チェ・ミンシク「最近、一番警戒しているのは惰性に慣れること」
2012年2月6日、SBSのトーク番組「ヒーリングキャンプ」に出演したチェ・ミンシクは、映画「拳が泣く」の撮影にしょっちゅう欠席したとの理由で、頬を打たれても何の弁解もせず泣いたリュ・スンボムが、あまり美しく見えなかったと話した。この短いエピソードを通じ、チェ・ミンシクがどのような俳優なのか、どのような先輩なのか、そしてどのような人物なのかを把握することは、難しいことではない。優れた演技力より徹底したプロ意識を一番とする俳優、だから基本的に約束を守らない後輩には、“強力な報復”も辞さない先輩、しかしその後輩の涙に、共に胸を痛める男だ。チェ・ミンシクはそのようにして25年間俳優として生きてきた。今回の映画「悪いやつら」を観た人から、劇中の台詞を借り「チェ・ミンシク、生きているね」と口をそろえて言われたことは、“惰性に慣れないように”ガールズグループの少女時代のフックソング(印象的なメロディーに合わせて同じ単語が繰り返し登場する曲)のダンスも踊る50代俳優の根性を見たためだ。「私も感傷的な演技はできる」とし、頭の中で描いた話をすらすらと言い放つ姿を見ると、その根性が向かう次の目標は、恐らく恋愛映画であるようだ。太い声と断固たる語調、素朴な微笑が交差したチェ・ミンシクにインタビューをした。
―少女時代のファンということが、とても話題になったが(笑)チェ・ミンシク:年をとると知らないうちに、しょっちゅうマンネリズムに陥る。そういうときに少女時代を見る。願い事を言ってみて(GENIE)?はい、私の願いはね……ふふふ。日常で特別な経験を習得しようとすることも大切だが、服が雨に濡れたり、そんなわずかなことについての感情がとても大切だと思っている。それが本当に大変なことなのに。
「少しでも緊張の糸を切らしてはいけないのが、チェ・イッキョンという人物」
―今回の映画は、「オールドボーイ」のオ・デスや「悪魔を見た」のチャン・ギョンチョルを演じた俳優という点で、さらに新鮮に受け入れられたようだ。俳優の立場では「悪魔を見た」以降、観客にどのような姿を見せるのかについての悩みをよくされたようだが、どうだろうか。チェ・ミンシク:他の人はどうなのか分からないが、私は観客にどのように見せるのかについて悩んだことはほとんど無い。ただ私の好みに合うものを選ぶだけだ。もしそれを悩んだとしたら、「悪魔を見た」はどのようにするか。作品の中の世界が興味深いかどうかを基準にしている。
―「悪いやつら」は、どのような部分が興味深い作品なのだろうか。
チェ・ミンシク:最近はあまり制作されないが、個人的に叙事劇が本当に好きだ。体を前倒させて緊張しながら観る映画でなく、ただずっと続けて観る映画。何か食べながら、途中で電話が来てもまた観る事ができる映画。観賞時間が長い、ストーリーーが長いという点では俳優は負担を感じない。むしろもっと挑戦してみたいと思うだろう。
―オ・デスやチャン・ギョンチョルに比べ、チェ・イッキョンはユーモアのセンスもあり、哀れみの感情も持ち合わせているから、演技する時、余裕を持ってできたのではないだろうか。
チェ・ミンシク:キャラクター自体が与える精神的なプレッシャーはなかった。「悪魔を見た」の時は偽物の血であることを知りながらも本物のように感じ、嘔吐したことがあった。状況に対してのプレッシャー、設定に対してのプレッシャー、キャラクターに対してのプレッシャー、行為に対してのプレッシャーまで、普通のストレスではなかった。今回はそこから来るストレスはなかったものの、その代わりに膨大な量を消化しなければならなかった。他の俳優は自分のシーンを終えるとソウルに戻り休むことができたが、私だけは釜山(プサン)にずっと残って撮影していて(笑) 少しでも緊張の糸が切れたらダメなのは、チェ・イッキョンがすべての人物、すべての事件と関連性があるためだ。
―他の理由で、いつも緊張している状態ではないだろうか。
チェ・ミンシク:一般的に映画は、順序通りに撮影しないため、糸の絡み合いのような感情をみな記憶していなければならなかった。その時、感情の程度がどの程度で、こうしてこのような結果になった。このようにとてつもない集中力が必要とされるため、神経が剃刀の刃のように変わる。いい加減に見える演技もすべて考えた上でやっていて、ただ単にやったのではない。何と言うか、とても疲れる作業だ。
