【PEOPLE】オダギリジョーを構成する5つのキーワード
「何かを守りたいという気持ちを忘れたくありません。自分自身として、俳優として、そして人間として、夢を抱いてやり遂げる信念や、あるいは自分なりの人生観など、そういうものがなければ、生きていく意味がないと思います。」――オダギリジョーのインタビューから
幼い頃にオダギリジョーが河本の通っている学校に転校して以来、2人は今でも時々、連絡を取る仲だそうだ。オダギリジョーは自分を“恥ずかしがり屋”だと言う。非常に内気で、幼稚園でやった演劇では主人公でもないのに舞台挨拶をする時“緊張しすぎて、すぐにも気絶しそうな表情”をするほど、人前に立つことを嫌がっていた。しかし幼い頃に両親が離婚してからは、母親が外出すると一人で映画館に行き、自分でも「映画館は僕の保育所でもあった」というほど映画にはまっていった。その結果、この内気な少年は「将来何になるか分からないが、映画関係の仕事がしたい」と決心したそうだ。
その名の通り仮面を被ったスーパーヒーローが活躍する作品である。大学に合格してすぐに中退し、アメリカに映画の勉強に行くほど真剣だった彼は所属事務所から押し付けられたこの作品のオーディションに不満を持っていた。そのため、オーディションではわざとぶっきらぼうな声で台本を読んだという噂もある。しかしこの作品のプロデューサーは彼を説得し作品に参加させた。また彼も撮影に真剣に臨んだ。一時期「仮面ライダークウガを辞めようと考えた」という噂が広まったが、実際には「もし、次に他の演技をしてもこのキャラクターのイメージが消えなかったら、俳優という職業を辞めたい」と言ったことが誤って伝えられたのだった。実のところオダギリジョーはこの作品の脚本作りにも加わっていた。彼はアメリカで“Theater”という単語を見て映画関連の学科と勘違いし、演劇学科で演技を学んだ。とにかく昔からユニークな人間だった。
映画「アカルイミライ」で共演した。映画の中で浅野忠信はオダギリジョーに人生の方向を教える人物だったが、実際に「『アカルイミライ』が第2のデビュー作」と言えるほど、彼との演技を通して“演技してないのに演技をしている方法”を学んだ。以前は演技に没頭しすぎて“人に見せるための演技”をしていたが、この作品で出会った演出家・黒沢清の 「お前はそこに立っているだけで良いよ」いう言葉のおかげで、負担を感じず自然な演技が出来るようになった。監督は彼に対して「私が考えていた役とオダギリジョーが完全に一致している」と語っていた。
「メゾン・ド・ヒミコ」の冒頭のシーンではオダギリジョーの顔ははっきり映らない。雨の日の車窓のガラスにぼかされたり、後ろ姿だけ映ったりしている。その後、明るい日の差すゲイたちの療養所“メゾン・ド・ヒミコ”に現れるオダギリジョーの顔は、共演した柴咲コウのキャラクターだけではなく、全ての女性を魅了した。彼は当時「ゲイを感じさせる表現はしたくなかった、平凡な青年を演じようと思った」と言う。しかし、その平凡な姿が、彼の顔と世間と距離を置いたようなゆるい声、そしてゲイというアイデンティティと重なって、多くの女性は漫画で読んだキャラクターを現実に呼び出したかのように感じた。映画「血と骨」で一緒に仕事をしたチェ・ヤンイル監督が「この世にないような表情」というほど、彼の魅力が最大限に表現された。「メソン・ド・ヒミコ」は非大衆向け要素の沢山ある作品だったが、彼の魅力がずば抜けていたため、かえって彼の存在を強く感じさせた。イケメン、ゲイ、非大衆向け映画として韓国女性の心をつかみ始めた時、オダギリジョーが現れた。
