チ・ヒョンジュン「演技をするようになってから人生がうまく進んでいる」
キャラクターから俳優の年輪が見えるときがある。劇的なストーリーよりも些細な日常を淡々と描き出した作品であるほど、一層それが見えてくる。演劇「6週間のダンスレッスン」(以下「ダンスレッスン」)でマイケル役を務めたチ・ヒョンジュンのことが気になるのはそのためだ。自分より40歳年上の黄昏の女性に社交ダンスを教えるマイケルは、冗談を言いながらも、いつの間にか彼女のそばに座って彼女の話に耳を傾け、傷ついた彼女の手を握る。気持ち悪いというよりは優しくて、鋭敏というよりは繊細な男性である。
チ・ヒョンジュンが同性愛者の真似をする代わりに、心より彼らの話を聞いて、しっかりと舞台の上で彼らを描いた瞬間、“あなたはここに確実に存在しています”という台詞は、マイケルとリリー(コ・ドゥシム)、そして観客に向けた慰めの手紙として戻って来る。ミュージカル「Moby Dick」で共演したユンハンは、チ・ヒョンジュンを“木のような人”だと話した。チ・ヒョンジュンと過ごした1時間は木の年輪を探しに出た旅であり、力強い笑いとともに返ってきた返事は、重みがあって心に残っている。
チ・ヒョンジュン:以前、ブレヒト(ドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒト)作品に出演したことがあって、“存在するものは存在しないときに存在する”という台詞を聞いて一番最初に母のことを思い出した。初めて「ダンスレッスン」の台本を見たときも、そのような母の後ろ姿を語った話をできたら良いなと思った。男女ではなく、人間対人間としてのコミュニケーションが重要であったため、一般の男性よりは同性愛者が作品にとっては確実にプラス要素であって、母の話から始まったけど、公演をすればするほど同性愛者のまた違う面をたくさん考えるようになった。
「コ・ドゥシムさんとはお互いに悪口を言うほど遠慮しない間柄」
―このごろは多様化したが、今までは同性愛者を色眼鏡で見た視点で扱っていた。マイケルというキャラクターを親しみやすく、同性愛者として極端に表現し過ぎてはいないとして好評を得ている。チ・ヒョンジュン:定型化された表現をそのまま取り出して使おうとしたら、食傷気味で、それに対する拒否反応があるのも事実だった。だからといって使わないのも、明らかに観客たちはその部分をを期待しているし、また、そのような繊細さが実際の彼らの特別さを表わしてくれる部分でもあった。本当にアイロニカルだ。偶然に同性愛者の方たちと過ごす機会があったけど、遠くから見たときは「これは……」と思っていた部分が、実際にその中に入って話を聞いてみたら、そうではなかった。たくさんの人々に、彼らの話に耳を傾けてほしくて「真似するのはやめよう」と思った。境界線を少しだけ越えても、観客の雰囲気がはっきり変わるので、簡単なことではなく、感覚が常に生きていなければならない。
―同性愛者のステレオタイプから外れた凹凸のある外見も、偏見を覆すまた違う軸のような気がした。
チ・ヒョンジュン:10年前、Street Theatre Troupe(ヨンヒ団:韓国の劇団)に初めて入団したとき、イ・ユンテクさんから「君は本当にギリシャ人のような顔をしているね」と言われた。ワハハハハ。「ダンスレッスン」が中年層の女性の話だったから、演出家の先生と“もし息子が同性愛者だったら”ということについて考えてみた。こんなに男の中の男のような顔をしている人が同性愛者だという事実を明かされたとき、親の立場である観客は、どんなことを考えるだろうか、そんな部分に触れることができると思う。
―劇的な事件があるわけではないので、多少地味に感じるかもしれない作品だ。その点については心配にならなかったのか。
