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ゴールデンタイム

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  • MBC「パパ、どこ行くの?」「ゴールデンタイム」アジア太平洋放送連合の受賞式で最優秀賞を受賞!

    MBC「パパ、どこ行くの?」「ゴールデンタイム」アジア太平洋放送連合の受賞式で最優秀賞を受賞!

    MBCバラエティ番組「僕らの日曜の夜-パパ、どこ行くの?」(以下「パパ、どこ行くの?」)とMBCドラマ「ゴールデンタイム」が国際授賞式で受賞する快挙を成し遂げた。29日、MBCによると「パパ、どこ行くの?」と「ゴールデンタイム」は25日にベトナム・ハノイで開かれた「2013アジア太平洋放送連合(ABU)」の受賞式でバラエティ番組とテレビドラマ部門の最優秀賞(ABU賞)を受賞した。またMBCラジオで「家庭の月(5月)」の特集で放送された「私の家族」はラジオドキュメンタリー部門で優秀賞を受賞し、MBCヒューマンドキュメンタリー「ヘナの奇跡」はTVドキュメンタリー部門で最終決戦に進出した。ABU賞は1964年番組の教育・文化の向上と会員社同士の映像文化交流及び優秀ラジオ・テレビ番組の奨励のために創設された。毎年10月・11月に会員社の主催で開催される。

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  • 【MBC年末決算Vol.4】「美術館の隣の動物園」と「ゴールデンタイム」…そこにはソン・ソンミが

    【MBC年末決算Vol.4】「美術館の隣の動物園」と「ゴールデンタイム」…そこにはソン・ソンミが

    誰より熱心なこの女優の美しい2012年最近芸能記事でよく使われる言葉が女神だ。女神レベルのプロポーション女神レベルのルックス女神も同然このような言葉に接する度に、ありきたりの修辞的な表現に私達の想像力不足を責めたりした。そこで、本当に女神に出会った。女優のソン・ソンミの話だ。MBC「ゴールデンタイム」でカジュアルな出で立ちのコーディネーターのシン・ウナとしてブラウン管に現れた時はしばらく忘れていた。ソン・ソンミ、縁を感じた「ゴールデンタイム」そしてシン・ウナ人にはそれぞれの縁があるといった。ソン・ソンミに「ゴールデンタイム」もやはり、2012年出会った貴重な縁だ。制作が知らさられた時から「ゴールデンタイム」は彼女の注意を引く作品だった。ソン・ソンミは「クォン・ソクチャン監督のドラマも見たし、話も聞いた。正直シノプシスにはシン・ウナについてあまり書かれてなかったが、クォン・ソクチャン監督の作品なので出演したかった」と話した。「クォン・ソクチャン監督に出会う一日か二日前に知らない番号で電話が来て取ってみたら、『私クォン・ソクチャンだけど』と言うんです。『はい、監督』と言って話し始めたんですが、実は他の番号にかけていたんです。でも監督が『一度通話したいと思っていた。ウナについてどう思うか』と聞かれたので、私なりに話したら『一緒にやりたい』と言われました。そのおかげで、いざ本当に対面した時はあまり話すことがなかったです。既にやることに決まっていたので(笑)」作品を決めてからは、障害はなかった。すぐにシン・ウナ作りに入った。シノプシスにシン・ウナについての話があまりなかっただけに、自分の想像を利かすスペースは十分だった。ソン・ソンミは「チェ・イニョクのロールモデルのイ・グクジョン教授と一緒に働いているキム・ジヨン先生(看護師)にお会いして色々参考にして頂いた」と伝えた。「作品に入る前にお会いしました。手術も参観しましたし。キム・ジヨン先生にお会いしてみると、このような人物がどのような考えを持って生きているか直接感じることができました。そこでシン・ウナを情熱の多い人と設定しました。情熱も多いし、不義を見ればかっとするし、本音は優しいけど振る舞いは無愛想な、そんな女だったと思います。シン・ウナは」いざ厳しかったのは、撮影を始めてからだった。医療ドラマというジャンル自体が体力を要するものだったし、ドラマの中盤から時間に追われ撮影しなければならないだけに、さらに忙しくなった。でもそのおかげでスタッフたち、俳優たちとは一種の同志愛が生まれた。特に多くのシーンを一緒に撮影したイ・ソンミン(チェ・イニョク)やチョン・ソクヨン(チ・ハング)とは、演劇「そこ」まで共演したほど親しい。ソン・ソンミが「ゴールデンタイム」撮影を回想しながらも「イ・ソンミン先輩がシーズン2をやるなら、自分もその気がある」と話す理由もそこにある。「4~5ヶ月間釜山に引きこもって作品だけを考えていたからか、ドラマやキャラクターにもっとハマることができたと思います。厳しかったけれど、監督やスタッフ、俳優たちが皆良い人だったので、より楽しく撮れた作品でもありますし。手術シーンは少なくとも10時間以上は撮るので、終わると脚が腫れ上がるし、皆血まみれなのに証明ショットを撮って(笑) ソンミン先輩は『この写真は所蔵しなくては』と言いながら、手術室で血に染まったシナリオの写真を撮っていました。また、シーンが出る度にソンミン先輩と話しながら、どうやればもっと楽しくなるか意見を交換しました。新しいコーディネーターが聡明湯(チョンミョンタン)を入れるとコーヒーを取るとか、チェ・イニョクがリビアに行くと言ったらシン・ウナが『そこにはラーメンもないじゃないですか』と言う部分は、全部そうやって作ったんです。幸い監督が悪くないのは受け入れて下さったので、さらに幸せに撮影することができました」「映画デビュー作。自分の目にも下手だったのでショック色んな役割を演じてみたい」モデル出身で派手にデビューしたが、ソン・ソンミにはいつも乾きがあった。非専攻者という自壊感もあった。それでだろうか。ソン・ソンミは映画デビュー作の「美術館の隣の動物園」の試写会が終わって「演技が下手すぎてショックを受けた」と話した。「今考えても、当時は下手だったと思う」という率直な言葉と共に。「しばらく可愛くお金持ちで全てを持っているような役しか演じなかったので、演じながらもどかしさも感じました。何かお見せしたかったけれど、抑えてばかりいたんです。でも、一方では私がそれだけうまく表現できず、足りない面があったからだと思います。『生まれ変わったらきちんと準備して俳優になりたい』と思うほどでした。でもある瞬間から『長く見据えよう』という気になりました。演技専攻者でなくて学べなかったものを、現場で学んでいるという思いがしました。多くの方に「ゴールデンタイム」が私のターニングポイントと言われていますが、ここに留まらず今後も俳優として少しずつ発展していきたいです。幸い今回良い先輩に出会って、俳優としての私の人生や今後の道についてもう一度振り返ってみるきっかけになりました」それでいつもソン・ソンミが警戒しているのは自慢だと言う。答えのない演技で、得意なところに満足するよりは足りなさをもう一度振り返ってみること。彼女は「そうして初めて発展すると思う。誰かに褒められると一方では嬉しいが、もう一方では慎重になって怖い気もする」と言った。10月受賞した賞(第6回コリアドラマフェスティバル女性優秀演技賞)も、「受賞しながらも『これ受け取っていいの?』という気がした」と。そのようにもう少し長く、粘り強く演技するために2009年演劇「背を向いて去れ」を皮切りに2012年「そこ」まで、ソン・ソンミが健康薬のように訪れるのは演劇ステージだ。ソン・ソンミは「演劇は他のことは考えずもっぱら演技だけできるので、私には滋養分も同然だ。作品にはまって長い間キャラクターを研究し返すところから来る魅力が大きいと思う」と礼賛した。「私自身も知らない新しい部分を、演劇をしながら分かっていくこともできるし、必ず必要なところです。最初演劇をすると言ったら夫が『似合わない』と言いましたが、見てからは『良すぎる。1年に1本ずつやったらどうだ』と(笑) 停滞しないためにはそうしなければ。でも、演劇や映画、ドラマ全部魅力があります。ドラマは1回撮ってから新しいシナリオが出てきて、そこからまたキャラクターを探す楽しさがあります。映画はまた監督なりの演出があるので味がありますし」本も出して、番組MCもして、時間を咲いて寄付活動もしている彼女の目標は、本業の演技で色々な役割を演じること。彼女は「悪役から田舎で畑仕事をする女まで、全部やってみたい」と笑った。また「機会があれば、イ・ソンミン先輩とロマンスも撮ってみたい」という言葉も忘れなかった。その他にも彼女が夢見ていることもあった。公開していいかとの質問に「まだ恥ずかしい」と答えたが、明らかにソン・ソンミの真骨頂を披露できることには違いない。人々に自分の持っている色んな顔を見せたいという人、ソン・ソンミの今後を期待してみよう。「50くらいの歳になったとき、自由になっていたいです。何かに詰まってなかったらなと。余裕も持ちたいですし。歳を取れば人がどのように生きてきたか顔に表れますよね。他人が私を見た時、『自分もあんな風に歳を取りたい』と思える人になりたいです。良い人であって初めて良い俳優になると思います。自分の中に持っているものがなければ、俳優としてお見せできるものもないのではないでしょうか」

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  • 【MBC年末決算Vol.3】今年の演技大賞、チームワーク賞があるなら「ゴールデンタイム」に!

    【MBC年末決算Vol.3】今年の演技大賞、チームワーク賞があるなら「ゴールデンタイム」に!

    今は言える隠していた「ゴールデンタイム」の3つの秘密「2012年MBCを輝かせたドラマ」と言えば、何が思い浮かぶだろうか。答えはそれぞれだろうが、その一つとして「ゴールデンタイム」を挙げることに異論はないだろう。生命をめぐり寸刻を争う医師たちの姿と、彼らを取り巻く医療界の現実を描くこのドラマは放送が終了する頃には視聴者からの自発的なシーズン2請願運動が持ち上がるほど大きな人気を集めた。演技大賞を控えチョ・サンギから聞いた「2012年愛されたドラマ『ゴールデンタイム』の3つの秘密」を公開する。【セリフの秘密】「ゴールデンタイム」の中に「パスタ」がある撮影期間中ずっと釜山で一緒だった「ゴールデンタイム」チームの友情が格別だということは、皆周知の事実だ。ここにクォン・ソクチャン監督の前作「パスタ」で共演した人たちがもう一度再会した点も彼らの友情を説明する理由だ。「ゴールデンタイム」チームの「パスタ」へのオマージュもあちこちから見つけられる。チョ・サンギは「初回でイ・ミヌ(イ・ソンギュン)がパスタを食べるシーンも面白かった。私達の中では、釜山でパスタのコックが火傷して運び込まれるが、それが友情出演したコン・ヒョジンなら面白そうだとも話した」と伝えた。「コ・ジェウォン(ホ・テヒ)が僕に、『今日の構内食堂のメニューはパスタだ。有名なシェフが来たらしいよ』というシーンがありました。取る前にテヒとソンギュンがさ話してそういう風にしたんです。僕は心強い先輩役でできないし、ジェウォンは明るく皆と親しい役だったので、ジェウォンが話すことになったそうです。もともと監督は真剣に行こうと言っていましたが、撮影も大詰めだったので監督がそれぐらいは目をつぶってくれました」それだけでなく、「ゴールデンタイム」チームの友情を示す部分は「セリフのやり取り」をした逸話でもわかる。チョ・サンギは「演技者が自分のセリフを分けてやるのは実は厳しいことだ。一言でももっと出たいのが俳優の欲というものではないか。でも『パスタ』の頃から『ゴールデンタイム』の時までそのような和やかさがあった」と話した。「『パスタ』の時、テヒのお母さんがモニタリングして『出演が少なすぎる』とおっしゃったそうです。その話を聞いて、当時のスクリプターに行って『セリフを分けよう』と言いました。今回の現場でもそれが続きました。ジミンさん(ソン・ギョンファ役)も一緒に撮影するウドン(キム・ジュンピョ役)にセリフを分けてソンミンさん(チェ・イニョク役)も『整形外科の話はソンジンがやったほうがいい』と僕にセリフを分けてくれました」【小道具の秘密】マニアの間で話題になったそれ、実は「ゴールデンタイム」は実際の現場を彷彿とさせるセットでも一回話題を集めた。チョ・サンギは「救急室から手術室までの直線距離が50mから60mくらいになるおかげで、一度に患者が運び込まれる全ての過程を撮ることができる点でリアリティがあったと思う。7千万ウォンの手術ベッドが3~4台に、合わせて100億ウォンくらいする手術道具もあって、セット場に無人セキュリティ装置もあった」と伝えた。「ゴールデンタイム」マニアの視線を捕らえた小道具もあった。代表的なのは第13話に登場した「プー」のミニ扇風機と第23話に登場した親指型のぬいぐるみ、そして第20話に登場したチョコバー。マニアの間では、放送以降この小道具を置いて様々な解釈が出たりもした。それらはほとんど俳優のアドリブだったというのがチョ・サンギの説明だ。「ミニ扇風機はメイクアップするスタッフのものでした。暑すぎて釜山国際市場で買ったそうです。毎日化粧台の上に置いてあったんですが、ある日それが登場したんです(笑) 最後の会議での親指型のぬいぐるみはジミンさんがどこかで手に入れたらしくて『面白そうだけどやっていいかな』と話しました。みんな『とりあえずやってみて、あんまりだったら使わなかったらいい』と言ったんだけれど、放送に出ました。ただウドンがジミンさんに渡したチョコバーは、イ・ユンジョン監督のアイディアだったそうです。監督なりに再解釈して準備したそうです。ジミンさんは『これをどうやって受け取るべきだろう。(二人が)繋がるんじゃない?』と言ったそうです(笑) 公ではなくても、視聴者が解釈して考える余地を与えたんだと思います。そのように現場で意図せず出来上がったものが、ドラマというよりは映画を撮るような感じにさせました」【シナリオの秘密】「大学の時もあまりしなかった即興演技を地上波で」韓国でドラマを撮影しながら皆が経験することだが、数回公論化されたシナリオの話も避けられない。幸い「ゴールデンタイム」の場合、釜山に俳優全員が集まって撮影する点がプラス要因になった。チョ・サンギは「そのように集まっていなかったら現場でそんな作品を作れなかったかもしれない。いつ呼びだされるか分からなくて各俳優のマネージャーが緊張したまま電話だけ持っていた」という笑えない裏話を伝えた。「ヒョソプさん(キム・ミンジュン)も実際にはNG大魔王だったんです。寝ずに準備しても、台本が出ないので苦しがっていました。結局2~3週後には心を空にして出てきました(笑) 先輩が皆実力のある方たちで、後輩の前で台本を覚える姿もあまり見せない方たちですが、ここでは課長たちのセリフが多いので普段のように冗談も言わずにシナリオだけ合わせていました。現場でNGに対して誰も何とも言いませんでした。後の方では、台本覚えが得意なソンミンさんやソンギュンさんもそうだったし、僕も暗記はうまい方ですが、厳しかったです。患者役の方々も演技がうまい方たちだったんですが、現場に来れば皆NGを出すんです(笑) 最後は俳優たちも『大学の時もあまりしなかった即興演技を、地上波ミニシリーズでまたいつできると思うか』と言いながら楽しみました。俳優たちも、教えてくださるお医者さんたちも、脚本家になったような作品でした」

