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ハン・ゴンジュ

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  • 「ハン・ゴンジュ」イ・スジン監督、今年の作品賞受賞に“すべてのスタッフが受ける賞…本当に嬉しい”

    「ハン・ゴンジュ」イ・スジン監督、今年の作品賞受賞に“すべてのスタッフが受ける賞…本当に嬉しい”

    映画「ハン・ゴンジュ」(監督:イ・スジン)が映画記者が選んだ今年の作品賞を受賞した。29日午後7時、ソウル中(チュン)区太平路(テピョンノ)一街プレスセンター20階の国際会議場で韓国映画記者協会主催の「第6回今年の映画賞」授賞式が開かれた。「ハン・ゴンジュ」を演出したイ・スジン監督は受賞直後「リ共同体映画社は『ハン・ゴンジュ』を作るために作った会社だ。名前から左翼の感じがするという意見があって名前を変えようとしたが、できなさそうだ」とウィット溢れるコメントで話を始めた。イ監督は「この賞は『ハン・ゴンジュ』に参加したすべてのスタッフが受ける賞なので本当に嬉しい。彼らに報いることが少しはできそうだ」と受賞の感想を明かした。「ハン・ゴンジュ」は、予期せぬ事件で友達を失い、追われるように転校することになったハン・ゴンジュが残った人たちと一緒に辛さを乗り越えようとするストーリーを描いた成長映画だ。チョン・ウヒ、チョン・インソン、キム・ソヨン、イ・ヨンランなどが出演し、映画「幸福」の演出部出身であるイ・スジン監督の長編映画デビュー作である。「今年の映画賞」は総合誌とスポーツ誌、経済誌、放送社、ニューメディアなど全国48のマスコミの67人の映画担当記者が所属する韓国映画記者協会が毎年映画発展に寄与した映画人と俳優、作品を選ぶ授賞式だ。

    TVレポート
  • チョン・ウヒ主演「ハン・ゴンジュ」映画担当記者が選ぶ「今年の映画賞」で作品賞など3冠達成

    チョン・ウヒ主演「ハン・ゴンジュ」映画担当記者が選ぶ「今年の映画賞」で作品賞など3冠達成

    映画「ハン・ゴンジュ」が映画担当記者が選んだ「2014今年の映画」になる喜びを味わった。「ハン・ゴンジュ」(監督:イ・スジン)は29日午後7時、ソウルにある韓国プレスセンター20階の国際会議場で開かれる「第6回今年の映画賞」の授賞式で、作品賞を受賞する予定だ。韓国映画記者協会が主催・主管する「今年の映画賞」は韓国映画と外国映画など、2014年に韓国内外で公開された作品(134本)を対象に、協会に所属する記者の投票を通じて受賞者(作)を選定した。作品賞を受賞した「ハン・ゴンジュ」は、悲劇的な事件に巻き込まれたある女子高生の危険な状況を描いた映画で、絶望と希望が交差する中、痛い現実を振り返らせたことで映画担当記者たちから高い支持を得た。それだけでなく「ハン・ゴンジュ」は主演女優賞(チョン・ウヒ)と今年の発見賞(チョン・ウヒ)など、3冠を達成する快挙を成し遂げた。主演男優賞は「バトル・オーシャン/海上決戦」で李舜臣将軍役に扮し、熱演したチェ・ミンシクが受賞し、監督賞は映画「最後まで行く」のキム・ソンフン監督が受賞した。以下、受賞者(作)作品賞:「ハン・ゴンジュ」監督賞:キム・ソンフン監督(「最後まで行く」)主演男優賞:チェ・ミンシク(「バトル・オーシャン/海上決戦」)主演女優賞:チョン・ウヒ(「ハン・ゴンジュ」)助演男優賞:ユ・ヘジン(「パイレーツ」)助演女優賞:チョ・ヨジョン(「情愛中毒」)新人男優賞:JYJ ユチョン(「海にかかる霧」)新人女優賞:イ・ユヨン(「アトリエの春、昼下がりの裸婦」)自主映画賞:「あなた、その川を渡らないで」外国語映画賞:「インターステラー」■今年の映画賞-特別賞(4部門)発見賞:チョン・ウヒ映画関係者賞:シム・ジェミョン(ミョンフィルム代表)映画記者賞:アン・ジニョン(文化日報記者)広報賞:イ・ジェヒョン(Hohohobeach室長)

    OSEN
  • ソン・ガンホ&シム・ウンギョン「ディレクターズ・カット・アワード」で男女主演賞受賞!

    ソン・ガンホ&シム・ウンギョン「ディレクターズ・カット・アワード」で男女主演賞受賞!

    俳優ソン・ガンホとシム・ウンギョンが監督たちが直接選ぶ「ディレクターズ・カット・アワード(Directors' Cut Awards)」で男女主演賞を受賞する。ソン・ガンホとシム・ウンギョンは15日午後8時、忠清北道(チュンチョンブクド)堤川(チェチョン)にあるレイクホテルで開催される「ディレクターズ・カット・アワード」で男女主演賞を、ポン・ジュノ監督は監督賞を受賞する。映画監督たちが直接受賞者を決定して授賞する「ディレクターズ・カット・アワード」は、2010年の授賞式の後、しばらく中断されたが、今年の「堤川国際音楽映画祭(Jecheon International Music&Film Festival)」の期間中に韓国映画監督組合の後援を受けて開催される。今年の「ディレクターズ・カット・アワード」の受賞者は、昨年7月から今年6月までに上演された映画を対象に、監督たちがインターネット投票に参加して決定された。今年の監督賞は「スノーピアサー」のポン・ジュノ監督、新人監督賞は「弁護人」のヤン・ウソク監督、男性演技賞は「弁護人」のソン・ガンホ、女性演技賞は「怪しい彼女」のシム・ウンギョン、新人男性俳優賞は「ファイ 悪魔に育てられた少年」のヨ・ジング、新人女性演技賞は「ハン・ゴンジュ」のチョン・ウヒが受賞する。また、今年の制作者賞は「弁護人」を制作したウィダスフイルムのチェ・ジェウォン代表が、独立映画監督賞は「ハン・ゴンジュ」のイ・スジン監督が受賞する。

    OSEN
  • コン・ユからシム・ウンギョンまで…今年上半期、映画界をリードした“年齢別”男女スターは?

    コン・ユからシム・ウンギョンまで…今年上半期、映画界をリードした“年齢別”男女スターは?

