「コインロッカーの女」ハン・ジュニ監督“主人公は女性でなければならなかった”
最近韓国の映画業界が反省の声が上がっている。多様性を失っているという指摘だ。そのため、才気溢れる新人監督の登場はさらに喜ばしい。観客数300万人を動員した映画「二十歳」のイ・ビョンホン監督や、評論家たちの注目を浴びた「ソーシャルフォビア」のホン・ソクジェ監督などが今年注目を浴びた監督だ。そして韓国で4月29日公開された映画「コインロッカーの女」(制作:ポルックスピクチャーズ)のハン・ジュニ監督がこのリストに仲間入りした。
「コインロッカーの女」は生まれてすぐ地下鉄10番コインロッカーに捨てられた少女イリョン(キム・ゴウン)と彼女を育てるチャイナタウンの支配者の母(キム・ヘス)に関するストーリーだ。犯罪ドラマというジャンルの特性を忠実に追いながら、最近の韓国映画ではあまり見られない女性キャラクターを立てて差別化を図った。言おうとしていることははっきりとしている。捨てられた人々の凄絶たる生存の物語。ハン・ジュニ監督はそのために最後までストーリーを突き通す。
作品の価値は海外で先に認められた。「コインロッカーの女」は第68回カンヌ国際映画祭の批評家週間に招待された。おかげでヨーロッパに初めて行ってみるというハン・ジュニ監督の表情と口調は淡々としていた。国際映画祭への招待や評論家たちの好評はありがたいことだが、彼にとって重要なのは映画そのものだった。「映画人というプライドはなくても自尊心はある」というハン・ジュニ監督から「コインロッカーの女」について聞いた。
―カンヌの招待を受けた。おめでとうございます。
ハン・ジュニ監督:ありがとうございます。嬉しいけれど、映画祭は映画祭だと思う。映画を作りながら楽しい瞬間もあるけれど、文を書いたり、撮影をしながらもっと長い時間を過ごす。スタッフたちが頑張ってやったし、招待を受けたのは幸運だけれど、もっと重要なのは観客に会うことだと思う。もちろん楽しい時間は楽しむ予定だ。
―キャスティングの段階で母役のキム・ヘスがすぐにイエスとは言わなかったと聞いた。決定を下せないキム・ヘスにノーと言わずに修正稿を待ってくれるように頼んだそうだ。そうやって4~5ヶ月を過ごした。焦る時間だったと思う。
ハン・ジュニ監督:修正稿は俳優のためのものでもあるけれど、作品のためでもある。キャスティングは非常に重要な過程なので、当時確かに焦りは感じた。同時にその時期に作品が進むべき方向性をちゃんと決めなきゃいけないと思った。キム・ヘス先輩に断ってもいいから会ってその話を聞きたいと言った。自分の性格だが、やるところまでやってみようという考えだった。それでもできなかったら仕方ないけれど、やれるところまではやってみたかった。
―商業映画で新人監督が自身の考えているイメージを最後まで突き通すのは容易ではない。「コインロッカーの女」は監督が話したいことを全部注ぎ込んでいるような気がした。
ハン・ジュニ監督:自分の頭の中には映画に対するイメージがある。しかし、それが絶対に正解だとは思わない。それと同じ作品が出てこそOKなわけではない。出演する俳優たちやスタッフも同じ時代を生きる重要なアーティストたちだ。この作品が好きなため何かを話してくれれば、耳を傾けて尊重ししようと思った。ただ、自分がやるべきことはバランスを取ることだ。どこまで耳を傾けて、どこまで貫くかも問題だった。
―映画で母とイリョンのキャラクターは最近韓国の映画業界では見られなかった強靭な女性たちだ。その点で新鮮だが、準備の段階では危険な挑戦だったと思う。初期の企画段階で主人公を男性に変えようという提案があったと聞いた。
ハン・ジュニ監督:最初にこの作品を書いた時、「果たして商業映画の投資をしてもらえるだろうか」と疑問に思った。もし、投資を受けることができなければ、自主制作の長編で撮影しようと思った。制作において難しかった点もあったが、最初になぜこの作品をやりたかったかを考えてみた。男性主人公に変えれば、より多額の投資を受けられると言う方もいた。しかし、最初に願っていたことが崩れてしまえば、そうやって映画を作って興行に成功したとしても、そもそもやろうとしていた目標と違うものになってしまうので、それに意味があるだろうかと思った。それで男性を主人公に変えようという言葉に一度も揺れたことはなかった。
―女性キャラクターを立てた特別な理由があるのか?