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  • 【MBC年末決算Vol.1】2012年、MBCを守ったドラマ、その光と影

    【MBC年末決算Vol.1】2012年、MBCを守ったドラマ、その光と影

    既存のドラマ文法に斬新な素材は晴れ相次ぐ論争は曇り世の中が乱れているという意味の挙世皆濁が2012年の四字熟語に選ばれるほど、多事多難だった1年だった。その中で、MBCも多くのことがあった。年初に始まったストライキで「無限に挑戦」「ユ&キムの遊びにおいで」等バラエティー番組が次々と放送休止となり、「PD手帳」「不満ゼロ」等、時事・教養番組も長期間休止とともに、その存在感が以前に満たない状況だ。しかし、ドラマだけは、固有のジャンル的な特殊性のため「太陽を抱く月」の1週間休止を除いては特に休止はなかった。その分だけ、MBCの親孝行をしてきたわけだ。成果だけの面ではMBCに最も多くのことを与えたMBCドラマの1年を振り返りたい。斬新な発想と題材で実験へ 従来のドラマの文法に従いながらも斬新な題材を交えて、新しい感覚のドラマが多数作られた。時代劇とロマンスというベースで、シャーマニズムとファンタジーを加えた「太陽を抱く月」、韓国に立憲君主制が残っているという設定のもとで、韓国と北朝鮮の男女の愛を描いた「キング~Two Hearts」、救急救命室をドラマの主な空間として活用した「ゴールデンタイム」、アラン伝説をモチーフにして本格的にあの世とこの世の境界を描いた「アラン使道伝」、馬を治療する医師から王を治療する医師になった実存人物の人生を描いた「馬医」がこれに該当する。しかし、興行の面では明暗が分かれた。「太陽を抱く月」は、視聴率40%を越え、キム・スヒョンという傑出したスターを排出することで超ヒットドラマの神話を描いた。「ゴールデンタイム」も、イ・ソンミンという俳優を残したのはもちろん、生命を助ける医師と彼らをめぐる現実を生々しく表現し、シーズン2を作って欲しいというリクエストが殺到した。現在放送中の「馬医」もイ・ビョンフン流時代劇の名声を続けていき、同時間帯視聴率1位をキープしている。一方で、「キング~Two Hearts」と「アラン使道伝」の場合、放送前に寄せられていた期待ほどの成果は上げられなかったというのが大体の評価だ。久しぶりにドラマに復帰したハ・ジウォンと除隊後に復帰したイ・ジュンギ、そしてイ・スンギ、シン・ミナ等の俳優の演技だけは好評を得たが、同時間帯に放送された他社のドラマほどの反響は得られなかった点には残念さが残る。相次ぐ論争にも関わらず、実利は得た 前者がMBCドラマの破格を担当したのであれば、興行ドラマの公式に従い、MBCドラマの安定を図ったドラマもあった。これらのドラマはほとんど一定の成果を得て興行作となった。64話で終了した「光と影」は、主人公がショービジネス界の下っ端から最高の位置に登り詰める過程を描き、「あなたなしでは生きられない」と「天使の選択」は家族という集団にフォーカスを当て、その中で起きるエピソードを描いた。「メイクイーン」も家族という題材やキャンディ・キャンディ型女性主人公(漫画キャンディ・キャンディの主人公)の成長話を描いた。しかし、これらのドラマも論争を避けられなかった。「光と影」の場合、ギリギリに書き上げた台本と過度な間接広告の論争等が相次いで起きた。「あなたなしでは生きられない」は、初期の企画意図や設定を完全に離れるほど、主人公夫婦の離婚の過程にのみこだわり論争を呼んだ。「天使の選択」も、不倫と堕胎、殺人等、刺激的な題材で放送通信審議委員会から非倫理的だという指摘とともに視聴者への謝罪という懲戒を受けた。出生の秘密は、これらのドラマのほとんどを貫くコードでもある。「あなたなしでは生きられない」と「天使の選択」両方で、出生の秘密は劇中の対立を解消する決定的なきっかけとして働いた。当初から女性主人公のあべこべになった運命からスタートした「メイクイーン」も女性主人公の父親が3人という設定で、ドロドロだという批判を受けた。【「アラン使道伝」DVD情報】・「アラン使道伝」特集ページ・「アラン使道伝」DVD公式ホームページ●「アラン使道伝」DVD-SET1 税込価格¥19,950 5月10日(金)発売GNBF-3112 / 第1話~第10話収録 / 6枚組【初回限定特典】オリジナルマウスパッド / キャンペーン応募ハガキ【特典】アウターケース / 特典ディスク(1枚) / ブックレットPart.1(16P) / ポストカードセット(5枚)★レンタルVol.1~5 同時リリース!●「アラン使道伝」DVD-SET2 税込価格¥19,950 6月5日(水)発売GNBF-3113 / 第11話~第20話収録 / 6枚組【初回限定特典】オリジナル・ステッカー / キャンペーン応募ハガキ【特典】アウターケース / 特典ディスク(1枚) / ブックレットPart.2(16P) / ポストカードセット(5枚)★レンタルVol.6~10同時リリース!

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  • 「ゴールデンタイム」脚本家が俳優を非難?“腕章つけた豚みたいだ”

    「ゴールデンタイム」脚本家が俳優を非難?“腕章つけた豚みたいだ”

    MBCドラマ「ゴールデンタイム」の脚本家チェ・ヒラが、特定の俳優を非難したことが波紋を呼んでいる。チェ脚本家は、韓国放送作家協会が発刊している「月刊 放送作家」11月号でのインタビューで、「ゴールデンタイム」のシーズン2の計画を問う質問に、「俳優のせいでダメだ」と言った。チェ脚本家は、「中盤以降は俳優を信じることができなくて、登場シーンをカットしなければならない事態まで発生した。イ・ミヌとチェ・イニョクは、このドラマで一番重要な関係のキャラクターだ。それぞれ固有のカラーがあって、一貫性のあるキャラクターを作り上げるのが主人公の役目だ。ところが、人気を得てからは、主人公のキャラクターが変わり始めた」と明らかにした。また「自分の人気に酔っているのが見えた。まるで腕章をつけた豚みたいだという思いさえした」と付け加えた。特にチェ脚本家は、俳優イ・ソンミンが演じたチェ・イニョクとソン・ソンミが演じたシン・ウナに言及し、「チェ・イニョクとシン・ウナのラブストーリーでもそうだった。年甲斐なく純粋で、ぎこちなくお互いを見つめ合う時点で、まるで脚本家に秘密で2人に何かあったように演じた。ダメだと思ってその2人のキャラクターの登場シーンを大幅に修正した」と言った。一方イ・ミヌを演じた俳優イ・ソンギュンに対しては、「それに比べてイ・ソンギュンさんは出演シーンが一番多いにも関わらず、目立たないように周りの俳優たちとバランスをとりながらチェ・イニョクのキャラクターを生きたものにしてくれた」と褒めた。チェ脚本家のインタビューが公開された後、ネットユーザーはチェ脚本家がイ・ソンミンとソン・ソンミを指して非難したのではないかと騒いだ。これを受けて韓国放送作家協会は13日、マイデイリーに「問題になったインタビューの内容は、記事が作成される過程で、手違いがあって作成された内容。誤報の部分に対しては、チェ・ヒラ脚本家に謝罪の言葉を伝えた。インタビューの内容が載せられたe-bookは、ホームページから削除された」と説明した。韓国で9月に最終回を迎えた「ゴールデンタイム」は、重症外傷患者を治療する医者たちの人間模様を描いた作品で、放送当時に視聴者たちから出来の良いドラマと好評を受けた。

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  • 「ゴールデンタイム」チェ・ヒラ脚本家“チェ・イニョクのように直球を投げて、その代価を払う人が好きだ”

    「ゴールデンタイム」チェ・ヒラ脚本家“チェ・イニョクのように直球を投げて、その代価を払う人が好きだ”

