“梨泰院の事故で死去”イ・ジハンさん、命日を迎え母親が悲痛な訴え「159人の凄惨な死を忘れないで」
イ・ジハンさんの母親は29日、彼のInstagramに「今日で息子に会えなくなってもう2年になる日だそうです。ジハンがいつ帰ってくるのか毎日待っていたら、2年も待ったことにも気づきませんでした。私は毎日そうであるように、一晩中泣いて眠ったことも知らずに、最後の涙が薄っすらと厚い皮になって目を覆い、手で一つ一つはがしながら体を起こします」という文章を残した。
2022年10月29日の夜、ソウル龍山(ヨンサン)区梨泰院洞一帯にハロウィンの雰囲気を味わうために多くの人が一斉に集まった。これにより、大規模な圧死事故が発生し、159人が死亡。多くの人が怪我をした。当時、梨泰院にいたイ・ジハンさんも犠牲者になってしまった。ドラマ「コクドゥの季節」にキャスティングされていた彼は、この作品を残して、突然愛する人たちのそばを離れた。
イ・ジハンさんの母親は、「梨泰院惨事で亡くなった159人の若者たちを、星のように美しいものだけで記憶しないでほしいと、私はお願いしたいです」とし、「悲惨な光景で満たされた159人の凄惨な死があったことを覚えていなければ、梨泰院惨事を説明できないと思います。梨泰院のあの夜は、決して消えた星だけで記憶されるには、虐殺のようであまりにも残酷な現場でした」と呼びかけた。
天国にいる息子に対しては「愛する私の息子のジハン。今、お母さんはあなたがあの日に梨泰院で着ていた血がついたシャツを抱きしめ、お母さんがあなたを救えなかったことを嘆きながら胸を叩いています。お父さん、お母さん、お姉さん、私たちみんな、あなたのにとても会いたいよ。ジハン、本当に愛してるよ。少し後で10時15分に梨泰院のあの路地にママが会いに行くよ」と、手紙を残した。
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【イ・ジハンさんの母親 Instagramコメント全文】
今日で息子に会えなくなってもう2年になる日だそうです。もうそんなに経ちました。
ジハンがいつ帰ってくるのか毎日待っていたら、2年も待ったことにも気づきませんでした。
私は毎日そうであるように、一晩中泣いて眠ったことも知らずに、最後の涙が薄っすらと厚い皮になって目を覆い、手で一つ一つはがしながら体を起こします。
ジハンと別れたあの日以降、今日も私は何も混ざっていない白い米を洗ってご飯を炊き、普段からジハンが食べたがっていたドーナツを食卓に備えて、息子の遺影写真を胸に抱きしめ、思う存分食べられなかったご飯をスプーンで一匙盛って、もう太ることを心配せずに、おいしく食べなさいと、不可能な呪文を唱えるようにつぶやきます。
私はあの日以来、誰かが教えてくれなければ、昨日が何曜日だったのか、明日が何曜日なのか分からなくなり、やる気も消え、未来も消えました。2022年10月29日以前は、ただ目を開けていれば、当たり前のように家の中を歩き回りながら演技の練習をして、歌を歌って、遅い朝ご飯を食べていた息子を、何の努力もせずに見ることができました。
しかし、今は自分の息子を、目の前で生きていた息子に会うためには、わざと目を強く閉じて真っ暗の中深い眠りに落ちなければ、年に1回か2回しか会うことができず、運が良ければ息子の声を聞けるか、無言で別れる日が多くなりました。それでも今は目を閉じていても会えない日がさらに多くなり、毎日を不安と深い悲しみだけでは足りず、私の心臓の鼓動が私の脇の下に毎日大きく伝わってくるほど異常な日々を過ごしています。
梨泰院の惨事で亡くなった159人の若者たちを、星のように美しいものだけで記憶しないでほしいと、私はお願いしたいです
あの日の阿鼻叫喚は、救助を待ちながら最後の息を吸うためにシャツの襟に血を吐く日でしたし、息苦しい身動きで首を長く伸ばして、息が止まる瞬間を少しでも遅らせるように凄絶なもがきの時間でしたし、押されて階段の下に転がり落ちて、肋骨が折れ、手首が折れ、腰が折れ、足の血管が切れ、下半身が麻痺し、助けてほしいという叫び声すら出せなかった、生と死が交差する瞬間だったのです。
冷たい道路の床に積み重なり、白くて小さな両足が、アスファルトの床に引きずられて真っ黒になったまま、小さな布切れに体だけが覆われて親を待っていた残酷だった瞬間があったし、氷点下20度の霊安室の暗い冷凍庫に1人閉じ込められてお母さんとお父さんを待っていた、胸が張り裂けるような瞬間がありました。順天郷(スンチョニャン)病院の硬くて冷たい廊下に投げ出されるように白い包帯に覆われ、もう入る場所がない霊安室に押し込めるように、長い長い白い行列があった悲惨な光景で満たされた159人の凄惨な死があったことを忘れてしまえば、梨泰院の惨事を説明できないと思います。
これがどうして、あの日に運が悪くて死んでしまった、世界中から来た159人の若者の悲しい死だけで、美しい星だけで、人々の記憶に残るべきだと言うのでしょうか。
梨泰院のあの夜は、決して消えた星だけで記憶されるには、虐殺のようであまりにも残酷な現場でした。
押しつぶされそうだと4時間前から叫んだ声が、息が苦しいと言った声が、息が止まった位置まで詳しく伝えたあの日の声が、今でも聞こえてくるようです……。
愛する私の息子のジハン。
今、お母さんはあなたがあの日に梨泰院で着ていた血がついたシャツを抱きしめ、お母さんがあなたを救えなかったことを嘆きながら胸を叩いています。
パパ、ママ、姉さん、私たちみんながあなたにとても会いたいよ。ジハン、本当に愛してるよ。少し後で、10時15分に梨泰院のあの路地にママが会いに行くよ。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- パク・ソヨン
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