パーマをしてメガネをかけた、とぼけた感じの警察官であるこのキャラクターは、「揺れる」を撮った当時“真剣なドラマ”だけが好きだった彼が「リアリティーを保ちながら意外な瞬間、笑いを取ることはとても難しい。コミカルな演技が一番難しい」と知った後、撮影したコメディドラマである。オダギリジョーは「時効警察」、「メゾン・ド・ヒメコ」、「パッチギ!」など休むことなく仕事を続けながら、違うキャラクターを演技することで有名である。“メソッド演技(役の内面に注目し、感情を追体験する演技法)”を基本として「いくら違ったキャラクターの演技でも、全てオダギリジョーだ」と言われるほど、全く違ったキャラクターを“自分だけのスタイル”で表現しようしている。彼の作品の中で自ら「気弱な演技」だと言うほど無頓着で無謀な感情表現は、彼だけの独特のスタイルとなった。内気な性格でありながら“何もしないとこの世から完璧に孤立する怖さ”を分かっている彼は、演技というものをこの世に自分を表現する手段だと考えている。演技に対して「結局、その人物の人生と存在を受け入れること」と言うように、観客も彼の演技をそのように受け止めることを望んでいるのではないだろうか。
留学時代、初めて彼の映画に出会った後、「ジム・ジャームッシュとジョン・カサヴェテスの映画を見てハリウッドの映画が嫌になった」「大衆向けが好きでもなく、大衆向けになりたくもない」と話していたオダギリジョーは「映画を売る人と買う人、記者陣がうじゃうじゃいるビジネスイベント」だからカンヌ映画祭が嫌いで、「大衆向けのものが表現できない」と悩んでいる。彼は非大衆向けと大衆向けの間で悩んでいる。それは演技を通じて自分を表現している彼の強い自我と関係がある。「一番のファンは自分自身」だと言う彼は、内面の表現に集中している。それは彼が演技だけではなく映画演出、音楽、絵など、絶え間もなく自分を表現ことに執着している理由でもある。そのため大衆向け要素は考えず音楽を作り、チャーハンを作る時は中華なべと包丁まで取り揃える。いい意味でエゴイストであり、何でもかんでもきちんとしたい完璧主義者でもある。同時に大衆向けのものに対しても「やらなければならない部分もある、でもその間で常にバランスを取って行きたい」という現実主義者だ。
オダギリジョーは結婚会見で「僕と誕生日が同じ人は金正日(キム・ジョンイル)しかいないと思っていました」と冗談を言っていた。いつも青年のようで「恋愛は好きだけど、愛はよく分からないタイプ」だと言いながら「僕の仕事は忙しいです。魂を入れて仕事に臨むくらいに集中しなければならないので、恋愛と仕事を選ぶなら仕事を選びます」と言っていた彼の結婚は衝撃的だった。しかし彼は結婚を「人生の表現方法だ」と言い、結婚を通じて「出来ればいい夫、そしていい父親になりたい」と自分の人生を見せたがっていた。さらに彼は結婚式でも目立つ髪形で現れ、彼らしい一面を見せた。日本アカデミー賞の授賞式でモヒカンの髪型をし、カンヌ映画祭ではタキシードを腕に巻くなど、独特なファッションも有名である。しかし彼にとってファッションというものは「自分を表現できる最も簡単な方法」であり、普段は人に気づかれないように平凡な服を着ているという。彼のファッションは多くのファンを作ったが、彼にとって重要なのはファッションリーダーという周りの視線ではなく、自分の内面を表現することである。そして、彼は「俳優のプライベートなことを無理に見せる必要はない」と俳優の神秘性を維持している。頭のてっぺんからつま先まで本物の俳優である。
オダギリジョーは原作小説の母子関係が実際の自分と重なる部分にプライベートなところを見せるような気がして、1ページ目を読んですぐに出演を断ったそうだ。しかし彼はこの作品を演じることで“ある意味では親孝行”だと思い、出演を決意した。この映画は彼の最も個人的な作品でもあり、出演作の中で最も観客を集めた作品となった。自分の物語として見せた演技が人々にも受け入れられたのである。また、オダギリジョーは「僕が今ここにいるという存在感を表現したかった」と話した。
