「26年」2AM スロン“韓流は漠然とした愛国、自国について知ることが大事だ”
「26年」を準備しながら諦めた作品が3~4つもある。適当にやれば全てこなせたかもしれないが、2AMのスロンは一つだけに集中した。トップの人気を得たアイドル歌手が演技をすることに対して、世間からの偏見があることは、スロン本人も“受け入れるべき課題”としてはっきり認識していたためだ。
映画「26年」のクォン・ジョンヒョクは、1980年光州(クァンジュ)抗争時に姉を亡くした人物。当時のトラウマは彼が警察になった後も消えず、虐殺の主犯である“あの人”を断罪することも躊躇させる。スロンの不安な眼差しがクォン・ジョンヒョクの視線と正確に交差した時、アイドル歌手出身の俳優志望者ではなく、スロン本人がその現場に立っていた。
商業映画の初主演で、誰よりも熾烈だったスロン。そして、「26年」を通じて彼は2つの事をはっきり証明して見せた。
「『26年』が上手くいっているようでとても嬉しいけれど、正直に言うと観客数は2番目でした。映画がとてもよく仕上がっていて嬉しい反面、僕はこの映画に対する評価がとても知りたかったし、僕がどのように描かれているか知りたかったんです。
演技を準備する1年6ヶ月ほどが、僕にとってはヒーリングの時間でした。夜にはモニタリングして、他の人はどう演技するのかと台詞も真似してみたり、上手い演技、下手な演技の基準も作ってきました。学べば学ぶほど本物の演技をしたいという願望が強くなりました。ライアン・ゴズリング、レオナルド・ディカプリオ、チェ・ミンシク先輩、イ・ビョンホン先輩、ハ・ジョンウ先輩などの演技を見ること自体が勉強でした」
別の作品を手放して残念がっていたスロンは、俳優の先輩たちから「自分にぴったり合う作品があり、縁のある作品があるはずだ」というアドバイスを受けており、「26年」はスロンにとってまさにそのような作品だった。すでに漫画家カン・プルの原作を見ていたが、スロンが演じるクォン・ジョンヒョクは、自己分裂を強く経験する人物で、彼がとてもやってみたかったキャラクターだった。また、ここ4年間で何度も制作が行き詰まった「26年」は、スロンのキャスティングとともに問題が解消し、1ヶ月足らずで撮影に入ったという。色んな面で縁のある作品だったのだ。
問題は現場での演技だった。当初のシナリオでは、クォン・ジョンヒョクが今よりもっとサイコパスのような気質の強い人物だった。理性を失って強いエゴ分裂を表現するには当初の設定がもっと容易だったが、映画の流れのためにややトーンが薄くなった。スロンにはさらに難しい課題になったのだ。演技だけで勝負するという覚悟だったが、アイドル出身俳優という札付きも気になっていたので、負担はもっと大きかった。
「まずは僕が勉強してきた演技が正しいと思いました。準備をきちんとしていたので自信はありました。映画に夢中になって熱心にやる姿は、当然望ましいと思います。結果的に失敗はあり得るものですが、それは僕が仕掛けられるものではありません。アイドル俳優という偏見は2番目でした。100のうち1だけでも下手をすれば、きっと悪い評価を受けるはずです。まずは映画で自分の役目をこなすことが大事でした。
もちろん、色眼鏡で見る人たちに対して意識しないわけにはいけません。アイドル歌手の演技に関する記事はほとんど読んでいました。彼らはどんな思いで演技をしているか、僕と似ているか、似ているのならどれだけ繊細に演技を見極めているのかなどを調べました。彼らの演技もモニタリングしたし。本当に良い考えを持っている人もいました。
映画『ある会社員』に出演したZE:Aのドンジュンが『役割は大きくなかったが、全力を尽くして熱心に演じた』とインタビューで話していた内容も見ました。当たり前の話だけど、僕にとっては熱心という表現も十分ではありませんでした。撮影場所で僕が歌手と感じられないように、上手くやりたいという思いだけでした。しかも助演ではなく主要人物だったので。
僕の持つシナリオに“僕の直感を信じよう。揺るがないようにしよう”と書いておいて、いつも覚えていました。僕自身が崩れると、ストーリーも崩れかねないと思ったのです。あるシーンは上手くいって、あるシーンが上手くできないとしても、動揺しないと決心しました。アイドル俳優という札付きは、その次の問題でした」
だが、スロンははっきり自分の意見を明かした。「『26年』の舞台が現代であるため、今を知るのが大事ではないか」と話し、映画を通じて勉強するようになったヒストリーを紹介した。
