顔を合成したこのポスターは、硬く閉じた口と鋭い目つきで高いシンクロ率を誇る。公開に先立ちソン・ハッキュ民衆統合党常任顧問が試写会に参加し「民意が分かる王の話なので、興味があった」と語るなど、「私は王である!」は政治家の間でも必覧映画に挙げられている。「私は王である!」は世宗(セジョン)が即位する前の3ヶ月間を愉快に描いた映画で、現在韓国で上映中だ。
「私は王である!」チャン・ギュソン監督“単純なコメディではない”
コメディのプライドを思い出してくださいチャン・ギュソン監督には申し訳ないが、「私は王である!」を今夏の期待作として見るには無理があった。「10人の泥棒たち」がヒットを予告し、莫大な資本を投入して作られた大作映画が公開を控えていたためだ。「映画の関係者はもちろん、一般の観客も期待してなかったようでした。そもそも映画がとんでもないということでした。『世宗(セジョン)をこんなふうに表現するなんて!』といった反応でした。映画『ヨンガシ 変種増殖』のパク・ジョンウ監督と仲が良いんですが、『ヨンガシ 変種増殖』は『アメイジング・スパイダーマン』もあったし、映画チケットの予約率もあまり高くなかったにも関わらず、結局成功したじゃないですか。『お前、羨ましいよ』と言いました(笑)」チャン・ギュソン監督は冗談半分に今回の映画に対する心配を語った。同じ日に公開されたチャ・テヒョン主演の「風と共に去りぬ」の優勢に言及しながらも「私は王である!」が持つ意味について語った。「私は王である!」に込められたチャン・ギュソン監督流コメディとは?「私は王である!」はチャン・ギュソン監督が「里長と郡守」(2007年)以来、5年ぶりに手がけた作品だ。「ぼくらの落第先生」(2003年)「ラブリー・ライバル」(2005年)などを演出したチャン・ギュソン監督は、コメディに地道に愛情を注ぐ、韓国映画界では数少ない人物でもある。今までは脚本を書き、演出をしたが今回の映画では脚色を担当した。「原稿を見て、限度を越えない範囲でできるだけコメディの部分を強化しました」という彼の言葉を考えると、「私は王である!」こそチャン・ギュソン監督流コメディを楽しむ良いチャンスだ。「原稿は今より真面目な雰囲気でした。かなり変えました。ファング(キム・スロ)、へグ(イム・ウォニ)、ファン・ヒ(ぺク・ユンシク)のコメディも入れて、皇太子妃(イ・ミド)の部分も強化しました。『10人の泥棒たち』が現在ヒットしていることからもわかるように、このようなジャンルはストーリーよりもキャラクターが重要だと思います。もちろん予想外のどんでん返しも必要でしょう。ですが、個人的には気軽に楽しめるコメディ映画なら、観客がその中で愉快に笑いながら、何を言おうとしているかを感じられるように作れば問題ないと思います。笑いの規則性がどれだけ的中しているかも重要です。僕の作品の中で最もヒットした映画は『ぼくらの落第先生』で、斬新ではありませんが、誰もが持っている先生に対する思い出が観客の共感を得たと思います。今回の映画はすでに作られた物語だったという点で大変でしたが、できるだけ観客の共感を得るために努力しました」キャスティングに注目してください映画を観ていると、ベテラン俳優と中堅・若手俳優の調和が素晴らしいことが分かる。ピョン・ヒボン、ぺク・ユンシク、パク・ヨンギュのベテラン勢と、チュ・ジフン、イ・ハニ、キム・スロ、イム・ウォニの中堅・若手勢が絶妙なハーモニーを奏でる。ピョン・ヒボンは今まで地道にチャン・ギュソン監督の作品に出演してきた俳優だが、パク・ヨンギュ、ぺク・ユンシクのコミカルさはチャン・ギュソン監督が今回の映画に入れたい要素だったという。ファン・ヒ役を演じたペク・ユンシクは現場では多少難しい面もあったという。コミカルな演技に対する考えに食い違いが起こりうる状況で、ぺク・ユンシクはできる限り監督の言葉を尊重したという。映画で塀を乗り越えながらにっこり笑う姿は可愛くひょうきんなファン・ヒをうまく表現したシーンだ。だからと言ってチャン・ギュソン監督がなりふり構わず自分流のコメディだけにこだわるわけではない。他のスタッフや俳優の反応を見て、通用するようならば果敢に自分の設定を捨てるというのが、彼のもう一つの鉄則だった。「現場でキム・スロさんのアドリブを減らそうとしました。しかし俳優が望めば撮ります。キム・スロさんのバージョンと僕のバージョンを両方とも撮ったんですが、モニター試写でキム・スロさんの台詞に観客が笑っていました。だから取り入れたんです。僕が好きではないスタイルでも観客が望めば撮ります」コメディがすべてではなかったコメディ映画を掲げているが「私は王である!」は視覚的にも楽しい映画だった。宮殿の中と外を比較して見せるので、画面もまた、俯瞰からローアングルまで色々なアングルが使われた。華やかな宮廷料理も料理監督を手配するほど気を配った。「コメディ映画だが、絶対安く見せてはいけないと思いました。みすぼらしいセットも嫌でした。宮殿の内部は2千万ウォンをかけて、金色の感じをいちいち描きました。宮殿の外部もコンピューターグラフィックスなどで復元し、きちんと撮影して欲しいと注文しました。映画には食べ物がたくさん出てきます。以前、ある映画で時代劇なのに、食堂から持ってきた料理を使っていました。キム・スジン料理監督はその分野で有名な方で、俳優が直接食べることができる料理を使いました。肉は韓国産でしたし、炭火から煙が立つ部分まで気を配りました。衣装も同じです。ドラマで使われる衣装は、質感が悪く、ほとんどが赤ですが、朝鮮初期には赤を着なかったそうです。皇帝の色として中国で使いました。当時は青を使っていたので、映画でもリアリティを出すために努力しました。