「皇帝のために」イ・ミンギ、常に変化を夢見る…そして恐れない
※この記事には映画のストーリーに関する内容が含まれています。
イ・ミンギ:「その怪物」の撮影中に「皇帝のために」のシナリオをもらったのを覚えている。特に何かに捉われていたというより、作品と縁があったと思う。僕は毎回ジャンルの変化を与えたいと思う方で、「恋愛の温度」以来、スリラージャンルである「その怪物」に出演して、その後ノワールジャンルの出演オファーを受けるようになった。それで、大きな悩みはなかった。
―キャラクターだけ見た時は残酷で強烈な感じが確かに似ている。殺気に満ちた眼差しもそうだし。
イ・ミンギ:大きなカテゴリーで見た時、強烈なキャラクターというのは似ている。でも、具体的に分けると「その怪物」のテスという人物は非人間的な人物だ。ある意味、大きく共感したり、深く没入できない感情を表現する。冷たい感情に近いが、時々爆発的な狂気や殺気が出る人物だ。一方「皇帝のために」のイ・ファンは欲望に満ちていて、その欲望に向かっていく人物だ。だから、感情の表現が違う。また、イ・ファンの表情からは欲望も見えるが、切なさや虚しさなどもある。そんな複合的な感情を人間的に共有、共感できたと思う。
―両キャラクターとも目に殺気がみなぎっている。短い時期に2作品連続でそんな作品に出演したからか、以前と違ってイ・ミンギという俳優が少し怖く感じられた。
イ・ミンギ:そんなことを考えたことはない。もし、違う作品でもそんな姿が映ったら問題だが、そうじゃないならあまり気にしない。普段、僕が刀を持って歩いているわけでもないし(笑)
―可愛い魅力に飽きたのかなとも思った。
イ・ミンギ:もちろん、変化はずっと続けたかった。でも、キャラクター自体は変化できることが多くない。それで、ジャンルの変化にこだわっている。そうしているうちに突然、変化の幅が大きな作品に出演するようになった。例えば「恋愛の温度」に出演した後、冷たい刑事のようなキャラクターを演じてから「その怪物」に出演したら変化の幅が小さかっただろうが、銀行員から突然殺人鬼に変身したからその幅が大きく感じられたようだ。でも、それで良かった面も多い。作品により没入できた。他の俳優もそうだろうが、似たような作品に連続で出演することは非常に大変だ。変化を続けるというのは良いことだ。
―フィルモグラフィーを見ると、年齢に比べて出演作品がかなり多い。
イ・ミンギ:20代の半ばまでは本当に休まずに仕事を続けた。でも、映画に出演してからはそれでも余裕がある方だ。映画の作業はキャスティングされたからといってすぐに撮影に入るわけではないからだ。だから、むしろ僕自身の呼吸は遅くなった。もちろん、同じ年の俳優より出演作品が多いとは思う。出演オファーを受けた時、作品を選ぶ基準が他の俳優より緩いからでもある。一応、変化に対して上手くできるかどうか心配はするが、恐れたりはしない。俳優を仕事として選んだ以上、変化し続ければならないからだ。それが僕のカラーのような気もする。
―出演作品を選ぶ基準が他の俳優より緩いと話したが、それでは作品を選ぶ時、一番重要に思うのは?
イ・ミンギ:多少主観的ではあるが、まず良いシナリオを優先する。そして、監督や制作会社が良い人であるのも重要だ。映画は一人で作るものではないから、良い人と一緒にやることが重要だ。それから、新しいものがいいと思う。
―今回の作品はそんな条件にぴったり合って選んだのか?
イ・ミンギ:すべてがぴったり合う作品はないと思う。それでも、前向きな部分が非常に多かった。話がよく合う人と作業できたし、ノワールではあるがその中に違う要素も多く、スタイリッシュな面もある作品だ。それで完成した時、新しい部分がある、あまり見たことのない映画になるだろうという気がした。
―今回、イ・ファンというキャラクターを演じた。幼い頃、父親が亡くなったとはいえ、野球選手として活躍していた人物である。また負傷したとはいえ、勝負の操作を完璧にするほど、依然として実力が錆びていなかった。それでは、イ・ファンは果たしていつから人生が狂い始めたと思うのか?
