ヤン・ウソク
記事一覧
【PHOTO】ユ・ジテ、イム・スジョン、シム・ウンギョンら「第14回ミジャンセン短編映画祭」開幕式に出席
第14回ミジャンセン短編映画祭「ジャンルの想像力展」の開幕式が25日ソウルアートナインで行われ、俳優ユ・ジテ、イム・スジョン、シム・ウンギョン、ピョン・ヨハン、イム・ソンオン、キム・コッピ、イ・ビョンホン監督、カン・ヒョンチョル監督、ヤン・ウソク監督、チャン・ジュンファン監督、キム・ヨンファ監督らが出席した。短いランニングタイムに凝縮された強烈なエネルギーと個性、センスの溢れる想像力をベースにジャンルの限界を痛烈に乗り越える韓国の短編映画の祝祭である第14回ミジャンセン短編映画祭「ジャンルの想像力展」は、25日から7月1日まで7日間アートナインとMEGA BOX梨水(イス)店で行われる。
イ・ヨンジュ監督からイ・ビョンホン監督まで…「第14回ミジャンセン短編映画祭」10人の審査委員を発表!
今月25日に開幕する「第14回ミジャンセン短編映画祭-ジャンルの想像力展」の競争部門の審査委員リストが公開された。16日、「第14回ミジャンセン短編映画祭」側によると、今年の映画祭は「建築学概論」のイ・ヨンジュ監督が審査委員長を務め、代表執行委員にはミン・ギュドン監督をはじめ、カン・ヒョンチョル監督、プ・ジヨン監督、パク・ジョンボム監督、カン・ジナ監督、オム・テファ監督、ヤン・ウソク監督、イ・スジン監督、イ・ビョンホン監督といった計10人の監督が審査委員として活躍するという。10人の監督は各ジャンルの審査を通じてコンペティション部門に進出した57本の上映作品のうち、「第14回ミジャンセン短編映画祭-ジャンルの想像力展」を輝かせる最高の韓国短編映画を選ぶことになる。2012年から「ミジャンセン短編映画祭」の執行委員として活動しているイ・ヨンジュ監督は、2012年に代表執行委員、2011年から2013年までの3年間は競争部門の審査委員として活躍してきたが、今年は「第14回ミジャンセン短編映画祭」の審査委員長という重大な役割を担うことになった。また今年の審査委員は多様な趣向や視線が反映されるように構成された。商業映画と独立映画を区分せず、新人監督と中堅監督がバランスよく配置された。特に、新しい監督が4人も合流し、ジャンルごとに斬新な審査委員の構成が行われた点が目立つ。今年初めて審査委員に選ばれたプ・ジヨン監督、ヤン・ウソク監督、イ・スジン監督、イ・ビョンホン監督には、最近公開されたデビュー作や2作目の長編映画を通じて早くも実力を認められ、今後最も注目すべき底力のある監督に挙げられるという共通点がある。それぞれ異なる性向やジャンルで映画の経歴を積み重ねてきた4人の監督が「第14回ミジャンセン短編映画祭」に一緒に参加することで、彼らの多彩な視線が審査にも活気を吹き込んでくれることと期待を集めている。計57本のコンペティション部門の上映作品のうち、18作品が進出した最も競争率の激しいジャンルは「悲情城市(社会的な観点を扱った映画)」だ。この部門の審査は今年の審査委員長であるイ・ヨンジュ監督とプ・ジヨン監督が担当する。「ミジャンセン短編映画祭」で様々なジャンルの審査委員を務めてきたイ・ヨンジュ監督だが、今年は初めて「悲情城市」ジャンルの審査を選んだ。2014年に公開された2作目の長編映画「明日へ」でサービス業従事者たちの厳しい労働環境を鋭く捉え、弱者の小さいけれど大きな声を優れた完成度で描いたプ・ジヨン監督も自分が審査するジャンルに「悲情城市」を選んだ。「愛に関する短いフィルム(恋愛ドラマ)」部門の審査では、今年の代表執行委員であるミン・ギュドン監督と新たに合流したヤン・ウソク監督が息を合わせる。今年でこのジャンルの審査が5回目になるミン・ギュドン監督は、恋愛映画専門監督としての強みを明確に示した。そんな彼とは反対に、常識が通じない時代に対抗して闘争する庶民的な英雄の物語で100万人の観客に感動を与えた映画「弁護人」のヤン・ウソク監督は、人々の予想に反して「愛に関する短いフィルム」の審査委員に選ばれた。恋愛ドラマの大御所ミン・ギュドン監督と意外なジャンルに挑戦するヤン・ウソク監督の新鮮な視線がどんな相乗効果を生み出すのか関心が集まっている。「愛に関する短いフィルム」部門の本選には恋愛の様々な姿を落ち着いた長い呼吸で見せる11本の短編映画が挙がっている。意味深い笑いを交わす9本の短編映画が上映される「喜劇之王(コメディー)」部門では、独立映画界のスター監督と呼ばれる「ミジャンセン短編映画祭」出身の2人の監督、パク・ジョンボム監督とイ・スジン監督が出会った。