最後に世宗(セジョン)が登場するシーンでは、明に対して強く出るときなので、赤を使いました」チャン・ギュソン監督は、料理一つにも行き過ぎだと思われるくらい気を配った。クッパ一つを食べるシーンでさえも、湯気が立っていなかったら撮り直すくらいだったそうだが、真夏の撮影だったので、なかなか蒸気が立たず、演出スタッフが苦労したという。皇太子任命式もまた、徹底的に検証し、大規模な撮影にこだわった。史料を調べ、専門家のアドバイスを受けて完成したのが今回の宮殿でのシーンだ。チャン・ギュソン監督のコメディ映画への情熱があったからこそ可能だった撮影だろう。前述した通り、韓国では情熱を持って地道にコメディ映画を作る監督が少なくなってきている。この点において、「私は王である!」はコメディ以上の意味を持つと言えるだろう。「コメディは魅力的なジャンルですが、制作も難しく、軽視されるので困難な作業です。今回、チャンスがあったことに感謝しています。『私は王である!』の特性はコメディにあると思います。王子と乞食のコンセプトは見慣れたものなので、コメディという結論になったんです。忠寧(チュンニョン)大君という歴史的事実を追いながらも、最後までコメディから脱しなかった点を強調したいです。役者たちもそうですし、僕もベストを尽くしました(笑)」
「私は王である!」チャン・ギュソン監督 ― チュ・ジフンと復帰作に懸ける思い
「復帰するために悔しい思いもした」映画の作品周期で言えば、5年と3年だった。「私は王である!」のチャン・ギュソン監督と、俳優チュ・ジフンが現場に戻るまでの空白時間のことである。公式的な催しで何回もチュ・ジフンへの信頼を見せてきたチャン・ギュソン監督は、今回の作品が監督自身はもちろん、チュ・ジフンにとっても大事な意味がある点を強調した。特に、今年の韓国映画において「火車」のピョン・ヨンジュ監督「ヨンガシ 変種増殖」のパク・ジョンウ監督など、韓国の映画界のベテラン監督の復帰作が続けてヒットしただけに、チャン・ギュソン監督にとって「私は王である!」はより切実な作品のようだった。復帰作という共通点あり切実だった「私は王である!」俳優チュ・ジフンも同じだ。兵役を終了して除隊した後「私は王である!」を映画復帰作にした彼は、最近「蒼のピアニスト」を通じて5年ぶりにドラマにも復帰した。麻薬事件で不祥事を起こした後、兵役のために入隊し、自粛期間を過ごした彼は、映画撮影現場で最も情熱に溢れていたという。誰よりもこの点をよく知っているチャン・ギュソン監督にとっては、チュ・ジフンは特別な存在だった。「共通点がありました。2人とも空白期間があったんです。私も同じく復帰と表現できます。それだけに切羽詰まっていたので、最善を尽くしてみようと言ったのです。最初、チュ・ジフンさんにシナリオを渡したとき、なかなか面白そうだと話していました。『本当に面白かったの?復帰しようとお世辞を言っているのでは?』と終わってからも問いかけてみたんです(笑) チュ・ジフンさんから『監督!僕をどんな人間だと思っているんですか!』と言われたりもしました(笑) 本当に本気でした。チュ・ジフンさんが演じた皇太子忠寧(チュンニョン)と奴隷トクチルは、俳優なら誰でも欲しがるキャラクターです。一人二役ってそれだけ魅力がありますから。しかし撮影に入るまで、コメディという部分で悩んでいたので『僕を信じて一緒に行こう、ただ演技に集中すればいいんだ』と話しました。映画は今年3月から撮影を開始しましたが、昨年12月から今年2月まで、コンテ作業の時にチュ・ジフンさんといつも一緒でした。お互い、何が上手で何が下手かを知っていく過程でした」心配があっただけに、互いに意見を交わす時間を増やし、準備をしてきた。チャン・ギュソン監督はインタビューの途中、チュ・ジフンに対して「彼の演技だけをきちんと見てください」と再度強調した。「俳優は演技で評価されるべきであり、その他の物差しは別問題」というのが、チャン・ギュソン監督の思いだ。「(チュ・ジフンさんは)非常に演技が上手で、才能のある人です。彼の演技が気に入ったら、好き!気に入らなかったら、嫌い!このように演技の面だけ見ていただきたいと思います。そういう風に彼が評価されたらと思います」入念に準備してきた映画の制作が台無しにそれでもチャン・ギュソン式の映画は続く空白に対して、チャン・ギュソン監督は誰よりも言いたいことが多い人だ。実はここ3年間、チャン監督はファミリーファンタジー映画を準備していた。それは「鬼」という映画だった。映画制作会社のBarunsonが手がけていて、直前までチョン・ヨンギ監督が引き継いでいたプロジェクトだった。実写とアニメ、3D技術まで入った作品だという噂が映画界に広く流れていた。「3年間準備してきたその作品が台無しになりました。序盤に制作と投資を強行する必要があったのですが、それができませんでした。今年の夏場の映画市場を見たら『マダガスカル』もそうですし、『サミーのアドベンチャー』『名探偵コナン』など、ファミリー映画の規模を集計すると約200万人は動員できそうでした。でも投資のほうでは、韓国の小学生の数が60万人だという根拠のみを持ってきて、話にならなかったんですね。そのような前提なら、『ホーム・アローン』シリーズはなぜ興行に成功したんでしょうか」今の時点でのチャン・ギュソン監督の言葉には、切実に感じられる面がある。チャン・ギュソン監督は「巨大な資本が自分の思い通りになる新人監督のみをデビューさせて映画を作れば、結局、韓国の映画は危なくなるのでは」と話し、現在の映画システムへの懸念を示した。映画への並々ならぬ愛情を持っているチャン・ギュソン監督の悩みだった。
チュ・ジフン&キム・セロン&イ・ビョンホン“一人ニ役”の勝者は?