イ・ミンギ:イ・ファンは生まれた時からひねくれた人物だ。2軍にいたが、1軍に入りたくて違法なゲームをやってでも1軍に入る。目的が何であれ、常にそんな選択をする人物だ。だが、実はシナリオの草稿ではそんな人物ではなかった。草稿はノワールジャンルに規格化された感じだった。野球だけが人生の目標だった人物が避けられない理由で違法なゲームに巻き込まれて、結局は野球ができなくなって暴力の世界に入るような典型的なストーリーだった。それで、究極的に話したいことがが強い欲望に関するものなら、最初からひねくれた人物として描いた方がいいという話をした。そうすれば、同じノワールの構造だが、違う感情を見せられると思った。
―イ・ファンとチャ・ヨンス(イ・テイム)も妙な関係である。二人は一目惚れしたように見えるも、それが切ない愛のようには見えなかった。後半に行くにつれ、二人の感情はますます愛なのかどうかよく分からなくなる。
イ・ミンギ:それは意図したことだった。二人の感情を“愛”と定めたくなかった。ノワールにはジャンルの公式のような恋愛模様がある。一人の女性と恋をして結局、破局に至るようになるようなことだ。だが、そんなありきたりの設定はやめようとした。また、編集の過程でカットされたシーンもあるが、実は二人の初対面は橋の上だった。とにかく、初対面は一目惚れの愛だと自然に考えるようになるが、だんだんその感情が曖昧に見える。たぶんイ・ファンはそれが愛だとしても、愛として理解していなかっただろう。女性も自分が所有すべき部分だと考えたと思う。それはヨンスも同じだ。愛という感情はお互いの人生に似合わないものだからだ。イ・ファンはヨンスを戻すために彼女のところに行くが、ただ見つめて帰ってくるのは結果を知っているからである。欲望の終わりは虚しいということを予想している状況で、ヨンスとは昔に戻れないということを彼は知っている。もし二人のうち一人でも治癒されるなら再び会うだろうが、二人ともそうじゃないから。
―観客は二人の関係がなかなか理解できないと思う。
イ・ミンギ:明確に見せていないからだろう。二人の関係が欲望か愛なのかをはっきり表現していない。この作品は結局、虚しさに関して話していて、イ・ファンとヨンスの関係もそのような結末を与えたかったと思う。二人は欲望か愛なのか分からない感情を熱く交わしたが、またそれも実体がない感じである。
―ベッドシーンが2回出るが、それぞれの感じが違う。それも先ほど話したような観点で見るべきなのか?
イ・ミンギ:そうだ。劇の流れ上、感情を壊すベッドシーンになってはいけなかったし、流れと別として見る視線ができてもダメだった。本来はイ・ファンとヨンスが2回目のベッドシーンを演出する時、ハンドク(キム・ジョング)とサンハ(パク・ソンウン)はジャクドゥ(チョン・フンチェ)の連中にやられているシーンを交差編集する予定だった。一方では戦いを、また一方では戦いのような欲望を噴出する形としての演出だった。だが、それが編集の過程で別々に分かれるようになった。それを除いては意図した通りの感情である。
―ベッドシーンというのは女優に焦点が当てられがちだ。でも、毎回聞いてみると、男性俳優にも苦衷がある。今回のように過激なベッドシーンは初めてだと思うが、一番大変だったことは何か?過激なベットシーンに対する心掛けもあっただろう。
イ・ミンギ:女優の感性状態やコンディションが重要になるシーンだ。できるだけ配慮するつもりではあるが、女性の感情は非常に繊細だからだ。むしろ僕は大変で緊張する余力がなかった。この映画でベッドシーンはやり遂げなければならない役割を持っている。その役割を最も効果的に演出する撮影現場を作るためにみんなが慎重に努力した。カメラ、照明、色、俳優の動線などを鮮明に作業しようと努力したと思う。実はそうだったから心配はなかったが、最近は少し心配ができた。刺激的な記事が多いからだ。
―イ・テイムとの呼吸はどうだったのか?
イ・ミンギ:気楽にさせようと努力した。緊張してはいけないからだ。もちろん、それでも緊張するしかなかっただろう。それで、撮影により集中できる環境を作ろうと努力した。これは演技で、仕事だというムードを作ることが、女優として負担が少なくなるだろうと思った。実際の男女の情事のような雰囲気が造成されたら、本当に負担になるだろう。それで、それよりもシーンを作っていく俳優として仕事に取り組めるように環境を作った。
―切ないラブストーリーのベッドシーンを撮る時とは全く違う感じだろう。
イ・ミンギ:そうだ。目的が違うから。
―これまでは女優との共演が多かった。もちろん、今回もイ・テイムとの共演もあるが、実はそれよりもパク・ソンウンとの呼吸がより重要な作品である。簡単に言えば、男性俳優と呼吸を合わせることになったが、女優との共演と違う点があるのか?