やりたいことへの好き嫌いが激しく、トラブルも起こしていた20代が過ぎ、30代には「とても強かった自己意識や頑固なところが弱まってきたみたいだ」と言うように、世間とより柔軟に関わるようになった。幼い頃、1人で映画を見て、映画しか知らなかった少年が映画を通して、この世界と話し合う方法を見つけることが出来たのだ。30代半ばにも関わらず青年のような姿を持つ彼が、今回公開する「マイウェイ 12000キロの真実」のような大作映画の重みに耐えられたのは、強かった自己表現の意識から得た妥協点があったからではないだろうか。
オダギリジョーは以前、キム・ギドク監督の「悲夢」に出演したが、彼が韓国人監督の映画で、制作費280億ウォンの大作映画に参加したことは意外だった。しかしイケメンのトップスターであるチャン・ドンゴンとの共演で対等な存在感を見せるためには、彼のように独特の存在感を持たなくてならないだろう。映画「ブラザーフッド」のカン・ジェギュとチャン・ドンゴンが再会した作品「マイウェイ 12000キロの真実」がオーソドックスな大作を連想させ、ここにオダギリジョーの曖昧で複雑な雰囲気を加える。先日、彼は韓国で自分の名前ではなく倖田來未の名前をサインしたことで騒ぎを起こしたが、好き嫌いを問わず、このようないたずら心と彼の独特なファッションは、私たちの知るオダギリジョーが瞬間ごとに自分を表現する方法だろう。
周囲の目を気にせず、ひたすら自分に集中し、自分だけを表現することに全力を尽くしている。エゴイストで仕事中毒、そして完璧主義者であるオダギリジョーはいつのまにか日本から韓国まで、自主制作映画から大作映画まで領域を広げていった。オダギリジョーは自分だけの方法でこの世界を歩いていく。
河本純一
Mnet「SUPER STAR K3」の日本予選にお笑い芸人・次長課長の河本が参加すると宣言し話題となった。幼い頃にオダギリジョーが河本の通っている学校に転校して以来、2人は今でも時々、連絡を取る仲だそうだ。オダギリジョーは自分を“恥ずかしがり屋”だと言う。非常に内気で、幼稚園でやった演劇では主人公でもないのに舞台挨拶をする時“緊張しすぎて、すぐにも気絶しそうな表情”をするほど、人前に立つことを嫌がっていた。しかし幼い頃に両親が離婚してからは、母親が外出すると一人で映画館に行き、自分でも「映画館は僕の保育所でもあった」というほど映画にはまっていった。その結果、この内気な少年は「将来何になるか分からないが、映画関係の仕事がしたい」と決心したそうだ。
五代雄介
オダギリジョーをこの世に知らしめた「仮面ライダークウガ」で彼が演技したキャラクター。その名の通り仮面を被ったスーパーヒーローが活躍する作品である。大学に合格してすぐに中退し、アメリカに映画の勉強に行くほど真剣だった彼は所属事務所から押し付けられたこの作品のオーディションに不満を持っていた。そのため、オーディションではわざとぶっきらぼうな声で台本を読んだという噂もある。しかしこの作品のプロデューサーは彼を説得し作品に参加させた。また彼も撮影に真剣に臨んだ。一時期「仮面ライダークウガを辞めようと考えた」という噂が広まったが、実際には「もし、次に他の演技をしてもこのキャラクターのイメージが消えなかったら、俳優という職業を辞めたい」と言ったことが誤って伝えられたのだった。実のところオダギリジョーはこの作品の脚本作りにも加わっていた。彼はアメリカで“Theater”という単語を見て映画関連の学科と勘違いし、演劇学科で演技を学んだ。とにかく昔からユニークな人間だった。
浅野忠信
オダギリジョーが俳優の勉強をした当時、「この俳優のように演技をしてみたい」と言っていた俳優。映画「アカルイミライ」で共演した。映画の中で浅野忠信はオダギリジョーに人生の方向を教える人物だったが、実際に「『アカルイミライ』が第2のデビュー作」と言えるほど、彼との演技を通して“演技してないのに演技をしている方法”を学んだ。以前は演技に没頭しすぎて“人に見せるための演技”をしていたが、この作品で出会った演出家・黒沢清の 「お前はそこに立っているだけで良いよ」いう言葉のおかげで、負担を感じず自然な演技が出来るようになった。監督は彼に対して「私が考えていた役とオダギリジョーが完全に一致している」と語っていた。