    2014年初旬に順風満帆だった映画業界が静かだ。ディズニー映画「アナと雪の女王」のブームと、セウォル号沈没事故により映画館を訪れる観客が激減したためだ。しかし、韓国の映画業界が再び動き出している。◆MENこれ以上言うまでもない。風が吹き荒れる映画館で、今年上半期に視線を引いた人物は断然ソン・ガンホとコン・ユ、イ・ジョンソクだ。運よく選ばれた?いつ出ても視線が行くしかない俳優たちだが、味見からしてすごかった。彼らの観客動員はまだ終わっていない。40代ソン・ガンホ「スノーピアサー」「観相師」で少しずつヒットを重ねたソン・ガンホは、「弁護人」を通じてソン・ガンホの名前を連呼させた。何故ソン・ガンホなのか、そして何故ソン・ガンホでなければならないのか、その存在感と位置づけを確実に認識させた作品である。数多くの代表作の中でも「弁護人」は、ソン・ガンホの役者としての人生に長く残る映画になった。最近イ・ジュンイク監督と意気投合し、映画「王の運命―歴史を変えた八日間―」への出演を確定したソン・ガンホが、英祖(ヨンジョ)としてどのようなカリスマ性を見せてくれるのか、結果が楽しみだ。30代コン・ユ「弁護人」に隠れてしまい、あまり注目を浴びなかったが、コン・ユのスペクタクルなアクションが輝いた「サスペクト 哀しき容疑者」は、間違いなくドラマ「コーヒープリンス1号店」以来のコン・ユの代表作として挙げることができる。北朝鮮のスパイ役を演じ、台詞よりも目の色で演じることが多かったコン・ユはラブコメキングというあだ名が似合わないほど、男前なオーラで数多くの女性のハートを魅了し、30代俳優たちの空席を完璧に埋めた。20代イ・ジョンソク挑戦はいつも美しい。おしゃれに夢中な20代の俳優ならなおさらだ。「僕らの青春白書」を通じて癖のある忠清道(チュンチョンド)訛りとホダン(しっかりしているように見えて抜けている人)の色男の魅力を披露したイ・ジョンソクは、カッコイイビジュアルをわざとダサくしながら、挑戦を躊躇わなかった。インタビューで「自身の経歴に必ず必要な作品だった」と述べた彼は、映画の成績を気にしながらも、人気ばかりを追わない望ましい姿勢で、彼の今後に対する期待感を高めた。◆WOMEN忠武路でお姉さん探しは至難の技だ。女優のためのシナリオがない上に、良いキャラクターがあったとしてもほとんど男性俳優のサイド役だ。そんな中、宝石のようなシナリオを選んだ人がいるが、それはキム・ヒエ、チョン・ウヒ、シム・ウンギョンだ。30代女優の全滅と、人気のある20代の女優の不在が深刻な状況の中で、彼女たちの存在感は砂漠のオアシスのように観客の乾きを和らげた。40代キム・ヒエ「私が一番演技が下手だったと思う」公の場で大泣きしたキム・ヒエの涙は、決して偽りではなかった。キム・ヒャンギ、キム・ユジョン、コ・アソンなど、次世代の忠武路を率いる子役俳優たちと一緒にしたキム・ヒエは良い作品を選ぶ審美眼で「優しい嘘」を選択し、21年ぶりの映画復帰を成功裏に終えた。次の作品「セシボン」では、キム・ユンソクと恋愛模様を繰り広げる予定だ。優雅な女優キム・ヒエの全盛期が再び始まった。20代チョン・ウヒ2014年の最高の作品と言っても過言ではない、多様性に対する映画「ハン・ゴンジュ」は、映画の力と観客の口コミだけで18万人の観客を突破し、海外有数の映画祭に招待されてその名声を高めた。そして、その中で凄まじいスピードで成長した女優チョン・ウヒは、韓国の映画業界を驚かせるのに十分だった。第2のチョン・ドヨンが見えるという評価も惜しくない。静かに、しかし強く自身の道を歩んでいるチョン・ウヒの10年後が今から気になる。20代シム・ウンギョン突然現れ、再び映画業界を制覇した。まさかが歴史になる瞬間である。シム・ウンギョンは演技の神様に憑かれたようなワンマンショーで、観客動員数800万人突破という大記録を立てたほか、「サニー 永遠の仲間たち」に続き、「怪しい彼女」まで成功させ、名実ともに韓国映画界の興行保証女優となった。子役の時から着実に上り、成長の果てが分からない恐ろしい女優だ。限界を知らないシム・ウンギョンへのオファーは、しばらく続くものと思われる。

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  • “要注目の有望株”ハン・ゴンジュと書いてチョン・ウヒと読みます

    “要注目の有望株”ハン・ゴンジュと書いてチョン・ウヒと読みます

    ※この記事には映画のストーリーに関する内容が含まれています。デビュー11年目の女優に有望株と呼ぶのは失礼かもしれない。しかし、作品ごとに新たな姿を披露することが俳優であるという点で、有望株という単語は経歴と年とは関係がない。そのような意味で躊躇なく選んでみた。今回の要注目の有望株は「ハン・ゴンジュ」のチョン・ウヒだ。ゴンジュ(姫と言う意味)。冗談のような名前だ。幸せに暮らすことを望んで両親が付けたようだ名前だが、現実は正反対だ。チョン・ウヒが演じるハン・ゴンジュの人生は生き残らなければならないジャングルのようだ。アルコール中毒の父、他の男性の妻になった母挙句の果てに同年代の男性たちに集団で性的暴力を受ける。しかし、社会はハン・ゴンジュを保護しようとせず、大人たちは責任転嫁する。何もかもが踏みにじられてしまったハン・ゴンジュは泣いたり、怒りを叫ぶ代わりに、彷徨い、静かに息を殺して自分の中に閉じこもる。そして静かに抗弁する。「私は何も悪くない」「私は、何も悪くない」切ないハン・コンジュの眼差しには現実に対する怒りと警戒が盛り込まれている。フラッシュバックしながら、パズルを合わせるような映画でハン・ゴンジュはまったく本心を現さない。感情を読み取ることができない固い表情、無味乾燥な話し方、いるようでいない影のように徘徊し、自分の正体を隠す。ハン・コンジュの過去が明かされるシーンで大きく衝撃を受けたなら、それはチョン・ウヒの節制された演技があったからだ。彼女は感情をコントロールできる俳優で、黙々と待ち続けることができる賢い俳優だ。「ハン・コンジュ」はチョン・ウヒのために作られた映画ではない。だが、少なくともチョン・ウヒに関する映画だとは言える。チョン・ウヒがハン・ゴンジュで、ハン・ゴンジュがチョン・ウヒのようだ。一日一日を黙々と耐えているハン・ゴンジュの話し方、表情、すすり泣き、残像すべてがチョン・ウヒのものだ。注目ポイント:俳優に最も必要なものは何か?演技です!チョン・ウヒの言葉を借りれば、彼女は目立たない顔をしている。しかし、目立たない顔が彼女の長所であることを否定できない。外見、雰囲気、話し方などチョン・ウヒはテレビで見かける女優とは違う。平凡な顔ということは、多くの感情を盛り込むことができる顔という意味でもあるが、彼女はそれを上手く活用している。シンナーを吸う不良学生シンナーガール(映画「サニー 永遠の仲間たち」)と勝負欲が強いアイドルグループのリーダー(「ヴァンパイアアイドル」)、そして苦痛を黙々と乗り越えるハン・ゴンジュ(「ハン・ゴンジュ」)を違和感なく行き来している。それだけではなく、「母なる証明」ではジングを見つめる視線が官能的だった。残念なポイント:毎回、再発見?デビュー後、彼女には何度も再発見という修飾語が付けられた。「母なる証明」から「サニー 永遠の仲間たち」、そして今回の「ハン・ゴンジュ」を通じてチョン・ウヒの再発見と言われている。これは良くもあり悪くもある。新人のように初々しさが感じられるという良い点もあるが、再発見という面では前に進んでないという意味でもあるので、悪い点もある。今が決定的な跳躍が必要な時期であることは確かである。可能性のあるポイント:彼女の20代作品の中でチョン・ウヒは、制服を着た10代の少女だった。彼女が今後見せる20代のキャラクターは、まだミステリーな領域であるわけだ。そのため、「今まで見せてきたことより、これから見せることがもっと多い女優だ」といえば、お決まりの文句だろうか。ちょうどブ・ジヨン監督の「明日へ」を通じて初めて20代の演技を披露する予定なので、関心を持って見守っても良いだろう。チョン・ウヒの新しい旅が始まろうとしている。

