「フィッシュマンの涙」イ・チョニ、進化を繰り返す俳優“自分の演技を見て鳥肌が立った”
遺伝物質を複製する過程で偶然発生したり、放射線や科学物質などのような外部の要因によって発生する変異を私たちはフィッシュマンの涙と呼ぶ。平凡ではない独特さ。私たちとは異なる特別な存在が登場した時、人々は驚いて不思議に見たり、一方では軽蔑したりする。だが、果たして彼らは本当にフィッシュマンの涙なのだろうか。もしかしたら不思議に思ったり、軽蔑したりする私たちの方が、この世のフィッシュマンの涙なのではないだろうか。
俳優イ・チョニ(36)は語った。華やかなスポットライトが当てられていたランウェイを歩いていた彼が、突然俳優をすると話した時、周りの人々は「君がなぜ?」という反応だったという。モデルから俳優への変異を始めた彼に、誰かは「君が演技を?」「俳優が何なのか知っていて話しているのか?」と笑ったりもした。“彼らだけのリーグ”でイ・チョニは完璧なフィッシュマンの涙となった。2003年に「浮気な家族」(監督:イム・サンス)で最初の一歩を進むまで、イ・チョニの過去はフィッシュマンの涙だった。
いつの間にか時間は流れ、12年が過ぎた。フィッシュマンの涙だったイ・チョニは大きくて小さな18本の映画に出演し、“非凡な”俳優となった。始まりは小さかったが、終わりは大きくなったイ・チョニだ。悪人の顔と善良な顔が共存しているため、多彩な作品で演技の幅を広げた。もはや彼に向かってフィッシュマンの涙と呼ぶ人はどこにもいない。世の中が作ったフィッシュマンの涙の進化だ。
2012年に映画「南営洞(ナミョンドン)1985」(監督:チョン・ジヨン)で才能を見せつけたイ・チョニは、「犬を盗む完璧な方法」(監督:キム・ソンホ)を経て、映画「フィッシュマンの涙」(監督:クォン・オグァン、制作:映画社ウサン)まで進化を繰り返した。
CJ E&Mのバタフライプロジェクトである「フィッシュマンの涙」は、新薬開発の副作用で魚人間になった青年パク・グ(イ・グァンス)が、世間の関心で一躍スターとなったが、製薬会社の陰謀で社会から追い出される危機を迎えるストーリーを描く作品だ。韓国映画としては初めてカンヌ国際映画祭短編部門の短編パルムドールを受賞した「セーフ」(2013年、監督:ムン・ビョンゴン)の脚本を手がけたクォン・オグァン監督の長編映画デビュー作だ。イ・グァンス、パク・ボヨンとともにイ・チョニが映画を率いた。
イ・チョニが「フィッシュマンの涙」で演じたサンウォンは、魚人間パク・グの事件を取材する見習い記者だ。イ・グァンスの「フィッシュマンの涙」と呼ばれるほどイ・グァンスのワントップ映画に見えるこの作品で、イ・チョニが意外な成果を出し、観客の視線を集中させた。「フィッシュマンの涙」で最も複雑で難しい役を務めて孤軍奮闘したイ・チョニは、ついに新たな強者として忠武路(チュンムロ:韓国映画界の代名詞)を手にした。
「善良な姿も、悪人の姿も、どれも僕の姿です。人間イ・チョニ、俳優イ・チョニはこうやってただ流れているのです。『遅いけど休むことなく、少しずつ前に進んでいる』ということだけ知ってほしいです。亀のようにゆっくり歩いていますが、それでもどこかに向かって進んでいるというのは良いことですよね。ゆっくり進むと見逃したりする部分もありません。一度も“一発”を望んだことはありません。こうやって少しずつ観客に近づきたいです。いつかはみんなに届くことができるでしょう」
ー「フィッシュマンの涙」を選んだ理由は?