ハン・ジュニ監督:「女性が主人公であれば独特じゃないか」などのアプローチではなかった。伝統的な価値において女性はいつも守る存在だったと思う。「コインロッカーの女」で母という人物は生計や生存のために権力を持っている。映画「ゴッドファーザー」でドン・コルレオーネを始めとする男性たちは富と名誉を志向する。両方とも家族について取り扱っているが、違いがある。男性は富と野心に対するストーリーに、女性は生計と生存に関するストーリーに向いていると思った。「コインロッカーの女」の中で母がお金をたくさん儲けているように見えるが、結局は生計の問題だ。男性キャラクターが主人公だったら、そんな帰結にはならなかったと思う。
―他の性について取り扱うのは難しい問題だ。どうやって作っていったか?
ハン・ジュニ監督:「結局、男性から女性の設定に変えただけではないか」という非難を受けないために工夫した。また、俳優たちとたくさん話し合いながらキャラクターを整えていった。男性と女性の性別を離れて、人間の価値について話せれば、普遍的にアプローチしやすいと思った。
―映画に台詞がほとんどない。人物に対する説明もなく、人物も状況を説明しようとしない。観客の好き嫌いが分かれるところだが、作品に対する自信なのか?
ハン・ジュニ監督:自信ではない。説明できないものがあると思った。人物の過去を説明するシーンは、台詞やフラッシュバックなどで何とでも作ることができる。しかし、人物の前事を知らなくても印象というものはある。説明がなくても画面で見える姿を通じて、人々が気にして推測できる人物で構成した。
―その中でソクヒョン(パク・ボゴム)という人物は独特だ。母とイリョンなどが非情な世界に属しているとすれば、ソクヒョンだけは違う。自身を脅かすヤミ金業者イリョンに親切にしてあげる。一部の観客たちは男性版キャンディ(厳しい状況の中でも健気に生きる漫画「キャンディキャンディ」のキャラクター)という反応を見せる。ソクヒョンはどんな意図で設定された人物か?
ハン・ジュニ監督:複合的な人物だ。イリョンに鏡のような人物でもある。イリョンよりさらに状況が悪いのに、いつもポジティブだ。ソクヒョンをイリョンという人にとって最初のリトマス紙のような人として描きたかった。イリョンは生きてきて非常に多く傷を受けたと思う。そんな彼女にソクヒョンが傷に薬を塗ってくれる。相手が男性だからではなく、それ自体がイリョンに大きな事件だと思った。ソクヒョンの世界では当たり前のこと。誰かが怪我をすれば治療してあげて、ご飯を食べていなければご飯を食べさせることが慣れたことだけれど、イリョンには違っていた。実際に演技をしたパク・ボゴムさんは非常に真面目な人だ。親切と配慮が身についている。だからといって、いわゆる“色気を使う”ようなタイプではない。最初にパク・ボゴムさんに「ソクヒョンの行動の中で納得できない部分はあるか」と聞いたら「なぜですか?」と聞き返された。
―そうやってソクヒョンに心が揺らいだイリョンは、それによって過酷な罰を受ける。心の動揺だけだったのに、母はなぜそこまでしたのだろうか。
ハン・ジュニ監督:母はすなわちチャイナタウンという世界だ。その中ではどれだけかわいい子供であっても、その子供をコントロールできないと世界が崩れてしまうと思ったはずだ。心の動揺だけだと言っても、母はその後の影響まで知っている人だ。イリョンはただ一度のミスをして、母もそんなイリョンを取り除かないミスをする。ミスがつまり成長のきっかけになるのだけれど、そういった意味でイリョンはもちろん母の成長話だと思う。
―映画の雰囲気は悲壮たるものだが、撮影現場は和気藹々としていたと聞いた。
ハン・ジュニ監督:撮影現場の雰囲気がいいと噂されるほど良かった。主人公のキム・ヘス先輩の場合はトップスターで見た目は主張がはっきりとしているけれど、作品について話す時は慎重に話された。40回余りを撮影する間、対立はまったくなかった。
―映画をたくさん見ると聞いた。作品の世界観に影響を与えた映画はあるか?
