「私の心臓を撃て」ムン・ジェヨン監督“ヨ・ジングは今後の韓国映画をリードする人物になるだろう”
漢陽(ハニャン)大学演劇映画科を経て韓国芸術総合学校の演出専攻までエリートコースを進んだ青年にとって映画は言葉通り生きる理由であり、目的だった。映画学徒として監督になった自身を夢見ながら、未来に対する青写真を描きながら毎日を過ごした。しかし現実は想像ほどロマンチックではなかった。厳しく、辛い人生の連続だった。ぶつかって、、壊れるばかりだった。幸運が来るかなと思っても幸運はつかめないところで嫌味を言うだけだった。
こうやって青年の若い時代は未完の人生の連続だった。10年あまりの苦労の末にメガホンを取った新人ムン・ジェヨン(36)監督は過去の自身を完生を追う未生だと言った。そして覇気と情熱、時には豪気溢れていた過去の自身に、完生に向かって走るすべての未生たちに手を差し出した。「大丈夫、うまくいくよ」。無愛想だけど温かいその手で縮こまった若者たちの背中を宥めた。
ベストセラー作家チョン・ユジョンの同名小説を原作にした映画「私の心臓を撃て」(監督:ムン・ジェヨン、制作:ジュピターフィルム)が劇場街に登場し、若者たちに“癒しの妙薬”を与えた。スリ希望精神病院に入ったユニークな二人の特別な友情が見る間ずっと胸に響く。笑っているのに涙が流れる皮肉さ。微妙な二人の温かさだけで慰めになる作品だ。
実際に「私の心臓を撃て」に参加したすべての俳優、スタッフは癒されたという。それぞれ疲れた心を(たとえ仕事だとしても)癒しながら仕事をすることができたという。初めての作品を演出することになったムン・ジェヨン監督は成長できる足場になったと微笑んだ。みんなが口を揃えて“癒し”を叫んでいた。
「治療効果が医学的に立証てきていないだけで、みんな力と勇気をもらえたと言います。スンミン(イ・ミンギ)とスミョン(ヨ・ジング)を通じて傷を覗いて、その傷に薬を塗ったわけですから。悩みがあったり、混乱しているスタッフであるほど映画を見てもっと感動を受けたと言います。監督として僕はコラボレーションに対して考えたりもしました。良いエネルギーをたくさんもらい、学びましたね。みんな作品のおかげで癒されたと言ってくれて胸がいっぱいですし、嬉しいです。もちろん残念なこともあったけど、結果的にとてもかっこいい作品が出たような気がします。
ムン・ジェヨン監督が初めての作品を演出するまではかなり長い時間がかかった。2005年「私の生涯で最も美しい一週間」(監督:ミン・ギュドン)、「ナンパの定石」(監督:オ・ギファン)の演出部として忠武路(チュンムロ、韓国の映画街)に飛び込み、2006年「タチャ いかさま師」(監督:チェ・ドンフン)を経て2007年短編「双子たち」を演出することになった。「双子たち」は第6回ミジャンセン短編映画祭の「愛に関する短いフィルム」部門で最優秀作品賞を受賞しながら評団の関心を集めた。当時はすぐにでも商業映画の監督として第一歩を踏み出せると思ったが、そうはならなかった。それから7年がかかった。「私の心臓を撃て」まで。
「2007年度に学校を卒業し、7年間9つのシナリオを書きました(笑) 本当に多様な素材の映画を書きましたが、その中には制作段階に着手したのに倒れた作品もあり、投資会社から相次いで断られたこともありました。その時は世の中は地獄のような気がしました。ディプレス(Depress、憂うつ感)状態でした。その時、偶然『私の心臓を撃て』を読みました。誰かに頭を殴られたような気分でした。
幼いころ、たぶん小学生時代のある日、ムン・ジェヨン監督は映画「ローマの休日」(53、監督:ウィリアム・ワイラー)と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85、監督:ロバート・ゼメキス)を見て慰められたと告白した。疾風怒濤の時期に2本の映画から様々な感情を感じたという。それは人生の映画になり、その後映画を作る監督になるという夢を持ったという。
「子どものころに受けたその新鮮なショックを分けてあげたかったです。当時僕が映画を見て慰めてもらったように、大変な観客が『私の心臓を撃て』を通じて慰められてほしい。スミョンにスンミンのような友人がいるみたいに。こういうものが愛で、こういうものが友情だと言いたかったです。世の中はまだ生きる価値があり、温かいということを」