    10Asia
  • 「ハン・ゴンジュ」キム・ヒョンジュン、加害者を演じること…そして彼の本音

    「ハン・ゴンジュ」キム・ヒョンジュン、加害者を演じること…そして彼の本音

    映画「ハン・ゴンジュ」(監督:イ・スジン)で観客を最も怒らせる中心人物は、高校生のミンホだ。スキンステープラーで威圧感を与えるミンホは、ゴンジュ(チョン・ウヒ)と共に映画の事件の中心にいる。悪く言われるキャラクターだが、ミンホを演じた俳優は注目に値する。オーディションを通じてミンホ役を手にした俳優は、キム・ヒョンジュンだ。モデル界ではすでに有名な彼は当たり前のように、そして非常に憎いほどミンホ役を自然に演じた。「ハン・ゴンジュ」が韓国内外で大きな反響と人気を得る映画であるだけに、キム・ヒョンジュンへの関心も高まっており、ついこの俳優の本音が知りたくなった。犯罪の加害者を演じるのは、どのような感じなのだろうか。「抵抗感はちょっとありました。もちろん。でも、台本の全体を理解すると、本当にいい作品だという考えがもっと大きくなったんです。だから参加しようと、良い気持ちで臨みました」1991年生まれのキム・ヒョンジュンが「ハン・ゴンジュ」を撮影したのは2年前。当時は、22歳(数え年)だった。実際に高校を卒業して間もない頃であり、今より顔がぽっちゃりしていた。映画を見ると実際に高校生ではないかと思うほどだ。撮影から2年が経ち、映画を見ながら嬉しい気持ちもあったが、未熟な部分が非常に多いと感じ、恥ずかしかったという。周りの反応を尋ねた。彼は淡々と「知人たちからX狂人様と呼ばれたりしました。それでも本当に気分が良いのは、僕を知っている方々からキム・ヒョンジュンが悪いことをしたと思われるのではなく、ミンホが悪い子だったと思われることでした。ミンホからキム・ヒョンジュンが見えなかったことは俳優として賞賛ですからね」自身の過ちを知らない子供。日常生活のように自然に暴力を振るい、それが暴力であることさえ知らず、関心もないようで、すぐに忘れてしまいそうな少年。このようなミンホについてイ・スジン監督からはどんな指示があったのかと聞くと、キム・ヒョンジュンは「あなたはすでに悪い子で、悪い状況だから、力を抜いてやらなければならないとおっしゃいました。ミンホという子は本当に何の罪悪感もなしに、本当に友達にいたずらするようにしなければならないということでした」単刀直入にミンホから理解できる部分があったのかと聞いた。彼は首を横に振った。「最初は本当に理解できなくて、周りの元不良たちを訪ねて会ったりしました。僕は学生時代、中途半端な人間でした。だから、運動が得意な子、勉強ができる子、そしてちょっと不良な子たちとも仲良くしていたんです。その不良の子たちに昔のことを聞いたら、別に覚えていないと言うんです」別に記憶がない。ミンホに適用して考えると、誰かをいじめることがとても自然で特に印象に残っていないという意味だ。ゴンジュのような被害者が生まれている現実を考えると、胸の痛い話だ。映画が終わった後、ミンホはどのように生きていくと思うのかと聞いた。これにキム・ヒョンジュンは「ミンホはそのまま生きていくだろうと思います。映画には詳しく出ていないですが、ミンホはエリートで背も高いし、ハンサムで勉強もできるし運動神経も良い。足りないところのない子なんです。それでも友達をいじめるし」と答えた。映画の中でミンホは父親が医師であるため、スキンステープラーを持って友達に暴力を振るう。映画を撮りながらなるべく映像は参考にしないようにしたという。無意識に真似するかも知れないと思ったためだ。その代わりに似たような話を書いた書籍を参考にした。「僕は演技の経験がそんなにないので、むしろそんな原石から出てくる何かがあるのではないか、そういうふうにアプローチしました」 劇中では加害者と被害者だが、チョン・ウヒとは映画が終わった後も会ってお茶を飲むほど親しくなったという。一緒に出演した俳優たちとはカカオトーク(メッセンジャーアプリ)にグループチャットルームもあるという。撮影しながらチョン・ウヒに申し訳ない気持ちはなかったかと聞くと「監督が『カット!』と言うと『姉さん、大丈夫ですか?』と聞いた時もありましたが、罪悪感を持って演技をするとミンホにならないので、最大限そんなふうにしないよう努力しました。もちろん、カットを聞くとすぐに僕に戻りました」と答えた。キム・ヒョンジュンにはこの作品が映画デビュー作だ。悪役だったが、甘かった。彼は「初の映画出演だったので、すべてが不思議でとても面白かったです。徹夜して撮影することも面白かったし、たくさん学べたので大変だと思ったことはたった1%もありませんでした」と笑って見せた。映画が好評を得て誇らしく思いながらも実感が沸かないと言う彼は、インタビュー中ずっと「足りない」と反省しながら演技への情熱を覗かせた。「悪役の頂点を極めてみたいと思います。逆に軽くて面白い役もしてみたいです。ドラマの中の紳士的な室長のような、かっこいい役も演じてみたいです。何をしても一生懸命に頑張らなきゃいけないと思います」善悪が共存し、中低音の声が魅力的なこの若手俳優の将来を期待しても良さそうだ。モデルになる過程でも紆余曲折があり、モデルから役者に転向する過程も決して簡単ではなかっただけに、歯を食いしばって実力を身に付けると意気込んでいる彼だ。「ハン・ゴンジュ」の他にもドラマ「美男<イケメン>バンド ~キミに届けるピュアビート~」「炎の中へ」などに出演し、映画「私の7番目の男」の公開を控えている。「これからもっと良い姿をお見せしますので、ミンホは憎くても僕は憎まないでください。僕は優しい人間です。ハハ」

    OSEN
  • 「ハン・ゴンジュ」ニューヨーク・アジア映画祭&ロサンゼルス映画祭に公式招待

    「ハン・ゴンジュ」ニューヨーク・アジア映画祭&ロサンゼルス映画祭に公式招待

    映画「ハン・ゴンジュ」がニューヨーク・アジア映画祭とロサンゼルス映画祭に公式招待された。8日、「ハン・ゴンジュ」の海外配給会社であるファインカットは、同映画がニューヨーク・アジア映画祭、ロサンゼルス映画祭に公式招待され、海外映画祭からの爆発的な関心を証明したと伝えた。第13回ニューヨーク・アジア映画祭は、大衆が親しみやすく、その映画ならではのカラーをもつアジア映画の新しい一面を知らせている米ニューヨークの代表的な映画祭の一つだ。これまで「ベルリンファイル」「オールドボーイ」「悪いやつら」「アジョシ」「息もできない」など、作品性のある多様な韓国映画を紹介してきた。映画祭の共同代表であるサミュエル・ジェイミーは「『ハン・ゴンジュ』を選定した理由は女優チョン・ウヒさんの驚くべき演技を通じて伝わってくる生の感情のためだ。キャラクターの複雑な感情を繊細かつ強烈に、そして鋭いリアリズムで表現している。映画の前提となる暗い事件を超えて、最も人の感情を刺激するナラティブ(物語、朗読)映画と言える作品だ」と招待の理由を明かした。「ハン・ゴンジュ」はニューヨーク・アジア映画祭以降、7月第1週目にニューヨーク近代美術館にて開かれる週間上映会でも上映される予定だ。「ハン・ゴンジュ」がインターナショナル・ショーケース部門に招待されたロサンゼルス映画祭は、今年20周年を迎えた米国・西部の主要映画祭の一つである。米国最大のインディーズ映画協会であるフィルム・インディペンデント(Film Independent)が主管している。これまで招待された韓国映画は「スキャンダル」「素晴らしい一日」「超能力者」「哀しき獣」「ヘウォンの恋愛日記」などで、今年は「ハン・ゴンジュ」が公式招待された。相次いで海外の映画祭に公式招待され、2014年世界が注目している映画として浮上した「ハン・ゴンジュ」は、現在観客動員数20万人突破を目前にしている。

    マイデイリー
  • 「ハン・ゴンジュ」イ・スジン監督“少女をめぐる私たちの話がしたかった”

    「ハン・ゴンジュ」イ・スジン監督“少女をめぐる私たちの話がしたかった”

