キム・ムヨル、復帰作にこだわらず「延坪海戦」を選んだ理由
映画「延坪(ヨンピョン)海戦」(監督:キム・ハクスン)の出演を決め、キャラクターを構想し、撮影を行って、プロモーションを行うすべての過程で、俳優キム・ムヨルの胸にはたった一行の言葉が刻まれていた。「故人(故ユン・ヨンハ少佐)に迷惑をかけてはならない」
「延坪海戦」は2002年6月15日と29日に延坪島付近で韓国の艦艇と北朝鮮の警備艇の間に発生した海上戦闘をもとにした映画である。キム・ムヨル、チン・グ、イ・ヒョヌ、イ・ワン、イ・チョンアらが熱演し、「ビデオを見る男」を演出したキム・ハクスン監督がメガホンをとった。
公開前から紆余曲折の多かった作品だ。主人公と投資会社が変わり、制作中止という暗礁もあった。軍除隊後、復帰作として「延坪海戦」を選ぶことは決して簡単ではない選択だった。
「俳優として復帰作でカッコよく見せたいというこだわりは捨てました。『延坪海戦』は参加できるだけで光栄な作品だと思います。シナリオを読んで、すぐ熱くこみ上げるものがありました。色々と議論もありますが、僕たちのために犠牲になった方々のストーリーを伝えようとする映画という事実を中心に思ってくれたら良いと思います」
キム・ムヨルは今回の作品で海軍出身の父の跡を継いで海軍将校となった故ユン・ヨンハ大尉を演じた。徹底した軍人の精神を持ち、357号の隊員を率いる原則主義者のリーダーである彼は、小さな隙も許さない揺るぎない人物だ。キム・ムヨルは故人を演じるという大きなプレッシャーを抱え、「延坪海戦」に飛び込んだ。
「悲しかったし、申し訳なかったです。僕も2002年の日韓ワールドカップの際に大学路(テハンノ)ではしゃぎ、楽しく太鼓を叩いていました。その瞬間、僕たちのために犠牲になった方々がいるという事実は知らずに。その申し訳ない気持ちが、ユン・ヨンハ少佐を演じることに多くの影響を与えました」
―映画をどのように見たのか。
キム・ムヨル:シナリオを初めて読んだ時に受けた感じが蘇るような気分だった。こみ上げる気持ち、複雑で何なのかよく分からない感情があった。男として熱くなるものもあった。
―軍服を脱いだ直後に、海軍の制服を着ることになった。他のオファーも多くあったと思うが、「延坪海戦」を選んだ特別な理由があるのか。
キム・ムヨル:シナリオを見た瞬間、出演さえできれば光栄だと思った。俳優として「延坪海戦」の一員になりたかった。俳優として持つ復帰作へのこだわりは排除した。作品そのものが持っているメッセージを伝えるられるだけで光栄だ。
―復帰作に対するプレッシャーはなかったのか。
キム・ムヨル:ないと思ったけど、実はあったようだ。幸い、前向きなプレッシャーだった。撮影もどんどん長くなって、肉体的にも辛い撮影だったのでみんな疲れていたけど、僕一人だけは疲れていなかった。僕が現場で雰囲気をよく盛り上げたりした。もともと撮影現場に行くと、隅っこを探すタイプだったのに。「ウンギョ」の時まではそうだった。人を避けていたというか。けど、除隊後は前向きなエネルギーが多くなった(笑)
―作品そのものの意味とは別に、映画の外で議論が多い。
キム・ムヨル:とりあえず前向きな考えから申し上げるとしたら、議論そのものに感謝している。自分の兄や弟みたいな人が犠牲になった話ではないか。その話をそのまま受け止めてほしい。
―除隊後初となる作品だからなのか、気合がすごかった。制服もかなり似合っていた。
キム・ムヨル:衣装チームができるだけ実際の制服と似ている衣装を用意してくれた。士官服は実際の軍服を着た。衣装チームがほとんど女性だったので、制服の着方を知らなかった。チン・グ兄さんが海軍出身として細かく教えてくれた。ズボンにシャツを入れる方法にも、きちんと決まりがあった。
―撮影現場はほとんど男性だった。現場の雰囲気はどうだったのか。
キム・ムヨル:実際の軍部隊内では軍服姿で過ごした。僕は劇中で大尉だったので、僕より低い階級の実際の軍人さんたちが僕に挨拶をすることもあった。階級の低い役を演じた俳優たちは、帽子を被っていないと怒られることもあった(笑)
―軍隊に行ったことのないイ・ヒョヌが苦労したりはしなかったのか。
キム・ムヨル:ハハハ。みんな「君は早く軍隊にでも行け」と話していた。一度(間接的に)経験したので、とても役に立つと言っていた。イ・ヒョヌは軍隊に行っても可愛がられると思う。
―海戦のシーンもかなり苦労があったと思う。
キム・ムヨル:ユン・ヨンハ大尉が付けている指輪がある。24時間近く死ぬシーンを撮影したけど、後で見たら指輪を付けていなかったのだ。一日分の仕事が台無しになった。もう大騒ぎになって。ずっと船で生活していたし、セット場で3ヶ月くらい過ごしたのでもう心が折れそうになった。その事件以降、心を改めてまた気合を入れた。“災い転じて福となす”と言うが、渾身のリハーサルをしたようなものだ。