    「野原の作物は農夫の足音を聞いて育つ」という話がある。「ゴールデンタイム」を書いたチェ・ヒラ脚本家は驚くほど誠実で逞しい農家の人間だ。そんな彼女の足音を聞いて育ったドラマだったからこそ、緻密な構成と魅力的なキャラクターを描きだし、そして力強い直球のような重みのある質問を投げられたのではないだろうか。重要な問題を典型的ではない方法で質問したメディカルドラマSBS「愛の選択~産婦人科の女医」を通じて才能ある新人として名を馳せたチェ・ヒラ脚本家は、2作目「ゴールデンタイム」を通じて世の中に自分の名前を刻み込んだ。単純に興行に成功したドラマだからではない。重症外傷医学という未熟な分野を通じて生かすことができる人が死んでいくという現実とシステムに鋭いメスを当てた「ゴールデンタイム」はチェ・ヒラ脚本家の師匠キム・ジョンス脚本家が話したように「人々に価値ある仕事をするドラマ」であった。自分が納得できる堅固で興味深い世界を作り上げるために、あらゆる困難を快く受け入れた。なんとなくそんな姿がチェ・イニョクに似ているチェ・ヒラ脚本家との対話である。―デビュー作だった「愛の選択~産婦人科の女医」に続き「ゴールデンタイム」もメディカルドラマというジャンルの幅を広げた作品だった。どのような理由で始めるようになったのか。チェ・ヒラ脚本家:昨年の7月にクォン・ソクチャン監督から突然連絡が来た。専門職に関する題材でドラマを作ってみようと言っていたが、結局メディカルドラマを作りたいという話だった。イ・ジェギュ監督から推薦されたけど、当の本人は本来、メディカル分野には関心がなくて「愛の選択~産婦人科の女医」はもちろん、国内外のドラマは全然見たことがないと言った(笑) 最初は違うアイデアを話したけど、あまり気に入ってないようだった。以前書いた別のシノプシス(ドラマや舞台など作品のあらすじ)の中で漢方病院で気楽に生きてきたが、患者を死なせることになり人生が変わったイ・ミヌ(イ・ソンギュン)のような医師の成長談とチェ・イニョク(イ・ソンミン)のキャラクターの特徴が決まっていたものがあって、監督はこの叙情的な雰囲気を気に入ってくれた。「生かすことができる患者は生かそうという趣旨で話を始めた」―「ゴールデンタイム」には大きくイ・ミヌとチェ・イニョクの関係、重症外傷医学という分野、そして組織とシステム、この三つの話があった。チェ・ヒラ脚本家:最初の始まりは、勇気に関する物語だった。そして、生かすことができる人は生かそうという。患者を生かすことができる医者、生かそうと努力する医者は、一体どんな仕事をしているのかな、という質問に重症外傷を扱う医者を登場人物に決め、その次にインターンにまで幅を広げた。システムに関することは、韓国の重症外傷の現実自体が、生かすことができる患者を死なせるシステムだから、自然に繋ぐことができた。―最初にチェ・イニョクが注目を浴びたが、以後イ・ミヌが中心となって物語が展開されながら第2幕が始まって、カン・ジェイン(ファン・ジョンウム)が理事長代行を引き受けた後、病院の経営と医療現実に関する話が第3幕のようだった。チェ・ヒラ脚本家:それぞれの人物に各自の役割があった。イ・ミヌはインターンとして成長していく物語を引っ張る役割で、チェ・イニョクは外傷センターを構築させるために努力し、その過程で韓国の不合理なシステムを語る役割だった。そしてカン・ジェインを通じてシステムを構築したり、変更することがどんなに難しいことなのかを見せてくれた。実際に韓国は大統領になったとしても、システムを簡単に変えられる国ではない。それだけではなく、大統領も失敗して死を選択した国だから。―「ゴールデンタイム」は個人の善意と献身だけでは、簡単に変えられない現実の中で、どのように最善の道を探していくのかを語る物語でもあった。チェ・ヒラ脚本家:カン・ジェインが理事長になれば、みんなは外傷センターが簡単に立てられると思い期待していたけど、実際にはより険しい道のりが待っていたのだ。もちろん作品が後半へと展開されながら、関連機関とあらゆる衝突が起き、それを解決するのに時間がかかり過ぎて十分に表現できなかったことを残念に思っている。特に賄賂についてのエピソードを入れようとしたけど、個人的な事情で書けなくなったことが決定的だった。整形外科のファン・セホン(イ・ギヨン)科長の後輩の交通事故エピソードは、本来は後輩でなく、賄賂を贈る製薬会社の社員だった。もしこの人が死ねば、大きな事件となって病院全体が打撃を受け、それを防ぐためにチェ・イニョクは患者を何があっても生かせなければならない。それに科長たちがカン・ジェインに跪かなければならない状況にさせ、より深い話に展開させようとした。だけど、相談をしてくださった病院側と敏感な問題があって変えることになった。―チェ・イニョクは素晴らしい医者ではあるが、あらゆる問題を解決することはできない。それに理事長になったカン・ジェインが次々と挫折を経験するところを見ていると、救世主のような人物に簡単に期待するタイプではないと思った。チェ・ヒラ脚本家:ファンタジーが必要な場合もあるが、「ゴールデンタイム」はそうしてはいけない作品だった。もちろん私も現実のシステムが分からなかったら、ファンタジーで物語を満たしていたかもしれない。だけど、取材しながらシステム上の問題を次から次へと知るようになって「これは興味深い」と思いながら物語を展開することができた。ここでこんなに無駄なことをして、あそこでもみ消しているんだ。そうなるしかない現実を知るようになり、ファンタジー的な要素の代わりに現実的なエピソードを書くことができた。―ジレンマがファンタジーを代替したわけだ。チェ・ヒラ脚本家:実は、チェ・イニョクのキャラクターは、少しファンタジー的な部分がある。どこの病院でも見られるような医者ではなく、全国にやっと一人いるかどうか分からない医者だから。それにもかかわらず、医者たちがこのドラマをリアルだと話しているのは、それ以外の部分はすべてリアルだからだ。厳然な現実の中にチェ・イニョクを置いたからリアルであって、そうでなかった場合、実際にチェ・イニョクのような人がいても、ドラマはフィクションとして受け入れられたかもしれない。―リアリティドラマということは取材を通じて得られるものだが、「愛の選択~産婦人科の女医」の時の取材経験が今回も役立ったのか。チェ・ヒラ脚本家:そうではない。産婦人科は病院のシステムと衝突があまりない比較的に独立している科であって、その中でも分娩室と産科に制限した話だったから。その上、倫理的なジレンマとそれによる人物同士の衝突がより鋭く描かれたとすれば、重症外傷は全く違う話だった。用語も新しく覚えなければならなかったし、患者が入ってくるシステム自体も違っていた。その上、重症外傷センターに所属している医者もあまりいなくて、外科医だからと言って詳しく知っているわけではない。あえてノウハウと表現するならば、エピソードはただの事件ではなく、感情の塊なのかもしれない。その中の喜怒哀楽を通じて物語を書いていく方法くらいかな?恋愛ドラマを執筆したことがあるからといって、次に執筆する恋愛ドラマが簡単に書けるわけではない。それはメディカルドラマも同じだ。―メディカルドラマだから視聴者の期待値が高く取材がより重要だったと思う。チェ・ヒラ脚本家:メディカルドラマの視聴者は台詞一つ、字幕一つでも見逃さない人たちだ。7歳の甥が、「ママ、アレスト(心停止)とエクスパイア(息が絶える)は何が違うの?二つとも死ぬことなのに何が違うの?」こんな質問をしたそうだ。子供たちもこんなに興味を持って見ている。この医者はどんな風に生きるのだろう、喧嘩はどんな風にするのかな、あのシステムの中で患者を生かすために意見が衝突するとき、ただ感情的に議論することではなく、論理的に議論しなければならない、このように考えているから、当然取材が重要である。「ひどく軽視されて取材の途中、逃げてきたことがある」―取材はどのように進めたのか?直接、医者に会って話しかけることは簡単ではなかったと思う。チェ・ヒラ脚本家:ドラマの脚本家でこのような作品を執筆していますと言っても何の役にも立たない。ドラマを見ない方たちだから。ひどく軽視されたことがあって、取材の途中で逃げたこともある。重症外傷に関する情報が足りなかったので無駄骨折りしたこともあった。議政府(ウィジョンブ)の聖母病院に外傷患者がたくさん来ることを知らず、汝矣島(ヨイド)聖母病院に行って、10日くらい時間を無駄遣いした。でも、その中でも時間に余裕ができたら、病院の情報を教えてくれたり、詳しく状況を説明してくれて実力まで備えた素晴らしい先生方もたまにいらっしゃる。海雲台(ヘウンデ)白病院は、ちょうど新生病院でありながら外傷外科の医者が5人もいた。そこでキョン・ギュヒョク先生と知り合った。重患者のケアを立派にできる方の中の一人で、手術の経験は少ない場合でも外科の先生たちがみんな良い情報を教えてくれたので、取材陣として本当に良かった。また、応急医学科の科長でいらっしゃるチョ・ジュノ先生もオープンマインドで知的な方だった。それに気が合うところがあって、意気投合できた。―取材の秘訣があるとしたら。チェ・ヒラ脚本家:私の取材態度が良いみたいだ(笑) 頷きながら興味深く聞いていると、最初は理解しているのか?と疑いながらも、後になって詳しく説明してくださる。実は、最初は患者さんを引き出して輸液のことを説明してくれたけど、全然理解できなくて呆然としていた。時間が経って、あの人たちはどうして必要なのかな?実際に必要な医者は5人くらいなのに、色んなところから寄せ集めているんだなと、徐々にそういうことが見えてきた。突然手術を見に来てほしいと呼ばれると、夜タクシーに乗って病院に行ったり、全南(チョンナム)大学病院や釜山(プサン)にも飛行機で何度も通った。取材費も結構かかった(笑) ―本来、知的好奇心が強い方なのか。メディカルドラマを単純にジャンルとして区別するのではなく、知的な職業という観点で見ているようだ。チェ・ヒラ脚本家:ちゃんと作られたハリウッド映画が好きだ。ハリウッドのラブコメディのような映画を観ていると、専門的な職業を持つ男女の場合、その職業から起きそうなエピソードとキャラクターが赤裸々に描かれている。そういった面で物語がより豊かになっている。このような職業を持つ男性と女性が出会った。この人物たちがこのような意見の違いがあって、このように対立している、というように物語を展開していく場合、みんなはこの隙間を色んな出来事で盛り込んでくれるだろうと期待しながら映画館に行っている。それを満たせない作品を見ると、失望してしまう。自分だけが考えている最低限の基準があって、その基準を満たせない作品はあまり見ない。私の作品も同じだと思う。ジャンルを問わず、緻密に構成された世界を描かなければならない。メディカルドラマだけではなく、家族ドラマも同じだ。―そのような世界を作ろうとすると取材も大変だったと思うが、その過程でどうして私がここまでしなければならないのかと思ったことはないのか。チェ・ヒラ脚本家:何と言えばいいのかな。家長の気持ちが理解できた(笑) 家長はこんな汚くて屈辱的なことに耐えながら、お金を稼いでいるんだなと思うようになった。ヘリコプターのシーンを撮影したときは、関連機関と問題が起きてそれを解決しようとして苦労した。どんな風に撮影が行われるか構成を書いて渡したけど、身元確認と公文書を送るシーンにおいて消防署側から撮影を中止させるために現場に行っていると言われた。この状況を現場で解決してくれなければ、もう一度台本を書き直さなければならないので、担当のアシスタントディレクターに電話して消防署側の電話番号を聞いた。「そのようなことはどこで聞いたのか」と言われ説明すると「そんなことはない」と言っていた。それで「今ネットで記事検索して、新聞で見た記事と同じ記事が出てきたら、このまま撮影をする」と言ったら「勝手に書いてください。もし記事が出てきたらですよ」と言った。でも、すぐにその記事を探し出して「中央日報に載っていますね」と言ったら、「実はそんなことではなくて」と話を変えていた。結局ヘリコプターの要請書を公文書で送るシーンを除いて、地域も変更して、身元証明書を送る程度で内容を修正した。―普通の人たちが考えている脚本家の取材と執筆の領域以上に、とてつもない感情労働と精神労働をしたのですね。チェ・ヒラ脚本家:私がここで辞めたら、このドラマは作れないと思った。本来、責任感がまったくない人間だったのに、放送局から多くの費用を使って作品を執筆していたら、こんなに熱心にできた。それにたくさんのスタッフたちがいる。もちろん私が急いで書いた脚本を渡して、スタッフたちに苦労をかけたことはあるけど、ドラマがつまらなくてダメで、皆からどうしてこんなものを作っているんだと思われたら、どれだけ辛いだろうと思う。―「愛の選択~産婦人科の女医」でもそうだったが、患者が死んだという表現を逃したとか失ったと言っていた。そして、イ・ミヌが患者のベッドに横になってみるシーンのように些細な部分で患者に対する医者の態度が違う角度から描かれていた。意識的に入れたシーンだったのか。チェ・ヒラ脚本家:実際の医者たちが使う表現ではない。ただエクスパイアと言っていたようだ。「愛の選択~産婦人科の女医」も「ゴールデンタイム」も別途に構成を立てずにそのまま執筆した。特にこれをこのように描こうと計算するより、大まかに大きな事件を決めて作品の筋道がはっきりしたら、そのまますらすら書いている。例えばイ・ミヌが患者を診察する時は一つ一つすべて計算して、診察しなければならないけど、チェ・イニョクくらいの経験があると、一回診察してどんな状態なのかすぐ分かる。それと似ていると思う。私がチェ・イニョクほどにはなれないけど、その中間くらいにいるのかな?既に学習され、経験が積み重なって、忙しいときは今までの経験からペンがすらすらと動く。「重症外傷は国家が無関心な問題」―インターンから理事長まで病院に存在する様々な層上のキャラクターがあって、多くても少なくても、全員自分の話を持っていた。そのためシステムと組織に対する問題提起が力を持つことができた。チェ・ヒラ脚本家:誰ひとりとして単純に光り輝く鏡のようなキャラクターではなく、自分の話があるキャラクターでなければならない。システムや組織に関しては、以前の常識の水準よりもう一歩進んだ程度の関心を持っていると考えた。だけど、私としては当たり前にある程度知っている部分であって、ある程度接することができる種類の話だけど、意外に他の人は違っていた。特に重症外傷の場合、システムのことを話さないと解決しない問題だ。これは医者が嫌いだからではない。科長がやりたくなくて、病院側の意志がなくて生かさないのではない。これは科長たちがやりたくなかったり、病院側の意志がなくて重症外傷センターを運営しないという問題ではなく、国が冷遇している問題なのだ。―責任という単語が頻繁に使われていたが、結局「ゴールデンタイム」は不安と責任の間の勇気に関する物語だったのではないかと思う。チェ・ヒラ脚本家:根本的に不安とは、医者だけに該当する話ではない。仕事をしている人として、人間として、学生として、母として、誰でも持っている問題だ。その時はもっと価値のあることと不安な思いを代替しなければならない。チェ・イニョクが手放したまま患者が死ぬことより、違う方法を使って治療する方がよほど価値があると考えていたように。脚本家にとって不安とは、作品が失敗することだと思う。私の作品って面白くないのかな。視聴者たちが嫌がったり、誰も理解してくれなかったりしたらどうしよう。こんな問題かな。だけど、やらなければならない。私も最初の作品を執筆していたときは、完璧主義者に近かった。「ゴールデンタイム」は逆境を認め、もっと前に進めた。カン・ジェインの叔母様が言ったように、全てのことが事前に準備されているものはないと思った。人生には大きくても小さくても、瞬間ごとに色んなことが起きて、問題が起きたらそれに直面するしかない。―不安を感じる時、周りの人からの評価やアドバイスに頼る方なのか、それとも自分が納得しなければならない方なのか。チェ・ヒラ脚本家:納得しなければならない。ただ外部によって動揺しない。だからと言って他人の話を聞くことが嫌いではない。例えば、第3話の時、バン・ソヌ(ソン・ユハ)が患者として病院に来た。監督は第3話にその話を入れても良いと言ったけど、私は少し早いと思った。カン・ジェインにも医療人としての姿を見せるエピソードを描いてから、重症外傷センターを出るのが良いと思った。そんな過程を通じて私が納得できるエピソードを書いていたら、その回の台本を書くのに3週間くらいかかった。カン・ジェインのキャラクターはもう少し精巧に描きたかったけど、少し残念なところもある。―具体的にどんな部分を残念に思っているのか?チェ・ヒラ脚本家:もう少しストーカー気質のある人物として描きたかった。100%元気な精神状態ではない人。最初恋愛する時、みんなクールで、理想的に判断が下せる人はいない。この男性に全てをかけている経験が初めてだったので、何を言ってもすべて騙されて引きずっている部分が必要だと思った。そうなるとカン・ジェインももう少し情けない面が現われ、その分成長する面を見せられたかもしれない。その部分を少し残念に思っている。―周りから色んなことを言われたと思うが、最後まで恋愛模様は物語の中心になれないままドラマが終了したことも印象的だった。チェ・ヒラ脚本家:ウナの場合、仕事を選択するか、それとも人生を選択するかが悩みであって、恋で悩んだり、泣いたりする恋愛の物語ではなかった。もし、2人がお互いに好きな感情を持っていたなら、婚約者とチェ・イニョクを会わせるウナでもない。それに、好きな感情を抱いてその場に行くチェ・イニョクでもない。もちろん、恋愛模様を描かないということはない。だが、男女の恋愛物語が見たかった人たちは、既にこのドラマを見ることを止めていただろう。そんな部分に執着するようになると、本当にその水準で留まる物語になる。―やりたいことをやるために生じる葛藤を快く受け入れながら進むところがチェ・イニョクと似ている点だと思う。チェ・ヒラ脚本家:やりたいことをやるために、全力で前向きに生きている人が好きだ。基本的に「代価を払うと、何でもできるのにどうして代価を払わないのか?」のようなことを考えた。正直な人たちと自分に堂々としている人が好きだ。自分に堂々とするために他人を評価する基準を自分にも同じく適用する必要がある。

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  • 「ゴールデンタイム」クォン・ソクチャン監督“人を生かすということは非常に重要なことだ”

    「ゴールデンタイム」クォン・ソクチャン監督“人を生かすということは非常に重要なことだ”