―端役の俳優さえも“1980年代の悪い奴”という印象のする人がキャスティングの条件だったほど、時代設定にとても重点が置かれた作品だが、チェ・イッキョンの役作りの時も、時代的な状況を念頭に置いたのだろうか。
チェ・ミンシク:政治的にとても不安な状況で、連日デモが起こり、まるで催涙ガスの煙の中で生活していたような社会的な状況を除いたら、1980年代の人間と1990年代の人間に差異はない。父親という人間もやはり、1980年代と2012年とでは何も違わないように。もちろん友達のような父親、家庭的な父親とタイプを変えることはできるものの、子供への愛、家族を守らなければならないという考えは変わらないだろう。
―結局、「悪いやつら」は、威嚇的な暴力団であるとともに、父親チェ・イッキョンのドラマでもある。そのため、映画館に足を運んだ観客の、チェ・ミンシクという俳優に対する期待はとても大きかったと思うのだが、主演俳優としての責任感は人一倍感じているのではないだろうか。
チェ・ミンシク:私がちゃんと表現していけば良い、としか思っていない。もちろん私が倒れたら、この映画は失敗するだろうし、私がさまようとこの映画も低迷する、そうは思った(笑) そういう点では、後輩にはとても感謝している。みんな自身のポジションで役割を果たしていったのだから。
「映画はチームで行う芸術、調和が一番大切」
―チェ・イッキョンは本当にすべての人物と絡み合う役だが、そのような点で後輩と足並みをそろえる過程はどのようなものだったのだろうか。チェ・ミンシク:ハ・ジョンウは言うなれば30代半ばの先導者として突っ走る俳優だが、「私がチェ・ミンシクを支えることがあるのだろうか」とも思っていたかもしれない。でも彼はこの作品でチェ・ヒョンベという役で登場し、十分にアンサンブルを成し遂げていった。先輩の立場ではとてもありがたいことだ。運動競技の目標はゴールを入れることだが、そうだとしてすべての人がゴールを入れようと走ったら、だめだから。誰かがドリブルをしてパスをすると、それを受けるための準備ができていなければならない。演技もそれが一番の基本で、一番大変なことだ。演劇を習う時、「相手の台詞をよく聞こう。自分一人でやろうとせずに」という話を本当によく聞く。話をする時はそうではないが、演技をすると自分ひとりで話をし、変に格好をつけてカメラを意識する場合が大半だから。
―もし後輩がそのようにした時、先輩としてどのようにするのだろうか。
チェ・ミンシク:もし経験が無かったら、教えてあげないと。知らないのは罪にはならないから。でも知っているのにそれをしなかったら、叩かないと。はははは。過激すぎる?私たちはよく殴られて成長したから。
―現場では厳しい先輩のようだが(笑)
チェ・ミンシク:この作品は、チームで行う芸術で、創作にはハーモニーが一番大切だ。色々な分野の専門家が集まり、一つの目標に向かい意見をまとめ、譲歩しつつも感性と実力を最大限発揮し、最終目標に向かって役に立てるようにする事だ。さらにここは繊細で個性的な人々が集まる場所なので、自身を少しだけ譲歩するだけでもとても大変なことだ。でももし、一人のために全体の雰囲気が壊れたり、戦闘力を失ったときは、先輩は強力な制裁と報復をしなければならない。
―一般的に、どのような場合に強力な制裁と報復がされるのだろうか。
チェ・ミンシク:監督との理由のある衝突はよくあることだ。私もそのような時は多い。合意された状態で撮影しなければならないから、この解釈が正しいのか分からない時は撮影をしばらく中断しても話し合いをしなければいけない。そうした時、先輩も横で一緒に悩んであげなければならないし。でもそうではなく、意図的に遅刻したり俳優間の無駄な神経戦などは我慢できない。撮影現場に一番最初に入ることを、プライドが傷つくことだとは思ってはいけない。先に現場に入り、スタッフと話をし、コーヒーも飲み、体もほぐして声を出し、準備をしないといけない。
―ハ・ジョンウもインタビューで、チェ・ミンシク先輩は一度も撮影現場に遅れたことはないと言っていた。
チェ・ミンシク:彼もそうだ。ふふふ。だからジョンウが好きなんだ。あえて小言を言わなくても良い後輩だから。