    ※この記事には映画のストーリーに関する内容が含まれています。この人、今最もホットな人の1人だ。韓国を超え、海外を回りながらトロフィーを集めている。マーティン・スコセッシ監督、マリオン・コティヤールなど世界的な監督と女優の絶賛も聞こえてくる。まだ4月なのに、もう今年最高の韓国映画として挙げる人が多い。怪物のような新人監督の登場に忠武路(チュンムロ:韓国の映画界の代名詞)が歓声を上げている。映画「ハン・ゴンジュ」、そしてイ・スジン監督の話だ。「ハン・ゴンジュ」は学校での性的暴力を題材にしている。すでに多く扱われた題材ではあるが、それでもイ・スジン監督はその中から新しさを見つけ出した。そして、ハン・ゴンジュ(チョン・ウヒ)の過去と現在を行き来しながら希望を歌った。怒りの感情を引き出すよりは、共感と申し訳なさという情緒でスクリーンを埋め尽くした。その余韻はかなり長く続く。そして、イ・スジン監督の話が非常に聞きたくなった。―初めての長編映画なのに非常に強いインパクトを残している。少し早い話ではあるが、イ・スジン監督の次期作の話が聞こえてきたら、多くの関心が集まりそうだ。イ・スジン監督:賞をこんなにたくさんもらうと思わなかった。そして、プレッシャーは周りが私に与えているだけだ。私は受賞するために映画を作っているわけではない。重要なのは、どんな話をして、その話を上手く描けるのかだと思う。次の映画も私がどんな話をするか、そしてそれが観客によく伝わって一緒に話せるだろうかということが重要になるだろう。―海外の映画祭で受賞の知らせが続いている。マスコミはいくつかのコメントだけ伝えているが、実際の海外映画祭で「ハン・ゴンジュ」を見る反応と雰囲気について話してほしい。印象深かったコメントなども紹介してほしい。イ・スジン監督:まず、マーティン・スコセッシ監督は本当に良い話をたくさんしてくれた。「韓国に帰って監督が私にこんなに良い話をしてくれたと話しても、誰も信じなさそうだ」と話したら、マーティン・スコセッシ監督が「では、一緒に写真を撮ろう」と話したほどである。マラケシュ国際映画祭ではレストランでご飯を食べていた時、突然とても美しいヨーロッパの女性たちがテーブルの近くに来て「『ハン・ゴンジュ』の監督ですか?」と聞いてきた。そして挨拶を交わした後、映画の感想を聞かせてくれた。とても新鮮な経験だった。「ハン・ゴンジュ」の物語は海外でも共感を形成できると思ったし、一方では私も今後違うところで映画を見たら、このお嬢さんたちのように先に感想を話そうと思った(笑) 他の映画祭でも同じだった。パームスプリングス国際映画祭の初めてのGVイベントの時は、イベント時間に質問できなかった観客がイベントが終わってからも質問してきた。その中で、潤んだ目で感想を話してくれたおばさんが記憶に残っている。また、インタビューも記憶に残る。ある記者から「韓国でこんなことが多いのか?」と聞かれたことがあって、「多い少ないの基準が分からない。あなたが考える多いとはどのぐらいなのか?」と答えた。でも、あの記者はたぶん私から聞きたい答えがあったようだ。長いインタビューだったが、自分が望む答えが出なかったからか、他の質問をしてから再びその質問に戻ってきた。それで、デンマークの記者だったので「映画『偽りなき者』を見て、デンマーク全体の社会がそうだろうとは思わないじゃないか。『ハン・ゴンジュ』も同じだ。韓国全体を代弁できる物語ではない」と答えた。―最初タイトルだけ見た時は、それが劇中の名前だと考えず、まるで姫(韓国語でゴンジュ)のように偉そうな態度を取る女の子を示す言葉で、集団いじめの物語かなと思った。イ・スジン監督:(笑) そこまでは考えなかった。劇中の名前をタイトルにしたかったし、ゴンジュという名前が理想的だった。また、ゴンジュという名前なのに、むしろ人々に無視される皮肉さも持っている。―また、どう聞こえるか分からないが、最初は女性監督だから女子高校生の繊細な感情を上手く表現していると思った。だが、後で男性監督と知って少し驚いた(笑)イ・スジン監督:よくあることだ。釜山(プサン)国際映画祭で「ハン・ゴンジュ」のGVイベントを行った時も「男だったの?」という反応がほとんどだったし、銀行で「イ・スジン様」と呼ばれて私が立ち上がる時の反応もそうだ(笑) また、面白いエピソードがある。海外映画祭である記者から「もし女性監督がこの映画を作ったら、どんな反応を得たと思うのか?」という質問を受けた。それで、その記者に「私の名前はイ・スジンだが、韓国でこの名前は女性の名前だと思われる。これもあなたが持った一つの先入観なのかもしれない」と答えた。韓国でも同じだと思う。一方では良い反応の理由の中に名前のおかげもあるかもしれないと思っている。―フィルモグラフィーを見たら、ホ・ジノ監督の「ハピネス」の演出部で働いた履歴がある。ホ・ジノ監督の影響も受けたのか?イ・スジン監督:どのぐらい影響を受けたのか数値で表現はできないが、もちろん受けたと思う。特に人間的な部分についてたくさん学んだ。この映画を作る時もたくさん手伝ってくれた。シナリオを書いた後、モニターをたくさんしない方だが、ホ・ジノ監督には見せる。そしたら、監督は長くではないけどポイントを話してくれるし、受賞するたびに直接電話でお祝いしてくれる。―「ハン・ゴンジュ」が扱っているのは実際に起こった事件だと聞いた。その事件について話していると考えてもいいのか?イ・スジン監督:その部分は曖昧だ。インスピレーションを受けて映画を作ろうと考えた時点で発生した事件が確かにあった。でも、過去の事件を再現しようと考えたことはなかったし、過去にあった事件の物語としてスポットライトを受ける映画を望んだわけでもない。現在の時点でこの問題を見てほしかった。どうしてこんなことが発生し、どんな悩みを通じてこんなことが減るだろうか、その根本的な部分について話したかった。また、すべてのキャラクターは虚構で作られたが、実存の人物で考えると大きなエラーが発生する。それで、その部分は曖昧だと思う。―この映画を作ろうと決めた理由があるのか?イ・スジン監督:性的暴行事件やいじめ問題などとても多い。そんな問題を私の中で非常に深刻に考えたようだ。映画を作る人として考えたわけではなく、社会構成員や30代の男性として見ていたと思う。そして、そのたびに怒りがこみ上げた。一つの事件が忘れられそうになったら、また違う事件が起こる。それで、怒っているうち、ある日は自分に聞き返した。もし私の周りに被害者や加害者などそんな事件に関わった人がいたら、私は何をしてあげられるだろうかという質問だった。なかなか答えが出てこなかった。ただ起こった事件の事実について知っているだけで、これまでよく憤りを感じたという気がした。それで、以前とは違う話をしたかった。従来ある似ている映画とは少し違う視線で見つめてこそ、この映画が作られる価値があると思った。被害者、加害者を判断する映画ではなく、極端な状況にいる少女が自ら諦めない話、残酷な成長物語、そして少女をめぐる私たちの話をしたいという考えでこの映画を作り始めた。―最初、この物語を映画にすると話した時、周りの反応はどうだったのか?イ・スジン監督:私はシナリオの草稿が完全に出た時に周りに話すが、それまで自分の意志や考えを何度も検閲した。この物語を話す理由について自分にずっと聞いた。こんな物語を話してもいいかどうか、映画にするのが正しいかどうかについてもたくさん悩んだ。結果的にはするのが正しいと思って、映画を作るようになった。シナリオを書き終わってからは映画振興委員会などの支援を申し込んだ。