イ・チョニ:ヒューマニズムのある、人間の歴史を描く作品が好きです。「南営洞1985」もそうでした。もちろん「南営洞1985」も「フィッシュマンの涙」も社会的な話が含まれているので、(政治思想の)“色”に関する議論もあり得ると思いますが、そのような意図は全くありません。ただ人間の人生を描く題材に興味があるタイプです。人の匂いが濃く染みている映画、良いと思いませんか?(笑)
ー巨額の予算のジャンル映画は避けているのか?連続して低予算の映画に出演した。
イ・チョニ:巨額の予算の映画にも出演できるし、もっと素敵な俳優たちとスタッフがたくさんいる映画に出演するのも良いですね。それでも俳優として低予算映画の方がもっと話せる題材が多いような気がします。お金がなくて困ることはありません。それよりも、僕が作品の中でどれだけ見せられるのかを自ら判断することの方がもっと重要で難しいです。僕は作品を作っていて、幸せだったら満足です。役の大きさがどれほどであろうと、出演料がいくらもらえようと、僕には重要ではありません。特に、「フィッシュマンの涙」はなおさらそうでした。この間、釜山(プサン)国際映画祭でイベントを終えて打ち上げをしましたが「この映画、本当にやって良かった」と思いました。楽しくて、幸せだったので(笑)
ー「フィッシュマンの涙」のサンウォンとイ・チョニのシンクロ率はどれくらいなのか。
イ・チョニ:最初に演技を始めた時は、漠然とした感じで足を踏み入れました。舞台に立ちたくて、人々に僕の姿を見せたいという気持ちだけでした。なのに、いざ舞台に立つと世の中で最も大変なものだというのが分かりました。演技が上手くなりたくて、褒めてもらいたかったのに、現実は冷酷でしたので。モデルとして活動を始めてから演技も始めたので、どんどん僕の出番が多くなることを望み、ポスターにも僕の顔が出てほしかったです。できればタイトルロールに出られるように望んだりもしました。なのに、最近ではそのような欲望が消えました。初心を忘れたわけではないのですが、自ら少しずつ目標が薄くなっていることを感じました。このような僕の姿が「フィッシュマンの涙」のサンウォンから見えたんです。「なぜ記者になりたいと思う?」とパク・グがサンウォンに質問した瞬間、その理由を見つけました。昔感じていた幸福感を再び感じることができました。頑張りました。演技をしながら僕が知らなかった僕の感情、顔を見るようになりました。恥ずかしいですが、自分の演技を見て、鳥肌が立ったりもしました(笑)
ー「フィッシュマンの涙」でとても繊細な感情の演技を完璧に演じきった。
イ・チョニ:クォン・オグァン監督と最も多く話し合った部分でした。全体的なサンウォンのトーンは地味に進むのが正しかったし、それを表現するために頑張りました。不安でもありました。あまりにも何もしていないのではないかと。存在感がなかったらどうしようという気持ちもありました。存在感があるようでないようなサンウォンが心配でしたが、クォン・オグァン監督を信じました。やはり繊細な表現を正確に捉えて、画面に盛り込んでくださいました。このような演技は、ドラマではとても難しいですよね。「イ・チョニはなぜ演技をしない?」と酷評を受けやすい演技ですが、「フィッシュマンの涙」ではこのような演技が正解だったので。素敵な経験になりました(笑)
ー「フィッシュマンの涙」でナレーションも担当した。
イ・チョニ:僕は「ガチデン 堤防伝説」(2006年、監督:チョ・ボムグ)の時もナレーションに挑戦しました(笑) 「フィッシュマンの涙」の撮影の時は「ガチデン 堤防伝説」の記憶を思い出し、たくさん編集されると思っていましたが、それは間違いでした。映画を見てみたら、8割はそのまま流れていたのです。あまりにも説明的な部分は編集されましたが、最初に録音したのがほとんど入っていて驚きました。
