「イノセント・ガーデン」パク・チャヌク監督、優雅なサスペンスで帰ってきた
写真=CJ E&M
クラシックバレエのように美しいサスペンス
どこよりも先に韓国で公開したパク・チャヌク監督のハリウッドデビュー作「イノセント・ガーデン」を見た。一言で表現すると、クラシックバレエの視聴覚的な韻律が感じられる優雅で美しいサスペンスだった。演出は絵葉書のように美しく、適材適所で流れる音楽は叙事的な緊張を弓弦のように張ってくれた。「イノセント・ガーデン」はパク・チャヌク監督がハリウッドで撮影する最初の映画でもあるが、本人がシナリオを書かなかった最初の映画でもあった。韓国ではソク・ホピルという愛称で呼ばれるウェントワース・ミラーの脚本は、ストーカー家という豊かだが狂気が血に流れるクレイジーな一族の年代記だ。これほどの脚本であれば、監督としての演出力をアピールする上で十分だと言える。
18歳の誕生日にインディア・ストーカー(ミア・ワシコウスカ)は交通事故で父親を失う。葬式にこれまで存在すら知らなかった叔父のチャーリー・ストーカー(マシュー・グード)が訪れる。なぜだか明確には説明されないが、死んだ夫とあまり仲が良くなかったイヴリン・ストーカー(ニコール・キッドマン)は若くて親切なチャーリーに好感を覚える。
ストーカー家の邸宅での奇妙な同居
都心から離れた大邸宅でこの3人の奇妙な同居が始まる。丸く大きな石が所々に置かれた大きな庭園があり、テニスコートも付いているこの家は、中世の城を連想させる。もちろん、この大きな家をイヴリンが直接管理はしない。長い間家のことを世話してきたマックギャリック婦人(フィリス・サマーヴィル)がいる。しかし、どういうことかチャーリーが来た直後、マックギャリック婦人は姿をくらましてしまう。マックギャリック婦人はチャーリーの秘密を知っているようだった。この映画のタイトルである「イノセント・ガーデン」は、あの有名な「ドラキュラ」の作家ブラム・ストーカーの苗字から取ってきており、「イノセント・ガーデン」は「ドラキュラ」のモチーフの中からいくつかを借りてきた。チャーリーは年齢を越え女性たちに人気が高く、フランス語が堪能でピアノの実力も抜群だ。死んだ城主の妻と娘は葬式に訪れたこの男にすぐにのめり込んでいく。それだけではない。チャーリーは家族の血を吸って生きてきたも同然だ。血を隠喩するワインを飲むチャーリーの眼差しは魅力的に輝く。チャーリーの勧めでワインを初めて飲んだインディアもそうだ。「イノセント・ガーデン」は「ドラキュラ」を非常に巧みに優雅に変奏している。
秘密を知っていると危険
チャーリーが魔性の魅力でストーカー家の女主人と一人娘を誘惑している時、チャーリーの正体を知っている叔母ジーン(ジャッキー・ウィーヴァー)が訪れる。彼女はマックギャリック婦人ほどではないが年老いた女性だ。チャーリーがいるとは夢にも思わなかったジーンは、彼を見て怯え震える。彼女もチャーリーの秘密を知っているのだ。彼女はイヴリンに話したいことがあると言うが、イヴリンはジーンが何かを妨げていると思い断る。イヴリンが干渉を受けたくなく、隠したかったのはチャーリーへの官能的な欲望だ。イヴリンの神経質な拒絶に加え、彼女自身が恐怖を感じたため、ジーンは広大なストーカー家の邸宅から逃げるように、安いモーテルに泊まる。その次は予想通りだ。チャーリーはジーンが置いていった携帯電話を持って彼女を訪れる。チャーリーを見た彼女は死神を見たかのように怖気づく。携帯電話を無くしたジーンがどこかに電話をかけようとしてチャーリーと遭遇する電話ボックスでのシーンは圧巻だ。
「ドラキュラ」と「ハムレット」と「赤い靴」のモチーフを変奏