ハン・ジュニ監督:この作品のためだけではないけれど、時期的に2000年度前半の韓国映画をたくさん見て育った。イム・サンス、ポン・ジュノ、パク・チャヌク、キム・ジウン監督など良い韓国映画を見て育った。そんな先輩監督の影響を幅広く受けたんじゃないかと思う。「コインロッカーの女」に限って言えば、移民者たちのストーリーという点で「ゴッドファーザー」(1972)や「血と骨」(2004)のような作品があると思う。
―31歳で商業映画の監督にデビューした。興行を離れて、デビュー作でカンヌの招待を受けた。一方ではプレッシャーになると思うが。
ハン・ジュニ監督:映画の仕事を始めて10年が立つ。これまで感じたことがあるとしたら、良いことには喜ぶ、ただ偏ってはいけないということだ。悪いことがあれば「また良いことがあるだろう」と思う。映画を作って、良い結果あるいは悪い結果が出ることもあると思う。しかし、映画は自分には職業だ。職業というのは良い瞬間も悪い瞬間もある。大変だからと言って映画を辞めることはないと思う。やれるところまでやりたい。
―「サイコメトリー」(2013)の脚本から始めて、「コインロッカーの女」で演出デビューをした。本人のアイデンティティは脚本家と監督のどちらに近いと思うか?
ハン・ジュニ監督:はっきりと分けるのは難しい。ストーリーが重要な人であることには間違いない。そのストーリーを持って多くの人々と一緒に映画の形に作っていく過程が好きだ。映画をすることにプライドを持っているわけではない。ただ自尊心はあると思う。
―韓国の映画が多様性を失っているという指摘がある。どう思うか?
ハン・ジュニ監督:多様性が失われたということはファクト(fact)だと思う。ただ、誰か一人の責任ではないと思う。商業映画の属性は金になる映画を作ることだ。そんな資本に対する責任を制作陣が認識しながらも同時に自分が話したいことを話せなければならないと思う。大衆志向映画か作家主義映画かと線引きせず、両立させることができると思う。
「コインロッカーの女」は生まれてすぐ地下鉄10番コインロッカーに捨てられた少女イリョン(キム・ゴウン)と彼女を育てるチャイナタウンの支配者の母(キム・ヘス)に関するストーリーだ。犯罪ドラマというジャンルの特性を忠実に追いながら、最近の韓国映画ではあまり見られない女性キャラクターを立てて差別化を図った。言おうとしていることははっきりとしている。捨てられた人々の凄絶たる生存の物語。ハン・ジュニ監督はそのために最後までストーリーを突き通す。
作品の価値は海外で先に認められた。「コインロッカーの女」は第68回カンヌ国際映画祭の批評家週間に招待された。おかげでヨーロッパに初めて行ってみるというハン・ジュニ監督の表情と口調は淡々としていた。国際映画祭への招待や評論家たちの好評はありがたいことだが、彼にとって重要なのは映画そのものだった。「映画人というプライドはなくても自尊心はある」というハン・ジュニ監督から「コインロッカーの女」について聞いた。
―カンヌの招待を受けた。おめでとうございます。
ハン・ジュニ監督:ありがとうございます。嬉しいけれど、映画祭は映画祭だと思う。映画を作りながら楽しい瞬間もあるけれど、文を書いたり、撮影をしながらもっと長い時間を過ごす。スタッフたちが頑張ってやったし、招待を受けたのは幸運だけれど、もっと重要なのは観客に会うことだと思う。もちろん楽しい時間は楽しむ予定だ。
―キャスティングの段階で母役のキム・ヘスがすぐにイエスとは言わなかったと聞いた。決定を下せないキム・ヘスにノーと言わずに修正稿を待ってくれるように頼んだそうだ。そうやって4~5ヶ月を過ごした。焦る時間だったと思う。
