シム・ウンジ、JYPの作曲家であるということ…「デビューはf(x)の曲で」
JYPエンターテインメントと言うと思い浮かぶもの。それはもちろんmiss Aのスジかもしれないが、ほとんどのK-POPファンなら歌の前に入る「ジェイワイピー」というパク・ジニョンの声だろう。JYPのアーティスト、JYPの音楽、JYPのカラーを決める1人であるパク・ジニョンを除いて、JYPを語ることは難しい。そしてこの“単色”は、現在のJYPのブランドそのものでもある。
しかし、音楽業界も今や“システム”の時代だ。代表、プロデューサー、A&R(アーティスト・アンド・レパートリー)、アートデザインなどに細分化される中、JYPもその未来をパク・ジニョンからだけではなくシステムから見出している。正確に言うと、2008年に立ち上げたこのシステムは、昨年からその効果を発揮している。韓国の芸能事務所としては唯一、社内でAソウルパブリッシングという会社を立ち上げ、所属する作曲家たちのマネジメントに乗り出した。そして現在、所属する作曲家たちは全般的に人気歌手たちの曲だけでなくJYPのタイトル曲まで手がけられるほどに成長したのだ。
これは、SBS「K-POPスター」で優勝し、野心に燃えながらJYPを選んだパク・ジミンが、何故パク・ジニョンの曲ではなく他の作曲家の曲をデビュー曲として選んだのかという疑問に対する答えでもある。パク・ジミンのデビュー曲を担当したAソウルの代表作曲家シム・ウンジは、JYP所属でありながらキャリアのスタートはSMのアーティストであるf(x)の曲でデビューし、最近ではKARAの曲も担当したという韓国では珍しい経歴の持ち主だ。JYPに所属する作曲家として働く彼女の知られざる姿をお見せしよう。
パク・ジニョンとの出会い
―JYPの内部にパブリッシング会社があるということはあまり知られていないが、どのようなところなのか?シム・ウンジ:2008年にパブリッシング会社を立ち上げた際、新人作曲家が多数採用されました。もちろんその前にもプロデューサーの方たちはいらっしゃいましたが、以前はJYPにスカウトする形だったのが2008年以降は新人作曲家を育成するシステムになったのです。JYPに所属し、数多くの曲を手がけていますが、他の事務所にも扉は開いています。曲を作り、可能であれば他の事務所の歌手ともコラボレーションしています。
―あまりイメージが沸かないシステムだが、いつ、どのようにJYPに入ったのか。
シム・ウンジ:私は2008年に入社しました。私は延世(ヨンセ)大学の作曲科卒ですが、パク・ジニョンさんも延世大学卒なんです。ある日、ジニョンさんが学園祭にいらっしゃいました。元々、控室には入れないのですが、私はコネを使って入りました(笑) そして事前に作成しておいたデモCDを手渡すことが出来ました。
―控室に突撃したということか?
シム・ウンジ:そういうことです。その前にもデモCDを事務所に送ったりもしていたのですが、自分の手でお渡しするには絶好のチャンスでしたので。実際に控室を訪ねてみると、ジニョンさんのオーラは素敵過ぎました。
―うーん。それは本当なのか?(笑)
シム・ウンジ:何故ですか?(笑) 私は本当にファンだったんです。身長は180cmちょっとだと思いますが私の目には2メートル以上に見えました。ガタガタ震えながらデモCDをお渡ししました。もちろん、お渡ししながらも聞いてはくれないだろうと思っていました。忙しいはずなのでこんなCDまで聞かないだろうと。取りあえず、お渡しできたことで自分を励ましていましたが、2週間後にいきなり連絡が来たのです。朝7時、直接私に電話をかけてくださいました。
―直接?ドラマのワンシーンみたいだ(笑)
シム・ウンジ:自ら連絡をくださるとは全く思いもよらなかったので、寝ぼけて電話に出てしまったのですが、「ウンジか?ジニョンだけど」とおっしゃったんです。
―あら、ますます(笑)
シム・ウンジ:(笑) 私の知り合いでジニョンさんというと彼しかいなかったので耳を疑いました。ちょうど当時、新人作曲家を採用している最中で、自ら新人を発掘するということに関心が高かったようです。「この曲はどのように作業したのか、本当に私が作ったのか、歌っているのは誰なのか?」など、あれこれ質問されました。その後もう一回テストがあるにはありましたが、私は早く採用が決まった方です。
―それはどのようなテストだったのか。
シム・ウンジ:ミッションを与えられました。予め用意された曲を5曲聞かせてもらい「このようなスタイルの曲を作ってみろ」と言われました。それは全て違うスタイルでした。ダンス、バラード、歌詞が重要な曲などありましたが、「一週間で作って来い」と言われました。それから徹夜したりして2、3曲作り、それを聞いてもらって最終的にOKを頂きました。
―当時、JYPでどのような仕事をするのかよく分かっていなかったそうだが。
シム・ウンジ:そうです。考えが漠然としていてJYPに入りたいとだけ思っていました。中学の頃から本当にファンでしたしコンサートも全部行きました。
所属はJYP、デビューはSMから
―JYPに入って最初の作業は何だったのか?シム・ウンジ:作業というよりは見学でしたね(笑) 当時、2PMが「10 out of 10」をレコーディング中で、その作業をジニョンさんの後ろで見守りました。当時、私を含めた新人作曲家は3人でしたが、皆で後ろに座って一生懸命作業を見つめていました。
―他の2人も似たようなルートで入ったのか?