    クォン・ソクチャン監督が演出したMBCドラマ「パスタ~恋が出来るまで~」(以下「パスタ」)と「ゴールデンタイム」は、一つの組織を通じて今の韓国を見ているような印象を受ける。レストランでも大学病院でも、組織の中には経営者から末端の職員まで様々な人々がいて、その人々にはまたそれぞれの立場と生活がある。彼らが困難にぶつかりながらもそれを理解していく過程の中で組織の文化が生まれ、組織は現実や効率性のためという理由で、行政便宜主義の結果や不合理な慣行を作り出す。「パスタ」のシェフチェ・ヒョヌク(イ・ソンギュン)と「ゴールデンタイム」の医者チェ・イニョク(イ・ソンミン)が輝いたのは、誰もが分かっていても解決しようとしなかった問題を、人々の前に出て解決しようとしたからである。しかし、シェフ1人の意志で多くのことが変わった「パスタ」とは違い、「ゴールデンタイム」のチェ・イニョクはシステムが変化しない以上、自分の思い通りに救急患者を治療することすらできない。救急室という熾烈な現場は、理事長と病院長が密かにに交わす会話によってその運命が決まり、その結果はすぐ患者たちの生命に繋がる。シミュレーションドラマ、もしくは経営ドラマと言ってもいいほど、「ゴールデンタイム」はドラマの中の世界に驚くほどリアルな現実性を与えた上、その中で生きていく人々の心も見逃さなかった。小さな救急室のストーリーで始まったドラマは、ヘリコプターから世の中を全体的に見下ろしながら終わり、エピローグでは患者一人ひとりの人生をすべて見せてくれた。大学病院という巨大ビルをメス1つで整えたように感じられたこのドラマの執刀医クォン・ソクチャン監督に「ゴールデンタイム」に関する話を聞いた。―撮影が終わって少しは休んでいるのか。多くの人物を描いたドラマだったため、その人気から3話延長までして本当に大変だったと思う。クォン・ソクチャン:撮影が終わってから、寝れるだけ寝た(笑) 延長しなくてもかなり厳しいスケジュールだった。撮影中に撮りやすいカフェでのシーンのようなものを本当に撮りたくなったこともあった(笑) 最後の頃には、もうすぐで終わるという気持ちより、とりあえず時間を守らなければならないと思ったこともあったし(笑) だから、終わった時も本当に終わったという実感が湧かなかった。何だか「次の週も現場に行かなければならないのでは?」という気持ちだった。―撮影中は病院の中で繰り広げられることを主に撮っていたので、時間がどのように流れているのかよく分からなかったのでは?クォン・ソクチャン:そうだった。病院の外に出ることがほとんどなかったし、昼も夜も関係なかった。「責任を負うということは、成長するということ」―病院という空間を隅から隅まで最大限に活用しながら撮影したので、大変だったのではないか。「パスタ」の時も狭いキッチンの所々をエピソードが繰り広げられる空間として活用していた。クォン・ソクチャン:その時に比べれば非常に広かった(笑) 撮影の時、これまで一緒に仕事をしてきたカメラマンから、「広い場所もあるのにどうして隅の方に行くのか」と言われたことがある。―手術シーンも独特に見えた。手術する部位に集中したリ、手術の過程をダイナミックに見せるよりは、手術するスタッフそれぞれの姿をたくさん見せてくれたような感じがする。手術室を広く使った感じがした。クォン・ソクチャン:このドラマのように外傷患者を題材にする作品は、手術シーンを細かく見せることがなかなか難しい。患者たちはかなり酷い傷を負って運ばれてくるし、手術する人も体の全体を使うからである。そのため、人物に近づくより、手術室全体をカメラの中に入れるシーンが多かった。そして、「パスタ」と共通する理由でもあるが、その人が何をやっているのかを見せるためには全体を見せた方がいいと思った。その人の体がその人の仕事を見せてくれているので。―そのため、インターンのイ・ミヌ(イ・ソンギュン)が事故に遭った妊婦を開腹する時、「メスをください」と言うシーンをフルショットで撮ったのか。そのシーンでメスを渡されること自体がキャラクターにとって重要な成長の瞬間に思えた。クォン・ソクチャン:そのシーンについてイ・ソンギュンは本当にたくさん悩んでいた。「インターンがこんなことをしてもいいのか」と悩み続け、たくさんのストレスを感じたようだ。彼は徹底的に準備してくる俳優なので、台詞でNGを出すことが少なく、スタッフを悩ませることはほとんどないが、そのシーンだけはNGが非常に多かった。少し大げさに言うと、「パスタ」の時から今回までに出したNGの数より、その時に出したNGの数が多かったほどである。それで撮影の時、普段は2台のカメラを同時に使う場合もあるが、その時は1台だけ使って彼ができるだけ役に集中できるようにした。―イ・ミヌが開腹を決めた回は本当に驚いた。下手したら、非現実的に思えるかもしれないシーンであり、それほどインパクトも強かったシーンでもあった。クォン・ソクチャン:「ゴールデンタイム」を演出しながら心配したことは、インターンは自己決定権が1つもない立場にいるということだった。本当はできるけれど現実的に色んな問題があってできなかったことを、自分でやろうと決心することで、その人の成長を見せることができる。でも、インターンはやりたくてもできない立場にいるので、この人がどうやって成長したのかを見せることが難しかった。それでも、後からイ・ミヌの確かな成長過程を見せるシーンを描きたいと思った。現実的には無理があるかもしれないが、そのような状況なら現実でも彼のような選択ができるんじゃないかなと思った。―チェ・イニョクがイ・ミヌに責任と選択について話し続け、イ・ミヌがその中で成長することが「ゴールデンタイム」の重要なストーリーの1つだったと思う。クォン・ソクチャン:最初はイ・ミヌが先輩の代わりに病院の当直勤務をした時、運ばれてきた女の子の患者をセジュン大学病院ではなく、他の病院に運んでいく設定だった。だが、途中でセジュン大学病院に行って最初からチェ・イニョクとぶつかるストーリーに変えた。イ・ミヌのように何かを選択したり決定することを避ける人には、魂を揺るがす何かが必要だと思ったからだ。イ・ミヌとチェ・イニョクがぶつかることで、それが全体的なストーリーのもとになったと思う。人は責任を負うべき状況では責任を負わなければならないし、責任を負うということは成長するということだから。僕はこれまで女性を前面に出したドラマをたくさん演出してきた。キャラクターを解釈して感情移入するにも楽だったから。男性はドラマの主人公になるには足りない存在であると冗談で言ったこともある(笑) だから、2人の男性を主人公にした時、どんな物語ができるのか知りたかった。チェ・イニョクとイ・ミヌの関係にはそのような好奇心がたくさん反映されている。―カリスマ性だけを見せるより、温かいアドバイスや合理的な説明をする良き指導者のチェ・イニョクは、なかなか見かけないキャラクターである。自分の主観をより強く押し付けるキャラクターの方が、想像しやすい一般的な人物だと思う。「パスタ」のシェフも、時には独断的に見えるほど、カリスマ性に溢れていたと思うが。クォン・ソクチャン:最初はチェ・イニョクがまるでドンキホーテのように見えたらどうかと思った。現実的には不可能なことだが、夢見ることを諦めない人。そのため、他の人となかなか仲良くできないような人物。でも、この人が崇高な意識を持って生きる気高い存在に見えることだけは避けようとした。この人が本当に完璧に近い才能を持っていたり、とても崇高な意識を持っていたら、この人が直面する挫折や諦めが視聴者の胸の中に響くことができないと思ったからである。チェ・イニョクが夢を持ち続けて現実とぶつかる人物であることを望んだ。―チェ・イニョクはすべての状況に対して答えを持っているように見えたが、それと同時にいつも答えを出すため、大変なことを耐えなければならない人物だった。心強いけれど限界のある人という彼独特の雰囲気が印象的だった。クォン・ソクチャン:チェ・イニョクも完全体ではない。この人にも成長できる部分がきっとある。例えば、この人はどうして組織と対立するのだろうか。この人がもう少し柔軟に立ち向かったら、手術が必要な患者がいる時、手術室を譲ってもらうことができるのではないのか? 価値観の違いで対立し、追及する目標を成し遂げることができない時もあるのではないのか? でも、もしそのために自分の考えを諦めるのであれば、この仕事を辞めるのではないかと思える人物でもある。追求するのは100なのに、そのうち60でも得ることができたと満足するような人物とも違うと思う。脚本家ともそのようなことをたくさん話し合った。チェ・イニョクに関して本当にたくさん悩んだ。悩んだあげく、俳優がうまく演じてくれるだろうと思ったこともある(笑)「ドラマの中の登場人物だけが生きる世界として見せたくない」―俳優たちも悩みが多かったと思う。作品全体やキャラクターの状況についてたくさん考えなければならなかったと思うが。クォン・ソクチャン:本当にきついスケジュールだったにも関わらず、最後まで作品を引っ張っていくことができたのは、俳優たちのおかげだ。俳優たちが自分の役だけでなく、自分のキャラクターが他のキャラクターとどんな関係なのか、自分がどんな状況に置かれているのかなど、たくさん悩んで研究してくれたので、僕は本当に気楽に撮影すればいい程度だった。おかげでスケジュールを守ることもできたと思う。―俳優たちも制作陣と一緒に話し合いながらキャラクターを変化させていく作業が印象的だったと話した。しかし、ドラマ序盤からそのような過程がうまくいったとは思えないが。クォン・ソクチャン:作品を撮っていると、制作陣の意図に関係なく、キャラクターが論理を持つようになる。それで、キャラクターをある方向に変えたいと思っても、キャラクターにはすでにある生命力がついており、なかなか変えることができなくなる。その地点まで行くことが難しい。大まかなアウトラインができ、そうしようとお互いに意見を合わせても、キャラクターがどんどん違う方向に行ってしまうから。正しいと思っていた考えが変わったりすることもあるので、話し合いを繰り返しながらキャラクターを作り上げた。だが、その過程が難しかったとは思わない。もう過ぎたことだから、そんなに難しくはなかったと思えるのかもしれないが(笑)―そのため、「ゴールデンタイム」のキャラクターたちはそれぞれ自分の論理を持って生きていく。インターンたちもそれぞれの生き方を持ち、自分なりに成長する。だから、見る立場によって主人公を変えることもできると思う。主助演が明確な一般的なドラマとは違うアプローチ方法だ。クォン・ソクチャン:最初からすべてのキャラクターにその人なりの論理を持たせてスタートするわけではない。とりあえず、中心となるキャラクターについてたくさん考えて、他のキャラクターたちは機能的な要素として考えることが多い。だが時間が経つにつれ、彼らも1つの命を持つようになる。それから、僕は台詞が一言もなかったりただ通り過ぎる人でも、その人はどんな人なんだろうと気になるタイプである。例えば、「白雪姫」を原作にしたいくつかの作品では、7人の小人のうちの1人が映画の最初から最後まで一言もしゃべらない。それを見た僕は、その小人は一体どんなことを考えているのかと気になる。それで、アウトラインははっきりしていないけれど、このキャラクターはこんなストーリーを持ったらどうだろうと考えるようになる。そのため、キャスティングをする時からそのような考えに合う俳優を探すようにしている。―エンディングで患者たちの後日談を描いた部分が特にそうだと思う。すべての人に対して関心を持たなかったら、考えがそこまで広がることはないと思う。クォン・ソクチャン:そのシーンは、もし放送時間が足りなかった場合、本編を少しカットしてでも必ず入れようと思っていた。それが手術のため苦労した人々に対する礼儀だと思ったから。そして、僕自身もその人々はどのように生きているんだろうと気になったし。エンディングを迎える前からエンディングシーンをどのようにしたらいいかと考えていた。人々があれほどまでに戦いながら治療に熱心だった理由を、見せなければならないと思った。あの人たちがそこまでした理由があったんだと頷くことができるようなものが。それで手術が終わってからも、患者たちは依然として生きているという考えが頭の中に浮かんだ。―人を生かし、人生を継続するという根本的な理由から、「ゴールデンタイム」は医者が行う治療だけでなく、病院内の組織やシステムの改善というところまで考えることができた。患者1人を治療するためには、そこまで考える必要がある。クォン・ソクチャン:それは脚本家を褒めなければならない部分だと思う。誰もが胃癌の3期にまでなるわけでないが、1度ぐらいは緊急治療室に行く。でも、緊急治療室に行ってみると「2時間も待っているのにどうして誰も来ないのか?」と思うことがしばしば起こる。また医者たちの中でも、どうして治療室に必要な医者が来ないのかともめることもある。そのような問題を考えているうち、より多くの部分ことを考えるようになる。―そういう点から「ゴールデンタイム」は結局、リアリティに対する話であるように思える。出演するすべての人々の人生から病院全体の問題まで、本当に存在しているように描いた。クォン・ソクチャン:ある人から「君は少し情けない人々(笑)の話を描くことがうまい」と言われたことがある。運が良ければ中くらいのヒット、もしくは少しヒットできる演出だとも言われるし(笑) ドラマにはファンタジーが必要だが、僕はそういうものと離れていると思う。そのためか、作品に出る人々に会ったことはないけど、自分とまったく違う人ではなく、生きていく中で出会える人のような感じを与えたかった。僕たちが作ったセットのドアを開けて外に出たら、そこには本物のトラックが走って、人々が歩いている。その人々が、もし病気になるとセットの中に入ってくることができるような感じを常に維持しようと思った。ドラマの中の人物たちを彼らだけが生きる世界にいるように見せたくはなかった。「ついに最後まで来たことに対して達成感のようなものがある」―そのような目線がドラマを作ることにも繋がったと思う。「ゴールデンタイム」にはほとんどのドラマで必ずといって良いほど描かれるラブストーリーがほぼ排除された。クォン・ソクチャン:最初からラブストーリーを入れないと決めていたわけではない。ただ、ドラマはある程度進むと、それ自体の流れができるが、わざとそれに介入して方向を変えたら問題が起こると思った。2人が座って話をしても、気持ちを十分伝えることができる流れなのに、あえて手を握る必要はないと思った。―その流れに介入したくなる時はなかったのか。最初から最後まで現実的な雰囲気を貫くことを維持したが、リアリティは活かすことができても、視聴者の目を引くことは難しい。クォン・ソクチャン:その流れをすべてグチャグチャにしたいと思った時もあった。でも、よく我慢したと思う(笑)―チェ・イニョクがイ・ミヌに「患者に何かをしてあげたいと思う時もあるだろうが、我慢して見守ることが大事」と言ったことを思い出す(笑) 結果的に視聴率も良かった。クォン・ソクチャン:実は、僕も驚いた。このような感じで撮っているのに、見続ける視聴者が本当にいるのかと思った。実を言うと、僕の立場からしてもその回に視聴者が面白く見ることができる部分はあるのだろうかと心配になるときもあった。だから、非常に驚いたし、その台詞のように僕が何かをやりたくてもそれが作品のためであるのか、僕のためであるのかと考えるようになった。僕もたくさん学ぶことができた。―しかし、忙しいスケジュールと状況の中で、そのような誘惑を我慢することは難しいことではないのか。チェ・イニョクやイ・ミヌのように選択して責任を負うことを絶えずやらなければならなかったはずだが。クォン・ソクチャン:すべての瞬間がそうだった。その選択がいつもいい結果だけを残したわけでもない。30~40人のスタッフがいるが、これだけの人数の人々と一緒にドラマを撮ると、常に彼らを運用する部分に気を遣わなければならない。もし現場で予想しなかったことが起こっても、どこかに逃げたり一人で悩むことで解決できる問題ではない。例えば、照明チームと録音チームは現実的に仕方なく、ぶつかる部分が多い。照明チームはかっこいい画を見せたいのに、録音チームがブームマイクをカメラにぴったりくっつけると影ができたりする。そうしたら、僕が両チームのどちらかの味方になったり、ある程度の基準を提案して、その基準の中でお互いに調整しなさいと言うようになる。そのため、すべての登場人物の中でも、特にチェ・イニョクに感情移入したと思う。不合理を超えて不条理に思える状況に陥ったとしても、とりあえず前に進まなければならないから。終わったあとは、患者を1人生き返らせた気分だった(笑)―どうしてそこまでやらなければならなかったのか。ドラマの現場も「ゴールデンタイム」も、どんなに厳しい状況でも最終的にちゃんとやり遂げたい人々が集まっているのに。クォン・ソクチャン:そうだな、どんなご褒美のためにそこまでやったんだろう(笑) それは何なのか。実は、原論的な話になるが、僕も作品のキャラクターを100%理解することはできない。キャラクターは自己の論理や流れによって生命力を持つようになるし、俳優が理解するキャラクターと僕が理解するキャラクターがまた違う。それで、俳優が演じにくいと思うときもあったり、限界を突破することが難しい時もあるが、結局それをやるようになる。そのように、難しいけれど望む方向に行くようにしてくれる力がある。月の裏面のような部分だが、今もそれが分かるようで分かっていないと思う。その方がいいとも思うし。すべてが分かっていたら面白くないと思う(笑)―では、「ゴールデンタイム」の複雑なストーリーの中で、最も話したかったストーリーはどんなものなのか。クォン・ソクチャン:たくさん悩んだ。大量生産と言われるほど、数多くのドラマが作られているこの時代で、他のドラマと似ていると言われたい演出者は1人もいないと思う。メディカルドラマというジャンルの中でも違いを持たせたかったし、このような状況でこのドラマが長所を持つとしたらそれは一体どんなものかと思った。最初から答えを持って進んできたわけではない。次の日の撮影は一体どうすればいいのかと悩んだ時もあった。そのようなことが積み重なり、終わってからある意味を持つようになったのかもしれない。―セジュン大学病院の人々は救急患者を受けながら仕事の意味を見つけたようだ。監督はこのドラマを終えてからどんな美徳を見つけたと思うのか。クォン・ソクチャン:人を生かすということが非常に重要な仕事であるということだ。人を生かす過程に、誰もが必ず参加しているということが重要で、本当に意味のあることだと思う。そのため、それがどうして難しいことなのか考えたり、何かを改善したり修正することは他人事ではなく、少しでも自分のことのように思うようになったら、すごく嬉しいことだと思う。チェ・イニョクのように現実的にできない部分もあったけれど、それでも現実的な条件の中で、僕が伝えたかったことをやってみようと努力し、最後まで来ることができたという達成感のようなものがある。それが「ゴールデンタイム」が僕にくれた美徳だと思う。