―実在していた人物を表現するために、演技的な悩みも多かったのでは。
キム・ムヨル:最後の笑うシーンのために最初から笑いを消して演じていたけど、それがすごく大変だった。実際の性格は怒った時もかなり笑うほうなので。それが制限されたものだから辛かった。ユン・ヨンハという人を誰よりもカッコよく、温かく、部下を愛する人として描きたかった。その方法に悩んでいて、部下に厳しく冷静な悪役として描いてみたのだ。だからこそ最後の笑うシーンがもっと悲しかったと思う。実はそうやって笑える人なのに、指揮官という地位のために冷静に生きてきたというのが悲しく、心が痛かった。
―撮影現場では男性だけだったので、妻ユン・スンアさんも安心したのでは。
キム・ムヨル:ハハハ。鎮海(チネ)と釜山(プサン)を行き来しながら撮った。除隊したのにまた会えなくなって、妻はまた軍隊に行かせたような気分と言っていた(笑)
―結婚して変わったことがあるか。
キム・ムヨル:恋愛をしていた時と同じだけど、安定感というのができた。
ー結婚式を、スモールウェーディングという形で非公開で行った。
キム・ムヨル:本来は両家の両親だけを招いて村の聖堂で静かに行おうとしていたけど、どんどん招待客が増えて。ただ僕たちだけに集中できる結婚式がしたかった。司式者もいなかった。本当に仲の良い人だけを集めて、パーティーをしているような雰囲気の結婚式だった。
―2世の予定はあるか。
キム・ムヨル:2~3年ほど後に?予定はそうだけど、その前に産むかもしれない(笑) 結婚前からKBS 2TV「ハッピーサンデー-スーパーマンが帰ってきた」のファンだった。オンデマンドサービスを利用して、1500ウォン(約150円)を決済して必ず見ている。「スター夫婦ショー チャギヤ」も本当に面白い。最近、義理の母が「チャギヤ」に出たいと何回も言っている(笑)
―キム・ムヨルとこんな話をすることになるとは。
キム・ムヨル:軍隊に行ってきて、結婚もしたのでもっとはしゃげるようになったようだ(笑)
ー今後、挑戦してみたいキャラクターがあるのか。
キム・ムヨル:もう避けるキャラクターなく、全部やってみようと思う。若い芸術家の心構えで生きていきたい。妥協せず、引き続き挑戦していきたい。これまでは静的な人物を多く演じてきたが、本当に軽いキャラクターもやってみたい。萎縮されることなく、どんどん前に進んでいきたい。
「延坪海戦」は2002年6月15日と29日に延坪島付近で韓国の艦艇と北朝鮮の警備艇の間に発生した海上戦闘をもとにした映画である。キム・ムヨル、チン・グ、イ・ヒョヌ、イ・ワン、イ・チョンアらが熱演し、「ビデオを見る男」を演出したキム・ハクスン監督がメガホンをとった。
公開前から紆余曲折の多かった作品だ。主人公と投資会社が変わり、制作中止という暗礁もあった。軍除隊後、復帰作として「延坪海戦」を選ぶことは決して簡単ではない選択だった。
「俳優として復帰作でカッコよく見せたいというこだわりは捨てました。『延坪海戦』は参加できるだけで光栄な作品だと思います。シナリオを読んで、すぐ熱くこみ上げるものがありました。色々と議論もありますが、僕たちのために犠牲になった方々のストーリーを伝えようとする映画という事実を中心に思ってくれたら良いと思います」
キム・ムヨルは今回の作品で海軍出身の父の跡を継いで海軍将校となった故ユン・ヨンハ大尉を演じた。徹底した軍人の精神を持ち、357号の隊員を率いる原則主義者のリーダーである彼は、小さな隙も許さない揺るぎない人物だ。キム・ムヨルは故人を演じるという大きなプレッシャーを抱え、「延坪海戦」に飛び込んだ。
「悲しかったし、申し訳なかったです。僕も2002年の日韓ワールドカップの際に大学路(テハンノ)ではしゃぎ、楽しく太鼓を叩いていました。その瞬間、僕たちのために犠牲になった方々がいるという事実は知らずに。その申し訳ない気持ちが、ユン・ヨンハ少佐を演じることに多くの影響を与えました」
―映画をどのように見たのか。
キム・ムヨル:シナリオを初めて読んだ時に受けた感じが蘇るような気分だった。こみ上げる気持ち、複雑で何なのかよく分からない感情があった。男として熱くなるものもあった。
―軍服を脱いだ直後に、海軍の制服を着ることになった。他のオファーも多くあったと思うが、「延坪海戦」を選んだ特別な理由があるのか。
キム・ムヨル:シナリオを見た瞬間、出演さえできれば光栄だと思った。俳優として「延坪海戦」の一員になりたかった。俳優として持つ復帰作へのこだわりは排除した。作品そのものが持っているメッセージを伝えるられるだけで光栄だ。
―復帰作に対するプレッシャーはなかったのか。