ハン・ジュニ監督:修正稿は俳優のためのものでもあるけれど、作品のためでもある。キャスティングは非常に重要な過程なので、当時確かに焦りは感じた。同時にその時期に作品が進むべき方向性をちゃんと決めなきゃいけないと思った。キム・ヘス先輩に断ってもいいから会ってその話を聞きたいと言った。自分の性格だが、やるところまでやってみようという考えだった。それでもできなかったら仕方ないけれど、やれるところまではやってみたかった。
―商業映画で新人監督が自身の考えているイメージを最後まで突き通すのは容易ではない。「コインロッカーの女」は監督が話したいことを全部注ぎ込んでいるような気がした。
ハン・ジュニ監督:自分の頭の中には映画に対するイメージがある。しかし、それが絶対に正解だとは思わない。それと同じ作品が出てこそOKなわけではない。出演する俳優たちやスタッフも同じ時代を生きる重要なアーティストたちだ。この作品が好きなため何かを話してくれれば、耳を傾けて尊重ししようと思った。ただ、自分がやるべきことはバランスを取ることだ。どこまで耳を傾けて、どこまで貫くかも問題だった。
―映画で母とイリョンのキャラクターは最近韓国の映画業界では見られなかった強靭な女性たちだ。その点で新鮮だが、準備の段階では危険な挑戦だったと思う。初期の企画段階で主人公を男性に変えようという提案があったと聞いた。
ハン・ジュニ監督:最初にこの作品を書いた時、「果たして商業映画の投資をしてもらえるだろうか」と疑問に思った。もし、投資を受けることができなければ、自主制作の長編で撮影しようと思った。制作において難しかった点もあったが、最初になぜこの作品をやりたかったかを考えてみた。男性主人公に変えれば、より多額の投資を受けられると言う方もいた。しかし、最初に願っていたことが崩れてしまえば、そうやって映画を作って興行に成功したとしても、そもそもやろうとしていた目標と違うものになってしまうので、それに意味があるだろうかと思った。それで男性を主人公に変えようという言葉に一度も揺れたことはなかった。
―女性キャラクターを立てた特別な理由があるのか?
ハン・ジュニ監督:「女性が主人公であれば独特じゃないか」などのアプローチではなかった。伝統的な価値において女性はいつも守る存在だったと思う。「コインロッカーの女」で母という人物は生計や生存のために権力を持っている。映画「ゴッドファーザー」でドン・コルレオーネを始めとする男性たちは富と名誉を志向する。両方とも家族について取り扱っているが、違いがある。男性は富と野心に対するストーリーに、女性は生計と生存に関するストーリーに向いていると思った。「コインロッカーの女」の中で母がお金をたくさん儲けているように見えるが、結局は生計の問題だ。男性キャラクターが主人公だったら、そんな帰結にはならなかったと思う。
―他の性について取り扱うのは難しい問題だ。どうやって作っていったか?
ハン・ジュニ監督:「結局、男性から女性の設定に変えただけではないか」という非難を受けないために工夫した。また、俳優たちとたくさん話し合いながらキャラクターを整えていった。男性と女性の性別を離れて、人間の価値について話せれば、普遍的にアプローチしやすいと思った。
―映画に台詞がほとんどない。人物に対する説明もなく、人物も状況を説明しようとしない。観客の好き嫌いが分かれるところだが、作品に対する自信なのか?
ハン・ジュニ監督:自信ではない。説明できないものがあると思った。人物の過去を説明するシーンは、台詞やフラッシュバックなどで何とでも作ることができる。しかし、人物の前事を知らなくても印象というものはある。説明がなくても画面で見える姿を通じて、人々が気にして推測できる人物で構成した。
―その中でソクヒョン(パク・ボゴム)という人物は独特だ。母とイリョンなどが非情な世界に属しているとすれば、ソクヒョンだけは違う。自身を脅かすヤミ金業者イリョンに親切にしてあげる。一部の観客たちは男性版キャンディ(厳しい状況の中でも健気に生きる漫画「キャンディキャンディ」のキャラクター)という反応を見せる。ソクヒョンはどんな意図で設定された人物か?