イ・ミンギ:人の欲は無限なのが、女性俳優と共演する時は男性俳優と仕事がしたいし、男性俳優と共演する時は女性俳優と仕事がしたい。男性俳優が相手だから良い点は気楽だということだ。何より撮影が終わってからその日の疲れを焼酎で解消できるのが良い。今、2作品連続で男性俳優と共演している。もちろん楽しいが、もし次の作品はどの俳優と共演したいのかと聞かれたら「女優が恋しい」と答えるだろう。相手が男性俳優の時と女性俳優の時との楽しさは本質的に違う。これまで女優と共演してきたので感じていなかったが、今、撮影中である「私の心臓を撃て」をしながらそれを感じている。女優が撮影現場に来たら、雰囲気が完全に変わる。
―映画の中でイ・ミンギとパク・ソンウン、つまりイ・ファンとサンハは似ているような気もするし、違うような気もする。
イ・ミンギ:イ・ファンはある環境やきっかけによって変わる人物ではない。基本的に欲望が強い人がいるし、楽天的な人もいる。そんな性格は生まれつきだが、イ・ファンは強い欲望を持って生まれた人物だ。ある選択の岐路で安全な道とそうじゃない道がある時に後者を選択するのがイ・ファンだ。そのような観点で、イ・ファンにとってサンハは最初は憧れの対象だったが、ある瞬間越えられると考えるようになる。それはサンハが何かをしたからではない。また、サンハとイ・ファンはお互いに違う“皇帝”を夢見るが、サンハは現在の皇帝であるハンドクの後を考えるが、イ・ファンは後を待たずチャンスが来た時にそれを掴もうとする。それは彼が前に進まなければ耐えられない人物だからだ。
―気になったのが、サンハに対するイ・ファンの心だ。最初は憧れて信じられる人として考えているようだったが、後半に行くにつれそれが曖昧になる。裏切りそうに見えたが、結局そうではなかった。
イ・ミンギ:ある意味、二人は父親と息子のような関係だ。普通、父親と息子はあまり親しくないじゃないか。そんな感じの感情だと考えればいいと思う。すごく憧れて認める人だからその後を追うのが正しいだろうが、彼は欲望を制御できない。サンハもきっと過去にイ・ファンと同じような瞬間があっただろう。その時、安全な道を選んだサンハは、過去の自分を思い出しながらイ・ファンに「スプーンを持たせてやる」と話す。二人はとても似ているが、違う選択をして違う時代を生きた人物だと思う。
―最後にサンハとイ・ファンの昔の縁が明らかになる。その意図は分かるが、あえて必要だったかなと思った。(※劇中、サンハはイ・ファンの父親の葬儀場で幼いイ・ファンと会う)
イ・ミンギ:映画自体が野球に例えれば直球だ。変化球を投げることがないが、そのシーンだけがそんな感じがする。僕も最初はそのシーンがあえて必要かなと思ったが、サンハがどうしてイ・ファンのことをそこまで考えるのかに関する、監督の親切さかもしれない。
―アクションシーンにもかなり力を入れたように見える。このようなアクションシーンは初めてだと思う。たくさん殴って、たくさん殴られたが、それについて特別な感想は?
イ・ミンギ:それに対する特別な感想はない。物理的に長い時間がかかるということぐらいかな。感情を表現するシーンは噴き出したら終わりだが、アクションは長い時間をかけなければならない。モーテルのアクションシーンは多くの人数が必要で、かなり長い時間をかけて撮影した。また、ジャクドゥとのアクションシーンも36時間を徹夜で撮影した。その時、人は歩きながら寝れるということを初めて知った。バイトで初めて映画の撮影現場に来たエキストラだったが、よりによってその日に来た。その人が歩きながら寝ていた。そして、そのシーンの後から見えなくなった。
―36時間を徹夜で撮影したら、危険な瞬間もあったと思う。
イ・ミンギ:幸いなのが、ジャクドゥと対戦するシーンでは二人だけ集中すれば大きな事故は出ないということだった。もし、モーテルのアクションシーンで徹夜になったら、怪我した人が出たかもしれない。そんな事故がなくてよかった。
―映画のスタートとともにモーテルのアクションシーンとベッドシーンが重なって登場する。少し驚いたが、何を意図しているのか?