柴咲コウ
映画「メゾン・ド・ヒミコ」で共演した女優。「メゾン・ド・ヒミコ」の冒頭のシーンではオダギリジョーの顔ははっきり映らない。雨の日の車窓のガラスにぼかされたり、後ろ姿だけ映ったりしている。その後、明るい日の差すゲイたちの療養所“メゾン・ド・ヒミコ”に現れるオダギリジョーの顔は、共演した柴咲コウのキャラクターだけではなく、全ての女性を魅了した。彼は当時「ゲイを感じさせる表現はしたくなかった、平凡な青年を演じようと思った」と言う。しかし、その平凡な姿が、彼の顔と世間と距離を置いたようなゆるい声、そしてゲイというアイデンティティと重なって、多くの女性は漫画で読んだキャラクターを現実に呼び出したかのように感じた。映画「血と骨」で一緒に仕事をしたチェ・ヤンイル監督が「この世にないような表情」というほど、彼の魅力が最大限に表現された。「メソン・ド・ヒミコ」は非大衆向け要素の沢山ある作品だったが、彼の魅力がずば抜けていたため、かえって彼の存在を強く感じさせた。イケメン、ゲイ、非大衆向け映画として韓国女性の心をつかみ始めた時、オダギリジョーが現れた。
霧山修一郎
オダギリジョーが「テレビでは見られなかった、バカみたいにくだらないドラマを作ってみよう」という思いで撮った「時効警察」で演じたキャラクター。パーマをしてメガネをかけた、とぼけた感じの警察官であるこのキャラクターは、「揺れる」を撮った当時“真剣なドラマ”だけが好きだった彼が「リアリティーを保ちながら意外な瞬間、笑いを取ることはとても難しい。コミカルな演技が一番難しい」と知った後、撮影したコメディドラマである。オダギリジョーは「時効警察」、「メゾン・ド・ヒメコ」、「パッチギ!」など休むことなく仕事を続けながら、違うキャラクターを演技することで有名である。“メソッド演技(役の内面に注目し、感情を追体験する演技法)”を基本として「いくら違ったキャラクターの演技でも、全てオダギリジョーだ」と言われるほど、全く違ったキャラクターを“自分だけのスタイル”で表現しようしている。彼の作品の中で自ら「気弱な演技」だと言うほど無頓着で無謀な感情表現は、彼だけの独特のスタイルとなった。内気な性格でありながら“何もしないとこの世から完璧に孤立する怖さ”を分かっている彼は、演技というものをこの世に自分を表現する手段だと考えている。演技に対して「結局、その人物の人生と存在を受け入れること」と言うように、観客も彼の演技をそのように受け止めることを望んでいるのではないだろうか。
ジム・ジャームッシュ
オダギリジョーが最も憧れている映画監督。留学時代、初めて彼の映画に出会った後、「ジム・ジャームッシュとジョン・カサヴェテスの映画を見てハリウッドの映画が嫌になった」「大衆向けが好きでもなく、大衆向けになりたくもない」と話していたオダギリジョーは「映画を売る人と買う人、記者陣がうじゃうじゃいるビジネスイベント」だからカンヌ映画祭が嫌いで、「大衆向けのものが表現できない」と悩んでいる。彼は非大衆向けと大衆向けの間で悩んでいる。それは演技を通じて自分を表現している彼の強い自我と関係がある。「一番のファンは自分自身」だと言う彼は、内面の表現に集中している。それは彼が演技だけではなく映画演出、音楽、絵など、絶え間もなく自分を表現ことに執着している理由でもある。そのため大衆向け要素は考えず音楽を作り、チャーハンを作る時は中華なべと包丁まで取り揃える。いい意味でエゴイストであり、何でもかんでもきちんとしたい完璧主義者でもある。同時に大衆向けのものに対しても「やらなければならない部分もある、でもその間で常にバランスを取って行きたい」という現実主義者だ。
香椎由宇