そして、短編映画「敵のリンゴ」を一緒に作ったスタッフにシナリオを見せて、興味がある人は一緒に作業しようと声をかけた。あまり面白くないと話した人も、積極的に乗り出した人もいた。その中でも音楽監督がシナリオをすごく気に入っていた。―普通、このような題材を扱う映画の共通した情緒は怒りに近い。でも、「ハン・ゴンジュ」は怒りよりも申し訳なさや反省の情緒が強い。怒りを表現することもできたと思うが。イ・スジン監督:怒りという感情は事件の目に見える部分だけを話す感情だと思った。また怒りを表す映画はたくさんある。それで、あえてこの映画でも怒りについて話したくはなかった。それよりも根本的な悩み、被害者に申し訳ないという気持ちなどを描きたいと思った。―そのためか、直接的な題材を話すこと自体がネタバレのような気がする。題材を知らずに見た時、すまない気持ちや反省の情緒がより大きく感じられると思う。イ・スジン監督:映画でも性的暴行という単語は一度も出ない。後でゴンジュが見る新聞にその単語が書かれているだけだ。それを意図したわけではないが、心の中のどこかにその単語に対する負担のような気持ちがあったようだ。―物語の進め方が非常に興味深い。それについてもたくさん考えて悩んだと思う。イ・スジン監督:物語の進め方について悩むよりも被害者と加害者を判断せず、ただ少女について話したかった。それなのにもし時間順に構成したら、被害者と加害者がはっきり決められてしまうと思った。それで現在の時点で始めて、過去に戻り、再び現在で終わる構成を考えた。原因となる事件が仕方なく視線を引き付けるが、現在この少女がやっている行動に彼女の過去が感性的に付いてくるようにしたらどうかと悩んだ。また、大きな事件もなく、少女の感性と周りのエピソードで物語が進むのに、過去と現在を行ったりきたりしたら流れが途絶えると思った。それで、一つの呼吸で行くしかなく、映画を見たら過去か現在なのかが曖昧な部分がある。もちろん、過去と現在を明確に知らなくても物語を理解するに無理のない進め方を取った。―チョン・ウヒ、チョン・インソン、キム・ソヨンなど役者のキャスティングが素晴らしい。まるで彼女たち一人ひとりをよく知っているような感じがした。チョン・ウヒは本当にハン・ゴンジュのようで、チョン・インソンはウニに、キム・ソヨンはファオクにぴったりだった。イ・スジン監督:みんなオーディションを通じてキャスティングした。チョン・ウヒはオーディションを受ける時も印象的だったが、見送る時もゴンジュのような雰囲気を与えた。それで、「この子、しっかりしてるな」と思った。チョン・ウヒは動物的な感覚があると感じた。空間の中でどのように動ごいたらいいのかをよく知っている。吸収も早かった。チョン・インソンは私が感謝している女優だ。ウニ役を演じることになっていた役者が突然演じられなくなって空席になった。一週間で役者を見つけなければならない状況だった。実はチョン・インソンはフリーの段階で(オーディションを)受けてみようと声をかけたが、学期中だから受けないと返事していた。それでも、再び連絡してみたらオーディションを受けるという返事が来た。そして、その日にキャスティングした。以前受けないと話したのにどうして考えが変わったのかと聞いたら、そんな返事をしたことがないと言われた。どこかで話が食い違ったようだ(笑) ウニとよく似合っていたと思う。本来の性格も明るくて、活発だ。キム・ソヨンは性格だけ見た時、ファオクにぴったりだった。話していると気分が良くなるハッピーウイルスを持っている。何よりも3人の調和がとても良かった。良い環境ではなかったが、3人がその環境で一生懸命に頑張ってくれたと思う。―役者に最も重要に要求したのは?イ・スジン監督:「演技に見えないように自然に撮影しよう」ということだったと思う。あえてそのことを言葉にせず、フリーの段階で準備しながら自然にそう思わせたと思う。高校生活、友達と喧嘩、好きな友達とのスキンシップなど細かい部分についてたくさん話し合った。そして、初めての撮影日に一番難しいシーンを撮影した。映画は現在から始まって、それは過去の痛みがあってからの話だ。でも、そんな設定を想像するだけではその事件があった後の感情を表現しにくいと思った。もちろん映画だから実際のことではないが、それでもそれを感じてみるのとただ考えてみるのは大きな違いがあると思った。また私をはじめとするスタッフ全員もどんな姿勢でこの映画に臨むべきかを想起させる必要があった。―加害者の男子生徒も問題だが、彼らの両親、つまり86人の大人がより問題だと思う。「うちの子がもしこのような状況に陥ったらどうしよう?」ということをたくさん考えた。今は冷静に言えると思うが、実際に映画の状況が私にも起こったらどうなるか分からない。イ・スジン監督:それが重要なポイントだと思う。社会を動かす中枢的役割を担当する人が子どもたちの両親だ。だから、子どもたちの問題と見なすことはできない。―ハン・ゴンジュは才能が多い人のように見える。それで、より胸が痛む。自分の名前を掲げることもできない状況だから。イ・スジン監督:ゴンジュを強い人にしたかった。生まれた時から強い性格ではなく、不遇だが、自分を守れて、一つずつ上手くやっていく人物に描きたかった。劇中、音楽はゴンジュにとって支えで、夢でもあって、慰められる装置でもある。胸が痛くなるのは、その後に彼女の感情が積もっていく部分であると思う。―エンディングについて知りたい。ゴンジュが水泳を習うシーンはあるが、漢江(ハンガン)の橋から落ちるのは水泳と関係ないことだ。映画でゴンジュが水泳を習うことについて「もし違うことを考えた時に、生きなければならないから」というような話をする。正確な台詞ではないが、とにかく少し曖昧なエンディングだ。イ・スジン監督:生きている。シナリオでもゴンジュは生きている。そして、どこかでゴンジュを連呼する声が聞こえてくるとなっている。今もその考えは同じだ。生きていることに描きたかったが、表現が上手くできなかったようだ。再撮影をした方がいいかと悩んだが、この映画の重要な地点は終わった後だと思った。大人たちがどんなことを悩んでどう行動するかによって、また違うゴンジュたちの選択が変わるかもしれないという考えがあったからだ。1分28秒のワンカットだが、そのワンカットのために111分が存在すると言っても過言ではない。シナリオを書く時、一番最初に考えたシーンがエンディングと「私は悪いことをしていません」と話す最初のシーンだ。―「ハン・ゴンジュ」は低予算映画だ。もし、豊かな予算があったら、もっと表現したかったことがあるのか?イ・スジン監督:恨まれないほどの給料を払えたと思う(笑) (―他の部分は満足しているという意味なのか?)そうではない。悪く言うと、搾取ともいえる。1~2ヶ月間、没頭して働くのに、生活するには劣悪な環境だ。それでも、予算を減らせるのが人件費しかない。それで、皆にすまないと思っている。賞を受ける時、スタッフや俳優を褒められるとより嬉しくなった。それで、その人に電話して「OOが君を褒めてた」という話をした。―今後、イ・スジン監督がどんな話をするか気になる。イ・スジン監督:本当に話したいことを話そうと努力している。「なぜこの話をしようとするのか。本当にこの話がしたいのか」といつも自分に聞き返す。それが明確になった時は、何としてもその映画を作ろうとあらゆる努力を尽くす。話したいことは悩んだ末に出る時もあるし、いつのまにか考えていたことと制作意欲が重なる時もある。次の作品は何になるかまだ分からないが、少し早めに準備したいと思っている。