イ・ミンギ:2文字で“欲望”だと思う。「このような映画です」と最初から観客に見せて始まるような感じだ。どうせ説明があまりない映画だが、それでもこの映画の道しるべは必要じゃないか。それで、選んだ方法がそれだと思う。多くの観客が驚いたと聞いた。
―今、「私の心臓を撃て」の撮影中だと聞いた。映画について簡単に紹介してほしい。
イ・ミンギ:純粋な情熱を持った25歳の少年の話だ。今、3分の1ぐらい撮影した。成長映画かもしれないし、大人のためのおとぎ話かもしれない。また、青少年のための道案内のような映画になるかもしれない。暗い面が多い映画でもあるが、とても前向きなエネルギーを使っている。また、夢と希望、自分の人生のために戦うという物語だ。周りでよく見たり聞いたりするような話ではあるが、それをこの映画だけの伝え方で表現している。原作のとても素敵な台詞が台本にはなくて、それを入れようと監督と話し合っている部分もある。そんな話を25歳の青年の立場で見せられるというのが気に入って、意味深く考えている。
―ところで、ヨ・ジングと似ていると思うのか?率直に言って共感できないが。
イ・ミンギ:非常に似ている。まるで失った弟のようだった。実際に見たら、雰囲気が似ている。ジングもそんな話をよく聞いたようだ。
イ・ミンギが鋭くなった。目には殺気がみなぎっている。一人や二人の人間を殺すのは何とも思わない。「その怪物」でも、「皇帝のために」でも同じだ。最近、彼は「TSUNAMI -ツナミ-」「クイック!!」「恋は命がけ」「恋愛の温度」など今までの出演作では見られない強烈さを相次いで吐き出している。可愛い姿で多くの女性の心を虜にした彼が、今回は男性観客の心まで盗むつもりである。それだけ、イ・ミンギは素敵な男になって戻ってきた。
実は「その怪物」で演じた冷たい殺人鬼テスは、観客の共感を買うには少し難しいキャラクターだった。一方、「皇帝のために」のイ・ファンは違う。掴めそうで掴めない欲望の終わりに向かって思いっきり疾走するイ・ファンの姿を通じて、観客は自分自身を振り返って見ることもできる。欲望は誰でも持っている存在だ。そして、その欲望の終わりは虚しい。イ・ファンはその虚しさを知りながらも飛び込む、まるで火を見て飛びかかる蛾のようだ。果たしてイ・ミンギはイ・ファンを通じて人間のどんな欲望を描いたのだろうか。
イ・ミンギ:「その怪物」の撮影中に「皇帝のために」のシナリオをもらったのを覚えている。特に何かに捉われていたというより、作品と縁があったと思う。僕は毎回ジャンルの変化を与えたいと思う方で、「恋愛の温度」以来、スリラージャンルである「その怪物」に出演して、その後ノワールジャンルの出演オファーを受けるようになった。それで、大きな悩みはなかった。
―キャラクターだけ見た時は残酷で強烈な感じが確かに似ている。殺気に満ちた眼差しもそうだし。
イ・ミンギ:大きなカテゴリーで見た時、強烈なキャラクターというのは似ている。でも、具体的に分けると「その怪物」のテスという人物は非人間的な人物だ。ある意味、大きく共感したり、深く没入できない感情を表現する。冷たい感情に近いが、時々爆発的な狂気や殺気が出る人物だ。一方「皇帝のために」のイ・ファンは欲望に満ちていて、その欲望に向かっていく人物だ。だから、感情の表現が違う。また、イ・ファンの表情からは欲望も見えるが、切なさや虚しさなどもある。そんな複合的な感情を人間的に共有、共感できたと思う。
―両キャラクターとも目に殺気がみなぎっている。短い時期に2作品連続でそんな作品に出演したからか、以前と違ってイ・ミンギという俳優が少し怖く感じられた。
イ・ミンギ:そんなことを考えたことはない。もし、違う作品でもそんな姿が映ったら問題だが、そうじゃないならあまり気にしない。普段、僕が刀を持って歩いているわけでもないし(笑)
―可愛い魅力に飽きたのかなとも思った。
イ・ミンギ:もちろん、変化はずっと続けたかった。でも、キャラクター自体は変化できることが多くない。それで、ジャンルの変化にこだわっている。そうしているうちに突然、変化の幅が大きな作品に出演するようになった。例えば「恋愛の温度」に出演した後、冷たい刑事のようなキャラクターを演じてから「その怪物」に出演したら変化の幅が小さかっただろうが、銀行員から突然殺人鬼に変身したからその幅が大きく感じられたようだ。でも、それで良かった面も多い。作品により没入できた。他の俳優もそうだろうが、似たような作品に連続で出演することは非常に大変だ。変化を続けるというのは良いことだ。