「この映画をすることになってから新聞を読むようになりました。政治、社会、経済に満遍なく目を通します。最近の雰囲気を知るようになると、その次は歴史を知りたくなりました。歴史を勉強し始めてみると、ある事実に対して猛烈な意見の対立があることも発見しました。断定することは難しいですね。でも非難じゃなければ、批判は良い現象であることが分かりました。
それだけでも有難いですね。歌手と俳優は歌と演技で感動を与えればいいという思いから、国を愛する気持ちが増しました。政治的カラーをはっきり決めることはできないけど、社会問題に関心を持つようになったし。僕のできる範囲内では批判もできるようになりました」
それでスロンはSNSを通じて、たびたび自身の意見を伝えている。スロンは「最近、性的暴力犯罪に対して、親告罪でなく反意思不罰罪に改善されたことは幸いなこと」と話し、「僕が言うからといって変わるものではないけれど、アイドルの仲間やファンたちも、このような問題に関心を持ってほしい」とかなり真剣に述べた。
「最近の韓流って、海外に出て韓国を知らせるものという認識が多いようですが、それって漠然とした愛国心ですよね。僕たちが自らもっと知るために努力すれば、他の次元の愛国心が生まれると思います。まずは僕たちの社会についてもっと知ろうとしてほしいですね」
真剣であるだけに意識の高いスロンだった。映画「26年」の新たな発見は、この意識ある俳優ではないかと思われた。俳優チン・グとペ・スビンが「26年」に対して「記憶に関する映画だ」と話したことを伝えると、スロンは「楽しく見られる映画だ」と付け加えてほしいと話した。
「まずは映画がヒットしてほしいですね。ヒットすれば、政治的話題、社会的話題がついてくるので。映画は文化として楽しんで、それが問題になれば僕たちが望む変化も生じるものだと思います」
映画「26年」のクォン・ジョンヒョクは、1980年光州(クァンジュ)抗争時に姉を亡くした人物。当時のトラウマは彼が警察になった後も消えず、虐殺の主犯である“あの人”を断罪することも躊躇させる。スロンの不安な眼差しがクォン・ジョンヒョクの視線と正確に交差した時、アイドル歌手出身の俳優志望者ではなく、スロン本人がその現場に立っていた。
商業映画の初主演で、誰よりも熾烈だったスロン。そして、「26年」を通じて彼は2つの事をはっきり証明して見せた。
スロンの証明1. アイドル歌手の札付きなく、俳優そのものとしての可能性
全力で勝負をかけたという表現に彼は同意しなかった。映画を準備する過程が面白く、それ自体が癒しだったという。韓流スターとしてステージに立つため、その裏側で歌手たちが暗い練習室でどれほど汗を流しているのかを、誰よりもよく知っているスロンは、演技もそのように準備し、実力をつけてきた。彼が見てきた演劇、ミュージカル、映画、そして彼が身につけようとした当代のトップ俳優の発声や発音は、2年という時間の間、彼の中に蓄積されてきた。「『26年』が上手くいっているようでとても嬉しいけれど、正直に言うと観客数は2番目でした。映画がとてもよく仕上がっていて嬉しい反面、僕はこの映画に対する評価がとても知りたかったし、僕がどのように描かれているか知りたかったんです。
演技を準備する1年6ヶ月ほどが、僕にとってはヒーリングの時間でした。夜にはモニタリングして、他の人はどう演技するのかと台詞も真似してみたり、上手い演技、下手な演技の基準も作ってきました。学べば学ぶほど本物の演技をしたいという願望が強くなりました。ライアン・ゴズリング、レオナルド・ディカプリオ、チェ・ミンシク先輩、イ・ビョンホン先輩、ハ・ジョンウ先輩などの演技を見ること自体が勉強でした」
別の作品を手放して残念がっていたスロンは、俳優の先輩たちから「自分にぴったり合う作品があり、縁のある作品があるはずだ」というアドバイスを受けており、「26年」はスロンにとってまさにそのような作品だった。すでに漫画家カン・プルの原作を見ていたが、スロンが演じるクォン・ジョンヒョクは、自己分裂を強く経験する人物で、彼がとてもやってみたかったキャラクターだった。また、ここ4年間で何度も制作が行き詰まった「26年」は、スロンのキャスティングとともに問題が解消し、1ヶ月足らずで撮影に入ったという。色んな面で縁のある作品だったのだ。
問題は現場での演技だった。当初のシナリオでは、クォン・ジョンヒョクが今よりもっとサイコパスのような気質の強い人物だった。理性を失って強いエゴ分裂を表現するには当初の設定がもっと容易だったが、映画の流れのためにややトーンが薄くなった。スロンにはさらに難しい課題になったのだ。演技だけで勝負するという覚悟だったが、アイドル出身俳優という札付きも気になっていたので、負担はもっと大きかった。