チ・ヒョンジュン:実は外国人の名前を呼びながら外国の冗談を言っているので、私たちとはかけ離れた母の物語になるかもしれないと思った。セットもソファー1つ、冷蔵庫1つだった。それに、僕は今まで想像や古典のようなテキストの奥にとてつもないバックグラウンドがあることが好きだったし、それでこそ思う存分飛び回ることができた。ライトなブロードウェイの演劇と日常的な面をどのように韓国語でうまく表現すれば良いのか、たくさん悩んだ。それでも観客は常にそばにいてくれたけど、先入観を持っている人たちの問題を考えてみてほしかった。僕は演技とは、すれ違う日常を一度立ち止まって考えらせるものだと思っていた。幸い観客たちがありのままを受け入れてくれた。公演をすればするほど小さいことから力を感じる。実際、中年層の観客が多いけど、一緒に来ている30~40代の娘さんたちが、最初は母にまつわる物語だと思って観にきたけど、母として生きている女性にまつわる演劇だと言ってくれるので本当に嬉しい。
―斗山(トゥサン)アートセンターのヨンガンホールは2人劇をするには結構大きな劇場であり、相手女優はコ・ドゥシムだ。臆することなく対抗することは、簡単ではないと思う。
チ・ヒョンジュン:最初はコ・ドゥシムさんと演出家の先生、そして僕の3人しかいなかったのでとても寂しかった。練習室は大きいのに人がいない(笑) 実は、お世辞をいったり、おだて上げることが、韓国で生き残る方法の1つだけど、僕はその点ではダメだったので、心配だった。ワハハハハ。だけど今はコ・ドゥシムさんと悪口を言い合うほど遠慮しない間柄だ。本当に嬉しいことだ。いつも僕のキムパブ(韓国式海苔巻き)まで準備してくださる。リハーサルのときを除けば、コ・ドゥシムさんが指導してくれることもなかった。どんなに指摘したいことが多かっただろうと思う。でも僕のことを信じて待ってくれた。また、毎日踊らなければならなかったので、より気楽な関係になれたし、そのような2人の良い関係が舞台でもよく表れたようだ。
―ダンスを通じてお互いの傷を慰め合うという点が本当に不思議だった。
チ・ヒョンジュン:体を使うのが好きで現代舞踊団でダンスを習った。今までは1人で踊ったり、ダンスと言っても自分を表現するものが多かった。でも今回の作品をしながら社交ダンスに対してものすごい魅力を感じた。6種類のダンスすべてを誰が始めたのか分からないまま進行する瞬間があるけど、そのときの喜びは本当に刺激的だ。死んでも2人は離れてはいけないから、自分のことだけに固執してもダメだし、相手のことを分かってこそ上手にリードできる。スキンシップがとても重要だと思う。
「周りのことに関心を持ち、だんだんと耳を傾けるようになった」
―マイケルとリリーは喧嘩しながら仲良くなるタイプだが、実際はどうなのか。チ・ヒョンジュン:そのときそのときの状況によって違うと思うけど、このごろは口数が少なくなった。以前は、状況を変えて、新たに何かをすることが好きだったけど、今は待つことが好きになった。こんな顔をしてるし、頑固だったから、人前に出ることが多かった。だけど、深く考えると、話すことより、聞いてあげる瞬間がより重要だということを知るようになった。
―どんなきっかけがあったのか?
チ・ヒョンジュン:1つはStreet Theatre Troupeでイ・ユンテクさんに出会って色んなことが崩れ落ちたということ。今まで誰にもバレずに頭だけでよく生きてきたなと思った。この人にはこれくらい、あの人にはあれくらいと自分の中ですべてがコントロールできると勘違いしていた。違うと思えば、直接対抗するタイプだったけど、いくら対抗してもイ・ユンテクさんはびくともせず、いつも叱られた(笑) もともと徹底的に準備してたくさん見せるタイプだったけど、演技を始めたときは、そうすることはできなかった。下手なことも、嫌いなこともすべて見せなければならなかった。それに、初めての作品が「カモメ」で、その次が「ハムレット」だった。それで密陽(ミリャン)で公演していたときは、胃けいれんでいつも病院に行っていた。漢方医師からは性格を直したほうが良いと説教されたし。ワハハハ。演技を始めてから、人生がうまく進んでいるようだ。
―大学ではドキュメンタリーの演出を専攻し、除隊後には演技に関心を持つようになったと聞いたが。