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  • 「ゴールデンタイム」ソン・ソンミ“上手く行くことやホットなものより、自分自身に価値があるように”

    「ゴールデンタイム」ソン・ソンミ“上手く行くことやホットなものより、自分自身に価値があるように”

    スーパーモデルとしてデビューした。初作品のタイトルはSBS「モデル」だった。数々のドラマと映画に主役、脇役に絶えず出演したが、卓越した存在感を残すことはなかった。そのため、あるメディアでは「屈曲のない人生」とも表現した。一方で100分の2人劇に出演することを自ら買って出て、演劇「THE BLUE ROOM」の一人五役をこなした。またホン・サンス監督の「浜辺の女」と「北村方向」に出演し解放感を意識し始めた。そして、ある役に出会った。MBC「ゴールデンタイム」でソン・ソンミが演じたシン・ウナは一生懸命に働く勤め人であり、チェ・イニョク(イ・ソンミン)を異性として愛するかわりに一緒に働き、友愛を分かち合うパートナーとして思いながらも、視聴者に2人の恋愛を想像させることができる魅力的な女性だった。デビュー当時、一緒に活動していたほとんどの俳優たちは、消えていったり、徐々にできる役が少なくなったりもした。だが、ソン・ソンミは、ますますできることが増えている。デビュー15年、演技力はより進化し、人生をより深く知るようになった。これに関して幸せだと言える、一人の年輪を重ねた女優の成長に関して、インタビューを行った。―「ゴールデンタイム」が終わった。物語が進むほど、シン・ウナ&チェ・イニョクが話題の中心として浮上したが、作品が終わってどのような気持ちなのか。ソン・ソンミ:「ゴールデンタイム」が私にとってどんな意味があったのか、ずっと考えさせられているようだ。作品の中で自分のイメージが都会的な印象が強いこともあったし、今までの現実とはかけ離れた役も多く演じた。でも「ゴールデンタイム」では、現実を生きているようなキャラクターを演じることができたという点で意味がある。―シン・ウナのキャラクターは時間が経つほど、出演シーンの量とは関係なく、段々と役割が大きくなる印象だった。主役、脇役をはっきり分ける普通のドラマでは珍しいことだった。ソン・ソンミ:それは監督の配慮が大きかった。最初にシン・ウナがどんな仕事をする人なのかは分かっていたけれど、それが具体的に表現されていなかった。とりあえず、主人公のキャラクターにもっと集中せざるを得なかったから。だから、自分のキャラクターが職業的にどう見えるべきか自分でたくさん考えなければならなかったし、撮影をしながら監督へ台本にない内容でもたくさん提案してみた。この手術の場面では私がここにいなければならない、という風に。そういった部分を監督は見逃さずに受け入れてくれた。おかげで撮影が楽しかった。キム・スヒョン先生の作品に多く出演したけど、先生はセリフから物語の導線一つ一つまですべてを正確に準備しておく。あるセリフを言って、その通りに動作をすると、正確にぴったり合うように書かれている。役者の立場としてはとても楽で面白い。ところが、今回は俳優にゆとりを与えてくれて、それもすごく楽しい経験だった。「似ているキャラクターを演じても、別の方法でアプローチしたい」―チェ・イニョクとの関係が印象的だった。2人の会話はほとんど仕事の話だが、2人の姿はその裏に敷かれた感情や情緒まで感じることができた。そんな面で視聴者たちも2人がお互いに恋愛感情を持っていると信じていたようだ。ソン・ソンミ:その部分はイ・ソンミン先輩に感謝している。作品前半の頃、先輩がドラマの面白さがまだ出ていない台本を見て、この人物がどんな人物なのかを模索しているのだと話した。その言葉通り「ゴールデンタイム」でチェ・イニョクとシン・ウナという人物を研究した。時間がある度にイ・ソンミン先輩とキャラクターについてたくさん話し合った。チェ・イニョクとシン・ウナはどうやって出会ったのか?チェ・イニョクにとってシン・ウナはどんな存在なのか?そうやって台本に出ていない話もした。その部分を分かっていて演じることと、知らずに演じることは全く違う。それに、2人は一緒に歩むパートナーであり、お互いに同じ目標を持って乗りきった唯一の人物だ。それは同僚愛に近いように思える。2人に異性としての感情があっても、仕事自体がもともと差し迫っていて簡単に表には現われなかったけれど、見た方々は恋愛として受け入れてくれた。2人の間に重なった年頃が感じられた部分だったのかもしれない。―仕事の話をしただけでも感情がよく表れたからではないだろうか。チェ・イニョクの前では同じ言葉でも優しくして、他の人に接する時はまた違う感じだったから。強い感情の表現がなくても、相手への気持ちが上手く伝わったようだ。ソン・ソンミ:どうしてもチェ・イニョクを思う気持ちとインターンに対する気持ちは違う。そんなことを予め計算して演じたわけではないけれど、現場で相手役のセリフや印象を受け入れようとした。また、方言が役に立った。最初は標準語で演じることに慣れていて、釜山(プサン)の方言でセリフを言うことに対して負担を感じた。頭の中でずっと釜山の方言で言わなければならないと考えてしまうから。でも、時間が経つにつれ、方言の演技には長所が多いと思った。気持ちはそうじゃないのに、表では愚痴を言ったりするシーンでは、方言でなければ言葉のニュアンスが変わるから。後半になればなるほど楽しみながら方言を使った(笑)―釜山で暮らしたことはあるが、スーパーモデルとしてデビューして以来ずっとソウルで暮らしていたと聞いた。でも、使っていた釜山の方言が20~30代の働く女性が使っている言葉という反応が多かった。ソン・ソンミ:「ゴールデンタイム」で使った方言は、私が10代の頃に使っていたものより少し控えた部分があった。専門職の女性で、あまりにも方言を使ってしまうと上手く伝わらなかったり、理解しにくくなったりすると思ったから、少しトーンを変える程度が、ちょうど良かったようだ。―働く女性の感じはどう生かしたか。20代初めにデビューして一般的な職場に勤めたことはないと思うが。ソン・ソンミ:コーディネーターという職業自体が人々にほとんど知られていなかった。私すら初めて台本を見た時、この人が何をするのかよく分からない部分があった。それで、この作品のロールモデルとなる方に会って、手術するのも直接見た。そうやってその方がどんな仕事をするのか、状況がどう進むのか分かるから、もっと具体的にコーディネーターの仕事について理解するようになった。そして「ゴールデンタイム」自体が手術シーンや救急救命室の状況すべてを本物と同じように撮影をするが、もともと台本にはない部分もあった。そのため、現場でリハーサルをすると、実際にシン・ウナが何を準備して、どう動くべきか分からなければならなかった。そんな事が重なって、現実味を与えることができたようだ。―そういった部分がキャラクターを発見して台本の外側の部分まで考えたと思うが、キャラクターに近付く時、特別に魅力を感じた部分はあるのか。ソン・ソンミ:人間的な魅力が大きかった。自分の仕事に対して情熱があって、正しい道があればその道に進もうとしている。そして、もう一つは現実的につまらない立場にいたという点が胸に響いた。働く職場が現実ではくだらなく見えるほど辛いと思う。まともな事務所があるわけでもなく、ハンドバッグの置き場もないほど狭い空間で休むのがすべてだから。そして、以前は台本に出た部分をどれだけ真面目に表現するかを悩んでいたけれど、「ゴールデンタイム」に出演して、私がどう解釈するかによって全く違った感じに表現できるということを学んだ。それで、演じることがもっと楽しくなった。これからも新しい人物を演じたり、似たようなキャラクターを演じたりすることになっても、多方面に考え解釈してキャラクターに近付きたい。―キャラクターの解釈は演技のテクニックより、日頃生きて来て感じたことで解釈すると思う。役者としてキャリアを積み重ねながら過去と変わった部分はあるのか。ソン・ソンミ:小さい頃、漠然と思ったことがある。いい俳優になるためにはいい人間にならなければならないと。私がちゃんと生きてこそ、いい役者になれるのだと思う。それに、いい人間とは一瞬でなれるのではなく、歳月を経て、時間が過ぎてこそなれるものだと思った。そして、長い目で人生の目標を立てて、焦らないようにした。だから、今少しずつ自分が積み重ねてきたものを見せることができるんだと思う。ちょっとだけ人生を生きてきた感じがするくらいに。確かに人生をどれだけ理解しているかは、私がこの台本を理解しているかに一脈相通じることだと思う。以前はよく見えなかったことが今は見えてきたし、人の一面だけを見てあの人はこんな人なのだと思っていたことを、今はあの人が違うものも持っているんだと理解する。それで、相手のことをもう少し配慮するようになった。そういった面で台本も別の視点から見るようになった。―だが、時間が経つからといって、すべての人が人生への考えが深まるわけではない。女優としての仕事と生活の調和を上手く取ってこそ可能なことだが。ソン・ソンミ:もともとそのようなことは少しできた方だと思う(笑) もちろん、混乱する部分もあったけれど、人生において暮らしのバランスはとても大切だ。私の職業は役者だけど、ソン・ソンミに戻る時はソン・ソンミとして自分の暮らしをものすごく大切にする。小さな幸せが大事だから。そして、ある瞬間こう思った。私はものすごく感覚的な人間なんだ。すべてのことを判断する時は理性と感覚が適切にバランスを取らなければならないのに、私は感覚的なことだけですべてを判断して結論付けていたのだ。そんな自分自身の姿を見て、危険かもしれないと思った。それで、しばらくはある判断をする時、意図的に少しだけ感覚的な部分は抑えて、なるべく理性的な部分で集中しようと努力した。そのうち、いつの間にか適切なバランスを取ることができるようになった。―それがすごく難しいことではないだろうか。それほど自分をよく見つめなければならないし。ソン・ソンミ:だから、この仕事そのものが相変わらず大変な部分もあるけれど、この仕事から上手く抜け出すことも必要だと思う。この仕事は撮影する時は寝られないほど熱中して生きて、仕事が終わるといきなり失業者になる。その多くの時間をどうコントロールすればいいのか分からない時も多い。そのため、その多くの時間をコントロールしようと努力する。とりあえず、働かない暮らしが定着するまで1~2ヶ月かかって、自分なりにスケジュールも立てて、運動もして、友達とも交流して、徐々に自然な人間としての自分の暮らしを探す。その1~2ヶ月の時間が依然として大変ではある。しかし、今やその時は大変な期間だということをわきまえているから、以前よりはもっと上手く耐えられる。「確かに人生にはどんでん返しがある」―自分のことが分かってきて、少しずつ選択も変わったようだ。ドラマだけ見た人にとっては、ソン・ソンミさんがホン・サンス監督の「北村方向」や「浜辺の女」に出演したり、演劇を活発にやったりすることは意外に思えるかもしれない。今回もイ・ソンミンと演劇「そこ」に出演するし。ソン・ソンミ:実は、私は演劇映画学科を卒業したわけでもないし、演技の訓練を多く受けたわけでもない。だからとても大変だった。準備ができた状態でデビューした友達への劣等感や憧れみたいなものも多かった。以前、デビュー作「モデル」に出演した時は、演技も初めてなのに、ただこのドラマがやりたいという思いでやった。だけど「モデル」はミニシリーズ(毎週連続で2日間に2話ずつ放送されるドラマ)で、カットも速いから私の足りないところがあまり目立つことなく上手くまとまったけど、その後週末ドラマや毎日ドラマでは演技力が足りないことが見え始めた。人が私をどう評価するかは重要ではなかった。私が自ら足りないと感じたし、その分、何かで補いたかった。それで、いつかは演劇をやるべきではないかと思った。―自ら足りないと感じる状態で他の分野に挑むことが恐ろしくはなかったのか。ソン・ソンミ:初めての演劇が「背を向けて去れ」だった。ユ・オソン先輩とやった2人劇だけど、100分の初演劇を2人で、しかも芝居が本当に上手な先輩としようとしたら、とても大変だった。本当に無謀な挑戦だった。でも、その時の私の心境は、とりあえず一度やってみようということだった。少し無鉄砲のようだったけど(笑) 夫が私に「お前がここまで一生懸命なのは初めて見る」と言っていた。そんな経験はその時が初めてだった。足りない私を駆り立ててやった時、もっといい結果が作られるカタルシスのようなもの。その後は、新しいことへの挑戦に対する不安感がなくなった。女優は常に新しいものを学び、挑戦しなければならないということが分かった。そうしなければ滞るということでもある。―滞らなかったから「モデル」のあの女優が「ゴールデンタイム」のシン・ウナになれたと思う。普通の俳優たちとは違って、年を取るほど配役の幅がさらに広くなるような気もする。ソン・ソンミ:イ・ソンミン先輩とそんな話をしたことがある。人々が私をビジュアル的にどのような感じで見ているのか、今は分かる。都会的で、現代的な清潭洞(チョンダムドン)の嫁みたいな感じ(笑) でも、今の私だったら田舎でワカメを採る役も上手くこなせるような気がする。似合わないと思う人も多いだろうけど、その役を上手く演じられたら、とても嬉しくなると思う。例えば「北村方向」を撮る時は、監督が役者に撮影に必要である技術的な制約などを全く教えずに、やりたいまま、感じるまま気楽に演じるようにしてくれた。だから、本当に新しい経験であったし、すごく嬉しかった。本当に私の体の細胞を目覚めさせる気分だったから。―女優としてある完成を夢見るよりは、今よりもっと良くなると信じて生きているようだ。ソン・ソンミ:だからこそ、年を取るほど生きることが楽しいと思う。人生はやっぱり生きるに値すると思うし(笑) 実は、20代初めは混乱していて不安で、何が何だか分からない時期があった。30代になったら、いきなり視野がパッと明るくなって、すべての答えが見え始めた。ある人と少し話してみると、その人がどんな人か分かるし。でも、もっと年を取ったら、それがどれだけ傲慢だったのか分かってきた。例えば、私は小さい頃、両親の影響でものすごく保守的だった。だから、友達が彼氏と2人同時に付き合うようになると、その子とは会わなくなった(笑) ただその子が悪いと思っていたのだ。そのうち友達自体がいなくなってしまった(笑) でも、年を取って、それは個人のプライベートなことなのに、私がそれを判断することができるのかと思うようになった。そんな時に夫と出会って、さらに広い視野が持てるようにもなった。そんな経験が積み重なって30代初めを越えたら、自分が見えることだけ見ていたのだと思えて、さらに慎重になった。―30代半ばの今、何が見えるのか。ソン・ソンミ:人生には確かにどんでん返しがある。人間の頭ではむやみに判断できないどんでん返しのようなもの。だから、芝居というもの自体がすごく難しいところもある。実のところ、私は基本的に芝居について色々な素質を持っているかどうかはよく分からない。ただ、たくさんの時間をかけて、自分自身を成長させ、年齢を重ねた後、素晴らしい役者になりたいという夢がある。そのためには余裕を持って、滞らないように自分を成長させ、人生を知り尽くさなければならない。―20代の頃より少し多く人生を知るようになった今のソン・ソンミさんが、その頃の自分に出会ったとしたら、どんな話をしてあげたいのか。ソン・ソンミ:正直に言うと、少しの素養のようなものかな。周りを見てもそんなことを大事に思う後輩もいて、そうでない後輩もいる。誰がカッコよくて、何がホットなのか、そんなことが人生で重要だと思っている後輩もいる。そんな人たちには私が何を言っても無駄だと思う。私に彼らを変えられる力はないから。ただ、そんな考えを持ってない人たちには、常に自分自身を失わず、大切にしなければならないと話してあげたい。それが自分自身を失わない方法だから。自分自身を大切にして、価値ある人だと思うこと。常にそれが重要なことだと思う。