今夏は、特に一人ニ役を題材にした映画が多い。8日に公開したチュ・ジフンの映画復帰作「私は王である!」をはじめ、キム・セロンが一人ニ役に挑戦する「隣人」、そしてイ・ビョンホンのカリスマ性が際立つ「王になった男」がそれぞれ公開を控えている。一人ニ役は、俳優としては大きなプレッシャーになりうる題材の一つである。一つの作品で一人の俳優が異なる2人のキャラクターを上手く演じることは簡単ではないためだ。だが、このようなプレッシャーを克服し、映画で一人ニ役を上手くこなした3人の俳優の演技対決に、映画ファンの関心が集まっている。チュ・ジフン ― コミカルに変身した爆笑爆弾除隊した後、復帰作として選択した「私は王である!」でチュ・ジフンは、一人ニ役を演じながらコミカルな姿を見せた。どこを見てもイケメンチュ・ジフンの姿はない。劇中で王になりたくない臆病の皇太子、忠寧(チュンニョン)と、その皇太子と身分を取り替える奴隷トクチルに扮したチュ・ジフンは、難度の高い一人ニ役を無難にこなし、観客から高く評価されている。特に、従来の作品より10倍ほど監督と話したというチュ・ジフンの言葉通り、相反する二つのキャラクターの特徴をうまく掴んで演じたという評価を得ている。皇太子の忠寧であるときは、文句を言う臆病な皇太子の姿を、皇太子と身分を取り替えた奴隷トクチルのときは、多少コミカルな表情としらじらしい姿で二つのキャラクターの変化を的確に表現した。この作品は映画公開後に興行を続けており、映画館に訪れる観客から人気を得ている。キム・セロン ― 本当に中学生?成熟した演技デビューと同時に映画「冬の小鳥」で主役を演じ、忠武路(チュンムロ)の期待の星に浮び上がったキム・セロンは、映画「アジョシ」での成熟した演技で人気を得た。そのような彼女が、今回の「隣人」でも自身の年齢より成熟した演技で観客の視線を引きつけると見られる。「隣人」は、同じマンションに住んでいる連続殺人犯と彼に殺害されたある少女、そして連続殺人犯の存在に気付いた隣人たちの間で行われるエピソードを描いたホラー映画で、漫画家カン・プルの同名のWEB漫画を原作としている。キム・セロンは、劇中で連続殺人犯に殺害された少女、ヨソンと連続殺人犯の標的になった少女スヨン役に扮し、熱演した。特に、多少静かで口数の少ない少女ヨソンの雰囲気と社交的でハツラツとした少女、スヨンのキャラクターをきちんと表現し、成人の役者でさえも演じにくい一人ニ役をこなした。さらに、共演した俳優のキム・ユンジンさえ、キム・セロンがあまりにも早く役に入り込んだので嫉妬したと明かすほど、キム・セロンの演技は印象的だった。イ・ビョンホン ― お墨付きのカリスマ性溢れる演技力公開前の「王になった男」だが、あらかじめ公開された予告映像だけでもイ・ビョンホンの一人ニ役の演技は期待を抱かせるに充分だ。「王になった男」は、朝鮮時代の光海8年、毒殺の危機に陥った王である光海の変わりに、王の役割を果たすことになった賤民(センミン:最下層の身分とされた人々)のハソンが王の代役になることから始まるストーリーで、歴史上から消えた15日間の隠されていた話を描く映画。イ・ビョンホンは、劇中で毒殺の危機に置かれた光海君と賤民のハソン役に扮し、熱演した。先立って公開された予告編でのイ・ビョンホンの一人ニ役は、一気に映画ファンの視線を引き付け、映画への期待を高めた。毒殺の危機に瀕した光海君の鋭いながらもカリスマ性溢れる姿、そして愚かでどこか足りなく見える賤民のハソン。この二つのキャラクターを表現するイ・ビョンホンの演技が目を引く。特にイ・ビョンホンは、今回の「王になった男」で一人ニ役を越え、三つの全く違う姿を見せ、観客を集める見通しだ。カリスマ性あふれる光海君と愚かなハソン以外にも、ハソンが王の役割をしながら次第に本当の王に変貌していく過程まで表現する予定であるためだ。さらに、これまでカリスマ性あふれるイメージを持っていたイ・ビョンホンが、ハソン役を演じながら見せるコミカルな姿も新たな魅力を与え、映画をより面白くすると見られる。
「私は王である!」イム・ウォニ“シナリオは科学です”
真剣な表情とよく響く声で、スクリーンに登場する度に観客の心を虜にする俳優のイム・ウォニが、彼の得意とするコメディで戻ってきた。イム・ウォニは、中途半端な独立運動家から恐ろしい殺人鬼まで多彩な演技を見せてきたが、コメディ映画で特に大きな支持を受けてきた。2000年の「タチマワリ」から始まり、2002年の「面白い映画」、2007年の「食客」、2008年の「史上最強スパイMr.タチマワリ!~爆笑世界珍道中~」、2011年の「ロマンチックヘブン」に至るまで、真剣な表情と声をアピールするイム・ウォニ流コメディは、定型化されたコメディ演技の枠を越え、一つのジャンルとして定着したような印象さえ与える。イム・ウォニは、コメディにこだわったわけではないが、不思議なことにそのようなイメージが強いと話した。今回の映画「私は王である!」(韓国で8日に公開)で「またコメディか」ではなく「なかなかよかったじゃないか」という評価が聞きたいと語った。―コミカルなイメージが強いと思いますが。イム・ウォニ:コメディにこだわったわけではないですが、不思議なことにそういうイメージが強くなりました。僕が責任を問われる部分ですが、俳優は選ばれる側なので「悪役がしたい」と思ったからといって悪役が演じられるわけではありません。変身とまでは言えなくても、観客の皆さんに「イム・ウォニは、コメディ以外の演技も上手だね」と思っていただくために努力することが、僕の責任で課題だと思います。今回の映画で「またコメディか」ではなく「なかなかよかったじゃないか」という評価が聞きたいです。―「私は王である!」のチャン・ギュソン監督のデビュー作「面白い映画」にも出演されましたが、今回の出演は、監督との関係も影響しましたか?イム・ウォニ:久しぶりに一緒に仕事をさせてもらいましたが、シナリオが良くないのに義理だけで作品を選ぶ俳優はまずいないでしょう。どうせならいい作品に出演したいですし、チャン・ギュソン監督とまた一緒に仕事ができてよかったと思います。「面白い映画」で共演したキム・スロとも再会しましたが、「面白い映画」よりヒットすればいいなと思います(笑) ―キム・スロさんにライバル意識はありませんでしたか?イム・ウォニ:彼の出番が多いなとは思いました(笑) 映画を見ながら「あの人、よくやったな」と言いながら笑ったりする好意的な競争は当然ありました。