「原作を避けたかったです。たぶん監督は誰でもそう思うでしょう。原作のある作品を避けたい、逃げたいと思うでしょう。なぜなら原作が演出者を呑み込む可能性が高いからです。7年間大変だったからこれ以上は隠れたくなかったこともありました。立ち向かって戦えば何とでもなるだろうと思いました。せっかくだから最初のボタンをちゃんとかけたかったです。そうするためには最高の作品が必要でした。映画は人の心を動かす芸術ですから。観客の心を動かすことさえできれば原作であっても、そうでなくても重要ではありません」
小説を映画化した作品は成功率が高くないということをよく知っていたが、ムン・ジェヨン監督は自信があった。自身が心を奪われたように、観客の心を奪う自信もあった。代わりに無駄な我執を捨て、周りの助言を最大限受け入れることにした。むりやり変えようとせず、すべてのソースを受け入れることにした。チョン・ユジョン作家のエネルギーをそのまま披露しようと決心した。才気溌剌な芸術家たちのコラボレーション。ここから「私の心臓の撃て」はスタートした。
軽い心を持ったムン・ジェヨン監督の映画化は成功的だった。初めての作品であるにもかかわらず、洗練された演出力で原作の味をうまく生かしたという評価を受けた。さらにイ・ミンギ、ヨ・ジングという天才俳優たちが味わいのある演技をしてくれたおかげで映画はより深い風味をアピールした。
「好評を受けたのはすべてスタッフたち、俳優たちのおかげです。僕がやったことはあまりありません。ハハ。視覚的に見せる分野ですからね。イメージとサウンドに気をつけよう、特に音楽が『私の心臓を撃て』の雰囲気を左右すると思いました。それで音楽に全神経を注ぎました。おそらく50曲を超える曲が使われたと思います。音楽だけはハリウッドのジャンル映画に劣らないと思います(笑)」
ムン・ジェヨン監督の意図通り、映画の中の音楽はシーンごとに完璧なアンサンブルを披露した。ただ、音楽と違ってスミョンのナレーションに対する反応は分かれた。スミョンの観察者視点が行き過ぎたというのだ。しかしムン・ジェヨン監督はナレーションを選んだことに後悔はない。むしろ満足していると言いながら親指を立てた。
「ナレーションは選択の問題でした。試写会の直前までナレーションを入れることをたくさん悩んだからです。ナレーションがないバージョンも準備しておいたからです。ところが、やはり経済性が気になりました。ナレーションがなければ、観客にすべての状況を見せなければならないのでランニングタイムが長くなり、そうすると退屈になりました。ナレーションを使ってみたら容易に近づけるし、速度感も生きるし。省略が必要な時にナレーションの力を借りたわけです。スミョンは中盤までセリフがほとんどありません。表情だけで演技をしていますが、その時に流れるスミョンの本音が魅力的じゃないですか?ヨ・ジングの声だからもっと甘くなりました。ヨ・ジングの声が小説の効果を出してくれるんです。また、そんな重厚な声を使わないのは損です。ファンを欺瞞することなんです。ハハ」
ヨ・ジングに対する愛情が溢れるムン・ジェヨン監督。可愛くないところがないと言いながら“父のような笑顔”を見せる。スンミンに比べて難しいキャラクターだったスミョンをまだ若い彼がうまくこなしてくれてありがたいという。状況に完璧に合わせられる賢い俳優だと感嘆した。
「スミョンが難しいキャラクターなので多くの俳優たちが断りました。スミョンは映画の中であまり見ないからです。スンミンは独特で、キャラクターが確実だから演じるのが楽な人物だけど、スミョンは内面演技をしなければならない人物なのでエネルギーの消耗がすごかったです。ところがヨ・ジングがそれを完璧にこなしていました。普通若い俳優たちは現場でスタッフといたずらをすることもあるけど、ヨ・ジングはそうすることなく、いつも悩んでいました。だからなのか、スミョンの程度調節がうまかったと思います。演技経歴の長い、老練な演技者みたいでした。誰もヨ・ジングを高校生だと思いませんでした(笑) 撮影がない時に短いヘアスタイル、Tシャツ姿で現れた彼を見て驚きましたね(笑) それだけスミョンそのものでしたから。ヨ・ジングは怖いほど未来が期待される俳優です。確信を持って言いますが、今後の韓国映画をリードする人物になると思います。大人しい青年に見えるけど、その内面に隠れたタレント性がすごいからです。パンドラの箱みたいにヨ・ジングの箱が開かれたら堪えられないと思いますよ(笑)
