フィソンさん突然の訃報うけ…K-POPアイドル、韓国音楽界から哀悼続く

ラッパーのCHANGMOは10日、自身のInstagramを通じて「素晴らしい音楽で、僕の人生に大きな影響を与えてくださってありがとう。故人のご冥福をお祈りする」とコメントを残した。
また、ラッパーのPaloaltoは「デビュー前からR&B好きの間で期待の星であり、最初のアルバムが出た後の最初のコンサートも見に行ったぐらい、20代の頃の思い出がたくさん詰まった歌手なのに、衝撃的であり、残念だ」と悲しみを露わにした。「僕の若い頃の良い思い出に音楽で寄り添ってくださり感謝している」と付け加えた。
ユン・ミンスは「フィソン、そこでは気楽に歌って音楽をしよう。君の澄んだ純粋さを忘れないよ。後でまた会って一緒に歌おう」と書き込み、かつてフィソンと一緒にToyの「僕が君のそばにしばらく生きていたことを」を歌唱した映像を掲載。
2AMのチョグォンは、フィソンさんのヒット曲の一つである「伝えられない話」を共有、同じく2AMのチャンミンは「本当に近づきたいアーティスト。記憶に残す。安らかに眠ってください」とし、追悼の意を伝えた。

そして、Verbal Jintは11日、真っ黒な画像と共に「一緒に過ごした瞬間が全てが光栄だった。ありがとう」と綴り、キム・チャンヨルは故人の写真と共に、「残念で申し訳ない。そこでは傷つかないで……」と哀悼。
さらに、EXIDのヘリンは、Instagramのストーリーを通じて黒い背景に「RIP」という短い文を掲載した。
MAMAMOOのソラは白黒の写真と共に「MAMAMOOのデビュー前、何も知らなかった私たちと一緒に素敵な歌を作ってくれて、歌ってくださり、感謝している」とし、「残してくださった素敵な音楽を忘れない。謹んで故人のご冥福をお祈りする」と故人への恋しさを伝えた。フィソンさんは、MAMAMOOが正式デビューする前の2014年、プロジェクト音源「Peppermint Chocolate」のフィーチャリングと作詞を担当し、グループと縁を結んだ。
警察などによると、フィソンさんは10日、ソウルの自宅で心肺停止の状態で発見され、その後死亡が確認された。フィソンさんの所属事務所TAJOエンターテインメントは「大きなショックと悲しみにくれる遺族の方々のために、事実確認ができていないデマや推測の報道はお控えいただくよう、丁重にお願い申し上げる」と伝えた。
1982年生まれのフィソンさんは、2002年に1stアルバム「Like A Movie」で歌謡界にデビュー。その後、「不治の病」「Insomnia(不眠症)」「結婚まで考えた」などのヒット曲で多くの愛を受けた。
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- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- ハ・ジウォン
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