スロさんがアシ(お嬢様の意味)を利用したダジャレでアドリブを言ったときと「こむら返りが治りましたので立ち上がれるようになりました」という台詞を言ったときは、感心しました。―チュ・ジフンさんの第一印象はどうでしたか?イム・ウォニ:初めて見たとき「やっぱりモデルだな」と思いました。知っていてもそう感じてしまうことってありますね。思ったより日焼けしていたけど、本当に格好よかったです。やっぱりモデル出身は違いました。―チュ・ジフンさんと一緒に出演するシーンが特に多いですが、撮影中に特別なエピソードはありましたか?イム・ウォニ:二人ともみすぼらしい格好だったので、お互いを見て笑ったことを覚えています。ジフンさんが「お兄さん、本当に物乞いみたいですよ」というふうに冗談を言ったりして(笑) 映画では日に日に物乞いになっていくんですが、撮影は順番通りに行われるわけではないので、ジフンさんが「兄さん、今日はさらに物乞いみたいですよ」「今日は本当にひどいですね」と言っていたら、そのうち仲良くなりました。―出番が少なかったですが、残念に思いませんでしたか?イム・ウォニ:僕はあまりカットされなかったみたいです(笑) 撮ったシーンをすべて生かそうとすれば、映画がとんでもないことになってしまうので仕方ないと思いますし、別に不満はありません。僕が出ないシーンには、チュ・ジフンさんも出ません(笑)―アドリブかどうか区別がつかないシーンがたくさんありました。イム・ウォニ:計算されていない演技が成功するケースはあまりありません。撮影するときは面白いですが、シナリオは科学なので、合わせてみるとあまり合わないケースが多いです。普通、アドリブというと台詞のアドリブを思い浮かべますが、僕は台詞ではなく、表情のようなものをアドリブだと思っています。衣装を着て、思ったより面白ければそれだけで得をしますね。僕にとってはそれがアドリブです。その瞬間の状況に合う表情をして相乗効果を出すことも自然なアドリブだと思います。でも、行き過ぎたアドリブは逆効果です。だからコメディは難しいですね。―結構アドリブをするほうですか?イム・ウォニ:前もって考えるよりは、キャラクターのことを考えながら現場の雰囲気に合わせようとする方です。考えすぎると自分の考えにとらわれてしまいます。「僕はこうやったのに、相手はどうしてこうするのか」という考えにとらわれてしまうのです。演技は一人でするものではなく、それに監督の考えも尊重しなければならないので、俳優は心を開いておくべきです。キャラクターに対する考えは必要ですが、現場に合わせた方がいいと思います。それをアドリブだと言えるかどうかは分かりませんが、そっちの方がより良い結果につながると思います。―コメディの演技の先輩として、チュ・ジフンさんの演技はどうでしたか?イム・ウォニ:同じ俳優の立場として評価するのもなんですが、とてもよくできたと思います。正直、心配もしていましたが本当に良かったです。かなり努力していましたし、悩んでいたことがわかりました。100点満点中80~90点をあげたいくらいです。もちろん、コメディの演技には終わりがないので、残念なところもあります。でも、たくさん悩んだしよくやったと思います。―ペク・ユンシクさん、ピョン・ヒボンさん、パク・ヨンギュさんなどの大先輩と共演されましたが、どんな感じでしたか?イム・ウォニ:珍しいなと思いました。あのお三方を同じ映画で見られるなんてすごいと思います。期待も大きかったです。僕が先輩と一緒に登場するシーンでは、それがそのまま勉強になりました。見習うために努力しました。先輩方がそれぞれの役割を完璧に果たされていることを見て多くのことを感じました。本当にすごいと思います。―「私は王である!」を通じて手に入れたいものはどんなものですか?イム・ウォニ:多くの方々が、2000年に出たインターネット映画「タチマワリ」のイメージを覚えてくださっています。その映画が2008年に映画館で公開され、そのイメージがもっと強くなったと思います(笑) そのイメージから早く抜け出せなかったことは、僕の過ちですが、「タチマワリ」を上回る役にまだめぐり合えていないようです。「私は王である!」がヒットし、これからはヘグと呼ばれたいと思います。
「私は王である!」未完で終わった韓国版の“王子様と乞食”
お笑いと俳優の演技は合格点世宗大王の再解釈にははてなマーク箱入りの皇太子忠寧(チュンニョン)が、どのようにして民の心を測りとる聖君になれたかという問いに焦点を当てた映画「私は王である!」は、序盤からある程度予想できるストーリーを取り上げる。「私は王である!」のようなファクション劇での勝敗は、果たして実存した人物をどのように再解釈するかにかかっている。しかしこの映画で最初提示される忠寧(チュ・ジフン)は、ドラマ「根の深い木」で提示された青年の世宗(セジョン)よりさらに温順で臆病だ。名前だけ忠寧と世宗から借りているだけで、私達の知っている世宗の威厳とは似ても似つかない。ここから観客と映画間に大きな乖離が生じてしまう。果たしてなぜ「私は王である!」のチャン・ギュソン監督は、無欠をはるかに超え威厳溢れる世宗を、稀にみる貧弱男にしてしまったのだろう。「先生、キム・ボンドゥ」「里長と郡守」など戯画化した登場人物と背景を通じて社会を痛烈に捻る並ならぬ能力をアピールしたチャン・ギュソン監督の新作「私は王である!」は、世宗が王に即位した朝鮮初期に留まることなく、私達の住んでいる2012年を引き込んでいる。朝鮮のためと口では言いながら、結局は自分の利益のために海外勢力まで引き入れるシン・イク(ピョン・ヒボン)は、現実で無数に見かけた政治家たちと重なり、「根の深い木」でその存在だけで威圧感を放っていた太宗(テジョン)は、怖いというよりは政治家とマスコミの糊塗に弄ばれる韓国を連想させる。ご飯を食べながらも本を手から離さないほど勉強好きだが、宮の中で育った箱入り皇太子で世間のことにうとい忠寧は、今日うるさい母親と詰め込み式の学校教育が生み出した韓国式エリートの典型的な姿だ。頭は良いがメンタルが弱く、誰かを率いるリーダーシップが足りない忠寧は、ただひたすら国と民を考える実直なファン・ヒ(ぺク・ユンシク)には最悪の君主の材木だが、反対に自分の権勢を維持してくれる操り人形の王を望むシン・イクには最上の指導者だ。やはりファン・ヒの予想通り、朝鮮の王になるには肩の荷が重すぎるように見えた忠寧は、結局宮の塀を越え逃げ出す。