チ・ヒョンジュン:演技専攻の友達から手を貸してくれと頼まれたときに、演技をしてみたことはあるけど、真剣に演技に対する夢があったわけではなかった。母は僕が外交官や裁判官になることを願っていて、厳しい環境の中で僕に期待していたことを裏切りたくなかったので、表に出さず境界線の中で生きてきた。そうするうちに突然50~60歳になったとき、何をすれば面白いかと考えていたら、ふと演技を思い出した。無謀だったかもしれない。インターネットカフェで、ゲームのひと勝負が終わったところで(笑) ちょうどそのときイ・ユンテクさんのことを思い出して、ヨンヒ団に電話した。「ワークショップがあるから来い」と言われて行った(笑) 今は両親も喜んでいる。コ・ドゥシムさんと一緒に芝居をすると言ったので、僕が大物になったと思っている。ワハハハ。
―俳優という職業は激しく求めても耐え難いことがたくさんあるが、何があなたを支えてくれたのか。
チ・ヒョンジュン:俳優になってからは、今この道が自分の行く道なのかと疑ったことはあまりなかった。無名だったときも悩まなかった(笑) その瞬間、常に僕の名前はあったから。傲慢と自尊心でぎっしり埋まっていた僕が、僕以上の意欲を持つイ・ユンテクさんに出会ったのも、先輩側から見ても立派な演技ができると言ってくれた先輩たちにも感謝している。そして7年前から教会に通い始めた。恋人に悪いことをしたときがあって、朝のお祈りに40日間通えば許してくれると言われたので、OKした(笑) 教会の前でタバコ吸っていた僕がこんなことになるとは思わなかった。
―他意で始めたことだが、たくさんの影響を受けたようだ。
チ・ヒョンジュン:僕が持っているものを誇りに思ったり、自分だけにとって面白いことには限界がくる。どんなものが本物なのか興味を持つようになった。ある日、僕が悩んでいたことが、ただ僕の中でジタバタしているんだなと思った。どうせ演技というものも、僕ではなく、キャラクターの話で、会う人も僕ではない他の人だ。そのように周りに関心を持つようになって、だんだん耳を傾けるようになり、その人が1人でやり遂げるまで待てるようになった。本当に頑固だったのに。新しいことは外から来る。あれこれ色んなことをやってみると、僕が何かをこうしたいと計画を立てるより、自分に合わない服でも、他人がくれる服を着てみると、こんなものもあるんだなと思うときがある。常にそのように一つずつ学んでいるようだ。
―昨年はSBS「奇跡のオーディション」に出演していた。演技というものは客観的な評価を下せる分野でもなく、現役で活動している人がオーディションに参加するということは、本当は想像できない部分でもある。
チ・ヒョンジュン:僕の人生の中で2番目のターニングポイントだったと言える。10年間信じてきた演技がめちゃくちゃになったときだから。何なのかは分かるけど、その過程が本当に大変だった。「君が望んでいる演技を小学校6年生の子供が見たら、それを理解することができると思うのか?」と言われたことがある。そのとき、僕は誰のために演技をしているのか考えるようになった。その子供も僕の観客になる可能性があるのに、また自分のことだけを考えていたなと思った。演劇は毎回やることだから、常にまったく同じとは言えない。だからコンディションがあまり良くない日でも、一番正直に表現したときと同じ状態のテクニックを覚えておく義務があった。そのような自分なりのルールを崩す過程であって、はるかに正直な自分を出さなければならないことが分かった。
―いつの間にか演劇とテレビでの演技を区別してきたようだ。
チ・ヒョンジュン:今まで「お前たちは演劇のことがよく分かっていない」と考えたことがあった。僕が観客の方に降りて行くよりは、僕の演技を見て観客たちが舞台に上がってこなければならない、そんな考え方をしていた。「奇跡のオーディション」に参加して、自分が愚かしいと思った。観客がどうして僕に合わせなければならないんだ? 行き来できる柔軟さが必要だと思った。何気ない日常を表現する俳優として、それは本当に必要なことだと思うようになった。僕が10年間学んできた良い演技をどんな方法で披露すれば良いのかも分かった。十分な経験はないが、どこから始めれば良いのかは、何となく分かってきた。
「疲れ果てず、常に新しくならなければならない」