キム・ムヨル:ないと思ったけど、実はあったようだ。幸い、前向きなプレッシャーだった。撮影もどんどん長くなって、肉体的にも辛い撮影だったのでみんな疲れていたけど、僕一人だけは疲れていなかった。僕が現場で雰囲気をよく盛り上げたりした。もともと撮影現場に行くと、隅っこを探すタイプだったのに。「ウンギョ」の時まではそうだった。人を避けていたというか。けど、除隊後は前向きなエネルギーが多くなった(笑)
―作品そのものの意味とは別に、映画の外で議論が多い。
キム・ムヨル:とりあえず前向きな考えから申し上げるとしたら、議論そのものに感謝している。自分の兄や弟みたいな人が犠牲になった話ではないか。その話をそのまま受け止めてほしい。
―除隊後初となる作品だからなのか、気合がすごかった。制服もかなり似合っていた。
キム・ムヨル:衣装チームができるだけ実際の制服と似ている衣装を用意してくれた。士官服は実際の軍服を着た。衣装チームがほとんど女性だったので、制服の着方を知らなかった。チン・グ兄さんが海軍出身として細かく教えてくれた。ズボンにシャツを入れる方法にも、きちんと決まりがあった。
―撮影現場はほとんど男性だった。現場の雰囲気はどうだったのか。
キム・ムヨル:実際の軍部隊内では軍服姿で過ごした。僕は劇中で大尉だったので、僕より低い階級の実際の軍人さんたちが僕に挨拶をすることもあった。階級の低い役を演じた俳優たちは、帽子を被っていないと怒られることもあった(笑)
―軍隊に行ったことのないイ・ヒョヌが苦労したりはしなかったのか。
キム・ムヨル:ハハハ。みんな「君は早く軍隊にでも行け」と話していた。一度(間接的に)経験したので、とても役に立つと言っていた。イ・ヒョヌは軍隊に行っても可愛がられると思う。
―海戦のシーンもかなり苦労があったと思う。
キム・ムヨル:ユン・ヨンハ大尉が付けている指輪がある。24時間近く死ぬシーンを撮影したけど、後で見たら指輪を付けていなかったのだ。一日分の仕事が台無しになった。もう大騒ぎになって。ずっと船で生活していたし、セット場で3ヶ月くらい過ごしたのでもう心が折れそうになった。その事件以降、心を改めてまた気合を入れた。“災い転じて福となす”と言うが、渾身のリハーサルをしたようなものだ。
―実在していた人物を表現するために、演技的な悩みも多かったのでは。
キム・ムヨル:最後の笑うシーンのために最初から笑いを消して演じていたけど、それがすごく大変だった。実際の性格は怒った時もかなり笑うほうなので。それが制限されたものだから辛かった。ユン・ヨンハという人を誰よりもカッコよく、温かく、部下を愛する人として描きたかった。その方法に悩んでいて、部下に厳しく冷静な悪役として描いてみたのだ。だからこそ最後の笑うシーンがもっと悲しかったと思う。実はそうやって笑える人なのに、指揮官という地位のために冷静に生きてきたというのが悲しく、心が痛かった。
―撮影現場では男性だけだったので、妻ユン・スンアさんも安心したのでは。
キム・ムヨル:ハハハ。鎮海(チネ)と釜山(プサン)を行き来しながら撮った。除隊したのにまた会えなくなって、妻はまた軍隊に行かせたような気分と言っていた(笑)
―結婚して変わったことがあるか。
キム・ムヨル:恋愛をしていた時と同じだけど、安定感というのができた。
ー結婚式を、スモールウェーディングという形で非公開で行った。
キム・ムヨル:本来は両家の両親だけを招いて村の聖堂で静かに行おうとしていたけど、どんどん招待客が増えて。ただ僕たちだけに集中できる結婚式がしたかった。司式者もいなかった。本当に仲の良い人だけを集めて、パーティーをしているような雰囲気の結婚式だった。
―2世の予定はあるか。
キム・ムヨル:2~3年ほど後に?予定はそうだけど、その前に産むかもしれない(笑) 結婚前からKBS 2TV「ハッピーサンデー-スーパーマンが帰ってきた」のファンだった。オンデマンドサービスを利用して、1500ウォン(約150円)を決済して必ず見ている。「スター夫婦ショー チャギヤ」も本当に面白い。最近、義理の母が「チャギヤ」に出たいと何回も言っている(笑)
―キム・ムヨルとこんな話をすることになるとは。
キム・ムヨル:軍隊に行ってきて、結婚もしたのでもっとはしゃげるようになったようだ(笑)
ー今後、挑戦してみたいキャラクターがあるのか。
キム・ムヨル:もう避けるキャラクターなく、全部やってみようと思う。若い芸術家の心構えで生きていきたい。妥協せず、引き続き挑戦していきたい。これまでは静的な人物を多く演じてきたが、本当に軽いキャラクターもやってみたい。萎縮されることなく、どんどん前に進んでいきたい。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- キム・スジョン、写真 : ムン・スジ
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