ー若年層の失業、歪曲されたメディア、消えた人権など、あまりにも多くの社会問題を描いているとは思わないか。
イ・チョニ:良いという評価も多いですが、あまりにも多くの問題を描いていて、重いという評価もありました。ですが、たくさんのストーリーを軽く描いて、観客に考えることのできる余地を与えたかったです。重くなく、軽く触れるように考えても良い程度に。
ー現場の雰囲気が良かったとか。
イ・チョニ:クォン・オグァン監督は「フィッシュマンの涙」をずっと前から準備していました。3年間ずっと書いては直してを繰り返しました。そのおかげなのか、撮影の時は監督がとても幸せそうに撮影をしました。現場を楽しむ監督は初めてでした(笑) おかげで僕たちも大学時代の実習をしている感じで、みんなで意気投合できました。そのような状況だったので、厳しい環境でも表には出さなくなったのです。そんな中、クォン・オグァン監督がこの間のVIP試写会を終えてから、打ち上げで心境を打ち明けてくださいました。泥酔した状態で「実は僕、とても大変だった」とおっしゃいましたが、心に込み上げるものがありました。
ートロント国際映画祭でも「フィッシュマンの涙」に熱い反響があった。
イ・チョニ:実は僕たちは、小規模なものと想定して(映画を)撮ったのですが、そこに行ったらすごく期待されていたのです(笑) そして、イ・グァンスの力がものすごかったです。イ・グァンスに与えられた関心のおかげで、僕たちまでついでにホットに見えたと思います(笑)
ー劇中でパク・グを演じたイ・グァンスと共演するシーンが多かったが、魚の仮面を被っていたので困難な部分が多かったと思う。
イ・チョニ:一緒のシーンは多かったのですが、イ・グァンスの目を見ながら会話のやり取りをするシーンはあまりありませんでした。イ・グァンスは僕たちの傍で、ただ黙々と表現する役でしたので。そしてイ・グァンスは、手の演技がとても上手です。自分の感情を表情では表現できないので、仕草や身体の動きで表現しようとしました。本当に細かな手の演技が最高でした。
ー「フィッシュマンの涙」の魚の仮面がとても衝撃的で驚いた。
イ・チョニ:本当ですよね。それがとても重くて、それを被って演技をしているイ・グァンスを見ながら本当に心が痛く、すごいと思いました。スタッフが「イ・グァンスさん、そろそろ仮面を被りましょう」と言うと、自然に肩を落としたりして。可哀想でした。前も見えないし、息をするのも大変なので本当に怖かったと思います。イ・グァンスは撮影中に問題が発生して遅延されると、その仮面を被ってじっと座っていました。仮面を被る過程も時間がかかるので、一人で耐えることを選んだのです。すごいですね。
ーイ・グァンスの新しい一面を知ったようだ。
イ・チョニ:以前も良い人というのは知っていましたが、ここまで良い人とは思っていませんでした(笑) 隣で見ている方が息苦しいほどでした。「不便なことがあれば、ぜひ話してほしい」とお願いをするほどでしたから。酸素呼吸器を付けるのも、10回聞いたら最後の最後で「ください」と言うのです。周りを配慮する姿勢が身に付いている人です。一度も自らお願いをしたことはありません。僕だったら絶対にできなかったと思います。
ー「南営洞1985」以降、悪役を避けているように見える。
イ・チョニ:「南営洞1985」を撮って、悪役がどれほど大変なのかを知りました。僕自身、苦しくて辛かったです。当時、チョン・ジヨン監督にとても多く叱られました。悪役なのに悪役に見えないと。最後には「あなたはヒューマンドラマだけやりなさい」とも言われました(笑) それで次回作から善良で正義感のある役を務めたら、それがまた本当に面白かったんです。幸せになる方法があるのに、わざわざ悪役を演じて自分自身を苦しめたくはありません。後でどん底まで行ってみたら、悪役もできるのではないでしょうか。ソーセージで殴っていても、見ている人はゾッとするほどの(笑)