―他の職業のように、俳優の間でも厳格に上下関係が存在するが、同時にカメラの電源が入ると俳優対俳優として向かい合うという特殊な点がある。
チェ・ミンシク:だから実際、この世界では小言を言うと終わりなんだ。ここは学校ではないから。私たちはお金をもらって働く職業俳優だ。つまり自分で考えてやらなければならないのだ。両親が亡くなってもマインドをコントロールして現場に出なければならないし、職業俳優が舞台の上で台詞を忘れるなんて、とんでもないことだ。それほど徹底したプロ意識を持たなければならない。だから、私がこれを職業と思う瞬間、絶対に自分勝手な行動はできなくなる。
―実力よりも態度が大切という意味だろうか。
チェ・ミンシク:演技が上手い、下手という問題ではなく、この職業をどのように受け止めているのかが大切だ。結婚したらやめよう、商売をしたらやめよう、そう思っている俳優は激しくない。何かが抜けている。しかし命を懸けて頑張る人は、濃度から違う。何をしても濃く学ぶ。年齢を超え、経験を超えて勢いと感じが違う。そのような人と共演すると、私も気分が良い。
「私も恋愛的な演技ができる」
―以前、俳優について、体を使った職業と語っていたことがある。先輩よりも後輩と仕事をする場合が増えた25年目の俳優としての、最近の一番の悩みとは。チェ・ミンシク:体は年齢とともに衰退するものだが、精神的には絶えず進化しなけれなばならない。年をとった方が「私たちの時はそうではなかったのに、最近の若者は」と言うが、私たち俳優はそのようなことを言うと大変なことになる。最近、一番警戒していることは、惰性に慣れることだ。まるで習慣のように演じ、習慣のように考え、早く定義付けしてしまってはいけない。「あの人間はああだし、これはこれだ」ではなく、「このようにもできるのではないか」といつも新しい視野で一ヶ所に留まることのないようにしなければならない。なぜなら、私たちはみんな人間なのだから。良い人も悪い人も、この人間がなぜそのようなことをし、どうしてこのような破局を迎えたのか知らなければならない。
―今回映画を撮影し、年齢から来る限界を感じたと聞いた。体力的な部分もとても気にされているのではないか。
チェ・ミンシク:そう言うと私がまるで元老俳優のようだが(笑)、実際、もうこのようなことをすると辛いのは当たり前だ。今回はこのような役をしたから、次はもっと魅力的な役をしようと思う(笑)
―例えば?
チェ・ミンシク:恋愛映画(笑)
―例えば「パイラン」のような恋愛映画だろうか。
チェ・ミンシク:「パイラン」のように、一度も会ったことはないが、誰かが私を愛おしみ、愛してくれるのも良い。格好つけて西洋の映画の真似をするのではなく、私たちが共感できる正直な話を演じたい。
―構想を練ったこともあるのだろうか。
チェ・ミンシク:高校の時、女子学生がハンサムな独身の教師に片思いするように、男子学生もそのようなことがある。おばあちゃんになる恩師に生徒がずっと思いを寄せていて、先生はふざけないでとあしらうが、その子は本当に愛していた話。そうするうちに突然その子が精神病にかかり……ははは。これは絶対にだめだけど(笑) 先生はもう閉経期で誰にも女性として見られていない年寄りと思っていたのだが、生徒のおかげでまた女性として見られたのだ。一回、映画祭の打ち上げで、ユン・ジョンヒさんが私の横に座っていらっしゃのだが、ふとユン・ジョンヒさんが、私が幼いころから慕っていた方だとしたらどうだっただろうか、と想像したことがある。それですぐに「ユン・ジョンヒさん、私と恋愛映画に出演しませんか」と尋ねたところ、「私はもちろん良いですよ」とおっしゃってくださいました。
―そうしたら、過去のチェ・ミンシクとユン・ジョンヒはどのような後輩が演技したら良いのだろうか。
チェ・ミンシク:過去は必要ない。私も恋愛的な演技ができるから(笑)
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- イ・ガオン、写真 : イ・ジンヒョク、編集 : チャン・ギョンジン、翻訳 : 平川留里
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