ハン・ジュニ監督:複合的な人物だ。イリョンに鏡のような人物でもある。イリョンよりさらに状況が悪いのに、いつもポジティブだ。ソクヒョンをイリョンという人にとって最初のリトマス紙のような人として描きたかった。イリョンは生きてきて非常に多く傷を受けたと思う。そんな彼女にソクヒョンが傷に薬を塗ってくれる。相手が男性だからではなく、それ自体がイリョンに大きな事件だと思った。ソクヒョンの世界では当たり前のこと。誰かが怪我をすれば治療してあげて、ご飯を食べていなければご飯を食べさせることが慣れたことだけれど、イリョンには違っていた。実際に演技をしたパク・ボゴムさんは非常に真面目な人だ。親切と配慮が身についている。だからといって、いわゆる“色気を使う”ようなタイプではない。最初にパク・ボゴムさんに「ソクヒョンの行動の中で納得できない部分はあるか」と聞いたら「なぜですか?」と聞き返された。
―そうやってソクヒョンに心が揺らいだイリョンは、それによって過酷な罰を受ける。心の動揺だけだったのに、母はなぜそこまでしたのだろうか。
ハン・ジュニ監督:母はすなわちチャイナタウンという世界だ。その中ではどれだけかわいい子供であっても、その子供をコントロールできないと世界が崩れてしまうと思ったはずだ。心の動揺だけだと言っても、母はその後の影響まで知っている人だ。イリョンはただ一度のミスをして、母もそんなイリョンを取り除かないミスをする。ミスがつまり成長のきっかけになるのだけれど、そういった意味でイリョンはもちろん母の成長話だと思う。
―映画の雰囲気は悲壮たるものだが、撮影現場は和気藹々としていたと聞いた。
ハン・ジュニ監督:撮影現場の雰囲気がいいと噂されるほど良かった。主人公のキム・ヘス先輩の場合はトップスターで見た目は主張がはっきりとしているけれど、作品について話す時は慎重に話された。40回余りを撮影する間、対立はまったくなかった。
―映画をたくさん見ると聞いた。作品の世界観に影響を与えた映画はあるか?
ハン・ジュニ監督:この作品のためだけではないけれど、時期的に2000年度前半の韓国映画をたくさん見て育った。イム・サンス、ポン・ジュノ、パク・チャヌク、キム・ジウン監督など良い韓国映画を見て育った。そんな先輩監督の影響を幅広く受けたんじゃないかと思う。「コインロッカーの女」に限って言えば、移民者たちのストーリーという点で「ゴッドファーザー」(1972)や「血と骨」(2004)のような作品があると思う。
―31歳で商業映画の監督にデビューした。興行を離れて、デビュー作でカンヌの招待を受けた。一方ではプレッシャーになると思うが。
ハン・ジュニ監督:映画の仕事を始めて10年が立つ。これまで感じたことがあるとしたら、良いことには喜ぶ、ただ偏ってはいけないということだ。悪いことがあれば「また良いことがあるだろう」と思う。映画を作って、良い結果あるいは悪い結果が出ることもあると思う。しかし、映画は自分には職業だ。職業というのは良い瞬間も悪い瞬間もある。大変だからと言って映画を辞めることはないと思う。やれるところまでやりたい。
―「サイコメトリー」(2013)の脚本から始めて、「コインロッカーの女」で演出デビューをした。本人のアイデンティティは脚本家と監督のどちらに近いと思うか?
ハン・ジュニ監督:はっきりと分けるのは難しい。ストーリーが重要な人であることには間違いない。そのストーリーを持って多くの人々と一緒に映画の形に作っていく過程が好きだ。映画をすることにプライドを持っているわけではない。ただ自尊心はあると思う。
―韓国の映画が多様性を失っているという指摘がある。どう思うか?
ハン・ジュニ監督:多様性が失われたということはファクト(fact)だと思う。ただ、誰か一人の責任ではないと思う。商業映画の属性は金になる映画を作ることだ。そんな資本に対する責任を制作陣が認識しながらも同時に自分が話したいことを話せなければならないと思う。大衆志向映画か作家主義映画かと線引きせず、両立させることができると思う。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- キム・ユンジ
topics