ーまた演劇の舞台に戻りたくはないのか。
イ・チョニ:僕はもう独り身ではないので(笑) 妻もいますし、娘も幼稚園に通っています。娘がご飯もよく食べるし、ぐんぐん育っているので、僕も現実と妥協しなければいけません(笑) それでも僕なりに挑戦がしたくて、木工事業を始めました。これも妻(女優チョン・ヘジン)のサポートがあってのことです。一般的な女性だったら、無謀な挑戦を続ける僕のことをとても理解できないかもしれません。なのに妻は、いつも僕の味方です。「いつもあなたが好きなことをして。私もその方が幸せ」と応援してくれます。作品を選ぶ時もそうです。「ヒットを考えず、あなたが演じたいものをやって」と言ってくれます。他にも妻が鋭くモニタリングもしてくれるので、もっと頑張るようになります。この前は「フィッシュマンの涙」の評価をしてくれましたが、僕の幸せそうな姿を見たと言ってくれました。このような家族の応援に元気付けられます。
ーイ・チョニも平凡な人生とは言えないが、ある意味ではフィッシュマンの涙なのでは。
イ・チョニ:そうですね。フィッシュマンの涙で間違いないです(笑) 初めて両親に演劇映画科に進学すると話した時から、普通の道から外れていたと思います。幼い頃から人とは違う道を歩んできた感じです。勉強には興味がなく、なぜするのかも分からなかったので、何をすべきなのかを探していました。そこで演劇に夢中になり、とりあえず大学路(テハンノ:劇場が集まっている演劇の街)に行きました。今も「面白いことは何か?」と思います。フィッシュマンの涙のように生きています。
ー今後のイ・チョニは?
イ・チョニ:俳優が職業ではありますが、人生のすべてが俳優であるべきなのかはよく分かりません。イ・チョニが俳優をしているわけであって、俳優がイ・チョニをしているわけではありませんので。僕は今も俳優よりも、人間イ・チョニの人生の方がもっと大事だと思っています。俳優はイ・チョニが幸せになるための職業の一つです。後はどうなるか分かりません。文章を書くことが好きになったら、作家になることもできますし、あるいは他の事業を展開するかもしれません。こんな感じだと哲学科に通うべきかもしれませんね(笑)
俳優イ・チョニ(36)は語った。華やかなスポットライトが当てられていたランウェイを歩いていた彼が、突然俳優をすると話した時、周りの人々は「君がなぜ?」という反応だったという。モデルから俳優への変異を始めた彼に、誰かは「君が演技を?」「俳優が何なのか知っていて話しているのか?」と笑ったりもした。“彼らだけのリーグ”でイ・チョニは完璧なフィッシュマンの涙となった。2003年に「浮気な家族」(監督:イム・サンス)で最初の一歩を進むまで、イ・チョニの過去はフィッシュマンの涙だった。
いつの間にか時間は流れ、12年が過ぎた。フィッシュマンの涙だったイ・チョニは大きくて小さな18本の映画に出演し、“非凡な”俳優となった。始まりは小さかったが、終わりは大きくなったイ・チョニだ。悪人の顔と善良な顔が共存しているため、多彩な作品で演技の幅を広げた。もはや彼に向かってフィッシュマンの涙と呼ぶ人はどこにもいない。世の中が作ったフィッシュマンの涙の進化だ。
2012年に映画「南営洞(ナミョンドン)1985」(監督:チョン・ジヨン)で才能を見せつけたイ・チョニは、「犬を盗む完璧な方法」(監督:キム・ソンホ)を経て、映画「フィッシュマンの涙」(監督:クォン・オグァン、制作:映画社ウサン)まで進化を繰り返した。
CJ E&Mのバタフライプロジェクトである「フィッシュマンの涙」は、新薬開発の副作用で魚人間になった青年パク・グ(イ・グァンス)が、世間の関心で一躍スターとなったが、製薬会社の陰謀で社会から追い出される危機を迎えるストーリーを描く作品だ。韓国映画としては初めてカンヌ国際映画祭短編部門の短編パルムドールを受賞した「セーフ」(2013年、監督:ムン・ビョンゴン)の脚本を手がけたクォン・オグァン監督の長編映画デビュー作だ。イ・グァンス、パク・ボヨンとともにイ・チョニが映画を率いた。
