「その怪物」ファン・インホ監督“白と黒が出会った時に爆発するエネルギーを見たかった”
映画「その怪物」は、殺人鬼と狂った女の対決を扱った作品だ。映画「恋は命がけ」を演出したファン・インホ監督の新作「その怪物」は、世の中で最も強い殺人魔テスと法の保護すら受けることができないほど世間ずれしたボクスンの対決を描く。
確かに興味深い構成である。追いつ追われつのスリラーではなく、お互いがお互いを殺すために追う。同等な人物たちの対決でなく、弱者と強者の対決を前面に押し出した。血も涙もない冷酷な殺人鬼であるテスと、そんな殺人鬼を追うボクスンは、生き残るためではなく相手を殺すための対決を繰り広げる。
「その怪物」がマスコミ試写会を通じて公開された後、反応は分かれた。良し悪しではなく、なじみ薄さと新しさから来る好みの違いだった。ファン・インホの監督もこのような反応を予想したという。
「正直言って、好き嫌いが分かれることは予想していた。予想をしなかったのではないが、思った以上にひどかった。既存のスリラージャンルに対する認識が根強く残っている状態なので、さらにそう感じるようだ」
「その怪物」の中には、追撃というコードのほかにも、家族というコードが隠されている。テスとボクスンの対決を追ってみると、ある瞬間に家族の愛情に飢えている二人の人物を垣間見ることができる。人物たちの感情の動きは、スリラー映画ではあまり見られない構造だ。このような理由で、ストーリーが貧弱だという評価も出た。
「ストーリーが貧弱だという声はあった。一般的に考えるストーリーではないから、そんな風に感じることがある。主人公がある事柄を経験して目標を定め、やっとのことで一歩一歩近付いて実現する。これは一般的なストーリーだ。しかし、『その怪物』の中には、二人の人物の話がある。カラーが全く異なる二人の人物がお互いを殺さなければならない状況で、最後の爆発を見てみたかった」
先にも述べたように、「その怪物」は弱者と強者の対決だ。二人のうち一人が死ぬとすれば、当然弱者が死ぬことになるだろう。無欠点に近いテスとやや知能が低く妹のことしか考えていないボクスンの対決は、誰が見ても予想できそうだった。ファン・インホ監督は、スクリーンの外で二人の対決を見ただけだった。劇に介入して、ボクスンを手伝ってやることもテスの無欠点に欠点を加えることもしなかった。
「この作品は、一発勝負に向けて感情を積み重ねていくのだ。テスとボクスンの対決は問題が多い。映画『チェイサー』のようなスリラーにおける同等な立場の対決ではない。誰が見ても一方は強者で、もう一方は弱い存在である。だからと言って、私が介入したくなかった。ボクスンを助けたくても、無欠点のテスを壊したいとは思わなかった。最後に向けて一発の銃弾を残す、そのような感じで撮影した」
スリラー映画で出会うことがなかなか難しそうなキャラクターのテスとボクスン。この二人はどのように誕生し、「その怪物」で出会うことになったのだろうか。ファン・インホ監督は「二人を一つの部屋に閉じ込めてみたかった」と述べた。
「ボクスンは白紙だと考え、テスは完全な黒だと考えた。常識的にボクスンがテスを殺すことは出来ないが、同じ部屋に閉じ込めたとき、お互いがお互いを殺さなければならなかった時、どんなエネルギーが爆発するのだろうかということを考えた。ボクスンは妙なキャラクターだ。警察の助けを受けることできないほど世間ずれした人物だが、復讐をしようとする知能が必要だった。これまでに作られたことのないキャラクターを築き上げていくのが楽しかったし、この映画が目指すのがまさにそれだ」
ファン・インホ監督の経歴を見ると、「その怪物」が独特な映画でもなかった。今までとまったく異なるスリラーであることは明らかだが、ファン・インホ監督のフィルモグラフィーを見ると、無難な部類の映画だった。最も驚いた作品は、脚本を書いた「シシリー2km」と監督デビュー作の「恋は命がけ」だ。「シシリー2km」はホラーとコミカルを融合させ、「恋は命がけ」はホラーにロマンスを加えた。
「何かに似ているという言葉が一番聞きたくない。一本の映画を作るために、シナリオの作業から5年かけて準備している。人生の5年を投資した作品なのに、何かに似ていると言われると、5年という時間が無意味になってしまう。テスとボクスンが既存のキャラクターとは違って見えるよう努力した。独創的に作るのではなく、一度も見たことのない二人の人物を作りたかった」