パク・ジョンボム監督は「ミジャンセン短編映画祭」の受賞作「125 チョン・スンリョル」、2011年の世界有数の国際映画祭で17個の賞を受賞した「ムサン日記~白い犬」、最近の公開作「生きる」に至るまで評壇から支持を得ている。2014年に長編デビュー作「ハン・ゴンジュ 17歳の涙」で韓国国内外の映画祭を席巻したイ・スジン監督は、過去に3本の短編映画が「ミジャンセン短編映画祭」の本選に挙がったことがある。そのうち「敵のリンゴ」で2008年の「第7回ミジャンセン短編映画祭」の「悲情城市」部門で最優秀作品賞、演技賞の2冠を受賞し、その実力を早くから認められていた。イ・スジン監督にとっては自分が受賞した「ミジャンセン短編映画祭」に審査委員として7年ぶりに戻るという点でも特別な意味がある。一方、「絶対悪夢(ホラー、ファンタジー)」部門では「ミジャンセン短編映画祭」出身の2人の若い監督、カン・ジナ監督とオム・テファ監督が情熱的な審査を繰り広げる。1981年生まれの同い年である2人は「ミジャンセン短編映画祭」で受賞した後、2013年に2人とも長編デビュー作を披露して注目を浴びた。まず、カン・ジナ監督は2009年に「第8回ミジャンセン短編映画祭」で最優秀作品賞を受賞した「Be With Me」を長編「幻想の中の君」に拡張させ、繊細なタッチで恋愛ドラマの新世界を見せてくれた。そして、オム・テファ監督は2012年に「第11回ミジャンセン短編映画祭」で大賞を受賞した「森」、長編デビュー作「イントゥギ」など話題を集める強烈な作品を披露してきた。エネルギッシュな2人の監督が、想像力あふれる恐怖を見せてくれる9本の映画を審査すること自体が興味深い。最後に「4万回の殴打(アクション、スリラー)」は審査委員である監督のジャンル選択で最も期待されている部門だ。「過速スキャンダル」「サニー 永遠の仲間たち」「タチャ-神の手-」で緊迫感あふれるジャンル的な面白さや完成度を見せてくれたカン・ヒョンチョル監督と、20歳の若者たちのドタバタ成長映画である「二十歳」で若い観客の支持を集めたイ・ビョンホン監督が審査委員を務める。これに先立ち、監督と脚色者として素晴らしい相性を見せた2人の監督が今回は審査委員として再会し、最高の化学反応を披露する見込みだ。「4万回の殴打」部門には肉体の緊張がそのまま伝わるスリラーと汗臭いアクションなど10本の短編映画が本審査を待っている。「第14回ミジャンセン短編映画祭-ジャンルの想像力展」は、今月25日(木)から来月1日(水)までアートナイン、MEGABOX梨水(イス)店で開催される。
【PHOTO】ソン・ガンホ&シム・ウンギョン&ユ・ジテなど「春史大賞映画祭」授賞式に出席“颯爽と登場”
18日午後、ソウル中(チュン)区プレスセンター国際会議場で行われた「2014 春史大賞映画祭」授賞式に俳優ソン・ガンホ、シム・ウンギョン、ユ・ジテなどが出席した。「2014 春史大賞映画祭」は、ナ・ウンギュ監督が築いた韓国映画の伝統と土壌の上に世界中で韓国映画を輝かせている現役監督たちの名誉をかけて、公正かつ厳正に審査する。最優秀監督賞のグランプリをはじめ、脚本賞、技術賞、男優演技賞、女優演技賞、審査委員特別賞の新人監督賞など、6つの授賞部門がある。
観客動員数1000万人突破「弁護人」ヤン・ウソク監督“喜びよりは安堵の感情”
※この記事にはドラマのストーリーに関する内容が含まれています。映画「弁護人」が正式に封切りした32日後である1月19日、1000万人の観客を動員して韓国映画の中で9番目に1000万人を動員した映画となった。「弁護人」は、封切り前から誤解と偏見が多かった作品だった。「アバター」や「7番房の奇跡」「TSUNAMI -ツナミ-」「10人の泥棒たち」などのような娯楽映画とはやや違うメッセージが込められていて、誤解や偏見を巻き起こした。このような状況での「弁護人」のヒットは、予期せぬ出来事だった。もっと正確に言えば、ある程度のヒットは予想したが、それ以上である1000万人を動員することについては、やや悲観的な反応が多かった。このような視線の中で、映画のヒットを息を殺して見守った人々がいる。「弁護人」に出演した俳優たちはもちろん、今回の作品を通じて初めて映画を演出したヤン・ウソク監督もそんな人々の中の一人だった。「弁護人」がまだ1000万人を動員していなかったが、有力視されていたある日、ソウル三清洞(サムチョンドン)のカフェでヤン・ウソク監督に会って「弁護人」について話を交わした。ヤン監督の表情は落ち着いていた。