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  • 「ハン・ゴンジュ」チョン・ウヒ、撮影秘話を公開“ボディラインを隠すために圧迫下着を着用した”

    「ハン・ゴンジュ」チョン・ウヒ、撮影秘話を公開“ボディラインを隠すために圧迫下着を着用した”

    海外有数の映画祭で8冠を達成した映画「ハン・ゴンジュ」(監督:イ・スジン、制作:リー共同体映画社)が、俳優やスタッフたちによって丹念に作られた映画の裏話を公開した。第39回ソウル独立映画祭の熱血スタッフ賞に輝いたホン・ジェシク撮影監督は、「ハン・ゴンジュ」でほとんどのシーンをハンドヘルド(手持ちカメラ)で撮影する手間をいとわなかった。彼は「人物の繊細な感情を表現するためにはハンドヘルドが最も良い方法だと判断した。ハン・ゴンジュ(チョン・ウヒ)をはじめとする人物の動きを追いながら彼らの感情を共有し、彼らの息を感じることができると思う」と努力の結果について満足感を示した。それだけでなく、彼とイ・スジン監督は各シーンで感情を最もうまく表現する方法として、人工的な照明ではなく、自然の光を最大限活かすことにした。自然の光を適切に活用できる時間帯になるまで待ってから撮影を行い、夜のシーンは闇のディテールを活かしてリアリティはもちろん、心理的な表現まで逃さないようにした。映画の公開と共に注目を浴びたことの一つは、ハン・ゴンジュがギターを弾きながらささやくように歌う「Give me a smile」だ。イ・スジン監督は短編映画「息子のもの」を通じて知り合ったキム・テソン音楽監督に「ハン・ゴンジュ」のシナリオを渡し、キム・テソン監督は翌日「やりたい」と電話をかけてきて映画に対する格別な愛情を見せた。イ・スジン監督は「一番先に始まり、一番遅く終わった作業が音楽作業だ」とし、キム・テソン音楽監督が誰よりもたくさん気持ちを込めたと明かした。ハン・ゴンジュの友達が一緒に歌うアカペラ「ciao bella, ciao」はイ・スジン監督が偶然ラジオで聴き、いつか映画音楽として使いたかったという歌だ。アカペラ初挑戦だった俳優たちは週に1、2回ほど音楽作業室で練習し、今の美しいハーモニーを完成させた。「ハン・ゴンジュ」を通じて最も強烈な変身を披露したチョン・ウヒは自分だけのキャラクターを誕生させるため、女優として大胆な決断を下した。撮影が行われる間、終始圧迫下着を着用するという不便を自ら選択したのだ。「誰からもハン・ゴンジュにはそれだけの余地があったから、そんなことをやったと言われたくなかった。準備する段階から監督と相談し、圧迫下着を着用してボディラインを最大限隠そうとした」と伝えた。化粧もほとんどせず、女性らしさをできるだけ隠すために努力したチョン・ウヒは「ハン・ゴンジュそのものに見えてむしろ嬉しかった」と満足した。「ハン・ゴンジュ」は、予期せぬ事件で友達を失い、追われるように転校することになったハン・ゴンジュが残った人たちと一緒に辛さを乗り越えようとするストーリーを描いた成長映画だ。チョン・ウヒ、チョン・インソン、キム・ソヨン、イ・ヨンランなどが出演し、映画「幸福」の演出部出身であるイ・スジン監督の長編映画デビュー作である。

