【映画レビュー】「FLU 運命の36時間」より怖いのは、私たちに拳銃を突きつける国家
写真=(株)アイラブシネマ、(株)アイフィルム
致命的なウイルスを題材にした「FLU 運命の36時間」、パンデミック映画を借りて権力のパラダイムを問う
パンデミック映画「FLU 運命の36時間」のあらすじを見た瞬間、スペイン風邪がふと思い浮かんだ。それもそのはず、20世紀初頭にはスペイン風邪により世界で約5000万人、現在の韓国の人口ほどの膨大な数の命が消えた。映画の中の風邪は、これよりもさらに致命的な変種の風邪ウイルスで、2日にも満たない36時間以内に命を奪う。しかし、風邪ウイルスの致命的な殺傷力よりも身震いさせたのは、国家権力は誰のために動くのかを問う、力の覇権の問題だった。
「FLU 運命の36時間」で致命的な風邪の発源地となる盆唐(プンダン)は、国家の災難管理システムにより隔離され統制される。盆唐が隔離される論理は簡単だ。風邪ウイルスが首都圏へ、いや韓国全域へ拡散されることを防ぐため、盆唐に入る車両と全ての交通手段が遮断される。
写真=(株)アイラブシネマ、(株)アイフィルム
その昔、中世ヨーロッパの各地域でユダヤ人を隔離するために設定した居住地域“ゲットー”のように、盆唐という都市は風邪により現代版ゲットーに成り下がる。盆唐に住む人々はもちろんのこと、盆唐を訪問していた外部の市民たちも盆唐の外に出られず、孤立させられる。しかし、住民が経験する生活苦は、盆唐区そのものが孤立することが全てではなかった。盆唐の全住民は、それまで住んでいた居住地で寝泊まりをすることができない。特殊部隊が、家屋に居住する盆唐居住民たちを強制的に引きずり出し、収容所に閉じ込めたからだ。
盆唐という巨大なゲットーの中に、集団収容所というまた違うゲットーが作られる。ビニールの仕切りで組み立てられた収容所の中で、一部の住民は反発する。こんなことならば、家からテントでも持ち出すようにしてくれるべきではなかったのかと強く抗議する。
この時、盆唐の住民を統制する軍人の態度が変わる。反乱につながることを恐れたからだろうか、それとも銃を持つ者の特権意識でも発動したのだろうか。強く抗議する非武装状態の住民に向け、拳銃を頭に突きつける。隔離というレベルを超え、暴圧のファシズムが発動され始めるのだ。
鉄パイプのような軍人に対向する武器も手にしていない、そのための要素を備えていない状態の民間人が、ただ強く抗議しているというだけで銃口を向けられるのだ。国家の安寧のために国家権力が働くわけではなく、国家権力に順応しない個人を統制するための権力に変質する瞬間を見せている。
国民の命を左右する公権力とアメリカ
写真=(株)アイラブシネマ、(株)アイフィルム
国家権力の誤作動が、このシーンだけに限られるのならば良かったが、「FLU 運命の36時間」が描くファシズムはここで止まらない。映画に登場する致命的なウイルスに、治療法はない。感染すれば、2日もたたないうちにこの世と別れを告げなければならないのだ。収容所の中で感染者と非感染者は区分され、隔離措置が施される。治療法がないため、感染者は死ぬ日をただ待つだけだ。風邪で死亡した遺体は、屍から吹き出るウイルスによって他の非感染者に追加感染が起こらないように、火で焼却される。
そこで、まだしっかりと息が残っている感染者の生死も確認しないまま、焼却場へ移送しようとする公務員の振る舞いも描かれる。隔離と統制、ましてやまだ息が残っている人を焼却場送りにする蛮行を、公権力が進めるのだ。
これは明白に、ガス室で虐殺されたユダヤ人を焼却炉送りにするアウシュビッツの惨状を、現代の韓国に移したものに他ならない。同時に、ただ口蹄疫発病地域に含まれるという理由だけで、地下に埋められなければならなかった家畜たちの悲哀を擬人化したものでもある。
写真=(株)アイラブシネマ、(株)アイフィルム
しかし、致命的な風邪ウイルスの震源地の盆唐を隔離するだけでは飽き足りない集団がある。アメリカだ。韓国は、特にチャ・インピョが演じる韓国の大統領は、軍の統帥権者としてワクチンを早急に開発し、盆唐地域の人々を隔離状態から解放しようと最大限努力するが、アメリカの考え方は明確に異なる。韓米連合司令部の立場で戦作権の優先権を持つアメリカは、盆唐で出現した新種のウイルスが韓国全域に、ひいては全世界に波及することを望まない。“抜本塞源”、問題となる要素は削るのではなく、その源泉をもとから取り除くことがベストという意味を持つこの四字熟語をモットーにしているのが、韓米連合司令部の中でのアメリカの立場だ。盆唐のゲットー化にとどまらず、そもそもの根本から引き抜こうとする。
ここまでくれば、「FLU 運命の36時間」は「誰のために権力は働くか」という問いを越え、国家安保を左右する制覇権が、韓国とアメリカのうち誰の手に握られるべきかを問う、“戦作権還収問題”にも直結する。韓国の主権が、なぜ他の国の手に左右されるかを問うのだ。
ここで「FLU 運命の36時間」は、パンデミック映画の形を借り、政治力学構造をシニカルに見据え、権力のパラダイムを問いただす映画と見ることもできる。
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- 元記事配信日時 :
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- パク・ジョンファン
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