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  • 【Dr.アル】「ゴールデンタイム」チェ・イニョク教授はかがんでコーヒーを飲むだけでもカッコいいです!

    【Dr.アル】「ゴールデンタイム」チェ・イニョク教授はかがんでコーヒーを飲むだけでもカッコいいです!

    好きだというレベルを超えてアリ(恋の病で寝込むような)の境地になる時がある。見ないと死にそうで見ていると会いたくなる、今日もどこかで苦しんでいる全国に数多くいるアリ患者のための「10asia」の相談コーナー「Dr.アル」。今回の悩ましいアリの対象は、MBC「ゴールデンタイム」のイ・ソンミン。素敵な大人でありながら、自分を犠牲にしてまで患者の面倒を見る医者であり、肩を貸してくれる頼もしい先輩でもあるイ・ソンミン。今回の病の処方箋は!?QUESTIONMBC「ゴールデンタイム」で他の医者たちがテカテカのスーツを着て回診する時、チェ・イニョク(イ・ソンミン)教授はいつも黒いラウンドTシャツに血のついた手術着を着て、緊急救命室を必死に駆け回っています。さらにはグラスに焼酎を注いで一気飲みして、道端にかがんで自販機のコーヒーなんかを飲むのが日常であるカッコ悪い男です。百歩譲ってチェ・イニョク教授が医者としてカッコよく見えるのはアリだとしましょう。さらに深刻な問題は、苦労するのがはっきり見えるのに、チェ・イニョク教授のコーディネーターになりたいということです。私はチェ・イニョク教授の何が一番好きなんでしょうか。(カナダ/シンさん)Dr.アルの処方箋本当の大人ですからね。他人に迷惑をかけるどころか、自分を犠牲にする姿勢ですべての傷と責任を背負い込む珍しい大人ですから。手術室でメスを握れるのは私一人だという独占的な態度の代わりに、インターンのくずでも能力があれば、いくらでもメスを渡す合理的な先輩ですから。インターンのイ・ミヌ(イ・ソンギュン)に患者の手術部位の撮影を頼む時、自分の肩を貸してくれる頼もしい先輩ですから。さっき涙をボロボロに出させるまでインターンたちを叱るとかと思えば、あとでシン・ウナ(ソン・ソンミ)先生に「よく見てあげてください」と内心ではインターンたちを心配する温かい指導者ですから。ドラマや現実を問わず、こんな大人、こんな先輩を見たことがありますか?追突事故の患者たちがどかどかと押し寄せる状況で、落ち着いたカリスマ性を発揮していたチェ・イニョク教授の声が妙にセクシーに感じられたら、それは生まれて初めて大人らしい大人を見たからでしょう。スーツよりジャージをよく着ていて、ステーキよりもカップラーメンがよく似合っていて、ワックスの代わりに汗まみれの髪で緊急救命室に出入りしたっていいじゃないですか。それがチェ・イニョク教授を大人らしく作ってくれる必須条件じゃないですか。ところで、チェ・イニョク教授が素敵な大人だから尊敬するレベルを超えて、あえてコーディネーターになりたい気がするのはおかしいと言いましたよね?患者さんがおかしいのではなくて、チェ・イニョク教授がおかしいのです。医者なら医者らしく手術だけ上手くやればいいのに、誰が物悲しいながらもカッコよく見せろと言ったんですか?誰より自分が信用して頼っていたシン・ウナ先生を手放したくないのに、どうしても露骨に引き止めることはできないから余計な言いがかりをつけたり、そうやって「腹を立ててごめんって」と謝ったり、婚約者の前で渋い表情を隠せずにワインをがぶがぶ飲んだりするのです。しっとり潤んだ目で「気にせずにデートに集中してください」と言いますけど、患者さんならそれができますか?病院では限りなく頼もしい医者だった人が、病院の外では限りなく小さい男になるのに、どうして気にならないというのでしょうか。シン・ウナ先生の前に立つと何となく肩の力が抜けて、酷い方法で嫉妬するチェ・イニョク教授を見る度に「この人も男だな」と思います。だから、チェ・イニョク先生、心引かれるままに行動してください。シン・ウナ先生を掴みたかったら掴んで、新しく来たコーディネーターが気に入らなかったら未練なく手放してください。その場所、私が入ります。常時夜勤可能、1種普通運転免許所持、離職及び移民計画皆無、病院の前で待つ婚約者もいません。Dr.アルのポイント:イ・ソンミンの「僕はラブリーなほうです」MBC「パスタ~恋が出来るまで~」のソル社長無実のソ・ユギョン(コン・ヒョジン)に賄賂の罪を被せたこと、認めます。だから末っ子ソルとして帰ってきました。職員たちの機嫌を伺って一ヶ所に定まらない視線、整然と揃えた謙遜な両手、一寸の乱れもなく小ぎれいに着込んだユニフォームからすべてが見えますよね?これから僕がもっと頑張ります。一人でご飯を食べるのは、死ぬより嫌なんです。KBS「ブレイン 愛と野望」のコブリー僕に忠義を尽くすイ・ガンフン(シン・ハギュン)先生を助教授として推薦しなかったこと、申し訳ないと思っています。だから二人で仲良くお酒を一杯交わそうと先に手を伸ばしたじゃないですか。「仲直りしよ~う」と愛嬌も振りまいて、「フフフフフ」と良い人そうな笑いも作ってみたんですけど、無駄でした。怒りたかったけど、ぐっと我慢しました。泣きたかったけど、それも我慢しました。その代わりに、私は悲しい時はビューラーでまつ毛を挟み上げます。MBC「キング~Two Hearts」のイ・ジェガン殿下イ・スンギ(イ・ジェハ役)とハ・ジウォン(キム・ハンア役)の演技ということ、当然分かっています。冷蔵庫の前でキスしている二人を見かけてびっくりするシーンだということも既に台本にありますし。それでも、実際にみたら恥ずかしいのをどうすればいいですか?僕も知らずに両手でかわいらしく目を隠してしまうリアクションが出ちゃったのをどうすればいいですか?監督、酷いじゃないですか!

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  • 「ゴールデンタイム」イ・ソンミン“チェ・イニョク?かっこよく見せようとは思っていなかった”

    「ゴールデンタイム」イ・ソンミン“チェ・イニョク?かっこよく見せようとは思っていなかった”