確かに興味深い構成である。追いつ追われつのスリラーではなく、お互いがお互いを殺すために追う。同等な人物たちの対決でなく、弱者と強者の対決を前面に押し出した。血も涙もない冷酷な殺人鬼であるテスと、そんな殺人鬼を追うボクスンは、生き残るためではなく相手を殺すための対決を繰り広げる。
「その怪物」がマスコミ試写会を通じて公開された後、反応は分かれた。良し悪しではなく、なじみ薄さと新しさから来る好みの違いだった。ファン・インホの監督もこのような反応を予想したという。
「正直言って、好き嫌いが分かれることは予想していた。予想をしなかったのではないが、思った以上にひどかった。既存のスリラージャンルに対する認識が根強く残っている状態なので、さらにそう感じるようだ」
「その怪物」の中には、追撃というコードのほかにも、家族というコードが隠されている。テスとボクスンの対決を追ってみると、ある瞬間に家族の愛情に飢えている二人の人物を垣間見ることができる。人物たちの感情の動きは、スリラー映画ではあまり見られない構造だ。このような理由で、ストーリーが貧弱だという評価も出た。
「ストーリーが貧弱だという声はあった。一般的に考えるストーリーではないから、そんな風に感じることがある。主人公がある事柄を経験して目標を定め、やっとのことで一歩一歩近付いて実現する。これは一般的なストーリーだ。しかし、『その怪物』の中には、二人の人物の話がある。カラーが全く異なる二人の人物がお互いを殺さなければならない状況で、最後の爆発を見てみたかった」
先にも述べたように、「その怪物」は弱者と強者の対決だ。二人のうち一人が死ぬとすれば、当然弱者が死ぬことになるだろう。無欠点に近いテスとやや知能が低く妹のことしか考えていないボクスンの対決は、誰が見ても予想できそうだった。ファン・インホ監督は、スクリーンの外で二人の対決を見ただけだった。劇に介入して、ボクスンを手伝ってやることもテスの無欠点に欠点を加えることもしなかった。
「この作品は、一発勝負に向けて感情を積み重ねていくのだ。テスとボクスンの対決は問題が多い。映画『チェイサー』のようなスリラーにおける同等な立場の対決ではない。誰が見ても一方は強者で、もう一方は弱い存在である。だからと言って、私が介入したくなかった。ボクスンを助けたくても、無欠点のテスを壊したいとは思わなかった。最後に向けて一発の銃弾を残す、そのような感じで撮影した」
スリラー映画で出会うことがなかなか難しそうなキャラクターのテスとボクスン。この二人はどのように誕生し、「その怪物」で出会うことになったのだろうか。ファン・インホ監督は「二人を一つの部屋に閉じ込めてみたかった」と述べた。
「ボクスンは白紙だと考え、テスは完全な黒だと考えた。常識的にボクスンがテスを殺すことは出来ないが、同じ部屋に閉じ込めたとき、お互いがお互いを殺さなければならなかった時、どんなエネルギーが爆発するのだろうかということを考えた。ボクスンは妙なキャラクターだ。警察の助けを受けることできないほど世間ずれした人物だが、復讐をしようとする知能が必要だった。これまでに作られたことのないキャラクターを築き上げていくのが楽しかったし、この映画が目指すのがまさにそれだ」
ファン・インホ監督の経歴を見ると、「その怪物」が独特な映画でもなかった。今までとまったく異なるスリラーであることは明らかだが、ファン・インホ監督のフィルモグラフィーを見ると、無難な部類の映画だった。最も驚いた作品は、脚本を書いた「シシリー2km」と監督デビュー作の「恋は命がけ」だ。「シシリー2km」はホラーとコミカルを融合させ、「恋は命がけ」はホラーにロマンスを加えた。
「何かに似ているという言葉が一番聞きたくない。一本の映画を作るために、シナリオの作業から5年かけて準備している。人生の5年を投資した作品なのに、何かに似ていると言われると、5年という時間が無意味になってしまう。テスとボクスンが既存のキャラクターとは違って見えるよう努力した。独創的に作るのではなく、一度も見たことのない二人の人物を作りたかった」
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- イ・ウンジ、写真 : ソン・イルソプ
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