―フィルモグラフィーを見ると、年齢に比べて出演作品がかなり多い。
イ・ミンギ:20代の半ばまでは本当に休まずに仕事を続けた。でも、映画に出演してからはそれでも余裕がある方だ。映画の作業はキャスティングされたからといってすぐに撮影に入るわけではないからだ。だから、むしろ僕自身の呼吸は遅くなった。もちろん、同じ年の俳優より出演作品が多いとは思う。出演オファーを受けた時、作品を選ぶ基準が他の俳優より緩いからでもある。一応、変化に対して上手くできるかどうか心配はするが、恐れたりはしない。俳優を仕事として選んだ以上、変化し続ければならないからだ。それが僕のカラーのような気もする。
―出演作品を選ぶ基準が他の俳優より緩いと話したが、それでは作品を選ぶ時、一番重要に思うのは?
イ・ミンギ:多少主観的ではあるが、まず良いシナリオを優先する。そして、監督や制作会社が良い人であるのも重要だ。映画は一人で作るものではないから、良い人と一緒にやることが重要だ。それから、新しいものがいいと思う。
―今回の作品はそんな条件にぴったり合って選んだのか?
イ・ミンギ:すべてがぴったり合う作品はないと思う。それでも、前向きな部分が非常に多かった。話がよく合う人と作業できたし、ノワールではあるがその中に違う要素も多く、スタイリッシュな面もある作品だ。それで完成した時、新しい部分がある、あまり見たことのない映画になるだろうという気がした。
―今回、イ・ファンというキャラクターを演じた。幼い頃、父親が亡くなったとはいえ、野球選手として活躍していた人物である。また負傷したとはいえ、勝負の操作を完璧にするほど、依然として実力が錆びていなかった。それでは、イ・ファンは果たしていつから人生が狂い始めたと思うのか?
イ・ミンギ:イ・ファンは生まれた時からひねくれた人物だ。2軍にいたが、1軍に入りたくて違法なゲームをやってでも1軍に入る。目的が何であれ、常にそんな選択をする人物だ。だが、実はシナリオの草稿ではそんな人物ではなかった。草稿はノワールジャンルに規格化された感じだった。野球だけが人生の目標だった人物が避けられない理由で違法なゲームに巻き込まれて、結局は野球ができなくなって暴力の世界に入るような典型的なストーリーだった。それで、究極的に話したいことがが強い欲望に関するものなら、最初からひねくれた人物として描いた方がいいという話をした。そうすれば、同じノワールの構造だが、違う感情を見せられると思った。
―イ・ファンとチャ・ヨンス(イ・テイム)も妙な関係である。二人は一目惚れしたように見えるも、それが切ない愛のようには見えなかった。後半に行くにつれ、二人の感情はますます愛なのかどうかよく分からなくなる。
イ・ミンギ:それは意図したことだった。二人の感情を“愛”と定めたくなかった。ノワールにはジャンルの公式のような恋愛模様がある。一人の女性と恋をして結局、破局に至るようになるようなことだ。だが、そんなありきたりの設定はやめようとした。また、編集の過程でカットされたシーンもあるが、実は二人の初対面は橋の上だった。とにかく、初対面は一目惚れの愛だと自然に考えるようになるが、だんだんその感情が曖昧に見える。たぶんイ・ファンはそれが愛だとしても、愛として理解していなかっただろう。女性も自分が所有すべき部分だと考えたと思う。それはヨンスも同じだ。愛という感情はお互いの人生に似合わないものだからだ。イ・ファンはヨンスを戻すために彼女のところに行くが、ただ見つめて帰ってくるのは結果を知っているからである。欲望の終わりは虚しいということを予想している状況で、ヨンスとは昔に戻れないということを彼は知っている。もし二人のうち一人でも治癒されるなら再び会うだろうが、二人ともそうじゃないから。
―観客は二人の関係がなかなか理解できないと思う。
イ・ミンギ:明確に見せていないからだろう。二人の関係が欲望か愛なのかをはっきり表現していない。この作品は結局、虚しさに関して話していて、イ・ファンとヨンスの関係もそのような結末を与えたかったと思う。二人は欲望か愛なのか分からない感情を熱く交わしたが、またそれも実体がない感じである。
―ベッドシーンが2回出るが、それぞれの感じが違う。それも先ほど話したような観点で見るべきなのか?