シム・ウンジ:皆それぞれですが、私は少し珍しいケースでした、手順を踏まずに採用されたので。ですから会社ではこんな噂もあったそうです。「すごい美人なんじゃない」って(笑) もちろん、後から私を目の当たりにして「ああ、この人は音楽の才能があるんだな」と思ったようですが(笑)
―(笑) 見学は役に立ったのか?
シム・ウンジ:曲を作っても直ぐに使ってもらえるというわけではないので、学ぶことはたくさんありました。レコーディング、編集、ミックス作業、それらを伝授するために毎日私たちを呼んでくれました。「朝10時までに集まれ」と言われれば1分遅れただけでも物凄く怒られました。ちょうど10時に集合し、夜遅くまで、たまに夜明けの2~3時までずっと後ろに座って見学していました。
―それは簡単なことではなかっただろう。
シム・ウンジ:集中力が欠けていると、こっぴどく叱られましたね。「お金を払ったって学べないことを教えてやっているのにどこを見ているんだ」と(笑) 本当にその通りですよね。実際そうして学んだノウハウを今もベースにしています。当時、2PMも2AMも新人だったのですが、皆一緒に震え上がっていたのを覚えています(笑)
―いつまで下積みは続いたのか?
シム・ウンジ:それから1年間はずっと招集され続けました。ジニョンさんがアメリカにいる時以外、私達は常に招集されていました。
―彼がアメリカに行く時は皆さぞかし喜んだだろう(笑)
シム・ウンジ:「休暇だ!」と言って喜びました(笑) そのうちに私達は1人また1人とデビューしていき、呼び出しの頻度は減りました。それでも作曲へのアドバイスは続けてくださいました。非常に細かくベースライン、アドリブラインまで見てくださるほどです。
―それでは、待ちに待ったデビュー作は何だったのか?
シム・ウンジ:最初の曲はSMから(笑)
―(笑) あらら。
シム・ウンジ:JYPは私の曲を買ってはくれませんでした(笑) デモを回したんですが、幸いなことにSMが評価してくれました。A&Rを介して提供したその曲がf(x)の「You are my destiny」です。実はその曲は、最初ジニョンさんにお渡ししたデモCDに入っていた曲でもあります。
―珍しいことですね。
シム・ウンジ:中々デビューできないことにストレスを抱えていたので本当に嬉しかったです。JYPとは作曲家として契約という形ですので、外部にも自由に曲を提供することができます。JYPからはじめて出した曲は、2AM チョグォンの「告白した日」です。
―色々と苦労したのだろう。
シム・ウンジ:曲は作り続けているのに、土壇場で覆されるケースが多かったです。いくつかの曲はタイトルも決まり、レコーディングまでしたのに変更になり、結局その1曲の為にほぼ1年間振り回されました。歌手もころころ変わるのでレコーディングだけで15回ありました。巡り巡ってその曲は、IU(アイユー)さんに行き着きました。それが「あの子本当に嫌いだ」という曲です。苦労することも多かったですが、幸いにも素晴らしい歌手に歌って頂けたので報われた気がしました。
―JYP内で着実にグレードアップし、最後は他の歌手に歌われたというわけだ。パク・ジニョンはそのことについて何と言ったのか?
シム・ウンジ:非常に喜んでくれました。所属の歌手でなくても素晴らしい歌手に歌っていただけたので非常に誇らしく思ってくれています。
―音楽の作業は主にどこで行うのか?
シム・ウンジ:主に自宅で作業しています。レコーディングや会議がある時は出社します。
―歌キャンプというシステムがあるようだが。
シム・ウンジ:JYPで年に2回、作曲家と作詞家を公開採用します。そうして選ばれた先輩・後輩の作曲家たちが一堂に会し、同じテーマに沿って曲を作り共同で作業をします。アーティストまで含めると26人くらいが活動中です、私はそこではもう“先祖”レベルですね(笑)
パク・ジミンさんのデビュー曲は、ヒットしなければならなかったのに…申し訳ない気持ち
―昨年は遂にタイトル曲を担当する作曲家になったが。シム・ウンジ:ジニョンさんの口癖は「僕以外にもタイトル曲を担当できる作曲家が出なければならない」でした。私は15&の「I Dream」「Somebody」で2度経験があります。
―タイトル曲の作曲家になるということは、どのような感じなのか。
シム・ウンジ:去年の今頃でした。当時は心細く、嬉しいというよりは「失敗したらどうしよう」という思いしかありませんでした。ずっとタイトル曲はジニョンさんの曲だったのに、こんな大きなチャンスが自分に訪れたということがプレッシャーになりました。特に、パク・ジミンさんという旬な歌手のデビュー曲なので本当にプレッシャーが大きかったです。曲がリリースされてからは、リアルタイムランキングばかり見ていました。夜になってもずっと見続けましたが、結果はそれほど良くありませんでした。
―あの歌は少し難しかったです。
シム・ウンジ:私は後になって難しかったのだと分かりました。世間がパク・ジミンに求めていた物はこんな物ではなかったのだと。その後、スランプに陥り、本当に何もできそうにありませんでした。彼女たちに申し訳ないし、自分がどうしていいかも分からない。会社でも罪悪感に苛まれました。本来ならもっと成功出来るはずの子たちなのに非常に申し訳ない気持ちでした。一度経験して、これは本当に普通のメンタルでは出来ないことだなと思いました。
―どのようなプロセスでタイトル曲として選ばれたのか?