イ・チョニが「フィッシュマンの涙」で演じたサンウォンは、魚人間パク・グの事件を取材する見習い記者だ。イ・グァンスの「フィッシュマンの涙」と呼ばれるほどイ・グァンスのワントップ映画に見えるこの作品で、イ・チョニが意外な成果を出し、観客の視線を集中させた。「フィッシュマンの涙」で最も複雑で難しい役を務めて孤軍奮闘したイ・チョニは、ついに新たな強者として忠武路(チュンムロ:韓国映画界の代名詞)を手にした。
「善良な姿も、悪人の姿も、どれも僕の姿です。人間イ・チョニ、俳優イ・チョニはこうやってただ流れているのです。『遅いけど休むことなく、少しずつ前に進んでいる』ということだけ知ってほしいです。亀のようにゆっくり歩いていますが、それでもどこかに向かって進んでいるというのは良いことですよね。ゆっくり進むと見逃したりする部分もありません。一度も“一発”を望んだことはありません。こうやって少しずつ観客に近づきたいです。いつかはみんなに届くことができるでしょう」
ー「フィッシュマンの涙」を選んだ理由は?
イ・チョニ:ヒューマニズムのある、人間の歴史を描く作品が好きです。「南営洞1985」もそうでした。もちろん「南営洞1985」も「フィッシュマンの涙」も社会的な話が含まれているので、(政治思想の)“色”に関する議論もあり得ると思いますが、そのような意図は全くありません。ただ人間の人生を描く題材に興味があるタイプです。人の匂いが濃く染みている映画、良いと思いませんか?(笑)
ー巨額の予算のジャンル映画は避けているのか?連続して低予算の映画に出演した。
イ・チョニ:巨額の予算の映画にも出演できるし、もっと素敵な俳優たちとスタッフがたくさんいる映画に出演するのも良いですね。それでも俳優として低予算映画の方がもっと話せる題材が多いような気がします。お金がなくて困ることはありません。それよりも、僕が作品の中でどれだけ見せられるのかを自ら判断することの方がもっと重要で難しいです。僕は作品を作っていて、幸せだったら満足です。役の大きさがどれほどであろうと、出演料がいくらもらえようと、僕には重要ではありません。特に、「フィッシュマンの涙」はなおさらそうでした。この間、釜山(プサン)国際映画祭でイベントを終えて打ち上げをしましたが「この映画、本当にやって良かった」と思いました。楽しくて、幸せだったので(笑)
ー「フィッシュマンの涙」のサンウォンとイ・チョニのシンクロ率はどれくらいなのか。
イ・チョニ:最初に演技を始めた時は、漠然とした感じで足を踏み入れました。舞台に立ちたくて、人々に僕の姿を見せたいという気持ちだけでした。なのに、いざ舞台に立つと世の中で最も大変なものだというのが分かりました。演技が上手くなりたくて、褒めてもらいたかったのに、現実は冷酷でしたので。モデルとして活動を始めてから演技も始めたので、どんどん僕の出番が多くなることを望み、ポスターにも僕の顔が出てほしかったです。できればタイトルロールに出られるように望んだりもしました。なのに、最近ではそのような欲望が消えました。初心を忘れたわけではないのですが、自ら少しずつ目標が薄くなっていることを感じました。このような僕の姿が「フィッシュマンの涙」のサンウォンから見えたんです。「なぜ記者になりたいと思う?」とパク・グがサンウォンに質問した瞬間、その理由を見つけました。昔感じていた幸福感を再び感じることができました。頑張りました。演技をしながら僕が知らなかった僕の感情、顔を見るようになりました。恥ずかしいですが、自分の演技を見て、鳥肌が立ったりもしました(笑)