イ・ミンギ:そうだ。劇の流れ上、感情を壊すベッドシーンになってはいけなかったし、流れと別として見る視線ができてもダメだった。本来はイ・ファンとヨンスが2回目のベッドシーンを演出する時、ハンドク(キム・ジョング)とサンハ(パク・ソンウン)はジャクドゥ(チョン・フンチェ)の連中にやられているシーンを交差編集する予定だった。一方では戦いを、また一方では戦いのような欲望を噴出する形としての演出だった。だが、それが編集の過程で別々に分かれるようになった。それを除いては意図した通りの感情である。
―ベッドシーンというのは女優に焦点が当てられがちだ。でも、毎回聞いてみると、男性俳優にも苦衷がある。今回のように過激なベッドシーンは初めてだと思うが、一番大変だったことは何か?過激なベットシーンに対する心掛けもあっただろう。
イ・ミンギ:女優の感性状態やコンディションが重要になるシーンだ。できるだけ配慮するつもりではあるが、女性の感情は非常に繊細だからだ。むしろ僕は大変で緊張する余力がなかった。この映画でベッドシーンはやり遂げなければならない役割を持っている。その役割を最も効果的に演出する撮影現場を作るためにみんなが慎重に努力した。カメラ、照明、色、俳優の動線などを鮮明に作業しようと努力したと思う。実はそうだったから心配はなかったが、最近は少し心配ができた。刺激的な記事が多いからだ。
―イ・テイムとの呼吸はどうだったのか?
イ・ミンギ:気楽にさせようと努力した。緊張してはいけないからだ。もちろん、それでも緊張するしかなかっただろう。それで、撮影により集中できる環境を作ろうと努力した。これは演技で、仕事だというムードを作ることが、女優として負担が少なくなるだろうと思った。実際の男女の情事のような雰囲気が造成されたら、本当に負担になるだろう。それで、それよりもシーンを作っていく俳優として仕事に取り組めるように環境を作った。
―切ないラブストーリーのベッドシーンを撮る時とは全く違う感じだろう。
イ・ミンギ:そうだ。目的が違うから。
―これまでは女優との共演が多かった。もちろん、今回もイ・テイムとの共演もあるが、実はそれよりもパク・ソンウンとの呼吸がより重要な作品である。簡単に言えば、男性俳優と呼吸を合わせることになったが、女優との共演と違う点があるのか?