シム・ウンジ:ジニョンさんは、本当に曲をたくさん作っていました。ネットの反応を見るとパク・ジニョンはどうしてもっと考慮しなかったのかという声もありますが、実際は曲をたくさん作っていたし、レコーディングもしました。でもJYPではタイトル曲の選定を投票で行います。役員、A&Rチーム、アーティストの中で感覚の優れた歌手たち数人を含めた16名のモニタリングチームで組織されており、完全なブラインドテストで点数を付けられます。私はそのチームではないのですが、後でジニョンさんが「『I Dream』が選ばれたから、この曲をさらに修正できるか意見を集めたい」と話すのを聞いて知りました。
―「Somebody」の時は、「またタイトル曲?」という気持ちだっただろう(笑)
シム・ウンジ:私がしなければなりませんか?と言いました(笑) 大変過ぎることを知っているので。ランキングに振り回されるのも嫌だしコメントを見ることも傷つくので。だからパク・ジニョンさんの曲であって欲しいとまで言いました(笑)
―作業はどのように進めるのか?
シム・ウンジ:事前に曲をストックしておくスタイルではないので、依頼が来れば作って発表し、また作っては発表する形です。ストックが無い状態なので量産は出来ません。
音楽とは、“共感”です
―自宅での作業スタイルは?シム・ウンジ:防音マットを敷き、ピアノを引きながらMIDI機器で作業します。私はどちらかと言うと規則正しい生活をしている作曲家なので、朝の方が集中し易いです。朝8時頃に起き夫を出勤させて(笑) それから作業に入ります。
―わあ、それは新鮮だ。結婚はいつ頃したのか?
シム・ウンジ:2011年の終わりに結婚しました。
―通常、創作家は結婚すると感覚が鈍ると言われたりするが、実際はどうなのか?
シム・ウンジ:私の場合、結婚前からとても安定した生活を送っていたので(笑) 結婚すると感覚が鈍るということが未だにあまり理解できません。元々お酒もタバコもやらないですし。
―タトゥーもないのか?(笑)
シム・ウンジ:ありません。もちろん人生には紆余屈折がありますし、恋愛も続けられたらとも思います。でもその感情がどのようなものであるかは分かるので、それを引き出して作業する上での障害はないです。JYPの方たちは大半が誠実で模範的な人たちです。
―作曲家として、創作者として、究極の目標があるとすれば何か。
シム・ウンジ:結局、自分が満足する作品を作ることかもしれませんが、ポップスの作曲家という仕事を選んだ以上は自己満足以上に人々を満足させなければならないと思います。だから、世間一般の感性を行き来するパイプ役になることが私の目標です。私は曲を作る側ですが、聞く側でもありますので。たまに良い音楽や歌詞を聞くと、音楽の力が素晴らしいものだということを知っているので、私が作る音楽も誰かにそう感じてもらえたら嬉しいです。たまにTwitterで面識もない人から、「曲を聞いてパワーをもらった」とか、「歌詞がまるで自分の話のようで癒やされた」というメッセージを頂く時、一番喜びを感じます。
―音楽を通して社会にどのようなメッセージを伝えたいのか。作曲家として社会に伝えたいことがあると思うが。
シム・ウンジ:“共感”。この一言でまとめられると思います。私の音楽に多くの人が共感し、誰かの記憶に残ることが今後の目標です。それに加えて人の心を動かすことまで出来れば本当に私の望み通りですね。私は、他人が感じて自分も感じた感情を歌詞と曲に織り込み、自分の一番得意とする音楽に乗せて作り出すだけです。60歳の方と18歳の方とではその曲が発するメッセージの捉え方は異なりますが、その曲が人々の感性を枯らさないように生きる役割を果たしてくれると良いですよね。
―同じ道を夢見る後輩たちにアドバイスするとすれば、何を一番強調したいか?
シム・ウンジ:何でも経験した方が良いと言いたいです。私が一番重要だと考える“共感”は、経験からだと思いますので。それが作品として出てくれば本当に心のこもった作品になるわけですし。ですから作曲者は経験豊かな人ほど有利だと思います。これは自分に一番足りない部分だからこそ言うアドバイスになりますが(笑) 経験することが難しくても、間接的な経験からでも感性に刺激を与えるような生活を維持することが第一ではないかと思います。
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- イ・ヘリン、写真 : ソン・ヨンホ
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