ー「フィッシュマンの涙」でとても繊細な感情の演技を完璧に演じきった。
イ・チョニ:クォン・オグァン監督と最も多く話し合った部分でした。全体的なサンウォンのトーンは地味に進むのが正しかったし、それを表現するために頑張りました。不安でもありました。あまりにも何もしていないのではないかと。存在感がなかったらどうしようという気持ちもありました。存在感があるようでないようなサンウォンが心配でしたが、クォン・オグァン監督を信じました。やはり繊細な表現を正確に捉えて、画面に盛り込んでくださいました。このような演技は、ドラマではとても難しいですよね。「イ・チョニはなぜ演技をしない?」と酷評を受けやすい演技ですが、「フィッシュマンの涙」ではこのような演技が正解だったので。素敵な経験になりました(笑)
ー「フィッシュマンの涙」でナレーションも担当した。
イ・チョニ:僕は「ガチデン 堤防伝説」(2006年、監督:チョ・ボムグ)の時もナレーションに挑戦しました(笑) 「フィッシュマンの涙」の撮影の時は「ガチデン 堤防伝説」の記憶を思い出し、たくさん編集されると思っていましたが、それは間違いでした。映画を見てみたら、8割はそのまま流れていたのです。あまりにも説明的な部分は編集されましたが、最初に録音したのがほとんど入っていて驚きました。
ー若年層の失業、歪曲されたメディア、消えた人権など、あまりにも多くの社会問題を描いているとは思わないか。
イ・チョニ:良いという評価も多いですが、あまりにも多くの問題を描いていて、重いという評価もありました。ですが、たくさんのストーリーを軽く描いて、観客に考えることのできる余地を与えたかったです。重くなく、軽く触れるように考えても良い程度に。
ー現場の雰囲気が良かったとか。
イ・チョニ:クォン・オグァン監督は「フィッシュマンの涙」をずっと前から準備していました。3年間ずっと書いては直してを繰り返しました。そのおかげなのか、撮影の時は監督がとても幸せそうに撮影をしました。現場を楽しむ監督は初めてでした(笑) おかげで僕たちも大学時代の実習をしている感じで、みんなで意気投合できました。そのような状況だったので、厳しい環境でも表には出さなくなったのです。そんな中、クォン・オグァン監督がこの間のVIP試写会を終えてから、打ち上げで心境を打ち明けてくださいました。泥酔した状態で「実は僕、とても大変だった」とおっしゃいましたが、心に込み上げるものがありました。
ートロント国際映画祭でも「フィッシュマンの涙」に熱い反響があった。
イ・チョニ:実は僕たちは、小規模なものと想定して(映画を)撮ったのですが、そこに行ったらすごく期待されていたのです(笑) そして、イ・グァンスの力がものすごかったです。イ・グァンスに与えられた関心のおかげで、僕たちまでついでにホットに見えたと思います(笑)
ー劇中でパク・グを演じたイ・グァンスと共演するシーンが多かったが、魚の仮面を被っていたので困難な部分が多かったと思う。
イ・チョニ:一緒のシーンは多かったのですが、イ・グァンスの目を見ながら会話のやり取りをするシーンはあまりありませんでした。イ・グァンスは僕たちの傍で、ただ黙々と表現する役でしたので。そしてイ・グァンスは、手の演技がとても上手です。自分の感情を表情では表現できないので、仕草や身体の動きで表現しようとしました。本当に細かな手の演技が最高でした。
ー「フィッシュマンの涙」の魚の仮面がとても衝撃的で驚いた。
イ・チョニ:本当ですよね。それがとても重くて、それを被って演技をしているイ・グァンスを見ながら本当に心が痛く、すごいと思いました。スタッフが「イ・グァンスさん、そろそろ仮面を被りましょう」と言うと、自然に肩を落としたりして。可哀想でした。前も見えないし、息をするのも大変なので本当に怖かったと思います。イ・グァンスは撮影中に問題が発生して遅延されると、その仮面を被ってじっと座っていました。仮面を被る過程も時間がかかるので、一人で耐えることを選んだのです。すごいですね。