しかし、偶然忠寧とそっくりの奴隷トクチル(チュ・ジフン)が、忠寧が塀を超えたその時間に主人の娘を救うために宮へ潜入し、彼が皇太子の空席を埋めるために代打として投入される。一瞬にして奴隷と皇太子に入れ替わった彼らの運命は、二人ともに災難に他ならない。卑賤な奴隷から最も尊い身分に昇格したものの、トクチルに宮の中は窮屈な牢獄に他ならず、それまで自分の手では何もしなかった高貴な皇太子に奴隷生活は地獄に他ならない。しかし、頑是無い皇太子が塀を越えながら生まれたハプニングは、かえって王になりたくないがために逃げ回っていた臆病者を、支配階級の横暴に為す術もなくやられっぱなしだった民たちの涙を拭い、それまで頭が上がらなかった明の国に言いたいことははっきりと言える強靭な君主に育て上げるきっかけとなる。本当に危険な挑戦だった。実存人物を滑稽に表現するのも負担になるが、何よりもその対象が韓半島の歴史上最高の聖君と評価される世宗なのだ(韓国の国民は、朝鮮の第4代王世宗を、世宗大王と呼んでいる)。その偉大な世宗を、王になりたくないがために宮から逃げ出した、希代の臆病者で貧弱男として描いたのでは、公開前から一部大衆の反発を買うのもわかる。そして。弱り目に祟り目で、全国民が愛する世宗役を演じるのは、麻薬服用事件で世間を騒がせた、チュ・ジフンときている。映画そのものだけを見れば、「私は王である!」はまあまあ笑って観られるお笑い映画だ。王になる前には限りなく頼りなかった忠寧が、民の苦労を自分の身で体験して初めて王の資質を養っていく過程も、かなり説得力を持っているのはもちろん、主演俳優のチュ・ジフンを初め、忠寧の隣を守るキム・スロとイム・ウォニの個性豊かな演技に、帰ってきたシットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)の人気者パク・ヨンギュの安定したお笑い本能は、観客を終始楽しませてくれる。しかし、観客が吐息をつくほど柔弱で臆病な世宗の仮想皇太子時代が、どのように受け入れられるか。バランスの取れたお笑い演技はきちんと披露しているものの、依然として好感を持たれないチュ・ジフンを完全に忠寧として受け入れられるかによって、この映画への評価は二極化することもありそうだ。また、チャン・ソンギュ監督の前作たちと比べれば著しく足りない政治風刺は、かなり良い出来の韓国版「王子様と乞食」として成功する可能性もあった映画の完成度に残念さを残している。
イム・ウォニ「チョン・ドヨンとラブストーリーを撮りたい」
映画のイメージと実際のイメージが違う俳優がいる。イム・ウォニ(42)がそんな俳優の一人だ。スクリーンの中では、声一つで観客を泣かせ、笑わせたこの男。いざ会ってみると優しい笑顔と紳士的な魅力を持つ男の中の男だった。イム・ウォニはコメディ時代劇「私は王である!」(監督:チャン・ギュソン、制作:Daisy Entertainment)で皇太子忠寧(チュンニョン)の逃亡を助け、様々な苦労をする護衛武士ヘグ役を演じた。1年ぶりの映画復帰作であり、初めての時代劇である。「お久しぶりですね」というあいさつに「違います。がんばって活動しています」と苦笑いをする。映画は1年ぶりだが、ドラマで着実に活動していたそうだ。彼は「皆はそうあいさつします。『最近休んでいたみたいだね』と言われますが、僕は、休んでいません。そういうことを聞かれると『あ、本当にヒットした作品がないんだ』と思えてきて、俳優として悲しいです」映画でのキム・スロと僕はおバカコンビのような存在―2011年「Mr.アイドル」以来、久しぶりの映画復帰だ。イム・ウォニ:映画は撮影するたびに幸せだ。辛いだろうと思うかも知れないが、過ぎてしまえば何でもない。チュ・ジフンと「これは苦労でも何でもない。全部、過ぎて行くから」とよく話していた。ドラマであれ、映画であれ、いい作品があれば頑張りたい。―意外にも時代劇には一度も出演経験がなかった。イム・ウォニ:これまで僕自身、時代劇向けの人だと思い、時代劇のオファーが多いと思っていた。もちろん、いくつかの時代劇のオファーをもらったことはあるが、状況が合わず、参加できなかった作品もあった。時代劇とは縁がないのかと思ったが、今回は運よく出演することができた。さらに、フュージョン時代劇で難しい部分もなく、好奇心が持てた。何よりもシナリオが面白くてすぐ読めた。楽しい作業だった。―初めての時代劇での演技は満足しているのか?イム・ウォニ:ハハ、自分の演技に満足する俳優はそういない。僕も満足できなかった。「今回はかなり演技が上手くできた」と話せば、観客が怒るのではないだろうか。作品ごとに心残りは多い。今回の「私は王である!」も、完成版を2回見た。初めて見たときは、自分の演技を悔やんだ。コメディ映画なので、上手にできなかった部分が目に留まった。自分なりには計算して笑わせようとした部分なのに、観客を笑わせることができなかったし、『あの場面で何であんなことをしたのだろう?』と後悔したことも多かった。かなり勉強になった。2回目はリラックスして見ようと努力した。最初は自分の演技に集中して見ようとしたから、次はすべてのキャラクターの調和に重点を置いた。2回目に見たとき、ようやく笑うことができた。結局、そういうことが積み重なって今後の演技に役立つのではないかと思う。―護衛武士ヘグはどんなキャラクターなのか?イム・ウォニ:ヘグはとてもばかばかしく見えるが、キム・スロが演じるファングよりずる賢い。忠寧を探しに行くとき、ヘグはもう一度考えた。ファングは結局、ヘグに裏切られた(笑) もちろん、宮の外に出て苦労はするが、気持ちは楽だったはずだ。ファングは宮の中で正体がばれるんじゃないかと焦っていたはずだが、ヘグは少なくともばれて殴られる確率は低い。へグとファングはおバカコンビみたいな存在だが、ヘグの方が賢いと思う。良い選択だった。―チュ・ジフンが大麻事件以来、初めて選択した復帰作だが、プレッシャーにはならなかったのか?イム・ウォニ:もちろん、3年ぶりの復帰作ということで注目されたが、あまり気にしなかった。プレッシャーはまったくなく、チュ・ジフンも僕と演技をするとき、肩の力を抜こうと頑張っていた。彼も3年間、大変な時間を過ごしたと思うし、一生責任をとるわけにもいかないだろう。かなり苦労したと思う。おそらく、この作品でも悔しい思いをしながら取り組んだはずだ。ほかの俳優もいい作品にしようと思い、撮影に望んだ。