こうやって青年の若い時代は未完の人生の連続だった。10年あまりの苦労の末にメガホンを取った新人ムン・ジェヨン(36)監督は過去の自身を完生を追う未生だと言った。そして覇気と情熱、時には豪気溢れていた過去の自身に、完生に向かって走るすべての未生たちに手を差し出した。「大丈夫、うまくいくよ」。無愛想だけど温かいその手で縮こまった若者たちの背中を宥めた。
ベストセラー作家チョン・ユジョンの同名小説を原作にした映画「私の心臓を撃て」(監督:ムン・ジェヨン、制作:ジュピターフィルム)が劇場街に登場し、若者たちに“癒しの妙薬”を与えた。スリ希望精神病院に入ったユニークな二人の特別な友情が見る間ずっと胸に響く。笑っているのに涙が流れる皮肉さ。微妙な二人の温かさだけで慰めになる作品だ。
実際に「私の心臓を撃て」に参加したすべての俳優、スタッフは癒されたという。それぞれ疲れた心を(たとえ仕事だとしても)癒しながら仕事をすることができたという。初めての作品を演出することになったムン・ジェヨン監督は成長できる足場になったと微笑んだ。みんなが口を揃えて“癒し”を叫んでいた。
「治療効果が医学的に立証てきていないだけで、みんな力と勇気をもらえたと言います。スンミン(イ・ミンギ)とスミョン(ヨ・ジング)を通じて傷を覗いて、その傷に薬を塗ったわけですから。悩みがあったり、混乱しているスタッフであるほど映画を見てもっと感動を受けたと言います。監督として僕はコラボレーションに対して考えたりもしました。良いエネルギーをたくさんもらい、学びましたね。みんな作品のおかげで癒されたと言ってくれて胸がいっぱいですし、嬉しいです。もちろん残念なこともあったけど、結果的にとてもかっこいい作品が出たような気がします。
ムン・ジェヨン監督が初めての作品を演出するまではかなり長い時間がかかった。2005年「私の生涯で最も美しい一週間」(監督:ミン・ギュドン)、「ナンパの定石」(監督:オ・ギファン)の演出部として忠武路(チュンムロ、韓国の映画街)に飛び込み、2006年「タチャ いかさま師」(監督:チェ・ドンフン)を経て2007年短編「双子たち」を演出することになった。「双子たち」は第6回ミジャンセン短編映画祭の「愛に関する短いフィルム」部門で最優秀作品賞を受賞しながら評団の関心を集めた。当時はすぐにでも商業映画の監督として第一歩を踏み出せると思ったが、そうはならなかった。それから7年がかかった。「私の心臓を撃て」まで。
「2007年度に学校を卒業し、7年間9つのシナリオを書きました(笑) 本当に多様な素材の映画を書きましたが、その中には制作段階に着手したのに倒れた作品もあり、投資会社から相次いで断られたこともありました。その時は世の中は地獄のような気がしました。ディプレス(Depress、憂うつ感)状態でした。その時、偶然『私の心臓を撃て』を読みました。誰かに頭を殴られたような気分でした。
幼いころ、たぶん小学生時代のある日、ムン・ジェヨン監督は映画「ローマの休日」(53、監督:ウィリアム・ワイラー)と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85、監督:ロバート・ゼメキス)を見て慰められたと告白した。疾風怒濤の時期に2本の映画から様々な感情を感じたという。それは人生の映画になり、その後映画を作る監督になるという夢を持ったという。
「子どものころに受けたその新鮮なショックを分けてあげたかったです。当時僕が映画を見て慰めてもらったように、大変な観客が『私の心臓を撃て』を通じて慰められてほしい。スミョンにスンミンのような友人がいるみたいに。こういうものが愛で、こういうものが友情だと言いたかったです。世の中はまだ生きる価値があり、温かいということを」
映画「私の心臓を撃て」スチールカット
一番辛かった時期に「私の心臓を撃て」に出会ったムン・ジェヨン監督は勇気を持って映画化を決心した。しかし有名な、それも多くの読者に愛されたベストセラーを映画化することは思ったより簡単ではない。ほかの作品より期待値が高く、観客たちがストーリーの流れを知っている状態で見るため、退屈に感じる恐れもある。何より、人間の想像力を満たすのは難しいはずだ。にもかかわらず挑戦を止めることはできなかった。決心したから、何でもしてみたかった。「原作を避けたかったです。たぶん監督は誰でもそう思うでしょう。原作のある作品を避けたい、逃げたいと思うでしょう。なぜなら原作が演出者を呑み込む可能性が高いからです。7年間大変だったからこれ以上は隠れたくなかったこともありました。立ち向かって戦えば何とでもなるだろうと思いました。せっかくだから最初のボタンをちゃんとかけたかったです。そうするためには最高の作品が必要でした。映画は人の心を動かす芸術ですから。観客の心を動かすことさえできれば原作であっても、そうでなくても重要ではありません」