ーイ・グァンスの新しい一面を知ったようだ。
イ・チョニ:以前も良い人というのは知っていましたが、ここまで良い人とは思っていませんでした(笑) 隣で見ている方が息苦しいほどでした。「不便なことがあれば、ぜひ話してほしい」とお願いをするほどでしたから。酸素呼吸器を付けるのも、10回聞いたら最後の最後で「ください」と言うのです。周りを配慮する姿勢が身に付いている人です。一度も自らお願いをしたことはありません。僕だったら絶対にできなかったと思います。
ー「南営洞1985」以降、悪役を避けているように見える。
イ・チョニ:「南営洞1985」を撮って、悪役がどれほど大変なのかを知りました。僕自身、苦しくて辛かったです。当時、チョン・ジヨン監督にとても多く叱られました。悪役なのに悪役に見えないと。最後には「あなたはヒューマンドラマだけやりなさい」とも言われました(笑) それで次回作から善良で正義感のある役を務めたら、それがまた本当に面白かったんです。幸せになる方法があるのに、わざわざ悪役を演じて自分自身を苦しめたくはありません。後でどん底まで行ってみたら、悪役もできるのではないでしょうか。ソーセージで殴っていても、見ている人はゾッとするほどの(笑)
ーまた演劇の舞台に戻りたくはないのか。
イ・チョニ:僕はもう独り身ではないので(笑) 妻もいますし、娘も幼稚園に通っています。娘がご飯もよく食べるし、ぐんぐん育っているので、僕も現実と妥協しなければいけません(笑) それでも僕なりに挑戦がしたくて、木工事業を始めました。これも妻(女優チョン・ヘジン)のサポートがあってのことです。一般的な女性だったら、無謀な挑戦を続ける僕のことをとても理解できないかもしれません。なのに妻は、いつも僕の味方です。「いつもあなたが好きなことをして。私もその方が幸せ」と応援してくれます。作品を選ぶ時もそうです。「ヒットを考えず、あなたが演じたいものをやって」と言ってくれます。他にも妻が鋭くモニタリングもしてくれるので、もっと頑張るようになります。この前は「フィッシュマンの涙」の評価をしてくれましたが、僕の幸せそうな姿を見たと言ってくれました。このような家族の応援に元気付けられます。
ーイ・チョニも平凡な人生とは言えないが、ある意味ではフィッシュマンの涙なのでは。
イ・チョニ:そうですね。フィッシュマンの涙で間違いないです(笑) 初めて両親に演劇映画科に進学すると話した時から、普通の道から外れていたと思います。幼い頃から人とは違う道を歩んできた感じです。勉強には興味がなく、なぜするのかも分からなかったので、何をすべきなのかを探していました。そこで演劇に夢中になり、とりあえず大学路(テハンノ:劇場が集まっている演劇の街)に行きました。今も「面白いことは何か?」と思います。フィッシュマンの涙のように生きています。
ー今後のイ・チョニは?
イ・チョニ:俳優が職業ではありますが、人生のすべてが俳優であるべきなのかはよく分かりません。イ・チョニが俳優をしているわけであって、俳優がイ・チョニをしているわけではありませんので。僕は今も俳優よりも、人間イ・チョニの人生の方がもっと大事だと思っています。俳優はイ・チョニが幸せになるための職業の一つです。後はどうなるか分かりません。文章を書くことが好きになったら、作家になることもできますし、あるいは他の事業を展開するかもしれません。こんな感じだと哲学科に通うべきかもしれませんね(笑)
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- チョ・ジヨン、写真 : イ・ソンファ
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