足の裏が切れたチュ・ジフン、糸を自分で抜いていた姿に衝撃―チュ・ジフンとの共演はどうだったのか?イム・ウォニ:僕たちは比較的早く仲良くなった。お互い仲良くなろうと努力した。二人ともセット撮影より、ロケ撮影を好んでいたので、よく合っていた。チュ・ジフンが美味しい店をよく知っていたので、一緒にご飯を食べに行く楽しみも大きかった。細やかな愛情のある関係だった。そういう情が積み重なり、呼吸はぴったりと合った。チュ・ジフンが気さくで人間らしい姿を見せてくれたおかげで、すぐ心を開くことができた。もちろん、僕だけがそう思っているかも知れないけどハハハ。―野外ロケ撮影が多いと、ケガの恐れも増えると思う。イム・ウォニ:チュ・ジフンがわらじを履いて歩き回り、足の裏が切れてしまった。実はケガをしていたことを後から知って、一緒に撮影していた時は知らなかった。それだけ、顔に出さずに撮影していた。また、山で撮影していたため、病院に行く余裕がなかった。長く傷口の糸が抜けず、多くのスタッフが心配していた。結局、自分で糸を取り除いていた。それを隣で見ていたが、とても面白い人だった。本当に衝撃的で、人間の断面を見た気がした、ハハ。―ピョン・ヒボン、ペク・ユンシク、パク・ヨンギュなどの大先輩との撮影はどうだったのか?イム・ウォニ:いつもあの方々と接するのは難しい。また、たくさん学ぼうとした。ピョン・ヒボンさん、ペク・ユンシクさん、パク・ヨンギュさんの組み合わせをどの映画で見られるだろうか。3人と一つの作品で共演できたことが本当に光栄だった。僕も不思議なぐらいだった。ひとつの映画で錚々たる俳優をすべて見られるのは、観客にとっても俳優にとってもラッキーなことだと思う。僕の場合は、お金を出してでも買えない経験をした。先輩方のおかげで、映画の枠組みができた。それぞれ、自分たちの役割をきちんとこなしていたのを見て、僕としてはうらやましい限りだった。―2008年の「史上最強スパイMr.タチマワリ!~爆笑世界珍道中~」のイメージが強すぎるイム・ウォニ:みんな「史上最強スパイMr.タチマワリ!~爆笑世界珍道中~」を覚えている。それについては否定できない。まだ、それを超える作品に出会っていないという証拠だ。それが俳優の宿命だと思う。絶え間なく変身し、努力し続けなければならないのが俳優の人生だと思う。誰にも吐露できないことだ。40代に合うラブストーリーを夢見ているチャンスがほしい―ラブストーリーにはまだ挑戦していないと思う。イム・ウォニ:そうだ。まだ、ラブストーリーはまだ挑戦したことがない。僕にできるラブストーリーをしてみたい。今、40代なので、この年に合うラブストーリーを夢見たこともある。それが濃いラブストーリーであれ、軽いラブストーリーであれ、やってみたい気持ちは大きい。まだ、出演オファーがないだけで、やらせてくれれば、できる自信がある(笑) 僕が相手役を選べる立場ではないが、普段から尊敬している女優チョン・ドヨンさんと共演してみたい。―結婚生活2年目でも新婚夫婦の様な暮らしをしていると聞いた。イム・ウォニ:僕たち夫婦は1年間交際して結婚をしたため、甘い新婚ではなかった。しかし、今は新婚みたいに暮らしている。最近、家族計画についてよく聞かれているが、そのたびに「子どもはいずれできるでしょう」と答えている。いつ子どもがほしいという計画はなく、ただ自然の流れに任せようと思う。また、もし子どもが生まれても公開はしたくはない。僕の妻や子どものプライベートが僕のせいで邪魔されないか心配だ。歳が歳なだけに、子どもが生まれたらすぐ10歳になればいいなと思う。一番手がかかる3歳までどう育てればいいかハハ。
「私は王である!」公開後、初の週末ボックスオフィス3位に
チャン・ギュソン監督の映画「私は王である!」が、公開から迎えた初の週末のボックスオフィス(劇場でのチケット販売枚数)で3位にランクインした。映画振興委員会映画館の入場券統合ネットワークの集計結果によると、「私は王である!」は公開から迎えた初の週末(10~12日)に、27万1095人を動員し、累積観客数49万594人を記録した。「私は王である!」は、チュ・ジフンの除隊後3年ぶりの復帰作であり、一人二役の演技で話題になっている。彼は、今回の映画で、言葉遣い、しぐさ、身分、性格まで正反対である皇太子の忠寧(チュンニョン)と乞食トクチルに扮した。同じ期間の1位は「10人の泥棒たち」(113万8586人)である。さらに「風と共に去りぬ」が2位に(96万1810人)、「ダークナイト ライジング」が4位(24万450人)、「サミーのアドベンチャー2」が5位(21万8639人)にランクインした。
チュ・ジフンに聞きたい6つのキーワード
「自分を愛する猫みたいな人、はっきりした人が好きです」俳優のチュ・ジフンが、「私は王である!」でスクリーンに帰ってきた。映画「Kitchen キッチン ~3人のレシピ~」から3年ぶりのことである。これまで、ユン・ウネの心を掴んだ王子様(「宮~Love in Palace」)や、ちょっと変わったケーキ屋さんの店長(「アンティーク~西洋骨董洋菓子店~」)、シン・ミナをときめかせたドゥレ(「Kitchen キッチン ~3人のレシピ~」)を演じてきたチュ・ジフン。作品のヒロインのみならず、多くの女性視聴者の心を掴んだチュ・ジフンが、王子と物乞いの一人ニ役を演じる「私は王である!」で、久しぶりに観客の前に現れる。以前も、リラックスして、安定した演技力で好評を得ていたチュ・ジフンだが、久しぶりに出演した映画でも、演技の上手さを見せつけた。今回はチュ・ジフンに、気になる6つのことを聞いてみた。1. 自分が王になったような気がするときチュ・ジフンは「私は王である!」で、王になりたくない皇太子、忠寧(チュンニョン)を演じた。王になりたくないと言いながら、実際には王子として、宮殿であらゆる恩恵を受けることは当たり前だと思っている世間知らずの王子様である。チュ・ジフンが実際に王になったような気がするときはどのようなときだろうか。「何にも束縛されず、干渉もされずに自由を感じるとき、別の意味で王のような感じがします。それは、バイクに乗るときなんですが、スピードを出すのではなく、山道のようなところをゆっくり走りながら景色を見たり、風を感じることがとても好きです。バイクの楽しさは、僕は動いていないのに手を軽く触れるだけで誰かが僕を乗せていってくれるような気がするところです。そのとき、自由を感じます。