オダギリジョーと同じ誕生日の11歳年下の妻。オダギリジョーは結婚会見で「僕と誕生日が同じ人は金正日(キム・ジョンイル)しかいないと思っていました」と冗談を言っていた。いつも青年のようで「恋愛は好きだけど、愛はよく分からないタイプ」だと言いながら「僕の仕事は忙しいです。魂を入れて仕事に臨むくらいに集中しなければならないので、恋愛と仕事を選ぶなら仕事を選びます」と言っていた彼の結婚は衝撃的だった。しかし彼は結婚を「人生の表現方法だ」と言い、結婚を通じて「出来ればいい夫、そしていい父親になりたい」と自分の人生を見せたがっていた。さらに彼は結婚式でも目立つ髪形で現れ、彼らしい一面を見せた。日本アカデミー賞の授賞式でモヒカンの髪型をし、カンヌ映画祭ではタキシードを腕に巻くなど、独特なファッションも有名である。しかし彼にとってファッションというものは「自分を表現できる最も簡単な方法」であり、普段は人に気づかれないように平凡な服を着ているという。彼のファッションは多くのファンを作ったが、彼にとって重要なのはファッションリーダーという周りの視線ではなく、自分の内面を表現することである。そして、彼は「俳優のプライベートなことを無理に見せる必要はない」と俳優の神秘性を維持している。頭のてっぺんからつま先まで本物の俳優である。
樹木希林
「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」でオダギリジョーの母親として出演した女優。オダギリジョーは原作小説の母子関係が実際の自分と重なる部分にプライベートなところを見せるような気がして、1ページ目を読んですぐに出演を断ったそうだ。しかし彼はこの作品を演じることで“ある意味では親孝行”だと思い、出演を決意した。この映画は彼の最も個人的な作品でもあり、出演作の中で最も観客を集めた作品となった。自分の物語として見せた演技が人々にも受け入れられたのである。また、オダギリジョーは「僕が今ここにいるという存在感を表現したかった」と話した。
やりたいことへの好き嫌いが激しく、トラブルも起こしていた20代が過ぎ、30代には「とても強かった自己意識や頑固なところが弱まってきたみたいだ」と言うように、世間とより柔軟に関わるようになった。幼い頃、1人で映画を見て、映画しか知らなかった少年が映画を通して、この世界と話し合う方法を見つけることが出来たのだ。30代半ばにも関わらず青年のような姿を持つ彼が、今回公開する「マイウェイ 12000キロの真実」のような大作映画の重みに耐えられたのは、強かった自己表現の意識から得た妥協点があったからではないだろうか。
カン・ジェギュ
「マイウェイ 12000キロの真実」の監督であり演出者。オダギリジョーは以前、キム・ギドク監督の「悲夢」に出演したが、彼が韓国人監督の映画で、制作費280億ウォンの大作映画に参加したことは意外だった。しかしイケメンのトップスターであるチャン・ドンゴンとの共演で対等な存在感を見せるためには、彼のように独特の存在感を持たなくてならないだろう。映画「ブラザーフッド」のカン・ジェギュとチャン・ドンゴンが再会した作品「マイウェイ 12000キロの真実」がオーソドックスな大作を連想させ、ここにオダギリジョーの曖昧で複雑な雰囲気を加える。先日、彼は韓国で自分の名前ではなく倖田來未の名前をサインしたことで騒ぎを起こしたが、好き嫌いを問わず、このようないたずら心と彼の独特なファッションは、私たちの知るオダギリジョーが瞬間ごとに自分を表現する方法だろう。
周囲の目を気にせず、ひたすら自分に集中し、自分だけを表現することに全力を尽くしている。エゴイストで仕事中毒、そして完璧主義者であるオダギリジョーはいつのまにか日本から韓国まで、自主制作映画から大作映画まで領域を広げていった。オダギリジョーは自分だけの方法でこの世界を歩いていく。
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- カン・ミョンソク
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