    俳優イ・ソンミンは、MBCドラマ「ゴールデンタイム」のチェ・イニョク医師に似ていた。光もまともに入らない小さな部屋で、いつかまともに用意される重症外傷センターを辛抱しながら待つ「ゴールデンタイム」のチェ・イニョクのように、イ・ソンミンも35歳という若くない歳に、家族に申し訳ないという思いを押し切って大学路(テハンノ)に足を踏み入れ、一段一段着実に役者としての階段を上ってきた。10月8日、SBS「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~」に出演したイ・ソンミンはソウルに上京することを決心した理由に対して「俳優として自らを検証してみたくて、大きな舞台で実際にぶつかりながら、自分がどこまで来ているのかチェックしたかった。3年だけ、ふんばろうと思った」と語った。チェ・イニョクがどれだけ凄絶に重症外傷センターの設立を望んでいたのか、誰もが知っていたのは、切迫というものが何なのか分かっている俳優が演じたおかげだった。そんな悪条件の中でも良き先輩であり、心温かい医者であることを諦めなかったチェ・イニョクはセジュン病院の中で唯一大人であった。大人の演技がしたいと思っていた時、MBC「キング~Two Hearts」と「ゴールデンタイム」に出会ったというイ・ソンミンはどんな気持ちでイ・ジェガンとチェ・イニョクを演じたのだろう。「キング~Two Hearts」からより渋くなった容姿と温かな容貌と和やかな微笑みでイケメン中年の仲間入りをしたイ・ソンミンに会った。「『ゴールデンタイム』の撮影現場はうんざりするほど怖かった」 ―「ゴールデンタイム」の制作発表会で「初めての主演なので、もしドラマがうまくいかなかったら、申し訳ないと思うかもしれない」と言ったが、同じ時間帯のドラマの中で、1位という高視聴率を記録してドラマが終了した。感想はどうなのか。イ・ソンミン:本当に良かった。1~2話の時は思ったより視聴率が出なくて大変だった。私のせいなのかもしれないと思うくらいだった。助演として出演した時は、軽い気持ちで自分の役だけに献身的だった。「ゴールデンタイム」でも主役ではなかったけど、とにかく主演は誰もができることではない。責任も取らなければならないし、もし私がミスをすると、皆に迷惑をかけるかもしれないので、常に緊張感を緩めずに、私の出演分もそうだが、医療ドラマの後半には手術のシーン、処置するシーンがとても多かった。中年の体力に限界がきた。ドラマの中盤ぐらいになった時は、体力的に限界がきた。路上で患者のパク・ウォングクを発見するシーンでは、クラクラしてめまいがした。 ―「パスタ~恋が出来るまで~」のクォン・ソクチャン監督との2度目の作品だ。「パスタ~恋が出来るまで~」のソル・ジュンソク社長と正反対のキャラクターだったが、どのようにしてキャスティングされたのか。イ・ソンミン:最初は少し当惑した。メインキャラクターがいるのに私を選んだこともそうだし、自分のドラマでソル・ジュンソク社長を演じた人にチェ・イニョク役をやらせたことも凄い選択だった。明らかに無難な切り札ではなかった。でも、うまくやれると励ましてくれた。それに、常にかっこよくなければならないと思い、かっこよく演じられるか確認した。それが一番心配になったようだ。チェ・イニョクという人物が主流の人間ではないことが演出の意図だったので、常に主役を演じてきた俳優がその役を演じるより、主流ではない俳優がその役をやった方がチェ・イニョクというキャラクターとも似合うと思っていたようだ。いわゆるスターと呼ばれるイケメンでカッコいい俳優がチェ・イニョクを演じたならば、そうでない俳優を使う時より切迫感が足りないかもしれないと事前に計算していたようだ。新鮮な演出意図であって、だから私が選ばれたようだ。監督にとっても、私にとっても冒険であり挑戦だった。今まではこのような役が回ってこなかったのでできなかった(笑) ―すでに一度一緒に作品を撮ったことのある監督なのでコミュニケーションにおいては特に問題はなかったと思う。イ・ソンミン:クォン・ソクチャン監督の最大の美徳は、現場でのディスカッションを通じてシーンを作りあげるという点だ。それが上手にできる俳優がイ・ソンギュンで、私は少々のことは監督の意見に従う方だ。でも「ゴールデンタイム」の撮影現場はうんざりするほど怖かった。―どうして?(笑) イ・ソンミン:クォン・ソクチャン監督は俳優の台詞が上手く言えたかどうかは関係なく、すべてマスターショットで撮影する。27時間も手術シーンを撮影すると目から狂気が感じられる。赤い血を見ると、私たち俳優も狂い、監督も狂う。おそらく他のドラマでは「ゴールデンタイム」以上の手術シーンは出ないだろう。手術シーンの新たな基準を設けた。まさにクォン・ソクチャン監督がチェ・イニョクなのだ。監督にMBC放送局のチェ・イニョクと言った。最終回でイ・ミヌ(イ・ソンギュン)、カン・ジェイン(ファン・ジョンウム)を見送るチェ・イニョクの後ろ姿は、一見クォン・ソクチャン監督のようだ。それとなく自分を投影して撮影したのではないのかな(笑) そして、クォン・ソクチャン監督は私の運命、私の人生を変えた人でもある。ドラマのクランクアップの時、監督と抱擁した時は、感動で胸がいっぱいになった。―チェ・イニョクは飾らない、非主流の医者であるが、一目見た時、とても渋い雰囲気が漂っていた。特に気を遣った部分があったのか。イ・ソンミン:かっこよく見せようとしたわけではない。重症外傷センターのイ・ジョングク教授のドキュメンタリーを見たけど、凄く痩せていた。そうだ、あのようにストレスが溜まる医者は太りたくても太れないと思った。私にできる最低限のことは減量だった。もともと好きだった肉も何ヶ月前からか一切食べず、野菜だけを食べた。食事の時、食べれる料理があまりなかった。朝は禅食(穀物など20種類をパウダーにしたもの)を食べて、お昼にはいつもムルフェ(水刺身:たっぷりのコチュジャン汁に刺身を浸したもの)を食べた。手術シーンを撮影する前には炭水化物を補充するために麺を食べた。実際にボサボサの髪型で、ヒゲも剃らずに、いつも疲れ果てて、足も真っ赤だった。外見の姿よりキャラクターが持つ魅力があったから、皆にそのように見えたようだ。それをかっこいいとは言えない(笑) おそらく他の誰かがチェ・イニョクの役をしてもかっこよかったと思う。―シン・ウナ(ソン・ソンミ)に時々恋心を表現する姿も一役買ったようだ。男女の同僚の間をぎりぎりに行き来するシン・ウナとチェ・イニョクの関係を表現するのは簡単ではなかったと思う。イ・ソンミン:シン・ウナとラブストーリーを繰り広げるつもりはなかったけど、役を演じていたら、視聴者たちがそのように扇ぎ立てた。チェ・イニョクとシン・ウナの関係は仕事で結ばれた関係で、最も重要なことは、二人は奥まった日陰で気の毒にもあくせくと生きる虫のような存在だということだ。どうにかそんな現実に立ち向かおうとするその空間で、シン・ウナはチェ・イニョクに対し一番長い間我慢してきた人であり、唯一チェ・イニョクをコントロールし、大声で怒鳴れる人だ。同じ信念を持っており、誰よりもチェ・イニョクのことを知っている女性だからチェ・イニョクが手術室から追い出された時、涙を流したことは十分に理解できる。―しかし、シン・ウナの婚約者の前でワインを2杯も一気飲みしたのは、同僚以上の感情のように見えた。イ・ソンミン:突然シン・ウナがカナダに行くと言うからチェ・イニョクの気持ちが素直に反映されたのだと思った。頭では彼女を行かせるしかないと思っているが、本当はそれが嫌なのだ。だからワインを飲んで、お酒も飲んで声を張りあげて怒鳴った。その時点で脚本家が二人の関係を恋愛模様が展開されるように描いていたなら、二人は確実に結ばれたと思う。私たちも想像してみた。コーヒーショップでただ簡単に一度手を握れば、それで結ばれると(笑) ところが、脚本家の方が、そんなふうには意図していなかったので、私たちも恋愛物語ではないように演技をした。それに撮影を始めた時、ソン・ソンミさんと話し合ったけど、シン・ウナはチェ・イニョクだけのことを考えて病院に残る女性ではない。「一番愛情を感じるキャラクターは『大王世宗』のチェ・マルリ」―前作のMBC「キング~Two Hearts」のイ・ジェガンに引き続き、チェ・イニョクも良い大人としての手本をみせてくれた。二つのキャラクターを演じながら、良い大人とは一体何なのかを考えさせられた役だったと思う。イ・ソンミン:もう45歳だから、大人っぽい演技をする時が来たと思った。それが具体的に演技に適用されたわけではないが、「キング~Two Hearts」の時は、王というキャラクターが優先でなく、優しい兄が優先になるキャラクターを演じ、「ゴールデンタイム」の時は、私が病院に行った時、こんな医者がいたらな良いなと思った部分を反映した。患者といる時は彼らの目線で会話する医者、イ・ミヌやカン・ジェインといる時は、孔子が弟子たちと会話する時の姿を見せたいと思った。弟子の質問にいつも満足して、どんな質問でも親切に答えてくれる師匠と弟子の関係を考えていた時「ゴールデンタイム」に出会った。イ・ミヌとカン・ジェインがチェ・イニョクに意地を張って質問しても、チェ・イニョクはそれを叱らずに優しく聞いてくれる。漠然と考えていたことを今回の作品で表現することができた。―皆が現実に存在してほしいと思っているリーダー像がドラマで具現化されたわけだ。イ・ソンミン:演技をする時は「こんなことは現実にはない」ではなく、「どこかにこんな素晴らしい医者がいるかもしれない」と思いながら演技をした。役作りの相談にのってくださるお医者様からもそのように言われた。―チェ・イニョクと正反対のキャラクター、KBS「ブレイン 愛と野望」のコ・ジェハク科長を演じた時も同じだったのか。イ・ソンミン:コ・ジェハクは迷惑な医者だったけど、手術のシーンだけには真面目に臨みたかった。撮影する時もコ・ジェハクは悪党ではあるけど、医者という点を強調した。人の命でふざけてはいけない。コ・ジェハクに実力がないから治せないが、治療しながら患者を死なせる人ではない。せめてその職業は尊重しなければならない。―コ・ジェハク科長とソル・ジュンソク社長が悪役に見えなかった理由も、彼らの職業に対する情熱だけは誰よりも熱かったからだ。イ・ソンミン:ソル・ジュンソク社長は一生をラスペラに捧げた人で、コ・ジェハク科長はとても余裕がない人だ。切実に望んでいることに対してアプローチする方法の違いの差である。チェ・イニョクは正直に勝負をする人で、コ・ジェハクは少し卑劣な人として表現した。そういえば、本当の悪党はあまり演じたことがない。常に哀れな悪党を演じてきた(笑) ―相対的に悪役のキャラクターを演じる時も、自分で納得をした上で演じることができるタイプなのか。イ・ソンミン:少しそうだと思う。どうしてこの人がこうなったのか、この人がどんな状況にあるのかを考える方だ。そのため、キャラクターに2つの面が共存するようになる。―一番悩んで納得することが必要だったキャラクターは、KBS「大王世宗」のチェ・マルリだと思うが。イ・ソンミン:ドラマを本格的に始めた時、演じることになった役だった。そして、最も愛情を持っているキャラクターでもある。チェ・イニョクよりもっと難しい役だった。世宗と対立するためには名分が必要だが、その名分というものが、視聴者が見る時、説得力を持ち、緊張感も維持しなければならないと思った。でも、台本にチェ・マルリは反対をし続けるばかりで、世宗は正しいことだけを言っているので、負けるのが当然な会話の中でどのように緊張感を維持すればいいのかと悩んだ。これは俳優の技量が必要だと感じた。俳優が持つ信頼度によって、チェ・マルリの反対が説得力を持つか持たないかが決まるということ自体が大変に感じられた。今、もう一度演じることができたら、本当にうまく演じる自信がある。―そのような悩みがあったので、すべてのキャラクターが本当に生きている人物のように感じられるのではないだろうか.?イ・ソンミン:慣性通りに行くより、その方が面白いと思った。チェ・イニョクも手術を行う時、救急状況である時、患者を連れてくる時、ウナに接する時、すべて違う姿を見せる。最初、クォン・ソクチャン監督とドラマ序盤に、チェ・イニョクが行った手術で患者が1人死ななければならないと思うという話をした。患者たちがチェ・イニョクに手術されれば生き返ると?それはあり得ないことだ。チェ・イニョクが完璧な医者、ファンタジーのように見えたら絶対いけないと思った。「シットコムでみんな一緒に思いっきり遊んでみたい」―「『キング~Two Hearts』のイ・ジェガンを通じて私が見せることができるのは平凡さ」だと語っていたことがある。俳優にとって平凡さということはどんな意味なのか。イ・ソンミン:平凡ということはただ、街で見かけることができるおじさん?兄?のような姿だと思う。それが私にはあると思う。私は個性が目立つ俳優でもないし、キャラクターが強い俳優でもない。カリカチュア(似顔絵)で描くことが難しい俳優という話も聞いたことがある。最初、映画を始めた時はそれが不満であった。スクリーンに出る印象を観客たちの頭の中に刻まなければならないのに、それができなくて悩んだ。俳優がキャラクターを持つことは大変だと考えたこともあった。そんな中で、私の競争力は何だろうと自分自身に聞いてみた。そして、結論は、ただ何もないということだった。それで、イ・ジェガンを演じる時は、王ではあるが兄や普通の人間のような姿を見せたらどうかと思った。―それでも同じ俳優が演じたとは信じられないほど、各キャラクターのインパクトが強い。台本に出ていること以上に、俳優自信が悩む部分が多かったと思うが。イ・ソンミン:ある瞬間、これを着てもできるし、あれを着てもできるような立場になった。コ・ジェハクのようにパーマをかけたらコ・ジェハクのように見えて、イ・ジェガンのように行動したらイ・ジェガンのように見えることができた。今、考えると、むしろ良かったと思う。毎回、キャラクターを探し、キャラクターに出会い、ある地点で私自身と交差することを経験するが、その地点が過ぎるとキャラクターが固くなり、終わったらまた名残惜しく思う。毎回、感じる難しい過程である。特に、チェ・イニョクは胸の中にたくさん残っている。私と非常に似ていることもあり、他のキャラクターよりももう少し夢中になってチェ・イニョクに出会った。釜山(プサン)にずっといたため、ドラマばかり考えて俳優たちに会ってもドラマの話だけをし続けた。―どんな部分が似ているのか。イ・ソンミン:対人関係があまりよくなく、お酒も飲めない部分が似ている。若い頃はどうにかしてその場にいようとしたが、年を取ってからもお酒を飲まなかったら人々が連絡してくれなくなった。私の人生の中で私が先に友達になろうとしたことは一度もない。そのため、仕事がない時はほとんど家から出ない。―俳優にとって最も重要なことは演技だが、それ以外に人々と付き合わなければならない部分もあると思う。だとしたら、性格とあまり合わない部分もあるのでは?イ・ソンミン:俳優として知名度を得ることによって起こる様々なことにまだ慣れていない。でも、仕方ないことだと思う。俳優であり、芸能人でもあるということを自分で認識しなければならない時だ。人々が関心を持ってくれることについて気重に感じることなく、私が少し不便でも受け入れなければならない部分だと思う。―それでも自分の性格上、これだけは絶対にできないということがあるとしたら?イ・ソンミン:まだ、演技以外で人々の前に立つことが苦手だ。映画の試写会に行ったらフォトタイムがあるが、写真を撮られる時、まだ心臓がドキドキする。―だとしたら、俳優イ・ソンミンが最も恐れるものは?イ・ソンミン:今現在である。ドラマ一つでこれほど注目されるようになったことにまだ戸惑っているし、記者たちを集めてインタビューをする今もまだどんな状況なのかよく分からない。昨日も眠れなかった。演技をしながら適正のレベルを維持してきたのに、ある日、突然、大きな役を演じることになり、私が作っておいたラインから抜け出た感じがする。そのラインをもう一度取り戻さなければならないが、私が思う安定的なラインに戻ることができるかが心配だ。みんな、次の作品はどんな作品をするのかと聞いてくるが、それについてはまだ考えていない。もう脇役はできないのではないかと言われるが、「どうして?脇役をしたらいけないのか?」と思っている。私は別に構わない。いつも同じだから。必要とされたらどこにでも行ける。―ドラマが終わり、演劇「そこ」に合流することになった。イ・ソンミン:私の本来の居場所に帰ったような感じがして、非常に慰められている。パンにバターを塗って食べていたが、もう一度ご飯とキムチを食べるような気分である。演劇は今の私にとって、肉芽ができるようにしてくれるものだ。―「ゴールデンタイム」のおかげで選べる作品の幅が広くなったと思うが、これから演じてみたい作品があるとしたら?イ・ソンミン:シットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)をいつかやってみたいと思う。(私が)正劇をシットコムのように演じるという話も聞いたことがあるので、私と少し似ている部分もあると思うし、即興的な演技をしてみたい。シットコムで、みんなで一緒に思いっきり遊んでみたい。シットコムは大変だと聞いたが、「ゴールデンタイム」もやったのに他にできないことなんてないと思う。ハハ。「ゴールデンタイム」に出演してからは、ほとんどのドラマができそうだという自信がついた。

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  • Vol.2 ― 「ゴールデンタイム」イ・ソンミン“僕の人生のゴールデンタイムとは?”