風が好きなので、一層そう思えるのではないかと思います。風が強いほうがいいですね」2. 物乞いのように自身をみすぼらしく思うとき王になりたくなかった忠寧は、宮殿の塀を越えて外に出る。家のない彼は、外の世界に出るとすぐに、今までとは180度違うみすぼらしい奴婢(奴隷階級の男女)の身分になってしまう。彼は、各地を転々としながらなんとか食いつなぎ、何度も死の危機を乗り越える。「言いたいことをストレートに言えずに、遠まわしな言い方をするときや、明らかに自分が正しいのに、正しいと言えないときに自分をみすぼらしく思います。例えば、友達にお金を貸してあげて、返してと言ったら『来週返す』と言われました。でも、来週も返してもらえないとそれ以上は言えません。『僕のものを返して』と言うことは当たり前なのに、逆に申し訳ない気がするときは、みすぼらしいですね。(返してもらえなかったお金がいくらなのかを聞くと)数千万ウォンにはなりますね」3. 一番印象深かった本のフレーズはチュ・ジフンのインタビューをする予定だと知らせたら、たくさんのファンから質問が寄せられた。その中には、最近読んだ本の中で一番印象深かったフレーズは何かという質問もあった。「ピ・チョンドゥク(皮千得)さんの『縁』の中の一節ですが、記憶が曖昧なので正確かどうかは分かりません。『桐は千年経っても音を響かせ、梅は落ちても香りが消えない』という一節が心に響きました。本質は変わらないということですね。僕が役者として持ち続けてきた姿勢や情熱、努力。そういうことをたくさん考えさせられました。どんなときでも、怠けられる状況はくるでしょうが、いつもこの言葉を思い出して、怠けてはいけないと言い聞かせます」4. Jesters(道化師)チュ・ジフンは2年前、知人とともにバンドを結成し、最近ではバンドのスタジオも設けた。バンドの名前はJestersだ。「道化師という意味です。最初から『バンドを作らなきゃ』と思ったわけではないですが、年をとるほど、何かを楽しむためにはもっと知っておくほうが面白いと思うようになりました。だから、趣味でギターを始めたら、俳優なので、音楽をしている人たちと交流することになってそのうちバンドをやってみようかということになりました。そしたら、それまで聞こえなかったドラムやベースの音が聞こえてきました。前は、ただうるさいと思っていただけでしたが、今はその音が僕に刺激を与えてくれます。作詞はほとんど僕がして、他の方が曲を作ります。それからギターを弾いたり、練習をしたり。クリエイティブな作業なので面白いです」5. 理想のタイプチュ・ジフンに理想のタイプを聞くと「相変わらず変わってない」と答えた。「自分を愛する人、猫のような人が好き」と。「愛を人にたくさん与える人より、自分にたくさん与える人が好きです。実際に何かを与えると、意識しようがしまいが何かを望むことになると思います。それに、はっきりした人が好きです。男性であれ、女性であれ。『会おうか?』と聞くと『時間がないから後で会おう』とはっきり言ってくれたほうがいいですね。『いつからいつまではいいけど私もあなたに会いたいんだけど』とか、はっきりしないのは嫌です。負担にならないように、はっきり返事をくれる人がいいです。私もはっきり言うほうなので相手にもそうしてほしいですね。お互いの状況を冷静に理解する人が好きです。特に、僕は急な打ち合わせや仕事が入ってくる可能性があるので、そういう部分を理解してくれる関係ならいいなと思います」6. チュ・ジフン公式ファンクラブセジョンジュチュ・ジフンと喜怒哀楽をともにする公式ファンクラブはセジョンジュと呼ばれる。セジョンジュとは、世界を征服する俳優チュ・ジフンの略で、会員数は5万1719人にのぼる。「ファンたちと7年もの時間をともにしました。本当に一途な方々です。僕はファンと直接のコミュニケーションを頻繁にはとっていないですし、SNSもしていませんが、ファンの方々は変わらずそのままでいてくれます。僕はかなり人見知りをするほうなのですが、『宮~Love in Palace』が終わって、人生は変わりましたが、僕は変わっていません。でも、そのときは急に注目を浴びることになって恥ずかったですし、慣れませんでした。今はかなり時間が経ったので少し楽になりました。会うとお互い気軽に会釈をする友達のような関係になったと思います。本当にありがたいことは、ファンの方々は僕が何が嫌いかを知っていて、嫌いなことはしないようにしてくれます。公の場でも、他の俳優にも配慮し、秩序を守ってくれました。本当にありがたいですね。これから僕がファンに恩返しするには、いい演技を見せるしかないと思います。僕はバンドもしているので、コンサートをすればファンとコミュニケーションできる機会がもっと増えるのではないかと思います」
「私は王である!」主婦層から爆発的な支持…その理由は?
映画「私は王である!」が主婦層の観客から爆発的支持を得ている。「私は王である!」はチケット予約でも30~40代の女性観客が高い割合を占めているだけでなく、最近ポータルサイトの主婦人気検索キーワードにもランクインするなど、主婦層の反応が熱い。これは「私は王である!」が老若男女問わず、家族全員が一緒に楽しめるコメディ映画だという点と、気の弱い皇太子忠寧(チュンニョン)が、朝鮮時代で最も尊敬される王である世宗(セジョン)になるという、成長ストーリーを描いているという点が主婦観客に大いにアピールできた効果だと思われる。「私は王である!」は主婦観客の間で、子供と一緒に見たい映画になったのである。これを証明するかのように試写会後ネット掲示板には「『王子と乞食』を韓国版にし、歴史的要素を取り入れた映画なので、子供にも役立つと思います」「家族みんなで見れる映画だと思います。歴史勉強にもなると思いますし、今のような時代に考え事を与えてくれると思います」「出演俳優の演技が良くて面白かったと思います。何よりも前の列の子供らが拍手をし、後ろの列の親たちがドラマのように呼応していて、それが更に面白かったです」「面白かったです。ディテールな面白さ。全年齢層が楽しめると思います」のような好評が相次いでいる。「私は王である!」は王になりたくなくて宮を離れた王子忠寧(チュ・ジフン)が自身そっくりの奴隷トクチルになり、一度も経験したことのない時間を過ごしながら、次第に徳と知恵を持つ王になる姿を描いた作品だ。韓国で8日に公開し上映中である。
「私は王である!」お笑いで一致団結!