―「Moby Dick」ではヴァイオリンを演奏して、今回は踊る。演技の力になる色んな才能があるが、才能と言うよりは途方もない努力で作り出した結果だと思う。チ・ヒョンジュン:素質がないから、あれこれ死ぬほど頑張った(笑) イケメンの人は10秒人前に出ただけで注目を浴びるけど、僕は3時間舞台で走って寝転んで、血を吐くほど台詞を言う。それでやっとカーテンコールのときに「あ、あんな人いたんだ」と言ってもらえる。ワハハハハ。でも、僕にはそれが本当に公平のように思える(笑) 最近は歌を習っている。一番遅く始めたので、さぼりたいし、やめたいときもあるけど、今まで歌うときに気になっていた点があって、俳優として最後に自由になれる部分のようだ。
―今まで積み重ねてきたものを、より多くの人に見せることができ、満足していると思う。
チ・ヒョンジュン:この演劇もそうだ。テレビに出演したからキャスティングされたと思われるかもしれないけど、違う。以前一緒に苦労しながら企画した仲間や小さな記事を書いてくれた記者の方たちが10年が経った今、ある程度高い地位にいらっしゃる。その彼らが、僕のことを推薦してくれたのだ。だからそれがとても嬉しい。今まで芝居してきた経験の中で得たことだから。
―だが、いつになるか分からない日のために、目に見えない努力を続けるということは簡単ではないと思う。
チ・ヒョンジュン:目に見えないことをする人が学ぶことができ、舞台の上で見えない裏の人生が重要なのが俳優だと思うのでより大変だ。それを理解するようになって、お酒とタバコも止めて、何を楽しみに生きて行けばいいのか(笑) 今はそれが見えないけど、何年か経つと見えると思う。ただ面白そうだという好奇心だけで前進しているけど、そこまでに至るには息が切れてしまう。つまらない人生だけど、それが日常で、今までしてきたことが、一つずつ見えるようになったけど、またその中に入らなくてはならないということを頭の片隅で考えている。
―観客に立ち止まって自分のことを見て欲しいと言っていたが、舞台の上の俳優としてもそれを感じているのか。
チ・ヒョンジュン:2人劇も、同性愛者の役も、日常演技もすべて初めてだった。「ダンスレッスン」の公演をしながら「俳優として生きていくということは、常に古いものを捨てて、新しいことを始めることなんだ」と思った。毎回観客は変わり、昨日と同じ動作をしようとしてもまったく同じ動作をすることはできない。自分が演じているマイケルとしてだけでなく、俳優チ・ヒョンジュンとしても舞台に上がるという意識でいると、確実に舞台で効果がある。だから頑張って生きようとジタバタしているのだ。そうでなければ、すぐ崩れたかもしれない(笑) どのように生きてきたのかが演技に出るときがある。ヨンヒ団に入団したとき、イ・ユンテクさんが「お前はこれだからダメなんだ。どのように生きてきたのか全部見えるよ」と言っていましたが、そのときはそれが本当に恥ずかしいと思った。俳優として生きる人生は本当に怖い。まだまだ僕にはやらなければならないことが多い。
―今後やらなければならないことは何なのか。
チ・ヒョンジュン:今のようにずっと生きること。最初は新しいことを始めるということが面白かったけど、今はそれを続けて持続しなければならない段階だ。だが、それがどんなに恐ろしく、エネルギーが必要なのか分かっているから泣きながらもやっている(笑) 疲れ果てず常に新しくならなければならない。だから常に不快なところに自分を連れて行く。ヴァイオリンも控室に置いて必ずケースの蓋を開けておく。弾こうかどうか悩むけど、結局はやらない(笑)
―最後に些細な質問を一つ。スカーフを巻いた写真がとりわけ多かったが、チ・ヒョンジュンにとってスカーフとは(笑)
チ・ヒョンジュン:あああ、どうして分かったんだろう。お金がない演劇俳優がある程度カッコいい雰囲気を出せる最高のファッションアイテムかな? ワハハハハハ。だから衣装よりスカーフにお金をかけることが多い。スカーフだけ巻いても素敵だし、何だか芸術家のような感じもするから(笑) 「暑いのになんで巻いてるの?」と聞かれても、実はオシャレのためにやったけど、首もとがちょっと寂しいから、と言い訳できるからかな? ワハハハハ。
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- チャン・ギョンジン、写真 : チェ・ギウォン、翻訳 : チェ・ユンジョン
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