    TVレポート
  • 【映画レビュー】「ハン・ゴンジュ」あなたたちは皆加害者だろう…そうじゃない?

    【映画レビュー】「ハン・ゴンジュ」あなたたちは皆加害者だろう…そうじゃない?

    ※この記事には映画のストーリーに関する内容が含まれています。我々が生きる世の中は、どれだけ多くのゴンジュを殺さなければならないのだろうか?旅客船セウォル号沈没事故が起きた翌日。狂ってしまいそうな喪失感を抑えきれず、映画館に向かった。悲劇からの希望を見たいという切実な願いが私を映画「ハン・ゴンジュ」に向かわせた。数十人の動物に強姦された女子学生という題材で映画そのものから希望を見出すことは難しいと予測したものの、非常に立派なエンディングという言葉が少なくとも最後には希望を抱かせてくれるはずだと早とちりしていた。その結論は完全に間違ったものだったのだが。映画は最初から最後まで観客に繰り返しあるイメージを見せる。最初に扇風機の前に立っていたゴンジュの学校の先生は、映画の後半に性的暴行をしたゴリラが扇風機の前に立っているシーンで繰り返される。男のせいでゴンジュを捨てた母親は、やはり恋人の警察のせいでゴンジュを手放す先生の母と重なる。さらに性的暴行で妊娠した友達が水に飛び込んだことも、水に飛び込んだハン・ゴンジュの姿と重なる。自殺する前にかけた電話をゴンジュが受けなかったことと同様に、ゴンジュが水に飛び込む前にかけた電話をウニは受けない。映画は、繰り返される。この繰り返しを通じて我々はゴンジュを傷つけた直接的な加害者と間接的な加害者である社会を同一視することになる。最大限ゴンジュの面倒を見ようとした学校の先生も、結局ゴンジュの手を握ってくれなかった先生の母親も、お金を受け取って嘆願書に署名させる父も、ゴンジュの面倒を見てくれなかった母親も、ゴンジュをせき立てた警官も、最後の電話を受け取ってくれなかった友達も、みんな直接的な加害者の行為と重なり、加害者の一部になる。さらに被害者だったハン・ゴンジュも友達の電話を受けなかった事実を明かし、もう一人の加害者だったことを明かす。このように映画は私たちはみんな加害者ではないかと繰り返し聞く。話題になったエンディングシーンでハン・ゴンジュが海に落ちてしまった時、私は簡単にその先を予測することができた。ハン・ゴンジュは死んで、世界によってもう一度水に溺れるようになるだろうと思った。水に落ちて自殺したゴンジュの友達を持ち上げた隊員たちがロープを手放してしまい死体を再び水に落としたシーンを通じて、私は十分にそれを予測することができた。ゴンジュは自殺するが、映画がずっとそうだったように、世界はもう一度彼女を傷つけるはずだった。幸いなことだったのだろうか、私の予測とは違ってゴンジュは水の上に上ってきた。ひたすら自身の力で。彼女は死ぬ瞬間に生きたくなるという希望を最後まで捨てず、水泳を習った。彼女は加害者だけの社会でどうにか生きていくためにじたばたし、水から上がってきて人生を生き続ける。このシーンを通じてこの映画は希望を捨てなかった。安堵感。どうしても生きていかなければならないという最後の希望を映画は握る。しかし、この映画は希望だけでは終わらない。水から上がってきたゴンジュは画面の上の方、つまり遠い海の方に向かう。世の中からの自由、解放だ。しかし、その後ゴンジュは再び画面の下、ゴンジュが飛び降りた大橋の方に泳いてくる。画面ではまるで観客に近づいてくるように見える。ここでハン・ゴンジュは最後に問う。「私は最後の希望をつかんだけど、あなたはどうする?」映画を観た観客の心が痛いのは、潜在的な加害者になる可能性もある私たちに投げるその質問のためだ。世界は依然としてゴンジュにはあまりにも厳しいところで、我々がどうやってそれをより良い状態に変えてあげられるかは見えてこない。世の中は同じものだと私たちは無意識のうちに信じているから。「ハン・ゴンジュ」は最初から最後まで簡単な映画ではない。それが私たちの社会の姿を見せているためなおさらそうだ。映画が終わった後、どうしようもなく悲しい気持ちになって非常に辛かった。繰り返しテレビで流れる悲劇的なニュースを見ると、もっと辛い。果たして我々が生きる世の中はどれだけ多くのゴンジュを殺さなければならないのだろうか。

    oh!my star
  • CGVムービーコラージュ、韓国独立映画特別展を開催「ハン・ゴンジュ」など厳選映画4本を上映

    CGVムービーコラージュ、韓国独立映画特別展を開催「ハン・ゴンジュ」など厳選映画4本を上映

    映画館CGVの多様性のある映画専門ブランドCGVムービーコラージュは今月13日夜8時を前後し、多様性を一般上映館まで拡大して上映するムービーコラージュデーを全国41のCGVで開催する。今月のムービーコラージュデーは韓国独立映画特別展が開催される。上映作として「ハン・ゴンジュ」「10分(10 Minutes)」「シャトルコック(Shuttlecock)」「父のEメール(My Father's Emails)」など、韓国内外の数ある映画祭で賞を総なめし、作品性が認められた映画4本を選定した。「ハン・ゴンジュ」はフリブール国際映画祭(スイス)、ロッテルダム国際映画祭(オランダ)、マラケシュ国際映画祭(モロッコ)など世界の映画祭で8冠に輝き、マスコミから絶賛を受けた作品だ。悲惨な事件に遭った一人の少女が人生の難しさに立ち向かい、必死に生き抜く胸を打つ物語を描いた。「10分」は韓国の88万ウォン世代(88万ウォン(約8万7千円)世代:韓国で平均給与額が88万ウォンである大卒の非正規雇用者を示す)の若者の波乱万丈な職場生活を描いた映画で、香港国際映画祭で国際批評家協会賞を授賞した。「シャトルコック」は両親を無くした3兄弟の成長ストーリーを描き、釜山(プサン)国際映画祭で市民評論家賞を受賞した作品だ。「父のEメール」は貧しい人生から抜け出そうと必死に生きるも、最終的に力尽きて挫折してしまった父親世代の物語を描いた映画で、ソウル独立映画祭で最優秀作品賞を授賞した。これらの映画は全国41のCGVで分けて上映される。「ハン・ゴンジュ」はCGV金浦(キンポ)空港、明洞(ミョンドン)、木洞(モクトン)、誠信(ソンシン)女子大学、松坡(ソンパ)、永登浦(ヨンドゥンポ)、往十里(ワンシムニ)、龍山(ヨンサン)、中渓(チュンゲ)、清潭(チョンダム)シネシティ、光明(クァンミョン)、禿山(トクサン)、富平(プピョン)、水原(スウォン)、議政府(ウジョンブ)、竹田(チュクチョン)、江陵(カンヌン)、金海(キムヘ)、大淵(テヨン)、蔚山(ウルサン)、三山(サムサン)、原州(ウォンジュ)、昌原(チャンウォン)、春川(チュンチョン)など合計23の映画館で、「10分」は江邊(カンビョン)、九老(クロ)、折居(オリ)、仁川(インチョン)、大邱(テグ)など5つの映画館で上映される。また「シャトルコック」はCGV上岩(サンアム)、狎鷗亭(アックジョン)、東水原(トンスウォン)、ソプン、大田(テジョン)、馬山(マサン)、センタムシティーなど7つの映画館で、「父のEメール」はCGV大学路(テハンロ)、新村(シンチョン)アートレオン、汝矣島(ヨイド)、光州(クァンジュ)ターミナル、西面(ソミョン)、天安(チョナン)ペンタポートなど6つの映画館で見ることができる。今回の韓国独立映画特別展は4月30日から予約を開始しており、今月13日までにCGVのホームページとモバイルを通じて該当映画を予約した顧客を対象に景品の贈呈イベントも実施する予定だ。CGVムービーコラージュ劇場チームのハン・スンヒチーム長は「韓国独立映画特別展は商業映画では期待することが難しい感動とメッセージ性のある独立映画をさらに多くの観客と分かち合うために設けた場」とし、「多様性映画も共存することのできる映画界の構造作りに取り組んでいく」と明かした。