「私は王である!」ファクションで細かな笑いを提供歴史的な事実に想像性が加えられたジャンルをファクションという。「私は王である!」は、ファクション時代劇だ。口に入れた菜っ葉は吐き出し、肉ばかり食べようとする肉愛好家の皇太子忠寧(チュンニョン)は、臆病な王権継承候補者である。酒に溺れた兄がもともとの王位継承者だったので、忠寧自らが兄との摩擦を避けたかったためだ。父親である太宗(テジョン)から皇太子に任命されたが、忠寧は兄との摩擦を恐れ、王位を継ぐことに対して激しいプレッシャーを受ける。兄との対立を避けたがるのは、もともと王位継承者だった兄である譲寧(ヤンニョン)と対立しなければならないカインコンプレックス(兄弟・姉妹間で抱く競争心や嫉妬心)という現実に対面することを恐れているのだ。「私は王である!」は、忠寧が朝鮮王朝史上最も偉大な聖君として位置付けられる動機を提供している。つまり、忠寧が民から尊敬される聖君になるためには、苦労して日々を生き抜く人々の人生について知らなければならないのだ。民の人生を直接見据えないことには、民のための政治ができない。忠寧が民の辛い人生を理解するためには、忠寧が直接民の立場に立ってみなければ分からない。「私は王である!」は、そのために童話を借りたのである。その童話は「王子と乞食」だ。忠寧とそっくりの奴隷トクチル(チュ・ジフン)と忠寧の役割が入れ替わることで、忠寧が民の辛い人生を理解するというファクションによる想像性は「王子と乞食」の設定を借りている。トクチルは忠寧になりすまし、反対に忠寧は奴隷の生活をすることで奴隷の立場から見る朝鮮を、民の立場から見据え彼らの立場を汲み取ることのできる、相手の立場で考える視点を持つことになるのだ。忠寧がトクチルと立場が代わり奴隷になるのは、箱入り皇太子だった彼が世の中の物事を悟っていく忠寧大君の成長ストーリーとも言える。例えば、宮で忠寧が用を足すときは、後片付けをしてくれる臣下がいた。忠寧は、一人では用も足せない皇太子だったのだ。しかし、彼が奴隷になってからは違う。臣下の手を一つも借りずに後片付けをしなければならないのは、確かに忠寧の立場から見ると困惑することだが、奴隷の立場で忠寧の自我が鍛え込まれる過程は、成長ストーリーとも言える。もう一つ、忠寧が民の立場になって考えることができる世宗(セジョン)大王になれたのは、彼自身が奴隷になったことだけでなくロールモデルとなる存在つまり指導者に出会うことも重要だったからだ。忠寧の指導者となったのは、ほかでもないファン・ヒ(ぺク・ユンシク)だ。お金持ちの家から米を盗み出しおにぎりを奴隷に配り、怪我した奴隷に温かい仁術を施すファン・ヒの姿から、忠寧は一国の王としてやるべき徳目を間接的に習っている。ファン・ヒという指導者との出会いは忠寧にとって重要な出会いなのだ。成長ストーリーが映画のメインテーマだからといって、ただ真剣さのみで終始一貫できる映画ではない。この映画は中盤まできめ細かな笑いを提供している。トクチルの垢が浮いているお風呂でトクチルを忠寧に勘違いして彼を誘惑するイ・ミドはもちろんのこと、イム・ウォニとキム・スロのコミカル演技はお笑いで一致団結することがどういうことかを余すことなく見せてくれる。
「私は王である!」監督“チュ・ジフンのキャスティング、負担にはなったが…”
映画「私は王である!」のチャン・ギュソン監督が、俳優チュ・ジフンをキャスティングすることに負担を感じたと率直に明かした。チュ・ジフンは2008年、大麻使用の疑いで調査を受けた。判定結果は陰性反応だったが、使用を認め、軍隊に入って自粛する時間を持った。「私は王である!」はチュ・ジフンの3年ぶりの復帰作だ。チャン・ギュソン監督は、最近OSENとのインタビューを行い、チュ・ジフンのキャストが負担ではなかったかという質問に対して、「どんな監督であれ、負担はあったはずだ。(大麻事件は)モラルの問題が関わっている事件ではあるが、だからといって才能のある人物が永遠に機会を得られないことには反対だった」を話した。また、「キャストに負担があったのは事実だが、外見や演技の面から見ると、チュ・ジフンがぴったりだった」と話し、「本人もすごく頑張ってくれたし、私も満足した。正直に言って、このキャラクターは誰がしても大変な役だ。チュ・ジフンが最善であり、ベストだった。一言で言えば、縁だ」と話し、チュ・ジフンの演技に満足感を示した。コメディ映画の主人公としてコメディ演技の経験がまったくないチュ・ジフンを選択した理由も明かした。チャン監督は、「コメディをうまくこなせる俳優が20代にはいない。よくできる俳優は既に40代になった。チュ・ジフンは、「宮~Love in Palace」「アンティーク~西洋骨董洋菓子店~」「魔王」「キッチン~3人のレシピ~」を通じて、コメディとは関連のないイメージを持ち続けてきており、だからこそ、こんな俳優がコメディをするとより効果的だと思った」と説明した。「私は王である!」は、王になりたくない皇太子の忠寧(チュ・ジフン)が、自身にそっくり似ている奴隷トクチルと身分を取り替えて、一度も経験したことのない時間を過ごしながら、次第に徳と知恵を備えた王として成長していく過程を描いた作品だ。今回の作品を通じて、コメディ演技に初挑戦したチュ・ジフンは、頭脳明晰だが、どこか間抜けな皇太子と、義理はあるが、無知な奴隷を同時に演じる。韓国で8日に公開され、上映中である。