イ・ミンギ:人の欲は無限なのが、女性俳優と共演する時は男性俳優と仕事がしたいし、男性俳優と共演する時は女性俳優と仕事がしたい。男性俳優が相手だから良い点は気楽だということだ。何より撮影が終わってからその日の疲れを焼酎で解消できるのが良い。今、2作品連続で男性俳優と共演している。もちろん楽しいが、もし次の作品はどの俳優と共演したいのかと聞かれたら「女優が恋しい」と答えるだろう。相手が男性俳優の時と女性俳優の時との楽しさは本質的に違う。これまで女優と共演してきたので感じていなかったが、今、撮影中である「私の心臓を撃て」をしながらそれを感じている。女優が撮影現場に来たら、雰囲気が完全に変わる。
―映画の中でイ・ミンギとパク・ソンウン、つまりイ・ファンとサンハは似ているような気もするし、違うような気もする。
イ・ミンギ:イ・ファンはある環境やきっかけによって変わる人物ではない。基本的に欲望が強い人がいるし、楽天的な人もいる。そんな性格は生まれつきだが、イ・ファンは強い欲望を持って生まれた人物だ。ある選択の岐路で安全な道とそうじゃない道がある時に後者を選択するのがイ・ファンだ。そのような観点で、イ・ファンにとってサンハは最初は憧れの対象だったが、ある瞬間越えられると考えるようになる。それはサンハが何かをしたからではない。また、サンハとイ・ファンはお互いに違う“皇帝”を夢見るが、サンハは現在の皇帝であるハンドクの後を考えるが、イ・ファンは後を待たずチャンスが来た時にそれを掴もうとする。それは彼が前に進まなければ耐えられない人物だからだ。
―気になったのが、サンハに対するイ・ファンの心だ。最初は憧れて信じられる人として考えているようだったが、後半に行くにつれそれが曖昧になる。裏切りそうに見えたが、結局そうではなかった。
イ・ミンギ:ある意味、二人は父親と息子のような関係だ。普通、父親と息子はあまり親しくないじゃないか。そんな感じの感情だと考えればいいと思う。すごく憧れて認める人だからその後を追うのが正しいだろうが、彼は欲望を制御できない。サンハもきっと過去にイ・ファンと同じような瞬間があっただろう。その時、安全な道を選んだサンハは、過去の自分を思い出しながらイ・ファンに「スプーンを持たせてやる」と話す。二人はとても似ているが、違う選択をして違う時代を生きた人物だと思う。
―最後にサンハとイ・ファンの昔の縁が明らかになる。その意図は分かるが、あえて必要だったかなと思った。(※劇中、サンハはイ・ファンの父親の葬儀場で幼いイ・ファンと会う)
イ・ミンギ:映画自体が野球に例えれば直球だ。変化球を投げることがないが、そのシーンだけがそんな感じがする。僕も最初はそのシーンがあえて必要かなと思ったが、サンハがどうしてイ・ファンのことをそこまで考えるのかに関する、監督の親切さかもしれない。
―アクションシーンにもかなり力を入れたように見える。このようなアクションシーンは初めてだと思う。たくさん殴って、たくさん殴られたが、それについて特別な感想は?
イ・ミンギ:それに対する特別な感想はない。物理的に長い時間がかかるということぐらいかな。感情を表現するシーンは噴き出したら終わりだが、アクションは長い時間をかけなければならない。モーテルのアクションシーンは多くの人数が必要で、かなり長い時間をかけて撮影した。また、ジャクドゥとのアクションシーンも36時間を徹夜で撮影した。その時、人は歩きながら寝れるということを初めて知った。バイトで初めて映画の撮影現場に来たエキストラだったが、よりによってその日に来た。その人が歩きながら寝ていた。そして、そのシーンの後から見えなくなった。
―36時間を徹夜で撮影したら、危険な瞬間もあったと思う。
イ・ミンギ:幸いなのが、ジャクドゥと対戦するシーンでは二人だけ集中すれば大きな事故は出ないということだった。もし、モーテルのアクションシーンで徹夜になったら、怪我した人が出たかもしれない。そんな事故がなくてよかった。
―映画のスタートとともにモーテルのアクションシーンとベッドシーンが重なって登場する。少し驚いたが、何を意図しているのか?
イ・ミンギ:2文字で“欲望”だと思う。「このような映画です」と最初から観客に見せて始まるような感じだ。どうせ説明があまりない映画だが、それでもこの映画の道しるべは必要じゃないか。それで、選んだ方法がそれだと思う。多くの観客が驚いたと聞いた。
―今、「私の心臓を撃て」の撮影中だと聞いた。映画について簡単に紹介してほしい。
イ・ミンギ:純粋な情熱を持った25歳の少年の話だ。今、3分の1ぐらい撮影した。成長映画かもしれないし、大人のためのおとぎ話かもしれない。また、青少年のための道案内のような映画になるかもしれない。暗い面が多い映画でもあるが、とても前向きなエネルギーを使っている。また、夢と希望、自分の人生のために戦うという物語だ。周りでよく見たり聞いたりするような話ではあるが、それをこの映画だけの伝え方で表現している。原作のとても素敵な台詞が台本にはなくて、それを入れようと監督と話し合っている部分もある。そんな話を25歳の青年の立場で見せられるというのが気に入って、意味深く考えている。
―ところで、ヨ・ジングと似ていると思うのか?率直に言って共感できないが。
イ・ミンギ:非常に似ている。まるで失った弟のようだった。実際に見たら、雰囲気が似ている。ジングもそんな話をよく聞いたようだ。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- ファン・ソンウン、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン
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