自分が作った映画が1000万人動員を目前にしている監督とは思えないほど落ち着いていた。「弁護人」がヒットしているが、それに対してどんな気分なのかについて尋ねた時も、やはり表情の変化はなかった。「よかったという気がする。ここまでうまくいくとは思わなかった。誤解や偏見が多い作品なので、とても緊張しながら作った。幸いなことに多くの方々が理解し、共感してくれて、安心感がある。喜びよりは安堵が感じられるようだ。どうしてこんなに平気かだって?1000万人という数字が視覚的に確認しにくいから、信じられなくてそうみたいだ」「弁護人」の1000万人動員は、娯楽性によって成し遂げられたものではない。まさに理解が作り上げた作品だ。ヤン監督が映画を通じて言いたかったことも理解だった。一人の人物を通じて、時代に対する理解、また時代を通じた理解を作った人物を理解するのに役立たせようとしたのだ。「この映画で言いたいことは理解だった。モチーフになった故ノ・ムヒョン(盧武鉉)元大統領だけを見ても、無邪気な面が多い。デモをした学生たちを見ながら『勉強したくないから』と言い、金を稼いだ後、虚勢も張った。また、ある不条理を見たとき、すぐに駆けつける馬鹿正直な面もあった。ひとつの部分でも理解して、時代に対する理解、実存人物に対する理解を助けたかった」「弁護人」を見ると、実存人物に対する話ばかりをしたかったのではない。その時代、熾烈に生きていた時代を通じて、若者たちに伝えたいメッセージがあることが明らかだった。治癒することはできないが、ある程度の方向性を助言できるのではないかという考えだった。「その時代を最も熾烈に生きた人たち、実存した存在を通じて伝えたかった。釜山(プサン)でうまくやっていた弁護士だった人が、人権弁護士として活躍し、民主主義について悩んだ。そのような有様を扱うが、こうしたことが組み合わされば、民主と高度成長などの絵が見えてくる。そんな話を通じて、今はあまり良くない条件を切り抜けていくことができるのではないだろうかと思った。若い世代に対する申し訳なさと、気の毒さだった」「弁護人」で最も多くの話題に上った部分は、他でもないラストシーンだ。正確に言えば、釜山の多くの弁護士たちが登場するその場面が、必ずしも必要だったのかということだ。ヤン監督は、「必ず必要だった」と述べた。「最後の場面は必ず必要だった。8年経った後にもその信念を省察しながら、他人から共感を得るのだ。その話で映画が終わらなければならないと思った。その時の怒りが省察を通じて何年間か続いた。その時代に最も憤った法が守られなかったということだ。それほど法曹家ソン・ウソクの信念に同調したということが重要なのだ」実は、この映画は世に出ない可能性もあった。映画の背景となったその時期。高卒の学歴で弁護士になる可能性がほとんどなかった。その当時、日刊紙にノ・ムヒョン大統領の話がなければ、売れないほどだったという。「私が持っていた考えは、ノ・ムヒョン元大統領の話をしたとき、1980年代を正確に見せることができるということだった。それでその当時の話をスクラップした。その当時にも関心が多かった。そのように大切にして、話をするようになった。そんなある日、大統領になった。『映画は作れないだろうな』と思っていた。そんな風にして次第に(思いが)消えていった。またそんなある日、今だと思った。今話をする時だと思って映画にするようになった。そんな風にして『弁護人』が世の中に出た」インタビューを行う間、ヤン監督からモチーフになったノ・ムヒョン元大統領に対する愛情が感じられた。慎重に「多くの愛情が感じられる」と述べ、ヤン監督は「自信を持って言える。私の個人的な感情がこの映画には入らなかった」との考えを伝えた。最後にヤン監督は、様々なことを伝えたいという本音を表した。ヤン監督は、「まだ次期作を考えて見たことがないが、他の部分にも関心が多い。いろんな話をしてみたかった。望みが一つがあるとすれば、次の作品は今回より緊張せずに撮りたい」と述べた。
【PHOTO】ソン・ガンホからZE:A シワンまで…映画「弁護人」舞台挨拶に登壇
ヤン・ウソク監督、ZE:A シワン、ソン・ガンホ、クァク・ドウォンが22日午後、ソウル中(チュン)区忠武路(チュンムロ)4街の大韓劇場で開かれた映画「弁護人」(ヤンオソク監督)の舞台挨拶に登壇した。「弁護人」は1980年代初期の釜山(プサン)を舞台に、お金もなく、家柄も悪く、学歴も低い税務弁護士ソン・ウソク(ソン・ガンホ)の人生を丸ごと変えた5回の公判と、それを取り巻く人々の物語を描いた作品だ。