    Vol.2 ― 「ゴールデンタイム」イ・ソンミン“僕の人生のゴールデンタイムとは?”

    救急室に運ばれてきた外傷の患者が命を取り戻せる時間を意味するゴールデンタイム。MBC月火ドラマ「ゴールデンタイム」の俳優イ・ソンミンは「主人公だったイ・ミヌ(イ・ソンギュン)とカン・ジェイン(ファン・ジョンウム)が医師としていろんなことを経験する時間という意味もある」と説明した。イ・ソンミンと会ったカフェで彼の人生のゴールデンタイムとチェ・イニョクの手術ほど激しかった「ゴールデンタイム」の撮影にまつわるエピソードを語ってもらった。―今回のように多様なメディアとインタビューをするのは初めてではないか?イ・ソンミン:そうだ。写真撮影が大変だったが、楽にはなれないけれどかなり慣れてきた。インタビューは大変だが、今回は大変でもインタビューを受けなければならないと思った。楽しい。―生放送に負けないほどのハードな撮影スケジュールだったと聞いたが?イ・ソンミン:初めは一生懸命撮影に臨んだ。俳優やスタッフ皆が「この人たちどうかしてるのではないか?」と言うほど頑張った。目に狂気があった。でも、台風の北上、猛暑でだんだん疲れていった。台本も遅れて大変だったが、俳優とスタッフが仲良かったし、釜山(プサン)に閉じこもって数ヶ月を一緒に過ごしていたら戦友愛が芽生えた(笑) ―どうやってチェ・イニョクの役作りをしたのか?イ・ソンミン:医療に関する資料をたくさん見た。EBS「極限の仕事」も参考にした。患者のために病院の近くに引っ越した医師を見て重症外傷について考えた。亜洲(アジュ)大学のイ・グクジョン教授のインタビューを見て自然に責任と使命感を持つようになった。―チェ・イニョクが救えなかった患者の家族が2人の子供だったことに胸を痛めたイ・ソンミン:そのシーンで感情をコントロールするために頑張った。コントロールできないと大変なことになると思った。リハーサルのときから子供たちを見て戸惑った。冷静になろうとしても戸惑ってしまった。これが僕に起こることかもしれないから、僕の子供もそうなるかもしれないと思った。―チェ・イニョクというキャラクターはあまりにも理想的で非現実的なのでは?イ・ソンミン:どこかにはチェ・イニョクのような人はいるはずだ。撮影に協力してくださった方もそう言った。チェ・イニョクのような医師はいると。イ・グクジョン教授のこともたくさん話したが、僕も彼を尊敬する。劇中のチェ・イニョクよりさらに大変だったはずだ。このドラマは「医師が一番怖がることは何か?」という根本的な問いを投げかけている。医師が一番怖がるのは恐らく自分の前で患者が死んでいくことを見ることだと思う。チェ・イニョクもその怖さのせいで、どうにかしてでも患者を救おうとしているような気がした。それが僕がこのドラマを通じて得られた答えだった。―社会的に敏感な話題を扱ったドラマだがイ・ソンミン:僕はこういうことを期待していた。このドラマを通じてより多くの人に重症外傷、外傷センターが認知され、その必要性を理解してほしかった。―目標を達成したと思う?イ・ソンミン:多くの人が重症外傷について理解しているようだ。海雲台(ヘウンデ)のペク病院に電話がかかってきて「重症外傷患者をそちらに運んでもいいか?」と聞いた人もいたらしい。このドラマがこういうところに影響を与えたと思う。―相手役のソン・ソンミはどんな人?イ・ソンミン:本当に良かった。初めはソン・ソンミさんが有名な女優さんなので、緊張していた。今回初めて会った。実際会ってみたら、目を合わせることができなかった。それで撮影が始まって、初めてのシーンを撮るときはぎこちなかった。でも、実際彼女は僕が思っていた女神ではなく、普通の女性だった。僕は女神だと思っていたが、とても優しい普通の人だった。―恋愛模様が発展しなかったことを残念に思わない?イ・ソンミン:残念だと思う。ロマンスを演じるために始めたわけではい。でも、演じていたら視聴者の反応もそう悪くなかったし、恋愛が描かれるんだなと思ったがそうではなかった。それでお互い演技に集中した。実は僕はロマンスや恋愛模様を演じたのは初めてだった。これまで男性とはあった。シン・ハギュンさんやイ・ソンギュンさんとはカップルになったこともある(笑) 演技でもこのように恋愛模様があるから、とても面白かった。恋愛模様がなくなって残念に思った。チェ・イニョクというキャラクターにとって休める所はシン・ウナ(ソン・ソンミ)だった。個人的にもそうだし、チェ・イニョクとしても最後にシン・ウナが病院に残ってくれて嬉しかった。そうでなかったら、チェ・イニョクはかわいそう。―父がスターとなったことについて12歳の娘はどう思う?イ・ソンミン:僕の娘は「お父さん、かっこいい。最高!」と言ってくれる子ではない。「ドラマの本番は必ず見る」とは言った。散弾銃に打たれた患者はどうなるのかも聞いてみた。「チェ・イニョクはかっこいいか?」と聞いたら「うん。かっこいい」と言っただけだった。でもチェ・イニョクに対する学校の先生や友達の関心が高まるから、嬉しがるとは思う。それを家で話したりはしない。子供の頃から父の仕事について話してあげた。俳優が父の仕事であり、それは楽しむための趣味ではないことと父の仕事は俳優で、芸能人ではないことを話してあげた。でも、やむを得ず芸能人になってしまった(笑) ―イ・ソンミンのゴールデンタイムはいつ?イ・ソンミン:ドラマでゴールデンタイムは救急室に運ばれてきた外傷の患者が命を取り戻せる時間であり、イ・ミヌとカン・ジェインが色んなことを経験する時間という意味もある。僕にとってもその経験する時間がゴールデンタイムではないかと思う。演劇をしていた20代にその時間を乗り越えずに止めてしまっていたら、今の僕は存在しない。もちろん涙をこぼすときもあったが、大変だとは思わなかった。目を輝かせながら何でも学ぼうとしたあの頃が僕のゴールデンタイムだと思う。どうやってその時間を乗り越えたかが不思議に思えるし、もしその時間がなかったら、今の僕も存在しなかったと思う。

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  • Vol.1 ― 「ゴールデンタイム」イ・ソンミン“ファンができて初めはこれって何だろうと思った”

    Vol.1 ― 「ゴールデンタイム」イ・ソンミン“ファンができて初めはこれって何だろうと思った”

    韓国で9月25日に最終回を迎えたMBC月火ドラマ「ゴールデンタイム」の俳優イ・ソンミンとソウル鍾路(チョンノ)にあるカフェで出会った。無精ひげに目尻が下がっているイ・ソンミンは依然としてチェ・イニョクのようだった。彼は低い声であいさつをして「タバコを吸ってもいいですか?」と聞いた。「ゴールデンタイム」で息を引き取った患者を抱いて走ってきたイ・ミヌ(イ・ソンギュン)に向かって「まさか死亡宣告ができなくて僕を呼び出しましたのか?」と怒鳴るチェ・イニョクの顔は忘れられない。その瞬間、イ・ソンミンという俳優の価値を再発見させてくれた「ゴールデンタイム」と視聴者の本当の出会いが始まったからである。「『ゴールデンタイム』は俳優としての人生のどんでん返しだ。ソンギュンさんとクォン・ソクチャン監督のおかげだ。監督が俳優イ・ソンミンはどんな俳優なのかと聞いたときに、ソンギュンさんが積極的に僕を薦めてくれた。ソンギュンさんも『特にこの作品はソンミンさんに演じてほしい』と言ってくれた。本当に感謝している」これまで俳優イ・ソンミンが演じてきたキャラクターはチェ・イニョクとは違う。役の重要度も高くなった。以前は主人公を輝かせたり、作品に面白さを与えたりするキャラクターだったが、「ゴールデンタイム」のチェ・イニョクは登場するだけで存在感を放った。変身を試みることができたのは、舞台上の俳優イ・ソンミンではなく、舞台裏のイ・ソンミンをよく知っているイ・ソンギュンのおかげだった。「ソンギュンさんとは家族ぐるみで仲が良い。僕の日常の姿と劇中でのキャラクターは違うが、こういう僕の姿をソンギュンさんが見てきたので、監督に薦めてくれたようだ。僕個人的にもチェ・イニョクのようなキャラクターは演じてみたいと思っていた。運良く監督とソンギュンさんのおかげで演じることができたので、二人に感謝している」彼にチェ・イニョクと自身の似ているところについて聞いてみた。彼は「仕事ばかりしているところが同じだ」と答えた。彼の右手の人差し指と中指の間には一本のタバコが挟まれており、煙の向こうにはチェ・イニョクのような顔をしているイ・ソンミンが語り続けていた。「僕はチェ・イニョクのように早く決断したり、勇気ある人物ではない。仕事ばかりしているのは同じだ。特にこれといった趣味もないし、お酒も飲めない。飲めないから飲み会にも誘われないし、年を取れば取るほど寂しくなる。飲み会に誘ってくれないので、代わりにお茶を飲んだり、コーヒーを飲む」ドラマ「ゴールデンタイム」はシーズン2の制作を求める声が多かった。まだ描かれていないエピソードもある。ソウルに向かったイ・ミヌがどんな試練を味わって挫折を経験するのか、婚約者と別れて病院に残ったシン・ウナ(ソン・ソンミ)とチェ・イニョクの関係はどうなるのか、第23話でその幕を下ろした後も続きが気になるドラマだった。それでイ・ソンミンにシーズン2について聞いてみた。彼は「多くの俳優たちがこのメンバーがそのまま出演したら、シーズン2にもできると言っていた」と言いつつ「僕はそんなことを思ったことがない」と答えた。彼は疲れているように見えた。イ・ソンミンは熾烈な人生を生きたチェ・イニョクと別れたばかりだから、当然のことかも知れない。全23話に渡る大手術を終えて手術室から出たイ・ソンミンにとってシーズン2はしばらく先延ばしにしたいところだった。「このドラマを無事に終えることに精一杯だった。肉体的にも、精神的にもしんどかった。初めて重要度の高い役を務めて責任を感じていた。もちろんプレッシャーも感じていた。何としてでも倒れずに終えなければならないと思った。家族にもなるべく『ゴールデンタイム』の話はしないようにさせた。本当に大変だったが、大きな変化があった」その変化とはどんなことかと聞いてみたが、彼はその変化に戸惑ったと明かした。イ・ソンミンに、これまで自身とは関係のない、他の俳優たちの話だと思っていたことが起こった。「急にファンができて、プレゼントをくれるファンもいるし、僕を見るために撮影現場を訪ねるファンもいた。これって何だろうと思った。こういうことは想像もしなかった。僕にも、他の俳優たちの話だと思っていたことが起こるとは思わなかった。こういう変化に戸惑った」しかし、ようやく気付くようになった。多くの人がイ・ソンミンという俳優の演技に対する情熱に気付き、遅ればせながらも彼の演技に熱狂しているような気がした。イ・ソンミンはデビュー後、刑事、シェフ、ポップコラムニスト、検事、医師、大統領、国王など、様々なキャラクターを演じてきた。様々なキャラクターを演じて不自然に感じられなかったのはイ・ソンミンの努力があったからだと思った。またはイ・ソンミンの天才的な才能なのだとも思った。しかし俳優イ・ソンミンは「出発は普通の人だ。彼らも普通の人だったと思う」と語った。「こういう想像をする。大統領が公の場にいるときと、家で妻と一緒にいるときはどう違うかという想像だ。普通の人だと思う。ドラマ『キング~Two Hearts』でイ・ジェガンは執務室で国王としての役割を果たすだけで、弟の前では普通の兄弟ではないかと思った。僕は時代劇で王を演じてもこのように演じる。これが俳優としての僕の考えだ。チェ・イニョクを演じるときもそうだった。白衣を着て縁なしメガネをかけている上品な姿だけが医師ではない。手術室に入って怒鳴ることもあると思った。実際病院でもそうではないか?隣の優しいおじさんのようだが、実は専門医だ。また僕がずば抜けたルックスの持ち主では無いから、逆に親しさを感じてリアルさが伝わったと思う」さらに彼は普通の人であるイ・ソンミンの話を聞かせてくれた。彼は「僕も俳優としてこういうインタビューを受けるときは美容室にも行く。ぎこちないけれど我慢する。でも、仕事が終わったら元の髪型と服に着替えて家に帰る。多くの人が芸能人はドレスアップした姿で出かけると思っている。でも僕はその反対を考える方だ。華やかな俳優役を演じても、彼が普段はどんな姿をしているんだろうと考える。『その俳優がスンデ(豚の腸詰)を食べるときはどうだろう?』と考える。『あの俳優がスンデを食べるの?』と思うのは僕たちの勘違いだ。あ、ソン・ソンミさんはサンナクチ(タコの踊り食い)が食べられなかったな(笑)」と語った。

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