「イノセント・ガーデン」は「ハムレット」のモチーフを逆転して採用したりもする。ハムレットは父親を殺したと疑われる叔父と自身の母親が再婚し、“生か、死か”を悩むことになる。ハムレットは母親を呪い、父親の死の復讐を果たすために叔父を殺す。「イノセント・ガーデン」のインディアは叔父と母親の官能的な愛を呪う代わりに、抑えていた本能に目覚め、同じ年頃の青年と肉体的な遊戯を試みる(青年の唇を噛み血を流させるのは「ドラキュラ」のモチーフである吸血の変奏だ)。つまり、この映画の序盤ではインディアは弱々しく保護されなければならない存在として登場するが、その後、チャーリーと同様の魔性の存在として生まれ変わる。より正確な言い方をすると、父親から徹底した統制を受けていたインディアの本能がチャーリーとの接触を通じて爆発するのだ。チャーリーとの同質性を見せるインディアのシャワーシーンは、ジーンの電話ボックスシーンと共にこの映画のもう一つの見所だ。
インディアの父親リチャードは鳥の狩りを通じて娘の本能を統制させ、チャーリーと会わせないようにした。チャーリーがインディアに送った手紙をすべて隠し、毎年誕生日のプレゼントとしてインディアが受け取る靴の送り主は誰かを知らせない。この靴も「赤い靴」のモチーフを採用したと言える。赤い靴は靴を履く人の統制不可能な止められない欲望を隠喩する。チャーリーがインディアの成人記念として履かせるハイヒールは彼女に内在した欲望を爆発させる。
チャーリーはイヴリンが熱くなるように誘惑しておき、インディアに一緒に旅立とうと提案する。なぜイヴリンではなくインディアなのだろうか? なぜストーカー家の邸宅を残してニューヨークに行こうとしているのか? ドラキュラは成人になったばかりの若い女性が好きで、何より血を分けて飲んだ女性を愛する。インディアはチャーリーの秘密を知った後も彼と旅立つことを決意する。何より二人は血を分けて飲んだ仲であるからだ。しかし、イヴリンが娘を保護するために、または官能の戦いで負けたことを認めることができずチャーリーを最後に誘惑する時、インディアは一種のエレクトラコンプレックスと噴出した本能に依存し最終的な選択をする。
繊細な演出力が目立つ
この映画ではパク・チャヌクの繊細な演出力が複数のシーンで目立つ。例えば、父親の葬式を終え家に帰ってきたインディアが卵の殻をむくシーンは、表現主義的な音響と共に登場人物の不安な心理と薄暗い劇的雰囲気を高める。チャーリーとインディアの同質感を確認させるピアノの演奏シーンもそうだ。二人の連弾曲は、最初は競争的だが、後にはインディアに性的興奮を覚えさせるほどエロティックだ。また、「イノセント・ガーデン」はパク・チャヌクのどの映画よりも音楽の配置や活用において優れている。例えば、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」のアリアは、ストーカー家の視覚的な印象とともにこの映画の基本的な情緒を表す。「イル・トロヴァトーレ」は隠喩詩人または武芸と文芸両方に優れた騎士という意味を持っており、チャーリーの存在を暗示する。そのため、インディアが保安官からの質問に答えられず、チャーリーが「イル・トロヴァトーレ」と代わりに答えるシーンは興味深い。チャーリーの答えは嘘であると同時に真実になるためだ。小さいが劇的なアイロニーが表れるシーンだ。
ハリウッドに行ったパク・チャヌクが披露する「イノセント・ガーデン」は、彼の長所がそのまま表れており、また優雅さが倍増している。彼のパートナーであるチョン・ジョンフン撮影監督の流麗な撮影も目立ち、助演を含む俳優たちのアンサンブルも非の打ち所がない。良い作品で帰還に成功したパク・チャヌク監督の次の作品が今から楽しみだ。
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- ハン・ジョヨン
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