「まずは僕が勉強してきた演技が正しいと思いました。準備をきちんとしていたので自信はありました。映画に夢中になって熱心にやる姿は、当然望ましいと思います。結果的に失敗はあり得るものですが、それは僕が仕掛けられるものではありません。アイドル俳優という偏見は2番目でした。100のうち1だけでも下手をすれば、きっと悪い評価を受けるはずです。まずは映画で自分の役目をこなすことが大事でした。
もちろん、色眼鏡で見る人たちに対して意識しないわけにはいけません。アイドル歌手の演技に関する記事はほとんど読んでいました。彼らはどんな思いで演技をしているか、僕と似ているか、似ているのならどれだけ繊細に演技を見極めているのかなどを調べました。彼らの演技もモニタリングしたし。本当に良い考えを持っている人もいました。
映画『ある会社員』に出演したZE:Aのドンジュンが『役割は大きくなかったが、全力を尽くして熱心に演じた』とインタビューで話していた内容も見ました。当たり前の話だけど、僕にとっては熱心という表現も十分ではありませんでした。撮影場所で僕が歌手と感じられないように、上手くやりたいという思いだけでした。しかも助演ではなく主要人物だったので。
僕の持つシナリオに“僕の直感を信じよう。揺るがないようにしよう”と書いておいて、いつも覚えていました。僕自身が崩れると、ストーリーも崩れかねないと思ったのです。あるシーンは上手くいって、あるシーンが上手くできないとしても、動揺しないと決心しました。アイドル俳優という札付きは、その次の問題でした」
スロンの証明2. 政治と社会問題に対する若い世代の覚醒の可能性
数え年で26歳。1987年生まれのスロンは光州(クァンジュ)事件や、民主化運動などの言葉とはかけ離れた世代である。「26年」で一緒に演技したイ・ギョンヨン、チャン・グァンはその現場を経験した世代であり、ペ・スビン、チン・グもうっすらではあるが記憶している世代。しかしスロンにとっては、光州事件は馴染みのない事件だったはずだ。だが、スロンははっきり自分の意見を明かした。「『26年』の舞台が現代であるため、今を知るのが大事ではないか」と話し、映画を通じて勉強するようになったヒストリーを紹介した。
「この映画をすることになってから新聞を読むようになりました。政治、社会、経済に満遍なく目を通します。最近の雰囲気を知るようになると、その次は歴史を知りたくなりました。歴史を勉強し始めてみると、ある事実に対して猛烈な意見の対立があることも発見しました。断定することは難しいですね。でも非難じゃなければ、批判は良い現象であることが分かりました。
それだけでも有難いですね。歌手と俳優は歌と演技で感動を与えればいいという思いから、国を愛する気持ちが増しました。政治的カラーをはっきり決めることはできないけど、社会問題に関心を持つようになったし。僕のできる範囲内では批判もできるようになりました」
それでスロンはSNSを通じて、たびたび自身の意見を伝えている。スロンは「最近、性的暴力犯罪に対して、親告罪でなく反意思不罰罪に改善されたことは幸いなこと」と話し、「僕が言うからといって変わるものではないけれど、アイドルの仲間やファンたちも、このような問題に関心を持ってほしい」とかなり真剣に述べた。
「最近の韓流って、海外に出て韓国を知らせるものという認識が多いようですが、それって漠然とした愛国心ですよね。僕たちが自らもっと知るために努力すれば、他の次元の愛国心が生まれると思います。まずは僕たちの社会についてもっと知ろうとしてほしいですね」
真剣であるだけに意識の高いスロンだった。映画「26年」の新たな発見は、この意識ある俳優ではないかと思われた。俳優チン・グとペ・スビンが「26年」に対して「記憶に関する映画だ」と話したことを伝えると、スロンは「楽しく見られる映画だ」と付け加えてほしいと話した。
「まずは映画がヒットしてほしいですね。ヒットすれば、政治的話題、社会的話題がついてくるので。映画は文化として楽しんで、それが問題になれば僕たちが望む変化も生じるものだと思います」
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- イ・ソンピル
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