小説を映画化した作品は成功率が高くないということをよく知っていたが、ムン・ジェヨン監督は自信があった。自身が心を奪われたように、観客の心を奪う自信もあった。代わりに無駄な我執を捨て、周りの助言を最大限受け入れることにした。むりやり変えようとせず、すべてのソースを受け入れることにした。チョン・ユジョン作家のエネルギーをそのまま披露しようと決心した。才気溌剌な芸術家たちのコラボレーション。ここから「私の心臓の撃て」はスタートした。
軽い心を持ったムン・ジェヨン監督の映画化は成功的だった。初めての作品であるにもかかわらず、洗練された演出力で原作の味をうまく生かしたという評価を受けた。さらにイ・ミンギ、ヨ・ジングという天才俳優たちが味わいのある演技をしてくれたおかげで映画はより深い風味をアピールした。
「好評を受けたのはすべてスタッフたち、俳優たちのおかげです。僕がやったことはあまりありません。ハハ。視覚的に見せる分野ですからね。イメージとサウンドに気をつけよう、特に音楽が『私の心臓を撃て』の雰囲気を左右すると思いました。それで音楽に全神経を注ぎました。おそらく50曲を超える曲が使われたと思います。音楽だけはハリウッドのジャンル映画に劣らないと思います(笑)」
ムン・ジェヨン監督の意図通り、映画の中の音楽はシーンごとに完璧なアンサンブルを披露した。ただ、音楽と違ってスミョンのナレーションに対する反応は分かれた。スミョンの観察者視点が行き過ぎたというのだ。しかしムン・ジェヨン監督はナレーションを選んだことに後悔はない。むしろ満足していると言いながら親指を立てた。
「ナレーションは選択の問題でした。試写会の直前までナレーションを入れることをたくさん悩んだからです。ナレーションがないバージョンも準備しておいたからです。ところが、やはり経済性が気になりました。ナレーションがなければ、観客にすべての状況を見せなければならないのでランニングタイムが長くなり、そうすると退屈になりました。ナレーションを使ってみたら容易に近づけるし、速度感も生きるし。省略が必要な時にナレーションの力を借りたわけです。スミョンは中盤までセリフがほとんどありません。表情だけで演技をしていますが、その時に流れるスミョンの本音が魅力的じゃないですか?ヨ・ジングの声だからもっと甘くなりました。ヨ・ジングの声が小説の効果を出してくれるんです。また、そんな重厚な声を使わないのは損です。ファンを欺瞞することなんです。ハハ」
ヨ・ジングに対する愛情が溢れるムン・ジェヨン監督。可愛くないところがないと言いながら“父のような笑顔”を見せる。スンミンに比べて難しいキャラクターだったスミョンをまだ若い彼がうまくこなしてくれてありがたいという。状況に完璧に合わせられる賢い俳優だと感嘆した。
「スミョンが難しいキャラクターなので多くの俳優たちが断りました。スミョンは映画の中であまり見ないからです。スンミンは独特で、キャラクターが確実だから演じるのが楽な人物だけど、スミョンは内面演技をしなければならない人物なのでエネルギーの消耗がすごかったです。ところがヨ・ジングがそれを完璧にこなしていました。普通若い俳優たちは現場でスタッフといたずらをすることもあるけど、ヨ・ジングはそうすることなく、いつも悩んでいました。だからなのか、スミョンの程度調節がうまかったと思います。演技経歴の長い、老練な演技者みたいでした。誰もヨ・ジングを高校生だと思いませんでした(笑) 撮影がない時に短いヘアスタイル、Tシャツ姿で現れた彼を見て驚きましたね(笑) それだけスミョンそのものでしたから。ヨ・ジングは怖いほど未来が期待される俳優です。確信を持って言いますが、今後の韓国映画をリードする人物になると思います。大人しい青年に見えるけど、その内面に隠れたタレント性がすごいからです。パンドラの箱みたいにヨ・ジングの箱が開かれたら堪えられないと思いますよ(笑)
- 元記事配信日時 :
- 記者 :
- チョ・ジヨン、写真 : ムン・スジ
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