    TVレポート
  • 「ハン・ゴンジュ」チョン・ウヒ“最初の撮影が集団暴行シーン…気を引き締めて臨んだ”

    「ハン・ゴンジュ」チョン・ウヒ“最初の撮影が集団暴行シーン…気を引き締めて臨んだ”

    役者に一生付きまとう作品がある。チョン・ドヨンの場合は映画「シークレット・サンシャイン」のシネ、ソル・ギョングは映画「公共の敵」のカン・チョルジュン、キム・ソナはドラマ「私の名前はキム・サムスン」のサムスンがそうだ。役者の立場としてはそのイメージが負担になることもあるが、役者がある作品の確固たるアイデンティティになるということは役者誰もが享受できる特権でないことは明らかだ。これは、役者がそれだけキャラクターに溶け込んだという意味であり、またそれを観客が認めたという意味だからだ。そういう意味で、チョン・ウヒは賢い女優だ。多くの女優が登場する「サニー 永遠の仲間たち」(以下「サニー」)でシンナー中毒の問題児役に扮して自分の存在を知らせ、「ハン・ゴンジュ」では作品に自分自身の存在を完璧に溶け込ませた。集団暴行という消せない傷を抱えても毎日を黙々と耐えて生きる「ハン・ゴンジュ」では、ゴンジュの口調から表情、すすり泣き、残像すべてがチョン・ウヒそのものである。再発見というお決まりの表現で彼女を説明するのはうんざりすることだ。その理由が気になるなら、映画館で「ハン・ゴンジュ」を見ることをお勧めする!―試写会の後、「ハン・ゴンジュ」が頭から離れない。チョン・ウヒ:残像が多く残る映画だ。―すでに分かっていると思うが、その残像が浮かぶ時の気分はあまり愉快ではない(笑) 観客がこのように感じるならば、実際にその状況を演じた役者はさらに苦しい気持ちになっているだろう。集団で暴行されるシーンを最初に撮影したと聞いた。チョン・ウヒ:撮影のスケジュール表を見て最初の撮影がレイプシーンであることを知った。たぶん監督はその撮影を通じてスタッフにも、私にもどんな心構えでこの映画に取り組むべきなのかを伝えたかったのだと思う。監督の意図がとてもよく理解できたので、気を引き締めて撮影に臨んだ。役者たちとほぼ交流していない状態だったので、ゴンジュに入り込むのにも大きく役立った。―映画を見ている間、ゴンジュは本当に我慢強い性格のキャラクターという気がした。撮影に入る前にゴンジュをどのように表現したいと思ったのか?チョン・ウヒ:私はゴンジュがとても本能的なキャラクターだと思った。人生を生きていくことにおいて、生き残ることは本能だから。誰も手を差し出してくれない極限の状況で、ゴンジュは生きようという欲望だけで耐える。そんな点が我慢強いキャラクターだと思った。―実際のチョン・ウヒはどうなのか? 逆境に強いのか?チョン・ウヒ:ゴンジュと似たところがある。倒れそうに見えるが、決して倒れない。すごく弱くてなかなか耐えられない人だとよく思われるけれど、それは大きな誤解だ。私は心理的に大変なことがあっても忍耐強いタイプだ。―チョン・ウヒには2つのイメージがある。一つはか弱く見えるイメージで、もう一つはシンナー中毒の問題児だ(笑)チョン・ウヒ:(笑) そうだ。「サニー」の前は色んな人からか弱く見えると言われた。でも、「サニー」で問題児という肩書きを得た後は、気が強く見えると言われるようになった。―「サニー」の問題児として記憶されるのは女優としてどうなのか?チョン・ウヒ:嬉しい。以前は「私は絶対か弱くない! なめられるような人じゃない!」といくらアピールしても誰も信じてくれなかった。でも、もう違う。皆、私を甘く見ないみたい(笑) 問題児役で多くの観客に私の存在を知らせることができた。感謝している。―ある作品が役者に一生付きまとう場合がある。それは良い意味でも、悪い意味でもだ。ムン・ソリにとって「オアシス」のコンジュがそうであるように、自身にとって「ハン・ゴンジュ」のゴンジュがそうなるだろう。この作品を選んだ時、女優として期待したことがあると思うが。チョン・ウヒ:特別に望んだことはなかった。ただこの作品がとても気に入って、出演したいという意欲が大きかった。撮影しながら演技に対する興味も大きくなった。でも、私ができることはそこまでだと思う。作品の撮影までが私ができることで、観客が作品をどう受け入れるか、作品がどんな風に残るかは私の手から離れた問題だ。映画自体に望むことはあった。今までこのような題材を扱った映画は多くあり、すべて似たような感情で終わってしまうが、「ハン・ゴンジュ」はそのように終わらずに、違う方向で共感を与える映画になってほしいと思った。―個人的には映画の感情に訴えかけすぎない部分が良かった。チョン・ウヒ:シナリオ自体が非常にシンプルだった。シナリオ通りに映画が上手くできあがったと思う。―映画もそうだが、演技に対する評価も非常に良い。すでに何度も聞いたと思うが、フランス女優マリオン・コティヤールがマラケシュ国際映画祭でチョン・ウヒの演技を高く評価した。チョン・ウヒ:とても好きな女優だ。マリオン・コティヤールが褒めてくれたという話を朝6時に電話で聞いた。電話を切った後、あまりにも嬉しくてもう一度寝ることができなかった。頭を何かで殴られたような感じがした。―それでは、韓国の役者の中では誰から演技を褒められたいのか?チョン・ウヒ:キム・ヘスク先輩! キム・ヘスク先輩が大好きだ。見るたびに「とても素敵だ」と思ってしまう。―キム・ヘスクも少し問題ウーマンのような感じ(一同笑) がして、カリスマ性もすごい。チョン・ウヒ:キム・ヘスク先輩が私の存在を知っているかどうか分からないが、いつか先輩に「あの子、演技が上手いね?」と言われたい。本当にそんな日が来てほしい。―「ハン・ゴンジュ」は映画関係者、要するに監督たちも非常に好きそうな作品だ。この作品を通じて女優チョン・ウヒに多くの演出家が注目しそうだ。チョン・ウヒ:本当にそうなるかな? 「サニー」の後は強烈なイメージのせいでキャスティングを躊躇う監督が多かった。「ハン・ゴンジュ」のイ・スジン監督も最初はそのせいで躊躇された。でも、私が説得した。―「サニー」の時、チョン・ウヒに対する観客とマスコミの関心は本当にすごかった。だから「サニー」の後、上手く行くと思ったが、率直に言ってその関心が少し引いたと思う。残酷な質問かもしれないが、周りの関心が冷めた後どんな気持ちだったのか?チョン・ウヒ:その時はすごく浮き立っていた。今後、仕事が上手く行くだろうという期待も確かにあった。多くの人々が私のことを知ってくれたし、事務所にも所属することになって様々な状況が変わった。それで、チャンスもさらに増えるだろうと思った。でも、現実は反対だった。実は「サニー」を撮る前に人々から「もうかなり遅れているのではないのか?」と言われたけれど、私自身は上手く行っている方だと思っていた。周りに演技のチャンスを掴めず苦労している人が本当に多かったからだ。彼らに比べたら、私は運がいい方だと思った。でも、「サニー」の後、自分も知らないうちに欲が生じていたようだ。その時がちょうど20代半ばを過ぎた時だったので不安な気持ちがあったし、期待ほど上手くいかなくて大変だったのもあった。女優の仕事を始めてから初めて大変だと思った。でも、今になって考えてみると、その時間は女優チョン・ウヒにとっても、チョン・ウヒという一人の人間にとっても必要な時間だったと思う。その時間があったから「ハン・ゴンジュ」に出会えたし、「私は生きている」という考えで「ハン・ゴンジュ」に全てのエネルギーを注ぐことができた。―短期間で注目されて、また短期間で消えていく役者は非常に多い。仕事が上手くいかない時期にある役者にとって最も必要なのは何だと思うか?チョン・ウヒ:まず、演技がしたいという気持ちが必要だ。そして、その気持ちが変わってはいけないと思う。それによって自分はとても大変になるかもしれない。役者になりたいという欲求は人をとても苦しめるからだ。でも、最後まで諦めずに頑張ることで機会が訪れた時、また立ち上がることができる。―その時、気持ちを諦めて軽い誘惑に乗ってしまう人も多いと聞いた。また、役者の代わりにエンターテイナーを選択する人も多い。チョン・ウヒ:そうだ。そんなケースも少なくない。―演技に対する気持ちと共に身に付けるべきものは?チョン・ウヒ:周りの話にある程度は耳を傾けない必要もあると思う。親や年齢、お金など様々な現実的な壁のせいで役者への道を諦める人が多いけれど、そんなことに振り回されず、自分自身を信じて前に進む必要があると思う。色んなことを考えたり、あの人は私をどう思うだろうなどと気にしたりすると自分が大変になる。結局、自分を信じることが重要だ。―そのため、耐える人が勝つという言葉があるようだ。その時期を-100から+100までの数字で表現するとしたら、大変な時期はどのくらいだったか?チョン・ウヒ:-85までは下がっていたと思う(笑)―今はどこまで上がってきたのか?チョン・ウヒ:今は今はとてもいい。不安はあるけれど、それは今までと違う種類の不安だ。非常に良い評価を受けているので、今後どうすればいいのかという不安を抱えている(笑) 今は+50ぐらい?(笑)―先ほど話したように次のステップが本当に重要だと思う。今年28歳になるのだろうか? 個人的な考えだが、女性が生物学的に一番美しく見える年齢は23歳から28歳ぐらいまでだと思う。私の経験からもそう感じた。だから、その時期は本当に楽しく生きるべきだとも思う。チョン・ウヒ:わ、共感する。最近、私もそんなことをよく考える。―では、楽しく遊んでいるのか?チョン・ウヒ:えーと、以前は小心者だった。周りの人のことを考えて躊躇することが多く、自信もあまりなかった。でも、20代も後2年しか残ってないので、何でも積極的に取り組むべきだと思う。後で振り返った時、後悔はしたくないから。でも、放蕩三昧という意味ではない。―1度ぐらいは放蕩三昧でもいいと思う(笑)チョン・ウヒ:ハハ。私にはあまり合わないと思った。今より若かった時、思いっきり遊んでみようとしたことがあるけれど、あまり興味をそそられなかった。お酒を飲むこともそうだし、あまり楽しくなかった。―今まで行った最も大きな脱線は? 脱線までとは言えなくても「私がこんなこともした」と言える行動は?チョン・ウヒ:ある意味、私にとって一番大きな脱線は演技だ。演技がしたいと話した時、一番多かった周りの反応は「君が?」だった。普通、女優は美しくて、背が高くて、才能のある人がする職業だと思うからだ。だからみんな「漠然とした夢なんだ」という視線で私を見た。でも今、私は演技をしている。また「君は平凡なキャラクターしかできないだろう」と言われたけれど、私はそれと逆に強烈なキャラクターを演じている。だから、演技は私にとって脱線で、挑戦だ。―チョン・ウヒの才能はどこから来ているのか?チョン・ウヒ:父親! 父が陶芸をやっている。歌も非常に上手で、母親や私より感性がはるかに豊かだ。―多くのインタビューで自分の顔は普通だと話したが、本当に平凡だと思うのか?チョン・ウヒ:以前は「君とそっくりな人を見た」と本当によく言われた。だから、その度に「ああ、私はよくいる顔なんだ」と思った。でも、最近は「違うよ。個性ある顔だ」ともしばしば言われる。他人の目に映る私は自分が思っているのと少し違うようだ。でも、私は自分が平凡だと思う。性格もそうだし、容姿もそうだ。でも、平凡だと思うからこそ演技がより面白く感じられる面もある。―オーディションを受けたり監督と会ったりする時、女優としてどんな面をアピールするのか?チョン・ウヒ:アピールするというより、ただ気楽な気持ちで臨む。―ほら。先ほど自分は平凡だと話したが、平凡な人は普通そんな時に緊張する。チョン・ウヒ:ハハハ。私は「すべてのことには理由がある」と信じる主義だ。もちろん、努力はする。最善を尽くしてオーティションに臨むが、もしだめだったら縁がなかったと思うし、上手くいったら運が良かったと思う。だから、オーディションを受ける時は緊張しない方だ。―ポン・ジュノ監督、ウォンビン、シン・ドンヨプなどの前でも全く緊張しなかったのか?チョン・ウヒ:誰かと会う時は相手の地位とか能力、年齢と関係なく、常に「人間と人間として会う」と考える。ポン・ジュノ監督がどれほど凄い人なのかよく知っているけれど、もしそれだけ考えていたら緊張してオーディションに落ちたはずだ。ウォンビン兄さんと会った時も「わ~ウォンビンだ~ウォンビン~」のようには考えなかった。ただ人間として接しようと思った。そして幸いにも人間的に知ってからその方たちがより好きになった。―おおらかな面があるようだ。女優として自分は運が良い方だと思うのか?チョン・ウヒ:とても良い方だと思う。いつもそう思ってきた。―今のテンポには満足しているのか?チョン・ウヒ:満足している。もし早く成功したら、演技の深さが今よりはるかに薄かったと思う。人と接することもそうだ。今のテンポが良いと思う。―「ハン・ゴンジュ」ではコンビニでアルバイトしたが、次の作品「明日へ」では大型スーパーでアルバイトをする。「明日へ」の撮影はどうだったのか?チョン・ウヒ:まず、初めて20代のキャラクターを演じることになって嬉しかった(笑) 「母なる証明」で浪人生ではあったが、本格的な20代の演技は初めてだ。でも、特に違うことはなかった。10代の演技をしたときは同世代や若い役者と共演したが、「明日へ」では先輩たちと共演したから、20代を演じてもまだ自分が幼い感じがした。むしろいつもより幼い子供になったようだった。―もし私が女優なら、女性の先輩が多い撮影現場より、男性の先輩と共演する撮影現場の方が気楽そうな気がする。「明日へ」は多くの女優(ヨム・ジョンア、ムン・ジョンヒ、キム・ヨンエなど)が出演する作品だが、気を遣ったことはなかったのか?チョン・ウヒ:だから実は私もとても緊張した。監督も女性だから撮影現場が難しいかもしれないと心配した。でも、無駄な心配だった。みんなとても気さくな方で、すごく優しかった。気楽に撮影できた。―最近「愛の棘」のチョ・ボア、「情愛中毒」のイム・ジヨン、「愛のタリオ」のイ・ソムと一緒に注目されている。このように多くの新人女優が同時に注目されたことは今までなかったと思うほどだ。そこで質問だが、「この部分だけは私が一番だ!」と自分をPRしてほしい。チョン・ウヒ:その中に私も入る? まず、私も一緒に挙げられるというだけでも幸せだ。そして、PRは何があるだろう。存在感? 私以外の3人はきれいじゃないか。彼女たちに比べて私は平凡なので、より存在感があるように見えると思う(笑)

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